門


一

 宗助そうすけは先刻さつきから縁側えんがはへ坐蒲團ざぶとんを持もち出だして日當ひあたりの好よささうな所ところへ氣樂きらくに胡坐あぐらをかいて見みたが、やがて手てに持もつてゐる雜誌ざつしを放はふり出だすと共ともに、ごろりと横よこになつた。秋日和あきびよりと名なのつく程ほどの上天氣じやうてんきなので、徃來わうらいを行ゆく人ひとの下駄げたの響ひゞきが、靜しづかな町丈まちだけに、朗ほがらかに聞きこえて來くる。肱枕ひぢまくらをして軒のきから上うへを見上みあげると、奇麗きれいな空そらが一面いちめんに蒼あをく澄すんでゐる。其空そのそらが自分じぶんの寐ねてゐる縁側えんがはの窮屈きゆうくつな寸法すんぱふに較くらべて見みると、非常ひじやうに廣大くわうだいである。たまの日曜にちえうに斯かうして緩ゆつくり空そらを見みる丈だけでも大分だいぶ違ちがふなと思おもひながら、眉まゆを寄よせて、ぎららする日ひを少時しばらく見詰みつめてゐたが、眩まぼしくなつたので、今度こんどはぐるりと寐返ねがへりをして障子しやうじの方はうを向むいた。障子しやうじの中なかでは細君さいくんが裁縫しごとをしてゐる。
「おい、好いい天氣てんきだな」と話はなし掛かけた。細君さいくんは、
「えゝ」と云いつたなりであつた。宗助そうすけも別べつに話はなしがしたい譯わけでもなかつたと見みえて、夫それなり默だまつて仕舞しまつた。しばらくすると今度こんどは細君さいくんの方はうから、
「ちつと散歩さんぽでも爲して入いらつしやい」と云いつた。然しかし其時そのときは宗助そうすけが唯たゞうんと云いふ生返事なまへんじを返かへした丈だけであつた。 二三分ぷんして、細君さいくんは障子しやうじの硝子がらすの所ところへ顏かほを寄よせて、縁側えんがはに寐ねてゐる夫をつとの姿すがたを覗のぞいて見みた。夫をつとはどう云いふ了見れうけんか兩膝りやうひざを曲まげて海老えびの樣やうに窮屈きゆうくつになつてゐる。さうして兩手りやうてを組くみ合あはして、其中そのなかへ黒くろい頭あたまを突つつ込こんでゐるから、肱ひぢに挾はさまれて顏かほがちつとも見みえない。
「貴方あなたそんな所ところへ寐ねると風邪かぜ引ひいてよ」と細君さいくんが注意ちゆういした。細君さいくんの言葉ことばは東京とうきやうの樣やうな、東京とうきやうでない樣やうな、現代げんだいの女學生ぢよがくせいに共通きようつうな一種いつしゆの調子てうしを持もつてゐる。
 宗助そうすけは兩肱りやうひぢの中なかで大おほきな眼めをぱちちさせながら、
「寐ねやせん、大丈夫だいぢやうぶだ」と小聲こごゑで答こたへた。
 夫それから又また靜しづかになつた。外そとを通とほる護謨車ごむぐるまのベルの音おとが二三度ど鳴なつた後あとから、遠とほくで鷄にはとりの時音ときをつくる聲こゑが聞きこえた。宗助そうすけは仕立卸したておろしの紡績織ばうせきおりの脊中せなかへ、自然じねんと浸しみ込こんで來くる光線くわうせんの暖味あたゝかみを、襯衣しやつの下したで貪むさぼる程ほど味あぢはひながら、表おもての音おとを聽きくともなく聽きいてゐたが、急きふに思おもひ出だした樣やうに、障子越しやうじごしの細君さいくんを呼よんで、
「御米およね、近來きんらいの近きんの字じはどう書かいたつけね」と尋たづねた。細君さいくんは別べつに呆あきれた樣子やうすもなく、若わかい女をんなに特有とくいうなけたゝましい笑聲わらひごゑも立たてず、「近江おほみのおほの字じぢやなくつて」と答こたへた。
「其その近江おほみのおほの字じが分わからないんだ」
 細君さいくんは立たて切きつた障子しやうじを半分はんぶんばかり開あけて、敷居しきゐの外そとへ長ながい物指ものさしを出だして、其先そのさきで近きんの字じを縁側えんがはへ書かいて見みせて、
「斯かうでしやう」と云いつた限ぎり、物指ものさしの先さきを、字じの留とまつた所ところへ置おいたなり、澄すみ渡わたつた空そらを一ひとしきり眺ながめ入いつた。宗助そうすけは細君さいくんの顏かほも見みずに、
「矢やつ張ぱり左樣さうか」と云いつたが、冗談じようだんでもなかつたと見みえて、別べつに笑わらひもしなかつた。細君さいくんも近きんの字じは丸まるで氣きにならない樣子やうすで、
「本當ほんたうに好いい御天氣おてんきだわね」と半なかば獨ひとり言ごとの樣やうに云いひながら、障子しやうじを開あけた儘まゝ又また裁縫しごとを始はじめた。すると宗助そうすけは肱ひぢで挾はさんだ頭あたまを少すこし擡もたげて、
「何どうも字じと云いふものは不思議ふしぎだよ」と始はじめて細君さいくんの顏かほを見みた。
「何故なぜ」
「何故なぜつて、幾何いくら容易やさしい字じでも、こりや變へんだと思おもつて疑うたぐり出だすと分わからなくなる。此間このあひだも今日こんにちの今こんの字じで大變たいへん迷まよつた。紙かみの上うへへちやんと書かいて見みて、ぢつと眺ながめてゐると、何なんだか違ちがつた樣やうな氣きがする。仕舞しまひには見みれば見みる程ほど今こんらしくなくなつて來くる。――御前おまいそんな事ことを經驗けいけんした事ことはないかい」「まさか」
「己丈おれだけかな」と宗助そうすけは頭あたまへ手てを當あてた。
「貴方あなた何どうかして入いらつしやるのよ」
「矢やつ張ぱり神經衰弱しんけいすゐじやくの所爲せゐかも知しれない」
「左樣さうよ」と細君さいくんは夫をつとの顏かほを見みた。夫をつとは漸やうやく立たち上あがつた。
 針箱はりばこと糸屑いとくづの上うへを飛とび越こす樣やうに跨またいで茶ちやの間まの襖ふすまを開あけると、すぐ座敷ざしきである。南みなみが玄關げんくわんで塞ふさがれてゐるので、突つき當あたりの障子しやうじが、日向ひなたから急きふに這入はいつて來きた眸ひとみには、うそ寒さむく映うつつた。其所そこを開あけると、廂ひさしに逼せまる樣やうな勾配こうばいの崖がけが、縁鼻えんばなから聳そびえてゐるので、朝あさの内うちは當あたつて然しかるべき筈はずの日ひも容易よういに影かげを落おとさない。崖がけには草くさが生はえてゐる。下したからして一側ひとかはも石いしで疊たゝんでないから、何時いつ壞くづれるか分わからない虞おそれがあるのだけれども、不思議ふしぎにまだ壞くづれた事ことがないさうで、その爲ためか家主やぬしも長ながい間あひだ昔むかしの儘まゝにして放はふつてある。尤もつとも元もとは一面いちめんの竹藪たけやぶだつたとかで、それを切きり開ひらく時ときに根丈ねだけは掘ほり返かへさずに土堤どての中なかに埋うめて置おいたから、地ぢは存外ぞんぐわい緊しまつてゐますからねと、町内ちやうないに二十年ねんも住すんでゐる八百屋やほやの爺おやぢが勝手口かつてぐちでわざざ説明せつめいして呉くれた事ことがある。其時そのとき宗助そうすけはだつて根ねが殘のこつてゐれば、又また竹たけが生はえて藪やぶになりさうなものぢやないかと聞きき返かへして見みた。すると爺おやぢは、それがね、あゝ切きり開ひらかれて見みると、さう甘うまく行ゆくもんぢやありませんよ。然しかし崖丈がけだけは大丈夫だいぢやうぶです。どんな事ことがあつたつて壞くえつこはねえんだからと、恰あたかも自分じぶんのものを辯護べんごでもする樣やうに力りきんで歸かへつて行いつた。 崖がけは秋あきに入いつても別べつに色いろづく樣子やうすもない。たゞ青あをい草くさの匂にほひが褪さめて、不揃ぶそろにもぢややする許ばかりである。薄すゝきだの蔦つただのと云いふ洒落しやれたものに至いたつては更さらに見當みあたらない。其代そのかはり昔むかしの名殘なごりの孟宗まうそうが中途ちゆうとに二本ほん、上うへの方はうに三本程ぼんほどすつくりと立たつてゐる。夫それが多少たせう黄きに染そまつて、幹みきに日ひの射さすときなぞは、軒みきから首くびを出だすと、土手どての上うへに秋あきの暖味あたゝかみを眺ながめられる樣やうな心持こゝろもちがする。宗助そうすけは朝あさ出でて四時過よじすぎに歸かへる男をとこだから、日ひの詰つまる此頃このごろは、滅多めつたに崖がけの上うへを覗のぞく暇ひまを有もたなかつた。暗くらい便所べんじよから出でて、手水鉢てうづばちの水みづを手てに受うけながら、不圖ふと廂ひさしの外そとを見上みあげた時とき、始はじめて竹たけの事ことを思おもひ出だした。幹みきの頂いたゞきに濃こまかな葉はが集あつまつて、丸まるで坊主頭ばうずあたまの樣やうに見みえる。それが秋あきの日ひに醉よつて重おもく下したを向むいて、寂ひつそりと重かさなつた葉はが一枚まいも動うごかない。
 宗助そうすけは障子しやうじを閉たてゝ座敷ざしきへ歸かへつて、机つくゑの前まへへ坐すわつた。座敷ざしきとは云いひながら客きやくを通とほすから左樣さう名なづける迄までで、實じつは書齋しよさいとか居間ゐまとか云いふ方はうが穩當をんたうである。北側きたがはに床とこがあるので、申譯まをしわけの爲ために變へんな軸ぢくを掛かけて、其前そのまへに朱泥しゆでいの色いろをした拙せつな花活はないけが飾かざつてある。欄間らんまには額がくも何なにもない。唯たゞ眞鍮しんちゆうの折釘丈をれくぎだけが二本ほん光ひかつてゐる。其他そのたには硝子戸がらすどの張はつた書棚しよだなが一ひとつある。けれども中なかには別べつに是これと云いつて目立めだつ程ほどの立派りつぱなものも這入はいつてゐない。 宗助そうすけは銀金具ぎんかなぐの付ついた机つくゑの抽出ひきだしを開あけて頻しきりに中なかを檢しらべ出だしたが、別べつに何なにも見付みつけ出ださないうちに、はたりと締しめて仕舞しまつた。夫それから硯箱すゞりばこの葢ふたを取とつて、手紙てがみを書かき始はじめた。一本ぽん書かいて封ふうをして、一寸ちよつと考かんがへたが、
「おい、佐伯さへきのうちは中六番町なかろくばんちやう何番地なんばんちだつたかね」と襖越ふすまごしに細君さいくんに聞きいた。
「二十五番地ばんちぢやなくつて」と細君さいくんは答こたへたが、宗助そうすけが名宛なあてを書かき終をはる頃ころになつて、
「手紙てがみぢや駄目だめよ、行いつて能よく話はなしをして來こなくつちや」と付つけ加くはへた。
「まあ、駄目だめ迄までも手紙てがみを一本ぽん出だして置おかう。夫それで不可いけなかつたら出掛でかけるとするさ」と云いひ切きつたが、細君さいくんが返事へんじをしないので、
「ねぇ、おい、夫それで好いいだらう」と念ねんを押おした。
 細君さいくんは惡わるいとも云いひ兼かねたと見みえて、其上そのうへ爭あらそひもしなかつた。宗助そうすけは郵便いうびんを持もつた儘まゝ、座敷ざしきから直すぐ玄關げんくわんに出でた。細君さいくんは夫をつとの足音あしおとを聞きいて始はじめて、座ざを立たつたが、是これは茶ちやの間まの縁傳えんづたひに玄關げんくわんに出でた。
「一寸ちよつと散歩さんぽに行いつて來くるよ」
「行いつて入いらつしやい」と細君さいくんは微笑びせうしながら答こたへた。
 三十分ぷん許ばかりして格子かうしががらりと開あいたので、御米およねは又また裁縫しごとの手てを已やめて、縁傳えんづたひに玄關げんくわんへ出でて見みると、歸かへつたと思おもふ宗助そうすけの代かはりに、高等學校かうとうがくかうの制帽せいばうを被かぶつた、弟おとうとの小六ころくが這入はいつて來きた。袴はかまの裾すそが五六寸すんしか出でない位くらゐの長ながい黒羅紗くろラシヤのマントの釦ぼたんを外はづしながら、「暑あつい」と云いつてゐる。
「だつて餘あんまりだわ。此この御天氣おてんきにそんな厚あついものを着きて出でるなんて」
「何なに、日ひが暮くれたら寒さむいだらうと思おもつて」と小六ころくは云譯いひわけを半分はんぶんしながら、嫂あによめの後あとに跟ついて、茶ちやの間まへ通とほつたが、縫ぬひ掛かけてある着物きものへ眼めを着つけて、
「相變あひかはらず精せいが出でますね」と云いつたなり、長火鉢ながひばちの前まへへ胡坐あぐらをかいた。嫂あによめは裁縫しごとを隅すみの方はうへ押おし遺やつて置おいて、小六ころくの向むかふへ來きて、一寸ちよつと鐵瓶てつびんを卸おろして炭すみを繼つぎ始はじめた。
「御茶おちやなら澤山たくさんです」と小六ころくが云いつた。
「厭いや?」と女學生流ぢよがくせいりうに念ねんを押おした御米およねは、
「ぢや御菓子おくわしは」と云いつて笑わらひかけた。
「有あるんですか」と小六ころくが聞きいた。
「いゝえ、無ないの」と正直しやうぢきに答こたへたが、思おもひ出だした樣やうに、「待まつて頂戴ちやうだい、有あるかも知しれないわ」と云いひながら立たち上あがる拍子ひやうしに、横よこにあつた炭取すみとりを取とり退のけて、袋戸棚ふくろとだなを開あけた。小六ころくは御米およねの後姿うしろすがたの、羽織はおりが帶おびで高たかくなつた邊あたりを眺ながめてゐた。何なにを探さがすのだか中々なかか手間てまが取とれさうなので、
「ぢや御菓子おくわしも廢よしにしませう。それよりか、今日けふは兄にいさんは何どうしました」と聞きいた。
「兄にいさんは今いま一寸ちよいと」と後向うしろむきの儘まゝ答こたへて、御米およねは矢張やはり戸棚とだなの中なかを探さがしてゐる。やがてぱたりと戸とを締しめて、「駄目だめよ。何時いつの間まにか兄にいさんがみんな食たべて仕舞しまつた」と云いひながら、又また火鉢ひばちの向むかふへ歸かへつて來きた。
「ぢや晩ばんに何なにか御馳走ごちそうなさい」
「えゝ爲してよ」と柱時計はしらどけいを見みると、もう四時よじ近ちかくである。御米およねは「四時よじ、五時ごじ、六時ろくじ」と時間じかんを勘定かんぢやうした。小六ころくは默だまつて嫂あによめの顏かほを見みてゐた。彼かれは實際じつさい嫂あによめの御馳走ごちそうには餘あまり興味きようみを持もち得えなかつたのである。
「姉ねえさん、兄にいさんは佐伯さへきへ行いつて呉くれたんですかね」と聞きいた。
「此間このあひだから行ゆく行ゆくつて云いつてる事ことは云いつてるのよ。だけど、兄にいさんも朝あさ出でて夕方ゆふがたに歸かへるんでせう。歸かへると草臥くたびれちまつて、御湯おゆに行ゆくのも大儀たいぎさうなんですもの。だから、さう責せめるのも實際じつさい御氣おきの毒どくよ」
「そりや兄にいさんも忙いそがしいには違ちがひなからうけれども、僕ぼくもあれが極きまらないと氣掛きがゝりで落おち付ついて勉強べんきやうも出來できないんだから」と云いひながら、小六ころくは眞鍮しんちゆうの火箸ひばしを取とつて火鉢ひばちの灰はひの中なかへ何なにかしきりに書かき出だした。御米およねは其その動うごく火箸ひばちの先さきを見みてゐた。
「だから先刻さつき手紙てがみを出だして置おいたのよ」と慰なぐさめる樣やうに云いつた。
「何なんて」
「そりや私わたしもつい見みなかつたの。けれども、屹度きつとあの相談さうだんよ。今いまに兄にいさんが歸かへつて來きたら聞きいて御覽ごらんなさい。屹度きつと左樣さうよ」「もし手紙てがみを出だしたのなら、其その用ようには違ちがひないでせう」
「えゝ、本當ほんたうに出だしたのよ。今いま兄にいさんが其その手紙てがみを持もつて、出だしに行いつた所ところなの」
 小六ころくはこれ以上いじやう辯解べんかいの樣やうな慰藉ゐしやの樣やうな嫂あによめの言葉ことばに耳みゝを借かしたくなかつた。散歩さんぽに出でる閑ひまがあるなら、手紙てがみの代かはりに自分じぶんで足あしを運はこんで呉くれたらよささうなものだと思おもふと餘あまり好いい心持こゝろもちでもなかつた。座敷ざしきへ來きて、書棚しよだなの中なかから赤あかい表紙へうしの洋書やうしよを出だして、方々はうう頁ページを剥はぐつて見みてゐた。

二

 其所そこに氣きの付つかなかつた宗助そうすけは、町まちの角迄かどまで來きて、切手きつてと「敷島しきしま」を同おなじ店みせで買かつて、郵便丈いうびんだけはすぐ出だしたが、其その足あしで又また同おなじ道みちを戻もどるのが何なんだか不足ふそくだつたので、啣くはえ烟草たばこの烟けむを秋あきの日ひに搖ゆらつかせながら、ぶらら歩あるいてゐるうちに、どこか遠とほくへ行いつて、東京とうきやうと云いふ所ところはこんな所ところだと云いふ印象いんしやうをはつきり頭あたまの中なかへ刻きざみ付つけて、さうして夫それを今日けふの日曜にちえうの土産みやげに家うちへ歸かへつて寐ねやうと云いふ氣きになつた。彼かれは年來ねんらい東京とうきやうの空氣くうきを吸すつて生いきてゐる男をとこであるのみならず、毎日まいにち役所やくしよの行通ゆきかよひには電車でんしやを利用りようして、賑にぎやかな町まちを二度どづゝは屹度きつと徃いつたり來きたりする習慣しふくわんになつてゐるのではあるが、身體からだと頭あたまに樂らくがないので、何時いつでも上うはの空そらで素通すどほりをする事ことになつてゐるから、自分じぶんが其その賑にぎやかな町まちの中なかに活いきてゐると云いふ自覺じかくは近來きんらい頓とんと起おこつた事ことがない。尤もつとも平生へいぜいは忙いそがしさに追おはれて、別段べつだん氣きにも掛かからないが、七日なのかに一返ぺんの休日きうじつが來きて、心こゝろがゆつたりと落おち付つける機會きくわいに出逢であふと、不斷ふだんの生活せいくわつが急きふにそわわした上調子うはてうしに見みえて來くる。必竟ひつきやう自分じぶんは東京とうきやうの中なかに住すみながら、ついまだ東京とうきやうといふものを見みた事ことがないんだといふ結論けつろんに到着たうちやくすると、彼かれは其所そこに何時いつも妙めうな物淋ものさびしさを感かんずるのである。 さう云いふ時ときには彼かれは急きふに思おもひ出だした樣やうに町まちへ出でる。其上そのうへ懷ふところに多少たせう餘裕よゆうでもあると、是これで一ひとつ豪遊がういうでもして見樣みやうかと考かんがへる事こともある。けれども彼かれの淋さびしみは、彼かれを思おもひ切きつた極端きよくたんに驅かり去さる程ほどに、強烈きやうれつの程度ていどなものでないから、彼かれが其所そこ迄まで猛進まうしんする前まへに、それも馬鹿々々ばかかしくなつて已やめて仕舞しまふ。のみならず、斯こんな人ひとの常態じやうたいとして、紙入かみいれの底そこが大抵たいていの場合ばあひには、輕擧けいきよを戒いましめる程度内ていどないに膨ふくらんでゐるので、億劫おくくふな工夫くふうを凝こらすよりも、懷手ふところでをして、ぶらりと家うちへ歸かへる方はうが、つい樂らくになる。だから宗助そうすけの淋さびしみは單たんなる散歩さんぽか觀工場くわんこうば縱覽じゆうらん位ぐらゐな所ところで、次つぎの日曜にちえう迄までは何どうか斯かうか慰藉ゐしやされるのである。
 此日このひも宗助そうすけは兎とも角かくもと思おもつて電車でんしやへ乘のつた。所ところが日曜にちえうの好天氣かうてんきにも拘かゝはらず、平常へいじやうよりは乘客じようきやくが少すくないので例れいになく乘心地のりごゝちが好よかつた。其上そのうへ乘客じようきやくがみんな平和へいわな顏かほをして、どれもこれも悠ゆつたりと落付おちついてゐる樣やうに見みえた。宗助そうすけは腰こしを掛かけながら、毎朝まいあさ例刻れいこくに先さきを爭あらそつて席せきを奪うばひ合あひながら、丸まるの内うち方面はうめんへ向むかふ自分じぶんの運命うんめいを顧かへりみた。出勤刻限しゆつきんこくげんの電車でんしやの道伴みちづれ程ほど殺風景さつぷうけいなものはない。革かはにぶら下さがるにしても、天鵞絨びろうどに腰こしを掛かけるにしても、人間的にんげんてきな優やさしい心持こゝろもちの起おこつた試ためしは未いまだ甞かつてない。自分じぶんも夫それで澤山たくさんだと考かんがへて、器械きかいか何なんぞと膝ひざを突つき合あはせ肩かたを並ならべたかの如ごとくに、行いきたい所ところ迄まで同席どうせきして不意ふいと下おりて仕舞しまふ丈だけであつた。前まへの御婆おばあさんが八やつつ位ぐらゐになる孫娘まごむすめの耳みゝの所ところへ口くちを付つけて何なにか云いつてゐるのを、傍そばに見みてゐた三十恰好がつかうの商家しやうかの御神おかみさんらしいのが、可愛かあいらしがつて、年としを聞きいたり名なを尋たづねたりする所ところを眺ながめてゐると、今更いまさらながら別べつの世界せかいに來きた樣やうな心持こゝろもちがした。 頭あたまの上うへには廣告くわうこくが一面いちめんに枠わくに嵌はめて掛かけてあつた。宗助そうすけは平生へいぜいこれにさへ氣きが付つかなかつた。何心なにごゝろなしに一番目ばんめのを讀よんで見みると、引越ひつこしは容易よういに出來できますと云いふ移轉會社いてんぐわいしやの引札ひきふだであつた。其次そのつぎには經濟けいざいを心得こゝろえる人ひとは、衞生ゑいせいに注意ちゆういする人ひとは、火ひの用心ようじんを好このむものは、と三行ぎやうに並ならべて置おいて其後そのあとに瓦斯竈ガスがまを使つかへと書かいて、瓦斯竈ガスがまから火ひの出でてゐる畫ゑ迄まで添そへてあつた。三番目ばんめには露國文豪ろこくぶんがうトルストイ伯はく傑作けつさく「千古せんこの雪ゆき」と云いふのと、バンカラ喜劇きげき小辰こたつ大一座おほいちざと云いふのが、赤地あかぢに白しろで染そめ拔ぬいてあつた。
 宗助そうすけは約やく十分ぷんも掛かかつて凡すべての廣告くわうこくを丁寧ていねいに三返程べんほど讀よみ直なほした。別べつに行いつて見みやうと思おもふものも、買かつて見みたいと思おもふものも無なかつたが、たゞ是等これらの廣告くわうこくが判然はつきりと自分じぶんの頭あたまに映うつつて、さうして夫それを一々いちち讀よみ終おほせた時間じかんのあつた事ことと、それを悉こととく理解りかいし得えたと云いふ心こゝろの餘裕よゆうが、宗助そうすけには少すくなからぬ滿足まんぞくを與あたへた。彼かれの生活せいくわつは是程これほどの餘裕よゆうにすら誇ほこりを感かんずる程ほどに、日曜にちえう以外いぐわいの出入ではいりには、落おち付ついてゐられないものであつた。 宗助そうすけは駿河臺下するがだいしたで電車でんしやを降おりた。降おりるとすぐ右側みぎがはの窓硝子まどがらすの中なかに美うつくしく並ならべてある洋書やうしよに眼めが付ついた。宗助そうすけはしばらく其前そのまへに立たつて、赤あかや青あをや縞しまや模樣もやうの上うへに、鮮あざやかに叩たゝき込こんである金文字きんもじを眺ながめた。表題へうだいの意味いみは無論むろん解わかるが、手てに取とつて、中なかを檢しらべて見みやうといふ好奇心かうきしんはちつとも起おこらなかつた。本屋ほんやの前まへを通とほると、屹度きつと中なかへ這入はいつて見みたくなつたり、中なかへ這入はいると必かならず何なにか欲ほしくなつたりするのは、宗助そうすけから云いふと、既すでに一昔ひとむかし前まへの生活せいくわつである。たゞ History《ヒストリ》 of《オフ》 Gambling《ガムブリング》(博奕史ばくえきし)と云いふのが、殊更ことさらに美裝びさうして、一番いちばん眞中まんなかに飾かざられてあつたので、それが幾分いくぶんか彼かれの頭あたまに突飛とつぴな新あたらし味みを加くはへた丈だけであつた。
 宗助そうすけは微笑びせうしながら、急忙せはしい通とほりを向側むかふがはへ渡わたつて、今度こんどは時計屋とけいやの店みせを覗のぞき込こんだ。金時計きんどけいだの金鎖きんぐさりが幾いくつも並ならべてあるが、是これもたゞ美うつくしい色いろや恰好かつかうとして、彼かれの眸ひとみに映うつる丈だけで、買かひたい了簡れうけんを誘致いうちするには至いたらなかつた。其癖そのくせ彼かれは一々いちち絹糸きぬいとで釣つるした價格札ねだんふだを讀よんで、品物しなものと見較みくらべて見みた。さうして實際じつさい金時計きんどけいの安價あんかなのに驚おどろいた。 蝙蝠傘屋かうもりがさやの前まへにも一寸ちよつと立たち留どまつた。西洋せいやう小間物こまものを賣うる店先みせさきでは、禮帽シルクハツトの傍わきに懸かけてあつた襟飾えりかざりに眼めが付ついた。自分じぶんの毎日まいにち掛かけてゐるのよりも大變たいへん柄がらが好よかつたので、價ねを聞きいて見樣みやうかと思おもつて、半分はんぶん店みせの中なかへ這入はいりかけたが、明日あしたから襟飾えりかざりなどを懸かけ替かへた所ところが下くだらない事ことだと思おもひ直なほすと、急きふに蟇口がまぐちの口くちを開あけるのが厭いやになつて行ゆき過すぎた。呉服店ごふくみせでも大分だいぶ立見たちみをした。鶉御召うづらおめしだの、高貴織かうきおりだの、清凌織せいりようおりだの、自分じぶんの今日こんにち迄まで知しらずに過すぎた名なを澤山たくさん覺おぼえた。京都きやうとの襟新えりしんと云いふ家うちの出店でみせの前まへで、窓硝子まどがらすへ帽子ばうしの鍔つばを突つき付つける樣やうに近ちかく寄よせて、精巧せいかうに刺繍ぬひをした女をんなの半襟はんえりを、いつ迄までも眺ながめてゐた。その中うちに丁度ちやうど細君さいくんに似合にあひさうな上品じやうひんなのがあつた。買かつて行いつて遣やらうかといふ氣きが一寸ちよつと起おこるや否いなや、そりや五六年前ねんぜんの事ことだと云いふ考かんがへが後あとから出でて來きて、折角せつかく心持こゝろもちの好いい思おもひ付つきをすぐ揉もみ消けして仕舞しまつた。宗助そうすけは苦笑くせうしながら窓硝子まどがらすを離はなれて又また歩あるき出だしたが、それから半町はんちやう程ほどの間あいだは何なんだか詰つまらない樣やうな氣分きぶんがして、徃來わうらいにも店先みせさきにも格段かくだんの注意ちゆういを拂はらはなかつた。 不圖ふと氣きが付ついて見みると角かどに大おほきな雜誌屋ざつしやがあつて、其その軒先のきさきには新刊しんかんの書物しよもつが大おほきな字じで廣告くわうこくしてある。梯子はしごの樣やうな細長ほそながい枠わくへ紙かみを張はつたり、ペンキ塗ぬりの一枚板まいいたへ模樣畫もやうぐわ見みた樣やうな色彩しきさいを施ほどこしたりしてある。宗助そうすけはそれを一々いちち讀よんだ。著者ちよしやの名前なまへも作物さくぶつの名前なまへも、一度どは新聞しんぶんの廣告くわうこくで見みた樣やうでもあり、又また全まつたく新奇しんきの樣やうでもあつた。
 此この店みせの曲まがり角かどの影かげになつた所ところで、黒くろい山高帽やまたかばうを被かぶつた三十位ぐらゐの男をとこが地面ぢめんの上うへへ氣樂きらくさうに胡坐あぐらをかいて、えゝ御子供衆おこどもしゆうの御慰おなぐさみと云いひながら、大おほきな護謨風船ごむふうせんを膨ふくらましてゐる。それが膨ふくれると自然しぜんと達磨だるまの恰好かつかうになつて、好加減いゝかげんな所ところに眼口めくち迄まで墨すみで書かいてあるのに宗助そうすけは感心かんしんした。其上そのうへ一度いちど息いきを入いれると、何時いつ迄までも膨ふくれてゐる。且かつ指ゆびの先さきへでも、手ての平ひらの上うへへでも自由じいうに尻しりが据すわる。それが尻しりの穴あなへ楊枝やうじの樣やうな細ほそいものを突つつ込こむとしゆうつと一度いちどに收縮しうしゆくして仕舞しまふ。
 忙いそがしい徃來わうらいの人ひとは何人なんにんでも通とほるが、誰だれも立たち留どまつて見みる程ほどのものはない。山高帽やまたかばうの男をとこは賑にぎやかな町まちの隅すみに、冷ひややかに胡坐あぐらをかいて、身みの周圍まはりに何事なにごとが起おこりつゝあるかを感かんぜざるものゝ如ごとくに、えゝ御子供衆おこどもしゆうの御慰おなぐさみと云いつては、達磨だるまを膨ふくらましてゐる。宗助そうすけは一錢せん五厘りん出だして、其その風船ふうせんを一ひとつ買かつて、しゆつと縮ちゞましてもらつて、それを袂たもとへ入いれた。奇麗きれいな床屋とこやへ行いつて、髮かみを刈かりたくなつたが、何處どこにそんな奇麗きれいなのがあるか、一寸ちよつと見付みつからないうちに、日ひが限かぎつて來きたので、又また電車でんしやへ乘のつて、宅うちの方はうへ向むかつた。 宗助そうすけが電車でんしやの終點しゆうてん迄まで來きて、運轉手うんてんしゆに切符きつぷを渡わたした時ときには、もう空そらの色いろが光ひかりを失うしなひかけて、濕しめつた徃來わうらいに、暗くらい影かげが射さし募つのる頃ころであつた。降おりやうとして、鐵てつの柱はしらを握にぎつたら、急きふに寒さむい心持こゝろもちがした。一所いつしよに降おりた人ひとは、皆みんな離はなれれになつて、事ことあり氣げに忙いそがしく歩あるいて行ゆく。町まちのはづれを見みると、左右さいうの家いへの軒のきから家根やねへかけて、仄白ほのしろい烟けむりが大氣たいきの中なかに動うごいてゐる樣やうに見みえる。宗助そうすけも樹きの多おほい方角はうがくに向むいて早足はやあしに歩ほを移うつした。今日けふの日曜にちえうも、暢のんびりした御天氣おてんきも、もう既すでに御仕舞おしまひだと思おもふと、少すこし果敢はかない樣やうな又また淋さみしい樣やうな一種いつしゆの氣分きぶんが起おこつて來きた。さうして明日あしたから又また例れいによつて例れいの如ごとく、せつせと働はたらかなくてはならない身體からだだと考かんがへると、今日けふ半日はんにちの生活せいくわつが急きふに惜をしくなつて、殘のこる六日半むいかはんの非精神的ひせいしんてきな行動かうどうが、如何いかにも詰つまらなく感かんぜられた。歩あるいてゐるうちにも、日當ひあたりの惡わるい、窓まどの乏とぼしい、大おほきな部屋へやの模樣もやうや、隣となりに坐すわつてゐる同僚どうれうの顏かほや、野中のなかさん一寸ちよつとと云いふ上官じやうくわんの樣子やうすばかりが眼めに浮うかんだ。 魚勝うをかつと云いふ肴屋さかなやの前まへを通とほり越こして、其その五六軒先けんさきの露次ろじとも横丁よこちやうとも付つかない所ところを曲まがると、行いき當あたりが高たかい崖がけで、其その左右さいうに四五軒けん同おなじ構かまへの貸家かしやが並ならんでゐる。つい此間このあひだ迄までは疎まばらな杉垣すぎがきの奧おくに、御家人ごけにんでも住すみ古ふるしたと思おもはれる、物寂ものさびた家いへも一ひとつ地所ぢしよのうちに混まじつてゐたが、崖がけの上うへの坂井さかゐといふ人ひとが此所こゝを買かつてから、忽たちまち萱葺かやぶきを壞こはして、杉垣すぎがきを引ひき拔ぬいて、今いまの樣やうな新あたらしい普請ふしんに建たて易かへて仕舞しまつた。宗助そうすけの家うちは横丁よこちやうを突つき當あたつて、一番いちばん奧おくの左側ひだりがはで、すぐの崖下がけしただから、多少たせう陰氣いんきではあるが、其その代かはり通とほりからは尤もつとも隔へだゝつてゐる丈だけに、まあ幾分いくぶんか閑靜かんせいだらうと云いふので、細君さいくんと相談さうだんの上うへ、とくに其所そこを擇えらんだのである。
 宗助そうすけは七日なのかに一返ぺんの日曜にちえうももう暮くれかゝつたので、早はやく湯ゆにでも入いつて、暇ひまがあつたら髮かみでも刈かつて、さうして緩ゆつくり晩食ばんめしを食くはうと思おもつて、急いそいで格子かうしを開あけた。臺所だいどころの方はうで皿小鉢さらこばちの音おとがする。上あがらうとする拍子ひやうしに、小六ころくの脱ぬぎ棄すてた下駄げたの上うへへ、氣きが付つかずに足あしを乘のせた。曲こゞんで位置ゐちを調とゝのへてゐる所ところへ小六ころくが出でて來きた。臺所だいどころの方はうで、御米およねが、「誰だれ? 兄にいさん?」と聞きいた。宗助そうすけは、
「やあ、來きてゐたのか」と云いひながら座敷ざしきへ上あがつた。先刻さつき郵便いうびんを出だしてから、神田かんだを散歩さんぽして、電車でんしやを降おりて家うちへ歸かへる迄まで、宗助そうすけの頭あたまには小六ころくの小この字じも閃ひらめかなかつた。宗助そうすけは小六ころくの顏かほを見みた時とき、何なんとなく惡わるい事ことでもした樣やうに極きまりが好よくなかつた。
「御米およね、御米およね」と細君さいくんを臺所だいどころから呼よんで、
「小六ころくが來きたから、何なにか御馳走ごちそうでもするが好いい」と云いひ付つけた。細君さいくんは、忙いそがしさうに臺所だいどころの障子しやうじを開あけ放はなした儘まゝ出でて來きて、座敷ざしきの入口いりぐちに立たつてゐたが、此この分わかり切きつた注意ちゆういを聞きくや否いなや、
「えゝ今いま直ぢき」と云いつたなり、引ひき返かへさうとしたが、又また戻もどつて來きて、
「其その代かはり小六ころくさん、憚はゞかり樣さま。座敷ざしきの戸とを閉たてて、洋燈ランプを點つけて頂戴ちやうだい。今いま私わたしも清きよも手てが放はなせない所ところだから」と依頼たのんだ。小六ころくは簡單かんたんに、
「はあ」と云いつて立たち上あがつた。
 勝手かつてでは清きよが物ものを刻きざむ音おとがする。湯ゆか水みづをざあと流ながしへ空あける音おとがする。「奧樣おくさま是これは何方どちらへ移うつします」と云いふ聲こゑがする。「姉ねえさん、ランプの心しんを剪きる鋏はさみはどこにあるんですか」と云いふ小六ころくの聲こゑがする。しゆうと湯ゆが沸たぎつて七輪しちりんの火ひへ懸かゝつた樣子やうすである。 宗助そうすけは暗くらい座敷ざしきの中なかで默然もくねんと手焙てあぶりへ手てを翳かざしてゐた。灰はひの上うへに出でた火ひの塊かたまり丈だけが色いろづいて赤あかく見みえた。其その時とき裏うらの崖がけの上うへの家主やぬしの家うちの御孃おぢやうさんがピヤノを鳴ならし出だした。宗助そうすけは思おもひ出だした樣やうに立たち上あがつて、座敷ざしきの雨戸あまどを引ひきに縁側えんがはへ出でた。孟宗竹まうそうちくが薄黒うすぐろく空そらの色いろを亂みだす上うへに、一ひとつ二ふたつの星ほしが燦きらめいた。ピヤノの音ねは孟宗竹まうそうちくの後うしろから響ひゞいた。

三

 宗助そうすけと小六ころくが手拭てぬぐひを下さげて、風呂ふろから歸かへつて來きた時ときは、座敷ざしきの眞中まんなかに眞四角まつしかくな食卓しよくたくを据すゑて、御米およねの手料理てれうりが手際てぎはよく其上そのうへに並ならべてあつた。手焙てあぶりの火ひも出掛でがけよりは濃こい色いろに燃もえてゐた。洋燈らんぷも明あかるかつた。
 宗助そうすけが机つくゑの前まへの坐蒲團ざぶとんを引ひき寄よせて、其上そのうへに樂々らくくと胡坐あぐらを掻かいた時とき、手拭てぬぐひと石鹸しやぼんを受取うけとつた御米およねは、
「好いい御湯おゆだつた事こと?」と聞きいた。宗助そうすけはたゞ一言ひとこと、
「うん」と答こたへた丈だけであつたが、其その樣子やうすは素氣そつけないと云いふよりも、寧むしろ湯上ゆあがりで、精神せいしんが弛緩しくわんした氣味きみに見みえた。「中々なかか好いい湯ゆでした」と小六ころくが御米およねの方はうを見みて調子てうしを合あはせた。
「然しかしあゝ込こんぢや溜たまらないよ」と宗助そうすけが机つくゑの端はじへ肱ひぢを持もたせながら、倦怠けたるさうに云いつた。宗助そうすけが風呂ふろに行ゆくのは、いつでも役所やくしよが退ひけて、家うちへ歸かへつてからの事ことだから、丁度ちやうど人ひとの立たて込こむ夕食前ゆふめしまへの黄昏たそがれである。彼かれは此この二三ヶ月間げつかんついぞ、日ひの光ひかりに透すかして湯ゆの色いろを眺ながめた事ことがない。夫それならまだしもだが、稍やゝともすると三日みつかも四日よつかも丸まるで錢湯せんたうの敷居しきゐを跨またがずに過すごして仕舞しまふ。日曜にちえうになつたら、朝あさ早はやく起おきて何なによりも第だい一に奇麗きれいな湯ゆに首丈くびたけ浸つかつて見樣みやうと、常つねは考かんがへてゐるが、偖さて其その日曜にちえうが來きて見みると、たまに悠ゆつくり寐ねられるのは、今日けふばかりぢやないかと云いふ氣きになつて、つい床とこのうちで愚圖々々ぐづづしてゐるうちに、時間じかんが遠慮ゑんりよなく過すぎて、えゝ面倒めんだうだ、今日けふは已やめにして、其その代かはり今度こんだの日曜にちえうに行ゆかうと思おもひ直なほすのが、殆ほとんど惰性だせいの樣やうになつてゐる。
「どうかして、朝湯あさゆに丈だけは行ゆきたいね」と宗助そうすけが云いつた。
「其その癖くせ朝湯あさゆに行ゆける日ひは、屹度きつと寐坊ねばうなさるのね」と細君さいくんは調戲からかふ樣やうな口調くてうであつた。小六ころくは腹はらの中なかで是これが兄あにの性來うまれつきの弱點じやくてんであると思おもひ込こんでゐた。彼かれは自分じぶんで學校生活がくかうせいくわつをしてゐるにも拘かゝはらず、兄あにの日曜にちえうが、如何いかに兄あににとつて貴たつといかを會得ゑとく出來できなかつた。六日間むいかかんの暗くらい精神作用せいしんさようを、只たゞ此この一日いちにちで、暖あたゝかに回復くわいふくすべく、兄あには多おほくの希望きばうを二十四時間じかんのうちに投なげ込こんでゐる。だから遣やりたい事ことがあり過すぎて、十の二三も實行じつかう出來できない。否いな、其その二三にしろ進すゝんで實行じつかうにかゝると、却かへつてその爲ために費つひやす時間じかんの方はうが惜をしくなつて來きて、つい又また手てを引込ひつこめて、凝じつとしてゐるうちに日曜にちえうは何時いつか暮くれて仕舞しまふのである。自分じぶんの氣晴きばらしや保養ほやうや、娯樂ごらくもしくは好尚かうしやうに就ついてゞすら、斯樣かやうに節儉せつけんしなければならない境遇きやうぐうにある宗助そうすけが、小六ころくの爲ために盡つくさないのは、盡つくさないのではない、頭あたまに盡つくす餘裕よゆうのないのだとは、小六ころくから見みると、何どうしても受取うけとれなかつた。兄あにはたゞ手前勝手てまへがつてな男をとこで、暇ひまがあればぶららして細君さいくんと遊あそんで許ばかりゐて、一向いつかう頼たよりにも力ちからにもなつて呉くれない、眞底しんそこは情合じやうあひに薄うすい人ひとだ位ぐらゐに考かんがへてゐた。 けれども、小六ころくがさう感かんじ出だしたのは、つい近頃ちかごろの事ことで、實じつを云いふと、佐伯さへきとの交渉かうせふが始はじまつて以來いらいの話はなしである。年としの若わかい丈だけ、凡すべてに性急せいきふな小六ころくは、兄あにに頼たのめば今日明日けふあすにも方かたが付つくものと、思おもひ込こんでゐたのに、何日迄いつまでも埒らちが明あかないのみか、まだ先方せんぱうへ出掛でかけても呉くれないので、大分だいぶ不平ふへいになつたのである。
 所ところが今日けふ歸かへりを待まち受うけて逢あつて見みると、其所そこが兄弟きやうだいで、別べつに御世辭おせじも使つかはないうちに、何處どこか暖味あたゝかみのある仕打しうちも見みえるので、つい云いひたい事ことも後廻あとまはしにして、一所いつしよに湯ゆになんぞ這入はいつて、穩おだやかに打うち解とけて話はなせる樣やうになつて來きた。
 兄弟きやうだいは寛くつろいで膳ぜんに就ついた。御米およねも遠慮ゑんりよなく食卓しよくたくの一隅ひとすみを領りやうした。宗助そうすけも小六ころくも猪口ちよくを二三杯ばいづゝ干ほした。飯めしに掛かゝる前まへに、宗助そうすけは笑わらひながら、
「うん、面白おもしろいものが有あつたつけ」と云いひながら、袂たもとから買かつて來きた護謨風船ゴムふうせんの達磨だるまを出だして、大おほきく膨ふくらませて見みせた。さうして、それを椀わんの葢ふたの上うへへ載のせて、其その特色とくしよくを説明せつめいして聞きかせた。御米およねも小六ころくも面白おもしろがつて、ふわわした玉たまを見みてゐた。仕舞しまひに小六ころくが、ふうつと吹ふいたら達磨だるまは膳ぜんの上うへから疊たゝみの上うへへ落おちた。それでも、まだ覆かへらなかつた。「それ御覽ごらん」と宗助そうすけが云いつた。
 御米およねは女をんなだけに聲こゑを出だして笑わらつたが、御櫃おはちの葢ふたを開あけて、夫をつとの飯めしを盛よそひながら、
「兄にいさんも隨分ずゐぶん呑氣のんきね」と小六ころくの方はうを向むいて、半なかば夫をつとを辯護べんごする樣やうに云いつた。宗助そうすけは細君さいくんから茶碗ちやわんを受取うけとつて、一言ひとことの辯解べんかいもなく食事しよくじを始はじめた。小六ころくも正式せいしきに箸はしを取とり上あげた。
 達磨だるまはそれぎり話題わだいに上のぼらなかつたが、これが緒いとくちになつて、三人にんは飯めしの濟すむ迄まで無邪氣むじやきに長閑のどかな話はなしをつゞけた。仕舞しまひに小六ころくが氣きを換かへて、
「時ときに伊藤いとうさんも飛とんだ事ことになりましたね」と云いひ出だした。宗助そうすけは五六日前にちまへ伊藤公いとうこう暗殺あんさつの號外がうぐわいを見みたとき、御米およねの働はたらいてゐる臺所だいどころへ出でて來きて、「おい大變たいへんだ、伊藤いとうさんが殺ころされた」と云いつて、手てに持もつた號外がうぐわいを御米およねのエプロンの上うへに乘のせたなり書齋しよさいへ這入はいつたが、其その語氣ごきからいふと、寧むしろ落おち付ついたものであつた。
「貴方あなた大變たいへんだつて云いふ癖くせに、些ちつとも大變たいへんらしい聲こゑぢやなくつてよ」と御米およねが後あとから冗談半分じようだんはんぶんにわざざ注意ちゆういした位くらゐである。其後そのご日毎ひごとの新聞しんぶんに伊藤公いとうこうの事ことが五六段だんづゝ出でない事ことはないが、宗助そうすけはそれに目めを通とほしてゐるんだか、ゐないんだか分わからない程ほど、暗殺事件あんさつじけんに就ついては平氣へいきに見みえた。夜よる歸かへつて來きて、御米およねが飯めしの御給仕おきふじをするとき抔などに、「今日けふも伊藤いとうさんの事ことが何なにか出でてゐて」と聞きく事ことがあるが、其時そのときには「うん大分だいぶ出でてゐる」と答こたへる位ぐらゐだから、夫をつとの隱袋かくしの中なかに疊たゝんである今朝けさの讀殼よみがらを、後あとから出だして讀よんで見みないと、其日そのひの記事きじは分わからなかつた。御米およねもつまりは夫をつとが歸宅後きたくごの會話くわいわの材料ざいれうとして、伊藤公いとうこうを引合ひきあひに出だす位ぐらゐの所ところだから、宗助そうすけが進すゝまない方向はうかうへは、たつて話はなしを引張ひつぱりたくはなかつた。それで此この二人ふたりの間あひだには、號外がうぐわい發行はつかうの當日たうじつ以後いご、今夜こんや小六ころくがそれを云いひ出だした迄までは、公おほやけには天下てんかを動うごかしつゝある問題もんだいも、格別かくべつの興味きようみを以もつて迎むかへられてゐなかつたのである。「どうして、まあ殺ころされたんでせう」と御米およねは號外がうぐわいを見みたとき、宗助そうすけに聞きいたと同おなじ事ことを又また小六ころくに向むかつて聞きいた。
「短銃ピストルをポンン連發れんぱつしたのが命中めいちゆうしたんです」と小六ころくは正直しやうぢきに答こたへた。
「だけどさ。何どうして、まあ殺ころされたんでせう」
 小六ころくは要領えうりやうを得えない樣やうな顏かほをしてゐる。宗助そうすけは落付おちついた調子てうしで、
「矢やつ張ぱり運命うんめいだなあ」と云いつて、茶碗ちやわんの茶ちやを旨うまさうに飮のんだ。御米およねはこれでも納得なつとくが出來できなかつたと見みえて、
「どうして又また滿洲まんしう抔などへ行いつたんでせう」と聞きいた。
「本當ほんたうにな」と宗助そうすけは腹はらが張はつて充分じゆうぶん物足ものたりた樣子やうすであつた。
「何なんでも露西亞ロシアに秘密ひみつな用ようがあつたんださうです」と小六ころくが眞面目まじめな顏かほをして云いつた。御米およねは、
「さう。でも厭いやねえ。殺ころされちや」と云いつた。
「己おれ見みた樣やうな腰辯こしべんは、殺ころされちや厭いやだが、伊藤いとうさん見みた樣やうな人ひとは、哈爾賓ハルピンへ行いつて殺ころされる方はうが可いいんだよ」と宗助そうすけが始はじめて調子てうしづいた口くちを利きいた。
「あら、何故なぜ」
「何故なぜつて伊藤いとうさんは殺ころされたから、歴史的れきしてきに偉えらい人ひとになれるのさ。たゞ死しんで御覽ごらん、斯かうは行ゆかないよ」
「成程なるほどそんなものかも知しれないな」と小六ころくは少すこし感服かんぷくした樣やうだつたが、やがて、
「兎とに角かく滿洲まんしうだの、哈爾賓ハルピンだのつて物騷ぶつさうな所ところですね。僕ぼくは何なんだか危險きけんな樣やうな心持こゝろもちがしてならない」と云いつた。「夫それや、色いろんな人ひとが落おち合あつてるからね」
 此時このとき御米およねは妙めうな顏かほをして、斯かう答こたへた夫をつとの顏かほを見みた。宗助そうすけもそれに氣きが付ついたらしく、
「さあ、もう御膳おぜんを下さげたら好よからう」と細君さいくんを促うながして、先刻さつきの達磨だるまを又また疊たゝみの上うへから取とつて、人指指ひとさしゆびの先さきへ載のせながら、
「どうも妙めうだよ。よく斯かう調子てうし好よく出來できるものだと思おもつてね」と云いつてゐた。
 臺所だいどころから清きよが出でて來きて、食くひ散ちらした皿小鉢さらこばちを食卓しよくたくごと引ひいて行いつた後あとで、御米およねも茶ちやを入いれ替かへるために、次つぎの間まへ立たつたから、兄弟きやうだいは差向さしむかひになつた。
「あゝ奇麗きれいになつた。何どうも食くつた後あとは汚きたないものでね」と宗助そうすけは全まつたく食卓しよくたくに未練みれんのない顏かほをした。勝手かつての方はうで清きよがしきりに笑わらつてゐる。
「何なにがそんなに可笑をかしいの、清きよ」と御米およねが障子越しやうじごしに話はなし掛かける聲こゑが聞きこえた。清きよはへえと云いつて猶なほ笑わらひ出だした。兄弟きやうだいは何なんにも云いはず、半なかば下女げぢよの笑わらひ聲ごゑに耳みゝを傾かたむけてゐた。
 しばらくして、御米およねが菓子皿くわしざらと茶盆ちやぼんを兩手りやうてに持もつて、又また出でて來きた。藤蔓ふぢづるの着ついた大おほきな急須きふすから、胃ゐにも頭あたまにも應こたへない番茶ばんちやを、湯呑程ゆのみほどな大おほきな茶碗ちやわんに注ついで、兩人ふたりの前まへへ置おいた。「何なんだつて、あんなに笑わらふんだい」と夫をつとが聞きいた。けれども御米およねの顏かほは見みずに却かへつて菓子皿くわしざらの中なかを覗のぞいてゐた。
「貴方あなたがあんな玩具おもちやを買かつて來きて、面白おもしろさうに指ゆびの先さきへ乘のせて入いらつしやるからよ。子供こどももない癖くせに」
 宗助そうすけは意いにも留とめない樣やうに、輕かるく「さうか」と云いつたが、後あとから緩ゆつくり、
「是これでも元もとは子供こどもが有あつたんだがね」と、さも自分じぶんで自分じぶんの言葉ことばを味あぢはつてゐる風ふうに付つけ足たして、生温なまぬるい眼めを擧あげて細君さいくんを見みた。御米およねはぴたりと默だまつて仕舞しまつた。
「あなた御菓子おくわし食たべなくつて」と、しばらくしてから小六ころくの方はうへ向むいて話はなしし掛かけたが、
「えゝ食たべます」と云いふ小六ころくの返事へんじを聞きき流ながして、ついと茶ちやの間まへ立たつて行いつた。兄弟きやうだいは又また差向さしむかひになつた。
 電車でんしやの終點しゆうてんから歩あるくと二十分ぷん近ちかくも掛かゝる山やまの手ての奧丈おくだけあつて、まだ宵よひの口くちだけれども、四隣あたりは存外ぞんぐわい靜しづかである。時々ときき表おもてを通とほる薄齒うすばの下駄げたの響ひゞきが冴さえて、夜寒よさむが次第しだいに増まして來くる。宗助そうすけは懷手ふところでをして、
「晝間ひるまは暖あつたかいが、夜よるになると急きふに寒さむくなるね。寄宿きしゆくぢやもう蒸汽スチームを通とほしてゐるかい」と聞きいた。「いえ、未まだです。學校がくかうぢや餘よつ程ぽど寒さむくならなくつちや蒸汽スチームなんか焚たきやしません」
「さうかい。夫それぢや寒さむいだらう」
「えゝ。然しかし寒さむい位くらゐ何どうでも構かまはない積つもりですが」と云いつた儘まゝ、小六ころくはすこし云いひ淀よどんでゐたが、仕舞しまひにとうう思おもひ切きつて、
「兄にいさん、佐伯さへきの方はうは一體いつたいどうなるんでせう。先刻さつき姉ねえさんから聞きいたら、今日けふ手紙てがみを出だして下くだすつたさうですが」
「あゝ出だした。二三日中にちちゆうに何なんとか云いつて來くるだらう。其上そのうへで又また己おれが行いくとも何どうとも仕樣しやうよ」
 小六ころくは兄あにの平氣へいきな態度たいどを心こゝろの中うちでは飽足あきたらず眺ながめた。然しかし宗助そうすけの樣子やうすに何處どこと云いつて、他ひとを激げきさせる樣やうな鋭するどい所ところも、自みづからを庇護かばふ樣やうな卑いやしい點てんもないので、喰くつて掛かゝる勇氣ゆうきは更さらに出でなかつた。たゞ
「ぢや今日けふ迄まであの儘まゝにしてあつたんですか」と單たんに事實じじつを確たしかめた。
「うん、實じつは濟すまないがあの儘まゝだ。手紙てがみも今日けふやつとの事ことで書かいた位くらゐだ。何どうも仕方しかたがないよ。近頃ちかごろ神經衰弱しんけいすゐじやくでね」と眞面目まじめに云いふ。小六ころくは苦笑くせうした。
「もし駄目だめなら、僕ぼくは學校がくかうを已やめて、一層いつそ今いまのうち、滿洲まんしうか朝鮮てうせんへでも行いかうかと思おもつてるんです」「滿洲まんしうか朝鮮てうせん? ひどく又また思おもひ切きつたもんだね。だつて、御前おまへ先刻さつき滿洲まんしうは物騷ぶつさうで厭いやだつて云いつたぢやないか」
 用談ようだんはこんな所ところに徃いつたり來きたりして、遂つひに要領えうりやうを得えなかつた。仕舞しまひに宗助そうすけが
「まあ、好いいや、さう心配しんぱいしないでも、何どうかなるよ。何なにしろ返事へんじの來次第きしだい、己おれがすぐ知しらせてやる。其上そのうへで又また相談さうだんするとしやう」と云いつたので、談話はなしに區切くぎりが付ついた。
 小六ころくが歸かへりがけに茶ちやの間まを覗のぞいたら、御米およねは何なんにもしずに、長火鉢ながひばちに倚より掛かかつてゐた。
「姉ねえさん、左樣さやうなら」と聲こゑを掛かけたら、「おや御歸おかへり」と云いひながら漸やうやく立たつて來きた。

四

 小六ころくの苦くにしてゐた佐伯さへきからは、豫期よきの通とほり二三日にちして返事へんじがあつたが、それは極きはめて簡單かんたんなもので、端書はがきでも用ようの足たりる所ところを、鄭重ていちように封筒ふうとうへ入いれて三錢せんの切手きつてを貼はつた、叔母をばの自筆じひつに過すぎなかつた。
 役所やくしよから歸かへつて、筒袖つゝそでの仕事着しごとぎを、窮屈きゆうくつさうに脱ぬぎ易かへて、火鉢ひばちの前まへへ坐すわるや否いなや、抽出ひきだしから一寸すん程ほどわざと餘あまして差さし込こんであつた状袋じやうぶくろに眼めが着ついたので、御米およねの汲くんで出だす番茶ばんちやを一口ひとくち呑のんだ儘まゝ、宗助そうすけはすぐ封ふうを切きつた。「へえ、安やすさんは神戸かうべへ行いつたんだつてね」と手紙てがみを讀よみながら云いつた。
「何時いつ?」と御米およねは湯呑ゆのみを夫をつとの前まへに出だした時ときの姿勢しせいの儘まゝで聞きいた。
「何時いつとも書かいてないがね。何なにしろ遠とほからぬうちには歸京ききやう仕つかまつるべく候さふらふ間あひだと書かいてあるから、もうぢき歸かへつて來くるんだらう」
「遠とほからぬうちなんて、矢やつ張ぱり叔母をばさんね」
 宗助そうすけは御米およねの批評ひひやうに、同意どういも不同意ふどういも表へうしなかつた。讀よんだ手紙てがみを卷まき納をさめて、投なげる樣やうにそこへ放はふり出だして、四五日目にちめになる、ざららした腮あごを、氣味きみわるさうに撫なで廻まはした。
 御米およねはすぐ其その手紙てがみを拾ひろつたが、別べつに讀よまうともしなかつた。それを膝ひざの上うへへ乘のせた儘まゝ、夫をつとの顏かほを見みて、
「遠とほからぬうちには歸京ききやう仕つかまつるべく候間さふらふあひだ、何どうだつて云いふの」と聞きいた。
「何いづれ歸かへつたら、安之助やすのすけと相談さうだんして何なんとか御挨拶ごあいさつを致いたしますと云いふのさ」
「遠とほからぬうちぢや曖昧あいまいね。何時いつ歸かへるとも書かいてなくつて」
「いゝや」
 御米およねは念ねんの爲ため、膝ひざの上うへの手紙てがみを始はじめて開ひらいて見みた。さうして夫それを元もとの樣やうに疊たゝんで、
「一寸ちよつと其その状袋じやうぶくろを」と手てを夫をつとの方ほうへ出だした。宗助そうすけは自分じぶんと火鉢ひばちの間あひだに挾はさまつてゐる青あをい封筒ふうとうを取とつて細君さいくんに渡わたした。御米およねはそれをふつと吹ふいて、中なかを膨ふくらまして手紙てがみを収をさめた。さうして臺所だいどころへ立たつた。 宗助そうすけは夫限それぎり手紙てがみの事ことには氣きを留とめなかつた。今日けふ役所やくしよで同僚どうれうが、此間このあひだ英吉利イギリスから來遊らいいうしたキチナー元帥げんすゐに、新橋しんばしの傍そばで逢あつたと云いふ話はなしを思おもひ出だして、あゝ云いふ人間にんげんになると、世界中せかいぢゆう何處どこへ行いつても、世間せけんを騷さわがせる樣やうに出來できてゐる樣やうだが、實際じつさいさういふ風ふうに生うまれ付ついて來きたものかも知しれない。自分じぶんの過去くわこから引ひき摺ずつてきた運命うんめいや、又また其その續つゞきとして、是これから自分じぶんの眼前がんぜんに展開てんかいされべき將來しやうらいを取とつて、キチナーと云いふ人ひとのそれに比くらべて見みると、到底たうてい同おなじ人間にんげんとは思おもへない位ぐらゐ懸かけ隔へだたつてゐる。
 斯かう考かんがへて宗助そうすけはしきりに烟草たばこを吹ふかした。表おもては夕方ゆふがたから風かぜが吹ふき出だして、わざと遠とほくの方はうから襲おそつて來くる樣やうな音おとがする。それが時々ときき已やむと、已やんだ間あひだは寂しんとして、吹ふき荒あれる時ときよりは猶なほ淋さびしい。宗助そうすけは腕組うでぐみをしながら、もうそろろ火事くわじの半鐘はんしようが鳴なり出だす時節じせつだと思おもつた。
 臺所だいどころへ出でて見みると、細君さいくんは七輪しちりんの火ひを赤あかくして、肴さかなの切身きりみを燒やいてゐた。清きよは流ながし元もとに曲こゞんで漬物つけものを洗あらつてゐた。二人ふたりとも口くちを利きかずにせつせと自分じぶんの遣やる事ことを遣やつてゐる。宗助そうすけは障子しやうじを開あけたなり、少時しばらく肴さかなから垂たる汁つゆか膏あぶらの音おとを聞きいてゐたが、無言むごんの儘まゝ又また障子しやうじを閉たてゝ元もとの座ざへ戻もどつた。細君さいくんは眼めさへ肴さかなから離はなさなかつた。 食事しよくじを濟すまして、夫婦ふうふが火鉢ひばちを間あひに向むかひ合あつた時とき、御米およねは又また
「佐伯さへきの方はうは困こまるのね」と云いひ出だした。
「まあ仕方しかたがない。安やすさんが神戸かうべから歸かへる迄まで待まつより外ほかに道みちはあるまい」
「其前そのまへに一寸ちよつと叔母をばさんに逢あつて話はなしをして置おいた方はうが好よかなくつて」
「さうさ。まあ其内そのうち何なんとか云いつて來くるだらう。夫迄それまで打遣うちやつて置おかうよ」
「小六ころくさんが怒おこつてよ。可よくつて」と御米およねはわざと念ねんを押おして置おいて微笑びせうした。宗助そうすけは下眼しためを使つかつて、手てに持もつた小楊枝こやうじを着物きものの襟えりへ差さした。
 中一日なかいちんち置おいて、宗助そうすけは漸やうやく佐伯さへきからの返事へんじを小六ころくに知しらせてやつた。其時そのときも手紙てがみの尻しりに、まあ其その内うち何どうかなるだらうと云いふ意味いみを、例れいの如ごとく付つけ加くはへた。さうして當分たうぶんは此この事件じけんに就ついて肩かたが拔ぬけた樣やうに感かんじた。自然しぜんの經過なりゆきが又また窮屈きゆうくつに眼めの前まへに押おし寄よせて來くる迄までは、忘わすれてゐる方はうが面倒めんだうがなくつて好いい位くらゐな顏かほをして、毎日まいにち役所やくしよへ出でては又また役所やくしよから歸かへつて來きた。歸かへりも遲おそいが、歸かへつてから出掛でかける抔などといふ億劫おくくふな事ことは滅多めつたになかつた。客きやくは殆ほとんど來こない。用ようのない時ときは清きよを十時前じまへに寐ねかす事ことさへあつた。夫婦ふうふは毎夜まいよ同おなじ火鉢ひばちの兩側りやうがはに向むき合あつて、食後しよくご一時間じかん位ぐらゐ話はなしをした。話はなしの題目だいもくは彼等かれらの生活せいくわつ状態じやうたいに相應さうおうした程度ていどのものであつた。けれども米屋こめやの拂はらひを、此この三十日みそかには何どうしたものだらうといふ、苦くるしい世帶話しよたいばなしは、未いまだ甞かつて一度いちども彼等かれらの口くちには上のぼらなかつた。と云いつて、小説せうせつや文學ぶんがくの批評ひひやうは勿論もちろんの事こと、男をとこと女をんなの間あひだを陽炎かげろふの樣やうに飛とび廻まはる、花はなやかな言葉ことばの遣やり取とりは殆ほとんど聞きかれなかつた。彼等かれらは夫程それほどの年輩ねんぱいでもないのに、もう其所そこを通とほり拔ぬけて、日毎ひごとに地味ぢみになつて行ゆく人ひとの樣やうにも見みえた。又または最初さいしよから、色彩しきさいの薄うすい極きはめて通俗つうぞくの人間にんげんが、習慣的しふくわんてきに夫婦ふうふの關係くわんけいを結むすぶために寄より合あつた樣やうにも見みえた。 上部うはべから見みると、夫婦ふうふともさう物ものに屈托くつたくする氣色けしきはなかつた。それは彼等かれらが小六ころくの事ことに關くわんして取とつた態度たいどに就ついて見みても略ほゞ想像さうざうがつく。流石さすが女丈をんなだけに御米およねは一二度ど、
「安やすさんは、まだ歸かへらないんでせうかね。貴方あなた今度こんだの日曜にちえう位ぐらゐに番町ばんちやう迄まで行いつて御覽ごらんなさらなくつて」と注意ちゆういした事ことがあるが、宗助そうすけは、
「うん、行いつても好いい」位ぐらゐな返事へんじをする丈だけで、其その行いつても好いい日曜にちえうが來くると、丸まるで忘わすれた樣やうに濟すましてゐる。御米およねもそれを見みて、責せめる樣子やうすもない。天氣てんきが好いいと、
「ちと散歩さんぽでもして入いらつしやい」と云いふ。雨あめが降ふつたり、風かぜが吹ふいたりすると、
「今日けふは日曜にちえうで仕合しあはせね」と云いふ。
 幸さいはひにして小六ころくは其後そのご一度いちどもやつて來こない。此この青年せいねんは、至いたつて凝こり性しやうの神經質しんけいしつで、斯かうと思おもふと何所どこ迄までも進すゝんで來くる所ところが、書生しよせい時代じだいの宗助そうすけによく似にてゐる代かはりに、不圖ふと氣きが變かはると、昨日きのふの事ことは丸まるで忘わすれた樣やうに引ひつ繰くり返かへつて、けろりとした顏かほをしてゐる。其所そこも兄弟丈きやうだいだけあつて、昔むかしの宗助そうすけに其儘そのまゝである。それから、頭腦づなうが比較的ひかくてき明暸めいれうで、理路りろに感情かんじやうを注つぎ込こむのか、又または感情かんじやうに理窟りくつの枠わくを張はるのか、何方どつちか分わからないが、兎とに角かく物ものに筋道すぢみちを付つけないと承知しようちしないし、また一返いつぺん筋道すぢみちが付つくと、其その筋道すぢみちを生いかさなくつては置おかない樣やうに熱中ねつちゆうしたがる。其上そのうへ體質たいしつの割合わりあひに精力せいりよくがつゞくから、若わかい血氣けつきに任まかせて大抵たいていの事ことはする。 宗助そうすけは弟おとうとを見みるたびに、昔むかしの自分じぶんが再ふたゝび蘇生そせいして、自分じぶんの眼めの前まへに活動くわつどうしてゐる樣やうな氣きがしてならなかつた。時ときには、はららする事こともあつた。又また苦々にががしく思おもふ折をりもあつた。さう云いふ場合ばあひには、心こゝろのうちに、當時たうじの自分じぶんが一圖いちづに振舞ふるまつた苦にがい記憶きおくを、出來できる丈だけ屡しばば呼よび起おこさせるために、とくに天てんが小六ころくを自分じぶんの眼めの前まへに据すゑ付つけるのではなからうかと思おもつた。さうして非常ひじやうに恐おそろしくなつた。此奴こいつも或あるひは己おれと同一どういつの運命うんめいに陷おちいるために生うまれて來きたのではなからうかと考かんがへると、今度こんどは大おほいに心掛こゝろがゝりになつた。時ときによると心掛こゝろがゝりよりは不愉快ふゆくわいであつた。
 けれども、今日こんにち迄まで宗助そうすけは、小六ころくに對たいして意見いけんがましい事ことを云いつた事こともなければ、將來しやうらいに就ついて注意ちゆういを與あたへた事こともなかつた。彼かれの弟おとうとに對たいする待遇たいぐう方はうはたゞ普通ふつう凡庸ぼんようのものであつた。彼かれの今いまの生活せいくわつが、彼かれの樣やうな過去くわこを有もつてゐる人ひととは思おもへない程ほどに、沈しづんでゐる如ごとく、彼かれの弟おとうとを取とり扱あつかふ樣子やうすにも、過去くわこと名なのつく程ほどの經驗けいけんを有もつた年長者ねんちやうしやの素振そぶりは容易よういに出でなかつた。
 宗助そうすけと小六ころくの間あひだには、まだ二人ふたり程ほど男をとこの子こが挾はさまつてゐたが、何いづれも早世さうせいして仕舞しまつたので、兄弟きやうだいとは云いひながら、年としは十とを許ばかり違ちがつてゐる。其上そのうへ宗助そうすけはある事情じじやうのために、一年ねんの時とき京都きやうとへ轉學てんがくしたから、朝夕てうせき一所いつしよに生活せいくわつしてゐたのは、小六ころくの十二三の時迄ときまでである。宗助そうすけは剛情がうじやうな聽きかぬ氣きの腕白小僧わんぱくこぞうとしての小六ころくを未いまだに記憶きおくしてゐる。其その時分じぶんは父ちゝも生いきてゐたし、家うちの都合つがふも惡わるくはなかつたので、抱車夫かゝへしやふを邸内ていないの長屋ながやに住すまはして、樂らくに暮くらしてゐた。此この車夫しやふに小六ころくよりは三みつつ程ほど年下とししたの子供こどもがあつて、始終しじゆう小六ころくの御相手おあひてをして遊あそんでゐた。ある夏なつの日盛ひざかりに、二人ふたりして、長ながい竿さをのさきへ菓子袋くわしぶくろを括くゝり付つけて、大おほきな柿かきの木きの下したで蝉せみの捕とりくらをしてゐるのを、宗助そうすけが見みて、兼坊けんばうそんなに頭あたまを日ひに照てらし付つけると霍亂くわくらんになるよ、さあ是これを被かぶれと云いつて、小六ころくの古ふるい夏帽なつばうを出だしてやつた。すると、小六ころくは自分じぶんの所有物しよいうぶつを兄あにが無斷むだんで他ひとに呉くれてやつたのが、癪しやくに障さはつたので、突然いきなり兼坊けんばうの受取うけとつた帽子ばうしを引ひつたくつて、それを地面ぢめんの上うへへ抛なげつけるや否いなや、馳かけ上あがる樣やうに其上そのうへへ乘のつて、くしやりと麥藁帽むぎわらばうを踏ふみ潰つぶして仕舞しまつた。宗助そうすけは縁えんから跣足はだしで飛とんで下おりて、小六ころくの頭あたまを擲なぐり付つけた。其時そのときから、宗助そうすけの眼めには、小六ころくが小惡こにくらしい小僧こぞうとして映うつつた。 二年ねんの時とき宗助そうすけは大學だいがくを去さらなければならない事ことになつた。東京とうきやうの家うちへも歸かへれない事ことになつた。京都きやうとからすぐ廣島ひろしまへ行いつて、其所そこに半年はんとしばかり暮くらしてゐるうちに父ちゝが死しんだ。母はゝは父ちゝよりも六年ねん程前ほどまへに死しんでゐた。だから後あとには二十五六になる妾めかけと、十六になる小六ころくが殘のこつた丈だけであつた。
 佐伯さへきから電報でんぱうを受うけ取とつて、久ひさし振ぶりに出京しゆつきやうした宗助そうすけは、葬式さうしきを濟すました上うへ、家うちの始末しまつをつけ樣やうと思おもつて段々だんん調しらべて見みると、有あると思おもつた財産ざいさんは案外あんぐわいに少すくなくつて、却かへつて無ない積つもりの借金しやくきんが大分だいぶあつたに驚おどろかされた。叔父をぢの佐伯さへきに相談さうだんすると、仕方しかたがないから邸やしきを賣うるが好よからうと云いふ話はなしであつた。妾めかけは相當さうたうの金かねを遣やつてすぐ暇ひまを出だす事ことに極きめた。小六ころくは當分たうぶん叔父をぢの家うちに引ひき取とつて世話せわをして貰もらふ事ことにした。然しかし肝心かんじんの家屋敷いへやしきはすぐ右みぎから左ひだりへと賣うれる譯わけには行ゆかなかつた。仕方しかたがないから、叔父をぢに一時いちじの工面くめんを頼たのんで、當座たうざの片かたを付つけて貰もらつた。叔父をぢは事業家じげふかで色々いろろな事ことに手てを出だしては失敗しつぱいする、云いはゞ山氣やまぎの多おほい男をとこであつた。宗助そうすけが東京とうきやうにゐる時分じぶんも、よく宗助そうすけの父ちゝを説とき付つけては、旨うまい事ことを云いつて金かねを引ひき出だしたものである。宗助そうすけの父ちゝにも慾よくがあつたかも知しれないが、此この傳でんで叔父をぢの事業じげふに注つぎ込こんだ金高かねだかは決けつして少すくないものではなかつた。 父ちゝの亡なくなつた此際このさいにも、叔父をぢの都合つがふは元もとと餘あまり變かはつてゐない樣子やうすであつたが、生前せいぜんの義理ぎりもあるし、又また斯かう云いふ男をとこの常つねとして、いざと云いふ場合ばあひには比較的ひかくてき融通ゆうづうの付つくものと見みえて、叔父をぢは快こゝろよく整理せいりを引ひき受うけて呉くれた。其その代かはり宗助そうすけは自分じぶんの家屋敷いへやしきの賣却方ばいきやくかたに就ついて一切いつさいの事ことを叔父をぢに一任いちにんして仕舞しまつた。早はやく云いふと、急場きふばの金策きんさくに對たいする報酬はうしうとして土地とち家屋かをくを提供ていきようした樣やうなものである。叔父をぢは、
「何なにしろ、斯かう云いふものは買手かひてを見みて賣うらないと損そんだからね」と云いつた。
 道具類だうぐるゐも積せきばかり取とつて、金目かねめにならないものは、悉こととく賣うり拂はらつたが、五六幅ぷくの掛物かけものと十二三點てんの骨董品丈こつとうひんだけは、矢張やはり氣長きながに欲ほしがる人ひとを探さがさないと損そんだと云いふ叔父をぢの意見いけんに同意どういして、叔父をぢに保管ほくわんを頼たのむ事ことにした。凡すべてを差さし引ひいて手元てもとに殘のこつた有金ありがねは、約やく二千圓ゑん程ほどのものであつたが、宗助そうすけは其内そのうちの幾分いくぶんを、小六ころくの學資がくしとして、使つかはなければならないと氣きが付ついた。然しかし月々つきき自分じぶんの方はうから送おくるとすると、今日こんにちの位置ゐちが堅固けんごでない當時たうじ、甚はなはだ實行じつかうしにくい結果けつくわに陷おちいりさうなので、苦くるしくはあつたが、思おもひ切きつて、半分丈はんぶんだけを叔父をぢに渡わたして、何分なにぶん宜よろしくと頼たのんだ。自分じぶんが中なか途ちゆうとで失敗しくじつたから、責せめて弟丈おとうとだけは物ものにしてやりたい氣きもあるので、此この千圓ゑんが盡つきたあとは、又また何どうにか心配しんぱいも出來できやうし又またして呉くれるだらう位ぐらゐの不慥ふたしかな希望きばうを殘のこして、又また廣島ひろしまへ歸かへつて行いつた。 それから半年はんとしばかりして、叔父をぢの自筆じひつで、家うちはとうう賣うれたから安心あんしんしろと云いふ手紙てがみが來きたが、幾何いくらに賣うれたとも何なんとも書かいてないので、折をり返かへして聞きき合あはせると、二週間しうかん程ほど經たつての返事へんじに、優いうに例れいの立替たてかへを償つぐなふに足たる金額きんがくだから心配しんぱいしなくても好いいとあつた。宗助そうすけは此この返事へんじに對たいして少すくなからず不滿ふまんを感かんじたには感かんじたが、同おなじ書信しよしんの中なかに、委細ゐさいは何いづれ御面會ごめんくわいの節せつ云々うんんとあつたので、すぐにも東京とうきやうへ行ゆきたい樣やうな氣きがして、實じつは斯かううだがと、相談さうだん半分はんぶん細君さいくんに話はなして見みると、御米およねは氣きの毒どくさうな顏かほをして、「でも、行いけないんだから、仕方しかたがないわね」と云いつて、例れいの如ごとく微笑びせうした。其時そのとき宗助そうすけは始はじめて細君さいくんから宣告せんこくを受うけた人ひとの樣やうに、しばらく腕組うでぐみをして考かんがへたが、何どう工夫くふうしたつて、拔ぬける事ことの出來できない樣やうな位地ゐちと事情じじやうの下もとに束縛そくばくされてゐたので、つい夫成それなりになつて仕舞しまつた。
 仕方しかたがないから、猶なほ三四回くわい書面しよめんで徃復わうふくを重かさねて見みたが、結果けつくわはいつも同おなじ事ことで、版行はんかうで押おした樣やうに何いづれ御面會ごめんくわいの節せつを繰くり返かへして來くる丈だけであつた。「是これぢや仕樣しやうがないよ」と宗助そうすけは腹はらが立たつた樣やうな顏かほをして御米およねを見みた。三ヶ月げつばかりして、漸やうやく都合つがふが付ついたので、久ひさし振ぶりに御米およねを連つれて、出京しゆつきやうしやうと思おもふ矢先やさきに、つい風邪かぜを引ひいて寐ねたのが元もとで、腸窒扶斯ちやうチフスに變化へんくわしたため、六十日餘ろくじふにちあまりを床とこの上うへに暮くらした上うへに、あとの三十日程さんじふにちほどは充分じゆうぶん仕事しごとも出來できない位くらゐ衰おとろへて仕舞しまつた。
 病氣びやうきが本復ほんぷくしてから間まもなく、宗助そうすけは又また廣島ひろしまを去さつて福岡ふくをかの方かたへ移うつらなければならない身みとなつた。移うつる前まへに、好いい機會きくわいだから一寸ちよつと東京とうきやう迄まで出でたいものだと考かんがへてゐるうちに、今度こんども色々いろろの事情じじやうに制せいせられて、つい夫それも遂行すゐかうせずに、矢張やはり下くだり列車れつしやの走はしる方かたに自己じこの運命うんめいを托たくした。其頃そのころは東京とうきやうの家いへを疊たゝむとき、懷ふところにして出でた金かねは、殆ほとんど使つかひ果はたしてゐた。彼かれの福岡ふくをか生活せいくわつは前後ぜんご二年ねんを通つうじて、中々なかかの苦鬪くとうであつた。彼かれは書生しよせいとして京都きやうとにゐる時分じぶん、種々しゆゆの口實こうじつの下もとに、父ちゝから臨時りんじ隨意ずゐいに多額たがくの學資がくしを請求せいきうして、勝手かつて次第しだいに消費せうひした昔むかしをよく思おもひ出だして、今いまの身分みぶんと比較ひかくしつゝ、頻しきりに因果いんぐわの束縛そくばくを恐おそれた。ある時ときはひそかに過すぎた春はるを回顧くわいこして、あれが己おれの榮華えいぐわの頂點ちやうてんだつたんだと、始はじめて醒さめた眼めに遠とほい霞かすみを眺ながめる事こともあつた。愈いよよ苦くるしくなつた時とき、「御米およね、久ひさしく放はふつて置おいたが、又また東京とうきやうへ掛合かけあつて見樣みやうかな」と云いひ出だした。御米およねは無論むろん逆さからひはしなかつた。たゞ下したを向むいて、
「駄目だめよ。だつて、叔父をぢさんに全まつたく信用しんようがないんですもの」と心細こゝろぼそさうに答こたへた。
「向むかふぢや此方こつちに信用しんようがないかも知しれないが、此方こつちぢや又また向むかふに信用しんようがないんだ」と宗助そうすけは威張ゐばつて云いひ出だしたが、御米およねの俯目ふしめになつてゐる樣子やうすを見みると、急きふに勇氣ゆうきが挫くじける風ふうに見みえた。こんな問答もんだふを最初さいしよは月つきに一二返へん位ぐらゐ繰くり返かへしてゐたが、後のちには二月ふたつきに一返ぺんになり、三月みつきに一返ぺんになり、とうう、
「好いいや、小六ころくさへ何どうかして呉くれゝば。あとの事ことは何いづれ東京とうきやうへ出でたら、逢あつた上うへで話はなしを付つけらあ。ねえ御米およね、左さうすると、爲しやうぢやないか」と云いひ出だした。
「それで、好よござんすとも」と御米およねは答こたへた。
 宗助そうすけは佐伯さへきの事ことをそれなり放はふつて仕舞しまつた。單たんなる無心むしんは、自分じぶんの過去くわこに對たいしても、叔父をぢに向むかつて云いひ出だせるものでないと、宗助そうすけは考かんがへてゐた。從したがつて其方そのはうの談判だんぱんは、始はじめから未いまだ嘗かつて筆ふでにした事ことがなかつた。小六ころくからは時々ときき手紙てがみが來きたが、極きはめて短みじかい形式的けいしきてきのものが多おほかつた。宗助そうすけは父ちゝの死しんだ時とき、東京とうきやうで逢あつた小六ころくを覺おぼえてゐる丈だけだから、いまだに小六ころくを他愛たあいない小供こども位ぐらゐに想像さうざうするので、自分じぶんの代理だいりに叔父をぢと交渉かうせふさせ樣抔やうなどと云いふ氣きは無論むろん起おこらなかつた。 夫婦ふうふは世よの中なかの日ひの目めを見みないものが、寒さむさに堪たへかねて、抱だき合あつて暖だんを取とる樣やうな具合ぐあひに、御互おたがひ同志どうしを頼たよりとして暮くらしてゐた。苦くるしい時ときには、御米およねが何時いつでも、宗助そうすけに、
「でも仕方しかたがないわ」と云いつた。宗助そうすけは御米およねに、
「まあ我慢がまんするさ」と云いつた。
 二人ふたりの間あひだには諦あきらめとか、忍耐にんたいとか云いふものが斷たえず動うごいてゐたが、未來みらいとか希望きばうと云いふものゝ影かげは殆ほとんど射ささない樣やうに見みえた。彼等かれらは餘あまり多おほく過去くわこを語かたらなかつた。時ときとしては申まをし合あはせた樣やうに、それを回避くわいひする風ふうさへあつた。御米およねが時ときとして、
「其内そのうちには又また屹度きつと好いい事ことがあつてよ。さうう惡わるい事ことばかり續つゞくものぢやないから」と夫をつとを慰なぐさめる樣やうに云いふ事ことがあつた。すると、宗助そうすけにはそれが、眞心まごゝろある妻さいの口くちを藉かりて、自分じぶんを飜弄ほんろうする運命うんめいの毒舌どくぜつの如ごとくに感かんぜられた。宗助そうすけはさう云いふ場合ばあひには何なんにも答こたへずにたゞ苦笑くせうする丈だけであつた。御米およねが夫それでも氣きが付つかずに、なにか云いひ續つゞけると、
「我々われれは、そんな好いい事ことを豫期よきする權利けんりのない人間にんげんぢやないか」と思おもひ切きつて投なげ出だして仕舞しまふ。細君さいくんは漸やうやく氣きが付ついて口くちを噤つぐんで仕舞しまふ。さうして二人ふたりが默だまつて向むき合あつてゐると、何時いつの間まにか、自分達じぶんたちは自分達じぶんたちの拵こしらえた過去くわこといふ暗くらい大おほきな窖あなの中なかに落おちてゐる。 彼等かれらは自業自得じごふじとくで、彼等かれらの未來みらいを塗抹とまつした。だから歩あるいてゐる先さきの方はうには、花はなやかな色彩しきさいを認みとめる事ことが出來できないものと諦あきらめて、たゞ二人ふたり手てを携たづさえて行ゆく氣きになつた。叔父をぢの賣うり拂はらつたと云いふ地面ぢめん家作かさくに就ついても、固もとより多おほくの期待きたいは持もつてゐなかつた。時々ときき考かんがへ出だした樣やうに、
「だつて、近頃ちかごろの相場さうばなら、捨賣すてうりにしたつて、あの時とき叔父をぢの拵こしらへて呉くれた金かねの倍ばいにはなるんだもの。あんまり馬鹿々々ばかかしいからね」と宗助そうすけが云いひ出だすと、御米およねは淋さみしさうに笑わらつて、
「又また地面ぢめん? 何時迄いつまでもあの事ことばかり考かんがへて入いらつしやるのね。だつて、貴方あなたが萬事ばんじ宜よろしく願ねがひますと、叔父をぢさんに仰おつしやつたんでせう」と云いふ。
「そりや仕方しかたがないさ。あの場合ばあひあゝでも爲しなければ方はうが付つかないんだもの」と宗助そうすけが云いふ。
「だからさ。叔父をぢさんの方はうでは、御金おかねの代かはりに家うちと地面ぢめんを貰もらつた積つもりで入いらつしやるかも知しれなくつてよ」と御米およねが云いふ。
 さう云いはれると、宗助そうすけも叔父をぢの處置しよちに一理いちりある樣やうにも思おもはれて、口くちでは、
「その積つもりが好よくないぢやないか」と答辯たふべんする樣やうなものゝ、此この問題もんだいは其都度そのつど次第々々しだいいに背景はいけいの奧おくに遠とほざかつて行ゆくのであつた。
 夫婦ふうふがこんな風ふうに淋さみしく睦むつまじく暮くらして來きた二年目ねんめの末すゑに、宗助そうすけはもとの同級生どうきふせいで、學生時代がくせいじだいには大變たいへん懇意こんいであつた杉原すぎはらと云いふ男をとこに偶然ぐうぜん出逢であつた。杉原すぎはらは卒業後そつげふご高等文官試驗かうとうぶんくわんしけんに合格がふかくして、其時そのとき既すでに或省あるしやうに奉職ほうしよくしてゐたのだが、公務上こうむじやう福岡ふくをかと佐賀さがへ出張しゆつちやうすることになつて、東京とうきやうからわざざ遣やつて來きたのである。宗助そうすけは所ところの新聞しんぶんで、杉原すぎはらの何時いつ着ついて、何處どこに泊とまつてゐるかを能よく知しつてはゐたが、失敗者しつぱいしやとしての自分じぶんに顧かへりみて、成効者せいかうしやの前まへに頭あたまを下さげる對照たいせうを耻はづかしく思おもつた上うへに、自分じぶんは在學ざいがく當時たうじの舊友きういうに逢あふのを、特とくに避さけたい理由りいうを持もつてゐたので、彼かれの旅館りよくわんを訪たづねる氣きは毛頭まうとうなかつた。 所ところが杉原すぎはらの方はうでは、妙めうな引掛ひつかゝりから、宗助そうすけの此所こゝに燻くすぶつてゐる事ことを聞きき出だして、強しいて面會めんくわいを希望きばうするので、宗助そうすけも已やむを得えず我がを折をつた。宗助そうすけが福岡ふくをかから東京とうきやうへ移うつれる樣やうになつたのは、全まつたく此この杉原すぎはらの御蔭おかげである。杉原すぎはらから手紙てがみが來きて、愈いよよ事ことが極きまつたとき、宗助そうすけは箸はしを置おいて、
「御米およね、とうう東京とうきやうへ行いけるよ」と云いつた。
「まあ結構けつこうね」と御米およねが夫をつとの顏かほを見みた。
 東京とうきやうに着ついてから二三週間しうかんは、眼めの回まはる樣やうに日ひが經たつた。新あたらしく世帶しよたいを有もつて、新あたらしい仕事しごとを始はじめる人ひとに、あり勝がちな急忙せはしなさと、自分達じぶんたちを包つゝむ大都たいとの空氣くうきの、日夜にちや劇はげしく震盪しんたうする刺戟しげきとに驅かられて、何事なにごとをも凝じつと考かんがへる閑ひまもなく、又また落おち付ついて手てを下くだす分別ふんべつも出でなかつた。
 夜汽車よぎしやで新橋しんばしへ着ついた時ときは、久ひさし振ぶりに叔父をぢ夫婦ふうふの顏かほを見みたが、夫婦ふうふとも灯ひの所爲せゐか晴はれやかな色いろには宗助そうすけの眼めに映うつらなかつた。途中とちゆうに事故じこがあつて、着ちやくの時間じかんが珍めづらしく三十分程ぷんほど後おくれたのを、宗助そうすけの過失くわしつでゞもあるかの樣やうに、待草臥まちくたびれた氣色けしきであつた。 宗助そうすけが此時このとき叔母をばから聞きいた言葉ことばは、
「おや宗そうさん、少時しばらく御目おめに掛かゝらないうちに、大變たいへん御老おふけなすつた事こと」といふ一句いつくであつた。御米およねは其折そのをり始はじめて叔父をぢ夫婦ふうふに紹介せうかいされた。
「これが彼あの……」と叔母をばは逡巡ためらつて宗助そうすけの方はうを見みた。御米およねは何なんと挨拶あいさつのしやうもないので、無言むごんの儘まゝ唯たゞ頭あたまを下さげた。
 小六ころくも無論むろん叔父をぢ夫婦ふうふと共ともに二人ふたりを迎むかひに來きてゐた。宗助そうすけは一眼ひとめ其姿そのすがたを見みたとき、何時いつの間まにか自分じぶんを凌しのぐ樣やうに大おほきくなつた弟おとうとの發育はついくに驚おどろかされた。小六ころくは其時そのとき中學ちゆうがくを出でて、是これから高等學校かうとうがくかうへ這入はいらうといふ間際まぎはであつた。宗助そうすけを見みて、「兄にいさん」とも「御歸おかへりなさい」とも云いはないで、たゞ不器用ぶきように挨拶あいさつをした。
 宗助そうすけと御米およねは一週しうばかり宿屋やどや住居ずまひをして、夫それから今いまの所ところに引ひき移うつつた。其時そのときは叔父をぢ夫婦ふうふが色々いろろ世話せわを燒やいて呉くれた。細々こまましい臺所だいどころ道具だうぐの樣やうなものは買かふ迄までもあるまい、古ふるいので可よければと云いふので、小人數こにんずに必要ひつえうな丈だけ一通ひととほり取とり揃そろえて送おくつて來きた。其上そのうへ、
「御前おまへも新世帶しんしよたいだから、嘸さぞ物要ものいりが多おほからう」と云いつて金かねを六十圓ゑん呉くれた。 家うちを持もつて彼是かれこれ取とり紛まぎれてゐるうちに、早はや半月はんつき餘よも經たつたが、地方ちはうにゐる時分じぶんあんなに氣きにしてゐた家邸いへやしきの事ことは、ついまだ叔父をぢに言いひ出ださずにゐた。ある時とき御米およねが、
「貴方あなたあの事ことを叔父をぢさんに仰おつしやつて」と聞きいた。宗助そうすけはそれで急きふに思おもひ出だした樣やうに、
「うん、未まだ云いはないよ」と答こたへた。
「妙めうね、あれ程ほど氣きにして入いらしつたのに」と御米およねがうす笑わらひをした。
「だつて、落おち付ついて、そんな事ことを云いひ出だす暇ひまがないんだもの」と宗助そうすけが辯解べんかいした。
 又また十日とをか程ほど經たつた。すると今度こんだは宗助そうすけの方はうから、
「御米およね、あの事ことは未まだ云いはないよ。どうも云いふのが面倒めんだうで厭いやになつた」と云いひ出《》した。
「厭いやなのを無理むりに仰おつしやらなくつても可いいわ」と御米およねが答こたへた。
「好いいかい」と宗助そうすけが聞きき返かへした。
「好いいかいつて、もとと貴方あなたの事ことぢやなくつて。私わたくしは先せんから何どうでも好いいんだわ」と御米およねが答こたへた。
 其時そのとき宗助そうすけは、
「ぢや、鹿爪しかつめらしく云いひ出だすのも何なんだか妙めうだから、其内そのうち機會をりがあつたら、聞きくとしやう。なに其内そのうち聞きいて見みる機會をりが屹度きつと出でて來くるよ」と云いつて延のばして仕舞しまつた。
 小六ころくは何不足なにふそくなく叔父をぢの家いへに寐起ねおきしてゐた。試驗しけんを受うけて高等學校かうとうがくかうへ這入はいれゝば、寄宿きしゆくへ入舍にふしやしなければならないと云いふので、其その相談さうだん迄まで既すでに叔父をぢと打合うちあはせがしてある樣やうであつた。新あたらしく出京しゆつきやうした兄あにからは別段べつだん學資がくしの世話せわを受うけない所爲せゐか、自分じぶんの身みの上うへに就ついては叔父をぢ程ほどに親したしい相談さうだんも持もち込こんで來こなかつた。從兄弟いとこの安之助やすのすけとは今迄いままでの關係上くわんけいじやう大變たいへん仲なかが好よかつた。却かへつて此方このはうが兄弟きやうだいらしかつた。 宗助そうすけは自然しぜん叔父をぢの家うちに足あしが遠とほくなる樣やうになつた。たまに行いつても、義理ぎり一遍いつぺんの訪問はうもんに終をはる事ことが多おほいので、歸かへり路みちには何時いつも詰つまらない氣きがしてならなかつた。仕舞しまひには時候じこうの挨拶あいさつを濟すますと、すぐ歸かへりたくなる事こともあつた。かう云いふ時ときには三十分ぷんと坐すわつて世間話せけんばなしに時間じかんを繋つなぐのにさへ骨ほねが折をれた。向むかふでも何なんだか氣きが置おけて窮屈きゆうくつだと云いふ風ふうが見みえた。
「まあ可いいぢやありませんか」と叔母をばが留とめてくれるのが例れいであるが、さうすると、猶更なほさら居ゐにくい心持こゝろもちがした。それでも、たまには行いかないと、心こゝろのうちで氣きが咎とがめる樣やうな不安ふあんを感かんずるので、又また行ゆくやうになつた。折々をりりは、
「何どうも小六ころくが御厄介ごやくかいになりまして」と此方こつちから頭あたまを下さげて禮れいを云いふ事こともあつた。けれども、それ以上いじやうは、弟おとうとの將來しやうらいの學資がくしに就ついても、又また自分じぶんが叔父をぢに頼たのんで、留守中るすちゆうに賣うり拂はらつて貰もらつた地所ぢしよ家作かさくに就ついても、口くちを切きるのがつい面倒めんだうになつた。然しかし宗助そうすけが興味きようみを有もたない叔父をぢの所ところへ、不精無精ふしやうぶしやうにせよ、時ときたま出掛でかけて行ゆくのは、單たんに叔父をぢ甥をひの血屬けつぞく關係くわんけいを、世間並せけんなみに持もち堪こたへるための義務心ぎむしんからではなくつて、いつか機會きくわいがあつたら、片かたを付つけたい或物あるものを胸むねの奧おくに控ひかへてゐた結果けつくわに過すぎないのは明あきらかであつた。「宗そうさんは何どうも悉皆すつかり變かはつちまいましたね」と叔母をばが叔父をぢに話はなす事ことがあつた。すると叔父をぢは、
「左さうよなあ。矢やつ張ぱり、あゝ云いふ事ことがあると、永ながく迄まで後あとへ響ひゞくものだからな」と答こたへて、因果いんぐわは恐おそろしいと云いふ風ふうをする。叔母をばは重かさねて、
「本當ほんたうに、怖こはいもんですね。元もとはあんな寐入ねいつた子こぢやなかつたが――どうも燥急はしやぎ過すぎる位くらゐ活溌くわつぱつでしたからね。それが二三年ねん見みないうちに、丸まるで別べつの人ひと見みた樣やうに老ふけちまつて。今いまぢや貴方あなたより御爺おぢいさんんしてゐますよ」と云いふ。
「眞逆まさか」と叔父をぢが又また答こたへる。
「いえ、頭あたまや顏かほは別べつとして、樣子やうすがさ」と叔母をばが又また辯解べんかいする。
 こんな會話くわいわが老夫婦らうふうふの間あひだに取とり換かはされたのは、宗助そうすけが出京しゆつきやうして以來いらい一度どや二度どではなかつた。實際じつさい彼かれは叔父をぢの所ところへ來くると、老人らうじんの眼めに映うつる通とほりの人間にんげんに見みえた。
 御米およねは何どう云いふものか、新橋しんばしへ着ついた時とき、老人らうじん夫婦ふうふに紹介せうかいされたぎり、曾かつて叔父をぢの家うちの敷居しきゐを跨またいだ事ことがない。向むかふから見みえれば叔父をぢさん叔母をばさんと丁寧ていねいに接待せつたいするが、歸かへりがけに、
「何どうです、些ちと御出掛おでかけなすつちや」などゝ云いはれると、たゞ
「難有ありがたう」と頭あたまを下さげる丈だけで、遂つひぞ出掛でかけた試ためしはなかつた。流石さすがの宗助そうすけさへ一度どは、「叔父をぢさんの所ところへ一度ど行いつて見みちや、何どうだい」と勸すゝめた事ことがあるが、
「でも」と變へんな顏かほをするので、宗助そうすけは夫限それぎり決けつして其事そのことを云いひ出ださなかつた。
 兩家族りやうかぞくはこの状態じやうたいで約やく一年ねんばかりを送おくつた。すると宗助そうすけよりも氣分きぶんは若わかいと許ゆるされた叔父をぢが突然とつぜん死しんだ。病症びやうしやうは脊髓腦膜炎せきずゐなうまくえんとかいふ劇症げきしやうで、二三日にち風邪かぜの氣味きみで寐ねてゐたが、便所べんじよへ行いつた歸かへりに、手てを洗あらはうとして、柄杓ひしやくを持もつた儘まゝ卒倒そつたうしたなり、一日いちんち經たつか經たたないうちに冷つめたくなつて仕舞しまつたのである。
「御米およね、叔父をぢはとうう話はなしをしずに死しんで仕舞しまつたよ」と宗助そうすけが云いつた。
「貴方あなたまだ、あの事ことを聞きく積つもいだつたの、貴方あなたも隨分ずゐぶん執念深しふねんぶかいのね」と御米およねが云いつた。
 夫それから又また一年ねんばかり經たつたら、叔父をぢの子この安之助やすのすけが大學だいがくを卒業そつげふして、小六ころくが高等學校かうとうがくかうの二年生ねんせいになつた。叔母をばは安之助やすのすけと一所いつしよに中なか六番町なかろくばんちやうに引ひき移うつつた。
 三年目ねんめの夏休なつやすみに小六ころくは房州ばうしうの海水浴かいすゐよくへ行いつた。そこに一月餘ひとつきあまりも滯在たいざいしてゐるうちに九月ぐわつになり掛かけたので、保田ほたから向むかふへ突切つつきつて、上總かづさの海岸かいがんを九十九里くじふくり傳づたひに、銚子てうし迄まで來きたが、そこから思おもひ出だした樣やうに東京とうきやうへ歸かへつた。宗助そうすけの所ところへ見みえたのは、歸かへつてから、まだ二三日にちしか立たたない、殘暑ざんしよの強つよい午後ごごである。眞黒まつくろに焦こげた顏かほの中なかに、眼めだけ光ひからして、見違みちがへる樣やうに蠻色ばんしよくを帶おびた彼かれは、比較的ひかくてき日ひの遠とほい座敷ざしきへ這入はいつたなり横よこになつて、兄あにの歸かへりを待まち受うけてゐたが、宗助そうすけの顏かほを見みるや否いなや、むつくり起おき上あがつて、「兄にいさん、少すこし御話おはなしがあつて來きたんですが」と開ひらき直なほられたので、宗助そうすけは少すこし驚おどろいた氣味きみで、暑苦あつくるしい洋服やうふくさへ脱ぬぎ更かへずに、小六ころくの話はなしを聞きいた。
 小六ころくの云いふ所ところによると、二三日前にちまへ彼かれが上總かづさから歸かへつた晩ばん、彼かれの學資がくしは此暮このくれ限かぎり氣きの毒どくながら出だして遣やれないと叔母をばから申まをし渡わたされたのださうである。小六ころくは父ちゝが死しんで、すぐと叔父をぢに引ひき取とられて以來いらい、學校がくかうへも行ゆけるし、着物きものも自然ひとりでに出來できるし、小遣こづかひも適宜てきぎに貰もらへるので、父ちゝの存生中ぞんしやうちゆうと同おなじ樣やうに、何不足なにふそくなく暮くらせて來きた惰性だせいから、其日そのひ其晩そのばん迄までも、ついぞ學資がくしと云いふ問題もんだいを頭あたまに思おもひ浮うかべた事ことがなかつたため、叔母をばの宣告せんこくを受うけた時ときは、茫然ぼんやりして兎角とかくの挨拶あいさつさへ出來できなかつたのだと云いふ。
 叔母をばは氣きの毒どくさうに、何故なぜ小六ころくの世話せわが出來できなくなつたかを、女丈をんなだけに、一時間じかんも掛かかつて委くはしく説明せつめいして呉くれたさうである。それには叔父をぢの亡なくなつた事ことやら、繼ついで起おこる經濟上けいざいじやうの變化へんくわやら、又また安之助やすのすけの卒業そつげふやら、卒業後そつげふごに控ひかえてゐる結婚けつこん問題もんだいやらが這入はいつてゐたのだと云いふ。「出來できるならば、責せめて高等學校かうとうがくかうを卒業そつげふする迄までと思おもつて、今日けふ迄まで色々いろろ骨ほねを折をつたんだけれども」
 叔母をばは斯かう云いつたと小六ころくは繰くり返かへした。小六ころくは其時そのとき不圖ふと兄あにが先年せんねん父ちゝの葬式さうしきの時ときに出京しゆつきやうして、萬事ばんじを片付かたづけた後あと、廣島ひろしまへ歸かへるとき、小六ころくに、御前おまへの學資がくしは叔父をぢさんに預あづけてあるからと云いつた事ことがあるのを思おもひ出だして、叔母をばに始はじめて聞きいて見みると、叔母をばは案外あんぐわいな顏かほをして、
「そりや、あの時とき、宗そうさんが若干いくらか置おいて行いきなすつた事ことは、行いきなすつたが、夫それはもう有ありやしないよ。叔父をぢさんの未まだ生いきて御出おいでの時分じぶんから、御前おまへの學資がくしは融通ゆうづうして來きたんだから」と答こたへた。
 小六ころくは兄あにから自分じぶんの學資がくしが何どれ程ほどあつて、何年分なんねんぶんの勘定かんぢやうで、叔父をぢに預あづけられたかを、聞きいて置おかなかつたから、叔母をばから斯かう云いはれて見みると、一言ひとことも返かへし樣やうがなかつた。
「御前おまへも一人ひとりぢやなし、兄にいさんもある事ことだから能よく相談さうだんをして見みたら好いいだらう。其代そのかはり私わたしも宗そうさんに逢あつて、篤とつくり譯わけを話はなしませうから。どうも、宗そうさんも餘あんまり近頃ちかごろは御出おいででないし、私わたしも御無沙汰ごぶさた許ばかりしてゐるのでね、つい御前おまへの事ことは御話おはなしをする譯わけにも行いかなかつたんだよ」と叔母をばは最後さいごに附つけ加くはへたさうである。 小六ころくから一部始終いちぶしじゆうを聞きいた時とき、宗助そうすけはたゞ弟おとうとの顏かほを眺ながめて、一口ひとくち、
「困こまつたな」と云いつた。昔むかしの樣やうに赫くわつと激げきして、すぐ叔母をばの所ところへ談判だんぱんに押おし掛かける氣色けしきもなければ、今迄いままで自分じぶんに對たいして、世話せわにならないでも濟すむ人ひとの樣やうに、餘所よそ々々>しく仕向しむけて來きた弟おとうとの態度たいどが急きふに方向はうかうを轉てんじたのを、惡にくいと思おもふ樣子やうすも見みえなかつた。
 自分じぶんの勝手かつてに作つくり上あげた美うつくしい未來みらいが、半分はんぶん壞くづれかゝつたのを、さも傍はたの人ひとの所爲せゐででもあるかの如ごとく心こゝろを亂みだしてゐる小六ころくの歸かへる姿すがたを見送みおくつた宗助そうすけは、暗くらい玄關げんくわんの敷居しきゐの上うへに立たつて、格子かうしの外そとに射さす夕日ゆふひをしばらく眺ながめてゐた。
 其晩そのばん宗助そうすけは裏うらから大おほきな芭蕉ばせうの葉はを二枚まい剪きつて來きて、それを座敷ざしきの縁えんに敷しいて、其上そのうえに御米およねと並ならんで涼すゞみながら、小六ころくの事ことを話はなした。
「叔母をばさんは、此方こつちで、小六ころくさんの世話せわをしろつて云いふ氣きなんぢやなくつて」と御米およねが聞きいた。
「まあ、逢あつて聞きいて見みないうちは、何どう云いふ料簡れうけんか分わからないがね」と宗助そうすけが云いふと、御米およねは、「屹度きつと左さうよ」と答こたへながら、暗くらがりで團扇うちはをはたた動うごかした。宗助そうすけは何なにも云いはずに、頸くびを延のばして、庇ひさしと崖がけの間あひだに細ほそく映うつる空そらの色いろを眺ながめた。二人ふたりは其儘そのまゝしばらく默だまつて居ゐたが、良やゝあつて、
「だつて夫それぢや無理むりね」と御米およねが又また云いつた。
「人間にんげん一人ひとり大學だいがくを卒業そつげふさせるなんて、己おれの手際てぎはぢや到底とても駄目だめだ」と宗助そうすけは自分じぶんの能力丈のうりよくだけを明あきらかにした。
 會話くわいわはそこで別べつの題目だいもくに移うつつて、再ふたゝび小六ころくの上うへにも叔母をばの上うへにも歸かへつて來こなかつた。それから二三日にちすると丁度ちやうど土曜どえうが來きたので、宗助そうすけは役所やくしよの歸かへりに、番町ばんちやうの叔母をばの所ところへ寄よつて見みた。叔母をばは、
「おやや、まあ御珍おめづらしい事こと」と云いつて、何時いつもよりは愛想あいそよく宗助そうすけを款待もてなして呉くれた。其時そのとき宗助そうすけは厭いやなのを我慢がまんして、此この四五年來ねんらい溜ためて置おいた質問しつもんを始はじめて叔母をばに掛かけた。叔母をばは固もとより出來できる丈だけは辯解べんかいしない譯わけに行ゆかなかつた。
 叔母をばの云いふ所ところによると、宗助そうすけの邸宅やしきを賣拂うりはらつた時とき、叔父をぢの手てに這入はいつた金かねは、慥たしかには覺おぼえてゐないが、何なんでも、宗助そうすけのために、急場きふばの間まに合あはせた借財しやくざいを返かへした上うへ、猶なほ四千五百圓ゑんとか四千三百圓ゑんとか餘あまつたさうである。所ところが叔父をぢの意見いけんによると、あの屋敷やしきは宗助そうすけが自分じぶんに提供ていきようして行いつたのだから、たとひ幾何いくら餘あまらうと、餘あまつた分ぶんは自分じぶんの所得しよとくと見傚みなして差支さしつかへない。然しかし宗助そうすけの邸宅やしきを賣うつて儲まうけたと云いはれては心持こゝろもちが惡わるいから、是これは小六ころくの名義めいぎで保管ほくわんして置おいて、小六ころくの財産ざいさんにして遣やる。宗助そうすけはあんな事ことをして廢嫡はいちやくに迄までされかゝつた奴やつだから、一文もんだつて取とる權利けんりはない。「宗そうさん怒おこつちや不可いけませんよ。たゞ叔父をぢさんの云いつた通とほりを話はなすんだから」と叔母をばが斷ことわつた。宗助そうすけは默だまつてあとを聞きいてゐた。
 小六ころくの名義めいぎで保管ほくわんされべき財産ざいさんは、不幸ふかうにして、叔父をぢの手腕しゆわんで、すぐ神田かんだの賑にぎやかな表通おもてどほりの家屋かをくに變形へんけいした。さうして、まだ保險ほけんを付つけないうちに、火事くわじで燒やけて仕舞しまつた。小六ころくには始はじめから話はなしてない事ことだから、其儘そのまゝにして、わざと知しらせずに置おいた。
「さう云いふ譯わけでね、まことに宗そうさんにも、御氣おきの毒どくだけれども、何なにしろ取とつて返かへしの付つかない事ことだから仕方しかたがない。運うんだと思おもつて諦あきらめて下ください。尤もつとも叔父をぢさんさへ生いきてゐれば、又また何どうともなるんでせうさ。小六ころく一人ひとり位ぐらゐそりや譯わけはありますまいよ。よしんば、叔父をぢさんが居ゐなさらない、今いまにしたつて、此方こつちの都合つがふさへ好よければ、燒やけた家うちと同おなじ丈だけのものを、小六ころくに返かへすか、それでなくつても、當人たうにんの卒業そつげふする迄まで位ぐらゐは、何どうにかして世話せわも出來できるんですけれども」と云いつて叔母をばは又また外ほかの内幕話うちまくばなしをして聞きかせた。それは安之助やすのすけの職業しよくげふに就ついてゞあつた。
 安之助やすのすけは叔父をぢの一人息子ひとりむすこで、此夏このなつ大學だいがくを出でた許ばかりの青年せいねんである。家庭かていで暖あたゝかに育そだつた上うへに、同級どうきふの學生がくせい位ぐらゐより外ほかに交際かうさいのない男をとこだから、世よの中なかの事ことには寧むしろ迂濶うくわつと云いつても可いいが、其その迂濶うくわつな所ところに何處どこか鷹揚おうやうな趣おもむきを具そなへて實社會じつしやくわいへ顏かほを出だしたのである。專門せんもんは工科こうくわの器械學きかいがくだから、企業熱きげふねつの下火したびになつた今日こんにちと雖いへども、日本中にほんぢゆうに澤山たくさんある會社くわいしやに、相應さうおうの口くちの一ひとつや二ふたつあるのは、勿論もちろんであるが、親讓おやゆづりの山氣やまぎが何處どこかに潛ひそんでゐるものと見みえて、自分じぶんで自分じぶんの仕事しごとをして見みたくてならない矢先やさきへ、同おなじ科くわの出身しゆつしんで、小規模せうきぼながら專有せんいうの工場こうばを月島邊つきじまへんに建たてゝ、獨立どくりつの經營けいえいをやつてゐる先輩せんぱいに出逢であつたのが縁えんとなつて、其その先輩せんぱいと相談さうだんの上うへ、自分じぶんも幾分いくぶんかの資本しほんを注つぎ込こんで、一所いつしよに仕事しごとをして見樣みやうといふ考かんがへになつた。叔母をばの内幕話うちまくばなしと云いつたのは其所そこである。「でね、少すこし有あつた株かぶをみんな其方そのはうへ廻まはす事ことにしたもんだから、今いまぢや本當ほんたうに一文もんなし同然どうぜんな仕儀しぎでゐるんですよ。それは世間せけんから見みると、人數にんずは少すくなし、家邸いへやしきは持もつてゐるし、樂らくに見みえるのも無理むりのない所ところでせうさ。此間このあひだも原はらの御母おつかさんが來きて、まあ貴方あなた程ほど氣樂きらくな方かたはない、何時いつ來きて見みても萬年青おもとの葉はばかり丹念たんねんに洗あらつてゐるつてね。眞逆まさか左さうでも無ないんですけれども」と叔母をばが云いつた。
 宗助そうすけが叔母をばの説明せつめいを聞きいた時ときは、ぼんやりして兎角とかくの返事へんじが容易よういに出でなかつた。心こゝろのなかで、是これは神經衰弱しんけいすゐじやくの結果けつくわ、昔むかしの樣やうに機敏きびんで明快めいくわいな判斷はんだんを、すぐ作つくり上あげる頭あたまが失なくなつた證據しようこだらうと自覺じかくした。叔母をばは自分じぶんの云いふ通とほりが、宗助そうすけに本當ほんたうと受うけられないのを氣きにする樣やうに、安之助やすのすけから持もち出だした資本しほんの高たか迄まで話はなした。それは五千圓ゑん程ほどであつた。安之助やすのすけは當分たうぶんの間あひだ、僅わづかな月給げつきふと、此この五千圓ゑんに對たいする利益りえき配當はいたうとで暮くらさなければならないのださうである。
「其その配當はいたうだつて、まだ何どうなるか分わかりやしないんでさあね。旨うまく行いつた所ところで、一割わりか一割わり五分ぶ位ぐらゐなものでせうし、又また一ひとつ間違まちがへば丸まるで烟けむにならないとも限かぎらないんですから」と叔母をばが付つけ加くはへた。 宗助そうすけは叔母をばの仕打しうちに、是これと云いふ目立めだつた阿漕あこぎな所ところも見みえないので、心こゝろの中うちでは少すくなからず困こまつたが、小六ころくの將來しやうらいに就ついて一口ひとくちの掛合かけあひもせずに歸かへるのは如何いかにも馬鹿々々ばかかしい氣きがした。そこで今迄いままでの問題もんだいは其所そこに据すゑつきりにして置おいて、自分じぶんが當時たうじ小六ころくの學資がくしとして叔父をぢに預あづけて行いつた千圓ゑんの所置しよちを聞きき糺たゞして見みると、叔母をばは、
「宗そうさん、あれこそ本當ほんたうに小六ころくが使つかつちまつたんですよ。小六ころくが高等學校かうとうがくかうへ這入はいつてからでも、もう彼是かれこれ七百圓ゑんは掛かかつてゐるんですもの」と答こたへた。
 宗助そうすけは序ついでだから、それと同時どうじに、叔父をぢに保管ほくわんを頼たのんだ書畫しよぐわや骨董品こつとうひんの成行なりゆきを確たしかめて見みた。すると、叔母をばは、
「ありあ飛とんだ馬鹿ばかな目めに逢あつて」と云いひかけたが、宗助そうすけの樣子やうすを見みて、
「宗そうさん、何なんですか、彼事あのことはまだ御話おはなしをしなかつたんでしたかね」と聞きいた。宗助そうすけがいゝえと答こたへると、
「おやや、夫それぢや叔父をぢさんが忘わすれちまつたんですよ」と云いひながら、其その顛末てんまつを語かたつて聞きかした。
 宗助そうすけが廣島ひろしまへ歸かへると間まもなく、叔父をぢは其その賣捌方うりさばきかたを眞田さなだとかいふ懇意こんいの男をとこに依頼いらいした。此この男をとこは書畫しよぐわ骨董こつとうの道みちに明あかるいとかいふので、平生へいぜいそんなものの賣買ばいばいの周旋しうせんをして諸方しよはうへ出入でいりするさうであつたが、すぐさま叔父をぢの依頼いらいを引ひき受うけて、誰だれ某それがしが何なにを欲ほしいと云いふから、一寸ちよつと拜見はいけんとか、何々なにに氏しが斯かう云いふ物ものを希望きばうだから、見みせませうとか號がうして、品物しなものを持もつて行いつたぎり、返かへして來こない。催促さいそくすると、まだ先方せんぱうから戻もどつて參まゐりませんからとか何なんとか言譯いひわけをする丈だけで甞かつて埒らちの明あいた試ためしがなかつたが、とうう持もち切きれなくなつたと見みえて、何處どこかへ姿すがたを隱かくして仕舞しまつた。「でもね、未まだ屏風びやうぶが一ひとつ殘のこつてゐますよ。此間このあひだ引越ひつこしの時ときに、氣きが付ついて、こりや宗そうさんのだから、今度こんだ序ついでがあつたら屆とゞけて上あげたら可いいだらうつて、安やすがさう云いつてゐましたつけ」
 叔母をばは宗助そうすけの預あづけて行いつた品物しなものには丸まるで重おもきを置おいてゐない樣やうな、ものゝ云いひ方かたをした。宗助そうすけも今日けふ迄まで放はふつて置おく位くらゐだから、あまり其その方面はうめんには興味きようみを有もち得えなかつたので、少すこしも良心りやうしんに惱なやまされてゐる氣色けしきのない叔母をばの樣子やうすを見みても、別べつに腹はらは立たたなかつた。それでも、叔母をばが、
「宗そうさん、何どうせ家うちぢや使つかつてゐないんだから、なんなら持もつて御出おいでなすつちや何どうです。此頃このごろは彼あゝいふものが、大變たいへん價ねが出でたと云いふ話はなしぢやありませんか」と云いつたときは、實際じつさいそれを持もつて歸かへる氣きになつた。
 納戸なんどから取とり出だして貰もらつて、明あかるい所ところで眺ながめると、慥たしかに見覺みおぼえのある二枚折まいをりであつた。下したに萩はぎ、桔梗ききやう、芒すゝき、葛くず、女郎花をみなへしを隙間すきまなく描かいた上うへに、眞丸まんまるな月つきを銀ぎんで出だして、其横そのよこの空あいた所ところへ、野路のぢや空月そらつきの中なかなる女郎花をみなへし、其一きいちと題だいしてある。宗助そうすけは膝ひざを突ついて銀ぎんの色いろの黒くろく焦こげた邊あたりから、葛くずの葉はの風かぜに裏うらを返かへしてゐる色いろの乾かわいた樣さまから、大福だいふく程ほどな大おほきな丸まるい朱しゆの輪廓りんくわくの中なかに、抱一はういつと行書ぎやうしよで書かいた落款らつくわんをつくくと見みて、父ちゝの生いきてゐる當時たうじを憶おもひ起おこさずにはゐられなかつた。 父ちゝは正月しやうぐわつになると、屹度きつと此この屏風びやうぶを薄暗うすぐらい藏くらの中なかから出だして、玄關げんくわんの仕切しきりに立たてて、其前そのまへへ紫檀したんの角かくな名刺入めいしいれを置おいて、年賀ねんがを受うけたものである。其時そのときは目出度めでたいからと云いふので、客間きやくまの床とこには必かならず虎とらの双幅さうふくを懸かけた。是これは岸駒がんくぢやない岸岱がんたいだと父ちゝが宗助そうすけに云いつて聞きかせた事ことがあるのを、宗助そうすけはいまだに記憶きおくしてゐた。此この虎とらの畫ゑには墨すみが着ついてゐた。虎とらが舌したを出だして谷たにの水みづを呑のんでゐる鼻柱はなばしらが少すこし汚けがされたのを、父ちゝは苛ひどく氣きにして、宗助そうすけを見みる度たびに、御前おまへ此所こゝへ墨すみを塗ぬつた事ことを覺おぼえてゐるか、是これは御前おまへの小ちひさい時分じぶんの惡戲いたづらだぞと云いつて、可笑をかしい樣やうな恨うらめしい樣やうな一種いつしゆの表情へうじやうをした。
 宗助そうすけは屏風びやうぶの前まへに畏かしこまつて、自分じぶんが東京とうきやうにゐた昔むかしの事ことを考かんがへながら、
「叔母をばさん、ぢや此この屏風びやうぶは頂戴ちようだいして行ゆきませう」と云いつた。
「あゝゝ、御持おもちなさいとも。何なんなら使つかひに持もたせて上あげませう」と叔母をばは好意かういから申まをし添そえた。
 宗助そうすけは然しかるべく叔母をばに頼たのんで、其日そのひは夫それで切きり上あげて歸かへつた。晩食ばんめしの後のち御米およねと一所いつしよに又また縁側えんがはへ出でて、暗くらい所ところで白地しろぢの浴衣ゆかたを並ならべて、涼すゞみながら、畫ひるの話はなしをした。「安やすさんには、御逢おあひなさらなかつたの」と御米およねが聞きいた。
「あゝ、安やすさんは土曜どえうでも何なんでも夕方ゆふがた迄まで、工場こうばにゐるんださうだ」
「隨分ずゐぶん骨ほねが折をれるでせうね」
 御米およねは左さう云いつたなり、叔父をぢや叔母をばの處置しよちに就ついては、一言ひとことの批評ひひやうも加くはへなかつた。
「小六ころくの事ことは何どうしたものだらう」と宗助そうすけが聞きくと、
「さうね」と云いふ丈だけであつた。
「理窟りくつを云いへば、此方こつちにも云いひ分ぶんはあるが、云いひ出だせば、とゞの詰つまりは裁判沙汰さいばんざたになる許ばかりだから、證據しようこも何なにもなければ勝かてる譯わけのものぢやなし」と宗助そうすけが極端きよくたんを豫想よさうすると、
「裁判さいばんなんかに勝かたなくたつても可いいわ」と御米およねがすぐ云いつたので、宗助そうすけは苦笑くせうして已やめた。
「つまりは己おれがあの時とき東京とうきやうへ出でられなかつたからの事ことさ」
「さうして東京とうきやうへ出でられた時ときは、もうそんな事ことは何どうでも可よかつたんですもの」
 夫婦ふうふはこんな話はなしをしながら、又また細ほそい空そらを庇ひさしの下したから覗のぞいて見みて、明日あしたの天氣てんきを語かたり合あつて蚊帳かやに這入はいつた。
 次つぎの日曜にちえうに宗助そうすけは小六ころくを呼よんで、叔母をばの云いつた通とほりを殘のこらず話はなして聞きかせて、
「叔母をばさんが御前おまへに詳くはしい説明せつめいをしなかつたのは、短兵急たんぺいきふな御前おまへの性質せいしつを知しつてる所爲せゐか、夫それともまだ小供こどもだと思おもつてわざと略りやくして仕舞しまつたのか、其所そこは己おれにも分わからないが、何なにしろ事實じじつは今いま云いつた通とほりなんだよ」と教をしえた。 小六ころくには如何いかに詳くはしい説明せつめいも腹はらの足たしにはならなかつた。たゞ、
「左さうですか」と云いつて六むづかしい不滿ふまんな顏かほをして宗助そうすけを見みた。
「仕方しかたがないよ。叔母をばさんだつて、安やすさんだつて、さう惡わるい料簡れうけんはないんだから」
「そりや、分わかつてゐます」と弟おとうとは峻けはしい物ものの云いひ方かたをした。
「ぢや己おれが惡わるいつて云いふんだらう。己おれは無論むろん惡わるいよ。昔むかしから今日こんにち迄まで惡わるい所ところだらけな男をとこだもの」
 宗助そうすけは横よこになつて烟草たばこを吹ふかしながら、是これより以上いじやうは何なんとも語かたらなかつた。小六ころくも默だまつて、座敷ざしきの隅すみに立たてゝあつた二枚折まいをりの抱一はういつの屏風びやうぶを眺ながめてゐた。
「御前おまへあの屏風びやうぶを覺おぼえてゐるかい」とやがて兄あにが聞きいた。
「えゝ」と小六ころくが答こたへた。
「一昨日をとゝひ佐伯さへきから屆とゞけて呉くれた。御父おとうさんの持もつてたもので、おれの手てに殘のこつたのは、今いまぢや是これだけだ。是これが御前おまへの學資がくしになるなら、今いますぐにでも遣やるが、剥はげた屏風びやうぶ一枚まいで大學だいがくを卒業そつげふする譯わけにも行ゆかずな」と宗助そうすけが云いつた。さうして苦笑くせうしながら、
「此この暑あついのに、斯こんなものを立たてゝ置おくのは、氣狂きちがひじみてゐるが、入いれて置おく所ところがないから、仕方しかたがない」と云いふ述懷じゆつくわいをした。
 小六ころくは此この氣樂きらくな樣やうな、愚圖ぐづの樣やうな、自分じぶんとは餘あまりに懸かけ隔へだつてゐる兄あにを、何時いつも物足ものたりなくは思おもふものゝ、いざといふ場合ばあひに、決けつして喧嘩けんくわはし得えなかつた。此時このときも急きふに癇癪かんしやくの角つのを折をられた氣味きみで、「屏風びやうぶは何どうでも好いいが、是これから先さき僕ぼくはどうしたもんでせう」と聞きき出だした。
「夫それは問題もんだいだ。何なにしろ此年ことし一杯いつぱいに極きまれば好いい事ことだから、まあよく考かんがへるさ。おれも考かんがへて置おかう」と宗助そうすけが云いつた。
 弟おとうとは彼かれの性質せいしつとして、そんな中ちゆうぶらりんの姿すがたは嫌きらひである、學校がくかうへ出でても落付おちついて稽古けいこも出來できず、下調したしらべも手てに付つかない樣やうな境遇きやうぐうは、到底たうてい自分じぶんには堪たへられないと云いふ訴うつたへを切せつに遣やり出だしたが、宗助そうすけの態度たいどは依然いぜんとして變かはらなかつた。小六ころくがあまり癇かんの高たかい不平ふへいを並ならべると、
「其その位くらゐな事ことで夫程それほど不平ふへいが並ならべられゝば、何處どこへ行いつたつて大丈夫だいぢやうぶだ。學校がくかうを已やめたつて、一向いつかう差支さしつかへない。御前おまへの方はうが己おれより餘よつ程ぽどえらいよ」と兄あにが云いつたので、話はなしは夫それ限ぎり頓挫とんざして、小六ころくはとうう本郷ほんがうへ歸かへつて行いつた。
 宗助そうすけはそれから湯ゆを浴あびて、晩食ばんめしを濟すまして、夜よるは近所きんじよの縁日えんにちへ御米およねと一所いつしよに出掛でかけた。さうして手頃てごろな花物はなものを二鉢ふたはち買かつて、夫婦ふうふして一ひとつ宛づゝ持もつて歸かへつて來きた。夜露よつゆに中あてた方はうが可よからうと云いふので、崖下がけしたの雨戸あまどを明あけて、庭先にわさきにそれを二ふたつ並ならべて置おいた。 蚊帳かやの中なかへ這入はいつた時とき、御米およねは、
「小六ころくさんの事ことは何どうなつて」と夫をつとに聞きくと、
「未まだ何どうもならないさ」と宗助そうすけは答こたへたが、十分ぷん許ばかりの後のち夫婦ふうふともすやや寐入ねいつた。
 翌日よくじつ眼めが覺さめて役所やくしよの生活せいくわつが始はじまると、宗助そうすけはもう小六ころくの事ことを考かんがへる暇ひまを有もたなかつた。家うちへ歸かへつて、のつそりしてゐる時ときですら、此この問題もんだいを確的はつきり眼めの前まへに描ゑがいて明あきらかにそれを眺ながめる事ことを憚はゞかつた。髮かみの毛けの中なかに包つゝんである彼かれの腦なうは、其その煩わづらはしさに堪たえなかつた。昔むかしは數學すうがくが好すきで、隨分ずゐぶん込こみ入いつた幾何きかの問題もんだいを、頭あたまの中なかで明暸めいれうな圖づにして見みる丈だけの根氣こんきがあつた事ことを憶おもひ出だすと、時日じじつの割わりには非常ひじやうに烈はげしく來きた此この變化へんくわが自分じぶんにも恐おそろしく映うつつた。
 それでも日ひに一度いちど位ぐらゐは小六ころくの姿すがたがぼんやり頭あたまの奧おくに浮ういて來くる事ことがあつて、その時丈ときだけは、彼奴あいつの將來しやうらいも何なんとか考かんがへて置おかなくつちやならないと云いふ氣きも起おこつた。然しかしすぐあとから、まあ急いそぐにも及およぶまい位ぐらゐに、自分じぶんと打うち消けして仕舞しまふのが常つねであつた。さうして、胸むねの筋きんが一本いつぽん鉤かぎに引ひつ掛かゝつた樣やうな心こゝろを抱いだいて、日ひを暮くらしてゐた。 其その内うち九月ぐわつも末すゑになつて、毎晩まいばん天あまの河がはが濃こく見みへるある宵よひの事こと、空そらから降ふつた樣やうに安之助やすのすけが遣やつて來きた。宗助そうすけにも御米およねにも思おもひ掛がけない程ほど稀たまな客きやくなので、二人ふたりとも何なにか用ようがあつての訪問はうもんだらうと推すゐしたが、果はたして小六ころくに關くわんする件けんであつた。
 此この間あひだ月島つきじまの工場こうばへひよつくり小六ころくが遣やつて來きて云いふには、自分じぶんの學資がくしに就ついての詳くはしい話はなしは兄あにから聞きいたが、自分じぶんも今迄いままで學問がくもんを遣やつて來きて、とうう大學だいがくへ這入はいれず仕舞じまひになるのは如何いかにも殘念ざんねんだから、借金しやくきんでも何なんでもして、行ゆける所ところ迄まで行ゆきたいが、何なにか好いい工夫くふうはあるまいかと相談さうだんを掛かけるので、安之助やすのすけはよく宗そうさんにも話はなして見みやうと答こたへると、小六ころくは忽たちまちそれを遮さへぎつて、兄あには到底たうてい相談さうだんになつて呉くれる人ひとぢやない、自分じぶんが大學だいがくを卒業そつげふしないから、他ひとも中途ちゆうとで已やめるのは當然たうぜんだ位ぐらゐに考かんがへてゐる。元來ぐわんらい今度こんどの事ことも元もとを糺たゞせば兄あにが責任者せきにんしやであるのに、あの通とほり一向いつかう平氣へいきなもので、他ひとが何なにを云いつても取とり合あつて呉くれない。だから、たゞ頼たよりにするのは君丈きみだけだ。叔母をばさんに正式せいしきに斷ことわられながら、又また君きみに依頼いらいするのは可笑をかしい樣やうだが、君きみの方はうが叔母をばさんより話はなしが分わかるだらうと思おもつて來きたと云いつて、中々なかか動うごきさうもなかつたさうである。 安之助やすのすけは、そんな事ことはない、宗そうさんも君きみの事ことでは大分だいぶ心配しんぱいして、近ちかい中うち又また家うちへ相談さうだんに來くる筈はずになつてゐるんだからと慰なぐさめて、小六ころくを歸かへしたんだと云いふ。歸かへるときに、小六ころくは袂たもとから半紙はんしを何枚なんまいも出だして、缺席屆けつせきとゞげが入用にふようだから是これに判はんを押おして呉くれと請求せいきうして、僕ぼくは退學たいがくか在學ざいがくか片かたが付つく迄までは勉強べんきやうが出來できないから、毎日まいにち學校がくかうへ出でる必要ひつえうはないんだと云いつたさうである。
 安之助やすのすけは忙いそがしいとかで、一時間じかん足たらず話はなして歸かへつて行いつたが、小六ころくの所置しよちに就ついては、兩人りやうにんの間あひだに具體的ぐたいてきの案あんは別べつに出でなかつた。何いづれ緩ゆつくりみんなで寄よつて極きめやう、都合つがふがよければ小六ころくも列席れつせきするが好よからうといふのが別わかれる時ときの言葉ことばであつた。二人ふたりになつたとき、御米およねは宗助そうすけに、
「何なにを考かんがへて入いらつしやるの」と聞きいた。宗助そうすけは兩手りやうてを兵兒帶へこおびの間あひだに挾はさんで、心持こゝろもち肩かたを高たかくしたなり、
「己おれももう一返ぺん小六ころく見みた樣やうになつて見みたい」と云いつた。「此方こつちぢや、向むかふが己おれの樣やうな運命うんめいに陷おちいるだらうと思おもつて心配しんぱいしてゐるのに、向むかふぢや兄貴あにきなんざあ眼中がんちゆうにないから偉えらいや」 御米およねは茶器ちやきを引ひいて臺所だいどころへ出でた。夫婦ふうふはそれぎり話はなしを切きり上あげて、又また床とこを延のべて寐ねた。夢ゆめの上うへに高たかい銀河あまのがはが涼すゞしく懸かゝつた。
 次つぎの週間しうかんには、小六ころくも來こず、佐伯さへきからの音信たよりもなく、宗助そうすけの家庭かていは又また平日へいじつの無事ぶじに歸かへつた。夫婦ふうふは毎朝まいあさ露つゆの光ひかる頃ころ起おきて、美うつくしい日ひを廂ひさしの上うへに見みた。夜よるは煤竹すゝだけの臺だいを着つけた洋燈らんぷの兩側りやうがはに、長ながい影かげを描ゑがいて坐すわつてゐた。話はなしが途切とぎれた時ときはひそりとして、柱時計はしらどけいの振子ふりこの音丈おとだけが聞きこえる事ことも稀まれではなかつた。
 夫それでも夫婦ふうふは此間このあひだに小六ころくの事ことを相談さうだんした。小六ころくがもし何どうしても學問がくもんを續つゞける氣きなら無論むろんの事こと、さうでなくても、今いまの下宿げしゆくを一時いちじ引ひき上あげなければならなくなるのは知しれてゐるが、左さうすれば又また佐伯さへきへ歸かへるか、或あるひは宗助そうすけの所ところへ置おくより外ほかに途みちはない。佐伯さへきでは一旦いつたんあゝ云いひ出だした樣やうなものゝ、頼たのんで見みたら、當分たうぶん宅うちへ置おく位ぐらゐの事ことは、好意上かういじやう爲してくれまいものでもない。が、其上そのうへ修業しうげふをさせるとなると、月謝げつしや小遣こづかひ其他そのたは宗助そうすけの方はうで擔任たんにんしなければ義理ぎりが惡わるい。所ところが夫それは家計上かけいじやう宗助そうすけの堪たえる所ところでなかつた。月々つききの收支しうしを事細ことこまかに計算けいさんして見みた兩人ふたりは、「到底たうてい駄目だめだね」
「何どうしたつて無理むりですわ」と云いつた。
 夫婦ふうふの坐すわつてゐる茶ちやの間まの次つぎが臺所だいどころで、臺所だいどころの右みぎに下女部屋げぢよべや、左ひだりに六疊でふが一間ひとまある。下女げぢよを入いれて三人にんの小人數こにんずだから、此この六疊でふには餘あまり必要ひつえうを感かんじない御米およねは、東向ひがしむきの窓側まどがはに何時いつも自分じぶんの鏡臺きやうだいを置おいた。宗助そうすけも朝あさ起おきて顏かほを洗あらつて、飯めしを濟すますと、此所こゝへ來きて着物きものを脱ぬぎ更かへた。
「夫それよりか、あの六疊でふを空あけて、あすこへ來きちや不可いけなくつて」と御米およねが云いひ出だした。御米およねの考かんがへでは、斯かうして自分じぶんの方はうで部屋へやと食物丈たべものだけを分擔ぶんたんして、あとの所ところを月々つきき幾何いくらか佐伯さへきから助すけて貰もらつたら、小六ころくの望のぞみ通どほり大學だいがく卒業そつげふ迄まで遣やつて行いかれやうと云いふのである。
「着物きものは安やすさんの古ふるいのや、貴方あなたのを直なほして上あげたら、何どうかなるでせう」と御米およねが云いひ添そへた。實じつは宗助そうすけにも斯こんな考かんがへが、多少たせう頭あたまに浮うかんで居ゐた。たゞ御米およねに遠慮ゑんりよがある上うへに、夫それ程ほど氣きが進すゝまなかつたので、つい口くちへ出ださなかつた迄までだから、細君さいくんから斯かう反對あべこべに相談さうだんを掛かけられて見みると、固もとよりそれを拒こばむ丈だけの勇氣ゆうきはなかつた。 小六ころくに其通そのとほりを通知つうちして、御前おまへさへそれで差支さしつかへなければ、己おれがもう一遍ぺん佐伯さへきへ行いつて掛合かけあつて見みるがと、手紙てがみで問とひ合あはせると、小六ころくは郵便いうびんの着ついた晩ばん、すぐ雨あめの降ふる中なかを、傘からかさに音おとを立たてゝ遣やつて來きて、もう學資がくしが出來できでもした樣やうに嬉うれしがつた。
「何なに、叔母をばさんの方はうぢや、此方こつちで何時迄いつまでも貴方あなたの事ことを放はふり出だしたまんま、構かまはずに置おくもんだから、それで彼あゝ仰おつしやるのよ。なに兄にいさんだつて、もう少すこし都合つがふが好よければ、疾とうにも何どうにか爲したんですけれども、御存ごぞんじの通とほりだから實際じつさい已やむを得えなかつたんですわ。然しかし此方こつちから斯かう云いつて行ゆけば、叔母をばさんだつて、安やすさんだつて、夫それでも否いやだとは云いはれないわ。屹度きつと出來できるから安心あんしんして居ゐらつしやい。私わたし受合うけあふわ」
 御米およねにかう受合うけあつて貰もらつた小六ころくは、又また雨あめの音おとを頭あたまの上うへに受うけて本郷ほんがうへ歸かへつて行いつた。しかし中なか一日にち置おいて、兄にいさんは未まだ行いかないんですかと聞ききに來きた。又また三日みつか許ばかり過すぎてから、今度こんどは叔母をばさんの所ところへ行いつて聞きいたら、兄にいさんはまだ來こないさうだから、成なるべく早はやく行ゆく樣やうに勸すゝめて呉くれと催促さいそくして行いつた。 宗助そうすけが行ゆく行ゆくと云いつて、日ひを暮くらしてゐるうちに世よの中なかは漸やうやく秋あきになつた。その朗ほがらかな或ある日曜にちえうの午後ごごに、宗助そうすけはあまり佐伯さへきへ行ゆくのが後おくれるので、此この要件えうけんを手紙てがみに認したゝめて番町ばんちやうへ相談さうだんしたのである。すると、叔母をばから安之助やすのすけは神戸かうべへ行いつて留守るすだと云いふ返事へんじが來きたのである。

五

 佐伯さへきの叔母をばの尋たづねて來きたのは、土曜どえうの午後ごごの二時過じすぎであつた。其日そのひは例れいになく朝あさから雲くもが出でて、突然とつぜんと風かぜが北きたに變かはつた樣やうに寒さむかつた。叔母をばは竹たけで編あんだ丸まるい火桶ひをけの上うへへ手てを翳かざして、
「何なんですね、御米およねさん、此この御部屋おへやは夏なつは涼すゞしさうで結構けつこうだが、是これからはちと寒さむう御座ござんすね」と云いつた。叔母をばは癖くせのある髮かみを、奇麗きれいに髷まげに結いつて、古風こふうな丸打まるうちの羽織はおりの紐ひもを、胸むねの所ところで結むすんでゐた。酒さけの好すきな質たちで、今いまでも少すこしづゝは晩酌ばんしやくを遣やる所爲せゐか、色澤いろつやもよく、でつぷり肥ふとつてゐるから、年としよりは餘程よほど若わかく見みえる。御米およねは叔母をばが來くるたんびに、叔母をばさんは若わかいのねと、後あとでよく宗助そうすけに話はなした。すると宗助そうすけが何時いつでも、若わかい筈はずだ、あの年としになる迄まで、子供こどもをたつた一人ひとりしか生うまないんだからと説明せつめいした。御米およねは實際じつさいさうかも知しれないと思おもつた。さうして斯かう云いはれた後あとでは、折々をりりそつと六疊でふへ這入はいつて、自分じぶんの顏かほを鏡かゞみに映うつして見みた。其時そのときは何なんだか自分じぶんの頬ほゝが見みる度たびに瘠こけて行ゆく樣やうな氣きがした。御米およねには自分じぶんと子供こどもとを連想れんさうして考かんがへる程ほど辛つらい事ことはなかつたのである。裏うらの家主やぬしの宅うちに、小ちひさい子供こどもが大勢おほぜいゐて、夫それが崖がけの上うへの庭にはへ出でて、ブランコへ乘のつたり、鬼おにごつこを遣やつたりして騷さわぐ聲こゑが、能よく聞きこえると、御米およねは何時いつでも、果敢はかない樣やうな恨うらめしい樣やうな心持こゝろもちになつた。今いま自分じぶんの前まへに坐すわつてゐる叔母をばは、たつた一人ひとりの男をとこの子こを生うんで、その男をとこの子こが順當じゆんたうに育そだつて、立派りつぱな學士がくしになつたればこそ、叔父をぢが死しんだ今日こんにちでも、何不足なにふそくのない顏かほをして、腮あごなどは二重ふたへに見みえる位くらゐに豐ゆたかなのである。御母おかあさんは肥ふとつてるから劍呑けんのんだ、氣きを付つけないと卒中そつちゆうで遣やられるかも知しれないと、安之助やすのすけが始終しじゆう心配しんぱいするさうだけれども、御米およねから云いはせると、心配しんぱいする安之助やすのすけも、心配しんぱいされる叔母をばも、共ともに幸福かうふくを享うけ合あつてゐるものとしか思おもはれなかつた。「安やすさんは」と御米およねが聞きいた。
「えゝ漸やうやくね、あなた。一昨日をとゝひの晩ばん歸かへりましてね。夫それでついい御返事ごへんじも後おくれちまつて、まことに濟すみません樣やうな譯わけで」と云いつたが、返事へんじの方はうは夫それなりにして、話はなしは又また安之助やすのすけへ戻もどつて來きた。
「あれもね、御蔭おかげさまで漸やうやく學校丈がくかうだけは卒業そつげふしましたが、是これからが大事だいじの所ところで、心配しんぱいで御座ございます。――夫それでも此この九月ぐわつから、月島つきじまの工場こうばの方はうへ出でる事ことになりまして、まあ幸さいはひと此分このぶんで勉強べんきやうさへして行いつて呉くれゝば、此末このすゑともに、さう惡わるい事ことも無なからうかと思おもつてるんですけれども、まあ若わかいものゝ事ことですから、是これから先さき何どう變化へんげるか分わかりやしませんよ」
 御米およねはたゞ結構けつこうで御座ございますとか、御目出おめでたう御座ございますとか云いふ言葉ことばを、間々あひだだに挾はさんでゐた。
「神戸かうべへ參まゐつたのも、全まつたく其方そのはうの用向ようむきなので。石油發動機せきゆはつどうきとか何なんとか云いふものを鰹船かつをぶねへ据すゑ付つけるんだとかつてね貴方あなた」
 御米およねには丸まるで意味いみが分わからなかつた。分わからない乍ながらたゞへえゝと受うけてゐると、叔母をばはすぐ後あとを話はなした。
「私わたくしにも何なんのこつたか、些ちつとも分わからなかつたんですが、安之助やすのすけの講釋かうしやくを聞きいて始はじめて、おやさうかいと云いふ樣やうな譯わけでしてね。――尤もつとも石油發動機せきゆはつどうきは今いま以もつて分わからないんですけれども」と云いひながら、大おほきな聲こゑを出だして笑わらつた。「何なんでも石油せきゆを焚たいて、それで船ふねを自由じいうにする器械きかいなんださうですが、聞きいて見みると餘程よつぽど重寶ちようはうなものらしいんですよ。夫それさへ付つければ、舟ふねを漕こぐ手間てまが丸まるで省はぶけるとかでね。五里りも十里りも沖おきへ出でるのに、大變たいへん樂らくなんですとさ。所ところが貴方あなた、此この日本全國につぽんぜんこくで鰹船かつをぶねの數かずつたら、夫それこそ大たいしたものでせう。その鰹船かつをぶねが一ひとつ宛づゝ此この器械きかいを具そなへ付つける樣やうになつたら、莫大ばくだいな利益りえきだつて云いふんで、此頃このごろは夢中むちゆうになつて其方そのはうばつかりに掛かゝつてゐる樣やうですよ。莫大ばくだいな利益りえきは有難ありがたいが、さう凝こつて身體からだでも惡わるくしちや詰つまらないぢやないかつて、此間このあひだも笑わらつた位くらゐで」 叔母をばはしきりに鰹船かつをぶねと安之助やすのすけの話はなしをした。さうして大變たいへん得意とくいの樣やうに見みえたが、小六ころくの事ことは中々なかか云いひ出ださなかつた。もう疾とうに歸かへる筈はずの宗助そうすけも何どうしたか歸かへつて來こなかつた。
 彼かれは其日そのひ役所やくしよの歸かへり掛がけに駿河臺下するがだいした迄まで來きて、電車でんしやを下おりて、酸すいものを頬張ほゝばつた樣やうな口くちを穿すぼめて一二町ちやう歩あるいた後のち、ある齒醫者はいしやの門かどを潛くゞつたのである。三四日前さんよつかぜん彼かれは御米およねと差向さしむかひで、夕飯ゆふはんの膳ぜんに着ついて、話はなしながら箸はしを取とつてゐる際さいに、何どうした拍子ひやうしか、前齒まへばを逆ぎやくにぎりゝと噛かんでから、それが急きふに痛いたみ出だした。指ゆびで搖うごかすと、根ねがぐららする。食事しよくじの時ときには湯茶ゆちやが染しみる。口くちを開あけて息いきをすると風かぜも染しみた。宗助そうすけは此朝このあさ齒はを磨みがくために、わざと痛いたい所ところを避よけて楊枝やうじを使つかひながら、口くちの中なかを鏡かゞみに照てらして見みたら、廣島ひろしまで銀ぎんを埋うめた二枚まいの奧齒おくばと、研といだ樣やうに磨すり減へらした不揃ぶそろの前齒まへばとが、俄にはかに寒さむく光ひかつた。洋服やうふくに着換きかえる時とき、
「御米およね、己おれは齒はの性しやうが餘程よつぽど惡わるいと見みえるね。斯かうやると大抵たいてい動うごくぜ」と下齒したばを指ゆびで動うごかして見みせた。御米およねは笑わらひながら、「もう御年おとしの所爲せゐよ」と云いつて白しろい襟えりを後うしろへ廻まはつて襯衣しやつへ着つけた。
 宗助そうすけは其日そのひの午後ごごとうう思おもい切きつて、齒醫者はいしやへ寄よつたのである。應接間おうせつまへ通とほると、大おほきな洋卓テーブルの周圍まはりに天鵞絨ビロードで張はつた腰掛こしかけが并ならんでゐて、待まち合あはしてゐる三四人さんよにんが、うづくまる樣やうに腮あごを襟えりに埋うづめてゐた。それが皆みんな女をんなであつた。奇麗きれいな茶色ちやいろの瓦斯暖爐ガスストーヴには火ひがまだ焚たいてなかつた。宗助そうすけは大おほきな姿見すがたみに映うつる白壁しらかべの色いろを斜なゝめに見みて、番ばんの來くるのを待まつてゐたが、あまり退屈たいくつになつたので、洋卓テーブルの上うへに重かさねてあつた雜誌ざつしに眼めを着つけた。一二册さつ手てに取とつて見みると、いづれも婦人用ふじんようのものであつた。宗助そうすけは其その口繪くちゑに出でてゐる女をんなの寫眞しやしんを、何枚なんまいも繰くり返かへして眺ながめた。夫それから「成効せいかう」と云いふ雜誌ざつしを取とり上あげた。其その初はじめに、成效せいかうの祕訣ひけつといふ樣やうなものが箇條書かでうがきにしてあつたうちに、何なんでも猛進まうしんしなくつては不可いけないと云いふ一ヶ條でうと、たゞ猛進まうしんしても不可いけない、立派りつぱな根底こんていの上うへに立たつて、猛進まうしんしなくつてはならないと云いふ一ヶ條でうを讀よんで、それなり雜誌ざつしを伏ふせた。「成效せいかう」と宗助そうすけは非常ひじやうに縁えんの遠とほいものであつた。宗助そうすけは斯かういふ名なの雜誌ざつしがあると云いふ事ことさへ、今日迄こんにちまで知しらなかつた。それで又また珍めづらしくなつて、一旦いつたん伏ふせたのを又また開あけて見みると、不圖ふと假名かなの交まじらない四角しかくな字じが二行ぎやう程ほど並ならんでゐた。夫それには風かぜ碧落へきらくを吹ふいて浮雲ふうん盡つき、月つき東山とうざんに上のぼつて玉ぎよく一團いちだんとあつた。宗助そうすけは詩しとか歌うたとかいふものには、元もとから餘あまり興味きようみを持もたない男をとこであつたが、どう云いふ譯わけか此この二句くを讀よんだ時ときに大變たいへん感心かんしんした。對句つゐくが旨うまく出來できたとか何なんとか云いふ意味いみではなくつて、斯こんな景色けしきと同おなじ樣やうな心持こゝろもちになれたら、人間にんげんも嘸さぞ嬉うれしからうと、ひよつと心こゝろが動うごいたのである。宗助そうすけは好奇心かうきしんから此句このくの前まへに付ついてゐる論文ろんぶんを讀よんで見みた。然しかし夫それは丸まるで無關係むくわんけいの樣やうに思おもはれた。只たゞ此この二句くが雜誌ざつしを置おいた後あとでも、しきりに彼かれの頭あたまの中なかを徘徊はいくわいした。彼かれの生活せいくわつは實際じつさい此この四五年來ねんらい斯かういふ景色けしきに出逢であつた事ことがなかつたのである。 其時そのとき向むかふの戸とが開あいて、紙片かみぎれを持もつた書生しよせいが野中のなかさんと宗助そうすけを手術室しゆじゆつしつへ呼よび入いれた。
 中なかへ這入はいると、其所そこは應接間おうせつまよりも倍ばいも廣ひろかつた。光線くわうせんが成なるべく餘計よけい取とれる樣やうに明あかるく拵こしらへた部屋へやの二側ふたがはに、手術用しゆじゆつようの椅子いすを四臺よだい程ほど据すゑて、白しろい胸掛むねかけをかけた受持うけもちの男をとこが、一人ひとりづゝ別々べつつに療治れうぢをしてゐた。宗助そうすけは一番いちばん奧おくの方はうにある一脚きやくに案内あんないされて、是これへと云いはれるので、踏段ふみだんの樣やうなものの上うへへ乘のつて、椅子いすへ腰こしを卸おろした。書生しよせいが厚あつい縞入しまいりの前掛まへかけで丁寧ていねいに膝ひざから下したを包くるんで呉くれた。
 斯かう穩おだやかに寐ねかされた時とき、宗助そうすけは例れいの齒はが左程さほど苦くになる程ほど痛いたんでゐないと云いふ事ことを發見はつけんした。夫そればかりか、肩かたも脊せなも、腰こしの周まはりも、心安こゝろやすく落おち付ついて、如何いかにも樂らくに調子てうしが取とれてゐる事ことに氣きが付ついた。彼かれはたゞ仰向あふむいて天井てんじやうから下さがつてゐる瓦斯ガス管くわんを眺ながめた。さうして此この構かまへと設備せつびでは、歸かへりがけに思おもつたより高たかい療治代れうぢだいを取とられるかも知しれないと氣遣きづかつた。 所ところへ顏かほの割わりに頭あたまの薄うすくなり過すぎた肥ふとつた男をとこが出でて來きて、大變たいへん丁寧ていねいに挨拶あいさつをしたので、宗助そうすけは少すこし椅子いすの上うへで狼狽あわてた樣やうに首くびを動うごかした。肥ふとつた男をとこは一應いちおう容體ようだいを聞きいて、口中こうちゆうを檢査けんさして、宗助そうすけの痛いたいと云いふ齒はを一寸ちよつと搖ゆすつて見みたが、
「何どうも斯かう弛ゆるみますと、到底とても元もとの樣やうに緊しまる譯わけには參まゐりますまいと思おもひますが。何なにしろ中なかがエソになつて居をりますから」と云いつた。
 宗助そうすけは此この宣告せんこくを淋さびしい秋あきの光ひかりの樣やうに感かんじた。もうそんな年としなんでせうかと聞きいて見みたくなつたが、少すこし極きまりが惡わるいので、たゞ、
「ぢや癒なほらないんですか」と念ねんを押おした。
 肥ふとつた男をとこは笑わらひながら斯かう云いつた。――
「まあ癒なほらないと申まをし上あげるより外ほかに仕方しかたが御座ござんせんな。已やむを得えなければ、思おもひ切きつて拔ぬいて仕舞しまふんですが、今いまの所ところでは、まだ夫程それほどでも御座ございますまいから、たゞ御痛おいたみ丈だけを留とめて置おきませう。何なにしろエソ――エソと申まをしても御分おわかりにならないかも知しれませんが、中なかが丸まるで腐くさつて居をります」
 宗助そうすけは、左さうですかと云いつて、たゞ肥ふとつた男をとこのなすが儘まゝにして置おいた。すると彼かれは器械きかいをぐるる廻まはして宗助そうすけの齒はの根ねへ穴あなを開あけ始はじめた。さうして其中そのなかへ細長ほそながい針はりの樣やうなものを刺さし通とほしては、其先そのさきを嗅かいでゐたが、仕舞しまひに糸いと程ほどな筋すぢを引ひき出だして、神經しんけいが是丈これだけ取とれましたと云いひながら、それを宗助そうすけに見みせて呉くれた。それから藥くすりで其その穴あなを埋うめて、明日みやうにち又また入いらつしやいと注意ちゆういを與あたへた。 椅子いすを下おりるとき、身體からだが眞直まつすぐになつたので、視線しせんの位置ゐちが天井てんじやうから不圖ふと庭先にはさきに移うつつたら、其所そこにあつた高たかさ五尺しやくもあらうと云いふ大おほきな鉢栽はちうゑの松まつが宗助そうすけの眼めに這入はいつた。其その根方ねがたの所ところを、草鞋わらぢがけの植木屋うゑきやが丁寧ていねいに薦こもで包くるんでゐた。段々だんん露つゆが凝こつて霜しもになる時節じせつなので、餘裕よゆうのあるものは、もう今時分いまじぶんから手廻てまはしをするのだと氣きが付ついた。
 歸かへりがけに玄關げんくわん脇わきの藥局やくきよくで、粉藥こぐすりの儘まゝ含嗽劑がんそうざいを受取うけとつて、それを百倍ばいの微温湯びをんたうに溶解ようかいして、一日にち十數回すうくわい使用しようすべき注意ちゆういを受うけた時とき、宗助そうすけは會計くわいけいの請求せいきうした治療代ちれうだいの案外あんぐわい廉れんなのを喜よろこんだ。是これならば向むかふで云いふ通とほり四五回くわい通かよつた所ところが、さして困難こんなんでもないと思おもつて、靴くつを穿はかうとすると、今度こんどは靴くつの底そこが何時いつの間まにか破やぶれてゐる事ことに氣きが付ついた。
 宅うちへ着ついた時ときは一足違ひとあしちがひで叔母をばがもう歸かへつたあとであつた。宗助そうすけは、
「おゝ、左さうだつたか」と云いひながら、甚はなはだ面倒めんだうさうに洋服やうふくを脱ぬぎ更かへて、何時いつもの通とほり火鉢ひばちの前まへに坐すわつた。御米およねは襯衣しやつや洋袴ずぼんや靴足袋くつたびを一抱ひとかゝへにして六疊でふへ這入はいつた。宗助そうすけはぼんやりして、烟草たばこを吹ふかし始はじめたが、向むかふの部屋へやで、刷毛ブラツシを掛かける音おとがし出だした時とき、「御米およね、佐伯さへきの叔母をばさんは何なんとか云いつて來きたのかい」と聞きいた。
 齒痛しつうが自おのづから治をさまつたので、秋あきに襲おそはれる樣やうな寒さむい氣分きぶんは、少すこし輕かるくなつたけれども、やがて御米およねが隱袋ぽつけつとから取とり出だして來きた粉藥こぐすりを、温ぬるま湯ゆに溶といて貰もらつて、しきりに含嗽うがひを始はじめた。其時そのとき彼かれは縁側えんがはへ立たつた儘まゝ、
「何どうも日ひが短みじかくなつたなあ」と云いつた。
 やがて日ひが暮くれれた。晝間ひるまからあまり車くるまの音おとを聞きかない町内ちやうないは、宵よひの口くちから寂しんとしてゐた。夫婦ふうふは例れいの通とほり洋燈らんぷの下もとに寄よつた。廣ひろい世よの中なかで、自分達じぶんたちの坐すわつてゐる所丈ところだけが明あかるく思おもはれた。さうして此この明あかるい灯影ひかげに、宗助そうすけは御米およね丈だけを、御米およねは又また宗助そうすけ丈だけを意識いしきして、洋燈ランプの力ちからの屆とゞかない暗くらい社會しやくわいは忘わすれてゐた。彼等かれらは毎晩まいばんかう暮くらして行ゆく裡うちに、自分達じぶんたちの生命せいめいを見出みいだしてゐたのである。
 此この靜しづかな夫婦ふうふは安之助やすのすけの神戸かうべから土産みやげに買かつて來きたと云いふ養老昆布やうらうこぶの罐くわんをがらら振ふつて、中なかから山椒さんしよ入いりの小ちひさく結むすんだ奴やつを撰より出だしながら、緩ゆつくり佐伯さへきからの返事へんじを語かたり合あつた。「然しかし月謝げつしやと小遣こづかひ位ぐらゐは都合つがふして遣やつて呉くれても好よささうなもんぢやないか」
「それが出來できないんだつて。何どう見積みつもつても兩方りやうはう寄よせると、十圓ゑんにはなる。十圓ゑんと云いふ纏まとまつた御金おかねを、今いまの所ところ月々つきき出だすのは骨ほねが折をれるつて云いふのよ」
「夫それぢや此年ことしの暮迄くれまで二十何圓なんゑんづゝか出だして遣やるのも無理むりぢやないか」
「だから、無理むりをしても、もう一二ヶ月げつの所ところ丈だけは間まに合あはせるから、其内そのうちに何どうかして下くださいと、安やすさんが左さう云いふんだつて」
「實際じつさい出來できないのかな」
「夫そりや私わたしには分わからないわ。何なにしろ叔母をばさんが、左さう云いふのよ」
「鰹舟かつをぶねで儲まうけたら、其位そのくらゐ譯わけなささうなもんぢやないか」
「本當ほんたうね」
 御米およねは低ひくい聲こゑで笑わらつた。宗助そうすけも一寸ちよつと口くちの端はたを動うごかしたが、話はなしはそれで途切とぎれて仕舞しまつた。しばらくしてから、
「何なにしろ小六ころくは家うちへ來くると極きめるより外ほかに道みちはあるまいよ。後あとは其上そのうへの事ことだ。今いまぢや學校がくかうへは出でてゐるんだね」と宗助そうすけが云いつた。
「さうでせう」と御米およねが答こたへるのを聞きき流ながして、彼かれは珍めづらしく書齋しよさいに這入はいつた。一時間じかん程ほどして、御米およねがそつと襖ふすまを開あけて覗のぞいて見みると、机つくゑに向むかつて、何なにか讀よんでゐた。「勉強べんきやう? もう御休おやすみなさらなくつて」と誘さそはれた時とき、彼かれは振ふり返かへつて、
「うん、もう寐ねよう」と答こたへながら立たち上あがつた。
 寐ねる時とき、着物きものを脱ぬいで、寐卷ねまきの上うへに、絞しぼりの兵兒帶へこおびをぐるる卷まきつけながら、
「今夜こんやは久ひさし振ぶりに論語ろんごを讀よんだ」と云いつた。
「論語ろんごに何なにかあつて」と御米およねが聞きき返かへしたら、宗助そうすけは、
「いや何なんにもない」と答こたへた。それから、「おい、己おれの齒はは矢やつ張ぱり年としの所爲せゐだとさ。ぐららするのは到底とても癒なほらないさうだ」と云いひつゝ、黒くろい頭あたまを枕まくらの上うへに着つけた。

六

 小六ころくは兎とも角かくも都合つがふ次第しだい下宿げしゆくを引ひき拂はらつて兄あにの家いへへ移うつる事ことに相談さうだんが調とゝのつた。御米およねは六疊でふに置おき付つけた桑くはの鏡臺きやうだいを眺ながめて、一寸ちよつと殘のこり惜をしい顏かほをしたが、
「斯かうなると少すこし遣場やりばに困こまるのね」と訴うつたへる樣やうに宗助そうすけに告つげた。實際じつさい此所こゝを取とり上あげられては、御米およねの御化粧おつくりをする場所ばしよが無なくなつて仕舞しまふのである。宗助そうすけは何なんの工夫くふうも付つかずに、立たちながら、向むかふの窓側まどぎはに据すゑてある鏡かゞみの裏うらを斜はすに眺ながめた。すると角度かくどの具合ぐあひで、其所そこに御米およねの襟元えりもとから片頬かたほゝが映うつつてゐた。それが如何いかにも血色けつしよくのわるい横顏よこがほなのに驚おどろかされて、「御前おまへ、何どうかしたのかい。大變たいへん色いろが惡あるいよ」と云いひながら、鏡かゞみから眼めを放はなして、實際じつさいの御米およねの姿すがたを見みた。鬢びんが亂みだれて、襟えりの後うしろの邊あたりが垢あかで少すこし汚よごれてゐた。御米およねはたゞ、
「寒さむい所爲せゐなんでせう」と答こたへて、すぐ西側にしがはに付ついてゐる一間いつけんの戸棚とだなを明あけた。下したには古ふるい創きずだらけの箪笥たんすがあつて、上うへには支那鞄しなかばんと柳行李やなぎごりが二ふたつ三みつ載のつてゐた。
「こんなもの、何どうしたつて片付かたづけ樣やうがないわね」
「だから其儘そのまゝにして置おくさ」
 小六ころくの此所こゝへ引移ひきうつつて來くるのは、斯かう云いふ點てんから見みて、夫婦ふうふの何いづれにも、多少たせう迷惑めいわくであつた。だから來くると云いつて約束やくそくして置おきながら、今いまだに來こない小六ころくに對たいしては、別段べつだんの催促さいそくもしなかつた。一日いちにち延のびれば延のびた丈だけ窮屈きゆうくつが逃にげた樣やうな氣きが何所どこかでした。小六ころくにも丁度ちやうどそれと同おなじ憚はゞかりがあつたので、居ゐられる限かぎりは下宿げしゆくにゐる方はうが便利べんりだと胸むねを極きめたものか、つい一日いちにち>と引越ひつこしを前さきへ送おくつてゐた。其癖そのくせ彼かれの性質せいしつとして、兄夫婦あにふうふの如ごとく、荏苒じんぜんの境さかひに落付おちついてはゐられなかつたのである。
 其内そのうち薄うすい霜しもが降おりて、裏うらの芭蕉ばせうを見事みごとに摧くだいた。朝あさは崖上がけうへの家主やぬしの庭にはの方はうで、鵯ひよどりが鋭するどい聲こゑを立たてた。夕方ゆふがたには表おもてを急いそぐ豆腐屋とうふやの喇叭らつぱに交まじつて、圓明寺ゑんみやうじの木魚もくぎよの音おとが聞きこえた。日ひは益ますす短みじかくなつた。さうして御米およねの顏色かほいろは、宗助そうすけが鏡かゞみの中なかに認みとめた時ときよりも、爽さやかにはならなかつた。夫をつとが役所やくしよから歸かへつて來きて見みると、六疊でふで寐ねてゐる事ことが一二度どあつた。何どうかしたかと尋たづねると、たゞ少すこし心持こゝろもちが惡わるいと答こたへる丈だけであつた。醫者いしやに見みて貰もらへと勸すゝめると、夫それには及およばないと云いつて取とり合あはなかつた。 宗助そうすけは心配しんぱいした。役所やくしよへ出でてゐても能よく御米およねの事ことが氣きに掛かゝつて、用ようの邪魔じやまになるのを意識いしきする時ときもあつた。所ところがある日ひ歸かへりがけに突然とつぜん電車でんしやの中なかで膝ひざを拍うつた。その日ひは例れいになく元氣げんきよく格子かうしを明あけて、すぐと勢いきほひよく今日けふは何どうだいと御米およねに聞きいた。御米およねが何時いつもの通とほり服ふくや靴足袋くつたびを一纏ひとまとめにして、六疊でふへ這入はいる後あとから追ついて來きて、
「御米およね、御前おまい子供こどもが出來できたんぢやないか」と笑わらひながら云いつた。御米およねは返事へんじもせずに俯向うつむいてしきりに夫をつとの脊廣せびろの埃ほこりを拂はらつた。刷毛ブラツシの音おとが已やんでも中々なかか六疊でふから出でて來こないので、又また行いつて見みると、薄暗うすぐらい部屋へやの中なかで、御米およねはたつた一人ひとり寒さむさうに、鏡臺きやうだいの前まへに坐すわつてゐた。はいと云いつて立たつたが、其聲そのこゑが泣ないた後あとの聲こゑの樣やうであつた。
 其晩そのばん夫婦ふうふは火鉢ひばちに掛かけた鐵瓶てつびんを、双方さうはうから手てで掩おほふ樣やうにして差さし向むかつた。
「何どうですな世よの中なかは」と宗助そうすけが例れいにない浮ういた調子てうしを出だした。御米およねの頭あたまの中なかには、夫婦ふうふにならない前まへの、宗助そうすけと自分じぶんの姿すがたが奇麗きれいに浮うかんだ。「ちつと、面白おもしろくしやうぢやないか。此頃このごろは如何いかにも不景氣ふけいきだよ」と宗助そうすけが又また云いつた。二人ふたりは夫それから今度こんどの日曜にちえうには一所いつしよに何所どこへ行いかうか、此所こゝへ行いかうかと、しばらく夫それ許ばかり話はなし合あつてゐた。夫それから二人ふたりの春着はるぎの事ことが題目だいもくになつた。宗助そうすけの同僚どうれうの高木たかぎとか云いふ男をとこが、細君さいくんに小袖こそでとかを強請ねだられた時とき、おれは細君さいくんの虚榮心きよえいしんを滿足まんぞくさせる爲ために稼かせいでるんぢやないと云いつて跳はね付つけたら、細君さいくんがそりや非道ひどい、實際じつさい寒さむくなつても着きて出でるものがないんだと辯解べんかいするので、寒さむければ已やむを得えない、夜具やぐを着きるとか、毛布けつとを被かぶるとかして、當分たうぶん我慢がまんしろと云いつた話はなしを、宗助そうすけは可笑おかしく繰くり返かへして御米およねを笑わらはした。御米およねは夫をつとの此この樣子やうすを見みて、昔むかしが又また眼めの前まへに戻もどつた樣やうな氣きがした。
「高木たかぎの細君さいくんは夜具やぐでも構かまはないが、おれは一ひとつ新あたらしい外套ぐわいたうを拵こしらえたいな。此間このあひだ齒醫者はいしやへ行いつたら、植木屋うゑきやが薦こもで盆栽ぼんさいの松まつの根ねを包つゝんでゐたので、つくく左さう思おもつた」
「外套ぐわいたうが欲ほしいつて」
「あゝ」
 御米およねは夫をつとの顏かほを見みて、さも氣きの毒どくだと云いふ風ふうに、「御拵おこしらえなさいな。月賦げつぷで」と云いつた。宗助そうすけは、
「まあ止よさうよ」と急きふに侘わびしく答こたへた。さうして「時ときに小六ころくは何時いつから來くる氣きなんだらう」と聞きいた。
「來くるのは厭いやなんでせう」と御米およねが答こたへた。御米およねには、自分じぶんが始はじめから小六ころくに嫌きらはれてゐると云いふ自覺じかくがあつた。それでも夫をつとの弟おとうとだと思おもふので、成なるべくは反そりを合あはせて、少すこしでも近ちかづける樣やうににと、今日迄こんにちまで仕向しむけて來きた。その爲ためか、今いまでは以前いぜんと違ちがつて、まあ普通ふつうの小舅こじうと位ぐらゐの親したしみはあると信しんじてゐる樣やうなものゝ、斯こんな場合ばあひになると、つい實際じつさい以上いじやうにも氣きを回まはして、自分丈じぶんだけが小六ころくの來こない唯一ゆゐいつの原因げんいんの樣やうに考かんがへられるのであつた。
「そりや下宿げしゆくからこんな所ところへ移うつるのは好よかあないだらうよ。丁度ちやうど此方こつちが迷惑めいわくを感かんずる通とほり、向むかふでも窮屈きゆうくつを感かんずる譯わけだから。おれだつて、小六ころくが來こないとすれば、今いまのうち思おもひ切きつて外套ぐわいたうを作つくる丈だけの勇氣ゆうきがあるんだけれども」
 宗助そうすけは男丈をとこだけに思おもひ切きつて斯かう云いつて仕舞しまつた。けれども是丈これだけでは御米およねの心こゝろを盡つくしてゐなかつた。御米およねは返事へんじもせずに、しばらく默だまつてゐたが、細ほそい腮あごを襟えりの中なかへ埋うめた儘まゝ、上眼うはめを使つかつて、「小六ころくさんは、まだ私わたくしの事ことを惡にくんでゐらつしやるでせうか」と聞きき出だした。宗助そうすけが東京とうきやうへ來きた當座たうざは、時々ときき是これに類似るゐじの質問しつもんを御米およねから受うけて、其その都度つど慰なぐさめるのに大分だいぶ骨ほねの折をれた事こともあつたが、近來きんらいは全まつたく忘わすれた樣やうに何なにも云いはなくなつたので、宗助そうすけもつい氣きに留とめなかつたのである。
「又またヒステリーが始はじまつたね。好いいぢやないか小六ころくなんぞが、何どう思おもつたつて。己おれさえ付ついてれば」
「論語ろんごにさう書かいてあつて」
 御米およねは斯こんな時ときに、斯かういふ冗談じようだんを云いふ女をんなであつた。宗助そうすけは
「うん、書かいてある」と答こたへた。夫それで二人ふたりの會話くわいわが仕舞しまひになつた。
 翌日よくじつ宗助そうすけが眼めを覺さますと、亞鉛張とたんばりの庇ひさしの上うへで寒さむい音おとがした。御米およねが襷掛たすきがけの儘まゝ枕元まくらもとへ來きて、
「さあ、もう時間じかんよ」と注意ちゆういしたとき、彼かれは此この點滴てんてきの音おとを聞ききながら、もう少すこし暖あたゝかい蒲團ふとんの中なかに温ぬくもつてゐたかつた。けれども血色けつしよくの可よくない御米およねの、甲斐々々かひひしい姿すがたを見みるや否いなや、
「おい」と云いつて直すぐ起おき上あがつた。
 外そとは濃こい雨あめに鎖とざされてゐた。崖がけの上うへの孟宗竹まうそうちくが時々ときき鬣たてがみを振ふるふ樣やうに、雨あめを吹ふいて動うごいた。此この侘わびしい空そらの下したへ濡ぬれに出でる宗助そうすけに取とつて、力ちからになるものは、暖あたゝかい味噌汁みそしると暖あたゝかい飯めしより外ほかになかつた。「又また靴くつの中なかが濡ぬれる。何どうしても二足にそく持もつてゐないと困こまる」と云いつて、底そこに小ちひさい穴あなのあるのを仕方しかたなしに穿はいて、洋袴ずぼんの裾すそを一寸いつすん許ばかりまくり上あげた。
 午過ひるすぎに歸かへつて來きて見みると、御米およねは金盥かなだらひの中なかに雜巾ざふきんを浸つけて、六疊でふの鏡臺きやうだいの傍そばに置おいてゐた。其上そのうへの所ところ丈だけ天井てんじやうの色いろが變かはつて、時々ときき雫しづくが落おちて來きた。
「靴くつばかりぢやない。家うちの中なか迄まで濡ぬれるんだね」と云いつて宗助そうすけは苦笑くせうした。御米およねは其晩そのばん夫をつとの爲ために置炬燵おきごたつへ火ひを入いれて、スコツチの靴下くつしたと縞羅紗しまラシヤの洋袴ずぼんを乾かわかした。
 明あくる日ひも亦また同おなじ樣やうに雨あめが降ふつた。夫婦ふうふも亦また同おなじ樣やうに同おなじ事ことを繰くり返かへした。その明あくる日ひもまだ晴はれなかつた。三日目みつかめの朝あさになつて、宗助そうすけは眉まゆを縮ちゞめて舌打したうちをした。
「何時いつ迄まで降ふる氣きなんだ。靴くつがじめめして我慢がまんにも穿はけやしない」
「六疊でふだつて困こまるわ、あゝ漏もつちや」
 夫婦ふうふは相談さうだんして、雨あめが晴はれ次第しだい、家根やねを繕つくろつて貰もらふ樣やうに家主やぬしへ掛かけ合あふ事ことにした。けれども靴くつの方はうは何なんとも仕樣しやうがなかつた。宗助そうすけはきしんで這入はいらないのを無理むりに穿はいて出でて行いつた。 幸さいはひに其その日ひは十一時頃じごろからからりと晴はれて、垣かきに雀すゞめの鳴なく小春日和こはるびよりになつた。宗助そうすけが歸かへつた時とき、御米およねは例いつもより冴さええしい顏色かほいろをして、
「貴方あなた、あの屏風びやうぶを賣うつちや不可いけなくつて」と突然とつぜん聞きいた。抱一はういつの屏風びやうぶは先達せんだつて佐伯さへきから受取うけとつた儘まゝ、元もとの通とほり書齋しよさいの隅すみに立たてゝあつたのである。二枚折まいをりだけれども、座敷ざしきの位置ゐちと廣ひろさから云いつても、實じつは寧むしろ邪魔じやまな裝飾さうしよくであつた。南みなみへ廻まはすと、玄關げんくわんからの入口いりぐちを半分はんぶん塞ふさいで仕舞しまふし、東ひがしへ出だすと暗くらくなる、と云いつて、殘のこる一方いつぽうへ立たてれば床とこの間まを隱かくすので、宗助そうすけは、
「折角せつかく親爺おやぢの記念かたみだと思おもつて、取とつて來きた樣やうなものゝ、仕樣しやうがないね是これぢや、場塞ばふさげで」と零こぼした事ことも一二度どあつた。其その都度つど御米およねは眞丸まんまるな縁ふちの燒やけた銀ぎんの月つきと、絹地きぬぢから殆ほとんど區別くべつ出來できない樣やうな穗芒ほすゝきの色いろを眺ながめて、斯こんなものを珍重ちんちようする人ひとの氣きが知しれないと云いふ樣やうな見みえをした。けれども、夫をつとを憚はゞかつて、明白あからさまには何なんとも云いひ出ださなかつた。たゞ一返ぺん
「是これでも可いい繪ゑなんでせうかね」と聞きいた事ことがあつた。其その時とき宗助そうすけは始はじめて抱一はういつの名なを御米およねに説明せつめいして聞きかした。然しかしそれは自分じぶんが昔むかし父ちゝから聞きいた覺おぼえのある、朧氣おぼろげな記憶きおくを好加減いゝかげんに繰くり返かへすに過すぎなかつた。實際じつさいの畫ゑの價値かちや、又また抱一はういつに就ついての詳くはしい歴史れきしなどに至いたると宗助そうすけにも其實そのじつ甚はなはだ覺束おぼつかなかつたのである。 所ところがそれが偶然ぐうぜん御米およねのために妙めうな行爲かうゐの動機どうきを構成かたちづくる原因げんいんとなつた。過去くわこ一週間しうかん夫をつとと自分じぶんの間あひだに起おこつた會話くわいわに、不圖ふと此この知識ちしきを結むすび付つけて考かんがへ得えた彼女かのぢよは一寸ちよつと微笑ほゝゑんだ。この日ひ雨あめが上あがつて、日脚ひあしがさつと茶ちやの間まの障子しやうじに射さした時とき、御米およねは不斷着ふだんぎの上うへへ、妙めうな色いろの肩掛かたかけとも、襟卷えりまきとも付つかない織物おりものを纏まとつて外そとへ出でた。通とほりを二丁目ちやうめ程ほど來きて、それを電車でんしやの方角はうがくへ曲まがつて眞直まつすぐに來くると、乾物屋かんぶつやと麺麭屋ぱんやの間あひだに、古道具ふるだうぐを賣うつてゐる可かなり大おほきな店みせがあつた。御米およねはかつて其所そこで足あしの疊たゝみ込こめる食卓しよくたくを買かつた記憶きおくがある。今いま火鉢ひばちに掛かけてある鐵瓶てつびんも、宗助そうすけが此所こゝから提さげて歸かへつたものである。
 御米およねは手てを袖そでにして道具屋だうぐやの前まへに立たち留どまつた。見みると相變あひかはらず新あたらしい鐵瓶てつびんが澤山たくさん並ならべてあつた。其外そのほかには時節柄じせつがらとでも云いふのか火鉢ひばちが一番いちばん多おほく眼めに着ついた。然しかし骨董こつとうと名なのつく程ほどのものは、一ひとつもない樣やうであつた。ひとり何なんとも知しれぬ大おほきな龜かめの甲かふが、眞向まむかふに釣つるしてあつて、其下そのしたから長ながい黄きばんだ拂子ほつすが尻尾しつぽの樣やうに出でてゐた。それから紫檀したんの茶棚ちやだなが一ひとつ二ふたつ飾かざつてあつたが、何いづれも狂くるひの出でさうな生なまなもの許ばかりであつた。然しかし御米およねにはそんな區別くべつは一向いつかう映うつらなかつた。たゞ掛物かけものも屏風びやうぶも一ひとつも見當みあたらない事こと丈だけ確たしかめて、中なかへ這入はいつた。 御米およねは無論むろん夫をつとが佐伯さへきから受取うけとつた屏風びやうぶを、幾何いくらかに賣うり拂はらふ積つもりでわざざ此所こゝ迄まで足あしを運はこんだのであるが、廣島ひろしま以來いらいかう云いふ事ことに大分だいぶ經驗けいけんを積つんだ御蔭おかげで、普通ふつうの細君さいくんの樣やうな努力どりよくも苦痛くつうも感かんぜずに、思おもひ切きつて亭主ていしゆと口くちを利きく事ことが出來できた。亭主ていしゆは五十恰好がつかうの色いろの黒くろい頬ほゝの瘠こけた男をとこで、鼈甲べつかふの縁ふちを取とつた馬鹿ばかに大おほきな眼鏡めがねを掛かけて、新聞しんぶんを讀よみながら、疣いぼだらけの唐金からかねの火鉢ひばちに手てを翳かざしてゐた。
「さうですな、拜見はいけんに出でても可ようがす」と輕かるく受合うけあつたが、別べつに氣きの乘のつた樣子やうすもないので、御米およねは腹はらの中なかで少すこし失望しつばうした。然しかし自分じぶんからが既すでに大たいした望のぞみを抱いだいて出でて來きた譯わけでもないので、斯かう簡易かんいに受うけられると、此方こつちから頼たのむ樣やうにしても、見みて貰もらはなければならなかつた。
「可ようがす。ぢや後程のちほど伺うかゞひませう。今いま小僧こぞうが一寸ちよつと出でて居をりませんからな」
 御米およねは此この存在ぞんざいな言葉ことばを聞きいて其儘そのまゝ宅うちへ歸かへつたが、心こゝろの中なかでは、果はたして道具屋だうぐやが來くるか來こないか甚はなはだ疑うたがはしく思おもつた。一人ひとりで何時いつもの樣やうに簡單かんたんな食事しよくじを濟すまして、清きよに膳ぜんを下さげさしてゐると、いきなり御免ごめん下くださいと云いつて、大おほきな聲こゑを出でして道具屋だうぐやが玄關げんくわんから遣やつて來きた。座敷ざしきへ上あげて、例れいの屏風びやうぶを見みせると、成程なるほどと云いつて裏うらだの縁ふちだのを撫なでてゐたが、「御拂おはらひになるなら」と少すこし考かんがへて、「六圓ゑんに頂いたゞいて置おきませう」と否々いややさうに價ねを付つけた。御米およねには道具屋だうぐやの付つけた相場さうばが至當したうの樣やうに思おもはれた。けれども一應いちおう宗助そうすけに話はなしてからでなくつては、餘あまり專斷せんだん過すぎると心付こゝろづいた上うへ、品物しなものの歴史れきしが歴史れきしだけに、猶更なほさら遠慮ゑんりよして、何いづれ歸かへつたら能よく相談さうだんして見みた上うへでと答こたへた儘まゝ、道具屋だうぐやを歸かへさうとした。道具屋だうぐやは出掛でがけに、
「ぢや、奧おくさん折角せつかくだから、もう一圓ゑん奮發ふんぱつしませう。夫それで御拂おはらひ下ください」と云いつた。御米およねは其時そのとき思おもひ切きつて、
「でも、道具屋だうぐやさん、ありや抱一はういつですよ」と答こたへて、腹はらの中なかではひやりとした。道具屋だうぐやは、平氣へいきで、
「抱一はういつは近來きんらい流行はやりませんからな」と受うけ流ながしたが、じろろ御米およねの姿すがたを眺ながめた上うへ、
「ぢや猶なほ能よく御相談ごさうだんなすつて」と云いひ捨すてゝ歸かへつて行いつた。
 御米およねは其時そのときの模樣もやうを詳くはしく話はなした後あとで、
「賣うつちや不可いけなくつて」と又また無邪氣むじやきに聞きいた。
 宗助そうすけの頭あたまの中なかには、此この間あひだから物質上ぶつしつじやうの欲求よくきうが、絶たえず動うごいてゐた。たゞ地味ぢみな生活せいくわつをしなれた結果けつくわとして、足たらぬ家計くらしを足たると諦あきらめる癖くせが付ついてゐるので、毎月まいげつ極きまつて這入はいるものゝ外ほかには、臨時りんじに不意ふいの工面くめんをしてまで、少すこしでも常つね以上いじやうに寛くつろいで見みやうと云いふ働はたらきは出でなかつた。話はなしを聞きいたとき彼かれは寧むしろ御米およねの機敏きびんな才覺さいかくに驚おどろかされた。同時どうじに果はたして夫丈それだけの必要ひつえうがあるかを疑うたがつた。御米およねの思おもはくを聞きいて見みると、此所こゝで十圓ゑん足たらずの金かねが入はひれば、宗助そうすけの穿はく新あたらしい靴くつを誂あつらへた上うへ、銘仙めいせんの一反たん位ぐらゐは買かへると云いふのである。宗助そうすけは夫それもさうだと思おもつた。けれども親おやから傳つたはつた抱一はういつの屏風びやうぶを一方いつぱうに置おいて、片方かたはうに新あたらしい靴くつ及および新あたらしい銘仙めいせんを並ならべて考かんがへて見みると、此この二ふたつを交換かうくわんする事ことが如何いかにも突飛とつぴで且かつ滑稽こつけいであつた。「賣うるなら賣うつて可いいがね。どうせ家うちに在あつたつて邪魔じやまになる許ばかりだから。けれども己おれはまだ靴くつは買かはないでも濟すむよ。此間中このあひだぢゆう見みた樣やうに、降ふり續つゞけに降ふられると困こまるが、もう天氣てんきも好よくなつたから」
「だつて又また降ふると困こまるわ」
 宗助そうすけは御米およねに對たいして永久えいきうに天氣てんきを保證ほしようする譯わけにも行ゆかなかつた。御米およねも降ふらない前まへに是非ぜひ屏風びやうぶを賣うれとも云いひかねた。二人ふたりは顏かほを見合みあはして笑わらつてゐた。やがて、
「安過やすすぎるでせうか」と御米およねが聞きいた。
「左さうさな」と宗助そうすけが答こたへた。
 彼かれは安やすいと云いはれゝば、安やすい樣やうな氣きがした。もし買手かひてがあれば、買手かひての出だす丈だけの金かねは幾何いくらでも取とりたかつた。彼かれは新聞しんぶんで、近來きんらい古書畫こしよぐわの入札にふさつが非常ひじやうに高價かうかになつた事ことを見みた樣やうな心持こゝろもちがした。責せめてそんなものが一幅ぷくでもあつたらと思おもつた。けれども夫それは自分じぶんの呼吸こきふする空氣くうきの屆とゞくうちには、落おちてゐないものと諦あきらめてゐた。
「買手かひてにも因よるだらうが、賣手うりてにも因よるんだよ。いくら名畫めいぐわだつて、己おれが持もつてゐた分ぶんには到底たうていさう高たかく賣うれつこはないさ。然しかし七圓ゑんや八圓ゑんてえな、餘あんまり安やすい樣やうだね」
 宗助そうすけは抱一はういつの屏風びやうぶを辯護べんごすると共ともに、道具屋だうぐやをも辯護べんごする樣やうな語氣きを洩もらした。さうしてたゞ自分じぶん丈だけが辯護べんごに價あたひしないものゝ樣やうに感かんじた。御米およねも少すこし氣きを腐くさらした氣味きみで、屏風びやうぶの話はなしは夫それなりにした。 翌日あくるひ宗助そうすけは役所やくしよへ出でて、同僚どうれうの誰彼だれかれに此この話はなしをした。すると皆みな申まをし合あはせた樣やうに、夫それは價ねぢやないと云いつた。けれども誰だれも自分じぶんが周旋しうせんして、相當さうたうの價ねに賣拂うりはらつてやらうと云いふものはなかつた。又またどう云いふ筋すぢを通とほれば、馬鹿ばかな目めに逢あはないで濟すむといふ手續てつゞきを教をしへて呉くれるものもなかつた。宗助そうすけは矢張やつぱり横町よこちやうの道具屋だうぐやに屏風びやうぶを賣うるより外ほかに仕方しかたがなかつた。それでなければ元もとの通とほり邪魔じやまでも何なんでも座敷ざしきへ立たてゝ置おくより外ほかに仕方しかたがなかつた。彼かれは元もとの通とほりそれを座敷ざしきへ立たてゝ置おいた。すると道具屋だうぐやが來きて、あの屏風びやうぶを十五圓ゑんに賣うつてくれと云いひ出でした。夫婦ふうふは顏かほを見合みあはして微笑ほゝゑんだ。もう少すこし賣うらずに置おいて見樣みやうぢやないかと云いつて、賣うらずに置おいた。すると道具屋だうぐやが又また來きた。又また賣うらなかつた。御米およねは斷ことわるのが面白おもしろくなつて來きた。四度目よたびめには知しらない男をとこを一人ひとり連つれて來きたが、其その男をとことこそこそ相談さうだんして、とうう三十五圓ゑんに價ねを付つけた。其時そのとき夫婦ふうふも立たちながら相談さうだんした。さうして遂つひに思おもひ切きつて屏風びやうぶを賣うり拂はらつた。

七

 圓明寺ゑんみやうじの杉すぎが焦こげた樣やうに赭黒あかぐろくなつた。天氣てんきの好いい日ひには、風かぜに洗あらはれた空そらの端はずれに、白しろい筋すぢの嶮けはしく見みえる山やまが出でた。年としは宗助そうすけ夫婦ふうふを驅かつて日毎ひごとに寒さむい方はうへ吹ふき寄よせた。朝あさになると缺かかさず通とほる納豆賣なつとううりの聲こゑが、瓦かはらを鎖とざす霜しもの色いろを連想れんさうせしめた。宗助そうすけは床とこの中なかで其その聲こゑを聞ききながら、又また冬ふゆが來きたと思おもひ出だした。御米およねは臺所だいどころで、今年ことしも去年きよねんの樣やうに水道すゐだうの栓せんが氷こほつて呉くれなければ助たすかるがと、暮くれから春はるへ掛かけての取越苦勞とりこしぐらうをした。夜よるになると夫婦ふうふとも炬燵こたつにばかり親したしんだ。さうして廣島ひろしまや福岡ふくをかの暖あたゝかい冬ふゆを羨うらやんだ。「丸まるで前まへの本多ほんださん見みた樣やうね」と御米およねが笑わらつた。前まへの本多ほんださんと云いふのは、矢張やはり同おなじ構内かまへうちに住すんで、同おなじ坂井さかゐの貸家かしやを借かりてゐる隱居夫婦いんきよふうふであつた。小女こをんなを一人ひとり使つかつて、朝あさから晩迄ばんまでことりと音おともしない樣やうに靜しづかな生計くらしを立たてゝゐた。御米およねが茶ちやの間まで、たつた一人ひとり裁縫しごとをしてゐると、時々ときき御爺おぢいさんと云いふ聲こゑがした。それは此この本多ほんだの御婆おばあさんが夫をつとを呼よぶ聲こゑであつた。門口かどぐち抔などで行ゆき逢あふと、丁寧ていねいに時候じこうの挨拶あいさつをして、ちと御話おはなしに入いらつしやいと云いふが、遂つひぞ行いつた事こともなければ、向むかふからも來きた試ためしがない。從したがつて夫婦ふうふの本多ほんださんに關くわんする知識ちしきは極きはめて乏とぼしかつた。たゞ息子むすこが一人ひとりあつて、それが朝鮮てうせんの統監府とうかんふとかで、立派りつぱな役人やくにんになつてゐるから、月々つきき其方そのはうの仕送しおくりで、氣樂きらくに暮くらして行ゆかれるのだと云いふ事こと丈だけを、出入でいりの商人しやうにんのあるものから耳みゝにした。
「御爺おぢいさんは矢やつ張ぱり植木うゑきを弄いぢつてゐるかい」
「段々だんん寒さむくなつたから、もう已やめたんでせう。縁えんの下したに植木鉢うゑきばちが澤山たくさん並ならんでるわ」
 話はなしは夫それから前まへの家うちを離はなれて、家主やぬしの方はうへ移うつつた。是これは、本多ほんだとは丸まるで反對はんたいで、夫婦ふうふから見みると、此上このうへもない賑にぎやかさうな家庭かていに思おもはれた。此頃このごろは庭にはが荒あれてゐるので、大勢おほぜいの小供こどもが崖がけの上うへへ出でて騷さわぐ事ことがなくなつたが、ピヤノの音おとは毎晩まいばんの樣やうにする。折々をりりは下女げぢよか何なんぞの、臺所だいどころの方はうで高笑たかわらひをする聲こゑさへ、宗助そうすけの茶ちやの間ま迄まで響ひゞいて來きた。「ありや一體いつたい何なにをする男をとこなんだい」と宗助そうすけが聞きいた。此この問とひは今迄いままでも幾度いくたびか御米およねに向むかつて繰くり返かへされたものであつた。
「何なんにもしないで遊あすんでるんでせう。地面ぢめんや家作かさくを持もつて」と御米およねが答こたへた。此この答こたへも今迄いままでにもう何遍なんべんか宗助そうすけに向むかつて繰くり返かへされたものであつた。
 宗助そうすけは是これより以上いじやう立たち入いつて坂井さかゐの事ことを聞きいた事ことがなかつた。學校がくかうを已やめた當座たうざは、順境じゆんきやうにゐて得意とくいな振舞ふるまひをするものに逢あふと、今いまに見みろと云いふ氣きも起おこつた。それが少時しばらくすると、單たんなる憎惡ぞうをの念ねんに變化へんくわした。所ところが一二年ねん此方このかたは全まつたく自他じたの差違さゐに無頓着むとんぢやくになつて、自分じぶんは自分じぶんの樣やうに生うまれ付ついたもの、先さきは先さきの樣やうな運うんを持もつて世よの中なかへ出でて來きたもの、兩方共りやうはうとも始はじめから別種類べつしゆるゐの人間にんげんだから、たゞ人間にんげんとして生息せいそくする以外いぐわいに、何なんの交渉かうせふも利害りがいもないのだと考かんがへる樣やうになつてきた。たまに世間話せけんばなしの序ついでとして、ありや一體いつたい何なにをしてゐる人ひとだ位ぐらゐは聞ききもするが、それより先さきは、教をしへて貰もらふ努力どりよくさへ出だすのが面倒めんだうだつた。御米およねにもこれと同おなじ傾かたむきがあつた。けれども其夜そのよは珍めづらしく、坂井さかゐの主人しゆじんは四十恰好がつかうの髯ひげのない人ひとであると云いふ事ことやら、ピヤノを彈ひくのは惣領そうりやうの娘むすめで十二三になると云いふ事ことやら、又また外ほかの家うちの小供こどもが遊あそびに來きても、ブランコへ乘のせて遣やらないと云いふ事ことやらを話はなした。「何故なぜ外ほかの家うちの子供こどもはブランコへ乘のせないんだい」
「詰つまり吝けちなんでせう。早はやく惡わるくなるから」
 宗助そうすけは笑わらひ出だした。彼かれは其位そのくらゐ吝嗇けちな家主やぬしが、屋根やねが漏もると云いへば、すぐ瓦師かはらしを寄よこして呉くれる、垣かきが腐くさつたと訴うつたへればすぐ植木屋うゑきやに手てを入いれさして呉くれるのは矛盾むじゆんだと思おもつたのである。
 其晩そのばん宗助そうすけの夢ゆめには本多ほんだの植木鉢うゑきばちも坂井さかゐのブランコもなかつた。彼かれは十時半頃じはんごろ床とこに入はひつて、萬象ばんしやうに疲つかれた人ひとの樣やうに鼾いびきをかいた。此間このあひだから頭あたまの具合ぐあひがよくないため、寐付ねつきの惡わるいのを苦くにしてゐた御米およねは、時々ときき眼めを開あけて薄暗うすぐらい部屋へやを眺ながめた。細ほそい灯ひが床とこの間まの上うへに乘のせてあつた。夫婦ふうふは夜中よぢゆう燈火あかりを點つけて置おく習慣しふくわんが付ついてゐるので、寐ねる時ときはいつでも心しんを細目ほそめにして洋燈らんぷを此所こゝへ上あげた。
 御米およねは氣きにする樣やうに枕まくらの位置ゐちを動うごかした。さうして其度そのたびに、下したにしてゐる方はうの肩かたの骨ほねを、蒲團ふとんの上うへで滑すべらした。仕舞しまひには腹這はらばひになつた儘まゝ、兩肱りやうひぢを突ついて、しばらく夫をつとの方はうを眺ながめてゐた。夫それから起おき上あがつて、夜具やぐの裾すそに掛かけてあつた不斷着ふだんぎを、寐卷ねまきの上うへへ羽織はおつたなり、床とこの間まの洋燈らんぷを取とり上あげた。「貴方々々あなたた」と宗助そうすけの枕元まくらもとへ來きて曲こゞみながら呼よんだ。其時そのとき夫をつとはもう鼾いびきをかいてゐなかつた。けれども、元もとの通とほり深ふかい眠ねむりから來くる呼吸いきを續つゞけてゐた。御米およねは又また立たち上あがつて、洋燈らんぷを手てにした儘まゝ、間あひの襖ふすまを開あけて茶ちやの間まへ出でた。暗くらい部屋へやが茫漠ぼんやり手元てもとの灯ひに照てらされた時とき、御米およねは鈍にぶく光ひかる箪笥たんすの環くわんを認みとめた。夫それを通とほり過すぎると黒くろく燻くすぶつた臺所だいどころに、腰障子こししやうじの紙丈かみだけが白しろく見みえた。御米およねは火ひの氣けのない眞中まんなかに、少時しばらく佇たゝずんでゐたが、やがて右手みぎてに當あたる下女部屋げぢよべやの戸とを、音おとのしない樣やうにそつと引ひいて、中なかへ洋燈らんぷの灯ひを翳かざした。下女げぢよは縞しまも色いろも判然はつきり映うつらない夜具やぐの中なかに、土龍もぐらの如ごとく塊かたまつて寐ねてゐた。今度こんどは左側ひだりがはの六疊でふを覗のぞいた。がらんとして淋さみしい中なかに、例れいの鏡臺きやうだいが置おいてあつて、鏡かゞみの表おもてが夜中よなか丈だけに凄すごく眼めに應こたへた。
 御米およねは家中うちぢゆうを一回ひとまはり回まはつた後あと、凡すべてに異状いじやうのない事ことを確たしかめた上うへ、又また床とこの中なかへ戻もどつた。さうして漸やうやく眼めを眠ねむつた。今度こんどは好いい具合ぐあひに、眼蓋まぶたのあたりに氣きを遣つかはないで濟すむ樣やうに覺おぼえて、少時しばらくするうちに、うとととした。 すると又また不圖ふと眼めが開あいた。何なんだかずしんと枕元まくらもとで響ひゞいた樣やうな心持こゝろもちがする。耳みゝを枕まくらから離はなして考かんがへると、それはある大おほきな重おもいものが裏うらの崖がけから自分達じぶんたちの寐ねてゐる座敷ざしきの縁えんの外そとへ轉ころがり落おちたとしか思おもはれなかつた。しかも今いま眼めが覺さめるすぐ前まへに起おこつた出來事できごとで、決けつして夢ゆめの續つゞきぢやないと考かんがへた時とき、御米およねは急きふに氣味きみを惡わるくした。さうして傍そばに寐ねてゐる夫をつとの夜具やぐの袖そでを引ひいて、今度こんどは眞面目まじめに宗助そうすけを起おこし始はじめた。
 宗助そうすけは夫迄それまで全まつたく能よく寐ねてゐたが、急きふに眼めが覺さめると、御米およねが、
「貴方あなた一寸ちよつと起おきて下ください」と搖ゆすつてゐたので、半分はんぶんは夢中むちゆうに、
「おい、好よし」とすぐ蒲團ふとんの上うへへ起おき直なほつた。御米およねは小聲こごゑで先刻さつきからの樣子やうすを話はなした。
「音おとは一遍いつぺんした限ぎりなのかい」
「だつて今いました許ばかりなのよ」
 二人ふたりはそれで默だまつた。たゞ凝じつと外そとの樣子やうすを伺うかゞつてゐた。けれども世間せけんは森しんと靜しづかであつた。いつまで耳みゝを峙そばだてゝゐても、再ふたゝび物ものの落おちて來くる氣色けしきはなかつた。宗助そうすけは寒さむいと云いひ乍ながら、單衣ひとへの寐卷ねまきの上うへへ羽織はおりを被かぶつて、縁側えんがはへ出でて、雨戸あまどを一枚まい繰くつた。外そとを覗のぞくと何なんにも見みえない。たゞ暗くらい中なかから寒さむい空氣くうきが俄にはかに肌はだに逼せまつて來きた。宗助そうすけはすぐ戸とを閉たてた。 鐉かきがねを卸おろして座敷ざしきへ戻もどるや否いなや、また蒲團ふとんの中なかへ潛もぐり込こんだが、
「何なんにも變かはつた事ことはありやしない。多分たぶん御前おまへの夢ゆめだらう」と云いつて、宗助そうすけは横よこになつた。御米およねは決けつして夢ゆめでないと主張しゆちやうした。慥たしかに頭あたまの上うへで大おほきな音おとがしたのだと固執こしつした。宗助そうすけは夜具やぐから半分はんぶん出だした顏かほを、御米およねの方はうへ振ふり向むけて、
「御米およね、御前おまへは神經しんけいが過敏くわびんになつて、近頃ちかごろ何どうかしてゐるよ。もう少すこし頭あたまを休やすめて能よく寐ねる工夫くふうでもしなくつちや不可いけない」と云いつた。
 其時そのとき次つぎの間まの柱時計はしらどけいが二時じを打うつた。其音そのおとで二人ふたりとも一寸ちよつと言葉ことばを途切とぎらして、默だまつて見みると、夜よは更さらに靜しづまり返かへつた樣やうに思おもはれた。二人ふたりは眼めが冴さえて、すぐ寐付ねつかれさうにもなかつた。御米およねが、
「でも貴方あなたは氣樂きらくね。横よこになると十分ぷん經たたないうちに、もう寐ねて入いらつしやるんだから」と云いつた。
「寐ねる事ことは寐ねるが、氣きが樂らくで寐ねられるんぢやない。つまり疲つかれるからよく寐ねるんだらう」と宗助そうすけが答こたへた。
 斯こんな話はなしをしてゐるうちに宗助そうすけは又また寐入ねいつて仕舞しまつた。御米およねは依然いぜんとして、のつそつ床とこの中なかで動うごいてゐた。すると表おもてをがららと烈はげしい音おとを立たてゝ車くるまが一臺いちだい通とほつた。近頃ちかごろ御米およねは時々ときき夜明前よあけまへの車くるまの音おとを聞きいて驚おどろかされる事ことがあつた。さうして夫それを思おもひ合あはせると、何時いつも似寄によつた刻限こくげんなので、必竟ひつきやうは毎朝まいあさ同おなじ車くるまが同おなじ所ところを通とほるのだらうと推測すゐそくした。多分たぶん牛乳ぎうにゆうを配達はいたつするためか抔などで、あゝ急いそぐに違ちがひないと極きめてゐたから、此音このおとを聞きくと等ひとしく、もう夜よが明あけて、隣人りんじんの活動くわつどうが始はじまつた如ごとくに、心丈夫こゝろぢやうぶになつた。さう斯かうしてゐると、何所どこかで鷄とりの聲こゑが聞きこえた。又また少時しばらくすると、下駄げたの音おとを高たかく立たてゝ徃來わうらいを通とほるものがあつた。そのうち清きよが下女部屋げぢよべやの戸とを開あけて厠かはやへ起おきた模樣もやうだつたが、やがて茶ちやの間まへ來きて時計とけいを見みてゐるらしかつた。此時このとき床とこの間まに置おいた洋燈らんぷの油あぶらが減へつて、短みじかい心しんに屆とゞかなくなつたので、御米およねの寐ねてゐる所ところは眞暗まつくらになつてゐた。其所そこへ清きよの手てにした灯火あかりの影かげが、襖ふすまの間あひだから射さし込こんだ。「清きよかい」と御米およねが聲こゑを掛かけた。
 清きよは夫それからすぐ起おきた。三十分ぷん程ほど經たつて御米およねも起おきた。又また三十分ぷん程ほど經たつて宗助そうすけも遂つひに起おきた。平常いつもは好いい時分じぶんに御米およねが遣やつて來きて、
「もう起おきても可よくつてよ」と云いふのが例れいであつた。日曜にちえうとたまの旗日はたびには、それが、
「さあ最もう起おきて頂戴ちようだい」に變かはる丈だけであつた。然しかし今日けふは昨夕ゆうべの事ことが何なんとなく氣きにかゝるので、御米およねの迎むかひに來こないうち宗助そうすけは床とこを離はなれた。さうして直すぐ崖下がけしたの雨戸あまどを繰くつた。
 下したから覗のぞくと、寒さむい竹たけが朝あさの空氣くうきに鎖とざされて凝じつとしてゐる後うしろから、霜しもを破やぶる日ひの色いろが射さして、幾分いくぶんか頂いたゞきを染そめてゐた。其その二尺にしやく程ほど下したの勾配こうばいの一番いちばん急きふな所ところに生はえてゐる枯草かれくさが、妙めうに摺すり剥むけて、赤土あかつちの肌はだを生々なまましく露出ろしゆつした樣子やうすに、宗助そうすけは一寸ちよつと驚おどろかされた。それから一直線いつちよくせんに降おりて、丁度ちやうど自分じぶんの立たつてゐる縁鼻えんばなの土つちが、霜柱しもばしらを摧くだいた樣やうに荒あれてゐた。宗助そうすけは大おほきな犬いぬでも上うへから轉ころがり落おちたのぢやなからうかと思おもつた。然しかし犬いぬにしては幾何いくら大おほきいにしても、餘あまり勢いきほひが烈はげし過すぎると思おもつた。 宗助そうすけは玄關げんくわんから下駄げたを提さげて來きて、すぐ庭にはへ下おりた。縁えんの先さきへ便所べんじよが折おれ曲まがつて突つき出だしてゐるので、いとゞ狹せまい崖下がけしたが、裏うらへ拔ぬける半間はんげん程ほどの所ところは猶更なほさら狹苦せまくるしくなつてゐた。御米およねは掃除屋さうぢやが來くるたびに、此この曲まがり角かどを氣きにしては、
「彼所あすこがもう少すこし廣ひろいと可いいけれども」と危險あぶながるので、よく宗助そうすけから笑わらはれた事ことがあつた。
 其所そこを通とほり拔ぬけると、眞直まつすぐに臺所だいどころ迄まで細ほそい路みちが付ついてゐる。元もとは枯枝かれえだの交まじつた杉垣すぎがきがあつて、隣となりの庭にはの仕切しきりになつてゐたが、此間このあひだ家主やぬしが手てを入いれた時とき、穴あなだらけの杉葉すぎはを奇麗きれいに取とり拂はらつて、今いまでは節ふしの多おほい板塀いたべいが片側かたがはを勝手口かつてぐち迄まで塞ふさいで仕舞しまつた。日當ひあたりの惡わるい上うへに、樋とひから雨滴あまだればかり落おちるので、夏なつになると秋海棠しうかいだうが一杯いつぱい生はえる。其その盛さかりな頃ころは青あをい葉はが重かさなり合あつて、殆ほとんど通とほり路みちがなくなる位くらゐ茂しげつて來くる。始はじめて越こした年としは、宗助そうすけも御米およねも此この景色けしきを見みて驚おどろかされた位くらゐである。此この秋海棠しうかいだうは杉垣すぎがきのまだ引ひき拔ぬかれない前まへから、何年なんねんとなく地下ちかに蔓はびこつてゐたもので、古家ふるやの取とり毀こぼたれた今いまでも、時節じせつが來くると昔むかしの通とほり芽めを吹ふくものと解わかつた時とき、御米およねは、「でも可愛かあいいわね」と喜よろこんだ。
 宗助そうすけが霜しもを踏ふんで、此この記念きねんの多おほい横手よこてへ出でた時とき、彼かれの眼めは細長ほそながい路次ろじの一點いつてんに落おちた。さうして彼かれは日ひの通かよはない寒さむさの中なかにはたと留とまつた。
 彼かれの足元あしもとには黒塗くろぬりの蒔繪まきゑの手文庫てぶんこが放はふり出だしてあつた。中味なかみはわざざ其所そこへ持もつて來きて置おいて行いつた樣やうに、霜しもの上うへにちやんと据すわつてゐるが、蓋ふたは二三尺じやく離はなれて、塀へいの根ねに打うち付つけられた如ごとくに引ひつ繰くり返かへつて、中なかを張はつた千代紙ちよがみの模樣もやうが判然はつきり見みえた。文庫ぶんこの中なかから洩もれた、手紙てがみや書付類かきつけるゐが、其所そこいらに遠慮ゑんりよなく散ちらばつてゐる中なかに、比較的ひかくてき長ながい一通つうがわざざ二尺しやく許ばかり廣ひろげられて、其先そのさきが紙屑かみくづの如ごとく丸まるめてあつた。宗助そうすけは近付ちかづいて、此この揉苦茶もみくちやになつた紙かみの下したを覗のぞいて覺おぼえず苦笑くせうした。下したには大便だいべんが垂たれてあつた。
 土つちの上うへに散ちらばつてゐる書類しよるゐを一纏ひとまとめにして、文庫ぶんこの中なかへ入いれて、霜しもと泥どろに汚よごれた儘まゝ宗助そうすけは勝手口かつてぐち迄まで持もつて來きた。腰障子こししやうじを開あけて、清きよに「おい是これを一寸ちよつと其所そこへ置おいて呉くれ」と渡わたすと、清きよは妙めうな顏かほをして、不思議ふしぎさうにそれを受取うけとつた。御米およねは奧おくで座敷ざしきへ拂塵はたきを掛かけてゐた。宗助そうすけはそれから懷手ふところでをして、玄關げんくわんだの門もんの邊あたりを能よく見廻みまはつたが、何處どこにも平常へいじやうと異ことなる點てんは認みとめられなかつた。
 宗助そうすけは漸ようやく家うちへ入はひつた。茶ちやの間まへ來きて例れいの通とほり火鉢ひばちの前まへへ坐すわつたが、すぐ大おほきな聲こゑを出だして御米およねを呼よんだ。御米およねは、
「起おき拔ぬけに何處どこへ行いつて入いらしつたの」と云いひながら奧おくから出でて來きた。
「おい昨夜ゆうべ枕元まくらもとで大おほきな音おとがしたのは矢やつ張ぱり夢ゆめぢやなかつたんだ。泥棒どろぼうだよ。泥棒どろぼうが坂井さかゐさんの崖がけの上うへから宅うちの庭にはへ飛とび下おりた音おとだ。今いま裏うらへ回まはつて見みたら、此この文庫ぶんこが落おちてゐて、中なかに這入はいつてゐた手紙てがみなんぞが、無茶苦茶むちやくちやに放はふり出だしてあつた。御負おまけに御馳走ごちそう迄まで置おいて行いつた」
 宗助そうすけは文庫ぶんこの中なかから、二三通つうの手紙てがみを出だして御米およねに見みせた。それには皆みんな坂井さかゐの名宛なあてが書かいてあつた。御米およねは吃驚びつくりして立膝たてひざの儘まゝ、
「坂井さかゐさんぢや外ほかに何なにか取とられたでせうか」と聞きいた。宗助そうすけは腕組うでぐみをして、「ことに因よると、まだ何なにか遣やられたね」と答こたへた。
 夫婦ふうふは兎とも角かくもと云いふので、文庫ぶんこを其所そこへ置おいたなり朝飯あさめしの膳ぜんに着ついた。然しかし箸はしを動うごかす間まも泥棒どろぼうの話はなしは忘わすれなかつた。御米およねは自分じぶんの耳みゝと頭あたまの慥たしかな事ことを夫をつとに誇ほこつた。宗助そうすけは耳みゝと頭あたまの慥たしかでない事ことを幸福かうふくとした。
「さう仰おつしやるけれど、是これが坂井さかゐさんでなくつて、宅うちで御覽ごらんなさい。貴方あなた見みた樣やうにぐうう寐ねて入いらしつたら困こまるぢやないの」と御米およねが宗助そうすけを遣やり込こめた。
「なに宅うちなんぞへ這入はいる氣遣きづかひはないから大丈夫だいぢやうぶだ」と宗助そうすけも口くちの減へらない返事へんじをした。
 其所そこへ清きよが突然とつぜん臺所だいどころから顏かほを出だして、
「此間このあひだ拵こしらえた旦那樣だんなさまの外套ぐわいたうでも取とられ樣やうものなら、夫それこそ騷さわぎで御座ございましたね。御宅おうちでなくつて坂井さかゐさんだつたから本當ほんたうに結構けつこうで御座ございます」と眞面目まじめに悦よろこびの言葉ことばを述のべたので、宗助そうすけも御米およねも少すこし挨拶あいさつに窮きゆうした。
 食事しよくじを濟すましても、出勤しゆつきんの時刻じこくにはまだ大分だいぶ間まがあつた。坂井さかゐでは定さだめて騷さわいでるだらうと云いふので、文庫ぶんこは宗助そうすけが自分じぶんで持もつて行いつて遣やる事ことにした。蒔繪まきゑではあるが、たゞ黒地くろぢに龜甲形きつかふがたを金きんで置おいた丈だけの事ことで、別べつに大たいして金目かねめの物ものとも思おもへなかつた。御米およねは唐棧たうざんの風呂敷ふろしきを出だしてそれを包くるんだ。風呂敷ふろしきが少すこし小ちひさいので、四隅よすみを對むかふ同志どうし繋つないで、眞中まんなかにこま結むすびを二ふたつ拵こしらえた。宗助そうすけがそれを提さげた所ところは、丸まるで進物しんもつの菓子折くわしをりの樣やうであつた。 座敷ざしきで見みればすぐ崖がけの上うへだが、表おもてから廻まはると、通とほりを半町はんちやう許ばかり來きて、坂さかを上のぼつて、又また半町はんちやう程ほど逆ぎやくに戻もどらなければ、坂井さかゐの門前もんぜんへは出でられなかつた。宗助そうすけは石いしの上うへへ芝しばを盛もつて扇骨木かなめを奇麗きれいに植付うゑつけた垣かきに沿そふて門内もんないに入はひつた。
 家いへの内うちは寧むしろ靜しづか過すぎる位くらゐしんとしてゐた。摺硝子すりがらすの戸とが閉たてゝある玄關げんくわんへ來きて、ベルを二三度ど押おして見みたが、ベルが利きかないと見みえて誰だれも出でて來こなかつた。宗助そうすけは仕方しかたなしに勝手口かつてぐちへ廻まはつた。其所そこにも摺硝子すりがらすの嵌はまつた腰障子こししやうじが二枚まい閉たててあつた。中なかでは器物きぶつを取とり扱あつかふ音おとがした。宗助そうすけは戸とを開あけて、瓦斯七輪ガスしちりんを置おいた板いたの間まに蹲踞しやがんでゐる下女げぢよに挨拶あいさつをした。
「是これは此方こちらのでせう。今朝けさ私わたしの家うちの裏うらに落おちてゐましたから持もつて來きました」と云いひながら、文庫ぶんこを出だした。
 下女げぢよは「左樣さやうで御座ございましたか、どうも」と簡單かんたんに禮れいを述のべて、文庫ぶんこを持もつた儘まゝ、板いたの間まの仕切しきり迄まで行いつて、仲働なかばたらきらしい女をんなを呼よび出だした。其所そこで小聲こごゑに説明せつめいをして、品物しなものを渡わたすと、仲働なかばたらきはそれを受取うけとつたなり、一寸ちよつと宗助そうすけの方はうを見みたがすぐ奧おくへ入はひつた。入いれ違ちがへに、十二三になる丸顏まるがほの眼めの大おほきな女をんなの子こと、其その妹いもうとらしい揃そろひのリボンを懸かけた子こが一所いつしよに馳かけて來きて、小ちひさい首くびを二ふたつ並ならべて臺所だいどころへ出だした。さうして宗助そうすけの顏かほを眺ながめながら、泥棒どろぼうよと耳語さゝやきやつた。宗助そうすけは文庫ぶんこを渡わたして仕舞しまへば、もう用ようが濟すんだのだから、奧おくの挨拶あいさつはどうでも可いいとして、すぐ歸かへらうかと考かんがへた。「文庫ぶんこは御宅おたくのでせうね。可いいんでせうね」と念ねんを押おして、何なにも知しらない下女げぢよを氣きの毒どくがらしてゐる所ところへ、最前さいぜんの仲働なかばたらきが出でて來きて、
「何どうぞ御通おとほり下ください」と丁寧ていねいに頭あたまを下さげたので、今度こんどは宗助そうすけの方はうが少すこし痛いたみ入いる樣やうになつた。下女げぢよは愈いよよしとやかに同おなじ請求せいきうを繰くり返かへした。宗助そうすけは痛いたみ入いる境さかひを通とほり越こして、遂つひに迷惑めいわくを感かんじ出だした。所ところへ主人しゆじんが自分じぶんで出でて來きた。
 主人しゆじんは予想通よさうどほり血色けつしよくの好いい下膨しもぶくれの福相ふくさうを具そなへてゐたが、御米およねの云いつた樣やうに髭ひげのない男をとこではなかつた。鼻はなの下したに短みじかく刈かり込こんだのを生はやして、たゞ頬ほゝから腮あごを奇麗きれいに蒼あをくしてゐた。
「いや何どうも飛とんだ御手數おてかずで」と主人しゆじんは眼尻めじりに皺しわを寄よせながら禮れいを述のべた。米澤よねざはの絣かすりを着きた膝ひざを板いたの間まに突ついて、宗助そうすけから色々いろろ樣子やうすを聞きいてゐる態度たいどが、如何いかにも緩ゆつくりしてゐた。宗助そうすけは昨夕ゆうべから今朝けさへ掛かけての出來事できごとを一通ひととほり掻かい撮つまんで話はなした上うへ、文庫ぶんこの外ほかに何なにか取とられたものがあるかないかを尋たづねて見みた。主人しゆじんは机つくゑの上うへに置おいた金時計きんどけいを一ひとつ取とられた由よしを答こたへた。けれども丸まるで他ひとのものでも失なくなした時ときの樣やうに、一向いつかう困こまつたと云いふ氣色けしきはなかつた。時計とけいよりは寧むしろ宗助そうすけの叙述じよじゆつの方はうに多おほくの興味きようみを有もつて、泥棒どろぼうが果はたして崖がけを傳つたつて裏うらから逃にげげる積つもりだつたらうか、又または逃にげる拍子ひやうしに、崖がけから落おちたものだらうかと云いふ樣やうな質問しつもんを掛かけた。宗助そうすけは固もとより返答へんたふが出來できなかつた。 其所そこへ最前さいぜんの仲働なかばたらきが、奧おくから茶ちやや莨たばこを運はこんで來きたので、宗助そうすけは又また歸かへりはぐれた。主人しゆじんはわざざ坐蒲團ざぶとん迄まで取とり寄よせて、とうう其上そのうへへ宗助そうすけの尻しりを据すゑさした。さうして今朝けさ早はやく來きた刑事けいじの話はなしをし始はじめた。刑事けいじの判定はんていによると、賊ぞくは宵よひから邸内ていないに忍しのび込こんで、何なんでも物置ものおきかなぞに隱かくれてゐたに違ちがひない。這入口はいりくちは矢張やはり勝手かつてである。燐寸まつちを擦すつて蝋燭らふそくを點ともして、それを臺所だいどころにあつた小桶こをけの中なかへ立たてゝ、茶ちやの間まへ出でたが、次つぎの部屋へやには細君さいくんと子供こどもが寐ねてゐるので、廊下傳らうかづたひに主人しゆじんの書齋しよさいへ來きて、其所そこで仕事しごとをしてゐると、此間このあひだ生うまれた末すゑの男をとこの子こが、乳ちゝを呑のむ時刻じこくが來きたものか、眼めを覺さまして泣なき出だしたため、賊ぞくは書齋しよさいの戸とを開あけて庭にはへ逃にげたらしい。
「平常いつもの樣やうに犬いぬがゐると好よかつたんですがね。生憎あいにく病氣びやうきなので、四五日前にちまへ病院びやうゐんへ入いれて仕舞しまつたもんですから」と主人しゆじんは殘念ざんねんがつた。宗助そうすけも、
「夫それは惜をしい事ことでした」と答こたへた。すると主人しゆじんは其その犬いぬの種ブリードやら血統けつとうやら、時々ときき獵かりに連つれて行ゆく事ことや、色々いろろな事ことを話はなし始はじめた。「獵れふは好すきですから。尤もつとも近來きんらいは神經痛しんけいつうで少すこし休やすんでゐますが。何なにしろ秋口あきぐちから冬ふゆへ掛かけて鴫しぎなぞを打うちに行ゆくと、どうしても腰こしから下したは田たの中なかへ浸つかつて、二時間じかんも三時間じかんも暮くらさなければならないんですから、全まつたく身體からだには好よくない樣やうです」
 主人しゆじんは時間じかんに制限せいげんのない人ひとと見みえて、宗助そうすけが、成程なるほどとか、左さうですか、とか云いつてゐると、何時いつ迄までも話はなしてゐるので、宗助そうすけは已やむを得えず中途ちゆうとで立たち上あがつた。
「是これから又また例れいの通とほり出掛でかけなければなりませんから」と切きり上あげると、主人しゆじんは始はじめて氣きが付ついた樣やうに、忙いそがしい所ところを引ひき留とめた失禮しつれいを謝しやした。さうして何いづれ又また刑事けいじが現状げんじやうを見みに行ゆくかも知しれないから、其時そのときはよろしく願ねがふと云いふやうな事ことを述のべた。最後さいごに、
「何どうかちと御話おはなしに。私わたくしも近頃ちかごろは寧むしろ閑ひまな方はうですから、又また御邪魔おじやまに出でますから」と丁寧ていねいに挨拶あいさつをした。門もんを出でて急いそぎ足あしに宅うちへ歸かへると、毎朝まいあさ出でる時刻じこくよりも、もう三十分ぷん程ほど後おくれてゐた。
「貴方あなた何どうなすつたの」と御米およねが氣きを揉もんで玄關げんくわんへ出でた。宗助そうすけはすぐ着物きものを脱ぬいで洋服やうふくに着換きかへながら、「あの坂井さかゐと云いふ人ひとは餘よつ程ぽど氣樂きらくな人ひとだね。金かねがあるとあゝ緩ゆつくり出來できるもんかな」と云いつた。

八

「小六ころくさん、茶ちやの間まから始はじめて。夫それとも座敷ざしきの方はうを先さきにして」と御米およねが聞きいた。
 小六ころくは四五日前にちまへとうう兄あにの所ところへ引ひき移うつつた結果けつくわとして、今日けふの障子しやうじの張替はりかへを手傳てつだはなければならない事こととなつた。彼かれは昔むかし叔父をぢの家いへに居ゐた時とき、安之助やすのすけと一所いつしよになつて、自分じぶんの部屋へやの唐紙からかみを張はり替かへた經驗けいけんがある。其時そのときは糊のりを盆ぼんに溶といたり、篦へらを使つかつて見みたり、大分だいぶ本式ほんしきに遣やり出だしたが、首尾しゆび好よく乾かわかして、いざ元もとの所ところへ建たてるといふ段だんになると、二枚まいとも反そつ繰くり返かへつて敷居しきゐの溝みぞへ嵌はまらなかつた。それから是これも安之助やすのすけと共同きようどうして失敗しつぱいした仕事しごとであるが、叔母をばの云付いひつけで、障子しやうじを張はらせられたときには、水道すゐだうでざぶぶ枠わくを洗あらつたため、矢張やつぱり乾かわいた後あとで、惣體そうたいに歪ゆがみが出來できて非常ひじやうに困難こんなんした。
「姉ねえさん、障子しやうじを張はるときは、餘程よほど愼重しんちようにしないと失策しくじるです。洗あらつちや駄目だめですぜ」と云いひながら、小六ころくは茶ちやの間まの縁側えんがはからびりり破やぶき始はじめた。 縁先えんさきは右みぎの方はうに小六ころくのゐる六疊でふが折をれ曲まがつて、左ひだりには玄關げんくわんが突つき出だしてゐる。其その向むかふを塀へいが縁えんと平行へいかうに塞ふさいでゐるから、まあ四角しかくな圍内かこひうちと云いつて可いい。夏なつになるとコスモスを一面いちめんに茂しげらして、夫婦ふうふとも毎朝まいあさ露つゆの深ふかい景色けしきを喜よろこんだ事こともあるし、又また塀へいの下したへ細ほそい竹たけを立たてゝ、それへ朝顏あさがほを絡からませた事こともある。其時そのときは起おき拔ぬけに、今朝けさ咲さいた花はなの數かずを勘定かんぢやうし合あつて二人ふたりが樂たのしみにした。けれども秋あきから冬ふゆへ掛かけては、花はなも草くさも丸まるで枯かれて仕舞しまふので、小ちひさな砂漠さばく見みた樣やうに、眺ながめるのも氣きの毒どくな位くらゐ淋さびしくなる。小六ころくは此この霜しもばかり降おりた四角しかくな地面ぢめんを脊せにして、しきりに障子しやうじの紙かみを剥はがしてゐた。
 時々ときき寒さむい風かぜが來きて、後うしろから小六ころくの坊主頭ばうずあたまと襟えりの邊あたりを襲おそつた。其度そのたびに彼かれは吹ふき曝さらしの縁えんから六疊でふの中なかへ引ひつ込こみたくなつた。彼かれは赤あかい手てを無言むごんの儘まゝ働はたらかしながら、馬尻ばけつの中なかで雜巾ざふきんを絞しぼつて障子しやうじの棧さんを拭ふき出だした。「寒さむいでせう、御氣おきの毒どくさまね。生憎あいにく御天氣おてんきが時雨しぐれたもんだから」と御米およねが愛想あいそを云いつて、鐵瓶てつびんの湯ゆを注つぎ注つぎ、昨日きのふ煑にた糊のりを溶といた。
 小六ころくは實際じつさいこんな用ようをするのを、内心ないしんでは大おほいに輕蔑けいべつしてゐた。ことに昨今さくこん自分じぶんが已やむなく置おかれた境遇きやうぐうからして、此際このさい多少たせう自己じこを侮辱ぶじよくしてゐるかの觀くわんを抱いだいて雜巾ざふきんを手てにしてゐた。昔むかし叔父をぢの家いへで、是これと同おなじ事ことを遣やらせられた時ときは、暇潰ひまつぶしの慰なぐさみとして、不愉快ふゆくわいどころか却かへつて面白おもしろかつた記憶きおくさへあるのに、今いまぢや此位このくらゐな仕事しごとより外ほかにする能力のうりよくのないものと、強しいて周圍しうゐから諦あきらめさせられた樣やうな氣きがして、縁側えんがはの寒さむいのが猶なほのこと癪しやくに觸さはつた。
 それで嫂あによめには快こゝろよい返事へんじさへ碌ろくにしなかつた。さうして頭あたまの中なかで、自分じぶんの下宿げしゆくにゐた法科はふくわ大學生だいがくせいが、一寸ちよつと散歩さんぽに出でる序ついでに、資生堂しせいだうへ寄よつて、三みつつ入いりの石鹸しやぼんと齒磨はみがきを買かふのにさへ、五圓ゑん近ぢかくの金かねを拂はらふ華奢くわしやを思おもひ浮うかべた。すると何どうしても自分じぶん一人ひとりがこんな窮境きゆうきやうに陷おちいるべき理由りいうがない樣やうに感かんぜられた。それから、斯こんな生活せいくわつ状態じやうたいに甘あまんじて一生いつしやうを送おくる兄夫婦あにふうふが如何いかにも憫然ふびんに見みえた。彼等かれらは障子しやうじを張はる美濃紙みのがみを買かふのにさへ氣兼きがねをしやしまいかと思おもはれる程ほど、小六ころくから見みると、消極的せうきよくてきな暮くらし方かたをしてゐた。「斯こんな紙かみぢや、又またすぐ破やぶけますね」と云いひながら、小六ころくは卷まいた小口こぐちを一尺しやくほど日ひに透すかして、二三度ど力任ちからまかせに鳴ならした。
「さう? でも宅うちぢや小供こどもがないから、夫程それほどでもなくつてよ」と答こたへた御米およねは糊のりを含ふくました刷毛はけを取とつてとんんとんと棧さんの上うへを渡わたした。
 二人ふたりは長ながく繼ついだ紙かみを双方さうはうから引ひき合あつて、成なるべく垂たるみの出來できない樣やうに力つとめたが、小六ころくが時々ときき面倒臭めんだうくささうな顏かほをすると、御米およねはつい遠慮ゑんりよが出でて、好加減いゝかげんに髮剃かみそりで小口こぐちを切きり落おとして仕舞しまふ事こともあつた。從したがつて出來上できあがつたものには、所々ところろのぶくくが大分だいぶ目めに付ついた。御米およねは情なさけなささうに、戸袋とぶくろに立たて懸かけた張はり立たての障子しやうじを眺ながめた。さうして心こゝろの中うちで、相手あひてが小六ころくでなくつて、夫をつとであつたならと思おもつた。
「皺しわが少すこし出來できたのね」
「何どうせ僕ぼくの御手際おてぎはぢや旨うまくは行いかない」
「なに兄にいさんだつて、さう御上手おじやうずぢやなくつてよ。それに兄にいさんは貴方あなたより餘よつ程ほど無精ぶしやうね」
 小六ころくは何なんにも答こたへなかつた。臺所だいどころから清きよが持もつて來きた含嗽茶碗うがひぢやわんを受うけ取とつて、戸袋とぶくろの前まへへ立たつて、紙かみが一面いちめんに濡ぬれる程ほど霧きりを吹ふいた。二枚目まいめを張はつたときは、先さきに霧きりを吹ふいた分ぶんが略ほゞ乾かわいて皺しわが大方おほかた平たひらになつてゐた。三枚目まいめを張はつたとき、小六ころくは腰こしが痛いたくなつたと云いひ出だした。實じつを云いふと御米およねの方はうは今朝けさから頭あたまが痛いたかつたのである。「もう一枚まい張はつて、茶ちやの間ま丈だけ濟すましてから休やすみませう」と云いつた。
 茶ちやの間まを濟すましてゐるうちに午ひるになつたので、二人ふたりは食事しよくじを始はじめた。小六ころくが引ひき移うつつてから此この四五日しごんち、御米およねは宗助そうすけのゐない午飯ひるはんを、何時いつも小六ころくと差向さしむかひで食たべる事ことになつた。宗助そうすけと一所いつしよになつて以來いらい、御米およねの毎日まいにち膳ぜんを共ともにしたものは、夫をつとより外ほかになかつた。夫をつとの留守るすの時ときは、たゞ獨ひとり箸はしを執とるのが多年たねんの習慣ならはしであつた。だから突然とつぜんこの小舅こじうとと自分じぶんの間あひだに御櫃おはちを置おいて、互たがひに顏かほを見合みあはせながら、口くちを動うごかすのが、御米およねに取とつては一種いつしゆ異いな經驗けいけんであつた。それも下女げぢよが臺所だいどころで働はたらいてゐるときは、未まだしもだが、清きよの影かげも音おともしないとなると、猶なほの事こと變へんに窮屈きゆうくつな感かんじが起おこつた。無論むろん小六ころくよりも御米およねの方はうが年上としうへであるし、又また從來じゆうらいの關係くわんけいから云いつても、兩性りやうせいを絡からみ付つける艷つやつぽい空氣くうきは、箝束的けんそくてきな初期しよきに於おいてすら、二人ふたりの間あひだに起おこり得うべき筈はずのものではなかつた。御米およねは小六ころくと差向さしむかひに膳ぜんに着つくときの此この氣きぶつせいな心持こゝろもちが、何時いつになつたら消きえるだらうと、心こゝろの中うちで私ひそかに疑うたぐつた。小六ころくが引ひき移うつる迄までは、こんな結果けつくわが出でやうとは、丸まるで氣きが付つかなかつたのだから猶更なほさら當惑たうわくした。仕方しかたがないから成なるべく食事中しよくじちゆうに話はなしをして、責せめて手持無沙汰てもちぶさたな隙間すきま丈だけでも補おぎなはうと力つとめた。不幸ふかうにして今いまの小六ころくは、此この嫂あによめの態度たいどに對たいして程ほどの好いい調子てうしを出だす丈だけの餘裕よゆうと分別ふんべつを頭あたまの中うちに發見はつけんし得えなかつたのである。「小六ころくさん、下宿げしゆくは御馳走ごちそうがあつて」
 こんな質問しつもんに逢あふと、小六ころくは下宿げしゆくから遊あそびに來きた時分じぶんの樣やうに、淡泊たんぱくな遠慮ゑんりよのない答こたへをする譯わけに行ゆかなくなつた。已やむを得えず、
「なに左さうでもありません」ぐらゐにして置おくと、其その語氣ごきがからりと澄すんでゐないので、御米およねの方はうでは、自分じぶんの待遇たいぐうが惡わるい所爲せゐかと解釋かいしやくする事こともあつた。それが又また無言むごんの間あひだに、小六ころくの頭あたまに映うつる事こともあつた。
 ことに今日けふは頭あたまの具合ぐあひが好よくないので、膳ぜんに向むかつても、御米およねは何時いつもの樣やうに力つとめるのが退儀たいぎであつた。力つとめて失敗しつぱいするのは猶なほ厭いやであつた。それで二人ふたりとも障子しやうじを張はるときよりも言葉ことば少すくなに食事しよくじを濟すました。
 午後ごごは手てが慣なれた所爲せゐか、朝あさに比くらべると仕事しごとが少すこし果取はかどつた。然しかし二人ふたりの氣分きぶんは飯前めしまへよりも却かへつて縁遠えんどほくなつた。ことに寒さむい天氣てんきが二人ふたりの頭あたまに應こたへた。起おきた時ときは、日ひを載のせた空そらが次第しだいに遠退とほのいて行ゆくかと思おもはれる程ほどに、好よく晴はれてゐたが、それが眞蒼まつさをに色いろづく頃ころから急きふに雲くもが出でて、暗くらい中なかで粉雪こゆきでも釀かもしてゐる樣やうに、日ひの目めを密封みつぷうした。二人ふたりは交かはるる火鉢ひばちに手てを翳かざした。「兄にいさんは來年らいねんになると月給げつきふが上あがるんでせう」
 不圖ふと小六ころくが斯こんな問とひを御米およねに掛かけた。御米およねは其時そのとき疊たゝみの上うへの紙片かみぎれを取とつて、糊のりに汚よごれた手てを拭ふいてゐたが、全まつたく思おもひも寄よらないといふ顏かほをした。
「何どうして」
「でも新聞しんぶんで見みると、來年らいねんから一般いつぱんに官吏くわんりの増俸ぞうほうがあると云いふ話はなしぢやありませんか」
 御米およねはそんな消息せうそくを全まつたく知しらなかつた。小六ころくから詳くはしい説明せつめいを聞きいて、始はじめて成程なるほどと首肯うなづいた。
「全まつたくね。是これぢや誰だれだつて、遣やつて行いけないわ。御肴おさかなの切身きりみなんか、私わたしが東京とうきやうへ來きてからでも、もう倍ばいになつてるんですもの」と云いつた。肴さかなの切身きりみの値段ねだんになると小六ころくの方はうが全まつたく無識むしきであつた。御米およねに注意ちゆういされて始はじめてそれ程ほど無暗むやみに高たかくなるものかと思おもつた。
 小六ころくに一寸ちよつとした好奇心かうきしんの出でたため、二人ふたりの會話くわいわは存外ぞんぐわい素直すなほに流ながれて行いつた。御米およねは裏うらの家主やぬしの十八九時代じだいに物價ぶつかの大變たいへん安やすかつた話はなしを、此間このあひだ宗助そうすけから聞きいた通とほり繰くり返かへした。其その時分じぶんは蕎麥そばを食くふにしても、盛もりかけが八厘りん、種たねものが二錢せん五厘りんであつた。牛肉ぎうにくは普通なみが一人前いちにんまへ四錢せんでロースは六錢せんであつた。寄席よせは三錢せんか四錢せんであつた。學生がくせいは月つきに七圓ゑん位ぐらゐ國くにから貰もらへば中ちゆうの部ぶであつた。十圓ゑんも取とると既すでに贅澤ぜいたくと思おもはれた。「小六ころくさんも、其その時分じぶんだと譯わけなく大學だいがくが卒業そつげふ出來できたのにね」と御米およねが云いつた。
「兄にいさんも其その時分じぶんだと大變たいへん暮くらし易やすい譯わけですね」と小六ころくが答こたへた。
 座敷ざしきの張易はりかへが濟すんだときにはもう三時過じすぎになつた。さう斯かうしてゐるうちには、宗助そうすけも歸かへつて來くるし、晩ばんの支度したくも始はじめなくつてはならないので、二人ふたりはこれを一段落いちだんらくとして、糊のりや髮剃かみそりを片かたづけた。小六ころくは大おほきな伸のびを一ひとつして、握にぎり拳こぶしで自分じぶんの頭あたまをこんんと叩たゝいた。
「何どうも御苦勞ごくらうさま。疲つかれたでせう」と御米およねは小六ころくを勞いたはつた。小六ころくは夫それよりも口淋くちさむしい思おもひがした。此間このあひだ文庫ぶんこを屆とゞけてやつた禮れいに、坂井さかゐから呉くれたと云いふ菓子くわしを、戸棚とだなから出だして貰もらつて食たべた。御米およねは御茶おちやを入いれた。
「坂井さかゐと云いふ人ひとは大學だいがく出でなんですか」
「えゝ、矢張やつぱり左樣さうなんですつて」
 小六ころくは茶ちやを飮のんで烟草たばこを吹ふいた。やがて、
「兄にいさんは増俸ぞうほうの事ことをまだ貴方あなたに話はなさないんですか」と聞きいた。
「いゝえ、些ちつとも」と御米およねが答こたへた。
「兄にいさん見みた樣やうになれたら好いいだらうな。不平ふへいも何なにもなくつて」
 御米およねは特別とくべつの挨拶あいさつもしなかつた。小六ころくは其儘そのまゝ起たつて六疊でふへ這入はいつたが、やがて火ひが消きえたと云いつて、火鉢ひばちを抱かゝえて又また出でて來きた。彼かれは兄あにの家いへに厄介やくかいになりながら、もう少すこし立たてば都合つがふが付つくだらうと慰なぐさめた安之助やすのすけの言葉ことばを信しんじて、學校がくかうは表向おもてむき休學きうがくの體ていにして一時いちじの始末しまつをつけたのである。
九

 裏うらの坂井さかゐと宗助そうすけとは文庫ぶんこが縁えんになつて思おもはぬ關係くわんけいが付ついた。夫迄それまでは月つきに一度いちど此方こちらから清きよに家賃やちんを持もたして遣やると、向むかふから其その受取うけとりを寄よこす丈だけの交渉かうせふに過すぎなかつたのだから、崖がけの上うへに西洋人せいやうじんが住すんでゐると同樣どうやうで、隣人りんじんとしての親したしみは、丸まるで存在そんざいしてゐなかつたのである。
 宗助そうすけが文庫ぶんこを屆とゞけた日ひの午後ごごに、坂井さかゐの云いつた通とほり、刑事けいじが宗助そうすけの家いへの裏手うらてから崖下がけしたを檢しらべに來きたが、其時そのとき坂井さかゐも一所いつしよだつたので、御米およねは始はじめて噂うはさに聞きいた家主やぬしの顏かほを見みた。髭ひげのないと思おもつたのに、髭ひげを生はやしてゐるのと、自分じぶんなぞに對たいしても、存外ぞんぐわい丁寧ていねいな言葉ことばを使つかふのが、御米およねには少すこし案外あんぐわいであつた。
「貴方あなた、坂井さかゐさんは矢やつ張ぱり髭ひげを生はやしてゐてよ」と宗助そうすけが歸かへつたとき御米およねはわざざ注意ちゆういした。
 それから二日ふつかばかりして、坂井さかゐの名刺めいしを添そへた立派りつぱな菓子折くわしをりを持もつて、下女げぢよが禮れいに來きたが、先達せんだつては色々いろろ御世話おせわになりまして、難有ありがたう存ぞんじます、何いづれ主人しゆじんが自身じしんに伺うかゞふ筈はずで御座ございますがと云いひ置おいて、歸かへつて行いつた。 其晩そのばん宗助そうすけは到來たうらいの菓子折くわしをりの葢ふたを開あけて、唐饅頭たうまんぢゆうを頬張ほゝばりながら、
「斯こんなものを呉くれる所ところをもつて見みると、夫程それほど吝けちでもないやうだね。他ひとの家うちの子こをブランコへ乘のせて遣やらないつて云いふのは嘘うそだらう」と云いつた。御米およねも、
「屹度きつと嘘うそよ」と坂井さかゐを辯護べんごした。
 夫婦ふうふと坂井さかゐとは泥棒どろぼうの這入はいらない前まへより、是丈これだけ親したしみの度どが増ました樣やうなものゝ、それ以上いじやうに接近せつきんしやうと云いふ念ねんは、宗助そうすけの頭あたまにも御米およねの胸むねにも宿やどらなかつた。利害りがいの打算ださんから云いへば無論むろんの事こと、單たんに隣人りんじんの交際かうさいとか情誼じやうぎとか云いふ點てんから見みても、夫婦ふうふはこれよりも前進ぜんしんする勇氣ゆうきを有もたなかつたのである。もし自然しぜんが此儘このまゝに無爲むゐの月日つきひを驅かつたなら、久ひさしからぬうちに、坂井さかゐは昔むかしの坂井さかゐになり、宗助そうすけは元もとの宗助そうすけになつて、崖がけの上うへと崖がけの下したに互たがひの家いへが懸かけ隔へだゝる如ごとく、互たがひの心こゝろも離はなれ離ばなれになつたに違ちがひなかつた。
 所ところがそれから又また二日ふつか置おいて、三日目みつかめの暮くれ方がたに、獺かはうその襟えりの着ついた暖あたゝかさうな外套マントを着きて、突然とつぜん坂井さかゐが宗助そうすけの所ところへ遣やつて來きた。夜間やかん客きやくに襲おそはれ付つけない夫婦ふうふは、輕微けいびの狼狽らうばいを感かんじた位くらゐ驚おどろかされたが、座敷ざしきへ上あげて話はなして見みると、坂井さかゐは丁寧ていねいに先日せんじつの禮れいを述のべた後のち、「御蔭おかげで取とられた品物しなものが又また戻もどりましたよ」と云いひながら、白縮緬しろちりめんの兵兒帶へこおびに卷まき付つけた金鎖きんぐさりを外はづして、兩葢りやうぶたの金時計きんどけいを出だして見みせた。
 規則きそくだから警察けいさつへ屆とゞける事ことは屆とゞけたが、實じつは大分だいぶ古ふるい時計とけいなので、取とられても夫程それほど惜をしくもない位ぐらゐに諦あきらめてゐたら、昨日きのふになつて、突然とつぜん差出人さしだしにんの不明ふめいな小包こづゝみが着ついて、其中そのなかにちやんと自分じぶんの失なくしたのが包くるんであつたんだと云いふ。
「泥棒どろぼうも持もち扱あつかつたんでせう。それとも餘あまり金かねにならないんで、已やむを得えず返かへして呉くれる氣きになつたんですかね。何なにしろ珍めづらしい事ことで」と坂井さかゐは笑わらつてゐた。それから、
「何なに私わたくしから云いふと、實じつはあの文庫ぶんこの方はうが寧むしろ大切たいせつな品しなでしてね。祖母ばゞが昔むかし御殿ごてんへ勤つとめてゐた時分じぶん、戴いたゞいたんだとか云いつて、まあ記念かたみの樣やうなものですから」と云いふ樣やうな事ことも説明せつめいして聞きかした。
 其晩そのばん坂井さかゐはそんな話はなしを約やく二時間じかんもして歸かへつて行いつたが、相手あひてになつた宗助そうすけも、茶ちやの間まで聞きいてゐた御米およねも、大變たいへん談話だんわの材料ざいれうに富とんだ人ひとだと思おもはぬ譯わけに行ゆかなかつた。後あとで、
「世間せけんの廣ひろい方かたね」と御米およねが評ひやうした。「閑ひまだからさ」と宗助そうすけが解釋かいしやくした。
 次つぎの日ひ宗助そうすけが役所やくしよの歸かへりがけに、電車でんしやを降おりて横町よこちやうの道具屋だうぐやの前まへ迄まで來くると、例れいの獺かはうその襟えりを着つけた坂井さかゐの外套ぐわいたうが一寸ちよつと眼めに着ついた。横顏よこがほを徃來わうらいの方はうへ向むけて、主人しゆじんを相手あひてに何なにか云いつてゐる。主人しゆじんは大おほきな眼鏡めがねを掛かけた儘まゝ、下したから坂井さかゐの顏かほを見上みあげてゐる。宗助そうすけは挨拶あいさつをすべき折をりでもないと思おもつたから、其儘そのまゝ行ゆき過すぎやうとして、店みせの正面しやうめん迄まで來くると、坂井さかゐの眼めが徃來わうらいへ向むいた。
「やあ昨夜さくやは。今いま御歸おかへりですか」と氣輕きがるに聲こゑを掛かけられたので、宗助そうすけも愛想あいそなく通とほり過すぎる譯わけにも行ゆかなくなつて、一寸ちよつと歩調ほてうを緩ゆるめながら、帽子ばうしを取とつた。すると坂井さかゐは、用ようはもう濟すんだと云いふ風ふうをして、店みせから出でて來きた。
「何なにか御求おもとめですか」と宗助そうすけが聞きくと、
「いえ、何なに」と答こたへた儘まゝ、宗助そうすけと並ならんで家うちの方はうへ歩あるき出だした。六七間けん來きたとき、
「あの爺ぢゞい、中々なかか猾ずるい奴やつですよ。華山くわざんの僞物にせものを持もつて來きて押付おつつけやうとしやがるから、今いま叱しかり付つけて遣やつたんです」と云いい出だした。宗助そうすけは始はじめて、此この坂井さかゐも餘裕よゆうある人ひとに共通きようつうな好事かうずを道樂だうらくにしてゐるのだと心こゝろ付づいた。さうして此間このあひだ賣うり拂はらつた抱一はういつの屏風びやうぶも、最初さいしよから斯かう云いふ人ひとに見みせたら、好よかつたらうにと、腹はらの中なかで考かんがへた。「あれは書畫しよぐわには明あかるい男をとこなんですか」
「なに書畫しよぐわどころか、丸まるで何なにも分わからない奴やつです。あの店みせの樣子やうすを見みても分わかるぢやありませんか。骨董こつとうらしいものは一ひとつも並ならんでゐやしない。もとが紙屑屋かみくづやから出世しゆつせしてあれ丈だけになつたんですからね」
 坂井さかゐは道具屋だうぐやの素性すじやうを能よく知しつてゐた。出入でいりの八百屋やほやの阿爺おやぢの話はなしによると、坂井さかゐの家いへは舊幕きうばくの頃ころ何なんとかの守かみと名乘なのつたもので、此この界隈かいわいでは一番いちばん古ふるい門閥家もんばつかなのださうである。瓦解ぐわかいの際さい、駿府すんぷへ引ひき上あげなかつたんだとか、或あるひは引ひき上あげて又また出でて來きたんだとか云いふ事ことも耳みゝにした樣やうであるが、それは判然はつきり宗助そうすけの頭あたまに殘のこつてゐなかつた。
「小ちひさい内うちから惡戲いたづらものでね。あいつが餓鬼大將がきだいしやうになつて能よく喧譁けんくわをしに行いつた事ことがありますよ」と坂井さかゐは御互おたがひの子供こどもの時ときの事こと迄まで一口ひとくち洩もらした。それが又また何どうして華山くわざんの贋物にせものを賣うり込こまうと巧たくんだのかと聞きくと、坂井さかゐは笑わらつて、斯かう説明せつめいした。――
「なに親父おやぢの代だいから贔屓ひいきにして遣やつてるものですから、時々ときき何なんだ蚊かだつて持もつて來くるんです。所ところが眼めも利きかない癖くせに、只たゞ慾よくばりたがつてね、まことに取扱とりあつかひ惡にくい代物しろものです。それについ此間このあひだ抱一はういつの屏風びやうぶを買かつて貰もらつて、味あぢを占しめたんでね」 宗助そうすけは驚おどろいた。けれども話はなしの途中とちゆうを遮さへぎる譯わけに行ゆかなかつたので、默だまつてゐた。坂井さかゐは道具屋だうぐやがそれ以來いらい乘氣のりきになつて、自身じしんに分わかりもしない書畫類しよぐわるゐをしきりに持もち込こんで來くる事ことやら、大坂おほさか出來できの高麗燒かうらいやきを本物ほんものだと思おもつて、大事だいじに飾かざつて置おいた事ことやら話はなした末すゑ、
「まあ臺所だいどころで使つかふ食卓ちやぶだいか、たかか新あらの鐵瓶てつびん位ぐらゐしか、彼あんな所ところぢや買かへたもんぢやありません」と云いつた。
 其内そのうち二人ふたりは坂さかの上うへへ出でた。坂井さかゐは其所そこを右みぎへ曲まがる、宗助そうすけは其所そこを下したへ下おりなければならなかつた。宗助そうすけはもう少すこし一所いつしよに歩あるいて、屏風びやうぶの事ことを聞ききたかつたが、わざざ回まはり路みちをするのも變へんだと心付こゝろづいて、夫それなり分わかれた。分わかれる時とき、
「近ちかい中うち御邪魔おじやまに出でても宣よう御座ございますか」と聞きくと、坂井さかゐは、
「どうぞ」と快こゝろよく答こたへた。
 其日そのひは風かぜもなく一仕切ひとしきり日ひも照てつたが、家うちにゐると底冷そこびえのする寒さむさに襲おそはれるとか云いつて、御米およねはわざざ置炬燵おきごたつに宗助そうすけの着物きものを掛かけて、それを座敷ざしきの眞中まんなかに据すゑて、夫をつとの歸かへりを待まち受うけてゐた。
 此冬このふゆになつて、晝ひるのうち炬燵こたつを拵こしらえたのは、其日そのひが始はじめてゞあつた。夜よるは疾とうから用もちひてゐたが、何時いつも六疊でふに置おく丈だけであつた。「座敷ざしきの眞中まんなかにそんなものを据すゑて、今日けふは何どうしたんだい」
「でも、御客おきやくも何なにもないから可いいでせう。だつて六疊でふの方はうは小六ころくさんが居ゐて、塞ふさがつてゐるんですもの」
 宗助そうすけは始はじめて自分じぶんの家いへに小六ころくの居ゐる事ことに氣きが付ついた。襯衣しやつの上うへから暖あたゝかい紡績織ばうせきおりを掛かけて貰もらつて、帶おびをぐるる卷まき付つけたが、
「こゝは寒帶かんたいだから炬燵こたつでも置おかなくつちや凌しのげない」と云いつた。小六ころくの部屋へやになつた六疊でふは、疊たゝみこそ奇麗きれいでないが、南みなみと東ひがしが開あいてゐて、家中うちぢゆうで一番いちばん暖あたゝかい部屋へやなのである。
 宗助そうすけは御米およねの汲くんで來きた熱あつい茶ちやを湯呑ゆのみから二口ふたくち程ほど飮のんで、
「小六ころくはゐるのかい」と聞きいた。小六ころくは固もとより居ゐた筈はずである。けれども六疊でふはひつそりして人ひとのゐる樣やうにも思おもはれなかつた。御米およねが呼よびに立たたうとするのを、用ようはないから可いいと留とめた儘まゝ、宗助そうすけは炬燵蒲團こたつぶとんの中なかへ潛もぐり込こんで、すぐ横よこになつた。一方口いつぱうぐちに崖がけを控ひかえてゐる座敷ざしきには、もう暮方くれがたの色いろが萠きざしてゐた。宗助そうすけは手枕てまくらをして、何なにを考かんがへるともなく、たゞ此この暗くらく狹せまい景色けしきを眺ながめてゐた。すると御米およねと清きよが臺所だいどころで働はたらく音おとが、自分じぶんに關係くわんけいのない隣となりの人ひとの活動くわつどうの如ごとくに聞きこえた。そのうち、障子しやうじ丈だけがたゞ薄白うすじろく宗助そうすけの眼めに映うつる樣やうに、部屋へやの中なかが暮くれて來きた。彼かれはそれでも凝じつとして動うごかずにゐた。聲こゑを出だして洋燈らんぷの催促さいそくもしなかつた。 彼かれが暗くらい所ところから出でて、晩食ばんめしの膳ぜんに着ついた時ときは、小六ころくも六疊でふから出でて來きて、兄あにの向むかふに坐すわつた。御米およねは忙いそがしいので、つい忘わすれたと云いつて、座敷ざしきの戸とを締しめに立たつた。宗助そうすけは弟おとうとに夕方ゆふがたになつたら、ちと洋燈らんぷを點つけるとか、戸とを閉たてるとかして、忙せはしい姉あねの手傳てつだひでもしたら好よからうと注意ちゆういしたかつたが、昨今さくこん引ひき移うつつた許ばかりのものに、氣きまづい事ことを云いふのも惡わるからうと思おもつて已やめた。
 御米およねが座敷ざしきから歸かへつて來くるのを待まつて、兄弟きやうだいは始はじめて茶碗ちやわんに手てを着つけた。其時そのとき宗助そうすけは漸やうやく今日けふ役所やくしよの歸かへりがけに、道具屋だうぐやの前まへで坂井さかゐに逢あつた事ことと、坂井さかゐがあの大おほきな眼鏡めがねを掛かけてゐる道具屋だうぐやから、抱一はういつの屏風びやうぶを買かつたと云いふ話はなしをした。御米およねは、
「まあ」と云いつたなり、しばらく宗助そうすけの顏かほを見みてゐた。
「ぢや屹度きつとあれよ。屹度きつとあれに違ちがひないわね」
 小六ころくは始はじめのうち何なんにも口くちを出ださなかつたが、段々だんん兄夫婦あにふうふの話はなしを聞きいてゐるうちに、略ほゞ關係くわんけいが明暸めいれうになつたので、
「全體ぜんたい幾何いくらで賣うつたのです」と聞きいた。御米およねは返事へんじをする前まへに一寸ちよつと夫をつとの顏かほを見みた。 食事しよくじが終をはると、小六ころくはぢきに六疊でふへ這入はいつた。宗助そうすけは又また炬燵こたつへ歸かへつた。しばらくして御米およねも足あしを温ぬくめに來きた。さうして次つぎの土曜どえうか日曜にちえうには坂井さかゐへ行いつて、一ひとつ屏風びやうぶを見みて來きたら可いいだらうと云いふ樣やうな事ことを話はなし合あつた。
 次つぎの日曜にちえうになると、宗助そうすけは例れいの通とほり一週しうに一返ぺんの樂寐らくねを貪むさぼつたため、午前ひるまへ半日はんにちをとうう空くうに潰つぶして仕舞しまつた。御米およねは又また頭あたまが重おもいとか云いつて、火鉢ひばちの縁ふちに倚よりかゝつて、何なにをするのも懶ものうさうに見みえた。斯こんな時ときに六疊でふが空あいてゐれば、朝あさからでも引込ひつこむ場所ばしよがあるのにと思おもふと、宗助そうすけは小六ころくに六疊でふを宛あてがつた事ことが、間接かんせつに御米およねの避難場ひなんばを取とり上あげたと同おなじ結果けつくわに陷おちいるので、ことに濟すまない樣やうな氣きがした。
 心持こゝろもちが惡わるければ、座敷ざしきへ床とこを敷しいて寐ねたら好よからうと注意ちゆういしても、御米およねは遠慮ゑんりよして容易よういに應おうじなかつた。それでは又また炬燵こたつでも拵こしらえたら何どうだ、自分じぶんも當あたるからと云いつて、とうう櫓やぐらと掛蒲團かけぶとんを清きよに云いひ付つけて、座敷ざしきへ運はこばした。
 小六ころくは宗助そうすけが起おきる少すこし前まへに、何處どこかへ出でて行いつて、今朝けさは顏かほさへ見みせなかつた。宗助そうすけは御米およねに向むかつて別段べつだん其その行先ゆくさきを聞きき糺たゞしもしなかつた。此頃このごろでは小六ころくに關係くわんけいした事ことを云いひ出だして、御米およねに其その返事へんじをさせるのが氣きの毒どくになつて來きた。御米およねの方はうから、進すゝんで弟おとうとの讒訴ざんそでもする樣やうだと、叱しかるにしろ、慰なぐさめるにしろ、却かへつて始末しまつが好いいと考かんがへる時ときもあつた。 午ひるになつても御米およねは炬燵こたつから出でなかつた。宗助そうすけは一層いつそ靜しづかに寐ねかして置おく方はうが身體からだのために可よからうと思おもつたので、そつと臺所だいどころへ出でて、清きよに一寸ちよつと上うへの坂井さかゐ迄まで行いつてくるからと告つげて、不斷着ふだんぎの上うへへ、袂たもとの出でる短みじかいインヷネスを纏まとつて表おもてへ出でた。
 今迄いままで陰氣いんきな室へやにゐた所爲せゐか、通とほりへ來くると急きふにからりと氣きが晴はれた。肌はだの筋肉きんにくが寒さむい風かぜに抵抗ていかうして、一時いちじに緊縮きんしゆくする樣やうな冬ふゆの心持こゝろもちの鋭するどく出でるうちに、ある快感くわいかんを覺おぼえたので、宗助そうすけは御米およねもあゝ家うちにばかり置おいては善よくない、氣候きこうが好よくなつたら、ちと戸外こぐわいの空氣くうきを呼吸こきふさせる樣やうにしてやらなくては毒どくだと思おもひながら歩あるいた。
 坂井さかゐの家うちの門もんを入はひつたら、玄關げんくわんと勝手口かつてぐちの仕切しきりになつてゐる生垣いけがきの目めに、冬ふゆに似合にあはないぱつとした赤あかいものが見みえた。傍そばへ寄よつてわざざ檢しらべると、それは人形にんぎやうに掛かける小ちひさい夜具やぐであつた。細ほそい竹たけを袖そでに通とほして、落おちない樣やうに、扇骨木かなめの枝えだに寄よせ掛かけた手際てぎはが、如何いかにも女をんなの子この所作しよさらしく殊勝しゆしように思おもはれた。かう云いふ惡戯いたづらをする年頃としごろの娘むすめは固もとよりの事こと、子供こどもと云いふ子供こどもを育そだて上あげた經驗けいけんのない宗助そうすけは、此この小ちひさい赤あかい夜具やぐの尋常じんじやうに日ひに干ほしてある有樣ありさまをしばらく立たつて眺ながめてゐた。さうして二十年ねんも昔むかしに父母ふぼが、死しんだ妹いもとの爲ために飾かざつた、赤あかい雛段ひなだんと五人囃ごにんばやしと、模樣もやうの美うつくしい干菓子ひぐわしと、それから甘あまい樣やうで辛からい白酒しろざけを思おもひ出だした。 坂井さかゐの主人しゆじんは在宅ざいたくではあつたけれども、食事中しよくじちゆうだと云いふので、しばらく待またせられた。宗助そうすけは座ざに着つくや否いなや、隣となりの室へやで小ちひさい夜具やぐを干ほした人達ひとたちの騷さわぐ聲こゑを耳みゝにした。下女げぢよが茶ちやを運はこぶために襖ふすまを開あけると、襖ふすまの影かげから大おほきな眼めが四よつつ程ほど既すでに宗助そうすけを覗のぞいてゐた。火鉢ひばちを持もつて出でると、其後そのあとから又また違ちがつた顏かほが見みえた。始はじめての所爲せゐか、襖ふすまの開閉あけたての度たびに出でる顏かほが悉こととく違ちがつてゐて、子供こどもの數かずが何人なんにんあるか分わからない樣やうに思おもはれた。漸やうやく下女げぢよが退さがりきりに退さがると、今度こんどは誰だれだか唐紙からかみを一寸いつすん程ほど細目ほそめに開あけて、黒くろい光ひかる眼丈めだけを其間そのあひだから出だした。宗助そうすけも面白おもしろくなつて、默だまつて手招てまねぎをして見みた。すると唐紙からかみをぴたりと閉たてゝ、向むかふ側がはで三四人さんよにんが聲こゑを合あはして笑わらひ出だした。
 やがて一人ひとりの女をんなの子こが、
「よう、御姉樣おねえさま又また何時いつもの樣やうに叔母をばさんごつこ爲しませうよ」と云いひ出だした。すると姉あねらしいのが、
「えゝ、今日けふは西洋せいやうの叔母をばさんごつこよ。東作とうさくさんは御父おとうさまだからパパで、雪子ゆきこさんは御母おかあさまだからママつて云いふのよ。可よくつて」と説明せつめいした。其時そのとき又また別べつの聲こゑで、「可笑をかしいわね。ママだつて」と云いつて嬉うれしさうに笑わらつたものがあつた。
「私わたし夫それでも何時いつも御祖母おばゞさまなのよ。御祖母おばゞさまの西洋せいやうの名ながなくつちや不可いけないわねえ。御祖母おばゞさまは何なんて云いふの」と聞きいたものもあつた。
「御祖母おばゞさまは矢やつ張ぱりバヾで可いいでせう」と姉あねが又また説明せつめいした。
 夫それから當分たうぶんの間あひだは、御免ごめん下くださいましだの、何方どちらから入いらつしやいましたのと盛さかんに挨拶あいさつの言葉ことばが交換かうくわんされてゐた。其間そのあひだにはちりんんと云いふ電話でんわの假聲こわいろも交まじつた。凡すべてが宗助そうすけには陽氣やうきで珍めづらしく聞きこえた。
 其所そこへ奧おくの方はうから足音あしおとがして、主人しゆじんが此方こつちへ出でて來きたらしかつたが、次つぎの間まへ入はひるや否いなや、
「さあ、御前達おまへたちは此所こゝで騷さわぐんぢやない。彼方あつちへ行いつて御出おいで。御客おきやくさまだから」と制せいした。其時そのとき、誰だれだかすぐに、
「厭いやだよ。御父おとつちやんべい。大おほきい御馬おむま買かつて呉くれなくつちや、彼方あつちへ行いかないよ」と答こたへた。聲こゑは小ちひさい男をとこの子この聲こゑであつた。年としが行いかない爲ためか、舌したが能よく回まはらないので、抗辯かうべんのしやうが如何いかにも億劫おくくふで手間てまが掛かかつた。宗助そうすけは其所そこを特とくに面白おもしろく思おもつた。
 主人しゆじんが席せきに着ついて、長ながい間あひだ待またした失禮しつれいを詫わびてゐる間まに、子供こどもは遠とほくへ行いつて仕舞しまつた。「大變たいへん御賑おにぎやかで結構けつこうです」と宗助そうすけが今いま自分じぶんの感かんじた通とほりを述のべると、主人しゆじんはそれを愛嬌あいけうと受取うけとつたものと見みえて、
「いや御覽ごらんの如ごとく亂雜らんざつな有樣ありさまで」と言譯いひわけらしい返事へんじをしたが、それを緒いとくちに、子供こどもの世話せわの燒やけて、夥おびただしく手ての掛かゝる事ことなどを色々いろろ宗助そうすけに話はなして聞きかした。其中そのうちで綺麗きれいな支那製しなせいの花籃はなかごのなかへ炭團たどんを一杯いつぱい盛もつて床とこの間まに飾かざつたと云いふ滑稽こつけいと、主人しゆじんの編上あみあげの靴くつのなかへ水みづを汲くみ込こんで、金魚きんぎよを放はなしたと云いふ惡戲いたずらが、宗助そうすけには大變たいへん耳みゝ新あたらしかつた。然しかし、女をんなの子こが多おほいので服裝ふくさうに物ものが要いるとか、二週間にしうかんも旅行りよかうして歸かへつてくると、急きふにみんなの脊せいが一寸いつすんづゝも伸のびてゐるので、何なんだか後うしろから追おひ付つかれる樣やうな心持こゝろもちがするとか、もう少すこしすると、嫁入よめいりの支度したくで忙殺ばうさつされるのみならず、屹度きつと貧殺ひんさつされるだらうとか云いふ話はなしになると、子供こどものない宗助そうすけの耳みゝには夫程それほどの同情どうじやうも起おこし得えなかつた。却かへつて主人しゆじんが口くちで子供こどもを煩冗うるさがる割わりに、少すこしもそれを苦くにする樣子やうすの顏かほにも態度たいどにも見みえないのを羨うらやましく思おもつた。 好いい加減かげんな頃ころを見計みはかつて宗助そうすけは、先達せんだつて話はなしのあつた屏風びやうぶを一寸ちよつと見みせて貰もらへまいかと、主人しゆじんに申まをし出でた。主人しゆじんは早速さつそく引ひき受うけて、ぱちちと手てを鳴ならして、召使めしつかひを呼よんだが、藏くらの中なかに仕舞しまつてあるのを取とり出だして來くる樣やうに命めいじた。さうして宗助そうすけの方はうを向むいて、
「つい二三日前にさんちまへ迄まで其所そこへ立たてゝ置おいたのですが、例れいの子供こどもが面白おもしろ半分はんぶんにわざと屏風びやうぶの影かげへ集あつまつて、色々いろろな惡戲いたづらをするものですから、傷きずでも付つけられちや大變たいへんだと思おもつて仕舞しまひ込こんでしまひました」と云いつた。
 宗助そうすけは主人しゆじんの此この言葉ことばを聞きいた時とき、今更いまさら手數てかずをかけて、屏風びやうぶを見みせて貰もらふのが、氣きの毒どくにもなり、又また面倒めんだうにもなつた。實じつを云いふと彼かれの好奇心かうきしんは、夫程それほど強つよくなかつたのである。成程なるほど一旦いつたん他ひとの所有しよいうに歸きしたものは、たとひ元もとが自分じぶんのであつたにしろ、無なかつたにしろ、其所そこを突つき留とめた所ところで、實際上じつさいじやうには何なんの効果かうくわもない話はなしに違ちがひなかつた。
 けれども、屏風びやうぶは宗助そうすけの申まをし出でた通とほり、間まもなく奧おくから縁傳えんづたひに運はこび出だされて、彼かれの眼めの前まへに現あらはれた。さうして夫それが豫想通よさうどほりつい此間このあひだ迄まで自分じぶんの座敷ざしきに立たてゝあつた物ものであつた。此この事實じじつを發見はつけんした時とき、宗助そうすけの頭あたまには、是これと云いつて大たいした感動かんどうも起おこらなかつた。たゞ自分じぶんが今いま坐すわつてゐる疊たゝみの色いろや、天井てんじやうの柾目まさめや、床とこの置物おきものや、襖ふすまの模樣もやうなどの中なかに、此この屏風びやうぶを立たてて見みて、夫それに、召使めしつかひが二人ふたりがゝりで、藏くらの中なかから大事だいじさうに取とり出だして來きたと云いふ所作しよさを付つけ加くはへて考かんがへると、自分じぶんが持もつてゐた時ときよりは慥たしかに十倍ばい以上いじやう貴たつとい品しなの樣やうに眺ながめられた丈だけであつた。彼かれは即座そくざに云いふ可べき言葉ことばを見出みいだし得えなかつたので、いたづらに、見慣みなれたものゝ上うへに、更さらに新あたらしくもない眼めを据すゑてゐた。 主人しゆじんは宗助そうすけを以もつてある程度ていどの鑑賞家かんしやうかと誤解ごかいした。立たちながら屏風びやうぶの縁ふちへ手てを掛かけて、宗助そうすけの面おもてと屏風びやうぶの面おもてとを比較ひかくしてゐたが、宗助そうすけが容易よういに批評ひひやうを下くださないので、
「是これは素性すじやうの慥たしかなものです。出でが出でですからね」と云いつた。宗助そうすけは、たゞ
「成程なるほど」と云いつた。
 主人しゆじんはやがて宗助そうすけの後うしろへ回まはつて來きて、指ゆびで其所そこ此所こゝを指さしながら、品評ひんぴやうやら説明せつめいやらした。其中そのうちには、さすが御大名丈おだいみやうだけあつて、好いい繪ゑの具ぐを惜氣をしげもなく使つかふのが此この畫家ぐわかの特色とくしよくだから、色いろが如何いかにも美事みごとであると云いふ樣やうな、宗助そうすけには耳みゝ新あたらしいけれども、普通ふつう一般いつぱんに知しれ渡わたつた事ことも大分だいぶ交まじつてゐた。
 宗助そうすけは好いい加減かげんな頃ころを見計みはからつて、丁寧ていねいに禮れいを述のべて元もとの席せきに復ふくした。主人しゆじんも蒲團ふとんの上うへに直なほつた。さうして、今度こんどは野路のぢや空そら云々うんんといふ題句だいくやら書體しよたいやらに就ついて語かたり出だした。宗助そうすけから見みると、主人しゆじんは書しよにも俳句はいくにも多おほくの興味きようみを有もつてゐた。何時いつの間まに是程これほどの知識ちしきを頭あたまの中なかへ貯たくはへ得えらるゝかと思おもふ位くらゐ、凡すべてに心得こゝろえのある男をとこらしく思おもはれた。宗助そうすけは己おのれを耻はぢて、成なるべく物數ものかずを云いはない樣やうにして、たゞ向むかふの話はなし丈だけに耳みゝを借かす事ことを力つとめた。 主人しゆじんは客きやくが此この方面はうめんの興味きようみに乏とぼしい樣子やうすを見みて、再ふたゝび話はなしを畫ゑの方はうへ戻もどした。碌ろくなものはないけれども、望のぞみならば所藏しよざうの畫帖ぐわでふや幅物ふくものを見みせても可いいと親切しんせつに申まをし出だした。宗助そうすけは折角せつかくの好意かういを辭退じたいしない譯わけに行いかなかつた。其代そのかはりに、失禮しつれいですがと前置まへおきをして、主人しゆじんが此この屏風びやうぶを手てに入いれるに就ついて、何どれ程ほどの金額きんがくを拂はらつたかを尋たづねた。
「まあ掘出ほりだし物ものですね。八十圓ゑんで買かひました」と主人しゆじんはすぐ答こたへた。
 宗助そうすけは主人しゆじんの前まへに坐すわつて、此この屏風びやうぶに關くわんする一切いつさいの事ことを自白じはくしやうか、しまいかと思案しあんしたが、ふと打うち明あけるのも一興いつきようだらうと心付こゝろづいて、とうう實じつは是々これれだと、今迄いままでの顛末てんまつを詳くはしく話はなし出だした。主人しゆじんは時々とききへえ、へえと驚おどろいた樣やうな言葉ことばを挾はさんで聞きいてゐたが、仕舞しまひに、
「ぢや貴方あなたは別べつに書畫しよぐわが好すきで、見みに入いらしつた譯わけでもないんですね」と自分じぶんの誤解ごかいを、さも面白おもしろい經驗けいけんでもした樣やうに笑わらい出だした。同時どうじに、さう云いふ譯わけなら、自分じぶんが直ぢかに宗助そうすけから相當さうたうの値ねで讓ゆづつて貰もらへば可よかつたに、惜をしい事ことをしたと云いつた。最後さいごに横町よこちやうの道具屋だうぐやをひどく罵のゝしつて、怪けしからん奴やつだと云いつた。 宗助そうすけと坂井さかゐとは是これから大分だいぶ親したしくなつた。

十

 佐伯さへきの叔母をばも安之助やすのすけも其後そのご頓とんと宗助そうすけの宅うちへは見みえなかつた。宗助そうすけは固もとより麹町かうぢまちへ行ゆく餘暇よかを有もたなかつた。又また夫丈それだけの興味きようみもなかつた。親類しんるゐとは云いひながら、別々べつつの日ひが二人ふたりの家いへを照てらしてゐた。
 たゞ小六ころく丈だけが時々ときき話はなしに出掛でかける樣子やうすであつたが、是これとても、さう繁々しげげ足あしを運はこぶ譯わけでもないらしかつた。それに彼かれは歸かへつて來きて、叔母をばの家いへの消息せうそくを殆ほとんど御米およねに語かたらないのを常つねとして居をつた。御米およねはこれを故意こいから出でる小六ころくの仕打しうちかとも疑うたぐつた。然しかし自分じぶんが佐伯さへきに對たいして特別とくべつの利害りがいを感かんじない以上いじやう、御米およねは叔母をばの動靜どうせいを耳みゝにしない方はうを、却かへつて喜よろこんだ。
 それでも時々とききは、先方さきの樣子やうすを、小六ころくと兄あにの對話たいわから聞きき込こむ事こともあつた。一週間しうかん程ほど前まへに、小六ころくは兄あにに、安之助やすのすけがまた新發明しんはつめいの應用おうように苦心くしんしてゐる話はなしをした。それは印氣インキの助たすけを借からないで、鮮明せんめいな印刷物いんさつぶつを拵こしらえるとか云いふ、一寸ちよつと聞きくと頗すこぶる重寶ちようはうな器械きかいに就ついてであつた。話題わだいの性質せいしつから云いつても、自分じぶんとは全まつたく利害りがいの交渉かうせふのない六むづかしい事ことなので、御米およねは例れいの通とほり默だまつて口くちを出ださずにゐたが、宗助そうすけは男をとこだけに幾分いくぶんか好奇心かうきしんが動うごいたと見みえて、何どうして印氣インキを使つかはずに印刷いんさつが出來できるか抔などと問とひ糺たゞしてゐた。 專門上せんもんじやうの知識ちしきのない小六ころくが、精密せいみつな返答へんたふをし得うる筈はずは無論むろんなかつた。彼かれはたゞ安之助やすのすけから聞きいた儘まゝを、覺おぼえてゐる限かぎり念ねんを入いれて説明せつめいした。此この印刷術いんさつじゆつは近來きんらい英國えいこくで發明はつめいになつたもので、根本的こんぽんてきにいふと矢張やはり電氣でんきの利用りように過すぎなかつた。電氣でんきの一極きよくを活字くわつじと結むすび付つけて置おいて、他たの一極きよくを紙かみに通つうじて、其紙そのかみを活字くわつじの上うへへ壓おし付つけさへすれば、すぐ出來できるのだと小六ころくが云いつた。色いろは普通ふつう黒くろであるが、手加減てかげん次第しだいで赤あかにも青あをにもなるから色刷いろずり抔などの場合ばあひには、繪ゑの具ぐを乾かわかす時間じかんが省はぶける丈だけでも大變たいへん重寶ちようはうで、是これを新聞しんぶんに應用おうようすれば、印氣インキや印氣インキロールの費つひえを節約せつやくする上うへに、全體ぜんたいから云いつて、少すくなくとも從來じゆうらいの四分ぶんの一の手數てかずがなくなる點てんから見みても、前途ぜんとは非常ひじやうに有望いうばうな事業じげふであると、小六ころくは又また安之助やすのすけの話はなした通とほりを繰くり返かへした。さうして其その有望いうばうな前途ぜんとを、安之助やすのすけが既すでに手ての中うちに握にぎつたかの如ごとき口氣こうきであつた。かつ其その多望たばうな安之助やすのすけの未來みらいのなかには、同おなじく多望たばうな自分じぶんの影かげが、含ふくまれてゐる樣やうに、眼めを輝かゞやかした。其時そのとき宗助そうすけは何時いつもの調子てうしで、寧むしろ穩おだやかに、弟おとうとの云いふ事ことを聞きいてゐたが、聞きいてしまつた後あとでも、別べつに是これといふ眼立めだつた批評ひひやうは加くはへなかつた。實際じつさい斯こんな發明はつめいは、宗助そうすけから見みると、本當ほんたうの樣やうでもあり、又また嘘うその樣やうでもあり、愈いよよそれが世間せけんに行おこなはれる迄までは、贊成さんせいも反對はんたいも出來できかねたのである。「ぢや鰹船かつをぶねの方はうはもう止よしたの」と、今迄いままで默だまつてゐた御米およねが、此時このとき始はじめて口くちを出だした。
「止よしたんぢやないんですが、あの方はうは費用ひようが隨分ずゐぶん掛かゝるので、いくら便利べんりでも、さう誰だれも彼かれも拵こしらえる譯わけに行ゆかないんださうです」と小六ころくが答こたへた。小六ころくは幾分いくぶんか安之助やすのすけの利害りがいを代表だいへうしてゐる樣やうな口振くちぶりであつた。夫それから三人にんの間あひだに、しばらく談話だんわが交換かうくわんされたが、仕舞しまひに、
「矢張やつぱり何なにをしたつて、さう旨うまく行ゆくもんぢやあるまいよ」と云いつた宗助そうすけの言葉ことばと、
「坂井さかゐさん見みた樣やうに、御金おかねがあつて遊あそんでゐるのが一番いちばん可いいわね」と云いつた御米およねの言葉ことばを聞きいて、小六ころくは又また自分じぶんの部屋へやへ歸かへつて行いつた。
 斯かう云いふ機會きくわいに、佐伯さへきの消息せうそくは折々をりり夫婦ふうふの耳みゝへ洩もれる事ことはあるが、其外そのほかには、全まつたく何なにをして暮くらしてゐるか、互たがひに知しらないで過すごす月日つきひが多おほかつた。
 ある時とき御米およねは宗助そうすけに斯こんな問とひを掛かけた。
「小六ころくさんは、安やすさんの所ところへ行ゆくたんびに、小遣こづかひでも貰もらつて來くるんでせうか」
 今迄いままで小六ころくに就ついて、夫程それほどの注意ちゆういを拂はらつてゐなかつた宗助そうすけは、突然とつぜん此この問とひに逢あつて、すぐ、「何故なぜ」と聞きき返かへした。御米およねはしばらく逡巡ためらつた末すゑ、「だつて、此頃このごろ能よく御酒おさけを呑のんで歸かへつて來くる事ことがあるのよ」と注意ちゆういした。
「安やすさんが例れいの發明はつめいや、金儲かねまうけの話はなしをするとき、其その聞きき賃ちんに奢おごるのかも知しれない」と云いつて宗助そうすけは笑わらつてゐた。會話くわいわはそれなりでつい發展はつてんせずに仕舞しまつた。
 越こえて三日目みつかめの夕方ゆふがたに、小六ころくはまた飯時めしどきを外はづして歸かへつて來こなかつた。しばらく待まち合あはせてゐたが、宗助そうすけはついに空腹くうふくだとか云いひ出だして、一寸ちよつと湯ゆにでも行いつて、時間じかんを延のばしたらといふ御米およねの小六ころくに對たいする氣兼きがねに頓着とんぢやくなく、食事しよくじを始はじめた。其時そのとき御米およねは夫をつとに、
「小六ころくさんに御酒おさけを止やめる樣やうに、貴方あなたから云いつちや不可いけなくつて」と切きり出だした。
「そんなに意見いけんしなければならない程ほど飮のむのか」と宗助そうすけは少すこし案外あんぐわいな顏かほをした。
 御米およねは夫程それほどでもないと、辯護べんごしなければならなかつた。けれども實際じつさいは誰だれもゐない晝間ひるまのうち抔などに、あまり顏かほを赤あかくして歸かへつて來こられるのが、不安ふあんだつたのである。宗助そうすけは夫それなり放はふつて置おいた。然しかし腹はらの中なかでは、果はたして御米およねの云いふ如ごとく、何所どこかで金かねを借かりるか、貰もらふかして、夫程それほど好すきもしないものを、わざと飮のむのではなからうかと疑うたぐつた。
 其そのうち年としが段々だんん片寄かたよつて、夜よるが世界せかいの三分さんぶんの二にを領りやうする樣やうに押おし詰つまつて來きた。風かぜが毎日まいにち吹ふいた。其音そのおとを聞きいてゐる丈だけでも、生活ライフに陰氣いんきな響ひゞきを與あたへた。小六ころくはどうしても、六疊でふに籠こもつて、一日いちにちを送おくるに堪たえなかつた。落おち付ついて考かんがへれば考かんがへる程ほど、頭あたまが淋さむしくつて、居ゐたゝまれなくなる許ばかりであつた。茶ちやの間まへ出でて嫂あによめと話はなすのは猶なほ厭いやであつた。已やむを得えず外そとへ出でた。さうして友達ともだちの宅うちをぐるる回まはつて歩あるいた。友達ともだちも始はじめのうちは、平生いつもの小六ころくに對たいする樣やうに、若わかい學生がくせいのしたがる面白おもしろい話はなしを幾何いくらでもした。けれども小六ころくはさう云いふ話はなしが盡つきても、まだ遣やつて來きた。それで仕舞しまひには、友達ともだちが、小六ころくは、退屈たいくつの餘あまりに訪問はうもんをして、談話だんわの復習ふくしふに耽ふけるものだと評ひやうした。たまには學校がくかうの下讀したよみやら研究けんきうやらに追おはれてゐる多忙たばうの身みだと云いふ風ふうもして見みせた。小六ころくは友達ともだちからさう呑氣のんきな怠なまけものゝ樣やうに取とり扱あつかはれるのを、大變たいへん不愉快ふゆくわいに感かんじた。けれども宅うちに落おち付ついては、讀書どくしよも思索しさくも、丸まるで出來できなかつた。要えうするに彼かれ位ぐらゐの年輩ねんぱいの青年せいねんが、一人前いちにんまへの人間にんげんになる楷梯かいていとして、修をさむべき事こと、力つとむべき事ことには、内部ないぶの動搖どうえうやら、外部ぐわいぶの束縛そくばくやらで、一切いつさい手てが着つかなかつたのである。 夫それでも冷つめたい雨あめが横よこに降ふつたり、雪融ゆきどけの道みちがはげしく泥ぬかつたりする時ときは、着物きものを濡ぬらさなければならず、足袋たびの泥どろを乾かわかさなければならない面倒めんだうがあるので、如何いかな小六ころくも時ときによると、外出ぐわいしゆつを見合みあはせる事ことがあつた。さう云いふ日ひには、實際じつさい困却こんきやくすると見みえて、時々ときき六疊でふから出でて來きて、のそりと火鉢ひばちの傍そばへ坐すわつて、茶ちやなどを注ついで飮のんだ。さうして其所そこに御米およねでもゐると、世間話せけんばなしの一ひとつや二ふたつはしないとも限かぎらなかつた。
「小六ころくさん御酒おさけ好すき」と御米およねが聞きいた事ことがあつた。
「もう直ぢき御正月おしやうぐわつね。貴方あなた御雜煑おざふにいくつ上あがつて」と聞きいた事こともあつた。
 さう云いふ場合ばあひが度重たびかさなるに連つれて、二人ふたりの間あひだは少すこしづゝ近寄ちかよる事ことが出來できた。仕舞しまひには、姉ねえさん一寸ちよつとこゝを縫ぬつて下くださいと、小六ころくの方はうから進すゝんで、御米およねに物ものを頼たのむ樣やうになつた。さうして御米およねが絣かすりの羽織はおりを受取うけとつて、袖口そでくちの綻ほころびを繕つくろつてゐる間あひだ、小六ころくは何なんにもせずに其所そこへ坐すわつて、御米およねの手先てさきを見詰みつめてゐた。これが夫をつとだと、何時迄いつまでも默だまつて針はりを動うごかすのが、御米およねの例れいであつたが、相手あいてが小六ころくの時ときには、さう投遣なげやりに出來できないのが、又また御米およねの性質せいしつであつた。だからそんな時ときには力つとめても話はなしをした。話はなしの題目だいもくで、稍やゝともすると小六ころくの口くちに宿やどりたがるものは、彼かれの未來みらいを何どうしたら好よからうと云いふ心配しんぱいであつた。「だつて小六ころくさんなんか、まだ若わかいぢやありませんか。何なにをしたつて是これからだわ。そりや兄にいさんの事ことよ。さう悲觀ひくわんしても可いいのわ」
 御米およねは二度にど許ばかり斯かういふ慰なぐさめ方かたをした。三度目さんどめには、
「來年らいねんになれば、安やすさんの方はうで何どうか都合つがふして上あげるつて受合うけあつて下くだすつたんぢやなくつて」と聞きいた。小六ころくは其時そのとき不慥ふたしかな表情へうじやうをして、
「そりや安やすさんの計畫けいくわくが、口くちでいふ通とほり旨うまく行いけば譯わけはないんでせうが、段々だんん考かんがへると、何なんだか少すこし當あてにならない樣やうな氣きがし出だしてね。鰹船かつをぶねもあんまり儲まうからない樣やうだから」と云いつた。御米およねは小六ころくの憮然ぶぜんとしてゐる姿すがたを見みて、それを時々ときき酒氣しゆきを帶おびて歸かへつて來くる、何所どこかに殺氣さつきを含ふくんだ、しかも何なにが癪しやくに障さはるんだか譯わけが分わからないでゐて甚はなはだ不平ふへいらしい小六ころくと比較ひかくすると、心こゝろの中うちで氣きの毒どくにもあり、又また可笑をかしくもあつた。其時そのときは、
「本當ほんたうにね。兄にいさんにさへ御金おかねがあると、何どうでもして上あげる事ことが出來できるんだけれども」と、御世辭おせじでも何なんでもない、同情どうじやうの意いを表へうした。
 其その夕暮ゆふぐれであつたか、小六ころくは又また寒さむい身體からだを外套マントに包くるんで出でて行いつたが、八時過はちじすぎに歸かへつて來きて、兄夫婦あにふうふの前まへで、袂たもとから白しろい細長ほそながい袋ふくろを出だして、寒さむいから蕎麥掻そばがきを拵こしらえて食くはうと思おもつて、佐伯さへきへ行いつた歸かへりに買かつて來きたと云いつた。さうして御米およねが湯ゆを沸わかしてゐるうちに、煑出にだしを拵こしらえるとか云いつて、しきりに鰹節かつぶしを掻かいた。 其時そのとき宗助そうすけ夫婦ふうふは、最近さいきんの消息せうそくとして、安之助やすのすけの結婚けつこんがとうう春はる迄まで延のびた事ことを聞きいた。此この縁談えんだんは安之助やすのすけが學校がくかうを卒業そつげふすると間まもなく起おこつたもので、小六ころくが房州ばうしうから歸かへつて、叔母をばに學資がくしの供給きようきふを斷ことわられる時分じぶんには、もう大分だいぶ話はなしが進すゝんでゐたのである。正式せいしきの通知つうちが來こないので、何時いつ纏まとまつたか、宗助そうすけは丸まるで知しらなかつたが、たゞ折々をりり佐伯さへきへ行いつては、何なにか聞きいて來くる小六ころくを通つうじてのみ、彼かれは年内ねんないに式しきを擧あげる筈はずの新夫婦しんふうふを豫想よさうした。其他そのたには、嫁よめの里さとがある會社員くわいしやゐんで、有福いうふくな生計くらしをしてゐる事ことと、其その學校がくかうが女學館ぢよがくくわんであるといふ事ことと、兄弟きやうだいが澤山たくさんあると云いふ事丈ことだけを、同おなじく小六ころくを通つうじて耳みゝにした。寫眞しやしんにせよ顏かほを知しつてるのは小六ころく許ばかりであつた。
「好いい器量きりやう?」と御米およねが聞きいた事ことがある。
「まあ好いい方はうでせう」と小六ころくが答こたへた事ことがある。
 其晩そのばんは何故なぜ暮くれのうちに式しきを濟すまさないかと云いふのが、蕎麥掻そばがきの出來上できあがる間あひだ、三人にんの話題わだいになつた。御米およねは方位はうゐでも惡わるいのだらうと臆測おくそくした。宗助そうすけは押おし詰つまつて日ひがないからだらうと考かんがへた。獨ひとり小六ころく丈だけが、「矢張やつぱり物質的ぶつしつてきの必要ひつえうかららしいです。先さきが何なんでも餘程よほど派出はでな家うちなんで、叔母をばさんの方はうでもさう單簡たんかんに濟すまされないんでせう」と何時いつにない世帶染しよたいじみた事ことを云いつた。

十一

 御米およねのぶららし出だしたのは、秋あきも半なかば過すぎて、紅葉もみぢの赤黒あかぐろく縮ちゞれる頃ころであつた。京都きやうとに居ゐた時分じぶんは別べつとして、廣島ひろしまでも福岡ふくをかでも、あまり健康けんかうな月日つきひを送おくつた經驗けいけんのない御米およねは、此點このてんに掛かけると、東京とうきやうへ歸かへつてからも、矢張やはり仕合しあはせとは云いへなかつた。この女をんなには生うまれ故郷こきやうの水みづが、性しやうに合あはないのだらうと、疑うたぐれば疑うたぐられる位くらゐ、御米およねは一時いちじ惱なやんだ事こともあつた。
 近頃ちかごろはそれが段々だんん落おち付ついて來きて、宗助そうすけの氣きを揉もむ機會ばあひも、年ねんに幾度いくどと勘定かんぢやうが出來できる位くらゐ少すくなくなつたから、宗助そうすけは役所やくしよの出入でいりに、御米およねは又また夫をつとの留守るすの立居たちゐに、等ひとしく安心あんしんして時間じかんを過すごす事ことが出來できたのである。だから此年ことしの秋あきが暮くれて、薄うすい霜しもを渡わたる風かぜが、つらく肌はだを吹ふく時分じぶんになつて、又また少すこし心持こゝろもちが惡わるくなり出だしても、御米およねは夫程それほど苦くにもならなかつた。始はじめのうちは宗助そうすけにさへ知しらせなかつた。宗助そうすけが見付みつけて、醫者いしやに掛かゝれと勸すゝめても、容易よういに掛かからなかつた。 其所そこへ小六ころくが引越ひつこして來きた。宗助そうすけは其頃そのころの御米およねを觀察くわんさつして、體質たいしつの状態じやうたいやら、精神せいしんの模樣もやうやら、夫をつと丈だけに能よく知しつてゐたから、成なるべくは、人數ひとかずを殖ふやして宅うちの中なかを混雜ごたつかせたくないとは思おもつたが、事情じじやう已やむを得えないので、成なるが儘まゝにして置おくより外ほかに、手段しゆだんの講かうじやうもなかつた。たゞ口くちの先さきで、成なるべく安靜あんせいにしてゐなくては不可いけないと云いふ矛盾むじゆんした助言じよごんは與あたへた。御米およねは微笑びせうして、
「大丈夫だいぢやうぶよ」と云いつた。此この答こたへを得えた時とき、宗助そうすけは猶なほの事こと安心あんしんが出來できなくなつた。所ところが不思議ふしぎにも、御米およねの氣分きぶんは、小六ころくが引越ひつこして來きてから、ずつと引立ひきたつた。自分じぶんに責任せきにんの少すこしでも加くははつたため、心こゝろが緊張きんちやうしたものと見みえて、却かへつて平生へいぜいよりは、甲斐々々かひひしく夫をつとや小六ころくの世話せわをした。小六ころくには夫それが丸まるで通つうじなかつたが、宗助そうすけから見みると、御米およねが在來ざいらいよりどれ程ほど力つとめてゐるかが能よく解わかつた。宗助そうすけは心こゝろのうちで、此このまめやかな細君さいくんに新あたらしい感謝かんしやの念ねんを抱いだくと同時どうじに、かう氣きを張はり過すぎる結果けつくわが、一度いちどに身體からだに障さはる樣やうな騷さわぎでも引ひき起おこして呉くれなければ可いいがと心配しんぱいした。 不幸ふかうにも、此この心配しんぱいが暮くれの二十日過はつかすぎになつて、突然とつぜん事實じじつになりかけたので、宗助そうすけは豫期よきの恐怖きようふに火ひが點ついた樣やうに、いたく狼狽らうばいした。其日そのひは判然はつきり土つちに映うつらない空そらが、朝あさから重かさなり合あつて、重おもい寒さむさが終日しゆうじつ人ひとの頭あたまを抑おさえ付つけてゐた。御米およねは前まへの晩ばんにまた寐ねられないで、休やすませ損そくなつた頭あたまを抱かゝへながら、辛抱しんばうして働はたらき出だしたが、起たつたり動うごいたりするたびに、多少たせう腦なうに應こたへる苦痛くつうはあつても、比較的ひかくてき明あかるい外界ぐわいかいの刺戟しげきに紛まぎれた爲ためか、凝じつと寐ねてゐながら、頭あたま丈だけが冴さえて痛いたむよりは、却かへつて凌しのぎ易やすかつた。兎角とかくして夫をつとを送おくり出だす迄までは、しばらくしたら又また何時いつもの樣やうに折をり合あつて來くる事ことと思おもつて我慢がまんしてゐた。所ところが宗助そうすけがゐなくなつて、自分じぶんの義務ぎむに一段落いちだんらくが着ついたといふ氣きの弛ゆるみが出でると等ひとしく、濁にごつた天氣てんきがそろろ御米およねの頭あたまを攻せめ始はじめた。空そらを見みると凍こほつてゐる樣やうであるし、家うちの中なかにゐると、陰氣いんきな障子しやうじの紙かみを透とほして、寒さむさが浸しみ込こんで來くるかと思おもはれる位くらゐだのに、御米およねの頭あたまはしきりに熱ほてつて來きた。仕方しかたがないから、今朝けさあげた蒲團ふとんを又また出だして來きて、座敷ざしきへ延のべたまゝ横よこになつた。夫それでも堪たえられないので、清きよに濡手拭ぬれてぬぐひを絞しぼらして頭あたまへ乘のせた。それが直ぢき生温なまぬるくなるので、枕元まくらもとに金盥かなだらひを取とり寄よせて時々ときき絞しぼり易かへた。 午迄ひるまでこんな姑息こそく手段しゆだんで斷たえず額ひたひを冷ひやして見みたが、一向いつかうはかかしい驗げんもないので、御米およねは小六ころくのために、わざざ起おきて、一所いつしよに食事しよくじをする根氣こんきもなかつた。清きよにいひ付つけて膳立ぜんだてをさせて、それを小六ころくに薦すゝめさした儘まゝ、自分じぶんは矢張やはり床とこを離はなれずにゐた。さうして、平生へいぜい夫をつとのする柔やはらかい括枕くゝりまくらを持もつて來きて貰もらつて、堅かたいのと取とり替かへた。御米およねは髮かみの損こはれるのを、女をんならしく苦くにする勇氣ゆうきにさへ乏とぼしかつたのである。
 小六ころくは六疊でふから出でて來きて、一寸ちよつと襖ふすまを開あけて、御米およねの姿すがたを覗のぞき込こんだが、御米およねが半なかば床とこの間まの方はうを向むいて、眼めを塞ふさいでゐたので、寐付ねついたとでも思おもつたものか、一言ひとことの口くちも利きかずに、又またそつと襖ふすまを閉しめた。さうして、たつた一人ひとり大おほきな食卓しよくたくを專領せんりやうして、始はじめからさららと茶漬ちやづけを掻かき込こむ音おとをさせた。
 二時頃じごろになつて、御米およねは漸やつとの事こと、とろろと眠ねむつたが、眼めが覺さめたら額ひたひを捲まいた濡ぬれ手拭てぬぐひが殆ほとんど乾かわく位くらゐ暖あたゝかになつてゐた。其その代かはり頭あたまの方はうは少すこし樂らくになつた。たゞ肩かたから脊筋せすぢへ掛かけて全體ぜんたいに重苦おもくるしい樣やうな感かんじが新あたらしく加くははつた。御米およねは何なんでも精せいを付つけなくては毒どくだといふ考かんがへから、一人ひとりで起おきて遲おそい午飯ひるはんを輕かるく食たべた。「御氣分おきぶんは如何いかゞで御座ございます」と清きよが御給仕おきふじをしながら、しきりに聞きいた。御米およねは大分だいぶ可いい樣やうだつたので、床とこを上あげて貰もらつて、火鉢ひばちに倚よつたなり、宗助そうすけの歸かへりを待まち受うけた。
 宗助そうすけは例刻れいこくに歸かへつて來きた。神田かんだの通とほりで、門並かどなみ旗はたを立たてゝ、もう暮くれの賣出うりだしを始はじめた事ことだの、勸工場くわんこうばで紅白こうはくの幕まくを張はつて樂隊がくたいに景氣けいきを付つけさしてゐる事ことだのを話はなしした末すゑ、
「賑にぎやかだよ。一寸ちよつと行いつて御覽ごらん。なに電車でんしやに乘のつて行いけば譯わけはない」と勸すゝめた。さうして自分じぶんは寒さむさに腐蝕ふしよくされた樣やうに赤あかい顏かほをしてゐた。
 御米およねはかう宗助そうすけから勞いたはられた時とき、何なんだか自分じぶんの身體からだの惡わるい事ことを訴うつたへるに忍しのびない心持こゝろもちがした。實際じつさい又また夫程それほど苦くるしくもなかつた。それで何時いつもの通とほり何氣なにげない顏かほをして、夫をつとに着物きものを着換きかへさしたり、洋服やうふくを疊たゝんだりして夜よに入いつた。
 所ところが九時じ近ちかくになつて、突然とつぜん宗助そうすけに向むかつて、少すこし加減かげんが惡わるいから先さきへ寐ねたいと云いひ出だした。今迄いままで平生へいぜいの通とほり機嫌きげんよく話はなしてゐただけに、宗助そうすけは此この言葉ことばを聞きいて一寸ちよつと驚おどろいたが、大たいした事ことでもないと云いふ御米およねの保證ほしように、漸やうやく安心あんしんしてすぐ休やすむ支度したくをさせた。 御米およねが床とこへ這入はいつてから、約やく二十分ぷん許ばかりの間あひだ、宗助そうすけは耳みゝの傍はたに鐵瓶てつびんの音おとを聞ききながら、靜しづかな夜よるを丸心まるじんの洋燈らんぷに照てらしてゐた。彼かれは來年度らいねんどに一般官吏いつぱんくわんりに増俸ぞうほうの沙汰さたがあるといふ評判ひやうばんを思おもひ浮うかべた。又また其前そのまへに改革かいかくか淘汰たうたが行おこなはれるに違ちがひないといふ噂うはさに思おもひ及およんだ。さうして自分じぶんは何方どつちの方はうへ編入へんにふされるのだらうと疑うたがつた。彼かれは自分じぶんを東京とうきやうへ呼よんで呉くれた杉原すぎはらが、今いまも猶なほ課長くわちやうとして本省ほんしやうにゐないのを遺憾ゐかんとした。彼かれは東京とうきやうへ移うつつてから不思議ふしぎとまだ病氣びやうきをした事ことがなかつた。從したがつてまだ缺勤屆けつきんとゞけを出だした事ことがなかつた。學校がくかうを中途ちゆうとで已やめたなり、本ほんは殆ほとんど讀よまないのだから、學問がくもんは人並ひとなみに出來できないが、役所やくしよでやる仕事しごとに差支さしつかへる程ほどの頭腦づなうではなかつた。
 彼かれは色々いろろな事情じじやうを綜合そうがふして考かんがへた上うへ、まあ大丈夫だいぢやうぶだらうと腹はらの中なかで極きめた。さうして爪つめの先さきで輕かるく鐵瓶てつびんの縁ふちを敲たゝいた。其時そのとき座敷ざしきで、
「貴方あなた一寸ちよつと」と云いふ御米およねの苦くるしさうな聲こゑが聞きこえたので、我われ知しらず立たち上あがつた。
 座敷ざしきへ來きて見みると、御米およねは眉まゆを寄よせて、右みぎの手てで自分じぶんの肩かたを抑おさえながら、胸迄むねまで蒲團ふとんの外そとへ乘のり出だしてゐた。宗助そうすけは殆ほとんど器械的きかいてきに、同おなじ所ところへ手てを出だした。さうして御米およねの抑おさえてゐる上うへから、固かたく骨ほねの角かどを攫つかんだ。「もう少すこし後うしろの方はう」と御米およねが訴うつたへるやうに云いつた。宗助そうすけの手てが御米およねの思おもふ所ところへ落おち付つく迄までには、二度ども三度ども其所そこ此所こゝと位置ゐちを易かえなければならなかつた。指ゆびで壓おして見みると、頸くびと肩かたの繼目つぎめの少すこし脊中せなかへ寄よつた局部きよくぶが、石いしの樣やうに凝こつてゐた。御米およねは男をとこの力ちから一杯いつぱいにそれを抑おさえて呉くれと頼たのんだ。宗助そうすけの額ひたひからは汗あせが煑染にじみ出だした。それでも御米およねの滿足まんぞくする程ほどは力ちからが出でなかつた。
 宗助そうすけは昔むかしの言葉ことばで早打肩はやうちかたといふのを覺おぼえてゐた。小ちひさい時とき祖父ぢゞいから聞きいた話はなしに、ある侍さむらひが馬うまに乘のつて何處どこかへ行ゆく途中とちゆうで、急きふに此この早打肩はやうちかたに冒をかされたので、すぐ馬うまから飛とんで下おりて、忽たちまち小柄こづかを拔ぬくや否いなや、肩先かたさきを切きつて血ちを出だしたため、危あやうい命いのちを取とり留とめたといふのがあつたが、其話そのはなしが今いま明あきらかに記憶きおくの燒點せうてんに浮うかんで出でた。其時そのとき宗助そうすけは是これはならんと思おもつた。けれども果はたして刄物はものを用もちひて、肩かたの肉にくを突ついて可いいものやら、惡わるいものやら、決けつしかねた。
 御米およねは何時いつになく逆上のぼせて、耳みゝ迄まで赤あかくしてゐた。頭あたまが熱あついかと聞きくと苦くるしさうに熱あついと答こたへた。宗助そうすけは大おほきな聲こゑを出だして清きよに氷嚢こほりぶくろへ冷つめたい水みづを入いれて來こいと命めいじた。氷嚢こほりぶくろが生憎あいにく無なかつたので、清きよは朝あさの通とほり金盥かなだらひに手拭てぬぐひを浸つけて持もつて來きた。清きよが頭あたまを冷ひやしてゐるうち、宗助そうすけは矢張やはり精一杯せいいつぱい肩かたを抑おさえてゐた。時々ときき少すこしは可いいかと聞きいても、御米およねは微かすかに苦くるしいと答こたへる丈だけであつた。宗助そうすけは全まつたく心細こゝろぼそくなつた。思おもひ切きつて、自分じぶんで馳かけ出だして醫者いしやを迎むかひに行いかうとしたが、後あとが心配しんぱいで一足ひとあしも表おもてへ出でる氣きにはなれなかつた。「清きよ、御前まへ急いそいで通とほりへ行いつて、氷嚢こほりぶくろを買かつて醫者いしやを呼よんで來こい。まだ早はやいから起おきてるだらう」
 清きよはすぐ立たつて茶ちやの間まの時計とけいを見みて、
「九時じ十五分ふんで御座ございます」と云いひながら、それなり勝手口かつてぐちへ回まはつて、ごそそ下駄げたを探さがしてゐる所ところへ、旨うまい具合ぐあひに外そとから小六ころくが歸かへつて來きた。例れいの通とほり兄あにには挨拶あいさつもしないで、自分じぶんの部屋へやへ這入はいらうとするのを、宗助そうすけはおい小六ころくと烈はげしく呼よび止とめた。小六ころくは茶ちやの間まで少すこし躊躇ちうちよしてゐたが、兄あにから又また二聲ふたこゑ程ほど續つゞけざまに大おほきな聲こゑを掛かけられたので、已やむを得えず低ひくい返事へんじをして、襖ふすまから顏かほを出だした。其顏そのかほは酒氣しゆきのまだ醒さめない赤あかい色いろを眼めの縁ふちに帶おびてゐた。部屋へやの中なかを覗のぞき込こんで、始はじめて吃驚びつくりした樣子やうすで、
「何どうかなすつたんですか」と醉よひが一時いちじに去さつた樣やうな表情へうじやうをした。
 宗助そうすけは清きよに命めいじた通とほりを、小六ころくに繰くり返かへして、早はやくして呉くれと急せき立たてた。小六ころくは外套マントも脱ぬがずに、すぐ玄關げんくわんへ取とつて返かへした。
「兄にいさん、醫者いしや迄まで行ゆくのは急いそいでも時間じかんが掛かかりますから、坂井さかゐさんの電話でんわを借かりて、すぐ來くる樣やうに頼たのみませう」「あゝ。左さうして呉くれ」と宗助そうすけは答こたへた。さうして小六ころくの歸かへる間あひだ、清きよに何返なんべんとなく金盥かなだらひの水みづを易かへさしては、一生懸命いつしやうけんめいに御米およねの肩かたを壓おし付つけたり、揉もんだりして見みた。御米およねの苦くるしむのを、何なにもせずにたゞ見みてゐるに堪たえなかつたから、斯かうして自分じぶんの氣きを紛まぎらしてゐたのである。
 此時このときの宗助そうすけに取とつて、醫者いしやの來くるのを今いまか今いまかと待まち受うける心こゝろほど苛つらいものはなかつた。彼かれは御米およねの肩かたを揉もみながらも、絶たえず表おもての物音ものおとに氣きを配くばつた。
 漸やうやく醫者いしやが來きたときは、始はじめて夜よが明あけた樣やうな心持こゝろもちがした。醫者いしやは商買柄しやうばいがら丈だけあつて、少すこしも狼狽うろたへた樣子やうすを見みせなかつた。小ちひさい折鞄をりかばんを脇わきに引ひき付つけて、落付おちつき拂はらつた態度たいどで、慢性病まんせいびやうの患者くわんじやでも取とり扱あつかふ樣やうに緩ゆつくりした診察しんさつをした。其その逼せまらない顏色かほいろを傍はたで見みてゐた所爲せゐか、わくくした宗助そうすけの胸むねも漸やうやく治をさまつた。
 醫者いしやは芥子からしを局部きよくぶへ貼はる事ことと、足あしを濕布しつぷで温あたゝめる事ことと、夫それから頭あたまを氷こほりで冷ひやす事こととを、應急おうきふ手段しゆだんとして宗助そうすけに注意ちゆういした。さうして自分じぶんで芥子からしを掻かいて、御米およねの肩かたから頸くびの根ねへ貼はり付つけて呉くれた。濕布しつぷは清きよと小六ころくとで受持うけもつた。宗助そうすけは手拭てぬぐひの上うへから氷嚢こおりぶくろを額ひたひの上うへに當あてがつた。 兎角とかくするうち約やく一時間じかんも經たつた。醫者いしやはしばらく經過けいくわを見みて行ゆかうと云いつて、夫迄それまで御米およねの枕元まくらもとに坐すわつてゐた。世間話せけんばなしも折々をりりは交まじへたが、大方おほかたは無言むごんの儘まゝ二人共ふたりともに御米およねの容體ようだいを見守みまもる事ことが多おほかつた。夜よは例れいの如ごとく靜しづかに更ふけた。
「大分だいぶ冷ひえますな」と醫者いしやが云いつた。宗助そうすけは氣きの毒どくになつたので、あとの注意ちゆういを能よく聞きいた上うへ、遠慮ゑんりよなく引ひき取とつて呉くれる樣やうにと頼たのんだ。其時そのとき御米およねは先刻さつきよりは大分だいぶ輕快けいくわいになつてゐたからである。
「もう大丈夫だいぢやうぶでせう。頓服とんぷくを一回くわい上あげますから今夜こんや飮のんで御覽ごらんなさい。多分たぶん寐ねられるだらうと思おもひます」と云いつて醫者いしやは歸かへつた。小六ころくはすぐ其後そのあとを追おつて出でて行いつた。
 小六ころくが藥取くすりとりに行いつた間あひだに、御米およねは、
「もう何時なんじ」と云いひながら、枕元まくらもとの宗助そうすけを見上みあげた。宵よひとは違ちがつて頬ほゝから血ちが退ひいて、洋燈らんぷに照てらされた所ところが、ことに蒼白あをじろく映うつつた。宗助そうすけは黒くろい毛けの亂みだれた所爲せゐだらうと思おもつて、わざざ鬢びんの毛けを掻かき上あげて遣やつた。さうして、
「少すこしは可いいだらう」と聞きいた。
「えゝ餘よつ程ぽど樂らくになつたわ」と御米およねは何時いつもの通とほり微笑びせうを洩もらした。御米およねは大抵たいてい苦くるしい場合ばあひでも、宗助そうすけに微笑びせうを見みせる事ことを忘わすれなかつた。茶ちやの間までは、清きよが突伏つつぷしたまゝ鼾いびきをかいてゐた。「清きよを寐ねかして遣やつて下ください」と御米およねが宗助そうすけに頼たのんだ。
 小六ころくが藥取くすりとりから歸かへつて來きて、醫者いしやの云いひ付つけ通どほり服藥ふくやくを濟すましたのは、もう彼是かれこれ十二時じ近ちかくであつた。それから二十分ぷんと經たたないうちに、病人びやうにんはすやや寐入ねいつた。
「好いい塩梅あんばいだ」と宗助そうすけが御米およねの顏かほを見みながら云いつた。小六ころくもしばらく嫂あによめの樣子やうすを見守みまもつてゐたが、
「もう大丈夫だいぢやうぶでせう」と答こたへた。二人ふたりは氷嚢こほりぶくろを額ひたひから卸おろした。
 やがて小六ころくは自分じぶんの部屋へやへ這入はいる、宗助そうすけは御米およねの傍そばへ床とこを延のべて何時いつもの如ごとく寐ねた。五六時間じかんの後のち冬ふゆの夜よは錐きりの樣やうな霜しもを挾さしはさんで、からりと明あけ渡わたつた。それから一時間じかんすると、大地だいちを染そめる太陽たいやうが、遮さへぎるものゝない蒼空あをぞらに憚はゞかりなく上のぼつた。御米およねはまだすやや寐ねてゐた。
 そのうち朝餉あさげも濟すんで、出勤しゆつきんの時刻じこくが漸やうやく近ちかづいた。けれども御米およねは眠ねむりから覺さめる氣色けしきもなかつた。宗助そうすけは枕邊まくらべに曲こゞんで、深ふかい寐息ねいきを聞きゝながら、役所やくしよへ行いかうか休やすまうかと考かんがへた。

十二

 朝あさの内うちは役所やくしよで常つねの如ごとく事務じむを執とつてゐたが、折々をりり昨夕ゆうべの光景くわうけいが眼めに浮うかぶに連つれて、自然しぜん御米およねの病氣びやうきが氣きに罹かゝるので、仕事しごとは思おもふ樣やうに運はこばなかつた。時ときには變へんな間違まちがひをさへした。宗助そうすけは午ひるになるのを待まつて、思おもひ切きつて宅うちへ歸かへつて來きた。 電車でんしやの中なかでは、御米およねの眼めが何時頃いつごろ覺さめたらう、覺さめた後あとは心持こゝろもちが大分だいぶ好よくなつたろう、發作ほつさももう起おこる氣遣きづかひなからうと、凡すべて惡わるくない想像さうざうばかり思おもひ浮うかべた。何時いつもと違ちがつて、乘客じようきやくの非常ひじやうに少すくない時間じかんに乘のり合あはせたので、宗助そうすけは周圍しうゐの刺戟しげきに氣きを使つかふ必要ひつえうが殆ほとんどなかつた。それで自由じいうに頭あたまの中なかへ現あらはれる畫ゑを何枚なんまいとなく眺ながめた。其そのうちに、電車でんしやは終點しゆうてんに來きた。
 宅うちの門口かどぐち迄まで來くると、家いへの中なかはひつそりして、誰だれもゐない樣やうであつた。格子かうしを開あけて、靴くつを脱ぬいで、玄關げんくわんに上あがつても、出でて來くるものはなかつた。宗助そうすけは何時いつもの樣やうに縁側えんがはから茶ちやの間まへ行いかずに、すぐ取付とつつきの襖ふすまを開あけて、御米およねの寐ねてゐる座敷ざしきへ這入はいつた。見みると、御米およねは依然いぜんとして寐ねてゐた。枕元まくらもとの朱塗しゆぬりの盆ぼんに散藥さんやくの袋ふくろと洋杯こつぷが載のつてゐて、其その洋杯こつぷの水みづが半分はんぶん殘のこつてゐる所ところも朝あさと同おなじであつた。頭あたまを床とこの間まの方はうへ向むけて、左ひだりの頬ほゝと芥子からしを貼はつた襟元えりもとが少すこし見みえる所ところも朝あさと同おなじであつた。呼息いきより外ほかに現實げんじつ世界せかいと交通かうつうのない樣やうに思おもはれる深ふかい眠ねむりも朝あさ見みた通とほりであつた。凡すべてが今朝けさ出掛でがけに頭あたまの中なかへ収をさめて行いつた光景くわうけいと少すこしも變かはつてゐなかつた。宗助そうすけは外套ぐわいたうも脱ぬがずに、上うへから曲こゞんで、すうういふ御米およねの寐息ねいきをしばらく聞きいてゐた。御米およねは容易よういに覺さめさうにも見みえなかつた。宗助そうすけは昨夕ゆうべ御米およねが散藥さんやくを飮のんでから以後いごの時間じかんを指ゆびを折をつて勘定かんぢやうした。さうして漸やうやく不安ふあんの色いろを面おもてに表あらはした。昨夕ゆうべ迄までは寐ねられないのが心配しんぱいになつたが、斯かう前後ぜんご不覺ふかくに長ながく寐ねる所ところを眼まのあたりに見みると、寐ねる方はうが何なにかの異状いじやうではないかと考かんがへ出だした。 宗助そうすけは蒲團ふとんへ手てを掛かけて二三度ど輕かるく御米およねを搖振ゆすぶつた。御米およねの髮かみが括枕くゝりまくらの上うへで、波なみを打うつ樣やうに動うごいたが、御米およねは依然いぜんとしてすうう寐ねてゐた。宗助そうすけは御米およねを置おいて、茶ちやの間まから臺所だいどころへ出でた。流ながし元もとの小桶こをけの中なかに茶碗ちやわんと塗椀ぬりわんが洗あらはない儘まゝ浸つけてあつた。下女部屋げぢよべやを覗のぞくと、清きよが自分じぶんの前まへに小ちひさな膳ぜんを控ひかえたなり、御櫃おはちに倚よりかゝつて突伏つつぷしてゐた。宗助そうすけは又また六疊でふの戸とを引ひいて首くびを差さし込こんだ。其所そこには小六ころくが掛蒲團かけぶとんを一枚まい頭あたまから引被ひつかぶつて寐ねてゐた。
 宗助そうすけは一人ひとりで着物きものを着換きかえたが、脱ぬぎ捨すてた洋服やうふくも、人手ひとでを借かりずに自分じぶんで疊たゝんで、押入おしいれに仕舞しまつた。それから火鉢ひばちへ火ひを繼ついで、湯ゆを沸わかす用意よういをした。二三分ぷんは火鉢ひばちに持もたれて考かんがへてゐたが、やがて立たち上あがつて、先まづ小六ころくから起おこしに掛かゝつた。次つぎに清きよを起おこした。二人ふたりとも驚おどろいて飛とび起おきた。小六ころくに御米およねの今朝けさから今迄いままでの樣子やうすを聞きくと、實じつは餘あまり眠ねむいので、十一時半頃じはんごろ飯めしを食くつて寐ねたのだが、夫迄それまでは御米およねも能よく熟睡じゆくすゐしてゐたのだと云いふ。「醫者いしやへ行いつてね。昨夜ゆうべの藥くすりを戴いたゞいてから寐出ねだして、今いまになつても眼めが覺さめませんが差支さしつかへないでせうかつて聞きいて來きて呉くれ」
「はあ」
 小六ころくは簡單かんたんな返事へんじをして出でて行いつた。宗助そうすけは又また座敷ざしきへ來きて御米およねの顏かほを熟視じゆくしした。起おこして遣やらなくつては惡わるい樣やうな、又また起おこしては身體からだへ障さはる樣やうな、分別ふんべつの付つかない惑まどひを抱いだいて腕組うでぐみをした。
 間まもなく小六ころくが歸かへつて來きて、醫者いしやは丁度ちやうど徃診わうしんに出掛でかける所ところであつた、譯わけを話はなしたら、では今いまから一二軒けん寄よつてすぐ行いかうと答こたへた、と告つげた。宗助そうすけは醫者いしやが見みえる迄まで、斯かうして放はふつて置おいて構かまはないのかと小六ころくに問とひ返かへしたが、小六ころくは醫者いしやが以上いじやうより外ほかに何なんにも語かたらなかつたと云いふ丈だけなので、已やむを得えず元もとの如ごとく枕邊まくらべに凝じつと坐すわつてゐた。さうして心こゝろの中うちで、醫者いしやも小六ころくも不親切ふしんせつ過すぎる樣やうに感かんじた。彼かれは其上そのうへ昨夕ゆうべ御米およねを介抱かいはうしてゐる時ときに歸かへつて來きた小六ころくの顏かほを思おもひ出だして、猶なほ不愉快ふゆくわいになつた。小六ころくが酒さけを呑のむ事ことは、御米およねの注意ちゆういで始はじめて知しつたのであるが、其後そのご氣きを付つけて弟おとうとの樣子やうすをよく見みてゐると、成程なるほど何なんだか眞面目まじめでない所ところもある樣やうなので、何時いつかみつちり異見いけんでもしなければなるまい位くらゐに考かんがへてはゐたが、面白おもしろくもない二人ふたりの顏かほを御米およねに見みせるのが、氣きの毒どくなので今日けふ迄までわざと遠慮ゑんりよしてゐたのである。「云いひ出だすなら御米およねの寐ねてゐる今いまである。今いまならどんな氣不味きまづいことを双方さうはうで言いひ募つのつたつて、御米およねの神經しんけいに障さはる氣遣きづかひはない」
 此所こゝ迄まで考かんがへ付ついたけれども、知覺ちかくのない御米およねの顏かほを見みると、又また其方そのはうが氣掛きがゝりになつて、すぐにでも起おこしたい心持こゝろもちがするので、つい決けつし兼かねてぐづづしてゐた。其所そこへ漸やうやく醫者いしやが來きて呉くれた。
 昨夕ゆうべの折鞄をりかばんを又また丁寧ていねいに傍わきへ引ひき付つけて、緩ゆつくり卷烟草まきたばこを吹ふかしながら、宗助そうすけの云いふことを、はああと聞きいてゐたが、どれ拜見はいけん致いたしませうと御米およねの方はうへ向むき直なほつた。彼かれは普通ふつうの場合ばあひの樣やうに病人びやうにんの脉みやくを取とつて、長ながい間あひだ自分じぶんの時計とけいを見詰みつめてゐた。それから黒くろい聽診器ちやうしんきを心臟しんざうの上うへに當あてた。それを丁寧ていねいに彼方あちら此方こちらと動うごかした。最後さいごに丸まるい穴あなの開あいた反射鏡はんしやきやうを出だして、宗助そうすけに蝋燭らふそくを點つけて呉くれと云いつた。宗助そうすけは蝋燭らふそくを持もたないので、清きよに洋燈らんぷを點つけさした。醫者いしやは眠ねむつてゐる御米およねの眼めを押おし開あけて、仔細しさいに反射鏡はんしやきやうの光ひかりを睫まつげの奧おくに集あつめた。診察しんさつは夫それで終をはつた。
「少すこし藥くすりが利きき過すぎましたね」と云いつて宗助そうすけの方はうへ向むき直なほつたが、宗助そうすけの眼めの色いろを見みるや否いなや、すぐ、「然しかし御心配ごしんぱいになる事ことはありません。斯かう云いふ場合ばあひに、もし惡わるい結果けつくわが起おこるとすると、屹度きつと心臟しんざうか腦なうを冒をかすものですが、今いま拜見はいけんした所ところでは双方共さうはうとも異状いじやうは認みとめられませんから」と説明せつめいして呉くれた。宗助そうすけはそれで漸やうやく安心あんしんした。醫者いしやは又また自分じぶんの用もちひた眠ねむり藥ぐすりが比較的ひかくてき新あたらしいもので、學理上がくりじやう、他たの睡眠劑すゐみんざいの樣やうに有害いうがいでない事ことや、また其その効目きゝめが患者くわんじやの體質たいしつに因よつて、程度ていどに大變たいへんな相違さうゐのある事ことなどを語かたつて歸かへつた。歸かへるとき宗助そうすけは、
「では寐ねられる丈だけ寐ねかして置おいても差支さしつかへありませんか」と聞きいたら、醫者いしやは用ようさへなければ別べつに起おこす必要ひつえうもあるまいと答こたへた。
 醫者いしやが歸かへつたあとで、宗助そうすけは急きふに空腹くうふくになつた。茶ちやの間まへ出でると、先刻さつき掛かけて置おいた鐵瓶てつびんがちんん沸たぎつてゐた。清きよを呼よんで、膳ぜんを出だせと命めいずると、清きよは困こまつた顏付かほつきをして、まだ何なんの用意よういも出來できてゐないと答こたへた。成程なるほど晩食ばんめしには少すこし間まがあつた。宗助そうすけは樂々らくくと火鉢ひばちの傍そばに胡坐あぐらを掻かいて、大根だいこんの香こうの物ものを噛かみながら湯漬ゆづけを四杯はいほどつゞけ樣ざまに掻かき込こんだ。それから約やく三十分ぷん程ほどしたら御米およねの眼めがひとりでに覺さめた。
十三

 新年ねんの頭あたまを拵こしらえやうといふ氣きになつて、宗助そうすけは久ひさし振ぶりに髮結床かみゆひどこの敷居しきゐを跨またいだ。暮くれの所爲せゐか客きやくが大分だいぶ立たて込こんでゐるので、鋏はさみの音おとが二三ヶ所しよで、同時どうじにちよきき鳴なつた。此この寒さむさを無理むりに乘のり越こして、一日いちにちも早はやく春はるに入いらうと焦慮あせるやうな表通おもてどほりの活動くわつどうを、宗助そうすけは今いま見みて來きたばかりなので、其その鋏はさみの音おとが、如何いかにも忙せはしない響ひゞきとなつて彼かれの鼓膜こまくを打うつた。
 しばらく煖爐ストーブの傍はたで烟草たばこを吹ふかして待まつてゐる間あひだに、宗助そうすけは自分じぶんと關係くわんけいのない大おほきな世間せけんの活動くわつどうに否應いやおうなしに捲まき込こまれて、已やむを得えず年としを越こさなければならない人ひとの如ごとくに感かんじた。正月しやうぐわつを眼めの前まへへ控ひかえた彼かれは、實際じつさい是これといふ新あたらしい希望きばうもないのに、徒いたづらに周圍しうゐから誘さそはれて、何なんだかざわわした心持こゝろもちを抱いだいてゐたのである。
 御米およねの發作ほつさは漸やうやく落おち付ついた。今いまでは平日いつもの如ごとく外そとへ出でても、家うちの事ことがそれ程ほど氣きに掛かゝらない位ぐらゐになつた。餘所よそに比くらべると閑靜かんせいな春はるの支度したくも、御米およねから云いへば、年ねんに一度いちどの忙いそがしさには違ちがひなかつたので、或あるひは何時いつも通どほりの準備じゆんびさへ拔ぬいて、常つねよりも簡單かんたんに年としを越こす覺悟かくごをした宗助そうすけは、蘇生よみがへつた樣やうにはつきりした妻さいの姿すがたを見みて、恐おそろしい悲劇ひげきが一歩ぽ遠退とほのいた時ときの如ごとくに、胸むねを撫なで卸おろした。然しかし其その悲劇ひげきが又また何時いつ如何いかなる形かたちで、自分じぶんの家族かぞくを捕とらへに來くるか分わからないと云いふ、ぼんやりした掛念けねんが、折々をりり彼かれの頭あたまのなかに霧きりとなつて懸かかつた。 年としの暮くれに、事ことを好このむとしか思おもはれない世間せけんの人ひとが、故意わざと短みじかい日ひを前まへへ押おし出だしたがつて齷齪あくせくする樣子やうすを見みると、宗助そうすけは猶なほの事ことこの茫漠ばうばくたる恐怖きようふの念ねんに襲おそはれた。成ならうことなら、自分じぶん丈だけは陰氣いんきな暗くらい師走しはすの中うちに一人ひとり殘のこつてゐたい思おもひさへ起おこつた。漸やうやく自分じぶんの番ばんが來きて、彼かれは冷つめたい鏡かゞみのうちに、自分じぶんの影かげを見出みいだした時とき、不圖ふと此影このかげは本來ほんらい何者なにものだらうと眺ながめた。首くびから下したは眞白まつしろな布ぬのに包つゝまれて、自分じぶんの着きてゐる着物きものの色いろも縞しまも全まつたく見みえなかつた。其時そのとき彼かれは又また床屋とこやの亭主ていしゆが飼かつてゐる小鳥ことりの籠かごが、鏡かゞみの奧おくに映うつつてゐる事ことに氣きが付ついた。鳥とりが止とまり木ぎの上うへをちらりりと動うごいた。
 頭あたまへ香にほひのする油あぶらを塗ぬられて、景氣けいきのいゝ聲こゑを後うしろから掛かけられて、表おもてへ出でたときは、それでも清々せいいした心持こゝろもちであつた。御米およねの勸すゝめ通どほり髮かみを刈かつた方はうが、結局つまり氣きを新あらたにする効果かうくわがあつたのを、冷つめたい空氣くうきの中なかで、宗助そうすけは自覺じかくした。
 水道税すゐだうぜいの事ことで一寸ちよつと聞きき合あはせる必要ひつえうが生しやうじたので、宗助そうすけは歸かへり路みちに坂井さかゐへ寄よつた。下女げぢよが出でて來きて、此方こちらへと云いふから、何時いつもの座敷ざしきへ案内あんないするかと思おもふと、其所そこを通とほり越こして、茶ちやの間まへ導みちびいていつた。すると茶ちやの間まの襖ふすまが二尺しやくばかり開あいてゐて、中なかから三四人さんよにんの笑わらひ聲こゑが聞きこえた。坂井さかゐの家庭かていは相變あひかはらず陽氣やうきであつた。 主人しゆじんは光澤つやの好いい長火鉢ながひばちの向側むかふがはに坐すわつてゐた。細君さいくんは火鉢ひばちを離はなれて、少すこし縁側えんがはの障子しやうじの方はうへ寄よつて、矢張やはり此方こちらを向むいてゐた。主人しゆじんの後うしろに細長ほそながい黒くろい枠わくに嵌はめた柱時計はしらどけいが懸かゝつてゐた。時計とけいの右みぎが壁かべで、左ひだりが袋戸棚ふくろとだなになつてゐた。其その張交はりまぜに石摺いしずりだの、俳畫はいぐわだの、扇あふぎの骨ほねを拔ぬいたものなどが見みえた。
 主人しゆじんと細君さいくんの外ほかに、筒袖つゝそでの揃そろひの模樣もやうの被布ひふを着きた女をんなの子こが二人ふたり肩かたを擦すり付つけ合あつて坐すわつてゐた。片方かたはうは十二三で、片方かたはうは十とを位ぐらゐに見みえた。大おほきな眼めを揃そろへて、襖ふすまの陰かげから入はひつて來きた宗助そうすけの方はうを向むいたが、二人ふたりの眼元めもとにも口元くちもとにも、今いま笑わらつた許ばかりの影かげが、まだゆたかに殘のこつてゐた。宗助そうすけは一應いちおう室へやの内うちを見回みまはして、此この親子おやこの外ほかに、まだ一人ひとり妙めうな男をとこが、一番いちばん入口いりぐちに近ちかい所ところに畏かしこまつてゐるのを見出みいだした。
 宗助そうすけは坐すわつて五分ふんと立たたないうちに、先刻さつきの笑聲わらひごゑは、此この變へんな男をとこと坂井さかゐの家族かぞくとの間あひだに取とり換かはされた問答もんだふから出でる事ことを知しつた。男をとこは砂埃すなほこりでざらつきさうな赤あかい毛けと、日ひに燒やけて生涯しやうがい褪さめつこない強つよい色いろを有もつてゐた。瀬戸物せとものの釦ぼたんの着ついた白木綿しろもめんの襯衣しやつを着きて、手織ておりの硬こはい布子ぬのこの襟えりから財布さいふの紐ひも見みたやうな長ながい丸打まるうちを懸かけた樣子やうすは、滅多めつたに東京とうきやう抔などへ出でる機會きくわいのない遠とほい山やまの國くにのものとしか受うけ取とれなかつた。其上そのうへ男をとこは此この寒さむいのに膝小僧ひざこぞうを少すこし出だして、紺こんの落おちた小倉こくらの帶おびの尻しりに差さした手拭てぬぐひを拔ぬいては鼻はなの下したを擦こすつた。「是これは甲斐かひの國くにから反物たんものを脊負しよつてわざざ東京とうきやう迄まで出でて來くる男をとこなんです」と坂井さかゐの主人しゆじんが紹介せうかいすると、男をとこは宗助そうすけの方はうを向むいて、
「何どうか旦那だんな、一ひとつ買かつて御呉おくれ」と挨拶あいさつをした。
 成程なるほど銘仙めいせんだの御召おめしだの、白紬しろつむぎだのが其所そこら一面いちめんに取とり散ちらしてあつた。宗助そうすけは此この男をとこの形裝なりや言葉遣ことばづかひの可笑をかしい割わりに、立派りつぱな品物しなものを脊中せなかへ乘のせて歩行あるくのを寧むしろ不思議ふしぎに思おもつた。主人しゆじんの細君さいくんの説明せつめいによると、此この織屋おりやの住すんでゐる村むらは燒石やけいしばかりで、米こめも粟あはも収とれないから、已やむを得えず桑くはを植うゑて蠶かひこを飼かふんださうであるが、餘程よほど貧まづしい所ところと見みえて、柱時計はしらどけいを持もつてゐる家いへが一軒けん丈だけで、高等小學かうとうせうがくへ通かよふ小供こどもが三人にんしかないという話はなしであつた。
「字じの書かけるものは、此人このひとぎりなんださうですよ」と云いつて細君さいくんは笑わらつた。すると織屋おりやも、
「本當ほんたうのこんだよ、奧おくさん。讀よみ書かき算筆さんぴつの出來できるものは、己おれより外ほかにねえんだからね。全まつたく非道ひどい所ところにや違ちがひない」と眞面目まじめに細君さいくんの云いふ事ことを首肯うけがつた。
 織屋おりやは色々いろろの反物たんものを主人しゆじんや細君さいくんの前まへへ突つき付つけては、「買かつて御呉おくれ」といふ言葉ことばをしきりに繰くり返かへした。そりや高たかいよ幾何々々いくららに御負おまけなどゝ云いはれると、「値ねぢやねえね」とか、「拜をがむからそれで買かつて御呉おくれ」とか、「まあ目方めかたを見みて御呉おくれ」とか凡すべて異樣いやうな田舍ゐなかびた答こたへをした。その度たびに皆みんなが笑わらつた。主人しゆじん夫婦ふうふは又また閑ひまだと見みえて、面白半分おもしろはんぶんに何時いつ迄までも織屋おりやを相手あひてにした。「織屋おりや、御前おまへさうして荷にを脊負しよつて、外そとへ出でて、時分じぶんどきになつたら、矢張やつぱり御膳ごぜんを食たべるんだらうね」と細君さいくんが聞きいた。
「飯めしを食くはねえでゐられるもんぢやないよ。腹はらの減へる事ことちうたら」
「何どんな所ところで食たべるの」
「何どんな所ところで食たべるちうて、矢やつ張ぱり茶屋ちややで食くふだね」
 主人しゆじんは笑わらひながら茶屋ちややとは何なんだと聞きいた。織屋おりやは、飯めしを食くはす所ところが茶屋ちややだと答こたへた。それから東京とうきやうへ出立でたてには飯めしが非常ひじやうに旨うまいので、腹はらを据すゑて食くひ出だすと、大抵たいていの宿屋やどやは叶かなはない、三度々々さんどど食くつちや氣きの毒どくだと云いふ樣やうな事ことを話はなして、また皆みんなを笑わらはした。
 織屋おりやは仕舞しまひに撚糸よりいとの紬つむぎと、白絽しろろを一匹ぴき細君さいくんに賣うり付つけた。宗助そうすけは此この押おし詰つまつた暮くれに、夏なつの絽ろを買かふ人ひとを見みて餘裕よゆうのあるものは又また格別かくべつだと感かんじた。すると、主人しゆじんが宗助そうすけに向むかつて、
「何どうです貴方あなたも、序ついでに何なにか一ひとつ。奧おくさんの不斷着ふだんぎでも」と勸すゝめた。細君さいくんもかう云いふ機會きくわいに買かつて置おくと、幾割いくわりか値安ねやすに買かへる便宜べんぎを説といた。さうして、
「なに、御拂おはらひは何時いつでも可いいんです」と受合うけあつて呉くれた。宗助そうすけはとうう御米およねのために銘仙めいせんを一反たん買かふ事ことにした。主人しゆじんはそれを散々さんん値切ねぎつて三圓ゑんに負まけさした。織屋おりやは負まけた後あとで又また、「全まつたく値ねぢやねえね。泣なきたくなるね」と云いつたので、大勢おほぜいがまた一度いちどに笑わらつた。
 織屋おりやは何處どこへ行いつても斯かういふ鄙ひなびた言葉ことばを使つかつて通とほしてゐるらしかつた。毎日まいにち馴染なじみの家いへをぐるる回まはつて歩あるいてゐるうちには、脊中せなかの荷にが段々だんん輕かろくなつて、仕舞しまひに紺こんの風呂敷ふろしきと眞田紐さなだひも丈だけが殘のこる。其その時分じぶんには丁度ちやうど舊きうの正月しやうぐわつが來くるので、一先ひとまづ國元くにもとへ歸かへつて、古ふるい春はるを山やまの中なかで越こして、夫それから又また新あたらしい反物たんものを脊負しよへる丈だけ脊負しよつて出でて來くるのだと云いつた。さうして養蠶やうさんの忙せはしい四月ぐわつの末すゑか五月ぐわつの初はじめ迄までに、それを悉皆すつかり金かねに換かへて、又また富士ふじの北影きたかげの燒石やけいし許ばかりころがつてゐる小村こむらへ歸かへつて行ゆくのださうである。
「宅うちへ來出きだしてから、もう四五年ねんになりますが、何時いつ見みても同おなじ事ことで、少すこしも變かはらないんですよ」と細君さいくんが注意ちゆういした。
「實際じつさい珍めづらしい男をとこです」と主人しゆじんも評語ひやうごを添そえた。三日みつかも外そとへ出でないと、町幅まちはゞが何時いつの間まにか取とり廣ひろげられてゐたり、一日いちにち新聞しんぶんを讀よまないと、電車でんしやの開通かいつうを知しらずに過すごしたりする今いまの世よに、年ねんに二度にども東京とうきやうへ出でながら、斯かう山男やまをとこの特色とくしよくを何處どこ迄までも維持ゐぢして行ゆくのは、實際じつさい珍めづらしいに違ちがひなかつた。宗助そうすけはつくく此この織屋おりやの容貌ようばうやら態度たいどやら服裝ふくさうやら言葉使ことばづかひやらを觀察くわんさつして、一種いつしゆ氣きの毒どくな思おもひをなした。 彼かれは坂井さかゐを辭じして、家うちへ歸かへる途中とちゆうにも、折々をりりインヷネスの羽根はねの下したに抱かゝへて來きた銘仙めいせんの包つゝみを持もち易かへながら、それを三圓ゑんといふ安やすい價ねで賣うつた男をとこの、粗末そまつな布子ぬのこの縞しまと、赤あかくてばささした髮かみの毛けと、其その油氣あぶらけのない硬こはい髮かみの毛けが、何どういふ譯わけか、頭あたまの眞中まんなかで立派りつぱに左右さいうに分わけられてゐる樣さまを、絶たえず眼めの前まへに浮うかべた。
 宅うちでは御米およねが宗助そうすけに着きせる春はるの羽織はおりを漸やうやく縫ぬひ上あげて、壓おしの代かはりに坐蒲團ざぶとんの下したへ入いれて、自分じぶんで其上そのうへへ坐すわつてゐる所ところであつた。
「貴方あなた今夜こんや敷しいて寐ねて下ください」と云いつて、御米およねは宗助そうすけを顧かへりみた。夫をつとから、坂井さかゐへ來きてゐた甲斐かひの男をとこの話はなしを聞きいた時ときは、御米およねも流石さすがに大おほきな聲こゑを出だして笑わらつた。さうして宗助そうすけの持もつて歸かへつた銘仙めいせんの縞柄しまがらと地合ぢあひを飽あかず眺ながめては、安やすいいと云いつた。銘仙めいせんは全まつたく品しなの良いいものであつた。
「何どうして、さう安やすく賣うつて割わりに合あふんでせう」と仕舞しまひに聞きき出だした。
「なに中なかへ立たつ呉服屋ごふくやが儲まうけ過すぎてるのさ」と宗助そうすけは其道そのみちに明あかるい樣やうな事ことを、此この一反たんの銘仙めいせんから推斷すゐだんして答こたへた。 夫婦ふうふの話はなしはそれから、坂井さかゐの生活せいくわつに餘裕よゆうのある事ことと、其その餘裕よゆうのために、横町よこちやうの道具屋だうぐやなどに意外いぐわいな儲まうけ方かたをされる代かはりに、時ときとすると斯かう云いふ織屋おりやなどから、差さし向むき不用ふようのものを廉價れんかに買かつて置おく便宜べんぎを有いうしてゐる事ことなどに移うつつて、仕舞しまひに其その家庭かていの如何いかにも陽氣やうきで、賑にぎやかな模樣もやうに落おちて行いつた。宗助そうすけは其時そのとき突然とつぜん語調ごてうを更かへて、
「何なに金かねがあるばかりぢやない。一ひとつは子供こどもが多おほいからさ。子供こどもさへあれば、大抵たいてい貧乏びんばふな家うちでも陽氣やうきになるものだ」と御米およねを覺さとした。
 其その云いひ方かたが、自分達じぶんたちの淋さみしい生涯しやうがいを、多少たせう自みづから窘たしなめる樣やうな苦にがい調子てうしを、御米およねの耳みゝに傳つたへたので、御米およねは覺おぼえず膝ひざの上うへの反物たんものから手てを放はなして夫をつとの顏かほを見みた。宗助そうすけは坂井さかゐから取とつて來きた品しなが、御米およねの嗜好しかうに合あつたので、久ひさし振ぶりに細君さいくんを喜よろこばせて遣やつた自覺じかくがあるばかりだつたから、別段べつだんそこには氣きが付つかなかつた。御米およねも一寸ちよつと宗助そうすけの顏かほを見みたなり其時そのときは何なんにも云いはなかつた。けれども夜よに入いつて寐ねる時間じかんが來くる迄まで御米およねはそれをわざと延のばして置おいたのである。 二人ふたりは何時いつもの通とほり十時過じすぎ床とこに入いつたが、夫をつとの眼めがまだ覺さめてゐる頃ころを見計みはからつて、御米およねは宗助そうすけの方はうを向むいて話はなしかけた。
「貴方あなた先刻さつき小供こどもがないと淋さむしくつて不可いけないと仰おつしやつてね」
 宗助そうすけは是これに類似るゐじの事ことを普般的ふはんてきに云いつた覺おぼえは慥たしかにあつた。けれどもそれは強あながちに、自分達じぶんたちの身みの上うへに就ついて、特とくに御米およねの注意ちゆういを惹ひく爲ために口くちにした、故意こいの觀察くわんさつでないのだから、斯かう改あらたまつて聞きき糺たゞされると、困こまるより外ほかはなかつた。
「何なにも宅うちの事ことを云いつたのぢやないよ」
 此この返事へんじを受うけた御米およねは、しばらく默だまつてゐた。やがて、
「でも宅うちの事ことを始終しじゆう淋さむしいいと思おもつてゐらつしやるから、必竟ひつきやうあんな事ことを仰おつしやるんでせう」と前まへと略ほゞ似にた樣やうな問とひを繰くり返かへした。宗助そうすけは固もとよりさうだと答こたへなければならない或物あるものを頭あたまの中なかに有もつてゐた。けれども御米およねを憚はゞかつて、それ程ほど明白地あからさまな自白じはくを敢あへてし得えなかつた。此この病氣びやうき上あがりの細君さいくんの心こゝろを休やすめる爲ためには、却けへつてそれを冗談じようだんにして笑わらつて仕舞しまふ方はうが善よからうと考かんがへたので、
「淋さむしいと云いへば、そりや淋さむしくないでもないがね」と調子てうしを易かへて成なるべく陽氣やうきに出でたが、其所そこで詰つまつたぎり、新あたらしい文句もんくも、面白おもしろい言葉ことばも容易よういに思おもひ付つけなかつた。已やむを得えず、「まあ可いいや。心配しんぱいするな」と云いつた。御米およねはまた何なんとも答こたへなかつた。宗助そうすけは話題わだいを變かへやうと思おもつて、
「昨夕ゆうべも火事くわじがあつたね」と世間話せけんばなしをし出だした。すると御米およねは急きふに、
「私わたくしは實じつに貴方あなたに御氣おきの毒どくで」と切せつなさうに言譯いひわけを半分はんぶんして、又またそれなり默だまつて仕舞しまつた。洋燈らんぷは何時いつもの樣やうに床とこの間まの上うへに据すゑてあつた。御米およねは灯ひに背そむいてゐたから、宗助そうすけには顏かほの表情へうじやうが判然はつきり分わからなかつたけれども、其聲そのこゑは多少たせう涙なみだでうるんでゐる樣やうに思おもはれた。今いま迄まで仰向あふむいて天井てんじやうを見みてゐた彼かれは、すぐ妻さいの方はうへ向むき直なほつた。さうして薄暗うすぐらい影かげになつた御米およねの顏かほを凝じつと眺ながめた。御米およねも暗くらい中なかから凝じつと宗助そうすけを見みてゐた。さうして、
「疾とうから貴方あなたに打うち明あけて謝罪あやまらううと思おもつてゐたんですが、つい言いひ惡にくかつたもんだから、夫それなりにして置おいたのです」と途切とぎれれに云いつた。宗助そうすけには何なんの意味いみか丸まるで解わからなかつた。多少たせうはヒステリーの所爲せゐかとも思おもつたが、全然ぜんぜんさうとも決けつしかねて、しばらく茫然ぼんやりしてゐた。すると御米およねが思おもひ詰つめた調子てうしで、
「私わたくしにはとても子供こどもの出來できる見込みこみはないのよ」と云いひ切きつて泣なき出だした。
 宗助そうすけは此この可憐かれんな自白じはくを何どう慰なぐさめて可いいか分別ふんべつに餘あまつて當惑たうわくしてゐたうちにも、御米およねに對たいして甚はなはだ氣きの毒どくだといふ思おもひが非常ひじやうに高たかまつた。「子供こどもなんざ、無なくても可いいぢやないか。上うへの坂井さかゐさん見みた樣やうに澤山たくさん生うまれて御覽ごらん、傍はたから見みてゐても氣きの毒どくだよ。丸まるで幼穉園えうちゑんの樣やうで」
「だつて一人ひとりも出來できないと極きまつちまつたら、貴方あなただつて好よかないでせう」
「まだ出來できないと極きまりやしないぢやないか。是これから生うまれるかも知しれないやね」
 御米およねは猶なほと泣なき出だした。宗助そうすけも途方とはうに暮くれて、發作ほつさの治をさまるのを穩おだやかに待まつてゐた。さうして、緩ゆつくり御米およねの説明せつめいを聞きいた。
 夫婦ふうふは和合わがふ同棲どうせいといふ點てんに於おいて、人並ひとなみ以上いじやうに成功せいこうしたと同時どうじに、子供こどもにかけては、一般いつぱんの隣人りんじんよりも不幸ふかうであつた。それも始はじめから宿やどる種たねがなかつたのなら、まだしもだが、育そだつべきものを中途ちゆうとで取とり落おとしたのだから、更さらに不幸ふかうの感かんが深ふかかつた。
 始はじめて身重みおもになつたのは、二人ふたりが京都きやうとを去さつて、廣島ひろしまに瘠世帶やせじよたいを張はつてゐる時ときであつた。懷姙くわいにんと事ことが極きまつたとき、御米およねは此この新あたらしい經驗けいけんに對たいして、恐おそろしい未來みらいと、嬉うれしい未來みらいを一度いちどに夢ゆめに見みる樣やうな心持こゝろもちを抱いだいて日ひを過すごした。宗助そうすけはそれを眼めに見みえない愛あいの精せいに、一種いつしゆの確證かくしようとなるべき形かたちを與あたへた事實じじつと、ひとり解釋かいしやくして少すくなからず喜よろこんだ。さうして自分じぶんの命いのちを吹ふき込こんだ肉にくの塊かたまりが、目めの前まへに踴をどる時節じせつを指ゆびを折をつて樂たのしみに待まつた。所ところが胎兒たいじは、夫婦ふうふの豫期よきに反はんして、五ヶ月げつ迄まで育そだつて突然とつぜん下おりて仕舞しまつた。其その時分じぶんの夫婦ふうふの活計くらしは苦くるしい苛つらい月つきばかり續つゞいてゐた。宗助そうすけは流産りうざんした御米およねの蒼あをい顏かほを眺ながめて、是これも必竟つまりは世帶しよたいの苦勞くらうから起おこるんだと判はんじた。さうして愛情あいじやうの結果けつくわが、貧ひんのために打うち崩くづされて、永ながく手ての裡うちに捕とらへる事ことの出來できなくなつたのを殘念ざんねんがつた。御米およねはひたすら泣ないた。 福岡ふくをかへ移うつつてから間まもなく、御米およねは又また酸すいものを嗜たしむ人ひととなつた。一度いちど流産りうざんすると癖くせになると聞きいたので、御米およねは萬よろづに注意ちゆういして、つゝましやかに振舞ふるまつてゐた。其その所爲せゐか經過けいくわは至極しごく順當じゆんたうに行いつたが、どうした譯わけか、是これといふ原因げんいんもないのに、月足つきたらずで生うまれて仕舞しまつた。産婆さんばは首くびを傾かたむけて、一度ど醫者いしやに見みせる樣やうに勸すゝめた。醫者いしやに診みて貰もらふと、發育はついくが充分じゆうぶんでないから、室内しつないの温度をんどを一定いつていの高たかさにして、晝夜ちうやとも變かはらない位くらゐ、人工的じんこうてきに暖あたゝめなければ不可いけないと云いつた。宗助そうすけの手際てぎはでは、室内しつないに煖爐だんろを据すゑ付つける設備せつびをする丈だけでも容易よういではなかつた。夫婦ふうふはわが時間じかんと算段さんだんの許ゆるす限かぎりを盡つくして、專念せんねんに赤兒あかごの命いのちを護まもつた。けれども凡すべては徒勞とらうに歸きした。一週間しうかんの後のち、二人ふたりの血ちを分わけた情なさけの塊かたまりは遂つひに冷つめたくなつた。御米およねは幼兒えうじの亡骸なきがらを抱だいて、
「何どうしませう」と啜すゝり泣ないた。宗助そうすけは再度さいどの打撃だげきを男をとこらしく受うけた。冷つめたい肉にくが灰はひになつて、其灰そのはひが又また黒くろい土つちに和くわする迄まで、一口ひとくちも愚癡ぐちらしい言葉ことばは出ださなかつた。其内そのうち何時いつとなく、二人ふたりの間あひだに挾はさまつてゐた影かげの樣やうなものが、次第しだいに遠退とほのいて程ほどなく消きえて仕舞しまつた。 すると三度目どめの記憶きおくが來きた。宗助そうすけが東京とうきやうに移うつつて始はじめての年としに、御米およねは又また懷姙くわいにんしたのである。出京しゆつきやうの當座たうざは、大分だいぶん身體からだが衰おとろへてゐたので、御米およねは勿論もちろん、宗助そうすけもひどく其所そこを氣遣きづかつたが、今度こんどこそはといふ腹はらは兩方りやうはうにあつたので、張はりのある月つきを無事ぶじに段々だんんと重かさねて行いつた。所ところが丁度ちやうど五月目いつつきめになつて、御米およねは又また意外いぐわいの失敗しくじりを遣やつた。其頃そのころはまだ水道すゐだうも引ひいてなかつたから、朝晩あさばん下女げぢよが井戸端ゐどばたへ出でて水みづを汲くんだり、洗濯せんたくをしなければならなかつた。御米およねはある日ひ裏うらにゐる下女げぢよに云いひ付つける用ようが出來できたので、井戸流ゐどながしの傍そばに置おいた盥たらひの傍迄そばまで行いつて話はなしをした序ついでに、流ながしを向むかふへ渡わたらうとして、青あをい苔こけの生はへてゐる濡ぬれた板いたの上うへへ尻持しりもちを突ついた。御米およねはまた遣やり損そくなつたとは思おもつたが、自分じぶんの粗忽そこつを面目めんぼくながつて、宗助そうすけにはわざと何事なにごとも語かたらずに其場そのばを通とほした。けれども此この震動しんどうが、何時いつ迄まで經たつても胎兒たいじの發育はついくに是これといふ影響えいきやうも及およぼさず、從したがつて自分じぶんの身體からだにも少すこしの異状いじやうを引ひき起おこさなかつた事ことが慥たしかに分わかつた時とき、御米およねは漸やうやく安心あんしんして、過去くわこの失しつを改あらためて宗助そうすけの前まへに告つげた。宗助そうすけは固もとより妻つまを咎とがめる意いもなかつた。たゞ、「能よく氣きを付つけないと危あぶないよ」と穩おだやかに注意ちゆういを加くはへて過すぎた。
 兎角とかくするうちに月つきが滿みちた。愈いよよ生うまれるといふ間際まぎは迄まで日ひが詰つまつたとき、宗助そうすけは役所やくしよへ出でながらも、御米およねの事ことがしきりに氣きに掛かゝつた。歸かへりには何時いつも、今日けふはことによると留守るすのうちに抔などと案あんじ續つゞけては、自分じぶんの家いへの格子かうしの前まへに立たつた。さうして半なかば豫期よきしてゐる赤兒あかごの泣聲なきごゑが聞きこえないと、却かへつて何なにかの變へんでも起おこつたらしく感かんじて、急いそいで宅うちへ飛とび込こんで、自分じぶんと自分じぶんの粗忽そこつを耻はづる事ことがあつた。
 幸さいはひに御米およねの産氣さんけづいたのは、宗助そうすけの外そとに用ようのない夜中よなかだつたので、傍そばにゐて世話せわの出來できると云いふ點てんから見みれば甚はなはだ都合つがふが好よかつた。産婆さんばも緩ゆつくり間まに合あふし、脱脂綿だつしめん其他そのたの準備じゆんびも悉こととく不足ふそくなく取とり揃そろへてあつた。産さんも案外あんぐわい輕かるかつた。けれども肝心かんじんの小兒こどもは、たゞ子宮しきゆうを逃のがれて廣ひろい所ところへ出でたといふ迄までで、浮世うきよの空氣くうきを一口ひとくちも呼吸こきふしなかつた。産婆さんばは細ほそい硝子がらすの管くだの樣やうなものを取とつて、小ちさい口くちの内なかへ強つよい呼息いきをしきりに吹ふき込こんだが、効目きゝめは丸まるでなかつた。生うまれたものは肉丈にくだけであつた。夫婦ふうふは此肉このにくに刻きざみ付つけられた、眼めと鼻はなと口くちとを髣髴はうふつした。然しかし其その咽喉のどから出でる聲こゑは遂つひに聞きく事ことが出來できなかつた。 産婆さんばは出産しゆつさんのあつたつい一週間しうかん前まへに來きて、丁寧ていねいに胎兒たいじの心臟しんざう迄まで聽診ちやうしんして、至極しごく御健全ごけんぜんだと保證ほしようして行いつたのである。よし産婆さんばの云いふ事ことに間違まちがひがあつて、腹はらの兒この發育はついくが今迄いままでのうちに何處どこかで止とまつてゐたにした所ところで、それが直すぐ取とり出だされない以上いじやう、母體ぼたいは今日こんにち迄まで平氣へいきに持もち應こたへる譯わけがなかつた。其所そこを段々だんん調しらべて見みて、宗助そうすけは自分じぶんが未いまだ嘗かつて聞きいた事ことのない事實じじつを發見はつけんした時ときに、思おもはず恐おそれ驚おどろいた。胎兒たいじは出でる間際まぎは迄まで健康けんかうであつたのである。けれども臍帶纏絡さいたいてんらくと云いつて、俗ぞくに云いふ胞えなを頸くびへ捲まき付つけてゐた。斯かう云いふ異常いじやうの場合ばあひには、固もとより産婆さんばの腕うでで切きり拔ぬけるより外ほかに仕樣しやうのないもので、經驗けいけんのある婆ばあさんなら、取とり上あげる時ときに、旨うまく頸くびに掛かゝつた胞えなを外はづして引ひき出だす筈はずであつた。宗助そうすけの頼たのんだ産婆さんばも可成かなり年としを取とつてゐる丈だけに、此この位くらゐのことは心得こゝろえてゐた。然しかし胎兒たいじの頸くびを絡からんでゐた臍帶さいたいは、時ときたまある如ごとく一重ひとへではなかつた。二重ふたへに細ほそい咽喉のどを卷まいてゐる胞えなを、あの細ほそい所ところを通とほす時ときに外はづし損そくなつたので、小兒こどもはぐつと氣管きくわんを絞しめられて窒息ちつそくして仕舞しまつたのである。 罪つみは産婆さんばにもあつた。けれども半なかば以上いじやうは御米およねの落度おちどに違ちがひなかつた。臍帶纏絡さいたいてんらくの變状へんじやうは、御米およねが井戸端ゐどばたで滑すべつて痛いたく尻餠しりもちを搗ついた五ヶ月げつ前まへ既すでに自みづから釀かもしたものと知しれた。御米およねは産後さんごの蓐中じよくちゆうに其その始末しまつを聞きいて、たゞ輕かるく首肯うなづいたぎり何なんにも云いはなかつた。さうして、疲勞ひらうに少すこし落おち込こんだ眼めを霑うるませて、長ながい睫毛まつげをしきりに動うごかした。宗助そうすけは慰なぐさめながら、手帛はんけちで頬ほゝに流ながれる涙なみだを拭ふいて遣やつた。
 是これが子供こどもに關くわんする夫婦ふうふの過去くわこであつた。此この苦にがい經驗けいけんを甞なめた彼等かれらは、それ以後いご幼兒えうじに就ついて餘あまり多おほくを語かたるを好このまなかつた。けれども二人ふたりの生活せいくわつの裏側うらがはは、此この記憶きおくのために淋さむしく染そめ付つけられて、容易よういに剥はげさうには見みえなかつた。時ときとしては、彼我ひがの笑聲わらひごゑを通とほしてさへ、御互おたがひの胸むねに、此この裏側うらがはが薄暗うすぐらく映うつる事こともあつた。斯かういふ譯わけだから、過去くわこの歴史れきしを今いま夫をつとに向むかつて新あらたに繰くり返かへさうとは、御米およねも思おもひ寄よらなかつたのである。宗助そうすけも今更いまさら妻つまからそれを聞きかせられる必要ひつえうは少すこしも認みとめてゐなかつたのである。 御米およねの夫をつとに打うち明あけると云いつたのは、固もとより二人ふたりの共有きよういうしてゐた事實じじつに就ついてではなかつた。彼女かのぢよは三度目どめの胎兒たいじを失うしなつた時とき、夫をつとから其折そのをりの模樣もやうを聞きいて、如何いかにも自分じぶんが殘酷ざんこくな母はゝであるかの如ごとく感かんじた。自分じぶんが手てを下くだした覺おぼえがないにせよ、考かんがへ樣やうによつては、自分じぶんと生せいを與あたへたものの生せいを奪うばふために、暗闇くらやみと明海あかるみの途中とちゆうに待まち受うけて、これを絞殺かうさつしたと同おなじ事ことであつたからである。斯かう解釋かいしやくした時とき、御米およねは恐おそろしい罪つみを犯をかした惡人あくにんと己おのれを見傚みなさない譯わけに行ゆかなかつた。さうして思おもはざる徳義上とくぎじやうの苛責かしやくを人知ひとしれず受うけた。しかも其その苛責かしやくを分わかつて、共ともに苦くるしんで呉くれるものは世界中せかいぢゆうに一人ひとりもなかつた。御米およねは夫をつとにさへ此この苦くるしみを語かたらなかつたのである。
 彼女かのぢよは其時そのとき普通ふつうの産婦さんぷの樣やうに、三週間しうかんを床とこの中なかで暮くらした。それは身體からだから云いふと極きはめて安靜あんせいの三週間しうかんに違ちがひなかつた。同時どうじに心こゝろから云いふと、恐おそるべき忍耐にんたいの三週間しうかんであつた。宗助そうすけは亡兒ばうじのために、小ちひさい柩ひつぎを拵こしらえて、人ひとの眼めに立たたない葬儀さうぎを營いとなんだ。しかる後のち、又また死しんだもののために小ちひさな位牌ゐはいを作つくつた。位牌ゐはいには黒くろい漆うるしで戒名かいみやうが書かいてあつた。位牌ゐはいの主ぬしは戒名かいみやうを持もつてゐた。けれども俗名ぞくみやうは兩親ふたおやといへども知しらなかつた。宗助そうすけは最初さいしよそれを茶ちやの間まの箪笥たんすの上うへへ載のせて、役所やくしよから歸かへると絶たえず線香せんかうを焚たいた。其その香にほひが六疊でふに寐ねてゐる御米およねの鼻はなに時々ときき通かよつた。彼女かのぢよの官能くわんのうは當時たうじそれ程ほどに鋭するどくなつてゐたのである。しばらくしてから、宗助そうすけは何なにを考かんがへたか、小ちひさい位牌ゐはいを箪笥たんすの抽出ひきだしの底そこへ仕舞しまつてしまつた。其所そこには福岡ふくをかで亡なくなつた小供こどもの位牌ゐはいと、東京とうきやうで死しんだ父ちゝの位牌ゐはいが別々べつつに綿わたで包くるんで丁寧ていねいに入いれてあつた。東京とうきやうの家いへを疊たゝむとき宗助そうすけは先祖せんぞの位牌ゐはいを一ひとつ殘のこらず携たづさえて、諸所しよしよを漂泊へうはくするの煩わづらはしさに堪たえなかつたので、新あたらしい父ちゝの分丈ぶんだけを鞄かばんの中なかに収をさめて、其他そのたは悉こととく寺てらへ預あづけて置おいたのである。 御米およねは宗助そうすけのする凡すべてを寐ねながら見みたり聞きいたりしてゐた。さうして布團ふとんの上うへに仰向あふむけになつた儘まゝ、此この二ふたつの小ちさい位牌ゐはいを、眼めに見みえない因果いんぐわの糸いとを長ながく引ひいて互たがひに結むすび付つけた。それから其その糸いとを猶なほ遠とほく延のばして、是これは位牌ゐはいにもならずに流ながれて仕舞しまつた、始はじめから形かたちのない、ぼんやりした影かげの樣やうな死兒しじの上うへに投なげかけた。御米およねは廣島ひろしまと福岡ふくをかと東京とうきやうに殘のこる一ひとつ宛づゝの記憶きおくの底そこに、動うごかしがたい運命うんめいの嚴おごそかな支配しはいを認みとめて、其その嚴おごそかな支配しはいの下もとに立たつ、幾月日いくつきひの自分じぶんを、不思議ふしぎにも同おなじ不幸ふかうを繰くり返かへすべく作つくられた母はゝであると觀くわんじた時とき、時ときならぬ呪咀のろひの聲こゑを耳みゝの傍はたに聞きいた。彼女かのぢよが三週間しうかんの安靜あんせいを、蒲團ふとんの上うへに貪むさぼらなければならないやうに、生理的せいりてきに強しひられてゐる間あひだ、彼女かのぢよの鼓膜こまくは此この呪咀のろひの聲こゑで殆ほとんど絶たえず鳴なつてゐた。三週間しうかんの安臥あんぐわは、御米およねに取とつて實じつに比類ひるゐのない忍耐にんたいの三週間しうかんであつた。
 御米およねは此この苦くるしい半月はんつき餘あまりを、枕まくらの上うへで凝じつと見詰みつめながら過すごした。仕舞しまひには我慢がまんして横よこになつてゐるのが、如何いかにも苛つらかつたので、看護婦かんごふの歸かへつた明あくる日ひに、こつそり起おきてぶららして見みたが、それでも心こゝろに逼せまる不安ふあんは、容易よういに紛まぎらせなかつた。退儀たいぎな身體からだを無理むりに動うごかす割わりに、頭あたまの中なかは少すこしも動うごいて呉くれないので、又また落膽がつかりして、ついには取とり放はなしの夜具やぐの下したへ潛もぐり込こんで、人ひとの世よを遠とほざける樣やうに、眼めを堅かたく閉つぶつて仕舞しまふ事こともあつた。 其内そのうち定期ていきの三週間しうかんも過すぎて、御米およねの身體からだは自おのづからすつきりなつた。御米およねは奇麗きれいに床とこを拂はらつて、新あたらしい氣きのする眉まゆを再ふたゝび鏡かゞみに照てらした。それは更衣ころもがへの時節じせつであつた。御米およねも久ひさし振ぶりに綿わたの入いつた重おもいものを脱ぬぎ棄すてゝ、肌はだに垢あかの觸ふれない輕かるい氣持きもちを爽さわやかに感かんじた。春はると夏なつの境さかひをぱつと飾かざる陽氣やうきな日本にほんの風物ふうぶつは、淋さむしい御米およねの頭あたまにも幾分いくぶんかの反響はんきやうを與あたへた。けれども、夫それはたゞ沈しづんだものを掻かき立たてて、賑にぎやかな光ひかりのうちに浮うかした迄までであつた。御米およねの暗くらい過去くわこの中なかに其時そのとき一種いつしゆの好奇心かうきしんが萠きざしたのである。
 天氣てんきの勝すぐれて美うつくしいある日ひの午前ごぜん、御米およねは何時いつもの通とほり宗助そうすけを送おくり出だしてから直ぢきに、表おもてへ出でた。もう女をんなは日傘ひがさを差さして外そとを行ゆくべき時節じせつであつた。急いそいで日向ひなたを歩あるくと額ひたひの邊あたりが少すこし汗あせばんだ。御米およねは歩あるきき、着物きものを着換きかえる時とき、箪笥たんすを開あけたら、思おもはず一番目ばんめの抽出ひきだしの底そこに仕舞しまつてあつた、新あたらしい位牌ゐはいに手てが觸ふれた事ことを思おもひつゞけて、とううある易者えきしやの門もんを潛くゞつた。 彼女かのぢよは多數たすうの文明人ぶんめいじんに共通きようつうな迷信めいしんを子供こどもの時ときから持もつてゐた。けれども平生へいぜいは其その迷信めいしんが又また多數たすうの文明人ぶんめいじんと同おなじ樣やうに、遊戲的いうぎてきに外そとに現あらはれる丈だけで濟すんでゐた。それが實生活じつせいくわつの嚴おごそかな部分ぶぶんを冒をかす樣やうになつたのは、全まつたく珍めづらしいと云いはなければならなかつた。御米およねは其時そのとき眞面目まじめな態度たいどと眞面目まじめな心こゝろを有もつて、易者えきしやの前まへに坐すわつて、自分じぶんが將來しやうらい子こを生うむべき、又また子こを育そだてるべき運命うんめいを天てんから與あたへられるだらうかを確たしかめた。易者えきしやは大道だいだうに店みせを出だして、徃來わうらいの人ひとの身みの上うへを一二錢いちにせんで占うらなふ人ひとと、少すこしも違ちがつた樣子やうすもなく、算木さんぎを色々いろろに並ならべて見みたり、筮竹ぜいちくを揉もんだり數かぞへたりした後あとで、仔細しさいらしく腮あごの下したの髯ひげを握にぎつて何なにか考かんがへたが、終をはりに御米およねの顏かほをつくく眺ながめた末すゑ、
「貴方あなたには子供こどもは出來できません」と落おち付つき拂はらつて宣告せんこくした。御米およねは無言むごんの儘まゝ、しばらく易者えきしやの言葉ことばを頭あたまの中なかで噛かんだり碎くだいたりした。それから顏かほを上あげて、
「何故なぜでせう」と聞きき返かへした。其時そのとき御米およねは易者えきしやが返事へんじをする前まへに、又また考かんがへるだらうと思おもつた。所ところが彼かれはまともに御米およねの眼めの間あひだを見詰みつめたまゝ、すぐ「貴方あなたは人ひとに對たいして濟すまない事ことをした覺おぼえがある。其その罪つみが祟たゝつてゐるから、子供こどもは決けつして育そだたない」と云いひ切きつた。御米およねは此この一言いちげんに心臟しんざうを射拔いぬかれる思おもひがあつた。くしやりと首くびを折をつたなり家うちへ歸かへつて、其その夜よるは夫をつとの顏かほさへ碌々ろくく見上みあげなかつた。
 御米およねの宗助そうすけに打うち明あけないで、今迄いままで過すごしたといふのは、此この易者えきしやの判斷はんだんであつた。宗助そうすけは床とこの間まに乘のせた細ほそい洋燈らんぷの灯ひが、夜よるの中なかに沈しづんで行ゆきさうな靜しづかな晩ばんに、始はじめて御米およねの口くちから其その話はなしを聞きいたとき、流石さすがに好いい氣味きみはしなかつた。
「神經しんけいの起おこつた時とき、わざざそんな馬鹿ばかな所ところへ出掛でかけるからさ。錢ぜにを出だして下くだらない事ことを云いはれて詰つまらないぢやないか。其後そのごもその占うらなひの宅うちへ行ゆくのかい」
「恐おそろしいから、もう決けつして行いかないわ」
「行いかないが可いい。馬鹿氣ばかげてゐる」
 宗助そうすけはわざと鷹揚おうやうな答こたへをして又また寐ねて仕舞しまつた。

十四

 宗助そうすけと御米およねとは仲なかの好いい夫婦ふうふに違ちがひなかつた。一所いつしよになつてから今日こんにち迄まで六年ねん程ほどの長ながい月日つきひをまだ半日はんにちも氣不味きまづく暮くらした事ことはなかつた。言逆いさかひに顏かほを赤あからめ合あつた試ためしは猶なほなかつた。二人ふたりは呉服屋ごふくやの反物たんものを買かつて着きた。米屋こめやから米こめを取とつて食くつた。けれども其他そのたには一般いつぱんの社會しやくわいに待まつ所ところの極きはめて少すくない人間にんげんであつた。彼等かれらは、日常にちじやうの必要品ひつえうひんを供給きようきふする以上いじやうの意味いみに於おいて、社會しやくわいの存在そんざいを殆ほとんど認みとめてゐなかつた。彼等かれらに取とつて絶對ぜつたいに必要ひつえうなものは御互おたがひ丈だけで、其その御互おたがひ丈だけが、彼等かれらにはまた充分じゆうぶんであつた。彼等かれらは山やまの中なかにゐる心こゝろを抱いだいて、都會とくわいに住すんでゐた。 自然しぜんの勢いきほひとして、彼等かれらの生活せいくわつは單調たんてうに流ながれない譯わけに行いかなかつた。彼等かれらは複雜ふくざつな社會しやくわいの煩わづらひを避さけ得えたと共ともに、其その社會しやくわいの活動くわつどうから出でる樣々さままの經驗けいけんに直接ちよくせつ觸ふれる機會きくわいを、自分じぶんと塞ふさいで仕舞しまつて、都會とくわいに住すみながら、都會とくわいに住すむ文明人ぶんめいじんの特權とくけんを棄すてた樣やうな結果けつくわに到着たうちやくした。彼等かれらも自分達じぶんたちの日常にちじやうに變化へんくわのない事ことは折々をりり自覺じかくした。御互おたがひが御互おたがひに飽あきるの、物足ものたりなくなるのといふ心こゝろは微塵みぢんも起おこらなかつたけれども、御互おたがひの頭あたまに受うけ入いれる生活せいくわつの内容ないようには、刺戟しげきに乏とぼしい或物あるものが潛ひそんでゐる樣やうな鈍にぶい訴うつたへがあつた。それにも拘かゝはらず、彼等かれらが毎日まいにち同おなじ判はんを同おなじ胸むねに押おして、長ながの月日つきひを倦うまず渡わたつて來きたのは、彼等かれらが始はじめから一般いつぱんの社會しやくわいに興味きようみを失うしなつてゐたためではなかつた。社會しやくわいの方はうで彼等かれらを二人ふたり限ぎりに切きり詰つめて、其その二人ふたりに冷ひやゝかな背そびらを向むけた結果けつくわに外ほかならなかつた。外そとに向むかつて生長せいちやうする餘地よちを見出みいだし得えなかつた二人ふたりは、内うちに向むかつて深ふかく延のび始はじめたのである。彼等かれらの生活せいくわつは廣ひろさを失うしなふと同時どうじに、深ふかさを増まして來きた。彼等かれらは六年ねんの間あひだ世間せけんに散漫さんまんな交渉かうせふを求もとめなかつた代かはりに、同おなじ六年ねんの歳月さいげつを擧あげて、互たがひの胸むねを堀ほ》り出だした。彼等かれらの命いのちは、いつの間まにか互たがひの底そこに迄まで喰くひ入いつた。二人ふたりは世間せけんから見みれば依然いぜんとして二人ふたりであつた。けれども互たがひから云いへば、道義上だうぎじやう切きり離はなす事ことの出來できない一ひとつの有機體いうきたいになつた。二人ふたりの精神せいしんを組くみ立たてる神經系しんけいけいは、最後さいごの纖維せんゐに至いたる迄まで、互たがひに抱だき合あつて出來でき上あがつてゐた。彼等かれらは大おほきな水盤すゐばんの表おもてに滴したたつた二點てんの油あぶらの樣やうなものであつた。水みづを彈はじいて二ふたつが一所いつしよに集あつまつたと云いふよりも、水みづに彈はじかれた勢いきほひで、丸まるく寄より添そつた結果けつくわ、離はなれる事ことが出來できなくなつたと評ひやうする方はうが適當てきたうであつた。 彼等かれらは此この抱合はうがふの中うちに、尋常じんじやうの夫婦ふうふに見出みいだし難がたい親和しんわと飽滿はうまんと、それに伴ともなう倦怠けんたいとを兼かね具そなへてゐた。さうして其その倦怠けんたいの慵ものうい氣分きぶんに支配しはいされながら、自己じこを幸福かうふくと評價ひやうかする事こと丈だけは忘わすれなかつた。倦怠けんたいは彼等かれらの意識いしきに眠ねむりの樣やうな幕まくを掛かけて、二人ふたりの愛あいをうつとり霞かすます事ことはあつた。けれども簓さゝらで神經しんけいを洗あらはれる不安ふあんは決けつして起おこし得えなかつた。要えうするに彼等かれらは世間せけんに疎うとい丈だけそれ丈だけ仲なかの好いい夫婦ふうふであつたのである。
 彼等かれらは人並ひとなみ以上いじやうに睦むつましい月日つきひを渝かはらずに今日けふから明日あすへと繋つないで行いきながら、常つねは其所そこに氣きが付つかずに顏かほを見合みあはせてゐる樣やうなものゝ、時々ときき自分達じぶんたちの睦むつまじがる心こゝろを、自分じぶんで確しかと認みとめる事ことがあつた。その場合ばあひには必かならず今迄いままで睦むつまじく過すごした長ながの歳月としつきを溯さかのぼつて、自分達じぶんたちが如何いかな犧牲ぎせいを拂はらつて、結婚けつこんを敢あへてしたかと云いふ當時たうじを憶おもひ出ださない譯わけには行いかなかつた。彼等かれらは自然しぜんが彼等かれらの前まへにもたらした恐おそるべき復讐ふくしうの下もとに戰をのゝきながら跪ひざまづいた。同時どうじに此この復讐ふくしうを受うけるために得えた互たがひの幸福かうふくに對たいして、愛あいの神かみに一辯べんの香かうを焚たく事ことを忘わすれなかつた。彼等かれらは鞭むちうたれつゝ死しに赴おもむくものであつた。たゞ其その鞭むちの先さきに、凡すべてを癒いやす甘あまい蜜みつの着ついてゐる事ことを覺さとつたのである。 宗助そうすけは相當さうたうに資産しさんのある東京とうきやうものゝ子弟していとして、彼等かれらに共通きようつうな派出はでな嗜好しかうを學生がくせい時代じだいには遠慮ゑんりよなく充みたした男をとこである。彼かれは其時そのとき服裝なりにも、動作どうさにも、思想しさうにも、悉こととく當世たうせいらしい才人さいじんの面影おもかげを漲みなぎらして、昂たかい首くびを世間せけんに擡もたげつゝ、行いかうと思おもふ邊あたりを濶歩くわつぽした。彼かれの襟えりの白しろかつた如ごとく、彼かれの洋袴づぼんの裾すそが奇麗きれいに折をり返かへされてゐた如ごとく、其下そのしたから見みえる彼かれの靴足袋くつたびが模樣入もやういりのカシミヤであつた如ごとく、彼かれの頭あたまは華奢きやしやな世間せけん向むきであつた。
 彼かれは生うまれ付つき理解りかいの好いい男をとこであつた。從したがつて大たいした勉強べんきやうをする氣きにはなれなかつた。學問がくもんは社會しやくわいへ出でるための方便はうべんと心得こゝろえてゐたから、社會しやくわいを一歩ぽ退しりぞかなくつては達たつする事ことの出來できない、學者がくしやといふ地位ちゐには、餘あまり多おほくの興味きようみを有もつてゐなかつた。彼かれはたゞ教場けうぢやうへ出でて、普通ふつうの學生がくせいのする通とほり、多おほくのノートブツクを黒くろくした。けれども宅うちへ歸かへつて來きて、それを讀よみ直なほしたり、手てを入いれたりした事ことは滅多めつたになかつた。休やすんで拔ぬけた所ところさへ大抵たいていは其儘そのまゝにして放はふつて置おいた。彼かれは下宿げしゆくの机つくゑの上うへに、此このノートブツクを奇麗きれいに積つみ上あげて、何時いつ見みても整然せいぜんと秩序ちつじよの付ついた書齋しよさいを空からにしては、外そとを出歩であるいた。友達ともだちは多おほく彼かれの寛濶くわんくわつを羨うらやんだ。宗助そうすけも得意とくいであつた。彼かれの未來みらいは虹にじの樣やうに美うつくしく彼かれの眸ひとみを照てらした。 其頃そのころの宗助そうすけは今いまと違ちがつて多おほくの友達ともだちを持もつてゐた。實じつを云いふと、輕快けいくわいな彼かれの眼めに映えいずる凡すべての人ひとは、殆ほとんど誰彼だれかれの區別くべつなく友達ともだちであつた。彼かれは敵てきといふ言葉ことばの意味いみを正當せいたうに解かいし得えない樂天家らくてんかとして、若わかい世よをのびびと渡わたつた。
「なに不景氣ふけいきな顏かほさへしなければ、何處どこへ行いつたつて驩迎くわんげいされるもんだよ」と學友がくいうの安井やすゐによく話はなした事ことがあつた。實際じつさい彼かれの顏かほは、他ひとを不愉快ふゆくわいにする程ほど深刻しんこくな表情へうじやうを示しめし得えた試ためしがなかつた。
「君きみは身體からだが丈夫ぢやうぶだから結構けつこうだ」とよく何處どこかに故障こしやうの起おこる安井やすゐが羨うらやましがつた。此この安井やすゐといふのは國くには越前ゑちぜんだが、長ながく横濱よこはまに居ゐたので、言葉ことばや樣子やうすは毫がうも東京とうきやうものと異ことなる點てんがなかつた。着物きもの道樂だうらくで、髮かみの毛けを長ながくして眞中まんなかから分わける癖くせがあつた。高等學校かうとうがくかうは違ちがつてゐたけれども、講義かうぎのときよく隣合となりあはせに並ならんで、時々ときき聞きき損そくなつた所ところ抔などを後あとから質問しつもんするので、口くちを利きき出だしたのが元もとになつて、つい懇意こんいになつた。それが學年がくねんの始はじまりだつたので、京都きやうとへ來きて日ひのまだ淺あさい宗助そうすけには大分だいぶんの便宜べんぎであつた。彼かれは安井やすゐの案内あんないで新あたらしい土地とちの印象いんしやうを酒さけの如ごとく吸すひ込こんだ。二人ふたりは毎晩まいばんの樣やうに三條さんでうとか四條しでうとかいふ賑にぎやかな町まちを歩あるいた。時ときによると京極きやうごくも通とほり拔ぬけた。橋はしの眞中まんなかに立たつて鴨川かもがはの水みづを眺ながめた。東山ひがしやまの上うへに出でる靜しづかな月つきを見みた。さうして京都きやうとの月つきは東京とうきやうの月つきよりも丸まるくて大おほきい樣やうに感かんじた。町まちや人ひとに厭あきたときは、土曜どえうと日曜にちえうを利用りようして遠とほい郊外かうぐわいに出でた。宗助そうすけは至いたる所ところの大竹藪おほたけやぶに緑みどりの籠こもる深ふかい姿すがたを喜よろこんだ。松まつの幹みきの染そめた樣やうに赤あかいのが、日ひを照てり返かへして幾本いくほんとなく並ならぶ風情ふぜいを樂たのしんだ。ある時ときは大悲閣だいひかくへ登のぼつて、即非そくひの額がくの下したに仰向あふむきながら、谷底たにそこの流ながれを下くだる櫓ろの音おとを聞きいた。其音そのおとが鴈かりの鳴聲なきごゑによく似にてゐるのを二人ふたりとも面白おもしろがつた。ある時ときは、平八茶屋へいはちぢやや迄まで出掛でかけて行いつて、そこに一日いちにち寐ねてゐた。さうして不味まづい河魚かはうをの串くしに刺さしたのを、かみさんに燒やかして酒さけを呑のんだ。其そのかみさんは、手拭てぬぐひを被かぶつて、紺こんの立付たつつけ見みた樣やうなものを穿はいてゐた。 宗助そうすけは斯こんな新あたらしい刺戟しげきの下もとに、しばらくは慾求よくきうの滿足まんぞくを得えた。けれども一ひと通とほり古ふるい都みやこの臭にほひを嗅かいで歩あるくうちに、凡すべてがやがて、平板へいばんに見みえだして來きた。其時そのとき彼かれは美うつくしい山やまの色いろと清きよい水みづの色いろが、最初さいしよ程ほど鮮明せんめいな影かげを自分じぶんの頭あたまに宿やどさないのを物足ものたらず思おもひ始はじめた。彼かれは暖あたゝかな若わかい血ちを抱いだいて、其その熱ほてりを冷さます深ふかい緑みどりに逢あへなくなつた。さうかといつて、此この情熱じやうねつを焚やき盡つくす程ほどの烈はげしい活動くわつどうには無論むろん出會であはなかつた。彼かれの血ちは高たかい脉みやくを打うつて、徒いたづらにむづ痒がゆく彼かれの身體からだの中なかを流ながれた。彼かれは腕組うでぐみをして、坐ゐながら四方しはうの山やまを眺ながめた。さうして、
「もう斯こんな古臭ふるくさい所ところには厭あきた」と云いつた。
 安井やすゐは笑わらひながら、比較ひかくのため、自分じぶんの知しつてゐる或ある友達ともだちの故郷こきやうの物語ものがたりをして宗助そうすけに聞きかした。それは淨瑠璃じやうるりの間あひの土山つちやま雨あめが降ふるとある有名いうめいな宿しゆくの事ことであつた。朝あさ起おきてから夜よる寐ねる迄まで、眼めに入いるものは山やまより外ほかにない所ところで、丸まるで擂鉢すりばちの底そこに住すんでゐると同おなじ有樣ありさまだと告つげた上うへ、安井やすゐは其その友達ともだちの小ちひさい時分じぶんの經驗けいけんとして、五月雨さみだれの降ふりつゞく折をり抔などは、小供心こどもごゝろに、今いまにも自分じぶんの住すんでゐる宿しゆくが、四方しはうの山やまから流ながれて來くる雨あめの中なかに浸つかつて仕舞しまひさうで、心配しんぱいでならなかつたと云いふ話はなしをした。宗助そうすけはそんな擂鉢すりばちの底そこで一生いつしやうを過すごす人ひとの運命うんめいほど情なさけないものはあるまいと考かんがへた。「さう云いふ所ところに、人間にんげんがよく生いきてゐられるな」と不思議ふしぎさうな顏かほをして安井やすゐに云いつた。安井やすゐも笑わらつてゐた。さうして土山つちやまから出でた人物じんぶつの中うちでは、千兩凾せんりやうばこを摩すり替かへて磔はりつけになつたのが一番いちばん大おほきいのだと云いふ一口話ひとくちばなしを矢張やはり友達ともだちから聞きいた通とほり繰くり返かへした。狹せまい京都きやうとに飽あきた宗助そうすけは、單調たんてうな生活せいくわつを破やぶる色彩しきさいとして、さう云いふ出來事できごとも百年ねんに一度ど位ぐらゐは必要ひつえうだらうと迄まで思おもつた。
 其その時分じぶんの宗助そうすけの眼めは、常つねに新あたらしい世界せかいにばかり注そゝがれてゐた。だから自然しぜんが一通ひととほり四季しきの色いろを見みせて仕舞しまつたあとでは、再ふたゝび去年きよねんの記憶きおくを呼よび戻もどすために、花はなや紅葉もみぢを迎むかへる必要ひつえうがなくなつた。強つよく烈はげしい命いのちに生いきたと云いふ證劵しようけんを飽迄あくまで握にぎりたかつた彼かれには、活いきた現在げんざいと、是これから生うまれやうとする未來みらいが、當面たうめんの問題もんだいであつたけれども、消きえかゝる過去くわこは、夢ゆめ同樣どうやうに價あたひの乏とぼしい幻影げんえいに過すぎなかつた。彼かれは多おほくの剥はげかゝつた社やしろと、寂果さびはてた寺てらを見盡みつくして、色いろの褪さめた歴史れきしの上うへに、黒くろい頭あたまを振ふり向むける勇氣ゆうきを失うしなひかけた。寐耄ねぼけた昔むかしに彽徊ていくわいする程ほど、彼かれの氣分きぶんは枯かれてゐなかつたのである。 學年がくねんの終をはりに宗助そうすけと安井やすゐとは再會さいくわいを約やくして手てを分わかつた。安井やすゐは一先ひとまづ郷里きやうりの福井ふくゐへ歸かへつて、夫それから横濱よこはまへ行ゆく積つもりだから、もし其時そのときには手紙てがみを出だして通知つうちをしやう、さうして成なるべくなら一所いつしよの汽車きしやで京都きやうとへ下くだらう、もし時間じかんが許ゆるすなら、興津おきつあたりで泊とまつて、清見寺せいけんじや三保みほの松原まつばらや、久能山くのうざんでも見みながら緩ゆつくり遊あそんで行いかうと云いつた。宗助そうすけは大おほいに可よからうと答こたへて、腹はらのなかでは既すでに安井やすゐの端書はがきを手てにする時ときの心持こゝろもちさへ豫想よさうした。
 宗助そうすけが東京とうきやうへ歸かへつたときは、父ちゝは固もとよりまだ丈夫ぢやうぶであつた。小六ころくは子供こどもであつた。彼かれは一年ねんぶりに殷さかんな都みやこの炎熱えんねつと煤煙ばいえんを呼吸こきふするのを却かへつて嬉うれしく感かんじた。燬やく樣やうな日ひの下したに、渦うづを捲まいて狂くるひ出だしさうな瓦かはらの色いろが、幾里いくりとなく續つゞく景色けしきを、高たかい所ところから眺ながめて、是これでこそ東京とうきやうだと思おもふ事ことさへあつた。今いまの宗助そうすけなら目めを眩まはしかねない事々物々じゞぶつつが、悉こととく壯快さうくわいの二字じを彼かれの額ひたひに燒やき付つけべく、其時そのときは反射はんしやして來きたのである。
 彼かれの未來きは封ふうじられた蕾つぼみのやうに、開ひらかない先さきは他ひとに知しれないばかりでなく、自分じぶんにも確しかとは分わからなかつた。宗助そうすけはたゞ洋々やううの二字じが彼かれの前途ぜんとに棚引たなびいてゐる氣きがした丈だけであつた。彼かれは此この暑あつい休暇中きうかちゆうにも卒業後そつげふごの自分じぶんに對たいする謀はかりごとを忽ゆるかせにはしなかつた。彼かれは大學だいがくを出でてから、官途くわんとに就つかうか、又または實業じつげふに從したがはうか、それすら、まだ判然はつきりと心こゝろに極きめてゐなかつたに拘かゝはらず、何方どちらの方面はうめんでも構かまはず、今いまのうちから、進すゝめる丈だけ進すゝんで置おく方はうが利益りえきだと心付こゝろづいた。彼かれは直接ちよくせつ父ちゝの紹介せうかいを得えた。父ちゝを通とほして間接かんせつに其その知人ちじんの紹介せうかいを得えた。さうして自分じぶんの將來しやうらいを影響えいきやうし得うる樣やうな人ひとを物色ぶつしよくして、二三の訪問はうもんを試こゝろみた。彼等かれらのあるものは、避暑ひしよといふ名義めいぎの下もとに、既すでに東京とうきやうを離はなれてゐた。あるものは不在ふざいであつた。又またあるものは多忙たばうのため時ときを期きして、勤務先きんむさきで會あはうと云いつた。宗助そうすけは日ひのまだ高たかくならない七時頃じごろに、昇降器エレヹーターで煉瓦造れんぐわづくりの三階さんがいへ案内あんないされて、其所そこの應接間おうせつまに、もう七八人にんも自分じぶんと同おなじ樣やうに、同おなじ人ひとを待まつてゐる光景くわうけいを見みて驚おどろいた事こともあつた。彼かれは斯かうして新あたらしい所ところへ行いつて、新あたらしい物ものに接せつするのが、用向ようむきの成否せいひに關かゝはらず、今迄いままで眼めに付つかずに過すぎた活いきた世界せかいの斷片だんぺんを頭あたまへ詰つめ込こむ樣やうな氣きがして何なんとなく愉快ゆくわいであつた。 父ちゝの云いひ付つけで、毎年まいねんの通とほり虫干むしぼしの手傳てつだひをさせられるのも、斯こんな時ときには、却かへつて興味きようみの多おほい仕事しごとの一部分いちぶぶんに數かぞへられた。彼かれは冷つめたい風かぜの吹ふき通とほす土藏どざうの戸前とまへの濕しめつぽい石いしの上うへに腰こしを掛かけて、古ふるくから家いへにあつた江戸名所圖會えどめいしよづゑと江戸砂子えどすなごといふ本ほんを物珍ものめづらしさうに眺ながめた。疊たゝみ迄まで熱あつくなつた座敷ざしきの眞中まんなかへ胡坐あぐらを掻かいて、下女げぢよの買かつて來きた樟腦しやうなうを、小ちひさな紙片かみぎれに取とり分わけては、醫者いしやで呉くれる散藥さんやくの樣やうな形かたちに疊たゝんだ。宗助そうすけは小供こどもの時ときから、此この樟腦しやうなうの高たかい香かをりと、汗あせの出でる土用どようと、砲烙灸はうろくぎうと、蒼空あをぞらを緩ゆるく舞まふ鳶とびとを連想れんさうしてゐた。
 兎角とかくするうちに節せつは立秋りつしうに入いつた。二百十日にひやくとをかの前まへには、風かぜが吹ふいて、雨あめが降ふつた。空そらには薄墨うすずみの煑染にじんだ樣やうな雲くもがしきりに動うごいた。寒暖計かんだんけいが二三日にち下さがり切きりに下さがつた。宗助そうすけはまた行李かうりを麻繩あさなはで絡からげて、京都きやうとへ向むかふ支度したくをしなければならなくなつた。
 彼かれは此間このあひだにも安井やすゐと約束やくそくのある事ことは忘わすれなかつた。家うちへ歸かへつた當座たうざは、まだ二ヶ月げつも先さきの事ことだからと緩ゆつくり構かまへてゐたが、段々だんん時日じじつが逼せまるに從したがつて、安井やすゐの消息せうそくが氣きになつてきた。安井やすゐは其後そのご一枚まいの端書はがきさへ寄よこさなかつたのである。宗助そうすけは安井やすゐの郷里きやうりの福井ふくゐへ向むけて手紙てがみを出だして見みた。けれども返事へんじは遂つひに來こなかつた。宗助そうすけは横濱よこはまの方はうへ問とひ合あはせて見みやうと思おもつたが、つい番地ばんちも町名ちやうめいも聞きいて置おかなかつたので、何どうする事ことも出來できなかつた。 立たつ前まへの晩ばんに、父ちゝは宗助そうすけを呼よんで、宗助そうすけの請求せいきう通どほり、普通ふつうの旅費りよひ以外いぐわいに、途中とちゆうで二三日にち滯在たいざいした上うへ、京都きやうとへ着ついてからの當分たうぶんの小遣こづかひを渡わたして、
「成なる丈たけ節儉せつけんしなくちや不可いけない」と諭さとした。
 宗助そうすけはそれを普通ふつうの子こが普通ふつうの親おやの訓戒くんかいを聞きく時ときの如ごとくに聞きいた。父ちゝは又また、
「來年らいねんまた歸かへつて來くる迄までは會あはないから、隨分ずゐぶん氣きを付つけて」と云いつた。其その歸かへつて來くる時節じせつには、宗助そうすけはもう歸かへれなくなつてゐたのである。さうして歸かへつて來きた時ときは、父ちゝの亡骸なきがらがもう冷つめたくなつてゐたのである。宗助そうすけは今いまに至いたる迄まで其時そのときの父ちゝの面影おもかげを思おもひ浮うかべては濟すまない樣やうな氣きがした。
 愈いよよ立たつと云いふ間際まぎはに、宗助そうすけは安井やすゐから一通つうの封書ふうしよを受取うけとつた。開ひらいて見みると、約束やくそく通どほり一所いつしよに歸かへる積つもりでゐたが、少すこし事情じじやうがあつて先さきへ立たたなければならない事ことになつたからと云いふ斷ことわりを述のべた末すゑに、何いづれ京都きやうとで緩ゆつくり會あはうと書かいてあつた。宗助そうすけはそれを洋服やうふくの内懷うちぶところに押おし込こんで汽車きしやに乘のつた。約束やくそくの興津おきつへ來きたとき彼かれは一人ひとりでプラツトフオームへ降おりて、細長ほそながい一筋町ひとすぢまちを清見寺せいけんじの方はうへ歩あるいた。夏なつも既すでに過すぎた九月ぐわつの初はじめなので、大方おほかたの避暑客ひしよかくは早はやく引ひき上あげた後あとだから、宿屋やどやは比較的ひかくてき閑靜かんせいであつた。宗助そうすけは海うみの見みえる一室いつしつの中なかに腹這はらばひになつて、安井やすゐへ送おくる繪端書ゑはがきへ二三行ぎやうの文句もんくを書かいた。其内そのなかに、君きみが來こないから僕ぼく一人ひとりで此所こゝへ來きたといふ言葉ことばを入いれた。 翌日よくじつも約束やくそく通どほり一人ひとりで三保みほと龍華寺りゆうげじを見物けんぶつして、京都きやうとへ行いつてから安井やすゐに話はなす材料ざいれうを出來できる丈だけ拵こしらえた。然しかし天氣てんきの所爲せゐか、當あてにした連つれのないためか、海うみを見みても、山やまへ登のぼつても夫程それほど面白おもしろくなかつた。宿やどに凝じつとしてゐるのは、猶なほ退屈たいくつであつた。宗助そうすけは匆々そううに又また宿やどの浴衣ゆかたを脱ぬぎ棄すてゝ、絞しぼりの三尺さんじやくと共ともに欄干らんかんに掛かけて、興津おきつを去さつた。
 京都きやうとへ着ついた一日目いちにちめは、夜汽車よぎしやの疲つかれやら、荷物にもつの整理せいりやらで、徃來わうらいの日影ひかげを知しらずに暮くらした。二日目ふつかめになつて漸やうやく學校がくかうへ出でて見みると、教師けうしはまだ出揃でそろつてゐなかつた。學生がくせいも平日いつもよりは數かずが不足ふそくであつた。不審ふしんな事ことには、自分じぶんより三四さんよつ日か前まへに歸かへつてゐるべき筈はずの安井やすゐの顏かほさへ何處どこにも見みえなかつた。宗助そうすけはそれが氣きにかゝるので、歸かへりにわざざ安井やすゐの下宿げしゆくへ回まはつて見みた。安井やすゐの居ゐる所ところは樹きと水みづの多おほい加茂かもの社やしろの傍そばであつた。彼かれは夏休なつやすみ前まへから、少すこし閑靜かんせいな町外まちはづれへ移うつつて勉強べんきやうする積つもりだとか云いつて、わざざ此この不便ふべんな村同樣むらどうやうな田舍ゐなかへ引込ひつこんだのである。彼かれの見付出みつけだした家いへからが寂さびた土塀どべいを二方にはうに回めぐらして、既すでに古風こふうに片付かたづいてゐた。宗助そうすけは安井やすゐから、其所そこの主人しゆじんはもと加茂神社かもじんじやの神官しんくわんの一人ひとりであつたと云いふ話はなしを聞きいた。非常ひじやうに能辯のうべんな京都きやうと言葉ことばを操あやつる四十許ばかりの細君さいくんがゐて、安井やすゐの世話せわをしてゐた。「世話せわつて、たゞ不味まづい菜さいを拵こしらえて、三度どづゝ室へやへ運はこんで呉くれる丈だけだよ」と安井やすゐは移うつり立たてから此この細君さいくんの惡口わるくちを利きいてゐた。宗助そうすけは安井やすゐを此所こゝに二三度ど訪たづねた縁故えんこで、彼かれの所謂いはゆる不味まづい菜さいを拵こしらえる主ぬしを知しつてゐた。細君さいくんの方はうでも宗助そうすけの顏かほを覺おぼえてゐた。細君さいくんは宗助そうすけを見みるや否いなや、例れいの柔やはらかい舌したで慇懃いんぎんな挨拶あいさつを述のべた後のち、此方こつちから聞きかうと思おもつて來きた安井やすゐの消息せうそくを、却かへつて向むかふから尋たづねた。細君さいくんの云いふ所ところによると、彼かれは郷里きやうりへ歸かへつてから當日たうじつに至いたる迄まで、一片いつぺんの音信おんしんさへ下宿げしゆくへは出ださなかつたのである。宗助そうすけは案外あんぐわいな思おもひで自分じぶんの下宿げしゆくへ歸かへつて來きた。
 夫それから一週間しうかん程ほどは、學校がくかうへ出でるたんびに、今日けふは安井やすゐの顏かほが見みえるか、明日あすは安井やすゐの聲こゑがするかと、毎日まいにち漠然ばくぜんとした豫期よきを抱いだいては教室けうしつの戸とを開あけた。さうして毎日まいにち又また漠然ばくぜんとした不足ふそくを感かんじては歸かへつて來きた。尤もつとも最後さいごの三四日さんよつかに於おける宗助そうすけは早はやく安井やすゐに會あひたいと思おもふよりも、少すこし事情じじやうがあるから、失敬しつけいして先さきへ立たつとわざざ通知つうちしながら、何時迄いつまで待まつても影かげも見みせない彼かれの安否あんぴを、關係者くわんけいしやとして寧むしろ氣きに掛かけてゐたのである。彼かれは學友がくいうの誰彼たれかれに萬遍まんべんなく安井やすゐの動靜どうせいを聞きいて見みた。然しかし誰だれも知しるものはなかつた。たゞ一人ひとりが、昨夕ゆうべ四條しでうの人込ひとごみの中なかで、安井やすゐによく似にた浴衣ゆかたがけの男をとこを見みたと答こたへた事ことがあつた。然しかし宗助そうすけにはそれが安井やすゐだらうとは信しんじられなかつた。所ところが其その話はなしを聞きいた翌日よくじつ、即すなはち宗助そうすけが京都きやうとへ着ついてから約やく一週間しうかんの後のち、話はなしの通とほりの服裝なりをした安井やすゐが、突然とつぜん宗助そうすけの所ところへ尋たづねて來きた。 宗助そうすけは着流きながしの儘まゝ麥藁帽むぎわらばうを手てに持もつた友達ともだちの姿すがたを久ひさし振ぶりに眺ながめた時とき、夏休なつやすみ前まへの彼かれの顏かほの上うへに、新あたらしい何物なにものかゞ更さらに付つけ加くはへられた樣やうな氣きがした。安井やすゐは黒くろい髮かみに油あぶらを塗ぬつて、目立めだつ程ほど奇麗きれいに頭あたまを分わけてゐた。さうして今いま床屋とこやへ行いつて來きた所ところだと言譯いひわけらしい事ことを云いつた。
 其晩そのばん彼かれは宗助そうすけと一時間じかん餘あまりも雜談ざつだんに耽ふけつた。彼かれの重々おももしい口くちの利きき方かた、自分じぶんを憚はゞかつて、思おもひ切きれない樣やうな話はなしの調子てうし、「然しかるに」と云いふ口癖くちくせ、凡すべて平生へいぜいの彼かれと異ことなる點てんはなかつた。たゞ彼かれは何故なぜ宗助そうすけより先さきへ横濱よこはまを立たつたかを語かたらなかつた。又また途中とちゆう何處どこで暇取ひまどつた爲ため、宗助そうすけより後おくれて京都きやうとへ着ついたかを判然はつきり告つげなかつた。然しかし彼かれは三四日前さんよつかまへ漸やうやく京都きやうとへ着ついた事こと丈だけを明あきらかにした。さうして、夏休なつやすみ前まへにゐた下宿げしゆくへはまだ歸かへらずにゐると云いつた。
「夫それで何處どこに」と宗助そうすけが聞きいたとき、彼かれは自分じぶんの今いま泊とまつてゐる宿屋やどやの名前なまへを、宗助そうすけに教をしへた。それは三條さんでう邊へんの三流位りうぐらゐの家いへであつた。宗助そうすけは其その名前なまへを知しつてゐた。「何どうして、其樣そんな所ところへ這入はいつたのだ。當分たうぶん其所そこにゐる積つもりなのかい」と宗助そうすけは重かさねて聞きいた。安井やすゐはたゞ少すこし都合つがふがあつてと許ばかり答こたへたが、
「下宿げしゆく生活せいくわつはもう已やめて、小ちひさい家うちでも借かりやうかと思おもつてゐる」と思おもひがけない計畫けいくわくを打うち明あけて、宗助そうすけを驚おどろかした。
 それから一週間しうかんばかりの中うちに、安井やすゐはとうう宗助そうすけに話はなした通とほり、學校がくかう近ちかくの閑靜かんせいな所ところに一戸いつこを構かまへた。それは京都きやうとに共通きようつうな暗くらい陰氣いんきな作つくりの上うへに、柱はしらや格子かうしを黒赤くろあかく塗ぬつて、わざと古臭ふるくさく見みせた狹せまい貸家かしやであつた。門口かどぐちに誰だれの所有しよいうとも付つかない柳やなぎが一本ぽんあつて、長ながい枝えだが殆ほとんど軒のきに觸さはりさうに風かぜに吹ふかれる樣さまを宗助そうすけは見みた。庭にはも東京とうきやうと違ちがつて、少すこしは整とゝのつてゐた。石いしの自由じいうになる所ところだけに、比較的ひかくてき大おほきなのが座敷ざしきの眞正面ましやうめんに据すゑてあつた。其下そのしたには涼すゞしさうな苔こけがいくらでも生はえた。裏うらには敷居しきゐの腐くさつた物置ものおきが空からの儘まゝがらんと立たつてゐる後うしろに、隣となりの竹藪たけやぶが便所べんじよの出入ではひりに望のぞまれた。
 宗助そうすけの此處こゝを訪問はうもんしたのは、十月ぐわつに少すこし間まのある學期がくきの始はじめであつた。殘暑ざんしよがまだ強つよいので宗助そうすけは學校がくかうの徃復わうふくに、蝙蝠傘かうもりがさを用もちひてゐた事ことを今いまに記憶きおくしてゐた。彼かれは格子かうしの前まへで傘かさを疊たゝんで、内うちを覗のぞき込こんだ時とき、粗あらい縞しまの浴衣ゆかたを着きた女をんなの影かげをちらりと認みとめた。格子かうしの内うちは三和土たゝきで、それが眞直まつすぐに裏うら迄まで突つき拔ぬけてゐるのだから、這入はいつてすぐ右手みぎての玄關げんくわんめいた上あがり口ぐちを上あがらない以上いじやうは、暗くらいながら一筋ひとすぢに奧おくの方はう迄まで見みえる譯わけであつた。宗助そうすけは浴衣ゆかたの後影うしろかげが、裏口うらぐちへ出でる所ところで消きへてなくなる迄まで其處そこに立たつてゐた。それから格子かうしを開あけた。玄關げんくわんへは安井やすゐ自身じしんが現あらはれた。 座敷ざしきへ通とほつてしばらく話はなしてゐたが、さつきの女をんなは全まつたく顏かほを出ださなかつた。聲こゑも立たてず、音おともさせなかつた。廣ひろい家うちでないから、つい隣となりの部屋へや位ぐらゐにゐたのだらうけれども、居ゐないのと丸まるで違ちがはなかつた。この影かげの樣やうに靜しづかな女をんなが御米およねであつた。
 安井やすゐは郷里きやうりの事こと、東京とうきやうの事こと、學校がくかうの講義かうぎの事こと、何なにくれとなく話はなした。けれども、御米およねの事ことに就ついては一言いちごんも口くちにしなかつた。宗助そうすけも聞きく勇氣ゆうきに乏とぼしかつた。其日そのひはそれなり別わかれた。
 次つぎの日ひ二人ふたりが顏かほを合あはしたとき、宗助そうすけは矢張やはり女をんなの事ことを胸むねの中なかに記憶きおくしてゐたが、口くちへ出だしては一言ひとことも語かたらなかつた。安井やすゐも何氣なにげない風ふうをしてゐた。懇意こんいな若わかい青年せいねんが心易立こゝろやすだてに話はなし合あふ遠慮ゑんりよのない題目だいもくは、是迄これまで二人ふたりの間あひだに何度なんどとなく交換かうくわんされたにも拘かゝはらず、安井やすゐはこゝへ來きて、息詰いきづまつた如ごとくに見みえた。宗助そうすけも其所そこを無理むりにこぢ開あける程ほどの強つよい好奇心かうきしんは有もたなかつた。從したがつて女をんなは二人ふたりの意識いしきの間あひだに挾はさまりながら、つい話頭わとうに上のぼらないで、又また一週間しうかんばかり過すぎた。
 其その日曜にちえうに彼かれは又また安井やすゐを訪とふた。それは二人ふたりの關係くわんけいしてゐる或ある會くわいに就ついて用事ようじが起おこつたためで、女をんなとは全まつたく縁故えんこのない動機どうきから出でた淡泊たんぱくな訪問はうもんであつた。けれども座敷ざしきへ上あがつて、同おなじ所ところへ坐すわらせられて、垣根かきねに沿そふた小ちひさな梅うめの木きを見みると、此前このまへ來きた時ときの事ことが明あきらかに思おもひ出だされた。其日そのひも座敷ざしきの外ほかは、しんとして靜しづかであつた。宗助そうすけは其その靜しづかなうちに忍しのんでゐる若わかい女をんなの影かげを想像さうざうしない譯わけに行いかなかつた。同時どうじにその若わかい女をんなは此前このまへと同おなじ樣やうに、決けつして自分じぶんの前まへに出でて來くる氣遣きづかひはあるまいと信しんじてゐた。 此この豫期よきの下もとに、宗助そうすけは突然とつぜん御米およねに紹介せうかいされたのである。其時そのとき御米およねは此間このあひだの樣やうに粗あらい浴衣ゆかたを着きてはゐなかつた。是これから餘所よそへ行ゆくか、又または今いま外そとから歸かへつて來きたと云いふ風ふうな粧よそほひをして、次つぎの間まから出でて來きた。宗助そうすけにはそれが意外いぐわいであつた。然しかし大たいした綺羅きらを着飾きかざつた譯わけでもないので、衣服いふくの色いろも、帶おびの光ひかりも、夫程それほど彼かれを驚おどろかす迄までには至いたらなかつた。其上そのうへ御米およねは若わかい女をんなに有勝ありがちの嬌羞けうしうといふものを、初對面しよたいめんの宗助そうすけに向むかつて、あまり多おほく表あらはさなかつた。たゞ普通ふつうの人間にんげんを靜しづかにして言葉ことば寡すくなに切きり詰つめた丈だけに見みえた。人ひとの前まへへ出でても、隣となりの室へやに忍しのんでゐる時ときと、あまり區別くべつのない程ほど落付おちついた女をんなだといふ事ことを見出みいだした宗助そうすけは、それから推おして、御米およねのひつそりしていたのは、穴勝あながち耻はづかしがつて、人ひとの前まへへ出でるのを避さけるため許ばかりでもなかつたんだと思おもつた。
 安井やすゐは御米およねを紹介せうかいする時とき、
「是これは僕ぼくの妹いもとだ」といふ言葉ことばを用もちひた。宗助そうすけは四五分ふん對坐たいざして、少すこし談話だんわを取とり換かはしてゐるうちに、御米およねの口調くてうの何處どこにも、國訛くになまりらしい音おんの交まじつてゐない事ことに氣きが付ついた。「今迄いままで御國おくにの方はうに」と聞きいたら、御米およねが返事へんじをする前まへに安井やすゐが、
「いや横濱よこはまに長ながく」と答こたへた。
 其日そのひは二人ふたりして町まちへ買物かひものに出でやうと云いふので、御米およねは不斷着ふだんぎを脱ぬぎ更かへて、暑あつい所ところをわざざ新あたらしい白足袋しろたび迄まで穿はいたものと知しれた。宗助そうすけは折角せつかくの出掛でがけを喰くひ留とめて、邪魔じやまでもした樣やうに氣きの毒どくな思おもひをした。
「なに宅うちを持もち立たてだものだから、毎日々々まいにちち要いるものを新あたらしく發見はつけんするんで、一週しうに一二返へんは是非ぜひ都みやこ迄まで買かひ出だしに行いかなければならない」と云いひながら安井やすゐは笑わらつた。
「途みち迄まで一所いつしよに出掛でかけやう」と宗助そうすけはすぐ立たち上あがつた。序ついでに家うちの樣子やうすを見みてくれと安井やすゐの云いふに任まかせた。宗助そうすけは次つぎの間まにある亞鉛とたんの落おとしの付ついた四角しかくな火鉢ひばちや、黄きな安やすつぽい色いろをした眞鍮しんちゆうの藥鑵やくわんや、古ふるびた流ながしの傍そばに置おかれた新あたらし過すぎる手桶てをけを眺ながめて、門かどへ出でた。安井やすゐは門口かどぐちへ錠ぢやうを卸おろして、鍵かぎを裏うらの家うちへ預あづけるとか云いつて、走かけて行いつた。宗助そうすけと御米およねは待まつてゐる間あひだ、二言ふたこと、三言みこと、尋常じんじやうな口くちを利きいた。 宗助そうすけは此この三四分間ふんかんに取とり換かはした互たがひの言葉ことばを、いまだに覺おぼえてゐた。それは只たゞの男をとこが只たゞの女をんなに對たいして人間にんげんたる親したしみを表あらはすために、遣やり取とりする簡略かんりやくな言葉ことばに過すぎなかつた。形容けいようすれば水みづの樣やうに淺あさく淡あはいものであつた。彼かれは今日こんにち迄まで路傍ろばう道上だうじやうに於おいて、何なにかの折をりに觸ふれて、知しらない人ひとを相手あひてに、是程これほどの挨拶あいさつをどの位くらゐ繰くり返かへして來きたか分わからなかつた。
 宗助そうすけは極きはめて短みじかい其時そのときの談話だんわを、一々いちち思おもひ浮うかべるたびに、其その一々いちちが、殆ほとんど無着色むちやくしよくと云いつていゝ程ほどに、平淡へいたんであつた事ことを認みとめた。さうして、斯かく透明とうめいな聲こゑが、二人ふたりの未來みらいを、何どうしてあゝ眞赤まつかに、塗ぬり付つけたかを不思議ふしぎに思おもつた。今いまでは赤あかい色いろが日ひを經へて昔むかしの鮮あざやかさを失うしなつてゐた。互たがひを焚やき焦こがした燄ほのほは、自然しぜんと變色へんしよくして黒くろくなつてゐた。二人ふたりの生活せいくわつは斯樣かやうにして暗くらい中なかに沈しづんでゐた。宗助そうすけは過去くわこを振ふり向むいて、事ことの成行なりゆきを逆ぎやくに眺ながめ返かへしては、此この淡泊たんぱくな挨拶あいさつが、如何いかに自分等じぶんらの歴史れきしを濃こく彩いろどつたかを、胸むねの中なかで飽迄あくまで味あぢはひつゝ、平凡へいぼんな出來事できごとを重大ぢゆうだいに變化へんくわさせる運命うんめいの力ちからを恐おそろしがつた。 宗助そうすけは二人ふたりで門もんの前まへに佇たゝずんでゐる時とき、彼等かれらの影かげが折をれ曲まがつて、半分はんぶん許ばかり土塀どべいに映うつつたのを記憶きおくしてゐた。御米およねの影かげが蝙蝠傘かうもりがさで遮さへぎられて、頭あたまの代かはりに不規則ふきそくな傘かさの形かたちが壁かべに落おちたのを記憶きおくしてゐた。少すこし傾かたむきかけた初秋はつあきの日ひが、じりり二人ふたりを照てり付つけたのを記憶きおくしてゐた。御米およねは傘かさを差さした儘まゝ、それ程ほど涼すゞしくもない柳やなぎの下したに寄よつた。宗助そうすけは白しろい筋すぢを縁ふちに取とつた紫むらさきの傘かさの色いろと、まだ褪さめ切きらない柳やなぎの葉はの色いろを、一歩いつぽ遠退とほのいて眺ながめ合あはした事ことを記憶きおくしてゐた。
 今いま考かんがへると凡すべてが明あきらかであつた。從したがつて何等なんらの奇きもなかつた。二人ふたりは土塀どべいの影かげから再ふたゝび現あらはれた安井やすゐを待まち合あはして、町まちの方はうへ歩あるいた。歩あるく時とき、男をとこ同志どうしは肩かたを並ならべた。御米およねは草履ぞうりを引ひいて後あとに落おちた。話はなしも多おほくは男をとこ丈だけで受持うけもつた。それも長ながくはなかつた。途中とちゆう迄まで來きて宗助そうすけは一人ひとり分わかれて、自分じぶんの家うちへ歸かへつたからである。
 けれども彼かれの頭あたまには其日そのひの印象いんしやうが長ながく殘のこつてゐた。家うちへ歸かへつて、湯ゆに入はひつて、燈火ともしびの前まへに坐すわつた後のちにも、折々をりり色いろの着ついた平ひらたい畫ゑとして、安井やすゐと御米およねの姿すがたが眼先めさきにちらついた。それのみか床とこに入いつてからは、妹いもとだと云いつて紹介せうかいされた御米およねが、果はたして本當ほんたうの妹いもとであらうかと考かんがへ始はじめた。安井やすゐに問とひ詰つめない限かぎり、此この疑うたがひの解決かいけつは容易よういでなかつたけれども、臆斷おくだんはすぐ付ついた。宗助そうすけは此この臆斷おくだんを許ゆるすべき餘地よちが、安井やすゐと御米およねの間あひだに充分じゆうぶん存在そんざいし得うるだらう位ぐらゐに考かんがへて、寐ねながら可笑をかしく思おもつた。しかも其その臆斷おくだんに、腹はらの中なかで彽徊ていくわいする事ことの馬鹿々々ばかかしいのに氣きが付ついて、消けし忘わすれた洋燈らんぷを漸やうやくふつと吹ふき消けした。 斯かう云いふ記憶きおくの、次第しだいに沈しづんで痕迹あとかたもなくなる迄まで、御互おたがひの顏かほを見みずに過すごす程ほど、宗助そうすけと安井やすゐとは疎遠そゑんではなかつた。二人ふたりは毎日まいにち學校がくかうで出合であふ許ばかりでなく、依然いぜんとして夏休なつやすみ前まへの通とほり徃來わうらいを續つゞけてゐた。けれども宗助そうすけが行いくたびに、御米およねは必かならず挨拶あいさつに出でるとは限かぎらなかつた。三返べんに一返ぺん位ぐらゐ、顏かほを見みせないで、始はじめての時ときの樣やうに、ひつそり隣となりの室へやに忍しのんでゐる事こともあつた。宗助そうすけは別べつにそれを氣きにも留とめなかつた。夫それにも拘かゝはらず、二人ふたりは漸やうやく接近せつきんした。幾何いくばくならずして冗談じようだんを云いふ程ほどの親したしみが出來できた。
 其内そのうち又また秋あきが來きた。去年きよねんと同おなじ事情じじやうの下もとに、京都きやうとの秋あきを繰くり返かへす興味きようみに乏とぼしかつた宗助そうすけは、安井やすゐと御米およねに誘さそはれて茸狩たけがりに行いつた時とき、朗ほがらかな空氣くうきのうちに又また新あたらしい香にほひを見出みいだした。紅葉もみぢも三人さんにんで觀みた。嵯峨さがから山やまを拔ぬけて高雄たかをへ歩あるく途中とちゆうで、御米およねは着物きものの裾すそを捲まくつて、長襦袢ながじゆばん丈だけを足袋たびの上うへ迄まで牽ひいて、細ほそい傘かさを杖つゑにした。山やまの上うへから一町ちやうも下したに見みえる流ながれに日ひが射さして、水みづの底そこが明あきらかに遠とほくから透すかされた時とき、御米およねは「京都きやうとは好いい所ところね」と云いつて二人ふたりを顧かへりみた。それを一所いつしよに眺ながめた宗助そうすけにも、京都きやうとは全まつたく好いい所ところの樣やうに思おもはれた。
 斯かう揃そろつて外そとへ出でた事ことも珍めづらしくはなかつた。家うちの中なかで顏かほを合あはせる事ことは猶なほ屡しばばあつた。或時あるとき宗助そうすけが例れいの如ごとく安井やすゐを尋たづねたら、安井やすゐは留守るすで、御米およねばかり淋さみしい秋あきの中なかに取とり殘のこされた樣やうに一人ひとり坐すわつてゐた。宗助そうすけは淋さむしいでせうと云いつて、つい座敷ざしきに上あがり込こんで、一ひとつ火鉢ひばちの兩側りやうがはに手てを翳かざしながら、思おもつたより長話ながばなしをして歸かへつた。或時あるとき宗助そうすけがぽかんとして、下宿げしゆくの机つくゑに倚よりかゝつた儘まゝ、珍めづらしく時間じかんの使つかひ方かたに困こまつてゐると、ふと御米およねが遣やつて來きた。其所そこ迄まで買物かひものに出でたから、序ついでに寄よつたんだとか云いつて、宗助そうすけの薦すゝめる通とほり、茶ちやを飮のんだり菓子くわしを食たべたり、緩ゆつくり寛くつろいだ話はなしをして歸かへつた。
 斯こんな事ことが重かさなつて行ゆくうちに、木きの葉はが何時いつの間まにか落おちて仕舞しまつた。さうして高たかい山やまの頂いたゞきが、ある朝あさ眞白まつしろに見みえた。吹ふき曝さらしの河原かはらが白しろくなつて、橋はしを渡わたる人ひとの影かげが細ほそく動うごいた。其年そのとしの京都きやうとの冬ふゆは、音おとを立たてずに肌はだを透とほす陰忍いんにんな質たちのものであつた。安井やすゐは此この惡性あくしやうの寒氣かんきに中あてられて、苛ひどいインフルエンザに罹かゝつた。熱ねつが普通ふつうの風邪かぜよりも餘程よほど高たかかつたので、始はじめは御米およねも驚おどろいたが、それは一時いちじの事ことで、すぐ退ひいたには退ひいたから、是これでもう全快ぜんくわいと思おもふと、何時迄いつまで立たつても判然はつきりしなかつた。安井やすゐは黐もちの樣やうな熱ねつに絡からみ付つかれて、毎日まいにち其その差さし引ひきに苦くるしんだ。 醫者いしやは少すこし呼吸器こきふきを冒をかされてゐる樣やうだからと云いつて、切せつに轉地てんちを勸すゝめた。安井やすゐは心こゝろならず押入おしいれの中なかの柳行李やなぎがうりに麻繩あさなはを掛かけた。御米およねは手提鞄てさげかばんに錠ぢやうを卸おろした。宗助そうすけは二人ふたりを七條しちでう迄まで見送みおくつて、汽車きしやが出でる迄まで室へやの中なかへ這入はいつて、わざと陽氣やうきな話はなしをした。プラツトフオームへ下おりた時とき、窓まどの内うちから、
「遊あそびに來給きたまへ」と安井やすゐが云いつた。
「何どうぞ是非ぜひ」と御米およねが言いつた。
 汽車きしやは血色けつしよくの好いい宗助そうすけの前まへをそろろ過すぎて、忽たちまち神戸かうべの方はうに向むかつて烟けむりを吐はいた。
 病人びやうにんは轉地先てんちさきで年としを越こした。繪端書ゑはがきは着ついた日ひから毎日まいにちの樣やうに寄よこした。それに何時いつでも遊あそびに來こいと繰くり返かへして書かいてない事ことはなかつた。御米およねの文字もじも一二行ぎやう宛づゝは必かならず交まじつてゐた。宗助そうすけは安井やすゐと御米およねから屆とゞいた繪端書ゑはがきを別べつにして机つくゑの上うへに重かさねて置おいた。外そとから歸かへるとそれが直すぐ眼めに着ついた。時々とききはそれを一枚まい宛づゝ順じゆんに讀よみ直なほしたり、見直みなほしたりした。仕舞しまいにもう悉皆すつかり癒なほつたから歸かへる。然しかし折角せつかく此所こゝ迄まで來きながら、此所こゝで君きみの顏かほを見みないのは遺憾ゐかんだから、此この手紙てがみが着つき次第しだい、一寸ちよつとで可いいから來こいといふ端書はがきが來きた。無事ぶじと退屈たいくつを忌いむ宗助そうすけを動うごかすには、この十數言すうげんで充分じゆうぶんであつた。宗助そうすけは汽車きしやを利用りようして其夜そのよのうちに安井やすゐの宿やどに着ついた。 明あかるい燈火ともしびの下したに三人さんにんが待設まちまうけた顏かほを合あはした時とき、宗助そうすけは何なによりも先まづ病人びやうにんの色澤いろつやの回復くわいふくして來きた事ことに氣きが付ついた。立たつ前まへよりも却かへつて好いい位くらゐに見みえた。安井やすゐ自身じしんもそんな心持こゝろもちがすると云いつて、わざざ襯衣しやつの袖そでを捲まくり上あげて、青筋あをすぢの入はひつた腕うでを獨ひとりで撫なでてゐた。御米およねも嬉うれしさうに眼めを輝かゞやかした。宗助そうすけにはその活溌くわつぱつな目遣めづかひが殊ことに珍めづらしく受取うけとれた。今迄いままで宗助そうすけの心こゝろに映えいじた御米およねは、色いろと音おとの撩亂れうらんする裏なかに立たつてさへ、極きはめて落おち付ついてゐた。さうして其その落おち付つきの大部分だいぶぶんは矢鱈やたらに動うごかさない眼めの働はたらきから來きたとしか思おもはれなかつた。
 次つぎの日ひ三人にんは表おもてへ出でて遠とほく濃こい色いろを流ながす海うみを眺ながめた。松まつの幹みきから脂やにの出でる空氣くうきを吸すつた。冬ふゆの日ひは短みじかい空そらを赤裸々せきらゝに横切よこぎつて大人おとなしく西にしへ落おちた。落おちる時とき、低ひくい雲くもを黄きに赤あかに竈かまどの火ひの色いろに染そめて行いつた。風かぜは夜よるに入いつても起おこらなかつた。たゞ時々ときき松まつを鳴ならして過すぎた。暖あたゝかい好いい日ひが宗助そうすけの泊とまつてゐる三日みつかの間あひだ續つゞいた。 宗助そうすけはもつと遊あそんで行ゆきたいと云いつた。御米およねはもつと遊あそんで行ゆきませうと云いつた。安井やすゐは宗助そうすけが遊あそびに來きたから好いい天氣てんきになつたんだらうと云いつた。三人にんは又また行李かうりと鞄かばんを携たづさへて京都きやうとへ歸かへつた。冬ふゆは何事なにごともなく北風きたかぜを寒さむい國くにへ吹ふき遣やつた。山やまの上うへを明あきらかにした斑まだらな雪ゆきが次第しだいに落おちて、後あとから青あをい色いろが一度いちどに芽めを吹ふいた。
 宗助そうすけは當時たうじを憶おもひ出だすたびに、自然しぜんの進行しんかうが其所そこではたりと留とまつて、自分じぶんも御米およねも忽たちまち化石くわせきして仕舞しまつたら、却かへつて苦くはなかつたらうと思おもつた。事ことは冬ふゆの下したから春はるが頭あたまを擡もたげる時分じぶんに始はじまつて、散ちり盡つくした櫻さくらの花はなが若葉わかばに色いろを易かへる頃ころに終をはつた。凡すべてが生死しやうしの戰たゝかひであつた。青竹あをだけを炙あぶつて油あぶらを絞しぼる程ほどの苦くるしみであつた。大風おほかぜは突然とつぜん不用意ふよういの二人ふたりを吹ふき倒たふしたのである。二人ふたりが起おき上あがつた時ときは何處どこも彼所かしこも既すでに砂すなだらけであつたのである。彼等かれらは砂すなだらけになつた自分達じぶんたちを認みとめた。けれども何時いつ吹ふき倒たふされたかを知しらなかつた。
 世間せけんは容赦ようしやなく彼等かれらに徳義上とくぎじやうの罪つみを脊負しよはした。然しかし彼等かれら自身じしんは徳義上とくぎじやうの良心りやうしんに責せめられる前まへに、一旦いつたん茫然ばうぜんとして、彼等かれらの頭あたまが確たしかであるかを疑うたがつた。彼等かれらは彼等かれらの眼めに、不徳義ふとくぎな男女なんによとして耻はづべく映うつる前まへに、既すでに不合理ふがふりな男女なんによとして、不可思議ふかしぎに映うつつたのである。其所そこに言譯いひわけらしい言譯いひわけが何なんにもなかつた。だから其所そこに云いふに忍しのびない苦痛くつうがあつた。彼等かれらは殘酷ざんこくな運命うんめいが氣紛きまぐれに罪つみもない二人ふたりの不意ふいを打うつて、面白おもしろ半分はんぶん穽おとしあなの中なかに突つき落おとしたのを無念むねんに思おもつた。 曝露ばくろの日ひがまともに彼等かれらの眉間みけんを射いたとき、彼等かれらは既すでに徳義的とくぎてきに痙攣けいれんの苦痛くつうを乘のり切きつてゐた。彼等かれらは蒼白あをしろい額ひたひを素直すなほに前まへに出だして、其所そこに燄ほのおに似にた烙印やきいんを受うけた。さうして無形むけいの鎖くさりで繋つながれた儘まゝ、手てを携たづさえて何處どこ迄までも、一所いつしよに歩調ほてうを共ともにしなければならない事ことを見出みいだした。彼等かれらは親おやを棄すてた。親類しんるゐを棄すてた。友達ともだちを棄すてた。大おほきく云いへば一般いつぱんの社會しやくわいを棄すてた。もしくは夫等それらから棄すてられた。學校がくかうからは無論むろん棄すてられた。たゞ表向おもてむき丈だけは此方こちらから退學たいがくした事ことになつて、形式けいしきの上うへに人間にんげんらしい迹あとを留とゞめた。
 是これが宗助そうすけと御米およねの過去くわこであつた。

十五

 此この過去くわこを負おはされた二人ふたりは、廣島ひろしまへ行いつても苦くるしんだ。福岡ふくをかへ行いつても苦くるしんだ。東京とうきやうへ出でて來きても、依然いぜんとして重おもい荷にに抑おさえつけられてゐた。佐伯さへきの家いへとは親したしい關係くわんけいが結むすべなくなつた。叔父をぢは死しんだ。叔母をばと安之助やすのすけはまだ生いきてゐるが、生いきてゐる間あひだに打うち解とけた交際つきあひは出來できない程ほど、もう冷淡れいたんの日ひを重かさねて仕舞しまつた。今年ことしはまだ歳暮せいぼにも行いかなかつた。向むかふからも來こなかつた。家いへに引取ひきとつた小六ころくさへ腹はらの底そこでは兄あにに敬意けいいを拂はらつてゐなかつた。二人ふたりが東京とうきやうへ出でたてには、單純たんじゆんな小供こどもの頭あたまから、正直しやうぢきに御米およねを惡にくんでゐた。御米およねにも宗助そうすけにもそれが能よく分わかつてゐた。夫婦ふうふは日ひの前まへに笑ゑみ、月つきの前まへに考かんがへて、靜しづかな年としを送おくり迎むかへた。今年ことしももう盡つきる間際まぎは迄まで來きた。 通町とほりちやうでは暮くれの内うちから門並揃かどなみそろひの注連飾しめかざりをした。徃來わうらいの左右さいうに何なん十本ぽんとなく並ならんだ、軒のきより高たかい笹さゝが、悉こととく寒さむい風かぜに吹ふかれて、さららと鳴なつた。宗助そうすけも二尺しやく餘あまりの細ほそい松まつを買かつて、門もんの柱はしらに釘付くぎづけにした。それから大おほきな赤あかい橙だいいを御供おそなへの上うへに載のせて、床とこの間まに据すゑた。床とこには如何いかゞはしい墨畫すみゑの梅うめが、蛤はまぐりの格好かつかうをした月つきを吐はいて懸かゝつてゐた。宗助そうすけには此この變へんな軸ぢくの前まへに、橙だいいと御供おそなへを置おく意味いみが解わからなかつた。
「一體いつたい是こりや、何どう云いふ了見れうけんだね」と自分じぶんで飾かざり付つけた物ものを眺ながめながら、御米およねに聞きいた。御米およねにも毎年まいとし斯かうする意味いみは頓とんと解わからなかつた。
「知しらないわ。たゞ左樣さうして置おけば可いいのよ」と云いつて臺所だいどころへ去さつた。宗助そうすけは、
「斯かうして置おいて、詰つまり食くふためか」と首くびを傾かたむけて御供おそなへの位置ゐちを直なほした。
 伸餠のしもちは夜業よなべに俎まないたを茶ちやの間ま迄まで持もち出だして、みんなで切きつた。庖丁はうちやうが足たりないので、宗助そうすけは始はじめから仕舞しまひ迄まで手てを出ださなかつた。力ちからのある丈だけに小六ころくが一番いちばん多おほく切きつた。其その代かはり不同ふどうも一番いちばん多おほかつた。中なかには見掛みかけの惡わるい形かたちのものも交まじつた。變へんなのが出來できるたびに清きよが聲こゑを出だして笑わらつた。小六ころくは庖丁はうちやうの脊せに濡布巾ぬれぶきんを宛あてがつて、硬かたい耳みゝの所ところを斷たち切きりながら、「格好かくかうは何どうでも、食くひさいすれば可いいんだ」と、うんと力ちからを入いれて耳みゝ迄まで赤あかくした。
 その外ほかに迎年げいねんの支度したくとしては、小殿原ごまめを熬いつて、煑染にしめを重詰ぢゆうづめにする位くらゐなものであつた。大晦日おほみそかの夜よに入いつて、宗助そうすけは挨拶あいさつ旁かたた屋賃やちんを持もつて、坂井さかゐの家いへに行いつた。わざと遠慮ゑんりよして勝手口かつてぐちへ回まはると、摺硝子すりがらすへ明あかるい灯ひが映うつつて、中なかはざわわしてゐた。上あがり框がまちに帳面ちやうめんを持もつて腰こしを掛かけた掛取かけとりらしい小僧こぞうが、立たつて宗助そうすけに挨拶あいさつをした。茶ちやの間まには主人しゆじんも細君さいくんもゐた。其その片隅かたすみに印袢天しるしばんてんを着きた出入でいりのものらしいのが、下したを向むいて、小ちさい輪飾わかざりをいくつも拵こしらへてゐた。傍そばに讓葉ゆづりはと裏白うらじろと半紙はんしと鋏はさみが置おいてあつた。若わかい下女げぢよが細君さいくんの前まへに坐すわつて、釣錢つりせんらしい札さつと銀貨ぎんくわを疊たゝみに並ならべてゐた。主人しゆじんは宗助そうすけを見みて、
「いや何どうも」と云いつた。「押おし詰つまつて嘸さぞ御忙おいそがしいでせう。此この通とほりごたたです。さあ何どうぞ此方こちらへ。何なんですな、御互おたがひに正月しやうぐわつにはもう飽あきましたな。いくら面白おもしろいものでも四十返ぺん以上いじやう繰くり返かへすと厭いやになりますね」
 主人しゆじんは年としの送迎そうげいに煩わづらはしい樣やうな事ことを云いつたが、其その態度たいどには何處どこと指さしてくささした所ところは認みとめられなかつた。言葉遣ことばづかひは活溌くわつぱつであつた。顏かほはつややしてゐた。晩食ばんしよくに傾かたむけた酒さけの勢いきほひが、まだ頬ほゝの上うへに差さしてゐる如ごとく思おもはれた。宗助そうすけは貰もらひ烟草たばこをして二三十分ぷんばかり話はなして歸かへつた。 家うちでは御米およねが清きよを連つれて湯ゆに行ゆくとか云いつて、石鹸入しやぼんいれを手拭てぬぐひに包くるんで、留守居るすゐを頼たのむ夫をつとの歸かへりを待まち受うけてゐた。
「何どうなすつたの、隨分ずゐぶん長ながかつたわね」と云いつて時計とけいを眺ながめた。時計とけいはもう十時じ近ちかくであつた。其上そのうへ清きよは湯ゆの戻もどりに髮結かみゆひの所ところへ回まはつて頭あたまを拵こしらえる筈はずださうであつた。閑靜かんせいな宗助そうすけの活計くらしも大晦日おほみそかには夫それ相應さうおうの事件じけんが寄よせて來きた。
「拂はらひはもう皆みんな濟すんだのかい」と宗助そうすけは立たちながら御米およねに聞きいた。御米およねはまだ薪屋まきやが一軒けん殘のこつてゐると答こたへた。
「來きたら拂はらつて頂戴ちやうだい」と云いつて懷ふところの中なかから汚よごれた男持をとこもちの紙入かみいれと、銀貨入ぎんくわいれの蟇口がまぐちを出だして、宗助そうすけに渡わたした。
「小六ころくは何どうした」と夫をつとはそれを受取うけとりながら云いつた。
「先刻さつき大晦日おほみそかの夜よるの景色けしきを見みて來くるつて出でて行いつたのよ。隨分ずゐぶん御苦勞ごくらうさまね。此この寒さむいのに」と云いふ御米およねの後あとに追ついて、清きよは大おほきな聲こゑを出だして笑わらつた。やがて、
「御若おわかいから」と評ひやうしながら、勝手口かつてぐちへ行いつて、御米およねの下駄げたを揃そろえた。
「何處どこの夜景やけいを見みる氣きなんだ」「銀座ぎんざから日本橋通にほんばしどほりのだつて」
 御米およねは其時そのときもう框かまちから下おり掛かけてゐた。すぐ腰障子こししやうじを開あける音おとがした。宗助そうすけは其その音おとを聞きき送おくつて、たつた一人ひとり火鉢ひばちの前まへに坐すわつて、灰はひになる炭すみの色いろを眺ながめてゐた。彼かれの頭あたまには明日あしたの日ひの丸まるが映うつつた。外そとを乘のり回まはす人ひとの絹帽子きぬばうしの光ひかりが見みえた。洋劍さあべるの音おとだの、馬うまの嘶いなゝきだの、遣羽子やりはごの聲こゑが聞きこえた。彼かれは今いまから數時間すうじかんの後のち又また年中ねんぢゆう行事ぎやうじのうちで、尤もつとも人ひとの心こゝろを新あらたにすべく仕組しくまれた景物けいぶつに出逢であはなければならなかつた。
 陽氣やうきさうに見みえるもの、賑にぎやかさうに見みえるものが、幾組いくくみとなく彼かれの心こゝろの前まへを通とほり過すぎたが、その中なかで彼かれの臂ひぢを把とつて、一所いつしよに引張ひつぱつて行いかうとするものは一ひとつもなかつた。彼かれはたゞ饗宴きやうえんに招まねかれない局外者きよくぐわいしやとして、醉よふ事ことを禁きんじられた如ごとくに、又また醉よふ事ことを免まぬかれた人ひとであつた。彼かれは自分じぶんと御米およねの生命らいふを、毎年まいとし平凡へいぼんな波瀾はらんのうちに送おくる以上いじやうに、面前まのあたり大たいした希望きばうも持もつてゐなかつた。かうして忙いそがしい大晦日おほみそかに、一人ひとり家いへを守まもる靜しづかさが、丁度ちやうど彼かれの平生へいぜいの現實げんじつを代表だいへうしてゐた。 御米およねは十時過じすぎに歸かへつて來きた。何時いつもより光澤つやの好いい頬ほゝを灯ひに照てらして、湯ゆの温ぬくもりのまだ拔ぬけない襟えりを少すこし開あける樣やうに襦袢じゆばんを重かさねてゐた。長ながい襟首えりくびが能よく見みえた。
「何どうも込こんで込こんで、洗あらふ事ことも桶をけを取とる事ことも出來できない位くらゐなの」と始はじめて緩ゆつくり息いきを吐ついた。
 清きよの歸かへつたのは十一時過じすぎであつた。是これも綺麗きれいな頭あたまを障子しやうじから出だして、たゞ今いま、どうも遲おそくなりましたと挨拶あいさつをした序ついでに、あれから二人ふたりとか三人さんにんとか待まち合あはしたと云いふ話はなしをした。
 たゞ小六ころく丈だけは容易よういに歸かへらなかつた。十二時じを打うつたとき、宗助そうすけはもう寐ねやうと云いひ出だした。御米およねは今日けふに限かぎつて、先さきへ寐ねるのも變へんなものだと思おもつて、出來できる丈だけ話はなしを繋つないでゐた。小六ころくは幸さいはひにして間まもなく歸かへつた。日本橋にほんばしから銀座ぎんざへ出でて夫それから、水天宮すゐてんぐうの方はうへ廻まはつた所ところが、電車でんしやが込こんで何臺なんだいも待まち合あはしたために遲おそくなつたといふ言譯いひわけをした。
 白牡丹はくぼたんへ這入はいつて、景物けいぶつの金時計きんどけいでも取とらうと思おもつたが、何なにも買かふものがなかつたので、仕方しかたなしに鈴すゞの着ついた御手玉おてだまを一箱ひとはこ買かつて、さうして幾いく百となく器械きかいで吹ふき上あげられる風船ふうせんを一ひとつ攫つかんだら、金時計きんどけいは當あたらないで、こんなものが中あたつたと云いつて、袂たもとから倶樂部くらぶ洗粉あらひこを一袋ひとふくろ出だした。それを御米およねの前まへに置おいて、「姉ねえさんに上あげませう」と云いつた。それから鈴すゞを着つけた梅うめの花はなの形かたちに縫ぬつた御手玉おてだまを宗助そうすけの前まへに置おいて、
「坂井さかゐの御孃おぢやうさんにでも御上おあげなさい」と云いつた。
 事ことに乏とぼしい一小家族いちせうかぞくの大晦日おほみそかは、それで終をはりを告つげた。

十六

 正月しやうぐわつは二日目ふつかめの雪ゆきを率ひきゐて注連飾しめかざりの都みやこを白しろくした。降ふり已やんだ屋根やねの色いろが故もとに復かへる前まへ、夫婦ふうふは亞鉛張とたんばりの庇ひさしを滑すべり落おちる雪ゆきの音おとに幾遍いくへんか驚おどろかされた。夜半よなかにはどさと云いふ響ひゞきが殊ことに甚はなはだしかつた。小路こうぢの泥濘ぬかるみは雨上あめあがりと違ちがつて一日いちんちや二日ふつかでは容易よういに乾かわかなかつた。外そとから靴くつを汚よごして歸かへつて來くる宗助そうすけが、御米およねの顏かほを見みるたびに、
「是こりや不可いけない」と云いひながら玄關げんくわんへ上あがつた。其その樣子やうすが恰あたかも御米およねを路みちを惡わるくした責任者せきにんしやと見傚みなしてゐる風ふうに受取うけとられるので、御米およねは仕舞しまひに、
「何どうも濟すみません。本當ほんたうに御氣おきの毒どくさま」と云いつて笑わらひ出だした。宗助そうすけは別べつに返かへすべき冗談じようだんも有もたなかつた。
「御米およね此所こゝから出掛でかけるには、何處どこへ行いくにも足駄あしだを穿はかなくつちやならない樣やうに見みえるだらう。所ところが下町したまちへ出でると大違おほちがひだ。どの通とほりもどの通とほりもかららで、却かへつて埃ほこりが立たつ位くらゐだから、足駄あしだなんぞ穿はいちや極きまりが惡わるくつて歩あるけやしない。つまり斯かう云いふ所ところに住すんでゐる我々われれは一世紀せいきがた後おくれる事ことになるんだね」 こんな事ことを口くちにする宗助そうすけは別べつに不足ふそくらしい顏かほもしてゐなかつた。御米およねも夫をつとの鼻はなの穴あなを潛くゞる烟草たばこの煙けむを眺ながめる位くらゐな氣きで、それを聞きいてゐた。
「坂井さかゐさんへ行いつて、さう云いつて入いらつしやいな」と輕かるい返事へんじをした。
「さうして屋賃やちんでも負まけて貰もらふ事ことにしやう」と答こたへた儘まゝ、宗助そうすけはついに坂井さかゐへは行いかなかつた。
 其その坂井さかゐには元日ぐわんじつの朝あさ早はやく名刺めいしを投なげ込こんだ丈だけで、わざと主人しゆじんの顏かほを見みずに門もんを出でたが、義理ぎりのある所ところを一日いちにちのうちに略ほゞ片付かたづけて夕方ゆふがた歸かへつて見みると、留守るすの間あひだに、坂井さかゐがちやんと來きてゐたので恐縮きようしゆくした。二日ふつかは雪ゆきが降ふつた丈だけで何事なにごともなく過すぎた。三日目みつかめの日暮ひくれに下女げぢよが使つかひに來きて、御閑おひまならば、旦那樣だんなさまと奧おくさまと、夫それから若旦那樣わかだんなさまに是非ぜひ今晩こんばん御遊おあそびに入いらつしやる樣やうにと云いつて歸かへつた。
「何なにをするんだらう」と宗助そうすけは疑うたぐつた。
「屹度きつと歌加留多うたがるたでせう。小供こどもが多おほいから」と御米およねが云いつた。「貴方あなた行いつて入いらつしやい」
「折角せつかくだから御前おまへ行ゆくが好いい。己おれは歌留多かるたは久ひさしく取とらないから駄目だめだ」
「私わたくしも久ひさしく取とらないから駄目だめですわ」 二人ふたりは容易よういに行いかうとはしなかつた。仕舞しまひに、では若旦那わかだんながみんなを代表だいへうして行いくが宜よからうといふ事ことになつた。
「若旦那わかだんな行いつて來こい」と宗助そうすけが小六ころくに云いつた。小六ころくは苦笑にがわらひして立たつた。夫婦ふうふは若旦那わかだんなと云いふ名なを小六ころくに冠かむらせる事ことを大變たいへんな滑稽こつけいのやうに感かんじた。若旦那わかだんなと呼よばれて、苦笑にがわらひする小六ころくの顏かほを見みると、等ひとしく聲こゑを出だして笑わらひ出だした。小六ころくは春はるらしい空氣くうきの中うちから出でた。さうして一町ちやう程ほどの寒さむさを横切よこぎつて、又また春はるらしい電燈でんとうの下もとに坐すわつた。
 其晩そのばん小六ころくは大晦日おほみそかに買かつた梅うめの花はなの御手玉おてだまを袂たもとに入いれて、是これは兄あにから差上さしあげますとわざざ斷ことわつて、坂井さかゐの御孃おぢやうさんに贈物おくりものにした。其その代かはり歸かへりには、福引ふくびきに當あたつた小ちひさな裸人形はだかにんぎやうを同おなじ袂たもとへ入いれて來きた。其その人形にんぎやうの額ひたひが少すこし缺かけて、其所そこ丈だけ墨すみで塗ぬつてあつた。小六ころくは眞面目まじめな顏かほをして、是これが袖萩そではぎださうですと云いつて、それを兄夫婦あにふうふの前まへに置おいた。何故なぜ袖萩そではぎだか夫婦ふうふには分わからなかつた。小六ころくには無論むろん分わからなかつたのを、坂井さかゐの奧おくさんが叮嚀ていねいに説明せつめいして呉くれたさうであるが、夫それでも腑ふに落おちなかつたので、主人しゆじんがわざざ半切はんきれに洒落しやれと本文ほんもんを並ならべて書かいて、歸かへつたら是これを兄にいさんと姉ねえさんに御見おみせなさいと云いつて渡わたしたとかいふ話はなしであつた。小六ころくは袂たもとを探さぐつて其その書付かきつけを取とり出だして見みせた。それに「此この垣かき一重ひとへが黒鐵くろがねの」と認したゝめた後あとに括弧くわつこをして、(此この餓鬼がき額ひたへが黒缺くろがけの)とつけ加くはへてあつたので、宗助そうすけと御米およねは又また春はるらしい笑わらひを洩もらした。「隨分ずゐぶん念ねんの入いつた趣向しゆかうだね。一體いつたい誰だれの考かんがへだい」と兄あにが聞きいた。
「誰だれですかな」と小六ころくは矢やつ張ぱり詰つまらなさうな顏かほをして、人形にんぎやうを其所そこへ放はふり出だした儘まゝ、自分じぶんの室へやに歸かへつた。
 それから二三日にちして、たしか七日なぬかの夕方ゆふがたに、また例れいの坂井さかゐの下女げぢよが來きて、もし御閑おひまなら何どうぞ御話おはなしにと、叮嚀ていねいに主人しゆじんの命めいを傳つたへた。宗助そうすけと御米およねは洋燈らんぷを點つけて丁度ちやうど晩食ばんめしを始はじめた所ところであつた。宗助そうすけは其時そのとき茶碗ちやわんを持もちながら、
「春はるも漸やうやく一段落いちだんらくが着ついた」と語かたつてゐた。そこへ清きよが坂井さかゐからの口上こうじやうを取とり次ついだので、御米およねは夫をつとの顏かほを見みて微笑びせうした。宗助そうすけは茶碗ちやわんを置おいて、
「まだ何なにか催もよふしがあるのかい」と少すこし迷惑めいわくさうな眉まゆをした。坂井さかゐの下女げぢよに聞きいて見みると、別べつに來客らいきやくもなければ、何なんの支度したくもないといふ事ことであつた。其上そのうへ細君さいくんは子供こどもを連つれて親類しんるゐへ呼よばれて行いつて留守るすだといふ話はなし迄までした。
「それぢや行いかう」と云いつて宗助そうすけは出掛でかけた。宗助そうすけは一般いつぱんの社交しやかうを嫌きらつてゐた。已やむを得えなければ會合くわいがふの席せきなどへ顏かほを出だす男をとこでなかつた。個人こじんとしての朋友ともだちも多おほくは求もとめなかつた。訪問はうもんはする暇ひまを有もたなかつた。たゞ坂井さかゐ丈だけは取除とりのけであつた。折々をりりは用ようもないのに此方こつちからわざざ出掛でかけて行いつて、時ときを潰つぶして來くる事ことさへあつた。其その癖くせ坂井さかゐは世よの中なかで尤もつとも社交的しやかうてきの人ひとであつた。此この社交的しやかうてきな坂井さかゐと、孤獨こどくな宗助そうすけが二人ふたり寄よつて話はなしが出來できるのは、御米およねにさへ妙めうに見みえる現象げんしやうであつた。坂井さかゐは、「彼方あつちへ行いきませう」と云いつて、茶ちやの間まを通とほり越こして、廊下らうか傳づたひに小ちひさな書齋しよさいへ入はひつた。其所そこには棕梠しゆろの筆ふでで書かいた樣やうな、大おほきな硬こはい字じが五字じばかり床とこの間まに懸かゝつてゐた。棚たなの上うへに見事みごとな白しろい牡丹ぼたんが活いけてあつた。その外ほか机つくゑでも蒲團ふとんでも悉こととく綺麗きれいであつた。坂井さかゐは始はじめ暗くらい入口いりくちに立たつて、
「さあ何どうぞ」と云いひながら、何所どこかぴちりと捩ひねつて、電氣燈でんきとうを點つけた。それから、
「一寸ちよつと待まち給たまへ」と云いつて、燐寸まつちで瓦斯ガス煖爐だんろを焚たいた。瓦斯ガス煖爐だんろは室へやに比例ひれいした極ごく小ちひさいものであつた。坂井さかゐはしかる後のち蒲團ふとんを薦すゝめた。
「是これが僕ぼくの洞窟どうくつで、面倒めんだうになると此所こゝへ避難ひなんするんです」
 宗助そうすけも厚あつい綿わたの上うへで、一種いつしゆの靜しづかさを感かんじた。瓦斯ガスの燃もえる音おとが微かすかにして次第しだいに脊中せなかからほかか煖あたゝまつて來きた。
「此所こゝにゐると、もう何所どことも交渉かうせふはない。全まつたく氣樂きらくです。悠ゆつくりして居ゐらつしやい。實際じつさい正月しやうぐわつと云いふものは豫想外よさうぐわいに煩瑣うるさいものですね。私わたくしも昨日きのふ迄までで殆ほとんどへととに降參かうさんさせられました。新年しんねんが停滯もたれてゐるのは實じつに苦くるしいですよ。夫それで今日けふの午ひるから、とうう塵世ぢんせいを遠とほざけて、病氣びやうきになつてぐつと寐込ねこんぢまいました。今いましがた眼めを覺さまして、湯ゆに入はひつて、それから飯めしを食くつて、烟草たばこを呑のんで、氣きが付ついて見みると、家内かないが子供こどもを連つれて親類しんるゐへ行いつて留守るすなんでせう。成程なるほど靜しづかな筈はずだと思おもひましてね。すると今度こんどは急きふに退屈たいくつになつたのです。人間にんげんも隨分ずゐぶん我儘わがまゝなものですよ。然しかしいくら退屈たいくつだつて、此上このうへ御目出おめでたいものを、見みたり聞きいたりしちや骨ほねが折をれますし、又また御正月おしやうぐわつらしいものを呑のんだり食くつたりするのも恐おそれますから、それで、御正月おしやうぐわつらしくない、と云いふと失禮しつれいだが、まあ世よの中なかとあまり縁えんのない貴方あなた、と云いつてもまだ失敬しつけいかも知しれないが、つまり一口ひとくちに云いふと、超然派てうぜんはの一人いちにんと話はなしがして見みたくなつたんで、それでわざざ使つかひを上あげた樣やうな譯わけなんです」と坂井さかゐは例れいの調子てうしで、悉こととくすららしたものであつた。宗助そうすけは此この樂天家らくてんかの前まへでは、よく自分じぶんの過去くわこを忘わすれる事ことがあつた。さうして時ときによると、自分じぶんがもし順當じゆんたうに發展はつてんして來きたら、斯こんな人物じんぶつになりはしなかつたらうかと考かんがへた。 其所そこへ下女げぢよが三尺じやくの狹せまい入口いりぐちを開あけて這入はいつて來きたが、改あらためて宗助そうすけに鄭重ていちような御辭儀おじぎをした上うへ、木皿きざらの樣やうな菓子皿くわしざらの樣やうなものを、一ひとつ前まへに置おいた。それから同おなじ物ものをもう一ひとつ主人しゆじんの前まへに置おいて、一口ひとくちもものを云いはずに退さがつた。木皿きざらの上うへには護謨毬ごむまりほどな大おほきな田舍饅頭ゐなかまんぢゆうが一ひとつ載のせてあつた。それに普通ふつうの倍ばい以上いじやうもあらうと思おもはれる楊枝やうじが添そへてあつた。
「何どうです暖あつたかい内うちに」と主人しゆじんが云いつたので、宗助そうすけは始はじめて此この饅頭まんぢゆうの蒸むして間まもない新あたらしさに氣きが付ついた。珍めづらしさうに黄色きいろい皮かはを眺ながめた。
「いや出來できたてぢやありません」と主人しゆじんが又また云いつた。「實じつは昨夜さくやある所ところへ行いつて、冗談じようだん半分はんぶんに賞ほめたら、御土産おみやげに持もつて入いらつしやいと云いふから貰もらつて來きたんです。其時そのときは全まつたく暖あつたかだつたんですがね。これは今いま上あげやうと思おもつて蒸むし返かへさしたのです」
 主人しゆじんは箸はしとも楊枝やうじとも片かたの付つかないもので、無雜作むざふさに饅頭まんぢゆうを割わつて、むしやや食くひ始はじめた。宗助そうすけも顰ひんに傚ならつた。
 其その間あひだに主人しゆじんは昨夕ゆうべ行いつた料理屋れうりやで逢あつたとか云いつて妙めうな藝者げいしやの話はなしをした。此この藝者げいしやはポツケツト論語ろんごが好すきで、汽車きしやへ乘のつたり遊あそびに行いつたりするときは、何時いつでもそれを懷ふところにして出でるさうであつた。「それでね孔子こうしの門人もんじんのうちで、子路しろが一番いちばん好すきだつて云いふんですがね。其その所謂いはれを聞きくと、子路しろと云いふ男をとこは、一ひとつ何なにか教をすはつて、それをまだ行おこなはないうちに、又また新あたらしい事ことを聞きくと苦くにする程ほど正直しやうぢきだからだつて云いふんです。實じつの所ところ私わたしも子路しろはあまりよく知しらないから困こまつたが、何なにしろ一人ひとり好いい人ひとが出來できて、それと夫婦ふうふにならない前まへに、また新あたらしく好いい人ひとが出來できると苦くになる樣やうなものぢやないかつて、聞きいて見みたんです……」
 主人しゆじんは斯こんな事ことを甚はなはだ氣樂きらくさうに述のべ立たてた。其その話はなしの樣子やうすからして考かんがへると、彼かれはのべつに斯かういふ場所ばしよに出入しつにふして、其その刺戟しげきにはとうに麻痺まひしながら、因習いんしふの結果けつくわ、依然いぜんとして月つきに何度なんどとなく同おなじ事ことを繰くり返かへしてゐるらしかつた。よく聞きき糺たゞして見みると、しかく平氣へいきな男をとこも、時々とききは歡樂くわんらくの飽滿はうまんに疲勞ひらうして、書齋しよさいのなかで精神せいしんを休やすめる必要ひつえうが起おこるのださうであつた。
 宗助そうすけはさういふ方面はうめんに丸まるで經驗けいけんのない男をとこではなかつたので、強しひて興味きようみを裝よそほふ必要ひつえうもなく、たゞ尋常じんじやうな挨拶あいさつをする所ところが、却かへつて主人しゆじんの氣きに入いるらしかつた。彼かれは平凡へいぼんな宗助そうすけの言葉ことばのなかから、一種いつしゆ異彩いさいのある過去くわこを覗のぞく樣やうな素振そぶりを見みせた。然しかしそちらへは宗助そうすけが進すゝみたがらない痕迹こんせきが少すこしでも出でると、すぐ話はなしを轉てんじた。それは政略せいりやくよりも寧むしろ禮讓れいじやうからであつた。從したがつて宗助そうすけには毫がうも不愉快ふゆくわいを與あたへなかつた。 其内そのうち小六ころくの噂うはさが出でた。主人しゆじんは此この青年せいねんに就ついて、肉身にくしんの兄あにが見逃みのがす樣やうな新あたらしい觀察くわんさつを、二三有もつてゐた。宗助そうすけは主人しゆじんの評語ひやうごを、當あたると當あたらないとに論ろんなく、面白おもしろく聞きいた。そのなかに、彼かれは年としに合あはしては複雜ふくざつな實用じつように適てきしない頭あたまを有もつてゐながら、年としよりも若わかい單純たんじゆんな性情せいじやうを平氣へいきで露あらはす子供こどもぢやないかといふ質問しつもんがあつた。宗助そうすけはすぐそれを首肯うけがつた。然しかし學校教育がくかうけういく丈だけで社會教育しやくわいけういくのないものは、いくら年としを取とつても其その傾かたむきがあるだらうと答こたへた。
「左樣さやう、それと反對はんたいで、社會教育しやくわいけういく丈だけあつて學校教育がくかうけういくのないものは、隨分ずゐぶん複雜ふくざつな性情せいじやうを發揮はつきする代かはりに、頭あたまは何時いつ迄までも小供こどもですからね。却かへつて始末しまつが惡わるいかも知しれない」
 主人しゆじんは此所こゝで一寸ちよつと笑わらつたが、やがて、
「何どうです、私わたしの所ところへ書生しよせいに寄よこしちや、少すこしは社會教育しやくわいけういくになるかも知しれない」と云いつた。主人しゆじんの書生しよせいは彼かれの犬いぬが病氣びやうきで病院びやうゐんへ這入はいる一ヶ月げつ前まへとかに、徴兵檢査ちようへいけんさに合格がふかくして入營にふえいしたぎり今いまでは一人ひとりもゐないのださうであつた。
 宗助そうすけは小六ころくの所置しよちを付つける好機會かうきくわいが、求もとめざるに先さきだつて、春はると共ともに自おのづから回めぐつて來きたのを喜よろこんだ。同時どうじに、今いま迄まで世間せけんに向むかつて、積極的せききよくてきに好意かういと親切しんせつを要求えうきうする勇氣ゆうきを有もたなかつた彼かれは、突然とつぜん此この主人しゆじんの申まをし出いでに逢あつて少すこし間誤まごつく位くらゐ驚おどろいた。けれども出來できるなら成丈なりたけ早はやく弟おとうとを坂井さかゐに預あづけて置おいて、此この變動へんどうから出でる自分じぶんの餘裕よゆうに、幾分いくぶんか安之助やすのすけの補助ほじよを足たして、さうして本人ほんにんの希望きばう通どほり、高等かうとうの教育けういくを受うけさしてやらうといふ分別ふんべつをした。そこで打うち明あけた話はなしを腹藏ふくざうなく主人しゆじんにすると、主人しゆじんは成程々々なるほどどと聞きいてゐる丈だけであつたが、仕舞しまひに雜作ざふさなく、「そいつは好いいでせう」と云いつたので、相談さうだんは略ほゞ其その座ざで纏まとまつた。
 宗助そうすけは其所そこで辭じして歸かへれば可よかつたのである。又また辭じして歸かへらうとしたのである。所ところが主人しゆじんからまあ緩ゆつくりなさいと云いつて留とめられた。主人しゆじんは夜よは長ながい、まだ宵よいだと云いつて時計とけい迄まで出だして見みせた。實際じつさい彼かれは退屈たいくつらしかつた。宗助そうすけも歸かへれば只たゞ寐ねるより外ほかに用ようのない身體からだなので、つい又また尻しりを据すゑて、濃こい烟草たばこを新あたらしく吹ふかし始はじめた。仕舞しまひには主人しゆじんの例れいに傚ならつて、柔やはらかい坐蒲團ざぶとんの上うへで膝ひざさへ崩くづした。
 主人しゆじんは小六ころくの事ことに關聯くわんれんして、
「いや弟おとゝなどを有もつてゐると、隨分ずゐぶん厄介やくかいなものですよ。私わたくしも一人ひとりやくざなのを世話せわをした覺おぼえがありますがね」と云いつて、自分じぶんの弟おとうとが大學だいがくにゐるとき金かねの掛かゝつた事こと抔などを、自分じぶんが學生時代がくせいじだいの質朴しつぼくさに比くらべて色々いろろ話はなした。宗助そうすけは此この派出好はでずきな弟おとうとが、其後そのご何どんな徑路けいろを取とつて、何どう發展はつてんしたかを、氣味きみの惡わるい運命うんめいの意思いしを窺うかゞふ一端いつたんとして、主人しゆじんに聞きいて見みた。主人しゆじんは卒然そつぜん
「冒險者アドヹンチユアラー」と、頭あたまも尾しつぽもない一句くを投なげる樣やうに吐はいた。 此この弟おとうとは卒業後そつげふご主人しゆじんの紹介せうかいで、ある銀行ぎんかうに這入はいつたが、何なんでも金かねを儲まうけなくつちや不可いけないと口癖くちくせの樣やうに云いつてゐたさうで、日露戰爭後にちろせんさうご間まもなく、主人しゆじんの留とめるのも聞きかずに、大おほいに發展はつてんして見みたいとかとなへて遂つひに滿洲まんしうへ渡わたつたのだと云いふ。其所そこで何なにを始はじめるかと思おもふと、遼河れうがを利用りようして、豆粕大豆まめかすだいづを船ふねで下くだす、大仕掛おほじかけな運送業うんそうげふを經營けいえいして、忽たちまち失敗しつぱいしてしまつたのださうである。元もとより當人たうにんは、資本主しほんぬしではなかつたのだけれども、愈いよよといふ曉あかつきに、勘定かんぢやうして見みると大おほきな缺損けつそんと事ことが極きまつたので、無論むろん事業じげふは繼續けいぞくする譯わけに行ゆかず、當人たうにんは必然ひつぜんの結果けつくわ、地位ちゐを失うしなつたぎりになつた。
「それから後あと私わたしも何どうしたか能よく知しらなかつたんですが、其後そののち漸やうやく聞きいて見みると、驚おどろきましたね。蒙古もうこへ這入はいつて漂浪うろついてゐるんです。何處どこ迄まで山氣やまぎがあるんだか分わからないんで、私わたしも少々せうう劍呑けんのんになつてるんですよ。夫それでも離はなれてゐるうちは、まあ何どうかしてゐるだらう位ぐらゐに思おもつて放はふつて置おきます。時ときたま音便たよりがあつたつて、蒙古もうこといふ所ところは、水みづに乏とぼしい所ところで、暑あつい時ときには徃來わうらいへ泥溝どぶの水みづを撒まくとかね、又またはその泥溝どぶの水みづが無なくなると、今度こんどは馬うまの小便せうべんを撒まくとか、從したがつて甚はなはだ臭くさいとか、まあそんな手紙てがみが來くる丈だけですから、――そりあ金かねの事ことも云いつて來きますが、なに東京とうきやうと蒙古もうこだから打遣うちやつて置おけば夫迄それまでです。だから離はなれてさへゐれば、まあ可いいんですが、其奴そいつが去年きよねんの暮くれ突然とつぜん出でて來きましてね」 主人しゆじんは思おもひ付ついた樣やうに、床とこの柱はしらに掛かけた、綺麗きれいな房ふさの付ついた一種いつしゆの裝飾物さうしよくぶつを取とり卸おろした。
 それは錦にしきの袋ふくろに這入はいつた一尺しやくばかりの刀かたなであつた。鞘さやは何なにとも知しれぬ緑色みどりいろの雲母きらゝの樣やうなもので出來できてゐて、其その所々ところろが三ヶ所しよ程ほど銀ぎんで卷まいてあつた。中身なかみは六寸すん位ぐらゐしかなかつた。從したがつて刄はも薄うすかつた。けれども鞘さやの格好かつかうは恰あたかも六角ろくかくの樫かしの棒ぼうの樣やうに厚あつかつた。よく見みると、柄つかの後うしろに細ほそい棒ぼうが二本ほん並ならんで差ささつてゐた。結果けつくわは鞘さやを重かさねて離はなれない爲ために銀ぎんの鉢卷はちまきをしたと同おなじであつた。主人しゆじんは
「土産みやげにこんなものを持もつて來きました。蒙古刀もうこたうださうです」と云いひながら、すぐ拔ぬいて見みせた。後うしろに差さしてあつた象牙ざうげの樣やうな棒ぼうも二本ほん拔ぬいて見みせた。
「是こりや箸はしですよ。蒙古人もうこじんは始終しじゆう是これを腰こしへぶら下さげてゐて、いざ御馳走ごちそうといふ段だんになると、此この刀かたなを拔ぬいて肉にくを切きつて、さうして此この箸はしで傍そばから食くうんださうです」
 主人しゆじんはことさらに刀かたなと箸はしを兩手りやうてに持もつて、切きつたり食くつたりする眞似まねをして見みせた。宗助そうすけはひたすらに其その精巧せいかうな作つくりを眺ながめた。「まだ蒙古人もうこじんの天幕てんとに使つかふフエルトも貰もらひましたが、まあ昔むかしの毛氈まうせんと變かはつた所ところもありませんね」
 主人しゆじんは蒙古人もうこじんの上手じやうずに馬うまを扱あつかふ事ことや、蒙古犬もうこいぬの瘠やせて細長ほそながくて、西洋せいやうのグレー、ハウンドに似にてゐる事ことや、彼等かれらが支那人しなじんのために段々だんん押おし狹せばめられて行ゆく事ことや、――凡すべて近頃ちかごろ彼地あつちから歸かへつたといふ弟おとうとに聞きいた儘まゝを宗助そうすけに話はなした。宗助そうすけは又また自分じぶんの未いまだ曾かつて耳みゝにした事ことのない話はなし丈だけに、一々いちち少すくなからぬ興味きようみを有もつてそれを聞きいて行いつた。其そのうちに、元來ぐわんらい此この弟おとうとは蒙古もうこで何なにをしてゐるのだらうといふ好奇心かうきしんが出でた。そこで一寸ちよつと主人しゆじんに尋たづねて見みると、主人しゆじんは、
「冒險者アドヹンチユアラー」と再ふたゝび先刻さつきの言葉ことばを力強ちからづよく繰くり返かへした。「何なにをしてゐるか分わからない。私わたくしには、牧畜ぼくちくをやつてゐます。しかも成功せいこうしてゐますと云いふんですがね、一向いつかう當あてにはなりません。今迄いままでもよく法螺ほらを吹ふいて私わたくしを欺だましたもんです。それに今度こんど東京とうきやうへ出でて來きた用事ようじと云いふのが餘よつ程ぽど妙めうです。何なんとか云いふ蒙古王もうこわうのために、金かねを二萬圓まんゑん許ばかり借かりたい。もし貸かしてやらないと自分じぶんの信用しんように關かゝわるつて奔走ほんそうしてゐるんですからね。その取始とつぱじめに捕つかまつたのは私わたくしだが、いくら蒙古王もうこわうだつて、いくら廣ひろい土地とちを抵當ていたうにするつたつて、蒙古もうこと東京とうきやうぢや催促さいそくさへ出來できやしませんもの。で、私わたくしが斷ことわると、蔭かげへ廻まはつて妻さいに、兄にいさんはあれだから大おほきな仕事しごとが出來できつこないつて、威張ゐばつてゐるんです。仕樣しやうがない」 主人しゆじんは此所こゝで少すこし笑わらつたが、妙めうに緊張きんちやうした宗助そうすけの顏かほを見みて、
「何どうです一遍ぺん逢あつて御覽ごらんになつちや、わざざ毛皮けがはの着ついただぶぶしたものなんか着きて、一寸ちよつと面白おもしろいですよ。何なんなら御紹介ごせうかいしませう。丁度ちやうど明後日あさつての晩ばん呼よんで飯めしを食くはせる事ことになつてゐるから。――なに引ひつ掛かゝつちや不可いけませんがね。默だまつて向むかふに喋舌しやべらして、聞きいてゐる分ぶんには、少すこしも危險きけんはありません。たゞ面白おもしろい丈だけです」としきりに勸すゝめ出だした。宗助そうすけは多少たせう心こゝろを動うごかした。
「御出おいでになるのは御令弟ごれいてい丈だけですか」
「いや外ほかに一人ひとり弟おとゝの友達ともだちで向むかふから一所いつしよに來きたものが、來くる筈はずになつてゐます。安井やすゐとか云いつて私わたくしはまだ逢あつた事こともない男をとこですが、弟おとゝが頻しきりに私わたくしに紹介せうかいしたがるから、實じつはそれで二人ふたりを呼よぶ事ことにしたんです」
 宗助そうすけは其夜そのよ蒼あをい顏かほをして坂井さかゐの門もんを出でた。

十七

 宗助そうすけと御米およねの一生いつしやうを暗くらく彩いろどつた關係くわんけいは、二人ふたりの影かげを薄うすくして、幽靈いうれいの樣やうな思おもひを何所どこかに抱いだかしめた。彼等かれらは自己じこの心こゝろのある部分ぶぶんに、人ひとに見みえない結核性けつかくせいの恐おそろしいものが潛ひそんでゐるのを、仄ほのかに自覺じかくしながら、わざと知しらぬ顏がほに互たがひと向むき合あつて年としを過すごした。 當初たうしよ彼等かれらの頭腦づなうに痛いたく應こたへたのは、彼等かれらの過あやまちが安井やすゐの前途ぜんとに及およぼした影響えいきやうであつた。二人ふたりの頭あたまの中なかで沸わき返かへつた凄すごい泡あわの樣やうなものが漸やうやく靜しづまつた時とき、二人ふたりは安井やすゐも亦また半途はんとで學校がくかうを退しりぞいたといふ消息せうそくを耳みゝにした。彼等かれらは固もとより安井やすゐの前途ぜんとを傷きずつけた原因げんいんをなしたに違ちがひなかつた。次つぎに安井やすゐが郷里きやうりに歸かへつたといふ噂うはさを聞きいた。次つぎに病氣びやうきに罹かゝつて家いへに寐ねてゐるといふ報知しらせを得えた。二人ふたりはそれを聞きくたびに重おもい胸むねを痛いためた。最後さいごに安井やすゐが滿洲まんしうに行いつたと云いふ音信たよりが來きた。宗助そうすけは腹はらの中なかで、病氣びやうきはもう癒なほつたのだらうかと思おもつた。又または滿洲まんしう行ゆきの方はうが嘘うそではなからうかと考かんがへた。安井やすゐは身體からだから云いつても、性質せいしつから云いつても、滿洲まんしうや臺灣たいわんに向むく男をとこではなかつたからである。宗助そうすけは出來できる丈だけ手てを回まはして、事ことの眞疑しんぎを探さぐつた。さうして、或ある關係くわんけいから、安井やすゐがたしかに奉天ほうてんにゐる事ことを確たしかめ得えた。同時どうじに彼かれの健康けんかうで、活溌くわつぱつで、多忙たばうである事ことも確たしかめ得えた。其時そのとき夫婦ふうふは顏かほを見合みあはせて、ほつといふ息いきを吐ついた。「まあ可よからう」と宗助そうすけが云いつた。
「病氣びやうきよりはね」と御米およねが云いつた。
 二人ふたりは夫それから以後いご安井やすゐの名なを口くちにするのを避さけた。考かんがへ出だす事ことさへも敢あへてしなかつた。彼等かれらは安井やすゐを半途はんとで退學たいがくさせ、郷里きやうりへ歸かへらせ、病氣びやうきに罹かゝらせ、もしくは滿洲まんしうへ驅かり遣やつた罪つみに對たいして、如何いかに悔恨くわいこんの苦くるしみを重かさねても、何どうする事ことも出來できない地位ちゐに立たつてゐたからである。
「御米およね、御前おまへ信仰しんかうの心こゝろが起おこつた事ことがあるかい」と或時あるとき宗助そうすけが御米およねに聞きいた。御米およねは、たゞ、
「あるわ」と答こたへた丈だけで、すぐ「貴方あなたは」と聞きき返かへした。
 宗助そうすけは薄笑うすわらひをしたぎり、何なんとも答こたへなかつた。其代そのかはり推おして、御米およねの信仰しんかうに就ついて、詳くはしい質問しつもんも掛かけなかつた。御米およねには、それが仕合しあはせかも知しれなかつた。彼女かのぢよはその方面はうめんに、是これといふ程ほど判然はつきりした凝こり整とゝのつた何物なにものも有もつてゐなかつたからである。二人ふたりは兎角とかくして會堂くわいだうの腰掛べんちにも倚よらず、寺院じゐんの門もんも潛くゞらずに過すぎた。さうして只たゞ自然しぜんの惠めぐみから來くる月日つきひと云いふ緩和劑くわんわざいの力ちから丈だけで、漸やうやく落おち付ついた。時々ときき遠とほくから不意ふいに現あらはれる訴うつたへも、苦くるしみとか恐おそれとかいふ殘酷ざんこくの名なを付つけるには、あまり微かすかに、あまり薄うすく、あまりに肉體にくたいと慾得よくとくを離はなれ過すぎる樣やうになつた。必竟ひつきやうずるに、彼等かれらの信仰しんかうは、神かみを得えなかつたため、佛ほとけに逢あはなかつたため、互たがひを目標めじるしとして働はたらいた。互たがひに抱だき合あつて、丸まるい圓ゑんを描ゑがき始はじめた。彼等かれらの生活せいくわつは淋さみしいなりに落おち付ついて來きた。其その淋さみしい落おち付つきのうちに、一種いつしゆの甘あまい悲哀ひあいを味あぢはつた。文藝ぶんげいにも哲學てつがくにも縁ゑんのない彼等かれらは、此この味あぢを舐なめ盡つくしながら、自分じぶんで自分じぶんの状態じやうたいを得意とくいがつて自覺じかくする程ほどの知識ちしきを有もたなかつたから、同おなじ境遇きやうぐうにある詩人しじんや文人ぶんじんなどよりも、一層いつそう純粹じゆんすゐであつた。――是これが七日なのかの晩ばんに坂井さかゐへ呼よばれて、安井やすゐの消息せうそくを聞きく迄までの夫婦ふうふの有樣ありさまであつた。 其夜そのよ宗助そうすけは家いへに歸かへつて御米およねの顏かほを見みるや否いなや、
「少すこし具合ぐあひが惡わるいから、すぐ寐ねよう」と云いつて、火鉢ひばちに倚よりながら、歸かえりを待まち受うけてゐた御米およねを驚おどろかした。
「何どうなすつたの」と御米およねは眼めを上あげて宗助そうすけを眺ながめた。宗助そうすけは其所そこに突つつ立たつてゐた。
 宗助そうすけが外そとから歸かへつて來きて、こんな風ふうをするのは、殆ほとんど御米およねの記憶きおくにない位くらゐ珍めづらしかつた。御米およねは卒然そつぜん何なにとも知しれない恐怖きようふの念ねんに襲おそはれた如ごとくに立たち上あがつたが、殆ほとんど器械的きかいてきに、戸棚とだなから夜具蒲團やぐふとんを取とり出だして、夫をつとの云いひ付つけ通どほり床とこを延のべ始はじめた。其その間あひだ宗助そうすけは矢やつ張ぱり懷手ふところでをして傍そばに立たつてゐた。さうして床とこが敷しけるや否いなや、そここに着物きものを脱ぬぎ捨すてゝ、すぐ其中そのなかに潛もぐり込こんだ。御米およねは枕元まくらもとを離はなれ得えなかつた。
「何どうなすつたの」
「何なんだか、少すこし心持こゝろもちが惡わるい。しばらく斯かうして凝じつとしてゐたら、能よくなるだらう」
 宗助そうすけの答こたへは半なかば夜着よぎの下したから出でた。其その聲こゑが籠こもつた樣やうに御米およねの耳みゝに響ひゞいた時とき、御米およねは濟すまない顏かほをして、枕元まくらもとに坐すわつたなり動うごかなかつた。「彼所あつちへ行いつて居ゐても可いいよ。用ようがあれば呼よぶから」
 御米およねは漸やうやく茶ちやの間まへ歸かへつた。
 宗助そうすけは夜具やぐを被かぶつた儘まゝ、ひとり硬かたくなつて眼めを眠ねむつてゐた。彼かれは此この暗くらい中なかで、坂井さかゐから聞きいた話はなしを何度なんどとなく反覆はんぷくした。彼かれは滿洲まんしうにゐる安井やすゐの消息せうそくを、家主やぬしたる坂井さかゐの口くちを通とほして知しらうとは、今いまが今いま迄まで豫期よきしてゐなかつた。もう少すこしの事ことで、其その安井やすゐと同おなじ家主やぬしの家いへへ同時どうじに招まねかれて、隣となり合あはせか、向むかひ合あはせに坐すわる運命うんめいにならうとは、今夜こんや晩食ばんめしを濟すます迄まで、夢ゆめにも思おもひ掛がけなかつた。彼かれは寐ねながら過去くわこ二三時間じかんの經過けいくわを考かんがへて、其そのクライマツクスが突如とつじよとして如何いかにも不意ふいに起おこつたのを不思議ふしぎに感かんじた。且かつ悲かなしく感かんじた。彼かれは是これ程ほど偶然ぐうぜんな出來事できごとを借かりて、後うしろから斷ことわりなしに足絡あしがらを掛かけなければ、倒たふす事ことの出來できない程ほど強つよいものとは、自分じぶんながら任にんじてゐなかつたのである。自分じぶんの樣やうな弱よわい男をとこを放はふり出だすには、もつと穩當をんたうな手段しゆだんで澤山たくさんでありさうなものだと信しんじてゐたのである。
 小六ころくから坂井さかゐの弟おとうと、それから滿洲まんしう、蒙古もうこ、出京しゆつきやう、安井やすゐ、――斯かう談話だんわの迹あとを辿たどれば辿たどる程ほど、偶然ぐうぜんの度どはあまりに甚はなはだしかつた。過去くわこの痛恨つうこんを新あらたにすべく、普通ふつうの人ひとが滅多めつたに出逢であはない此この偶然ぐうぜんに出逢であふために、千百人にんのうちから撰えり出だされなければならない程ほどの人物じんぶつであつたかと思おもふと、宗助そうすけは苦くるしかつた。又また腹立はらだゝしかつた。彼かれは暗くらい夜着よぎの中なかで熱あつい息いきを吐ついた。 此この二三年ねんの月日つきひで漸やうやく癒なほり掛かけた創口きずぐちが、急きふに疼うづき始はじめた。疼うづくに伴つれて熱ほてつて來きた。再ふたゝび創口きずぐちが裂さけて、毒どくのある風かぜが容赦ようしやなく吹ふき込こみさうになつた。宗助そうすけは一層いつそのこと、萬事ばんじを御米およねに打うち明あけて、共ともに苦くるしみを分わかつて貰もらはうかと思おもつた。
「御米およね、御米およね」と二聲ふたこゑ呼よんだ。
 御米およねはすぐ枕元まくらもとへ來きて、上うへから覗のぞき込こむやうに宗助そうすけを見みた。宗助そうすけは夜具やぐの襟えりから顏かほを全まつたく出だした。次つぎの間まの灯ひが御米およねの頬ほゝを半分はんぶん照てらしてゐた。
「熱あつい湯ゆを一杯ぱい貰もらはう」
 宗助そうすけはとうう言いはうとした事ことを言いひ切きる勇氣ゆうきを失うしなつて、嘘うそを吐ついて胡魔化ごまかした。
 翌日よくじつ宗助そうすけは例れいの如ごとく起おきて、平日へいじつと變かはる事ことなく食事しよくじを濟すました。さうして給仕きふじをして呉くれる御米およねの顏かほに、多少たせう安心あんしんの色いろが見みえたのを、嬉うれしい樣やうな憐あはれな樣やうな一種いつしゆの情緒じやうしよを以もつて眺ながめた。
「昨夕ゆうべは驚おどろいたわ。何どうなすつたのかと思おもつて」
 宗助そうすけは下したを向むいて茶碗ちやわんに注ついだ茶ちやを呑のんだ丈だけであつた。何なんと答こたへていゝか、適當てきたうな言葉ことばを見出みいださなかつたからである。 其その日ひは朝あさからから風かぜが吹ふき荒すさんで、折々をりり埃ほこりと共ともに行ゆく人ひとの帽ばうを奪うばつた。熱ねつがあると惡わるいから、一日にち休やすんだらと云いふ御米およねの心配しんぱいを聞きき捨ずてにして、例れいの通とほり電車でんしやへ乘のつた宗助そうすけは、風かぜの音おとと車くるまの音おとの中なかに首くびを縮ちゞめて、たゞ一ひとつ所ところを見詰みつめてゐた。降おりる時とき、ひゆうといふ音おとがして、頭あたまの上うへの針線はりがねが鳴なつたのに氣きが付ついて、空そらを見みたら、此この猛烈まうれつな自然しぜんの力ちからの狂くるふ間あひだに、何時いつもより明あきらかな日ひがのそりと出でてゐた。風かぜは洋袴ずぼんの股またを冷つめたくして過すぎた。宗助そうすけには其その砂すなを捲まいて向むかふの堀ほりの方はうへ進すゝんで行ゆく影かげが、斜なゝめに吹ふかれる雨あめの脚あしの樣やうに判然はつきり見みえた。
 役所やくしよでは用ようが手てに着つかなかつた。筆ふでを持もつて頬杖ほゝづゑを突ついた儘まゝ何なにか考かんがへた。時々とききは不必要ふひつえうな墨すみを妄みだりに磨すり卸おろした。烟草たばこは無暗むやみに呑のんだ。さうしては、思おもひ出だした樣やうに窓硝子まどがらすを通とほして外そとを眺ながめた。外そとは見みるたびに風かぜの世界せかいであつた。宗助そうすけはたゞ早はやく歸かへりたかつた。 漸やうやく時間じかんが來きて家うちへ歸かへつたとき、御米およねは不安ふあんらしく宗助そうすけの顏かほを見みて、
「何どうもなくつて」と聞きいた。宗助そうすけは已やむを得えず、何どうもないが、たゞ疲つかれたと答こたへて、すぐ炬燵こたつの中なかへ入はひつたなり、晩食ばんめし迄まで動うごかなかつた。其内そのうち風かぜは日ひと共ともに落おちた。晝ひるの反動はんどうで四隣あたりは急きふにひつそり靜しづまつた。
「好いい案排あんばいね、風かぜが無なくなつて。晝間ひるまの樣やうに吹ふかれると、家うちに坐すわつてゐても何なんだか氣味きみが惡わるくつて仕樣しやうがないわ」
 御米およねの言葉ことばには、魔物まものでもあるかの樣やうに、風かぜを恐おそれる調子てうしがあつた。宗助そうすけは落おち付ついて、
「今夜こんやは少すこし暖あつたかい樣やうだね。穩おだやかで好いい御正月おしやうぐわつだ」と云いつた。飯めしを濟すまして烟草たばこを一本ぽん吸すふ段だんになつて、突然とつぜん、
「御米およね、寄席よせへでも行いつて見みやうか」と珍めづらしく細君さいくんを誘さそつた。御米およねは無論むろん否いなむ理由りいうを有もたなかつた。小六ころくは義太夫ぎだいふなどを聞きくより、宅うちに居ゐて餠もちでも燒やいて食くつた方はうが勝手かつてだといふので、留守るすを頼たのんで二人ふたり出でた。
 少すこし時間じかんが遲おくれたので、寄席よせは一杯いつぱいであつた。二人ふたりは坐蒲團ざぶとんを敷しく餘地よちもない一番いちばん後うしろの方はうに、立膝たてひざをする樣やうに割わり込こまして貰もらつた。「大變たいへんな人ひとね」
「矢やつ張ぱり春はるだから入はひるんだらう」
 二人ふたりは小聲こごゑで話はなしながら、大おほきな部屋へやにぎつしり詰つまつた人ひとの頭あたまを見回みまはした。其その頭あたまのうちで、高座かうざに近ちかい前まへの方はうは、烟草たばこの烟けむりで霞かすんでゐる樣やうにぼんやり見みえた。宗助そうすけには此この累々るゐゐたる黒くろいものが、悉こととく斯かう云いふ娯樂ごらくの席せきへ來きて、面白おもしろく半夜はんやを潰つぶす事ことの出來できる餘裕よゆうのある人ひとらしく思おもはれた。彼かれは何どの顏かほを見みても羨うらやましかつた。
 彼かれは高座かうざの方はうを正視せいしして、熱心ねつしんに淨瑠璃じやうるりを聞きかうと力つとめた。けれどもいくら力つとめても面白おもしろくならなかつた。時々ときき眼めを外そらして、御米およねの顏かほを偸ぬすみ見みた。見みるたびに御米およねの視線しせんは正たゞしい所ところを向むいてゐた。傍そばに夫をつとのゐる事ことは殆ほとんど忘わすれて眞面目まじめに聽きいてゐるらしかつた。宗助そうすけは羨うらやましい人ひとのうちに御米およね迄まで勘定かんぢやうしなければならなかつた。
 中入なかいりの時とき、宗助そうすけは御米およねに、
「何どうだ、もう歸かへらうか」と云いひ掛かけた。御米およねは其その唐突たうとつなのに驚おどろかされた。
「厭いやなの」と聞きいた。宗助そうすけは何なんとも答こたへなかつた。御米およねは、
「何どうでも可いいわ」と半分はんぶん夫をつとの意いに忤さからはない樣やうな挨拶あいさつをした。宗助そうすけは折角せつかく連つれて來きた御米およねに對たいして、却かへつて氣きの毒どくな心こゝろが起おこつた。とうう仕舞しまひ迄まで辛抱しんばうして坐すわつてゐた。 家うちへ歸かへると、小六ころくは火鉢ひばちの前まへに胡坐あぐらを掻かいて、脊表紙せべうしの反そり返かへるのも構かまはずに、手てに持もつた本ほんを上うへから翳かざして讀よんでゐた。鐵瓶てつびんは傍わきへ卸おろしたなり湯ゆは生温なまぬるく冷さめてしまつた。盆ぼんの上うへに燒やき餘あまりの餠もちが三切みきれか四片よきれ載のせてあつた。網あみの下したから小皿こざらに殘のこつた醤油しやうゆの色いろが見みえた。
 小六ころくは席せきを立たつて、
「面白おもしろかつたですか」と聞きいた。夫婦ふうふは十分ぷん程ほど身體からだを炬燵こたつで暖あたゝめた上うへすぐ床とこへ入はひつた。
 翌日よくじつになつても宗助そうすけの心こゝろに落付おちつきが來こなかつた事ことは、略ほゞ前まへの日ひと同おなじであつた。役所やくしよが退ひけて、例れいの通とほり電車でんしやへ乘のつたが、今夜こんや自分じぶんと前後ぜんごして、安井やすゐが坂井さかゐの家いへへ客きやくに來くると云いふ事ことを想像さうざうすると、何どうしても、わざざ其その人ひとと接近せつきんするために、こんな速力そくりよくで、家うちへ歸かへつて行いくのが不合理ふがふりに思おもはれた。同時どうじに安井やすゐはその後ご何どんなに變化へんくわしたらうと思おもふと、餘所よそから一目ひとめ彼かれの樣子やうすが眺ながめたくもあつた。
 坂井さかゐが一昨日をとゝひの晩ばん、自分じぶんの弟おとゝを評ひやうして、一口ひとくちに「冒險者アドヹンチユアラー」と云いつた、その音おんが今いま宗助そうすけの耳みゝに高たかく響ひゞき渡わたつた。宗助そうすけは此この一語いちごの中なかに、あらゆる自暴じばうと自棄じきと、不平ふへいと憎惡ぞうをと、亂倫らんりんと悖徳はいとくと、盲斷まうだんと決行けつかうとを想像さうざうして、是等これらの一角いつかくに觸ふれなければならない程ほどの坂井さかゐの弟おとうとと、それと利害りがいを共ともにすべく滿洲まんしうから一所いつしよに出でて來きた安井やすゐが、如何いかなる程度ていどの人物じんぶつになつたかを、頭あたまの中なかで描ゑがいて見みた。描ゑがかれた畫ゑは無論むろん冒險者アドヹンチユアラーの字面じめんの許ゆるす範圍内はんゐないで、尤もつとも強つよい色彩しきさいを帶おびたものであつた。 斯樣かやうに、墮落だらくの方面はうめんをとくに誇張こちやうした冒險者アドヹンチユアラーを頭あたまの中なかで拵こしらえ上あげた宗助そうすけは、其その責任せきにんを自身じしん一人ひとりで全まつたく負おはなければならない樣やうな氣きがした。彼かれはたゞ坂井さかゐへ客きやくに來くる安井やすゐの姿すがたを一目ひとめ見みて、其その姿すがたから、安井やすゐの今日こんにちの人格じんかくを髣髴はうふつしたかつた。さうして、自分じぶんの想像さうざう程ほど彼かれは墮落だらくしてゐないといふ慰藉ゐしやを得えたかつた。
 彼かれは坂井さかゐの家いへの傍そばに立たつて、向むかふに知しれずに、他ひとを窺うかがふ樣やうな便利べんりな場所ばしよはあるまいかと考かんがへた。不幸ふかうにして、身みを隱かくすべきところを思おもひ付つき得えなかつた。若もし日ひが落おちてから來くるとすれば、此方こちらが認みとめられない便宜べんぎがあると同時どうじに、暗くらい中なかを通とほる人ひとの顏かほの分わからない不都合ふつがふがあつた。
 そのうち電車でんしやが神田かんだへ來きた。宗助そうすけは何時いつもの通とほり其所そこで乘のり換かえて家うちの方はうへ向むいて行ゆくのが苦痛くつうになつた。彼かれの神經しんけいは一歩ぽでも安井やすゐの來くる方角はうがくへ近ちかづくに堪たえなかつた。安井やすゐを餘所よそながら見みたいといふ好奇心かうきしんは、始はじめから左程さほど強つよくなかつた丈だけに、乘換のりかへの間際まぎはになつて、全まつたく抑おさえつけられてしまつた。彼かれは寒さむい町まちを多おほくの人ひとの如ごとく歩あるいた。けれども多おほくの人ひとの如ごとくに判然はつきりした目的もくてきは有もつてゐなかつた。其内そのうち店みせに灯ひが點ついた。電車でんしやも燈火あかりを照ともした。宗助そうすけはある牛肉店ぎうにくてんに上あがつて酒さけを呑のみ出だした。一本ぽんは夢中むちゆうに呑のんだ。二本目ほんめは無理むりに呑のんだ。三本目ぼんめにも醉よへなかつた。宗助そうすけは脊せを壁かべに持もたして、醉よつて相手あひてのない人ひとの樣やうな眼めをして、ぼんやり何處どこかを見詰みつめてゐた。 時刻じこくが時刻じこくなので、夕飯ゆふめしを食くひに來くる客きやくは入いれ代かはり立たち代かはり來きた。其その多おほくは用辯的ようべんてきに飮食いんしよくを濟すまして、さつさと勘定かんぢやうをして出でて行ゆく丈だけであつた。宗助そうすけは周圍しうゐのざわつく中なかに默然もくねんとして、他ひとの倍ばいも三倍ばいも時ときを過すごした如ごとくに感かんじた末すゑ、遂つひに坐すわり切きれずに席せきを立たつた。
 表おもては左右さいうから射さす店みせの灯ひで明あきらかであつた。軒先のきさきを通とほる人ひとは、帽ばうも衣裝いしやうもはつきり物色ぶつしよくする事ことが出來できた。けれども廣ひろい寒さむさを照てらすには餘あまりに弱過よわすぎた。夜よるは戸毎こごとの瓦斯がすと電燈でんとうを閑却かんきやくして、依然いぜんとして暗くらく大おほきく見みえた。宗助そうすけは此この世界せかいと調和てうわする程ほどな黒味くろみの勝かつた外套ぐわいたうに包つゝまれて歩あるいた。其時そのとき彼かれは自分じぶんの呼吸こきふする空氣くうきさへ灰色はひいろになつて、肺はいの中なかの血管けつくわんに觸ふれる樣やうな氣きがした。
 彼かれは此この晩ばんに限かぎつて、ベルを鳴ならして忙いそがしさうに眼めの前まへを徃いつたり來きたりする電車でんしやを利用りようする考かんがへが起おこらなかつた。目的もくてきを有もつて途みちを行ゆく人ひとと共ともに、拔目ぬけめなく足あしを運はこばす事ことを忘わすれた。しかも彼かれは根ねの締しまらない人間にんげんとして、かく漂浪へうらうの雛形ひながたを演えんじつゝある自分じぶんの心こゝろを省かへりみて、もし此この状態じやうたいが長ながく續つゞいたら何どうしたら可よからうと、ひそかに自分じぶんの未來みらいを案あんじ煩わづらつた。今日こんにち迄までの經過けいくわから推おして、凡すべての創口きずぐちを癒合ゆがふするものは時日じじつであるといふ格言かくげんを、彼かれは自家じかの經驗けいけんから割わり出だして、深ふかく胸むねに刻きざみ付つけてゐた。それが一昨日をとゝひの晩ばんにすつかり崩くづれたのである。 彼かれは黒くろい夜よるの中なかを歩あるきながら、たゞ何どうかして此この心こゝろから逃のがれ出でたいと思おもつた。其その心こゝろは如何いかにも弱よわくて落付おちつかなくつて、不安ふあんで不定ふていで、度胸どきようがなさ過すぎて希知けちに見みえた。彼かれは胸むねを抑おさえつける一種いつしゆの壓迫あつぱくの下もとに、如何いかにせば、今いまの自分じぶんを救すくふ事ことが出來できるかといふ實際じつさいの方法ほうはふのみを考かんがへて、其その壓迫あつぱくの原因げんいんになつた自分じぶんの罪つみや過失くわしつは全まつたく此この結果けつくわから切きり放はなして仕舞しまつた。其時そのときの彼かれは他ひとの事ことを考かんがへる餘裕よゆうを失うしなつて、悉こととく自己じこ本位ほんゐになつてゐた。今迄いままでは忍耐にんたいで世よを渡わたつて來きた。是これからは積極的せききよくてきに人世觀じんせいくわんを作つくり易かへなければならなかつた。さうして其その人世觀じんせいくわんは口くちで述のべるもの、頭あたまで聞きくものでは駄目だめであつた。心こゝろの實質じつしつが太ふとくなるものでなくては駄目だめであつた。
 彼かれは行ゆくく口くちの中なかで何遍なんべんも宗教しゆうけうの二字じを繰くり返かへした。けれども其その響ひゞきは繰くり返かへす後あとからすぐ消きえて行いつた。攫つかんだと思おもふ烟けむりが、手てを開あけると何時いつの間まにか無なくなつてゐる樣やうに宗教しゆうけうとは果敢はかない文字もんじであつた。 宗教しゆうけうと關聯くわんれんして宗助そうすけは坐禪ざぜんといふ記臆きおくを呼よび起おこした。昔むかし京都きやうとにゐた時分じぶん彼かれの級友きふいうに相國寺しやうこくじへ行いつて坐禪ざぜんをするものがあつた。當時たうじ彼かれは其その迂濶うくわつを笑わらつてゐた。「今いまの世よに……」と思おもつてゐた。其その級友きふいうの動作どうさが別べつに自分じぶんと違ちがつた所ところもない樣やうなのを見みて、彼かれは益ますす馬鹿々々ばかかしい氣きを起おこした。
 彼かれは今更いまさらながら彼かれの級友きふいうが、彼かれの侮蔑ぶべつに値あたひする以上いじやうのある動機どうきから、貴重きちような時間じかんを惜をしまずに、相國寺しやうこくじへ行いつたのではなからうかと考かんがへ出だして、自分じぶんの輕薄けいはくを深ふかく耻はぢた。もし昔むかしから世俗せぞくで云いふ通とほり安心あんじんとか立命りつめいとかいふ境地きやうちに、坐禪ざぜんの力ちからで達たつする事ことが出來できるならば、十日とをかや二十日はつか役所やくしよを休やすんでも構かまはないから遣やつて見みたいと思おもつた。けれども彼かれは斯道このみちにかけては全まつたくの門外漢もんぐわいかんであつた。從したがつて、此これより以上いじやう明瞭めいれうな考かんがへも浮うかばなかつた。
 漸やうやく家うちへ辿たどり着ついた時とき、彼かれは例れいの樣やうな御米およねと、例れいの樣やうな小六ころくと、それから例れいの樣やうな茶ちやの間まと座敷ざしきと洋燈らんぷと箪笥たんすを見みて、自分じぶん丈だけが例れいにない状態じやうたいの下もとに、此この四五時間じかんを暮くらしてゐたのだといふ自覺じかくを深ふかくした。火鉢ひばちには小ちひさな鍋なべが掛かけてあつて、其その葢ふたの隙間すきまから湯氣ゆげが立たつてゐた。火鉢ひばちの傍わきには彼かれの常つねに坐すわる所ところに、何時いつもの坐蒲團ざぶとんを敷しいて、其前そのまへにちやんと膳立ぜんだてがしてあつた。 宗助そうすけは糸底いとぞこを上うへにしてわざと伏ふせた自分じぶんの茶碗ちやわんと、此この二三年來ねんらい朝晩あさばん使つかひ慣なれた木きの箸はしを眺ながめて、
「もう飯めしは食くはないよ」と云いつた。御米およねは多少たせう不本意ふほんいらしい風ふうもした。
「おや左樣さう。餘あんまり遲おそいから、大方おほかた何處どこかで召上めしやがつたらうとは思おもつたけれど、若もし未まだゞと不可いけないから」と云いひながら、布巾ふきんで鍋なべの耳みゝを撮つまんで、土瓶敷どびんしきの上うへに卸おろした。それから清きよを呼よんで膳ぜんを臺所だいどころへ退さげさした。
 宗助そうすけは斯かういふ風ふうに、何なんぞ事故じこが出來できて、役所やくしよの退出ひけからすぐ外ほかへ回まはつて遲おそくなる場合ばあひには、何時いつでも其その顛末てんまつの大略たいりやくを、歸宅きたく早々さうう御米およねに話はなすのを例れいにしてゐた。御米およねもそれを聞きかないうちは氣きが濟すまなかつた。けれども今夜こんやに限かぎつて彼かれは神田かんだで電車でんしやを降おりた事ことも、牛肉屋ぎうにくやへ上あがつた事ことも、無理むりに酒さけを呑のんだ事ことも、丸まるで話はなしたくなかつた。何なにも知しらない御米およねは又また平常へいじやうの通とほり無邪氣むじやきに夫それから夫それへと聞ききたがつた。
「何なに別べつに是これといふ理由わけもなかつたのだけれども、――つい彼所あすこいらで牛ぎうが食くひたくなつた丈だけの事ことさ」
「さうして御腹おなかを消化こなす爲ために、わざざ此所こゝ迄まで歩あるいて入いらしつたの」「まあ、左樣さうだ」
 御米およねは可笑をかしさうに笑わらつた。宗助そうすけは寧むしろ苦くるしかつた。しばらくして、
「留守るすに坂井さかゐさんから迎むかひに來こなかつたかい」と聞きいた。
「いゝえ、何故なぜ」
「一昨日をとゝひの晩ばん行いつたとき、御馳走ごちそうするとか云いつてゐたからさ」
「また?」
 御米およねは少すこし呆あきれた顏かほをした。宗助そうすけは夫それなり話はなしを切きり上あげて寐ねた。頭あたまの中なかをざわわ何なにか通とほつた。時々ときき眼めを開あけて見みると、例れいの如ごとく洋燈らんぷが暗くらくして床とこの間まの上うへに載のせてあつた。御米およねはさも心地好こゝちよささうに眠ねむつてゐた。つい此この間あひだ迄までは、自分じぶんの方はうが好よく寐ねられて、御米およねは幾晩いくばんも睡眠すゐみんの不足ふそくに惱なやまされたのであつた。宗助そうすけは眼めを閉とぢながら、明あきらかに次つぎの間まの時計とけいの音おとを聞きかなければならない今いまの自分じぶんを更さらに心苦こゝろぐるしく感かんじた。其その時計とけいは最初さいしよは幾いくつも續つゞけざまに打うつた。それが過すぎると、びんと只たゞ一ひとつ鳴なつた。其その濁にごつた音おとが彗星はうきぼしの尾をの樣やうにぼうと宗助そうすけの耳朶みゝたぶにしばらく響ひゞいてゐた。次つぎには二ふたつ鳴なつた。甚はなはだ淋さみしい音おとであつた。宗助そうすけは其間そのあひだに、何なんとかして、もつと鷹揚おうやうに生いきて行いく分別ふんべつをしなければならないと云いふ決心けつしん丈だけをした。三時じは朦朧もうろうとして聞きこえた樣やうな聞きこえない樣やうなうちに過すぎた。四時よじ、五時じ、六時じは丸まるで知しらなかつた。たゞ世よの中なかが膨ふくれた。天てんが波なみを打うつて伸のび且かつ縮ちゞんだ。地球ちきうが糸いとで釣つるした毬まりの如ごとくに大おほきな弧線こせんを描ゑがいて空間くうかんに搖うごいた。凡すべてが恐おそろしい魔まの支配しはいする夢ゆめであつた。七時過じすぎに彼かれははつとして、此この夢ゆめから覺さめた。御米およねが何時いつもの通とほり微笑びせうして枕元まくらもとに曲かゞんでゐた。冴さえた日ひは黒くろい世よの中なかを疾とくに何處どこかへ追おひ遣やつてゐた。
十八

 宗助そうすけは一封いつぷうの紹介状せうかいじやうを懷ふところにして山門さんもんを入はひつた。彼かれはこれを同僚どうれうの知人ちじんの某なにがしから得えた。其その同僚どうれうは役所やくしよの徃復わうふくに、電車でんしやの中なかで洋服やうふくの隱袋かくしから菜根譚さいこんたんを出だして讀よむ男をとこであつた。かう云いふ方面はうめんに趣味しゆみのない宗助そうすけは、固もとより菜根譚さいこんたんの何物なにものなるかを知しらなかつた。ある日ひ一ひとつ車くるまの腰掛こしかけに膝ひざを並ならべて乘のつた時とき、それは何なんだと聞きいて見みた。同僚どうれうは小形こがたの黄色きいろい表紙へうしを宗助そうすけの前まへに出だして、こんな妙めうな本ほんだと答こたへた。宗助そうすけは重かさねて何どんな事ことが書かいてあるかと尋たづねた。其時そのとき同僚どうれうは、一口ひとくちに説明せつめいの出來できる格好かつかうな言葉ことばを有もつてゐなかつたと見みえて、まあ禪學ぜんがくの書物しよもつだらうといふ樣やうな妙めうな挨拶あいさつをした。宗助そうすけは同僚どうれうから聞きいた此この返事へんじを能よく覺おぼえてゐた。
 紹介状せうかいじやうを貰もらふ四五日前しごんちまへ、彼かれは此この同僚どうれうの傍そばへ行いつて、君きみは禪學ぜんがくを遣やるのかと、突然とつぜん質問しつもんを掛かけた。同僚どうれうは強つよく緊張きんちやうした宗助そうすけの顏かほを見みて頗すこぶる驚おどろいた樣子やうすであつたが、いや遣やらない、たゞ慰なぐさみ半分はんぶんにあんな書物しよもつを讀よむ丈だけだと、すぐ逃にげて仕舞しまつた。宗助そうすけは多少たせう失望しつばうに弛ゆるんだ下唇したくちびるを垂たれて自分じぶんの席せきに歸かへつた。 其日そのひ歸かへりがけに、彼等かれらは又また同おなじ電車でんしやに乘のり合あはした。先刻さつき宗助そうすけの樣子やうすを、氣きの毒どくに觀察くわんさつした同僚どうれうは、彼かれの質問しつもんの奧おくに雜談ざつだん以上いじやうのある意味いみを認みとめたものと見みえて、前まへよりはもつと親切しんせつに其その方面はうめんの話はなしをして聞きかした。然しかし自分じぶんは未いまだ嘗かつて參禪さんぜんといふ事ことをした經驗けいけんがないと自白じはくした。もし詳くはしい話はなしが聞ききたければ、幸さいはひ自分じぶんの知しり合あひによく鎌倉かまくらへ行ゆく男をとこがあるから紹介せうかいしてやらうと云いつた。宗助そうすけは車くるまの中なかで其その人ひとの名前なまへと番地ばんちを手帳てちやうに書かき留とめた。さうして次つぎの日ひ同僚どうれうの手紙てがみを持もつてわざざ回まはり道みちをして訪問はうもんに出掛でかけた。宗助そうすけの懷ふところにした書状しよじやうは其その折をり席上せきじやうで認したゝめて貰もらつたものであつた。
 役所やくしよは病氣びやうきになつて十日とをか許ばかり休やすむ事ことにした。御米およねの手前てまへも矢張やはり病氣びやうきだと取とり繕つくろつた。
「少すこし腦なうが惡わるいから、一週間しうかん程ほど役所やくしよを休やすんで遊あすんで來くるよ」と云いつた。御米およねは此頃このごろの夫をつとの樣子やうすの何處どこかに異状いじやうがあるらしく思おもはれるので、内心ないしんでは始終しじゆう心配しんぱいしてゐた矢先やさきだから、平生へいぜい煑にえ切きらない宗助そうすけの果斷くわだんを喜よろこんだ。けれども其その突然とつぜんなのにも全まつたく驚おどろいた。「遊あそびに行いくつて、何處どこへ入いらつしやるの」と眼めを丸まるくしない許ばかりに聞きいた。
「矢張やつぱり鎌倉邊かまくらへんが好よからうと思おもつてる」と宗助そうすけは落おち付ついて答こたへた。地味ぢみな宗助そうすけとハイカラな鎌倉かまくらとは殆ほとんど縁えんの遠とほいものであつた。突然とつぜん二ふたつのものを結むすび付つけるのは滑稽こつけいであつた。御米およねも微笑びせうを禁きんじ得えなかつた。
「まあ御金持おかねもちね。私わたしも一所いつしよに連つれてつて頂戴ちやうだい」と云いつた。宗助そうすけは愛あいすべき細君さいくんのこの冗談じようだんを味あぢはふ餘裕よゆうを有もたなかつた。眞面目まじめな顏かほをして、
「そんな贅澤ぜいたくな所ところへ行いくんぢやないよ。禪寺ぜんでらへ留とめて貰もらつて、一週間しうかんか十日とをか、たゞ靜しづかに頭あたまを休やすめて見みる丈だけの事ことさ。それも果はたして好よくなるか、ならないか分わからないが、空氣くうきの可いい所ところへ行いくと、頭あたまには大變たいへん違ちがふと皆みんな云いふから」と辯解べんかいした。
「そりや違ちがひますわ。だから行いつて入いらつしやいとも。今いまのは本當ほんたうの冗談じようだんよ」
 御米およねは善良ぜんりやうな夫をつとに調戯からかつたのを、多少たせう濟すまない樣やうに感かんじた。宗助そうすけは其その翌日あくるひすぐ貰もらつて置おいた紹介状せうかいじやうを懷ふところにして、新橋しんばしから汽車きしやに乘のつたのである。
 其その紹介状せうかいじやうの表おもてには釋宜道しやくぎだう樣さまと書かいてあつた。
「此この間あひだ迄まで侍者じしやをしてゐましたが、此頃このごろでは塔頭たつちゆうにある古ふるい庵室あんしつに手てを入いれて、其所そこに住すんでゐるとか聞ききました。何どうですか、まあ着ついたら尋たづねて御覽ごらんなさい。庵あんの名なはたしか一窓庵いつさうあんでした」と書かいて呉くれる時とき、わざざ注意ちゆういがあつたので、宗助そうすけは禮れいを云いつて手紙てがみを受取うけとりながら、侍者じしやだの塔頭たつちゆうだのといふ自分じぶんには全まつたく耳みゝ新あたらしい言葉ことばの説明せつめいを聞きいて歸かへつたのである。 山門さんもんを入はひると、左右さいうには大おほきな杉すぎがあつて、高たかく空そらを遮さへぎつてゐるために、路みちが急きふに暗くらくなつた。其その陰氣いんきな空氣くうきに觸ふれた時とき、宗助そうすけは世よの中なかと寺てらの中なかとの區別くべつを急きふに覺さとつた。靜しづかな境内けいだいの入口いりくちに立たつた彼かれは、始はじめて風邪ふうじやを意識いしきする場合ばあひに似にた一種いつしゆの惡寒さむけを催もよほした。
 彼かれはまづ眞直まつすぐに歩あるき出だした。左右さいうにも行手いくてにも、堂だうの樣やうなものや、院ゐんの樣やうなものがちよいい見みえた。けれども人ひとの出入でいりは一切いつさいなかつた。悉こととく寂寞せきばくとして錆さび果はてゝゐた。宗助そうすけは何處どこへ行いつて、宜道ぎだうのゐる所ところを教をしへて貰もらはうかと考かんがへながら、誰だれも通とほらない路みちの眞中まんなかに立たつて四方しはうを見回みまはした。
 山やまの裾すそを切きり開ひらいて、一二丁ちやう奧おくへ上のぼる樣やうに建たてた寺てらだと見みえて、後うしろの方はうは樹きの色いろで高たかく塞ふさがつてゐた。路みちの左右さいうも山續やまつゞきか丘續をかつゞきの地勢ちせいに制せいせられて、決けつして平たひらではない樣やうであつた。其その小高こだかい所々ところろに、下したから石段いしだんを疊たゝんで、寺てららしい門もんを高たかく構かまへたのが二三軒目げんめに着ついた。平地ひらちに垣かきを繞めぐらして、點在てんざいしてゐるのは、幾多いくらもあつた。近寄ちかよつて見みると、何いづれも門瓦もんがはらの下したに、院號ゐんがうやら庵號あんがうやらが額がくにして懸かけてあつた。 宗助そうすけは箔はくの剥はげた古ふるい額がくを一二枚まい讀よんで歩あるいたが、不圖ふと一窓庵いつさうあんから先さきへ探さがし出だして、もし其所そこに手紙てがみの名宛なあての坊ばうさんがゐなかつたら、もつと奧おくへ行いつて尋たづねる方はうが便利べんりだらうと思おもひ付ついた。それから逆戻ぎやくもどりをして塔頭たつちゆうを一々いちち調しらべに懸かゝると、一窓庵いつさうあんは山門さんもんを這入はいるや否いなやすぐ右手みぎての方はうの高たかい石段いしだんの上うへにあつた。丘外をかはずれなので、日當ひあたりの好いい、からりとした玄關げんくわん先さきを控ひかえて、後うしろの山やまの懷ふところに暖あたゝまつてゐる樣やうな位置ゐちに冬ふゆを凌しのぐ氣色けしきに見みえた。宗助そうすけは玄關げんくわんを通とほり越こして庫裡くりの方はうから土間どまに足あしを入いれた。上あがり口くちの障子しやうじの立たてゝある所ところ迄まで來きて、たのむむと二三度ど呼よんで見みた。然しかし誰だれも出でて來きて呉くれるものはなかつた。宗助そうすけはしばらく其所そこに立たつた儘まゝ、中なかの樣子やうすを窺うかゞつてゐた。何時いつ迄まで立たつてゐても音沙汰おとさたがないので、宗助そうすけは不思議ふしぎな思おもひをして、又また庫裡こりを出でて門もんの方はうへ引返ひきかへした。すると石段いしだんの下したから剃立そりたての頭あたまを青あをく光ひからした坊ばうさんが上あがつて來きた。年としはまだ二十四五としか見みえない若わかい色白いろじろの顏かほであつた。宗助そうすけは門もんの扉とびらの所ところに待まち合あはして、「宜道ぎだうさんと仰おつしやる方かたは此方こちらに御出おいででせうか」と聞きいた。
「私わたくしが宜道ぎだうです」と若わかい僧そうは答こたへた。宗助そうすけは少すこし驚おどろいたが、又また嬉うれしくもあつた。すぐ懷中くわいちゆうから例れいの紹介状せうかいじやうを出だして渡わたすと、宜道ぎだうは立たちながら封ふうを切きつて、其その場ばで讀よみ下くだした。やがて手紙てがみを卷まき返かへして封筒ふうとうへ入いれると、
「能ようこそ」と云いつて、叮嚀ていねいに會釋ゑしやくしたなり、先さきに立たつて宗助そうすけを導みちびいた。二人ふたりは庫裡くりに下駄げたを脱ぬいで、障子しやうじを開あけて内うちへ這入はいつた。其所そこには大おほきな圍爐裏ゐろりが切きつてあつた。宜道ぎだうは鼠木綿ねずみもめんの上うへに羽織はおつてゐた薄うすい粗末そまつな法衣ころもを脱ぬいで釘くぎに懸かけて、
「御寒おさむう御座ございませう」と云いつて、圍爐裏ゐろりの中なかに深ふかく埋いけてあつた炭すみを灰はひの下したから掘ほり出だした。
 此この僧そうは若わかいに似合にあはず甚はなはだ落付おちついた話振はなしぶりをする男をとこであつた。低ひくい聲こゑで何なにか受答うけこたへをした後あとで、にやりと笑わらふ具合ぐあひなどは、丸まるで女をんなの樣やうな感かんじを宗助そうすけに與あたへた。宗助そうすけは心こゝろのうちに、この青年せいねんがどういふ機縁きえんの元もとに、思おもひ切きつて頭あたまを剃そつたものだらうかと考かんがへて、其その樣子やうすのしとやかな所ところを、何なんとなく憐あはれに思おもつた。「大變たいへん御靜おしづかな樣やうですが、今日けふはどなたも御留守おるすなんですか」
「いえ、今日けふに限かぎらず、何時いつも私わたくし一人ひとりです。だから用ようのあるときは構かまはず明あけ放はなしにして出でます。今いまも一寸ちよつと下した迄まで行いつて用ようを足たして參まゐりました。それがため折角せつかく御出おいでの所ところを失禮しつれい致いたしました」
 宜道ぎだうは此時このとき改あらためて遠來ゑんらいの人ひとに對たいして自分じぶんの不在ふざいを詫わびた。此この大おほきな庵あんを、たつた一人ひとりで預あづかつてゐるさへ、相應さうおうに骨ほねが折をれるのに、其上そのうへに厄介やくかいが増ましたら嘸さぞ迷惑めいわくだらうと、宗助そうすけは少すこし氣きの毒どくな色いろを外ほかに動うごかした。すると宜道ぎだうは、
「いえ、些ちつとも御遠慮ごゑんりよには及およびません。道みちの爲ためで御座ございますから」と床ゆかしい事ことを云いつた。さうして、目下もくか自分じぶんの所ところに、宗助そうすけの外ほかに、まだ一人ひとり世話せわになつてゐる居士こじのある旨むねを告つげた。此この居士こじは山やまへ來きてもう二年ねんになるとかいふ話はなしであつた。宗助そうすけはそれから二三日にちして、始はじめて此この居士こじを見みたが、彼かれは剽輕へうきんな羅漢らかんの樣やうな顏かほをしてゐる氣樂きらくさうな男をとこであつた。細ほそい大根だいこを三四本ほんぶら下さげて、今日けふは御馳走ごちそうを買かつて來きたと云いつて、それを宜道ぎだうに煑にてもらつて食くつた。宜道ぎだうも宗助そうすけも其その相伴しやうばんをした。此この居士こじは顏かほが坊ばうさんらしいので、時々ときき僧堂そうだうの衆しゆうに交まじつて、村むらの御齋おとき抔などに出掛でかける事ことがあるとか云いつて宜道ぎだうが笑わらつてゐた。 其外そのほか俗人ぞくじんで山やまへ修業しゆげふに來きてゐる人ひとの話はなしも色々いろろ聞きいた。中なかに筆墨ふですみを商あきなふ男をとこがゐた。脊中せなかへ荷にを一杯いつぱい負しよつて、二十日はつかなり三十日さんじふにちなり、其所そこ等ら中ぢゆう回まはつて歩あるいて、略ほゞ賣うり盡つくしてしまふと山やまへ歸かへつて來きて坐禪ざぜんをする。それから少時しばらくして食くふものがなくなると、又また筆墨ふですみを脊せに載のせて行商ぎやうしやうに出でる。彼かれは此この兩面りやうめんの生活せいくわつを、殆ほとんど循環じゆんくわん小數せうすうの如ごとく繰くり返かへして、飽あく事ことを知しらないのだと云いふ。
 宗助そうすけは一見いつけんこだわりの無なささうな是等これらの人ひとの月日つきひと、自分じぶんの内面ないめんにある今いまの生活せいくわつとを比くらべて、其その懸隔けんかくの甚はなはだしいのに驚おどろいた。そんな氣樂きらくな身分みぶんだから坐禪ざぜんが出來できるのか、或あるひは坐禪ざぜんをした結果けつくわさういふ氣樂きらくな心こゝろになれるのか迷まよつた。
「氣樂きらくでは不可いけません。道樂だうらくに出來できるものなら、二十年ねんも三十年ねんも雲水うんすゐをして苦くるしむものはありません」と宜道ぎだうは云いつた。
 彼かれは坐禪ざぜんをするときの一般いつぱんの心得こゝろえや、老師らうしから公案こうあんの出でる事ことや、其その公案こうあんに一生懸命いつしやうけんめい噛かじり付ついて、朝あさも晩ばんも晝ひるも夜よるも噛かじりつゞけに噛かじらなくては不可いけない事ことやら、凡すべて今いまの宗助そうすけには心元こゝろもとなく見みえる助言じよごんを與あたへた末すゑ、「御室おへやへ御案内ごあんないしませう」と云いつて立たち上あがつた。
 圍爐裏ゐろりの切きつてある所ところを出でて、本堂ほんだうを横よこに拔ぬけて、其その外はづれにある六疊でふの座敷ざしきの障子しやうじを縁えんから開あけて、中なかへ案内あんないされた時とき、宗助そうすけは始はじめて一人ひとり遠とほくに來きた心持こゝろもちがした。けれども頭あたまの中なかは、周圍しうゐの幽靜いうせいな趣おもむきと反照はんせうするためか、却かへつて町まちにゐるときよりも動搖どうえうした。
 約やく一時間じかんもしたと思おもふ頃ころ宜道ぎだうの足音あしおとが又また本堂ほんだうの方はうから響ひゞいた。
「老師らうしが相見しやうけんになるさうで御座ございますから、御都合ごつがふが宜よろしければ參まゐりませう」と云いつて、丁寧ていねいに敷居しきゐの上うへに膝ひざを突ついた。
 二人ふたりは又また寺てらを空からにして連立つれだつて出でた。山門さんもんの通とほりを略ほゞ一丁ちやう程ほど奧おくへ來くると、左側ひだりがはに蓮池はすいけがあつた。寒さむい時分じぶんだから池いけの中なかはたゞ薄濁うすにごりに淀よどんでゐる丈だけで、少すこしも清淨しやうじやうな趣おもむきはなかつたが、向側むかふがはに見みえる高たかい石いしの崖外がけはづれ迄まで、縁えんに欄干らんかんのある座敷ざしきが突つき出だして居ゐる所ところが、文人畫ぶんじんぐわにでもありさうな風致ふうちを添そへた。
「彼所あすこが老師らうしの住すんでゐられる所ところです」と宜道ぎだうは比較的ひかくてき新あたらしい其その建物たてものを指ゆびさした。 二人ふたりは蓮池はすいけの前まへを通とほり越こして、五六級きふの石段いしだんを上のぼつて、其その正面しやうめんにある大おほきな伽藍がらんの屋根やねを仰あふいだまゝ直すぐ左ひだりへ切きれた。玄關げんくわんへ差さしかゝつた時とき、宜道ぎだうは
「一寸ちよつと失禮しつれいします」と云いつて、自分じぶん丈だけ裏口うらぐちの方はうへ回まはつたが、やがて奧おくから出でて來きて、
「さあ何どうぞ」と案内あんないをして、老師らうしのゐる所ところへ伴つれて行いつた。
 老師らうしといふのは五十格好がつかうに見みえた。赭黒あかぐろい光澤つやのある顏かほをしてゐた。其その皮膚ひふも筋肉きんにくも悉ことごとく緊しまつて、何所どこにも怠おこたりのない所ところが、銅像どうざうのもたらす印象いんしやうを、宗助そうすけの胸むねに彫ほり付つけた。たゞ唇くちびるがあまり厚過あつすぎるので、其所そこに幾分いくぶんの弛ゆるみが見みえた。其その代かはり彼かれの眼めには、普通ふつうの人間にんげんに到底たうてい見みるべからざる一種いつしゆの精彩せいさいが閃ひらめいた。宗助そうすけが始はじめて其その視線しせんに接せつした時ときは、暗中あんちゆうに卒然そつぜんとして白刄はくじんを見みる思おもひがあつた。
「まあ何なにから入はひつても同おなじであるが」と老師らうしは宗助そうすけに向むかつて云いつた。「父母ふぼ未生みしやう以前いぜん本來ほんらいの面目めんもくは何なんだか、それを一ひとつ考かんがへて見みたら善よかろう」
 宗助そうすけには父母ふぼ未生みしやう以前いぜんといふ意味いみがよく分わからなかつたが、何なにしろ自分じぶんと云いふものは必竟ひつきやう何物なにものだか、其その本體ほんたいを捕つらまへて見みろと云いふ意味いみだらうと判斷はんだんした。それより以上いじやう口くちを利きくには、餘あまり禪ぜんといふものゝ知識ちしきに乏とぼしかつたので、默だまつて又また宜道ぎだうに伴つれられて一窓庵いつさうあんへ歸かへつて來きた。 晩食ばんめしの時とき宜道ぎだうは宗助そうすけに、入室にふしつの時間じかんの朝夕てうせき二回くわいあることゝ、提唱ていしやうの時間じかんが午前ごぜんである事ことなどを話はなした上うへ、
「今夜こんやは未まだ見解けんげも出來できないかも知しれませんから、明朝みやうてうか明晩みやうばん御誘おさそひ申まをしませう」と親切しんせつに云いつて呉くれた。夫それから最初さいしよのうちは、詰つめて坐すはるのは難儀なんぎだから線香せんかうを立たてゝ、それで時間じかんを計はかつて、少すこし宛づゝ休やすんだら好よからうと云いふ樣やうな注意ちゆういもして呉くれた。
 宗助そうすけは線香せんかうを持もつて、本堂ほんだうの前まへを通とほつて自分じぶんの室へやと極きまつた六疊でふに這入はいつて、ぼんやりして坐すわつた。彼かれから云いふと所謂いはゆる公案こうあんなるものゝ性質せいしつが、如何いかにも自分じぶんの現在げんざいと縁えんの遠とほい樣やうな氣きがしてならなかつた。自分じぶんは今いま腹痛ふくつうで惱なやんでゐる。其その腹痛ふくつうと言いふ訴うつたへを抱いだいて來きて見みると、豈計あにはからんや、其その對症たいしやう療法れうはふとして、六むづかしい數學すうがくの問題もんだいを出だして、まあ是これでも考かんがへたら可よからうと云いはれたと一般いつぱんであつた。考かんがへろと云いはれゝば、考かんがへないでもないが、それは一應いちおう腹痛ふくつうが治をさまつてからの事ことでなくては無理むりであつた。
 同時どうじに彼かれは勤つとめを休やすんでわざざ此所こゝ迄まで來きた男をとこであつた。紹介状せうかいじやうを書かいて呉くれた人ひと、萬事ばんじに氣きを付つけて呉くれる宜道ぎだうに對たいしても、あまりに輕卒けいそつな振舞ふるまひは出來できなかつた。彼かれは先まづ現在げんざいの自分じぶんが許ゆるす限かぎりの勇氣ゆうきを提ひつさげて、公案こうあんに向むかはうと決心けつしんした。それが何いづれの所ところに彼かれを導みちびいて、どんな結果けつくわを彼かれの心こゝろに持もち來きたすかは、彼かれ自身じしんと雖いへども全まつたく知しらなかつた。彼かれは悟さとりといふ美名びめいに欺あざむかれて、彼かれの平生へいぜいに似合にあはぬ冒險ばうけんを試こゝろみやうと企くはだてたのである。さうして、もし此この冒險ばうけんに成功せいこうすれば、今いまの不安ふあんな不定ふていな弱々よわわしい自分じぶんを救すくふ事ことが出來できはしまいかと、果敢はかない望のぞみを抱いだいたのである。 彼かれは冷つめたい火鉢ひばちの灰はひの中なかに細ほそい線香せんかうを燻くゆらして、教をしへられた通とほり坐蒲團ざぶとんの上うへに半跏はんかを組くんだ。晝ひるのうちは左迄さまでとは思おもはなかつた室へやが、日ひが落おちてから急きふに寒さむくなつた。彼かれは坐すわりながら、脊中せなかのぞくくする程ほど温度をんどの低ひくい空氣くうきに堪たへなかつた。
 彼かれは考かんがへた。けれども考かんがへる方向はうかうも、考かんがへる問題もんだいの實質じつしつも、殆ほとんど捕つらまえ樣やうのない空漠くうばくなものであつた。彼かれは考かんがへながら、自分じぶんは非常ひじやうに迂濶うくわつな眞似まねをしてゐるのではなからうかと疑うたがつた。火事くわじ見舞みまひに行ゆく間際まぎはに、細こまかい地圖ちづを出だして、仔細しさいに町名ちやうめいや番地ばんちを調しらべてゐるよりも、ずつと飛とび離はなれた見當違けんたうちがひの所作しよさを演えんじてゐる如ごとく感かんじた。
 彼かれの頭あたまの中なかを色々いろろなものが流ながれた。其そのあるものは明あきらかに眼めに見みえた。あるものは混沌こんとんとして雲くもの如ごとくに動うごいた。何所どこから來きて何所どこへ行いくとも分わからなかつた。たゞ先さきのものが消きえる、すぐ後あとから次つぎのものが現あらはれた。さうして仕切しきりなしに夫それから夫それへと續つゞいた。頭あたまの徃來わうらいを通とほるものは、無限むげんで無數むすうで無盡藏むじんざうで、決けつして宗助そうすけの命令めいれいによつて、留とまる事ことも休やすむ事こともなかつた。斷たち切きらうと思おもへば思おもふ程ほど、滾々こんんとして湧わいて出でた。 宗助そうすけは怖こはくなつて、急きふに日常にちじやうの我われを呼よび起おこして、室へやの中なかを眺ながめた。室へやは微かすかな灯ひで薄暗うすぐらく照てらされてゐた。灰はひの中なかに立たてた線香せんかうは、まだ半分はんぶん程ほどしか燃もえてゐなかつた。宗助そうすけは恐おそるべく時間じかんの長ながいのに始はじめて氣きが付ついた。
 宗助そうすけはまた考かんがへ始はじめた。すると、すぐ色いろのあるもの、形かたちのあるものが頭あたまの中なかを通とほり出だした。ぞろろと群むらがる蟻ありの如ごとくに動うごいて行ゆく、あとから又またぞろろと群むらがる蟻ありの如ごとくに現あらはれた。凝じつとしてゐるのはたゞ宗助そうすけの身體からだ丈だけであつた。心こゝろは切せつない程ほど、苦くるしい程ほど、堪たえがたい程ほど動うごいた。
 其内そのうち凝じつとしてゐる身體からだも、膝頭ひざがしらから痛いたみ始はじめた。眞直まつすぐに延のばしてゐた脊髓せきずゐが次第々々しだいいに前まへの方はうに曲まがつて來きた。宗助そうすけは兩手りやうてで左ひだりの足あしの甲かふを抱かゝえる樣やうにして下したへ卸おろした。彼かれは何なにをする目的めあてもなく室へやの中なかに立たち上あがつた。障子しやうじを明あけて表おもてへ出でて、門前もんぜんをぐるる駈かけ回まはつて歩あるきたくなつた。夜よはしんとしてゐた。寐ねてゐる人ひとも起おきてゐる人ひとも何處どこにも居をりさうには思おもへなかつた。宗助そうすけは外そとへ出でる勇氣ゆうきを失うしなつた。凝じつと生いきながら妄想まうざうに苦くるしめられるのは猶なほ恐おそろしかつた。 彼かれは思おもひ切きつて又また新あたらしい線香せんかうを立たてた。さうして又また略ほゞ前ぜんと同おなじ過程くわていを繰くり返かへした。最後さいごに、もし考かんがへるのが目的もくてきだとすれば、坐すわつて考かんがへるのも寐ねて考かんがへるのも同おなじだらうと分別ふんべつした。彼かれは室へやの隅すみに疊たゝんであつた薄汚うすぎたない蒲團ふとんを敷しいて、其中そのなかに潛もぐり込こんだ。すると先刻さつきからの疲つかれで、何なにを考かんがへる暇ひまもないうちに、深ふかい眠ねむりに落おちて仕舞しまつた。
 眼めが覺さめると枕元まくらもとの障子しやうじが何時いつの間まにか明あかるくなつて、白しろい紙かみにやがて日ひの逼せまるべき色いろが動うごいた。晝ひるも留守るすを置おかずに濟すむ山寺やまでらは、夜よに入いつても戸とを閉たてる音おとを聞きかなかつたのである。宗助そうすけは自分じぶんが坂井さかゐの崖下がけしたの暗くらい部屋へやに寐ねてゐたのでないと意識いしきするや否いなや、すぐ起おき上あがつた。縁えんへ出でると、軒端のきばに高たかく大霸王樹おほさぼてんの影かげが眼めに映うつつた。宗助そうすけは又また本堂ほんだうの佛壇ぶつだんの前まへを拔ぬけて、圍爐裏ゐろりの切きつてある昨日きのふの茶ちやの間まへ出でた。其所そこには昨日きのふの通とほり宜道ぎだうの法衣ころもが折釘をれくぎに懸かけてあつた。さうして本人ほんにんは勝手かつての竈かまどの前まへに蹲踞うづくまつて、火ひを焚たいてゐた。宗助そうすけを見みて、「御早おはやう」と慇懃いんぎんに禮れいをした。「先刻さつき御誘おさそひ申まをさうと思おもひましたが、よく御寢おやすみの樣やうでしたから、失禮しつれいして一人ひとり參まゐりました」
 宗助そうすけは此この若わかい僧そうが、今朝けさ夜明よあけがたに既すでに參禪さんぜんを濟すまして、夫それから歸かへつて來きて、飯めしを炊かしいでゐるのだといふ事ことを知しつた。
 見みると彼かれは左ひだりの手てで頻しきりに薪まきを差さし易かへながら、右みぎの手てに黒くろい表紙へうしの本ほんを持もつて、用ようの合間々々あひままに夫それを讀よんでゐる樣子やうすであつた。宗助そうすけは宜道ぎだうに書物しよもつの名なを尋たづねた。それは碧巖集へきがんしふといふ六むづかしい名前なまへのものであつた。宗助そうすけは腹はらの中なかで、昨夕ゆうべの樣やうに當途あてどもない考かんがへに耽ふけつて、腦なうを疲つからすより、一層いつそ其その道みちの書物しよもつでも借かりて讀よむ方はうが、要領えうりやうを得える捷徑ちかみちではなからうかと思おもひ付ついた。宜道ぎだうにさう云いふと、宜道ぎだうは一も二もなく宗助そうすけの考かんがへを排斥はいせきした。
「書物しよもつを讀よむのは極ごく惡わるう御座ございます。有體ありていに云いふと、讀書どくしよ程ほど修業しゆげふの妨さまたげになるものは無ない樣やうです。私共わたくしどもでも、斯かうして碧巖へきがん抔などを讀よみますが、自分じぶんの程度ていど以上いじやうの所ところになると、丸まるで見當けんたうが付つきません。それを好加減いゝかげんに揣摩しまする癖くせがつくと、それが坐すわる時ときの妨さまたげになつて、自分じぶん以上いじやうの境界きやうがいを豫期よきして見みたり、悟さとりを待まち受うけて見みたり、充分じゆうぶん突込つつこんで行ゆくべき所ところに頓挫とんざが出來できます。大變たいへん毒どくになりますから、御止およしになつた方はうが可よいでせう。もし強しいて何なにか御讀およみになりたければ、禪關策進ぜんくわんさくしんといふ樣やうな、人ひとの勇氣ゆうきを鼓舞こぶしたり激勵げきれいしたりするものが宜よろしう御座ございませう。それだつて、只たゞ刺戟しげきの方便はうべんとして讀よむ丈だけで、道みち其物そのものとは無關係むくわんけいです」 宗助そうすけには宜道ぎだうの意味いみがよく解わからなかつた。彼かれは此この生若なまわかい青あをい頭あたまをした坊ばうさんの前まへに立たつて、恰あたかも一個この低能兒ていのうじであるかの如ごとき心持こゝろもちを起おこした。彼かれの慢心まんしんは京都きやうと以來いらい既すでに銷磨せうまし盡つくしてゐた。彼かれは平凡へいぼんを分ぶんとして、今日こんにち迄まで生いきて來きた。聞達ぶんたつ程ほど彼かれの心こゝろに遠とほいものはなかつた。彼かれはたゞ有ありの儘まゝの彼かれとして、宜道ぎだうの前まへに立たつたのである。しかも平生へいぜいの自分じぶんより遙はるかに無力むりよく無能むのうな赤子あかごであると、更さらに自分じぶんを認みとめざるを得えなくなつた。彼かれに取とつては新あたらしい發見はつけんであつた。同時どうじに自尊心じそんしんを根絶こんぜつする程ほどの發見はつけんであつた。
 宜道ぎだうが竈へつつひの火ひを消けして飯めしをむらしてゐる間あひだに、宗助そうすけは臺所だいどころから下おりて庭にはの井戸端ゐどばたへ出でて顏かほを洗あらつた。鼻はなの先さきにはすぐ雜木山ざふきやまが見みへた。其その裾すその少すこし平たひらな所ところを拓ひらいて、菜園さいゑんが拵こしらえてあつた。宗助そうすけは濡ぬれた頭あたまを冷つめたい空氣くうきに曝さらして、わざと菜園さいゑん迄まで下おりて行いつた。さうして、其所そこに崖がけを横よこに掘ほつた大おほきな穴あなを見出みいだした。宗助そうすけは少時しばらく其前そのまへに立たつて、暗くらい奧おくの方はうを眺ながめてゐた。やがて、茶ちやの間まへ歸かへると、圍爐裏ゐろりには暖あたゝかい火ひが起おこつて、鐵瓶てつびんに湯ゆの沸たぎる音おとが聞きこえた。「手てがないものだから、つい遲おそくなりまして御氣おきの毒どくです。すぐ御膳ごぜんに致いたしませう。然しかしこんな所ところだから上あげるものがなくつて困こまります。其その代かはり明日あしたあたりは御馳走ごちそうに風呂ふろでも立たてませう」と宜道ぎだうが云いつて呉くれた。宗助そうすけは難有ありがたく圍爐裏ゐろりの向むかふに坐すわつた。
 やがて食事しよくじを了をえて、わが室へやへ歸かへつた宗助そうすけは、又また父母ふぼ未生みしやう以前いぜんと云いふ稀有けうな問題もんだいを眼めの前まへに据すゑて、凝じつと眺ながめた。けれども、もとと筋すぢの立たたない、從したがつて發展はつてんのしやうのない問題もんだいだから、いくら考かんがへても何處どこからも手てを出だす事ことは出來できなかつた。さうして、すぐ考かんがへるのが厭いやになつた。宗助そうすけは不圖ふと御米およねに此所こゝへ着ついた消息せうそくを書かかなければならない事ことに氣きが付ついた。彼かれは俗用ぞくようの生しやうじたのを喜よろこぶ如ごとくに、すぐ鞄かばんの中なかから卷紙まきがみと封ふうじ袋ぶくろを取とり出だして、御米およねに遣やる手紙てがみを書かき始はじめた。まづ此所こゝの閑靜かんせいな事こと、海うみに近ちかい所爲せゐか、東京とうきやうよりは餘程よほど暖あたゝかい事こと、空氣くうきの清朗せいらうな事こと、紹介せうかいされた坊ばうさんの親切しんせつな事こと、食事しよくじの不味まづい事こと、夜具やぐ蒲團ふとんの綺麗きれいに行いかない事こと、などを書かき連つらねてゐるうちに、はや三尺じやく餘あまりの長ながさになつたので、其所そこで筆ふでを擱おいたが、公案こうあんに苦くるしめられてゐる事ことや、坐禪ざぜんをして膝ひざの關節くわんせつを痛いたくしてゐる事ことや、考かんがへるために益ますす神經衰弱しんけいすゐじやくが劇はげしくなりさうな事ことは、噫おくびにも出ださなかつた。彼かれは此この手紙てがみに切手きつてを貼はつて、ポストに入いれなければならない口實こうじつを求もとめて、早速さつそく山やまを下くだつた。さうして父母ふぼ未生みしやう以前いぜんと、御米およねと、安井やすゐに、脅おびやかされながら、村むらの中なかをうろついて歸かへつた。 午ひるには、宜道ぎだうから話はなしのあつた居士こじに會あつた。此この居士こじは茶碗ちやわんを出だして、宜道ぎだうに飯めしを盛よそつて貰もらふとき、憚はゞかり樣さまとも何なんとも云いはずに、たゞ合掌がつしやうして禮れいを述のべたり、相圖あひづをしたりした。此この位くらゐ靜しづかに物事ものごとを爲するのが法ほふだとか云いつた。口くちを利きかず、音おとを立たてないのは、考かんがへの邪魔じやまになると云いふ精神せいしんからださうであつた。それ程ほど眞劍しんけんにやるべきものをと、宗助そうすけは昨夜さくやからの自分じぶんが、何なんとなく耻はづかしく思おもはれた。
 食後しよくご三人にんは圍爐裏ゐろりの傍はたでしばらく話はなした。其時そのとき居士こじは、自分じぶんが坐禪ざぜんをしながら、何時いつか氣きが付つかずにうととと眠ねむつて仕舞しまつてゐて、はつと正氣しやうきに歸かへる間際まぎはに、おや悟さとつたなと喜よろこぶことがあるが、さて愈いよよ眼めを開あいて見みると、矢やつ張ぱり元もとの通とほりの自分じぶんなので失望しつばうする許ばかりだと云いつて、宗助そうすけを笑わらはした。斯かう云いふ氣樂きらくな考かんがへで、參禪さんぜんしてゐる人ひともあると思おもふと、宗助そうすけも多少たせうは寛くつろいだ。けれども三人にんが分わかれれに自分じぶんの室へやに入はひる時とき、宜道ぎだうが、
「今夜こんやは御誘おさそひ申まをしますから、是これから夕方ゆふがた迄までしつかり御坐おすわりなさいまし」と眞面目まじめに勸すゝめたとき、宗助そうすけは又また一種いつしゆの責任せきにんを感かんじた。消化こなれない堅かたい團子だんごが胃ゐに滯とゞこうつてゐる樣やうな不安ふあんな胸むねを抱いだいて、わが室へやへ歸かへつて來きた。さうして又また線香せんかうを焚たいて坐すはり出だした。其癖そのくせ夕方ゆふがた迄までは坐すわり續つゞけられなかつた。どんな解答かいたふにしろ一ひとつ拵こしらへて置おかなければならないと思おもひながらも、仕舞しまひには根氣こんきが盡つきて、早はやく宜道ぎだうが夕食ゆふめしの報知しらせに本堂ほんだうを通とほり拔ぬけて來きて呉くれゝば好いいと、夫そればかり氣きに掛かかつた。 日ひは懊惱あうなうと困憊こんぱいの裡うちに傾かたむいた。障子しやうじに映うつる時ときの影かげが次第しだいに遠とほくへ立たち退のくにつれて、寺てらの空氣くうきが床ゆかの下したから冷ひえ出だした。風かぜは朝あさから枝えだを吹ふかなかつた。縁側えんがはに出でて、高たかい庇ひさしを仰あふぐと、黒くろい瓦かはらの小口こぐち丈だけが揃そろつて、長ながく一列れつに見みえる外そとに、穩おだやかな空そらが、蒼あをい光ひかりをわが底そこの方はうに沈しづめつゝ、自分じぶんと薄うすくなつて行ゆく所ところであつた。

十九

「危險あぶなう御座ございます」と云いつて宜道ぎだうは一足先ひとあしさきへ暗くらい石段いしだんを下おりた。宗助そうすけはあとから續つゞいた。町まちと違ちがつて夜よるになると足元あしもとが惡わるいので、宜道ぎだうは提灯ちやうちんを點つけて僅わづか一丁ちやう許ばかりの路みちを照てらした。石段いしだんを下おり切きると、大おほきな樹きの枝えだが左右さいうから二人ふたりの頭あたまに蔽おひ被かぶさる樣やうに空そらを遮さへぎつた。闇やみだけれども蒼あをい葉はの色いろが二人ふたりの着物きものの織目おりめに染しみ込こむ程ほどに宗助そうすけを寒さむがらせた。提灯ちやうちんの灯ひにも其その色いろが多少たせう映うつる感かんじがあつた。其その提灯ちやうちんは一方いつぱうに大おほきな樹きの幹みきを想像さうざうする所爲せゐか、甚はなはだ小ちひさく見みえた。光ひかりの地面ぢめんに屆とゞく尺數しやくすうも僅わづかであつた。照てらされた部分ぶぶんは明あかるい灰色はひいろの斷片だんぺんとなつて暗くらい中なかにほつかり落おちた。さうして二人ふたりの影かげが動うごくに伴つれて動うごいた。 蓮池れんちを行ゆき過すぎて、左ひだりへ上のぼる所ところは、夜よるはじめての宗助そうすけに取とつて、少すこし足元あしもとが滑なめらかに行いかなかつた。土つちの中なかに根ねを食くつてゐる石いしに、一二度ど下駄げたの臺だいを引ひつ掛かけた。蓮池れんちの手前てまへから横よこに切きれる裏路うらみちもあるが、此この方はうは凸凹とつあふが多おほくて、慣なれない宗助そうすけには近ちかくても不便ふべんだらうと云いふので、宜道ぎだうはわざざ廣ひろい方はうを案内あんないしたのである。
 玄關げんくわんを入はひると、暗くらい土間どまに下駄げたが大分だいぶ並ならんでゐた。宗助そうすけは曲こゞんで、人ひとの履物はきものを踏ふまない樣やうにそつと上うへへのぼつた。室へやは八疊でふ程ほどの廣ひろさであつた。其その壁際かべぎはに列れつを作つくつて、六七人にんの男をとこが一側ひとかはに並ならんでゐた。中なかに頭あたまを光ひからして、黒くろい法衣ころもを着きた僧そうも交まじつてゐた。他ほかのものは大概たいがい袴はかまを穿はいてゐた。此この六七人にんの男をとこは上あがり口ぐちと奧おくへ通つうずる三尺じやくの廊下口らうかぐちを殘のこして、行儀ぎやうぎよく鉤かぎの手てに並ならんでゐた。さうして、一言ひとことも口くちを利きかなかつた。宗助そうすけは是等これらの人ひとの顏かほを一目ひとめ見みて、まづ其その峻刻しゆんこくなのに氣きを奪うばはれた。彼等かれらは皆みな固かたく口くちを結むすんでゐた。事ことありげな眉まゆを強つよく寄よせてゐた。傍そばにどんな人ひとがゐるか見向みむきもしなかつた。如何いかなるものが外そとから入はひつて來きても、全まつたく注意ちゆういしなかつた。彼等かれらは活いきた彫刻てうこくの樣やうに己おのれを持ぢして、火ひの氣けのない室へやに肅然しゆくぜんと坐すわつてゐた。宗助そうすけの感覺かんかくには、山寺やまでらの寒さむさ以上いじやうに、一種いつしゆ嚴おごそかな氣きが加くははつた。 やがて寂寞せきばくの中うちに、人ひとの足音あしおとが聞きこえた。初はじめは微かすかに響ひゞいたが、次第しだいに強つよく床ゆかを踏ふんで、宗助そうすけの坐すわつてゐる方はうへ近付ちかづいて來きた。仕舞しまひに一人ひとりの僧そうが廊下口らうかぐちからぬつと現あらはれた。さうして宗助そうすけの傍そばを通とほつて、默だまつて外そとの暗くらがりへ拔ぬけて行いつた。すると遠とほくの奧おくの方はうで鈴れいを振ふる音おとがした。
 此この時とき宗助そうすけと並ならんで嚴肅げんしゆくに控ひかえてゐた男をとこのうちで、小倉こくらの袴はかまを着つけた一人いちにんが、矢張やはり無言むごんの儘まゝ立たち上あがつて、室へやの隅すみの廊下口らうかぐちの眞正面ましやうめんへ來きて着座ちやくざした。其所そこには高たかさ二尺しやく幅はゞ一尺しやく程ほどの木きの枠わくの中なかに、銅鑼どらの樣やうな形かたちをした、銅鑼どらよりも、ずつと重おもくて厚あつさうなものが懸かゝつてゐた。色いろは蒼黒あをぐろく貧まづしい灯ひに照てらされてゐた。袴はかまを着つけた男をとこは、臺だいの上うへにある撞木しゆもくを取とり上あげて、銅鑼どらに似にた鐘かねの眞中まんなかを二ふたつ程ほど打うち鳴ならした。さうして、ついと立たつて、廊下口らうかぐちを出でて、奧おくの方はうへ進すゝんで行いつた。今度こんどは前まへと反對はんたいに、足音あしおとが段々だんん遠とほくの方はうへ去さるに從したがつて、微かすかになつた。さうして一番いちばん仕舞しまひにぴたりと何處どこかで留とまつた。宗助そうすけは坐ゐながら、はつとした。彼かれは此この袴はかまを着つけた男をとこの身みの上うへに、今いま何事なにごとが起おこりつゝあるだらうかを想像さうざうしたのである。けれども奧おくはしんとして靜しづまり返かへつてゐた。宗助そうすけと並ならんでゐるものも、一人ひとりとして顏かほの筋肉きんにくを動うごかすものはなかつた。たゞ宗助そうすけは心こゝろの中なかで、奧おくからの何物なにものかを待まち受うけた。すると忽然こつぜんとして鈴れいを振ふる響ひゞきが彼かれの耳みゝに應こたへた。同時どうじに長ながい廊下らうかを踏ふんで、此方こちらへ近付ちかづく足音あしおとがした。袴はかまを着つけた男をとこは又また廊下口らうかぐちから現あらはれて、無言むごんの儘まゝ玄關げんくわんを下おりて、霜しもの裡うちに消きえ去さつた。入いれ代かはつて又また新あたらしい男をとこが立たつて、最前さいぜんの鐘かねを打うつた。さうして、又また廊下らうかを踏ふみ鳴ならして奧おくの方はうへ行いつた。宗助そうすけは沈默ちんもくの間あひだに行おこなはれる此この順序じゆんじよを見みながら、膝ひざに手てを載のせて、自分じぶんの番ばんの來くるのを待まつてゐた。 自分じぶんより一人ひとり置おいて前まへの男をとこが立たつて行いつた時ときは、良やゝ暫しばらくしてから、わつと云いふ大おほきな聲こゑが、奧おくの方はうで聞きこえた。其その聲こゑは距離きよりが遠とほいので、劇はげしく宗助そうすけの鼓膜こまくを打うつ程ほど、強つよくは響ひゞかなかつたけれども、たしかに精一杯せいいつぱい威ゐを振ふるつたものであつた。さうして只たゞ一人いちにんの咽喉のどから出でた個人こじんの特色とくしよくを帶おびてゐた。自分じぶんのすぐ前まへの人ひとが立たつた時ときは、愈いよよわが番ばんが回まはつて來きたと云いふ意識いしきに制せいせられて、一層いつそう落付おちつきを失うしなつた。
 宗助そうすけは此間このあひだの公案こうあんに對たいして、自分じぶん丈だけの解答かいたふは準備じゆんびしてゐた。けれども、それは甚はなはだ覺束おぼつかない薄手うすでのものに過すぎなかつた。室中しつちゆうに入いる以上いじやうは、何なにか見解けんげを呈ていしない譯わけに行いかないので、已やむを得えず納をさまらない所ところを、わざと納をさまつた樣やうに取繕とりつくろつた、其場そのば限かぎりの挨拶あいさつであつた。彼かれは此この心細こゝろぼそい解答かいたふで、僥倖げうかうにも難關なんくわんを通過つうかして見みたい抔などとは、夢ゆめにも思おもひ設まうけなかつた。老師らうしを胡麻化ごまかす氣きは無論むろんなかつた。其時そのときの宗助そうすけはもう少すこし眞面目まじめであつたのである。單たんに頭あたまから割わり出だした、恰あたかも畫ゑにかいた餠もちの樣やうな代物しろものを持もつて、義理ぎりにも室中しつちゆうに入いらなければならない自分じぶんの空虚くうきよな事ことを耻はぢたのである。 宗助そうすけは人ひとのする如ごとくに鐘かねを打うつた。しかも打うちながら、自分じぶんは人並ひとなみに此この鐘かねを撞木しゆもくで敲たゝくべき權能けんのうがないのを知しつてゐた。それを人並ひとなみに鳴ならして見みる猿さるの如ごとき己おのれを深ふかく嫌忌けんきした。
 彼かれは弱味よわみのある自分じぶんに恐おそれを抱いだきつゝ、入口いりぐちを出でて冷つめたい廊下らうかへ足あしを踏ふみ出だした。廊下らうかは長ながく續つゞいた。右側みぎがはにある室へやは悉こととく暗くらかつた。角かどを二ふたつ折をれ曲まがると、向むかふの外はづれの障子しやうじに灯影ひかげが差さした。宗助そうすけは其その敷居際しきゐぎはへ來きて留とまつた。
 室中しつちゆうに入いるものは老師らうしに向むかつて三拜さんぱいするのが禮れいであつた。拜はいしかたは普通ふつうの挨拶あいさつの樣やうに頭あたまを疊たゝみに近ちかく下さげると同時どうじに、兩手りやうての掌てのひらを上向うへむきに開ひらいて、夫それを頭あたまの左右さいうに並ならべたまゝ、少すこし物ものを抱かゝへた心持こゝろもちに耳みゝの邊あたり迄まで上あげるのである。宗助そうすけは敷居際しきゐぎはに跪ひざまづいて形かたの如ごとく拜はいを行おこなつた。すると座敷ざしきの中なかで、
「一拜いつぱいで宜よろしい」と云いふ會釋ゑしやくがあつた。宗助そうすけはあとを略りやくして中なかへ入はひつた。
 室へやの中なかはたゞ薄暗うすぐらい灯ひに照てらされてゐた。其その弱よわい光ひかりは、如何いかに大字だいじな書物しよもつをも披見ひけんせしめぬ程度ていどのものであつた。宗助そうすけは今日こんにち迄までの經驗けいけんに訴うつたへて、これ位くらゐ微かすかな燈火ともしびに、夜よを營いとなむ人間にんげんを憶おもひ起おこす事ことが出來できなかつた。其その光ひかりは無論むろん月つきよりも強つよかつた。且かつ月つきの如ごとく蒼白あをじろい色いろではなかつた。けれどももう少すこしで朦朧もうろうの境さかひに沈しづむべき性質たちのものであつた。 此この靜しづかな判然はつきりしない燈火ともしびの力ちからで、宗助そうすけは自分じぶんを去さる四五尺しやくの正面しやうめんに、宜道ぎだうの所謂いはゆる老師らうしなるものを認みとめた。彼かれの顏かほは例れいによつて鑄物いものの樣やうに動うごかなかつた。色いろは銅あかゞねであつた。彼かれは全身ぜんしんに澁しぶに似にた柿かきに似にた茶ちやに似にた色いろの法衣ころもを纏まとつてゐた。足あしも手ても見みえなかつた。たゞ頸くびから上うへが見みえた。其その頸くびから上うへが、嚴肅げんしゆくと緊張きんちやうの極度きよくどに安やすんじて、何時いつ迄まで經たつても變かはる恐おそれを有いうせざる如ごとくに人ひとを魅みした。さうして頭あたまには一本ぽんの毛けもなかつた。
 此この面前めんぜんに氣力きりよくなく坐すわつた宗助そうすけの、口くちにした言葉ことばはたゞ一句くで盡つきた。
「もつと、ぎろりとした所ところを持もつて來こなければ駄目だめだ」と忽たちまち云いはれた。「其その位くらゐな事ことは少すこし學問がくもんをしたものなら誰だれでも云いへる」
 宗助そうすけは喪家さうかの犬いぬの如ごとく室中しつちゆうを退しりぞいた。後のちに鈴れいを振ふる音おとが烈はげしく響ひゞいた。

二十

 障子しやうじの外そとで野中のなかさん、野中のなかさんと呼よぶ聲こゑが二度にど程ほど聞きこえた。宗助そうすけは半睡はんすゐの裡うちにはいと應こたへた積つもりであつたが、返事へんじを仕切しきらない先さきに、早はやく知覺ちかくを失うしなつて、又また正體しやうたいなく寐入ねいつてしまつた。 二度目どめに眼めが覺さめた時とき、彼かれは驚おどろいて飛とび起おきた。縁側えんがはへ出でると、宜道ぎだうが鼠木綿ねずみもめんの着物きものに襷たすきを掛かけて、甲斐々々かひひしく其所そこいらを拭ふいてゐた。赤あかく凍かじかんだ手てで、濡雜巾ぬれざふきんを絞しぼりながら、例れいの如ごとく柔和やさしいにこやかな顏かほをして、
「御早おはやう」と挨拶あいさつした。彼かれは今朝けさも亦またとくに參禪さんぜんを濟すました後のち、斯かうして庵あんに歸かへつて働はたらいてゐたのである。宗助そうすけはわざざ呼よび起おこされても起おき得えなかつた自分じぶんの怠慢たいまんを省かへりみて、全まつたく極きまりの惡わるい思おもひをした。
「今朝けさもつい寐忘ねわすれて失禮しつれいしました」
 彼かれはこそそ勝手口かつてぐちから井戸端ゐどばたの方はうへ出でた。さうして冷つめたい水みづを汲くんで出來できる丈だけ早はやく顏かほを洗あらつた。延のび掛かかつた髯ひげが、頬ほゝの邊あたりで手てを刺さす樣やうにざららしたが、今いまの宗助そうすけにはそれを苦くにする程ほどの餘裕よゆうはなかつた。彼かれはしきりに宜道ぎだうと自分じぶんとを對照たいせうして考かんがへた。
 紹介状せうかいじやうを貰もらふときに東京とうきやうで聞きいた所ところによると、此この宜道ぎだうといふ坊ばうさんは、大變たいへん性質たちの可いい男をとこで、今いまでは修業しゆげふも大分だいぶ出來でき上あがつてゐると云いふ話はなしだつたが、會あつて見みると、丸まるで一丁字いつていじもない小廝こものの樣やうに丁寧ていねいであつた。かうして襷掛たすきがけで働はたらいてゐる所ところを見みると、何どうしても一個この獨立どくりつした庵あんの主人しゆじんらしくはなかつた。納所なつしよとも小坊主こばうずとも云いへた。 此この矮小わいせうな若僧じやくそうは、まだ出家しゆつけをしない前まへ、たゞの俗人ぞくじんとして此所こゝへ修業しゆげふに來きた時とき、七日なのかの間あひだ結跏けつかしたぎり少すこしも動うごかなかつたのである。仕舞しまひには足あしが痛いたんで腰こしが立たたなくなつて、厠かはやへ上のぼる折をりなどは、やつとの事こと壁傳かべづたひに身體からだを運はこんだのである。其その時分じぶんの彼かれは彫刻家てうこくかであつた。見性けんしやうした日ひに、嬉うれしさの餘あまり、裏うらの山やまへ馳かけ上あがつて、草木さうもく國土こくど悉皆しつかい成佛じやうぶつと大おほきな聲こゑを出だして叫さけんだ。さうして遂つひに頭あたまを剃そつてしまつた。
 此この庵あんを預あづかる樣やうになつてから、もう二年ねんになるが、まだ本式ほんしきに床とこを延のべて、樂らくに足あしを延のばして寐ねた事ことはないと云いつた。冬ふゆでも着物きものの儘まゝ壁かべに倚もたれて坐睡ざすゐする丈だけだと云いつた。侍者じしやをしてゐた頃ころなどは、老師らうしの犢鼻褌ふんどし迄まで洗あらはせられたと云いつた。其上そのうへ少すこしの暇ひまを偸ぬすんで坐すわりでもすると、後うしろから來きて意地いぢの惡わるい邪魔じやまをされる、毒吐どくづかれる、頭あたまの剃そり立たてには何なんの因果いんぐわで坊主ばうずになつたかと悔くやむ事ことが多おほかつたと云いつた。
「漸やうやく此頃このごろになつて少すこし樂らくになりました。しかし未まだ先さきが御座ございます。修業しゆげふは實際じつさい苦くるしいものです。さう容易よういに出來できるものなら、いくら私共わたくしどもが馬鹿ばかだつて、斯かうして十年ねんも二十年ねんも苦くるしむ譯わけが御座ございません」 宗助そうすけはたゞ惘然ばうぜんとした。自己じこの根氣こんきと精力せいりよくの足たらない事ことを齒掻はがゆく思おもふ上うへに、夫程それほど歳月さいげつを掛かけなければ成就じやうじゆ出來できないものなら、自分じぶんは何なにしに此この山やまの中なか迄まで遣やつて來きたか、それからが第だい一の矛盾むじゆんであつた。
「決けつして損そんになる氣遣きづかひは御座ございません。十分ぷん坐すわれば、十分ぷんの功こうがあり、二十分ぷん坐すわれば二十分ぷんの徳とくがあるのは無論むろんです。其上そのうへ最初さいしよを一ひとつ奇麗きれいに打ぶち拔ぬいて置おけば、あとは斯かう云いふ風ふうに始終しじゆう此所こゝに御出おいでにならないでも濟すみますから」
 宗助そうすけは義理ぎりにも亦また自分じぶんの室へやへ歸かへつて坐すわらなければならなかつた。
 斯こんな時ときに宜道ぎだうが來きて、
「野中のなかさん提唱ていしやうです」と誘さそつて呉くれると、宗助そうすけは心こゝろから嬉うれしい氣きがした。彼かれは禿頭はげあたまを捕つらまへる樣やうな手ての着つけ所どころのない難題なんだいに惱なやまされて、坐ゐながら凝じつと煩悶はんもんするのを、如何いかにも切せつなく思おもつた。どんなに精力せいりよくを消耗せうかうする仕事しごとでも可いいから、もう少すこし積極的せききよくてきに身體からだを働はたらかしたく思おもつた。
 提唱ていしやうのある場所ばしよは、矢張やはり一窓庵いつさうあんから一町ちやうも隔へだゝつてゐた。蓮池れんちの前まへを通とほり越こして、それを左ひだりへ曲まがらずに眞直まつすぐに突つき當あたると、屋根瓦やねがはらを嚴いかめしく重かさねた高たかい軒のきが、松まつの間あひだに仰あふがれた。宜道ぎだうは懷ふところに黒くろい表紙へうしの本ほんを入いれてゐた。宗助そうすけは無論むろん手てぶらであつた。提唱ていしやうと云いふのが、學校がくかうでいふ講義かうぎの意味いみである事ことさへ、此所こゝへ來きて始はじめて知しつた。 室へやは高たかい天井てんじやうに比例ひれいして廣ひろく且かつ寒さむかつた。色いろの變かはつた疊たゝみの色いろが古ふるい柱はしらと映てり合あつて、昔むかしを物語ものがたる樣やうに寂さび果はてゝゐた。其所そこに坐すわつてゐる人々ひととも皆みな地味ぢみに見みえた。席次せきじ不同ふどうに思おもひ々々>の座ざを占しめてはゐるが、高聲かうせいに語かたるもの、笑わらふものは一人ひとりもなかつた。僧そうは皆みな紺麻こんあさの法衣ころもを着きて、正面しやうめんの曲彔きよくろくの左右さいうに列れつを作つくつて向むかひ合あはせに並ならんだ。其その曲彔きよくろくは朱しゆで塗ぬつてあつた。
 やがて老師らうしが現あらはれた。疊たゝみを見詰みつめてゐた宗助そうすけには、彼かれが何處どこを通とほつて、何處どこから此所こゝへ出でたか薩張さつぱり分わからなかつた。たゞ彼かれの落おち付つき拂はらつて曲彔きよくろくに倚よる重々おももしい姿すがたを見みた。一人ひとりの若わかい僧そうが立たちながら、紫むらさきの袱紗ふくさを解といて、中なかから取とり出だした書物しよもつを、恭うややしく卓上たくじやうに置おく所ところを見みた。又また其その禮拜らいはいして退しりぞく態さまを見みた。
 此時このとき堂上だうじやうの僧そうは一齊いつせいに合掌がつしやうして、夢窓國師むさうこくしの遺誡ゐかいを誦じゆし始はじめた。思おもひひに席せきを取とつた宗助そうすけの前後ぜんごにゐる居士こじも皆みな同音どうおんに調子てうしを合あはせた。聞きいてゐると、經文きやうもんの樣やうな、普通ふつうの言葉ことばの樣やうな、一種いつしゆの節ふしを帶おびた文字もんじであつた。「我われに三等さんとうの弟子でしあり。所謂いはゆる猛烈まうれつにして諸縁しよえんを放下はうげし、專一せんいつに己事こじを究明きうめいする之これを上等じやうとうと名なづく。修業しうげふ純じゆんならず駁雜はくざつ學がくを好このむ、之これを中等ちゆうとうと云いふ」云々うんんといふ、餘あまり長ながくはないものであつた。宗助そうすけは始はじめ夢窓國師むさうこくしの何人なんぴとなるかを知しらなかつた。宜道ぎだうから此この夢窓國師むさうこくしと大燈國師だいとうこくしとは、禪門ぜんもん中興ちゆうこうの祖そであると云いふ事ことを教をそはつたのである。平生へいぜい跛ちんばで充分じゆうぶんに足あしを組くむ事ことが出來できないのを憤いきどほつて、死しぬ間際まぎはに、今日けふこそ己おれの意いの如ごとくにして見みせると云いひながら、惡わるい方はうの足あしを無理むりに折をつぺしよつて、結跏けつかしたため、血ちが流ながれて法衣ころもを煑染にじましたといふ大燈國師だいとうこくしの話はなしも其折そのをり宜道ぎだうから聞きいた。 やがて提唱ていしやうが始はじまつた。宜道ぎだうは懷ふところから例れいの書物しよもつを出だして頁ページを半なかば擦ずらして宗助そうすけの前まへへ置おいた。それは宗門しゆうもん無盡むじん燈論とうろんと云いふ書物しよもつであつた。始はじめて聞ききに出でた時とき、宜道ぎだうは、
「難有ありがたい結構けつこうな本ほんです」と宗助そうすけに教をしへて呉くれた。白隱和尚はくいんをしやうの弟子でしの東嶺和尚とうれいをしやうとかいふ人ひとの編輯へんしふしたもので、重おもに禪ぜんを修行しゆぎやうするものが、淺あさい所ところから深ふかい所ところへ進すゝんで行ゆく徑路けいろやら、それに伴ともなふ心境しんきやうの變化へんくわやらを秩序立ちつじよだてゝ書かいたものらしかつた。
 中途ちゆうとから顏かほを出だした宗助そうすけには、能よくも解げせなかつたけれども、講者かうじやは能辯のうべんの方はうで、默だまつて聞きいてゐるうちに、大變たいへん面白おもしろい所ところがあつた。其上そのうへ參禪さんぜんの士しを鼓舞こぶする爲ためか、古來こらいから斯この道みちに苦くるしんだ人ひとの閲歴譚えつれきだん抔などを取とり交まぜて一段いちだんの精彩せいさいを着つけるのが例れいであつた。此日このひも其その通とほりであつたが或所あるところへ來くると、突然とつぜん語調ごてうを改あらためて、
「此頃このごろ室中しつちゆうに來きたつて、何どうも妄想まうざうが起おこつて不可いけない抔などと訴うつたへるものがあるが」と急きふに入室者にふしつしやの不熱心ふねつしんを戒いましめ出だしたので、宗助そうすけは覺おぼえずぎくりとした。室中しつちゆうに入いつて、其その訴うつたへをなしたものは實じつに彼かれ自身じしんであつた。 一時間じかんの後のち宜道ぎだうと宗助そうすけは袖そでをつらねて又また一窓庵いつさうあんに歸かへつた。其その歸かへり路みちに宜道ぎだうは、
「あゝして提唱ていしやうのある時ときに、よく參禪者さんぜんしやの不心得ふこゝろえを諷ふうせられます」と云いつた。宗助そうすけは何なにも答こたへなかつた。

二十一

 其内そのうち、山やまの中なかの日ひは、一日々々いちにちちと經たつた。御米およねからは可かなり長ながい手紙てがみがもう二本ほん來きた。尤もつとも二本ほんとも新あらたに宗助そうすけの心こゝろを亂みだす樣やうな心配事しんぱいごとは書かいてなかつた。宗助そうすけは常つねの細君さいくん思おもひに似にず遂つひに返事へんじを出だすのを怠おこたつた。彼かれは山やまを出でる前まへに、何なにとか此間このあひだの問題もんだいに片かたを付つけなければ、折角せつかく來きた甲斐かひがない樣やうな、又また宜道ぎだうに對たいして濟すまない樣やうな氣きがしてゐた。眼めが覺さめてゐる時ときは、之これがために名状めいじやうし難がたい一種いつしゆの壓迫あつぱくを受うけつゞけに受うけた。從したがつて日ひが暮くれて夜よが明あけて、寺てらで見みる太陽たいやうの數かずが重かさなるにつけて、恰あたかも後うしろから追おひ掛かけられでもする如ごとく氣きを焦いらつた。けれども彼かれは最初さいしよの解決かいけつより外ほかに、一歩ぽも此この問題もんだいにちかづく術すべを知しらなかつた。彼かれは又またいくら考かんがへても此この最初さいしよの解決かいけつは確たしかなものであると信しんじてゐた。たゞ理窟りくつから割わり出だしたのだから、腹はらの足たしには一向いつかうならなかつた。彼かれは此この確たしかなものを放はふり出だして、更さらに又また確たしかなものを求もとめやうとした。けれども左樣そんなものは少すこしも出でて來こなかつた。 彼かれは自分じぶんの室へやで獨ひとり考かんがへた。疲つかれると、臺所だいどころから下おりて、裏うらの菜園さいゑんへ出でた。さうして崖がけの下したに掘ほつた横穴よこあなの中なかへ這入はいつて、凝じつと動うごかずにゐた。宜道ぎだうは氣きが散ちる樣やうでは駄目だめだと云いつた。段々だんん集注しふちゆうして凝こり固かたまつて、仕舞しまひに鐵てつの棒ぼうの樣やうにならなくては駄目だめだと云いつた。さう云いふ事ことを聞きけば聞きく程ほど、實際じつさいにさうなるのが、困難こんなんになつた。
「既すでに頭あたまの中なかに、さう仕樣しやうと云いふ下心したごゝろがあるから不可いけないのです」と宜道ぎだうが又また云いつて聞きかした。宗助そうすけは愈いよよ窮きゆうした。忽然こつぜん安井やすゐの事ことを考かんがへ出だした。安井やすゐがもし坂井さかゐの家いへへ頻繁ひんぱんに出入でいりでもする樣やうになつて、當分たうぶん滿洲まんしうへ歸かへらないとすれば、今いまのうちあの借家しやくやを引ひき上あげて、何處どこかへ轉宅てんたくするのが上分別じやうふんべつだらう。こんな所ところに愚圖々々ぐづづしてゐるより、早はやく東京とうきやうへ歸かへつて其方そのはうの所置しよちを付つけた方はうがまだ實際的じつさいてきかも知しれない。緩ゆつくり構かまへて、御米およねにでも知しれると又また心配しんぱいが殖ふえる丈だけだと思おもつた。
「私わたくしの樣やうなものには到底たうてい悟さとりは開ひらかれさうに有ありません」と思おもひ詰つめた樣やうに宜道ぎだうを捕つらまへて云いつた。それは歸かへる二三日にさんち前まへの事ことであつた。「いえ信念しんねんさへあれば誰だれでも悟さとれます」と宜道ぎだうは躊躇ちうちよもなく答こたへた。「法華ほつけの凝こり固かたまりが夢中むちゆうに太鼓たいこを叩たゝく樣やうに遣やつて御覽ごらんなさい。頭あたまの巓邊てつぺんから足あしの爪先つまさき迄までが悉こととく公案こうあんで充實じゆうじつしたとき、俄然がぜんとして新天地しんてんちが現前げんぜんするので御座ございます」
 宗助そうすけは自分じぶんの境遇きやうぐうやら性質せいしつが、夫程それほど盲目的まうもくてきに猛烈まうれつな働はたらきを敢あへてするに適てきしない事ことを深ふかく悲かなしんだ。况いはんや自分じぶんの此この山やまで暮くらすべき日ひは既すでに限かぎられてゐた。彼かれは直截ちよくせつに生活せいくわつの葛藤かつとうを切きり拂はらふ積つもりで、却かへつて迂濶うくわつに山やまの中なかへ迷まよひ込こんだ愚物ぐぶつであつた。
 彼かれは腹はらの中なかで斯かう考かんがへながら、宜道ぎだうの面前めんぜんで、それ丈だけの事ことを言いい切きる力ちからがなかつた。彼かれは心こゝろから此この若わかい禪僧ぜんそうの勇氣ゆうきと熱心ねつしんと眞面目まじめと親切しんせつとに敬意けいいを表へうしてゐたのである。
「道みちは近ちかきにあり、却かへつて之これを遠とほきに求もとむといふ言葉ことばがあるが實際じつさいです。つい鼻はなの先さきにあるのですけれども、何どうしても氣きが付つきません」と宜道ぎだうはさも殘念ざんねんさうであつた。宗助そうすけは又また自分じぶんの室へやに退しりぞいて線香せんかうを立たてた。 斯かう云いふ状態じやうたいは、不幸ふかうにして宗助そうすけの山やまを去さらなければならない日ひ迄まで、目めに立たつ程ほどの新生面しんせいめんを開ひらく機會きくわいなく續つゞいた。愈いよよ出立しゆつたつの朝あさになつて宗助そうすけは潔いさぎよく未練みれんを抛なげ棄すてた。
「永々ながが御世話おせわになりました。殘念ざんねんですが、何どうも仕方しかたがありません。もう當分たうぶん御眼おめに掛かかる折をりも御座ございますまいから、隨分ずゐぶん御機嫌ごきげんよう」と宜道ぎだうに挨拶あいさつをした。宜道ぎだうは氣きの毒どくさうであつた。
「御世話おせわどころか、萬事ばんじ不行屆ふゆきとゞきで嘸さぞ御窮屈ごきゆうくつで御座ございましたらう。然しかし是程これほど御坐おすわりになつても大分だいぶ違ちがひます。わざざ御出おいでになつた丈だけの事ことは充分じゆうぶん御座ございます」と云いつた。然しかし宗助そうすけには丸まるで時間じかんを潰つぶしに來きた樣やうな自覺じかくが明あきらかにあつた。それを斯かう取とり繕つくろつて云いつて貰もらふのも、自分じぶんの腑甲斐ふがひなさからであると、獨ひとり耻はぢ入いつた。
「悟さとりの遲速ちそくは全まつたく人ひとの性質たちで、それ丈だけでは優劣いうれつにはなりません。入いり易やすくても後あとで塞つかへて動うごかない人ひともありますし、又また初はじめ長ながく掛かかつても、愈いよよと云いふ場合ばあひに非常ひじやうに痛快つうくわいに出來できるのもあります。決けつして失望しつばうなさる事ことは御座ございません。たゞ熱心ねつしんが大切たいせつです。亡なくなられた洪川和尚こうせんをしやうなどは、もと儒教じゆけうをやられて、中年ちゆうねんからの修業しゆげふで御座ございましたが、僧そうになつてから三年ねんの間あひだと云いふもの丸まるで一則いつそくも通とほらなかつたです。夫それで私わしは業ごふが深ふかくて悟さとれないのだと云いつて、毎朝まいてう厠かはやに向むかつて禮拜らいはいされた位くらゐでありましたが、後のちにはあのやうな知識ちしきになられました。これ抔などは尤もつとも好いい例れいです」 宜道ぎだうは斯こんな話はなしをして、暗あんに宗助そうすけが東京とうきやうへ歸かへつてからも、全まつたく此方このはうを斷念だんねんしない樣やうにあらかじめ間接かんせつの注意ちゆういを與あたへる樣やうに見みえた。宗助そうすけは謹つゝしんで、宜道ぎだうのいふ事ことに耳みゝを借かした。けれども腹はらの中なかでは大事だいじがもう既すでに半分はんぶん去さつた如ごとくに感かんじた。自分じぶんは門もんを開あけて貰もらひに來きた。けれども門番もんばんは扉とびらの向側むかふがはにゐて、敲たゝいても遂つひに顏かほさへ出だして呉くれなかつた。たゞ、
「敲たゝいても駄目だめだ。獨ひとりで開あけて入はひれ」と云いふ聲こゑが聞きこえた丈だけであつた。彼かれは何どうしたら此この門もんの閂くわんのきを開あける事ことが出來できるかを考かんがへた。さうして其その手段しゆだんと方法はうはふを明あきらかに頭あたまの中なかで拵こしらえた。けれども夫それを實地じつちに開あける力ちからは、少すこしも養成やうせいする事ことが出來できなかつた。從したがつて自分じぶんの立たつてゐる場所ばしよは、此この問題もんだいを考かんがへない昔むかしと毫がうも異ことなる所ところがなかつた。彼かれは依然いぜんとして無能むのう無力むりよくに鎖とざされた扉とびらの前まへに取とり殘のこされた。彼かれは平生へいぜい自分じぶんの分別ふんべつを便たよりに生いきて來きた。其その分別ふんべつが今いまは彼かれに祟たゝつたのを口惜くちをしく思おもつた。さうして始はじめから取捨しゆしやも商量しやうりやうも容いれない愚おろかなものゝ一徹いつてつ一圖いちづを羨うらやんだ。もしくは信念しんねんに篤あつい善男善女ぜんなんぜんによの、知慧ちゑも忘わすれ思議しぎも浮うかばぬ精進しやうじんの程度ていどを崇高すうかうと仰あふいだ。彼かれ自身じしんは長ながく門外もんぐわいに佇立たゝずむべき運命うんめいをもつて生うまれて來きたものらしかつた。夫それは是非ぜひもなかつた。けれども、何どうせ通とほれない門もんなら、わざざ其所そこ迄まで辿たどり付つくのが矛盾むじゆんであつた。彼かれは後うしろを顧かへりみた。さうして到底たうてい又また元もとの路みちへ引ひき返かへす勇氣ゆうきを有もたなかつた。彼かれは前まへを眺ながめた。前まへには堅固けんごな扉とびらが何時いつ迄までも展望てんばうを遮さへぎつてゐた。彼かれは門もんを通とほる人ひとではなかつた。又また門もんを通とほらないで濟すむ人ひとでもなかつた。要えうするに、彼かれは門もんの下したに立たち竦すくんで、日ひの暮くれるのを待まつべき不幸ふかうな人ひとであつた。 宗助そうすけは立たつ前まへに、宜道ぎだうと連つれだつて、老師らうしの許もとへ一寸ちよつと暇乞いとまごひに行いつた。老師らうしは二人ふたりを蓮池れんちの上うへの、縁えんに勾欄こうらんの着ついた座敷ざしきに通とほした。宜道ぎだうは自みづから次つぎの間まに立たつて、茶ちやを入いれて出でた。
「東京とうきやうはまだ寒さむいでせう」と老師らうしが云いつた。「少すこしでも手掛てがゝりが出來できてからだと、歸かへつたあとも樂らくだけれども。惜をしい事ことで」
 宗助そうすけは老師らうしの此この挨拶あいさつに對たいして、丁寧ていねいに禮れいを述のべて、又また十日とをか前まへに潛くゞつた山門さんもんを出でた。甍いらかを壓あつする杉すぎの色いろが、冬ふゆを封ふうじて黒くろく彼かれの後うしろに聳そびえた。

二十二

 家いへの敷居しきゐを跨またいだ宗助そうすけは、己おのれにさへ憫然びんぜんな姿すがたを描ゑがいた。彼かれは過去くわこ十日間とをかかん毎朝まいあさ頭あたまを冷水れいすゐで濡ぬらしたなり、未いまだ曾かつて櫛くしの齒はを通とほした事ことがなかつた。髭ひげは固もとより剃そる暇いとまを有もたなかつた。三度さんどとも宜道ぎだうの好意かういで白米はくまいの炊かしいだのを食たべたには食たべたが、副食物ふくしよくぶつと云いつては、菜なの煑にたのか、大根だいこんの煑にたの位ぐらゐなものであつた。彼かれの顏かほは自おのづから蒼あをかつた。出でる前まへよりも多少たせう面窶おもやつれてゐた。其上そのうへ彼かれは一窓庵いつさうあんで考かんがへつゞけに考かんがへた習慣しふくわんがまだ全まつたく拔ぬけ切きらなかつた。何所どこかに卵たまごを抱いだく牝鷄めんどりの樣やうな心持こゝろもちが殘のこつて、頭あたまが平生へいぜいの通とほり自由じいうに働はたらかなかつた。其癖そのくせ一方いつぱうでは坂井さかゐの事ことが氣きに掛かかつた。坂井さかゐと云いふよりも、坂井さかゐの所謂いはゆる冒險者アドヹンチユアラーとして宗助そうすけの耳みゝに響ひゞいた其その弟おとゝと、其その弟おとゝの友達ともだちとして彼かれの胸むねを騷さわがした安井やすゐの消息せうそくが氣きにかゝつた。けれども彼かれは自身じしんに家主やぬしの宅たくへ出向でむいてそれを聞きき糺たゞす勇氣ゆうきを有もたなかつた。間接かんせつにそれを御米およねに問とふことは猶なほ出來できなかつた。彼かれは山やまにゐる間あひださへ、御米およねが此この事件じけんに就ついて何事なにごとも耳みゝにして呉くれなければ可いいがと氣遣きづかはない日ひはなかつた位くらゐである。宗助そうすけは年來ねんらい住すみ慣なれた家いへの座敷ざしきに坐すわつて、「汽車きしやに乘のると短みじかい道中だうちゆうでも氣きの所爲せゐか疲つかれるね。留守中るすちゆうに別段べつだん變かはつた事ことはなかつたかい」と聞きいた。實際じつさい彼かれは短みじかい汽車きしや旅行りよかうにさへ堪たへかねる顏付かほつきをしてゐた。
 御米およねは如何いかな場合ばあひにも夫をつとの前まへに忘わすれなかつた笑顏ゑがほさへ作つくり得えなかつた。と云いつて、折角せつかく保養ほやうに行いつた轉地先てんちさきから今いま歸かへつて來きたばかりの夫をつとに、行ゆかない前まへより却かへつて健康けんかうが惡わるくなつたらしいとは、氣きの毒どくで露骨ろこつに話はなし惡にくかつた。わざと活溌くわつぱつに、
「いくら保養ほやうでも、家うちへ歸かへると、少すこしは氣疲きづかれが出でるものよ。けれども貴方あなたは餘あんまり爺々汚ぢゞむさいわ。後生ごしやうだから一休ひとやすみしたら御湯おゆに行いつて頭あたまを刈かつて髭ひげを剃すつて來きて頂戴ちやうだい」と云いひながら、わざざ机つくゑの引出ひきだしから小ちひさな鏡かゞみを出だして見みせた。
 宗助そうすけは御米およねの言葉ことばを聞きいて、始はじめて一窓庵いつさうあんの空氣くうきを風かぜで拂はらつた樣やうな心持こゝろもちがした。一ひとたび山やまを出でて家うちへ歸かへれば矢張やはり元もとの宗助そうすけであつた。
「坂井さかゐさんからは其後そのご何なんとも云いつて來こないかい」
「いゝえ何なんとも」
「小六ころくの事ことも」
「いゝえ」
 其その小六ころくは圖書館としよくわんへ行いつて留守るすだつた。宗助そうすけは手拭てぬぐひと石鹸せきけんを持もつて外そとへ出でた。 明あくる日ひ役所やくしよへ出でると、みんなから病氣びやうきはどうだと聞きかれた。中なかには少すこし瘠やせた樣やうですねと云いふものもあつた。宗助そうすけには夫それが無意識むいしきの冷評れいひやうの意味いみに聞きこえた。菜根譚さいこんたんを讀よむ男をとこはたゞ何どうです旨うまく行いきましたかと尋たづねた。宗助そうすけは此この問とひにも大分だいぶ痛いたい思おもひをした。
 其晩そのばんは又また御米およねと小六ころくから代かはるる鎌倉かまくらの事ことを根掘ねほり葉掘はほり問とはれた。
「氣樂きらくでせうね。留守居るすゐも何なにも置おかないで出でられたら」と御米およねが云いつた。
「それで一日いちんち幾何いくら出だすと置おいて呉くれるんです」と小六ころくが聞きいた。「鐵砲てつぱうでも擔かついで行いつて、獵れふでもしたら面白おもしろからう」とも云いつた。
「然しかし退屈たいくつね。そんなに淋さむしくつちや。朝あさから晩ばん迄まで寐ねて入いらつしやる譯わけにも行いかないでせう」と御米およねが又また云いつた。
「もう少すこし滋養物じやうぶつが食くへる所ところでなくつちあ、矢やつ張ぱり身體からだに可よくないでせう」と小六ころくが又また云いつた。
 宗助そうすけは其夜そのよ床とこの中なかへ入はひつて、明日あしたこそ思おもひ切きつて、坂井さかゐへ行いつて安井やすゐの消息せうそくをそれとなく聞きき糺たゞして、もし彼かれがまだ東京とうきやうにゐて、猶なほしばば坂井さかゐと徃復わうふくがある樣やうなら、遠とほくの方はうへ引越ひつこして仕舞しまはうと考かんがへた。 次つぎの日ひは平凡へいぼんに宗助そうすけの頭あたまを照てらして、事ことなき光ひかりを西にしに落おとした。夜よに入いつて彼かれは、
「一寸ちよつと坂井さかゐさん迄まで行いつて來くる」と云いひ捨すてゝ門もんを出でた。月つきのない坂さかを上のぼつて、瓦斯燈ガスとうに照てらされた砂利じやりを鳴ならしながら潛戸くゞりどを開あけた時とき、彼かれは今夜こんや此所こゝで安井やすゐに落おち合あふ樣やうな萬一まんいちはまづ起おこらないだらうと度胸どきようを据すゑた。それでもわざと勝手口かつてぐちへ回まはつて、御客來おきやくらいですかと聞きくことは忘わすれなかつた。
「能よく御出おいでです。何どうも相變あひかはらず寒さむいぢやありませんか」と云いふ常つねの通とほり元氣げんきの好いい主人しゆじんを見みると、子供こどもを大勢おほぜい自分じぶんの前まへへ並ならべて、其中そのうちの一人ひとりと掛聲かけごゑをかけながら、じやん拳けんを遣やつてゐた。相手あひての女をんなの子この年としは、六むつつ許ばかりに見みえた。赤あかい幅はゞのあるリボンを蝶々てふふの樣やうに頭あたまの上うへに喰付くつつけて、主人しゆじんに負まけない程ほどの勢いきほひで、小ちひさな手てを握にぎり固かためてさつと前まへへ出だした。其その斷然だんぜんたる樣子やうすと、其その握にぎり拳こぶしの小ちひさゝと、之これに反はんして主人しゆじんの仰山ぎやうさんらしく大おほきな拳骨げんこつが、對照たいせうになつて皆みんなの笑わらひを惹ひいた。火鉢ひばちの傍はたに見みてゐた細君さいくんは、「そら今度こんだこさ雪子ゆきこの勝かちだ」と云いつて愉快ゆくわいさうに綺麗きれいな齒はを露あらはした。子供こどもの膝ひざの傍そばには白しろだの赤あかだの藍あゐだのゝ硝子玉がらすだまが澤山たくさんあつた。主人しゆじんは、
「とうう雪子ゆきこに負まけた」と席せきを外はづして、宗助そうすけの方はうを向むいたが、「何どうです又また洞窟とうくつへでも引ひき込こみますかな」と云いつて立たち上あがつた。
 書齋しよさいの柱はしらには例れいの如ごとく錦にしきの袋ふくろに入いれた蒙古刀もうこたうが振ぶら下さがつてゐた。花活はないけには何處どこで咲さいたか、もう黄色きいろい菜なの花はなが插さしてあつた。宗助そうすけは床柱とこばしらの中途ちゆうとを華はなやかに彩いろどる袋ふくろに眼めを着つけて、
「相變あひかはらず掛かかつて居をりますな」と云いつた。さうして主人しゆじんの氣色けしきを頭あたまの奧おくから窺うかゞつた。主人しゆじんは、
「えゝ些ちと物數奇ものずき過すぎますね、蒙古刀もうこたうは」と答こたへた。「所ところが弟おとゝの野郎やらうそんな玩具おもちやを持もつて來きては、兄貴あにきを籠絡ろうらくする積つもりだから困こまりものぢやありませんか」
「御舍弟ごしやていは其後そのご何どうなさいました」と宗助そうすけは何氣なにげない風ふうを示しめした。
「えゝ漸やうやく四五日にち前まへ歸かへりました。ありや全まつたく蒙古向もうこむきですね。御前おまへの樣やうな夷狄いてきは東京とうきやうにや調和てうわしないから早はやく歸かへれつたら、私わたしもさう思おもふつて歸かへつて行いきました。何どうしても、ありや萬里ばんりの長城ちやうじやうの向側むかふがはにゐるべき人物じんぶつですよ。さうしてゴビの沙漠さばくの中なかで金剛石ダイヤモンドでも搜さがしてゐれば可いいんです」「もう一人ひとりの御伴侶おつれは」
「安井やすゐですか、あれも無論むろん一所いつしよです。あゝなると落おち付ついちや居ゐられないと見みえますね。何なんでも元もとは京都大學きやうとだいがくにゐたこともあるんだとか云いふ話はなしですが。何どうして、あゝ變化へんくわしたものですかね」
 宗助そうすけは腋わきの下したから汗あせが出でた。安井やすゐが何どう變かはつて、どう落おち付つかないのか、全まつたく聞きく氣きにはならなかつた。たゞ自分じぶんが主人しゆじんに安井やすゐと同おなじ大學だいがくにゐた事ことを、まだ洩もらさなかつたのを天祐てんいうの樣やうに有難ありがたく思おもつた。けれども主人しゆじんは其その弟おとうとと安井やすゐとを晩餐ばんさんに呼よぶとき、自分じぶんを此この二人ふたりに紹介せうかいしやうと申まをし出でた男をとこである。辭退じたいをして其その席せきへ顏かほを出だす不面目丈ふめんもくだけは漸やつと免まぬかれた樣やうなものゝ、其その晩ばん主人しゆじんが何なにかの機會はずみについ自分じぶんの名なを二人ふたりに洩もらさないとは限かぎらなかつた。宗助そうすけは後暗うしろぐらい人ひとの、變名へんみやうを用もちひて世よを渡わたる便利べんりを切せつに感かんじた。彼かれは主人しゆじんに向むかつて、「貴方あなたはもしや私わたくしの名なを安井やすゐの前まへで口くちにしやしませんか」と聞きいて見みたくて堪たまらなかつた。けれども、夫丈それだけは何どうしても聞きけなかつた。
 下女げぢよが平ひらたい大おほきな菓子皿くわしざらに妙めうな菓子くわしを盛もつて出でた。一丁いつちやうの豆腐とうふ位ぐらゐな大おほきさの金玉糖きんぎよくたうの中なかに、金魚きんぎよが二疋ひき透すいて見みえるのを、其儘そのまゝ庖丁はうちやうの刄はを入いれて、元もとの形かたちを崩くづさずに、皿さらに移うつしたものであつた。宗助そうすけは一目ひとめ見みて、たゞ珍めづらしいと感かんじた。けれども彼かれの頭あたまは寧むしろ他ほかの方面はうめんに氣きを奪うばはれてゐた。すると主人しゆじんが、「何どうです一ひとつ」と例いつもの通とほり先まづ自分じぶんから手てを出だした。
「是これはね、昨日きのふある人ひとの銀婚式ぎんこんしきに呼よばれて、貰もらつて來きたのだから、頗すこぶる御目出度おめでたいのです。貴方あなたも一切ひときれ位ぐらゐ肖あやかつても可いいでせう」
 主人しゆじんは肖あやかりたい名なの下もとに、甘垂あまたるい金玉糖きんぎよくたうを幾切いくきれか頬張ほゝばつた。これは酒さけも呑のみ、茶ちやも呑のみ、飯めしも菓子くわしも食くへる樣やうに出來できた、重寶ちようはうで健康けんかうな男をとこであつた。
「何なに實じつを云いふと、二十年ねんも三十年ねんも夫婦ふうふが皺しわだらけになつて生いきてゐたつて、別べつに御目出度おめでたくもありませんが、其所そこが物ものは比較的ひかくてきな所ところでね。私わたくしは何時いつか清水谷しみづだにの公園こうゑんの前まへを通とほつて驚おどろいた事ことがある」と變へんな方面はうめんへ話はなしを持もつて行いつた。斯かういふ風ふうに、夫それから夫それへと客きやくを飽あかせない樣やうに引張ひつぱつて行ゆくのが、社交しやかうになれた主人しゆじんの平生へいぜいの調子てうしであつた。
 彼かれの云いふ所ところによると、清水谷しみづだにから辨慶橋べんけいばしへ通つうじる泥溝どぶの樣やうな細ほそい流ながれの中なかに、春先はるさきになると無數むすうの蛙かへるが生うまれるのださうである。其その蛙かへるが押おし合あひ鳴なき合あつて生長せいちやうするうちに、幾いく百組くみか幾いく千組くみの戀こひが泥渠どぶの中なかで成立せいりつする。さうして夫等それらの愛あいに生いきるものが重かさならない許ばかりに隙間すきまなく清水谷しみづだにから辨慶橋べんけいばしへ續つゞいて、互たがひに睦むつまじく浮ういてゐると、通とほり掛がゝりの小僧こぞうだの閑人ひまじんが、石いしを打うち付つけて、無殘むざんにも蛙かへるの夫婦ふうふを殺ころして行いくものだから、其その數かずが殆ほとんど勘定かんぢやうし切きれない程ほど多おほくなるのださうである。「死屍累々ししるゐゐとはあの事ことですね。それが皆みんな夫婦ふうふなんだから實際じつさい氣きの毒どくですよ。詰つまりあすこを二三丁ちやう通とほるうちに、我々われれは悲劇ひげきにいくつ出逢であふか分わからないんです。夫それを考かんがへると御互おたがひは實じつに幸福かうふくでさあ。夫婦ふうふになつてるのが惡にくらしいつて、石いしで頭あたまを破わられる恐おそれは、まあ無ないですからね。しかも双方さうはうともに二十年ねんも三十年ねんも安全あんぜんなら、全まつたく御目出おめでたいに違ちがひありませんよ。だから一切ひときれ位ぐらゐ肖あやかつて置おく必要ひつえうもあるでせう」と云いつて、主人しゆじんはわざと箸はしで金玉糖きんぎよくたうを挾はさんで、宗助そうすけの前まへに出だした。宗助そうすけは苦笑くせうしながら、それを受うけた。
 こんな冗談じようだん交まじりの話はなしを、主人しゆじんはいくらでも續つゞけるので、宗助そうすけは已やむを得えず或ある邊へんまでは釣つられて行いつた。けれども腹はらの中なかは決けつして主人しゆじんの樣やうに太平樂たいへいらくには行ゆかなかつた。辭じして表おもてへ出でて、又また月つきのない空そらを眺ながめた時ときは、其その深ふかく黒くろい色いろの下もとに、何なんとも知しれない一種いつしゆの悲哀ひあいと物凄ものすごさを感かんじた。
 彼かれは坂井さかゐの家いへに、たゞ苟いやしくも免まぬかれんとする料簡れうけんで行いつた。さうして、其その目的もくてきを達たつするために、耻はぢと不愉快ふゆくわいを忍しのんで、好意かういと眞率しんそつの氣きに充みちた主人しゆじんに對たいして、政略的せいりやくてきに談話だんわを驅かつた。しかも知しらうと思おもふ事ことは悉こととく知しる事ことが出來できなかつた。己おのれの弱點じやくてんに付ついては、一言ひとことも彼かれの前まへに自白じはくするの勇氣ゆうきも必要ひつえうも認みとめなかつた。 彼かれの頭あたまを掠かすめんとした雨雲あまぐもは、辛からうじて、頭あたまに觸ふれずに過すぎたらしかつた。けれども、是これに似にた不安ふあんは是これから先さき何度なんどでも、色々いろろな程度ていどに於おいて、繰くり返かへさなければ濟すまない樣やうな虫むしの知しらせが何處どこかにあつた。それを繰くり返かへさせるのは天てんの事ことであつた。それを逃にげて回まはるのは宗助そうすけの事ことであつた。

二十三

 月つきが變かはつてから寒さむさが大分だいぶ緩ゆるんだ。官吏くわんりの増俸ぞうほう問題もんだいにつれて必然ひつぜん起おこるべく、多數たすうの噂うはさに上のぼつた局員きよくゐん課員くわゐんの淘汰たうたも、月末げつまつ迄までに略ほゞ片付かたづいた。其その間あひだぽつりりと首くびを斬きられる知人ちじんや未知人みちじんの名前なまへを絶たえず耳みゝにした宗助そうすけは、時々ときき家うちへ歸かへつて御米およねに、
「今度こんだは己おれの番ばんかも知しれない」と云いふ事ことがあつた。御米およねはそれを冗談じようだんとも聞きき、又また本氣ほんきとも聞きいた。稀まれには隱かくれた未來みらいを故意こいに呼よび出だす不吉ふきつな言葉ことばとも解釋かいしやくした。それを口くちにする宗助そうすけの胸むねの中なかにも、御米およねと同おなじ樣やうな雲くもが去來きよらいした。
 月つきが改あらたまつて、役所やくしよの動搖どうえうも是これで一段落いちだんらくだと沙汰さたせられた時とき、宗助そうすけは生いき殘のこつた自分じぶんの運命うんめいを顧かへりみて、當然たうぜんの樣やうにも思おもつた。又また偶然ぐうぜんの樣やうにも思おもつた。立たちながら、御米およねを見下みおろして、「まあ助たすかつた」と六むづかし氣げに云いつた。其その嬉うれしくも悲かなしくもない樣子やうすが、御米およねには天てんから落おちた滑稽こつけいに見みえた。
 又また二三日にちして宗助そうすけの月給げつきふが五圓ゑん昇のぼつた。
「原則通げんそくどほり二割わり五分ぶ増まさないでも仕方しかたがあるまい。休やめられた人ひとも、元給げんきふの儘まゝでゐる人ひとも澤山たくさんあるんだから」と云いつた宗助そうすけは、此この五圓ゑんに自己じこ以上いじやうの價値かちをもたらし歸かへつた如ごとく滿足まんぞくの色いろを見みせた。御米およねは無論むろんの事こと心こゝろのうちに不足ふそくを訴うつたへるべき餘地よちを見出みいださなかつた。
 翌日あくるひの晩ばん宗助そうすけはわが膳ぜんの上うへに頭かしらつきの魚うをの、尾をを皿さらの外そとに躍をどらす態さまを眺ながめた。小豆あづきの色いろに染そまつた飯めしの香かをりを嗅かいだ。御米およねはわざざ清きよを遣やつて、坂井さかゐの家いへに引ひき移うつつた小六ころくを招まねいた。小六ころくは、
「やあ御馳走ごちそうだなあ」と云いつて勝手かつてから入はひつて來きた。
 梅うめがちらほらと眼めに入いる樣やうになつた。早はやいのは既すでに色いろを失うしなつて散ちりかけた。雨あめは烟けむる樣やうに降ふり始はじめた。それが霽はれて、日ひに蒸むされるとき、地面ぢめんからも、屋根やねからも、春はるの記憶きおくを新あらたにすべき濕氣しつきがむららと立たち上のぼつた。脊戸せどに干ほした雨傘あまがさに、小犬こいぬがじやれ掛かゝつて、蛇じやの目めの色いろがきららする所ところに陽炎かげろふが燃もえる如ごとく長閑のどかに思おもはれる日ひもあつた。「漸やうやく冬ふゆが過すぎた樣やうね。貴方あなた今度こんだの土曜どえうに佐伯さへきの叔母をばさんの處ところへ回まはつて、小六ころくさんの事ことを極きめて入いらつしやいよ。あんまり何時いつ迄までも放はふつて置おくと又また安やすさんが忘わすれて仕舞しまふから」と御米およねが催促さいそくした。宗助そうすけは、
「うん、思おもひ切きつて行いつて來きよう」と答こたへた。小六ころくは坂井さかゐの好意かういで、其所そこの書生しよせいに住すみ込こんだ。其上そのうへに宗助そうすけと安之助やすのすけが、不足ふそくの所ところを分擔ぶんたんする事ことが出來できたらと小六ころくに云いつて聞きかしたのは、宗助そうすけ自身じしんであつた。小六ころくは兄あにの運動うんどうを待またずに、すぐ安之助やすのすけに直談判ぢきだんぱんをした。さうして、形式的けいしきてきに宗助そうすけの方はうから依頼いらいすればすぐ安之助やすのすけが引ひき受うける迄までに自分じぶんで埒らちを明あけたのである。
 小康せうかうは斯かくして事ことを好このまない夫婦ふうふの上うへに落おちた。ある日曜にちえうの午ひる宗助そうすけは久ひさし振ぶりに、四日目よつかめの垢あかを流ながすため横町よこちやうの洗湯せんたうに行いつたら、五十許ばかりの頭あたまを剃そつた男をとこと、三十代だいの商人あきんどらしい男をとこが、漸やうやく春はるらしくなつたと云いつて、時候じこうの挨拶あいさつを取とり換かはしてゐた。若わかい方はうが、今朝けさ始はじめて鶯うぐひすの鳴聲なきごゑを聞きいたと話はなすと、坊ばうさんの方はうが、私わたしは二三日前にちまへにも一度ど聞きいた事ことがあると答こたへてゐた。「まだ鳴なきはじめだから下手へただね」
「えゝ、まだ充分じゆうぶんに舌したが回まはりません」
 宗助そうすけは家うちへ歸かへつて御米およねに此この鶯うぐひすの問答もんだふを繰くり返かへして聞きかせた。御米およねは障子しやうじの硝子がらすに映うつる麗うらゝかな日影ひかげをすかして見みて、
「本當ほんたうに有難ありがたいわね。漸やうやくの事こと春はるになつて」と云いつて、晴はれれしい眉まゆを張はつた。宗助そうすけは縁えんに出でて長ながく延のびた爪つめを剪きりながら、
「うん、然しかし又またぢき冬ふゆになるよ」と答こたへて、下したを向むいたまゝ鋏はさみを動うごかしてゐた。



青空文庫より引用