瀧口入道


第一

 やがて來こむ壽永じゆえいの秋の哀れ、治承ぢしようの春の樂みに知る由もなく、六歳むとせの後に昔の夢を辿たどりて、直衣なほしの袖を絞りし人々には、今宵こよひの歡曾も中々に忘られぬ思寢おもひねの涙なるべし。
 驕おごる平家へいけを盛りの櫻に比くらべてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國にふだうしやうこくが花見の宴とて、六十餘州の春を一夕いつせきの臺うてなに集めて都みやこ西八條の邸宅。君ならでは人にして人に非ずと唱うたはれし一門の公達きんだち、宗徒むねとの人々は言ふも更さらなり、華冑攝籙くわちゆうせつろくの子弟していの、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずる輩やからは、今日けふを晴はれにと裝飾よそほひて綺羅星きらほしの如く連つらなりたる有樣、燦然さんぜんとして眩まばゆき許ばかり、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦こうりやうゑんぐわの砌いしだゝみも影薄かげうすげにぞ見えし。あはれ此程このほどまでは殿上てんじやうの交まじはりをだに嫌はれし人の子、家の族やから、今は紫緋紋綾しひもんりように禁色きんじきを猥みだりにして、をささ傍若無人の振舞ふるまひあるを見ても、眉を顰ひそむる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍いはうの紋色もんしよく、烏帽子のため樣やうまで萬よろづ六波羅樣ろくはらやうをまねびて時知り顏なる、世は愈〻平家の世と覺えたり。
 見渡せば正面に唐錦からにしきの茵しとねを敷ける上に、沈香ぢんかうの脇息けふそくに身を持たせ、解脱同相げだつどうさうの三衣さんえの下したに天魔波旬てんまはじゆんの慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命いのちとせる入道清盛、さても鷹揚おうやうに坐せる其の傍には、嫡子ちやくし小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將知盛とももりを初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時の帝みかどの中宮ちゆうぐう、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女むすめなりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册かしづける女房にようばう曹司ざうしは皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮りくきゆうの粉黛ふんたい何れ劣らず粧よそほひを凝こらして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎かぜごとに素袍すはうの袖を掠かすむれば、末座に竝なみ居る若侍等わかざむらひたちの亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑をかし。時は是れ陽春三月の暮、青海せいかいの簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初はじめず、欄干おばしま近く雲かと紛まがふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣さまに、月さへ懸かゝりて夢の如き圓まどかなる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色ふうしよく碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍とほざむらひのあなたより、遙か對屋たいやに沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳とちやう、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館やかたに光ひかり到らぬ隈くまもなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏きんこくゑんりの春の夕ゆふべも、よも是には過ぎじとぞ思はれける。 饗宴の盛大善美を盡せることは言ふも愚おろかなり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜の闌ふくるを知らず、豫かねて召し置かれたる白拍子しらびやうしの舞もはや終りし頃ほひ、さと帛きぬを裂くが如き四絃一撥の琴の音に連つれて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下俄にはかに動搖どよめきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方こなたなる壯年わかうどは』、『あれこそは小松殿の御内みうちに花と歌はれし重景殿よ』など、女房共の罵り合ふ聲々に、人々等ひとしく樂屋がくやの方を振向けば、右の方より薄紅うすくれなゐの素袍すほうに右の袖を肩脱かたぬぎ、螺鈿らでんの細太刀ほそだちに紺地の水の紋の平緒ひらをを下げ、白綾しらあやの水干すゐかん、櫻萌黄さくらもえぎの衣ぞに山吹色の下襲したがさね、背には胡籙やなぐひを解ときて老掛おいかけを懸け、露のまゝなる櫻かざして立たれたる四位の少將維盛これもり卿。御年辛やうやく二十二、青絲せいしの髮みぐし、紅玉こうぎよくの膚はだへ、平門へいもん第一の美男びなんとて、かざす櫻も色失いろうせて、何れを花、何れを人と分たざりけり。左の方よりは足助あすけの二郎重景とて、小松殿恩顧の侍さむらひなるが、維盛卿より弱わかきこと二歳にて、今年方まさに二十はたちの壯年わかもの、上下同じ素絹そけんの水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍したぎを見せ、厚塗あつぬりの立烏帽子に平塵ひらぢりの細鞘なるを佩はき、袂たもと豐ゆたかに舞ひ出でたる有樣、宛然さながら一幅の畫圖とも見るべかりけり。二人共に何れ劣らぬ優美の姿、適怨清和、曲きよくに隨つて一絲も亂れぬ歩武の節、首尾能く青海波せいがいはをぞ舞ひ納めける。滿座の人々感に堪へざるはなく、中宮ちゆうぐうよりは殊に女房を使に纏頭ひきでものの御衣おんぞを懸けられければ、二人は面目めんもく身に餘りて退まかり出でぬ。跡にて口善惡くちさがなき女房共は、少將殿こそ深山木みやまぎの中の楊梅、足助殿あすけどのこそ枯野かれのの小松こまつ、何れ花も實みも有る武士ものゝふよなどと言い合へりける。知るも知らぬも羨まぬはなきに、父なる卿の眼前に此これを見て如何許いかばかり嬉しく思い給ふらんと、人々上座の方を打ち見やれば、入道相國の然さも喜ばしげなる笑顏ゑがほに引換ひきかへて、小松殿は差し俯うつぶきて人に面おもてを見らるゝを懶ものうげに見え給ふぞ訝いぶかしき。

第二

 西八條殿にしはちでうでんの搖ゆらぐ計りの喝采を跡にして、維盛・重景の退まかり出でし後に一個の少女をとめこそ顯はれたれ。是ぞ此夜の舞の納めと聞えければ、人々眸ひとみを凝らして之を見れば、年齒としは十六七、精好せいがうの緋の袴ふみしだき、柳裏やなぎの五衣いつゝぎぬ打ち重ね、丈たけにも餘る緑の黒髮後うしろにゆりかけたる樣は、舞子白拍子の媚態しなあるには似で、閑雅しとやかに﨟長らふたたけて見えにける。一曲いつきよく舞ひ納む春鶯囀しゆんあうてん、細きは珊瑚を碎く一雨の曲、風に靡けるさゝがにの絲輕く、太きは瀧津瀬たきつせの鳴り渡る千萬の聲、落葉おちばの蔭かげに村雨むらさめの響ひゞき重おもし。綾羅りようらの袂ゆたかに飜ひるがへるは花に休める女蝶めてふの翼か、蓮歩れんぽの節ふし急きふなるは蜻蛉かげろふの水に點ずるに似たり。折らば落ちん萩の露、拾ひろはば消えん玉篠たまざゝの、あはれにも亦婉あでやかなる其の姿。見る人懵然ぼうぜんとして醉へるが如く、布衣ほいに立烏帽子せる若殿原わかとのばらは、あはれ何處いづこの誰たが女子むすめぞ、花薫はなかほり月霞む宵の手枕たまくらに、君が夢路ゆめぢに入らん人こそ世にも果報なる人なれなど、袖褄そでつま引合ひてののしり合へるぞ笑止せうしなる。 榮華の夢に昔を忘れ、細太刀の輕さに風雅の銘を打ちたる六波羅武士の腸をば一指の舞に溶とろかしたる彼の少女の、滿座の秋波しうはに送られて退まかり出でしを此夜の宴の終はてとして、人々思ひ思ひに退出し、中宮もやがて還御くわんぎよあり。跡には春の夜の朧月、殘り惜げに欄干おばしまの邊ほとりに蛉跰さすらふも長閑のどけしや。
 此夜、三條大路さんでうおほぢを左に、御所ごしよの裏手の御溝端みかはばたを辿り行く骨格逞たくましき一個の武士あり。月を負ひて其の顏は定かならねども、立烏帽子に綾長そばたかの布衣ほいを着け、蛭卷ひるまきの太刀の柄つか太ふときを横よこたへたる夜目よめにも爽さはやかなる出立いでたちは、何れ六波羅わたりの内人うちびとと知られたり。御溝を挾はさんで今を盛りたる櫻の色の見て欲ほしげなるに目もかけず、物思はしげに小手叉こまぬきて、少しくうなだれたる頭の重げに見ゆるは、太息といき吐く爲にやあらん。扨ても春の夜の月花つきはなに換へて何の哀れぞ。西八條の御宴より歸り途みちなる侍さむらひの一群二群ひとむれふたむれ、舞の評など樂げに誰たれ憚はゞからず罵り合ひて、果は高笑ひして打ち興ずるを、件の侍は折々耳側そばだて、時に冷ひややかに打笑うちゑむ樣さま、仔細ありげなり。中宮の御所をはや過ぎて、垣越かきごしの松影まつかげ月を漏らさで墨の如く暗き邊ほとりに至りて、不圖ふと首を擧げて暫し四邊あたりを眺めしが、俄に心付きし如く早足に元來もときし道に戻りける。西八條より還御せられたる中宮の御輿おんこし、今しも宮門を入りしを見、最いと本意なげに跡見送りて門前に佇立たゝずみける。後おくれ馳せの老女訝いぶかしげに己れが容子ようすを打ち睜みまもり居るに心付き、急ぎ立去らんとせしが、何思ひけん、つと振向ふりむきて、件の老女を呼止めぬ。
 何の御用と問はれて稍〻、躊躇ためらひしが、『今宵こよひの御宴の終はてに春鶯囀を舞はれし女子をなごは、何れ中宮の御内みうちならんと見受けしが、名は何と言はるゝや』。老女は男の容姿を暫し眺め居たりしが微笑ほゝゑみながら、『扨も笑止の事も有るものかな、西八條を出づる時、色清いろきよげなる人の妾を捉へて同じ事を問はれしが、あれは横笛よこぶえとて近き頃御室おむろの郷さとより曹司そうししに見えし者なれば、知る人なきも理ことわりにこそ、御身おんみは名を聞いて何にし給ふ』。男はハツと顏赤らめて、『勝すぐれて舞の上手じやうずなれば』。答ふる言葉聞きも了らで、老女はホヽと意味ありげなる笑ゑみを殘して門内に走り入りぬ。
『横笛、横笛』、件の武士は幾度か獨語ひとりごちながら、徐おもむろに元來し方に歸り行きぬ。霞の底に響く法性寺ほふしやうじの鐘の聲、初更しやかうを告ぐる頃にやあらん。御溝の那方あなたに長く曳ける我影に駭おどろきて、傾く月を見返る男、眉太まゆふとく鼻隆はなたかく、一見凜々りゝしき勇士の相貌、月に笑めるか、花に咲わらふか、あはれ瞼まぶたの邊あたりに一掬の微笑を帶びぬ。

第三
 當時小松殿の侍に齋藤瀧口さいとうのたきぐち時頼と云ふ武士ありけり。父は左衞門茂頼もちよりとて、齡よはひ古稀こきに餘れる老武者おいむしやにて、壯年の頃より數ヶ所の戰場にて類稀たぐひまれなる手柄てがらを顯はししが、今は年老たれば其子の行末を頼りに殘年を樂みける。小松殿は其功を賞めで給ひ、時頼を瀧口の侍に取立て、數多あまたの侍の中に殊に恩顧を給はりける。
 時頼是この時年二十三、性せい濶達にして身の丈たけ六尺に近く、筋骨飽くまで逞たくましく、早く母に別れ、武骨一邊の父の膝下ひざもとに養はれしかば、朝夕耳みゝにせしものは名ある武士が先陣拔懸ぬけがけの譽ほまれれある功名談こうみやうばなしにあらざれば、弓箭甲冑の故實こじつ、髻もとどり垂たれし幼時より劒つるぎの光、弦ゆづるの響の裡に人と爲りて、浮きたる世の雜事ざれごとは刀の柄つかの塵程も知らず、美田みたの源次が堀川ほりかはの功名に現うつゝを拔ぬかして赤樫あかがしの木太刀を振り舞はせし十二三の昔より、空肱からひぢ撫なでて長劒の輕きを喞かこつ二十三年の春の今日けふまで、世に畏ろしきものを見ず、出入いでいる息を除のぞきては、六尺の體からだ、何處を膽と分つべくも見えず、實に保平ほうへいの昔を其儘の六波羅武士の模型なりけり。然されば小松殿も時頼を末すゑ頼母たのもしきものに思ひ、行末には御子維盛卿の附人つきびとになさばやと常々目を懸けられ、左衞門が伺候しこうの折々に『茂頼、其方そちは善き悴せがれを持ちて仕合者しあはせものぞ』と仰せらるゝを、七十の老父、曲まがりし背も反そらん計りにぞ嬉しがりける。
 時は治承ぢしようの春、世は平家の盛、そも天喜てんぎ、康平かうへい以來九十年の春秋はるあき、都も鄙ひなも打ち靡きし源氏の白旗しらはたも、保元ほうげん、平治へいぢの二度の戰いくさを都の名殘に、脆くも武門の哀れを東海の隅に留めしより、六十餘州に到らぬ隈くまなき平家の權勢、驕おごるもの久しからずとは驕れるもの如何で知るべき。養和やうわの秋、富士河の水禽みづとりも、まだ一年ひととせの來こぬ夢なれば、一門の公卿こうけい殿上人てんじやうびとは言はずもあれ、上下の武士何時いつしか文弱ぶんじやくの流ながれに染そみて、嘗て丈夫ますらをの譽に見せし向ふ疵も、いつの間にか水鬢みづびんの陰かげに掩おほはれて、重おもきを誇りし圓打まるうちの野太刀のだちも、何時しか銀造しろがねづくりの細鞘に反そりを打たせ、清らなる布衣ほいの下に練貫ねりぬきの袖さへ見ゆるに、弓矢持つべき手に管絃の調しらべとは、言ふもうたてき事なりけり。
 時頼世よの有樣を觀て熟〻つらら思ふ樣やう、扨も心得ぬ六波羅武士が擧動ふるまひかな、父なる人、祖父なる人は、昔知らぬ若殿原に行末短き榮耀ええうの夢を貪らせんとて其の膏血はよも濺そゝがじ。萬一事有ことあるの曉には絲竹いとたけに鍛へし腕かひな、白金造しろがねづくりの打物うちものは何程の用にか立つべき。射向いむけの袖を却て覆ひに捨鞭すてむちのみ烈しく打ちて、笑ひを敵に殘すは眼まのあたり見るが如し。君の御馬前に天晴あつぱれ勇士の名を昭あらはして討死うちじにすべき武士ものゝふが、何處に二つの命ありて、歌舞優樂の遊に荒すさめる所存の程こそ知られね。――弓矢の外には武士の住むべき世ありとも思はぬ一徹の時頼には、兎角慨なげかはしく、苦々にががしき事のみ耳目に觸れて、平和の世の中なか面白からず、あはれ何處にても一戰ひといくさの起れかし、いでや二十餘年の風雨に鍛へし我が技倆を顯はして、日頃我れを武骨物ぶこつものと嘲りし優長武士に一泡ひとあわ吹かせんずと思ひけり。衆人醉へる中に獨り醒むる者は容いれられず、斯かる氣質なれば時頼は自おのづから儕輩ひととに疎うとんぜられ、瀧口時頼とは武骨者の異名いみやうよなど嘲り合ひて、時流外なみはづれに粗大なる布衣を着て鐵卷くろがねまきの丸鞘を鴎尻かもめじりに横よこたへし後姿うしろすがたを、蔭にて指ゆびさし笑ふ者も少からざりし。
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 西八條の花見の宴に時頼も連つらなりけり。其夜更闌かうたけて家に歸り、其の翌朝は常に似ず朝日影窓まどに差込む頃やうやく臥床ふしどを出でしが、顏の色少しく蒼味あをみを帶びたり、終夜よもすがら眠らでありしにや。
 此夜、御所の溝端に人跡絶えしころ、中宮の御殿の前に月を負ひて歩むは、紛まがふ方なく先の夜に老女を捉へて横笛が名を尋ねし武士なり。物思はしげに御門の邊を行きつ戻りつ、月の光に振向ける顏見れば、まさしく齋藤瀧口時頼なりけり。

第四

 物の哀れも是れよりぞ知る、戀ほど世に怪しきものはあらじ。稽古の窓に向つて三諦止觀さんたいしくわんの月を樂める身も、一朝てう折りかへす花染はなぞめの香かに幾年いくとせの行業かうげふを捨てし人、百夜もゝよの榻しぢの端書はしがきにつれなき君を怨みわびて、亂れ苦くるしき忍草しのぶぐさの露と消えにし人、さては相見ての後のたゞちの短きに、戀ひ悲みし永の月日を恨みて三衣え一鉢ぱつに空あだなる情なさけを觀ぜし人、惟おもへば孰いづれか戀の奴やつこに非ざるべき。戀や、秋萩あきはぎの葉末はずゑに置ける露のごと、空あだなれども、中に寫せる月影は圓まどかなる望とも見られぬべく、今の憂身うきみをつらしと喞かこてども、戀せぬ前の越方こしかたは何を樂みに暮らしけんと思へば、涙は此身の命なりけり。夕旦ゆふべあしたの鐘の聲も餘所よそならぬ哀れに響く今日けふは、過ぎし春秋はるあきの今更いまさら心なきに驚かれ、鳥の聲、蟲の音ねにも心何なにとなう動きて、我にもあらで情なさけの外に行末もなし。戀せる今を迷まよひと觀れば、悟れる昔の慕ふべくも思はれず、悟れる今を戀と觀れば、昔の迷こそ中々に樂しけれ。戀ほど世に訝いぶかしきものはあらじ。そも人、何を望み何を目的めあてに渡りぐるしき戀路こひぢを辿るぞ。我も自ら知らず、只〻朧げながら夢と現うつゝの境を歩む身に、ましてや何れを戀の始終と思ひ分たんや。そも戀てふもの、何いづこより來り何こをさして去る、人の心の隈は映うつすべき鏡なければ何れ思案の外なんめり。
 いかなれば齋藤瀧口、今更いまさら武骨者の銘打つたる鐵卷くろがねをよそにし、負ふにやさしき横笛の名に笑ゑめる。いかなれば時頼、常にもあらで夜を冒をかして中宮の御所ごしよには忍べる。吁々いつしか戀の淵に落ちけるなり。
 西八條の花見の席に、中宮の曹司横笛を一目見て時頼は、世には斯かる氣高けだかき美しき女子をなごも有るもの哉と心竊ひそかに駭きしが、雲を遏とゞめ雲を𢌞めぐらす妙たへなる舞の手振てぶりを見もて行くうち、胸むね怪あやしう轟き、心何となく安からざる如く、二十三年の今まで絶えて覺おぼえなき異樣の感情雲くもの如く湧き出でて、例へば渚なぎさを閉ぢし池の氷の春風はるかぜに溶とけたらんが如く、若しくは滿身の力をはりつめし手足てあしの節々ふしし一時に緩ゆるみしが如く、茫然として行衞も知らぬ通路かよひぢを我ながら踏み迷へる思して、果は舞まひ終り樂がく收まりしにも心付かず、軈て席を退まかり出でて何處ともなく出で行きしが、あはれ横笛とは時頼其夜初めて覺えし女子の名なりけり。
 日來ひごろ快濶にして物に鬱する事などの夢にもなかりし時頼の氣風何時いつしか變りて、憂うれはしげに思ひ煩わづらふ朝夕の樣唯ただならず、紅色あかみを帶びしつややしき頬の色少しく蒼ざめて、常にも似で物言ふ事も稀になり、太息といきの數のみぞ唯ゝ増さりける。果は濡羽ぬれはの厚鬢あつびんに水櫛みづぐし當あてて、筈長はずながの大束おほたぶさに今樣の大紋だいもんの布衣ほいは平生の氣象に似もやらずと、時頼を知れる人、訝しく思はぬはなかりけり。
第五

 打つて變りし瀧口が今日此頃けふこのごろの有樣に、あれ見よ、當世嫌ひの武骨者ぶこつものも一度は折らねばならぬ我慢なるに、笑止や日頃ひごろ吾等を尻目に懸けて輕薄武士と言はぬ計りの顏、今更何處どこに下げて吾等に對むかひ得るなど、後指うしろゆびさして嘲り笑ふものあれども、瀧口少しも意に介せざるが如く、應對等は常の如く振舞ひけり。されど自慢の頬鬢掻撫かいなづる隙ひまもなく、青黛の跡絶えず鮮かにして、萌黄もえぎの狩衣かりぎぬに摺皮すりかはの藺草履ゐざうりなど、よろづ派手やかなる出立いでたちは人目に夫それと紛まがうべくもあらず。顏容かほかたちさへ稍〻窶やつれて、起居《たちゐ》も懶《ものう》きがごとく見ゆれども、人に向つて氣色《きしよく》の勝《すぐ》れざるを喞ちし事もなく、偶〻たまま病などなきやと問ふ人あれば、却つて意外の面地おももちして、常にも増して健かなりと答へけり。
 皆是れ戀の業わざなりとは、哀れや時頼未だ夢にも心づかず、我ともなく人ともあらで只〻思ひ煩へるのみ。思ひ煩へる事さへも心自ら知らず、例へば夢の中に伏床ふしどを拔け出でて終夜よもすがら山やまの巓いたゞき、水の涯ほとりを迷ひつくしたらん人こそ、さながら瀧口が今の有樣に似たりとも見るべけれ。
 人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧口何處のはてまで辿りけん、夕とも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れならで知る人もなく、只〻門出かどでの勢ひに引きかへて、戻足もどりあしの打ち蕭しおれたる樣、さすがに遠路の勞つかれとも思はれず。一月餘ひとつきあまりも過ぎて其年の春も暮れ、青葉の影に時鳥ほとゝぎすの初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝる有樣の悛あらたまる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬の稽古さえ自おのづから怠り勝になりて、胴丸どうまるに積もる埃ほこりの堆うづたかきに目もかけず、名に負へる鐵卷くろがねまきは高く長押なげしに掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫すりざめの鞘卷さやまき指さし添へたる立姿たちすがたは、若もし我ならざりせば一月前ひとつきまへの時頼、唾も吐きかねざる華奢きやしやの風俗なりし。
 されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひ譏そしる人も漸く少くなりし頃、蝉聲せみ喧かまびすしき夏の暮にもなりけん。瀧口が顏愈〻やつれ、頬肉は目立つまでに落ちて眉のみ秀で、凄きほど色蒼白あをみて濃こまやかなる雙の鬢のみぞ、愈〻其の澤つやを増しける。氣向きむかねばとて、病と稱して小松殿が熊野參寵の伴ともにも立たず、動やゝもすれば、己が室に閉籠りて、夜更くるまで寢もやらず、日頃は絶えて用なき机に向ひ、一穗すゐの燈ともしび挑かゝげて怪しげなる薄色の折紙をりがみ延べ擴げ、命毛いのちげの細々と認むる小筆の運び絶間なく、卷いてはかへす思案の胸に、果は太息といきと共に封じ納むる文の數々かずず、燈の光に宛名を見れば、薄墨の色の哀れを籠めて、何時の間に習ひけん、貫之流つらゆきりうの流れ文字に『横笛さま』。
 世に艷なまめかしき文てふものを初めて我が思ふ人に送りし時は、心のみを頼みに安からぬ日を覺束なくも暮らせしが、籬に觸るゝ夕風のそよとの頼たよりだになし。前もなき只の一度に人の誠のいかで知らるべきと、更に心を籠めて寄する言の葉も亦仇あだし矢の返す響もなし。心せはしき三度みたび五度いつたび、答なきほど迷ひは愈〻深み、氣は愈〻狂ひ、十度、二十度、哀れ六尺の丈夫ますらをが二つなき魂をこめし千束ちづかなす文は、底なき谷に投げたらん礫つぶての如く、只の一度の返り言ごともなく、天あまの戸と渡わたる梶の葉に思ふこと書く頃も過ぎ、何時いつしか秋風の哀れを送る夕まぐれ、露を命の蟲の音の葉末にすだく聲悲し。
第六

 思へば我しらで戀路こひぢの闇に迷ひし瀧口こそ哀れなれ。鳥部野とりべのの煙絶ゆる時なく、仇し野の露置くにひまなき、まゝならぬ世の習はしに漏るゝ我とは思はねども、相見ての刹那に百年もゝとせの契をこむる頼もしき例ためしなきにもあらぬ世の中に、いかなれば我のみは、天の羽衣はごろも撫で盡つくすらんほど永き悲しみに、只〻一時ひとときの望みだに得え協かなはざる。思へば無情つれなの横笛や、過ぎにし春のこのかた、書き連つらねたる百千もゝちの文に、今は我には言殘せる誠もなし、良よしあればとて此上短き言の葉に、胸にさへ餘る長き思を寄せん術すべやある。情つれなの横笛や、よしや送りし文は拙くとも、變らぬ赤心まことは此の春秋の永きにても知れ。一夜の松風に夢さめて、思おもひ寂さびしき衾ふすまの中に、我わがありし事、薄すゝきが末の露程も思ひ出ださんには、など一言ひとことの哀れを返さぬ事やあるべき。思へばば心なの横笛や。
 然さはさりながら、他あだし人の心、我が誠もて規はかるべきに非ず。路傍みちのべの柳は折る人の心に任まかせ、野路のぢの花は摘む主ぬし常ならず、數多き女房曹司の中に、いはば萍うきくさの浮世の風に任する一女子の身、今日は何れの汀に留まりて、明日あすは何處の岸に吹かれやせん。千束ちづかなす我が文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざらんも知れず。況ましてや、あでやかなる彼れが顏かんばせは、浮きたる色を愛めづる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老女を捉へて色清げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしや他ひとにはあらぬ赤心まことを寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷女たをやめに二つなき心盡しのかずずは我身ながら恥かしや、アヽ心なき人に心して我のみ迷いし愚さよ。
 待てしばし、然さるにても立波たつなみ荒あらき大海わたつみの下にも、人知らぬ眞珠またまの光あり、外よそには見えぬ木影こかげにも、情なさけの露の宿する例ためし。まゝならぬ世の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎ひとごとに他ひとには測られぬ憂うきはあるものぞかし。あはれ後とも言はず今日の今、我が此思ひを其儘に、いづれいかなる由ありて、我が思ふ人の悲しみ居らざる事を誰か知るや。想へば、那かの氣高けだかき﨟らふたけたる横笛を萍うきくさの浮きたる艷女たをやめとは僻ひがめる我が心の誤ならんも知れず。さなり、我が心の誤ならんも知れず。鳴く蝉よりも鳴かぬ螢の身を焦すもあるに、聲なき哀れの深さに較くらぶれば、仇浪あだなみ立てる此胸の淺瀬は物の數かずならず。そもや心なき草も春に遇へば笑ひ、情じやうなき蟲も秋に感ずれば鳴く。血にこそ染まね、千束なす紅葉重もみぢがさねの燃ゆる計りの我が思ひに、薄墨の跡だに得え還かへさぬ人の心の有耶無耶ありやなしやは、誰か測り、誰か知る。然さなり、情つれなしと見、心なしと思ひしは、僻める我身の誤なりけり。然るにても――
 瀧口の胸は麻の如く亂れ、とつおいつ、或は恨み、或は疑ひ、或は惑ひ、或は慰め、去りては來り、往きては還り、念々不斷の妄想、流は千々に異かはれども、落行く末はいづれ同じ戀慕の淵。迷の羈絆きづな目に見えねば、勇士の刃も切らんに術すべなく、あはれや、鬼も挫ひしがんず六波羅一の剛がうの者もの、何時いつの間まにか戀の奴やつことなりすましぬ。 一夜時頼ときより、更かう闌たけて尚ほ眠りもせず、意中の幻影まぼろしを追ひながら、爲す事もなく茫然として机に憑より居しが、越し方、行末の事、端はしなく胸に浮び、今の我身の有樣に引き比くらべて、思はず深々ふかぶかと太息といきつきしが、何思ひけん、一聲高く胸を叩いて躍り上あがり、『嗚呼過あやまてりり』。

第七

 歌物語うたものがたりに何の癡言たはことと聞き流せし戀てふ魔に、さては吾れ疾とくより魅みせられしかと、初めて悟りし今の刹那に、瀧口が心は如何いかなりしぞ。『嗚呼過てり』とは何より先に口を衝いて覺えず出でし意料無限の一語、襟元に雪水を浴びし如く、六尺の總身ぶるると震ひ上りて、胸轟き、息いきせはしく、『むゝ』とばかりに暫時しばしは空を睨んで無言の體てい。やがて眼めを閉ぢてつくづく過越方すぎこしかたを想ひ返せば、哀れにもつらかりし思ひの數々かずず、さながら世を隔てたらん如く、今更明あかし暮らせし朝夕の如何にしてと驚かれぬる計り。夢かと思へば、現うつせ身の陽炎かげろふの影とも消えやらず、現うつゝかと見れば、夢よりも尚ほ淡き此の春秋の經過、例へば永の病に本性を失ひし人の、やうやく我に還りしが如く、瀧口は只〻恍惚として呆るゝばかりなり。
『嗚呼過てりり、弓矢ゆみやの家に生うまれし身の、天晴あつぱれ功名手柄して、勇士の譽を後世に殘すこそ此世に於ける本懷なれ。何事ぞ、眞の武士の唇頭くちびるに上のぼすも忌いまはしき一女子の色に迷うて、可惜あたら月日つきひを夢現ゆめうつゝの境に過すごさんとは。あはれ南無八幡大菩薩も照覽あれ、瀧口時頼が武士の魂の曇なき證據、眞まつ此の通り』と、床とこなる一刀スラリと拔きて、青燈の光に差し付くれば、爛々たる氷の刃に水も滴したゝらんず無反むそりの切先きつさき、鍔を銜ふくんで紫雲の如く立上たちのぼる燒刃やきばの匂にほひ目も覺さむるばかり。打ち見やりて時頼莞爾につこと打ち笑ゑみ、二振三振ふたふりみふり、不圖ふと平見ひらみに映る我が顏見れば、こはいかに、内落ち色蒼白あをじろく、ありし昔に似もつかぬ悲慘の容貌。打ち駭きて、ためつ、すがめつ、見れば見るほど變り果てし面影おもかげは我ならで外になし。扨も窶れたるかな、愧はづかしや我を知れる人は斯かる容すがたを何とか見けん――、そも斯くまで骨身をいためし哀れを思へば、深さは我ながら程知らず、是も誰たが爲め、思へば無情つれなの人心ひとごゝろかな。
 碎けよと握り詰めたる柄つかも氣も何時いつしか緩ゆるみて、臥蠶ぐわさんの太眉ふとまゆ閃々と動きて、覺えず『あゝ』と太息といきつけば、霞む刀に心も曇り、映うつるは我わが面かほならで、烟の如き横笛が舞姿。是はとばかり眼を閉ぢ、氣を取り直し、鍔音高く刃やいばを鞘に納むれば、跡には燈の影ほの暗く、障子に映る影さびし。
 嗚呼々々、六尺の體みに人竝みの膽は有りながら、さりとは腑甲斐なき我身かな。影も形もなき妄念まうねんに惱まされて、しらで過ぎし日はまだしもなれ、迷ひの夢の醒め果てし今はの際きはに、めめしき未練は、あはれ武士ぞと言ひ得べきか。輕しと喞かこちし三尺二寸、双腕もろうでかけて疊みしはそも何の爲の極意ごくいなりしぞ。祖先の苦勞を忘れて風流三昧に現うつゝを拔かす當世武士を尻目にかけし、半歳前の我は今何處いづくにあるぞ。武骨者と人の笑ふを心に誇りし齋藤時頼に、あはれ今無念の涙は一滴も殘らずや。そもや瀧口が此身は空蝉うつせみのもぬけの殼からにて、腐れしまでも昔の膽の一片も殘らぬか。 世に畏るべき敵に遇はざりし瀧口も、戀てふ魔神には引く弓もなきに呆れはてぬ。無念と思へば心愈〻亂れ、心愈〻亂るゝに隨つれて、亂脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈〻擴がり、果は狂氣の如くいらちて、時ならぬ鳴弦の響、劍撃の聲に胸中の渾沌を清すまさんと務むれども、心茲にあらざれば見れども見えず、聞けども聞えず、命の蔭に蹲踞うづくまる一念の戀は、玉の緒ならで斷たん術もなし。
 誠や、戀に迷へる者は猶ほ底なき泥中に陷れるが如し。一寸上うへに浮ばんとするは、一寸下したに沈むなり、一尺岸きしに上のぼらんとするは、一尺底そこに下くだるなり、所詮自ら掘れる墳墓に埋るゝ運命は、悶え苦みて些の益もなし。されば悟れるとは己れが迷を知ることにして、そを脱だつせるの謂いひにはあらず。哀れ、戀の鴆毒ちんどくを渣かすも殘さず飮み干ほせる瀧口は、只〻坐して致命の時を待つの外なからん。

第八

 消えわびん露の命を、何にかけてや繋つなぐらんと思ひきや、四五日經へて瀧口が顏に憂の色漸く去りて、今までの如く物につけ事に觸れ、思ひ煩ふ樣さまも見えず、胸の嵐はしらねども、表面うはべは槇まきの梢のさらとも鳴らさず、何者か失意の戀にかへて其心を慰むるものあればならん。
 一日あるひ、瀧口は父なる左衞門に向ひ、『父上に事こと改あらためて御願ひ致し度き一義あり』。左衞門『何事ぞ』と問へば、『斯かる事、我口より申すは如何いかゞなものなれども、二十を越えてはや三歳にもなりたれば、家に洒掃の妻なくては萬よろづに事こと缺かけて快こゝろよからず、幸ひ時頼見定みさだめ置きし女子をなご有れば、父上より改めて婚禮を御取計らひ下されたく、願ひと言ふは此事に候』。人傳ひとづてに名を聞きてさへ愧はぢらふべき初妻うひづまが事、顏赤らめもせず、落付き拂ひし語ことばの言ひ樣、仔細ありげなり。左衞門笑ひながら、『これは異いな願ひを聞くものかな、晩おそかれ早かれ、いづれ持たねばならぬ妻なれば、相應ふさはしき縁もあらばと、老父われも疾くより心懸け居りしぞ。シテ其方そなたが見定め置きし女子とは、何れの御内みうちか、但しは御一門にてもあるや、どうぢや』。『小子それがしが申せし女子は、然さる門地ある者ならず』。『然さらばいかなる身分みぶんの者ぞ、衞府附ゑふづきの侍さむらひにてもあるか』。『否いや、さるものには候はず、御所の曹司に横笛と申すもの、聞けば御室おむろわたりの郷家の娘なりとの事』。
 瀧口が顏は少しく青ざめて、思ひ定めし眼の色徒たゞならず。父は暫しばし語ことばなく俯うつむける我子の顏を凝視みつめ居しが、『時頼、そは正氣しやうきの言葉か』。『小子それがしが一生の願ひ、神しん以もつて詐いつわりならず』。左衞門は兩手を膝に置き直して聲勵まし、『やよ時頼、言ふまでもなき事なれど、婚姻は一生の大事と言ふこと、其方そち知らぬ事はあるまじ。世にも人にも知られたる然しかるべき人の娘を嫁子よめごにもなし、其方そちが出世をも心安うせんと、日頃より心を用ゆる父を其方は何と見つるぞ。よしなき者に心を懸けて、家の譽をも顧みぬほど、無分別の其方そちにてはなかりしに、扨は豫かねてより人の噂に違はず、横笛とやらの色に迷ひしよな』。『否、小子それがしこと色に迷はず、香かにも醉はず、神しん以もつて戀でもなく浮氣でもなし、只〻少しく心に誓ひし仔細の候へば』。
 左衞門は少しく色を起し、『默れ時頼、父の耳目を欺かん其の語ことば、先頃其方が儕輩の足助あすけの二郎殿、年若きにも似ず、其方が横笛に想ひを懸け居ること、後の爲ならずと懇ねんごろに潛かに我に告げ呉れしが、其方そちに限りて浮きたる事のあるべきとも思はれねば、心も措かで過ぎ來りしが、思へば父が庇蔭目ひいきめの過あやまちなりし。神以て戀にあらずとは何處どこまで此父を袖になさんずる心ぞ、不埒者め。話にも聞きつらん、祖先兵衞ひやうゑ直頼殿、餘五將軍よごしやうぐんに仕つかへて拔群ばつくんの譽を顯はせしこのかた、弓矢ゆみやの前には後おくれを取らぬ齋藤の血統ちすぢに、女色によしよくに魂を奪はれし未練者は其方が初めぞ。それにても武門の恥と心付かぬか、弓矢の手前に面目なしとは思はずか。同じくば名ある武士の末にてもあらばいざしらず、素性すじやうもなき土民郷家の娘に、茂頼斯くて在らん内は、齋藤の門をくゞらせん事思ひも寄らず』。 老おいの一徹短慮に息卷いきまき荒あらく罵れば、時頼は默然として只〻差俯さしうつむけるのみ。やゝありて、左衞門は少しく面おもてを和やはらげて、『いかに時頼、人若ひとわかき間は皆過あやまちはあるものぞ、萌え出いづる時の美うるはしさに、霜枯しもがれの哀れは見えねども、何いづれか秋に遭あはで果はつべき。花の盛りは僅に三日にして、跡の青葉あをばは何いづれも色同じ、あでやかなる女子の色も十年はよも續かぬものぞ、老いての後に顧れば、色めづる若き時の心の我ながら解わからぬほど癡たはけたるものなるぞ。過ちは改むるに憚る勿れとは古哲の金言、父が言葉腑ふに落ちたるか、横笛が事思ひ切りたるか。時頼、返事のなきは不承知か』。
 今まで眼を閉ぢて默然もくねんたりし瀧口は、やうやく首かうべを擡もたげて父が顏を見上げしが、兩眼は潤うるほひて無限の情を湛たゝへ、滿面に顯せる悲哀の裡うちに搖ゆるがぬ決心を示し、徐おもむろに兩手をつきて、『一一道理ある御仰おんおほせ、横笛が事、只今限り刀にかけて思ひ切つて候、其の代りに時頼が又の願ひ、御聞屆おんきゝとゞけくだ下さるべきや』。左衞門は然ささもありなんと打點頭うちうなづき、『それでこそ茂頼が悴せがれ、早速の分別、父も安堵したるぞ、此上の願とは何事ぞ』。『今日より永のおん暇いとまを給はりたし』。言ひ終るや、堰止せきとめかねし溜涙ためなみだ、はららと流しぬ。

第九

 天にも地にも意外の一言に、左衞門呆れて口も開かず、只〻其子の顏色打ち※まもれば、瀧口は徐ろに涙を拂ひ、『思ひの外なる御驚おんおどろききに定めて浮うわの空そらとも思おぼされんが、此願ひこそは時頼が此座の出來心できごゝろにては露つゆ候さふらはず、斯かる曉にはと豫かねてより思決おもひさだめし事に候。事の仔細を申さば、只〻御心に違たがふのみなるべけれども、申さざれば猶ほ以て亂心の沙汰とも思召おぼしめされん。申すも思はゆげなる横笛が事、まこと言ひ交かはせし事だになけれども、我のみの哀れは中々に深さの程こそ知れね、つれなき人の心に猶更なほさら狂ふ心の駒を繋がむ手綱たづなもなく、此の春秋はるあきは我身ながら辛つらかりし。神かけて戀に非ず、迷に非ずと我は思へども、人には浮氣とや見えもしけん。唯〻劒つるぎに切らん影もなく、弓もて射ん的まともなき心の敵に向ひて、そも幾いくその苦戰をなせしやは、父上、此の顏容かほかたちのやつれたるにて御推量下されたし。時頼が六尺の體によくも擔になひしと自らすら駭く計りなる積りりし憂事うきことの數、我ならで外に知る人もなく、只〻戀の奴よ、心弱き者よと世上せじやうの人に歌はれん殘念さ、誰れに向つて推量あれとも言はん人なきこそ、返す返すも口惜しけれ。此儘の身にては、どの顏下さげて武士よと人に呼ばるべき、腐れし心を抱いだきて、外見ばかりの伊達だてに指さん事、兩刀の曇なき手前に心とがめて我から忍びず、只〻此上は横笛に表向き婚姻を申入るゝ外なし、されどつれなき人心、今更靡かん樣もなく、且や素性すじやう賤いやしき女子なれば、物堅き父上の御容おんゆるしなき事元もとより覺悟候ひしが、只〻最後の思出おもひでにお耳を汚したるまでなりき。所詮天魔に魅入みいられし我身の定業ぢやうごふと思へば、心を煩はすもの更になし。今は小子それがしが胸には横笛がつれなき心も殘らず、月日と共に積りし哀れも宿さず、人の恨みも我が愛いつくしみも洗ひし如く痕なけれども、殘るは只〻此世の無常にして頼み少きこと、秋風の身にしみみと感じて有漏うろの身の換へ難き恨み、今更骨身ほねみに徹こたへ候。惟おもんみれば誰が保ちけん東父西母が命いのち、誰が嘗なめたりし不老不死の藥、電光の裏に假の生を寄せて、妄念の間に露の命を苦しむ、愚おろかなりし我身なりけり。横笛が事、御容しなきこと小子それがしに取りては此上もなき善知識。今日けふを限りに世を厭ひて誠の道に入り、墨染の衣ころもに一生を送りたき小子それがしが決心。二十餘年の御恩の程は申すも愚おろかなれども、何れ遁のがれ得ぬ因果の道と御諦おんあきらめありて、永ながの御暇おんいとまを給はらんこと、時頼が今生こんじやうの願に候』。胸一杯の悲しみに語ことばさへ震へ、語り了ると其儘、齒根はぐき喰ひ絞しばりて、詰きと耐ゆる斷腸の思ひ、勇士の愁歎、流石さすがにめゝしからず。 過ぎ越こせし六十餘年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思はず、涙は無念の時出づるものぞと思ひし左衞門が耳に、哀れに優しき瀧口が述懷の、何として解とかるべき。歌うた詠よむ人の方便とのみ思ひ居し戀に惱みしと言ふさへあるに、木の端はしとのみ嘲りし世捨人よすてびとが現在我子の願ならんとは、左衞門如何いかでか驚かざるを得べき。夢かとばかり、一度は呆れ、一度は怒り、老の兩眼に溢るゝばかりの涙を浮べ、『やよ悴せがれ、今言ひしは慥に齋藤時頼が眞の言葉か、幼少より筋骨きんこつ人に勝れて逞しく、膽力さへ座すわりたる其方、行末の出世の程も頼母しく、我が白髮首しらがくびの生甲斐いきがひあらん日をば、指折りながら待侘まちわび居たるには引換へて、今と言ふ今、老の眼に思ひも寄らぬ恥辱を見るものかな。奇怪とや言はん、不思議とや言はん。慈悲深き小松殿が、左衞門は善き子を持たれし、と我を見給ふ度毎たびごとのお言葉を常々人に誇りし我れ、今更乞食坊主の悴を持ちて、いづこに人に合あはする二つの顏ありと思うてか。やよ、時頼、ヨツク聞け、他は言はず、先祖代々よりの齋藤一家が被りし平家の御恩はそも幾何なりと思へるぞ。殊に弱年の其方を那程あれほどに目をかけ給ふ小松殿の御恩に對しても、よし如何に堪へ難き理由わけあればとて、斯かる方外の事、言はれ得る義理か。弓矢の上にこそ武士の譽はあれ、兩刀捨てて世を捨てて、悟り顏なる悴を左衞門は持たざるぞ。上氣じやうきの沙汰ならば容赦ようしやもせん、性根しやうねを据ゑて、不所存のほど過あやまつたと言はぬかツ』。兩の拳を握りて、怒りの眼は鋭けれども、恩愛の涙は忍ばれず、雙頬傳うてはふり落つるを拭ひもやらず、一息つよく、『どうぢや、時頼、返答せぬかッ』。

第十

 深く思ひ決さだめし瀧口が一念は、石にあらねば轉まろばすべくもあらざれども、忠と孝との二道ふたみちに恩義をからみし父の言葉。思ひ設けし事ながら、今更に腸はらわたも千切ちぎるゝばかり、聲も涙に曇りて、見上ぐる父の顏も定かならず、『仰せらるゝ事、時頼いかで理ことわりと承らざるべき。小松殿の御事は云ふも更なり、年寄り給ひたる父上に、斯かる嘆なげきを見參らする小子それがしが胸の苦しさは喩ふるに物もなけれども、所詮浮世と觀じては、一切の望に離れし我心、今は返さん術すべもなし、忠孝の道、君父の恩、時頼何として疎おろそかに存じ候べき。然さりながら、一度人身を失へば萬劫還らずとかや、世を換へ生を移しても、生死妄念を離れざる身を思へば、悟さとりの日の晩おそかりしに心急せかれて、世は是れ迄とこそ思はれ候へ。只〻是れまで思ひ決めしまで重ねねし幾重の思案をば、御知りなき父上には、定めて若氣わかげの短慮とも、當座の上氣じやうきとも聞かれつらんこそ口惜しけれ、言はば一生の浮沈に關かゝはる大事、時頼不肖ながらいかでか等閑なほざりに思ひ候べき。詮ずるに自他の悲しみを此胸一つに收め置いて、亡なからん後の世まで知る人もなき身の果敢はかなさ、今更いまさら是非もなし。父上、願ふは此世の縁を是限これかぎりに、時頼が身は二十三年の秋を一期に病の爲に敢あへなくなりしとも御諦おんあきらめ下されかし。不孝の悲しみは胸一つには堪へざれども、御詫おんわび申さんに辭ことばもなし、只〻御赦おんゆるしを乞ふ計りに候』。
 濺そゝぐ涙に哀れを籠こめても、飽くまで世を背に見たる我子の決心、左衞門今いまは夢とも上氣とも思はれず、愛いとしと思ふほど彌増いやます憎にくさ。慈悲と恩愛に燃ゆる怒の焔ほのほに滿面朱しゆを濺げるが如く、張り裂く計りの胸の思ひに言葉さへ絶ええに、『イ言はして置けば父をさし置きて我れ面白おもしろの勝手かつての理窟、左衞門聞く耳持たぬぞ。無常因果と、世にも癡たはけたる乞食坊主のえせ假聲こわいろ、武士がどの口もて言ひ得る語ことばぞ。弓矢とる身に何の無常、何の因果。――時頼、善く聞け、畜類の狗いぬさへ、一日の飼養に三年の恩を知ると云ふに非ずや。匐はへば立て、立てば歩めと、我が年の積つもるをも思はで育て上げし二十三年の親の辛苦、さては重代ぢゆうだい相恩さうおんの主君にも見換へんもの、世に有りと思ふ其方は、犬にも劣りしとは知らざるか。不忠とも、不孝とも、亂心とも、狂氣とも、言はん樣なき不所存者、左衞門が眼には、我子の容かたちに化ばけし惡魔とより外は見えざるぞ、それにても見事其處に居直りて、齋藤左衞門茂頼が一子ぞと言ひ得るか、ならば御先祖の御名立派に申して見よ。其方より暇乞ふ迄もなし、人の數にも入らぬ木の端はしは、勿論親でもなく、子でもなし。其一念の直らぬ間は、時頼、シヽ七生までの義絶ぞ』。言ひ捨てて、襖ふすま立切たてきり、疊觸たゝみざはりはも荒々あららしく、ツと奧に入りし左衞門。跡見送らんともせず、時頼は兩手をはたとつきて、兩眼の涙さながら雨の如し。 外には鳥の聲うら悲しく、枯れもせぬに散る青葉二つ三つ、無情の嵐に搖落ゆりおとされて窓打つ音さへ恨めしげなる。――あはれ、世は汝のみの浮世かは。

第十一

 一門の采邑、六十餘州の半なかばを越え、公卿・殿上人三十餘人、諸司衞府を合せて門下郎黨の大官榮職を恣ほしいまゝにするもの其の數を知らず、げに平家の世は今を盛りとぞ見えにける。新大納言が隱謀脆もろくも敗れて、身は西海の隅はてに死し、丹波の少將成經なりつね、平判官康頼やすより、法勝寺の執事俊寛等しゆんくわんら、徒黨の面々、波路なみぢ遙かに名も恐ろしき鬼界が島に流されしより、世は愈〻平家の勢ひに麟伏し、道路目を側《そばだ》つれども背後に指《ゆびさ》す人だになし。一國の生殺與奪の權は、入道が眉目の間に在りて、衞府判官は其の爪牙たるに過ぎず。苟も身一門の末葉に連《つらな》れば、公卿華胄の公達《きんだち》も敢えて肩を竝ぶる者なく、前代未聞《ぜんだいみもん》の榮華は、天下の耳目を驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の行爲《ふるまひ》、一朝の怒に其の身を忘れ、小松内府の諫《いさめ》をも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽《とば》の北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職を褫《はが》れ、或は遠島に流人《るにん》となるもの四十餘人。鄙《ひな》も都も怨嗟の聲に充《み》ち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日《けふ》の歡《よろこ》びに明日《あす》の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰の理《ことわり》とは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にも盡《つく》されね。父入道が非道の擧動《ふるまひ》は一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて熟〻つらら世の無常を感じたる小松の内大臣ないふ重盛卿、先頃さきごろ思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人に面おもてを合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕しゆつしもなし。然されば平生徳に懷なつき恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひ傷いたまざるはなかりけり。

            *        *
       *        *

 短き秋の日影もやゝ西に傾きて、風の音さへ澄み渡るはづき半なかばの夕暮の空、前には閑庭を控へて左右は廻廊を繞めぐらし、青海の簾みす長く垂れこめて、微月の銀鈎空しく懸れる一室は、小松殿が居間ゐまなり。内には寂然として人なきが如く、只〻簾を漏れて心細くも立迷ふ香煙一縷、をりをりかすかに聞ゆる戞々の音は、念珠を爪繰つまぐる響にや、主が消息を齎らして、いと奧床し。
 やゝありて『誰かある』と呼ぶ聲す、那方あなたなる廊下の妻戸つまどを開あけて徐ろに出で來りたる立烏帽子に布衣着たる侍は齋藤瀧口なり。『時頼參りて候』と申上ぐれば、やがて一間ひとまを出で立ち給ふ小松殿、身には山藍色やまあゐいろの形木かたぎを摺りたる白布の服を纏ひ、手には水晶の珠數を掛け、ありしにも似ず窶れ給ひし御顏に笑ゑみを含み、『珍らしや瀧口、此程より病氣いたつきの由にて予が熊野參籠の折より見えざりしが、僅の間に痛く痩せ衰へし其方が顏容かほかたち、日頃鬼とも組まんず勇士も身内の敵には勝たれぬよな、病は癒えしか』。瀧口はやゝしばし、詰きつと御顏を見上げ居たりしが、『久しく御前に遠とほざかりたれば、餘りの御懷おんなつかししさに病餘の身をも顧みず、先刻遠侍とほざむらひに伺候致せしが、幸にして御拜顏の折を得て、時頼身にとりて恐悦の至りに候』。言ふと其儘御前に打ち伏し、濡羽ぬれはの鬢に小波を打たせて悲愁の樣子、徒たゞならず見えけり。
 哀れや瀧口、世を捨てん身にも今を限りの名殘には一切の諸縁何れか煩惱ならぬはなし。比世の思ひ出に、夫それとはなしに餘所ながらの告別いとまごひとは神ならぬ身の知り給はぬ小松殿、瀧口が平生の快濶なるに似もやらで、打ち萎れたる容姿を、訝いぶかしげに見やり給ふぞ理ことわりなる。
 四方山よもやまの物語に時移り、入日いりひの影も何時いつしか消えて、冴え渡る空に星影寒く、階下の叢くさむらに蟲の鳴く聲露ほしげなり。燭を運び來りし水干に緋の袴着けたる童わらべの後影うしろかげ見送りて、小松殿は聲を忍ばせ、『時頼、近う寄れ、得難き折なれば、予が改めて其方そちに頼み置く事あり』。

第十二

 一穗すゐの燈ともしびを狹みて相對あひたいせる小松殿と時頼、物語の樣、最いと肅しめやかなり。『こは思ひも寄らぬ御言葉を承はり候ものかな、御世は盛りとこそ思はれつるに、など然さる忌いまはしき事を仰せらるゝにや。憚り多き事ながら、殿とのこそは御一門の柱石ちゆうせき、天下萬民の望みの集まる所、吾れ人諸共もろともに御運ごうんの程の久しかれと祈らぬ者はあらざるに、何事にて御在おはするぞ、聊かの御不例に忌まはしき御身の後を仰せ置かるゝとは。殊更ことさら少將殿の御事、不肖弱年の時頼、如何いかでか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つやや合點がてん參らず』。
『時頼、さては其方そちが眼にも世は盛りと見えつるよな。盛りに見ゆればこそ、衰へん末の事の一入ひとしほ深く思ひ遣やらるゝなれ。弓矢の上に天下を與奪よだつするは武門の慣習ならひ。遠き故事を引くにも及ばず、近き例ためしは源氏の末路まつろ。仁平にんぺい、久壽きうじゆの盛りの頃には、六條判官殿、如何いかでか其の一族の今日こんにちあるを思はれんや。治ちに居て亂らんを忘れざるは長久の道、榮華の中に沒落を思ふも、徒たゞに重盛が杞憂のみにあらじ』。
『然さるにても幾千代重ねん殿が御代みよなるに、など然ることの候はんや』。
『否いなとよ時頼、朝あしたの露よりも猶ほ空あだなる人の身の、何時いつ消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふ間ひまさへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひ料はからんや。我もし兎も角もならん跡には、心に懸かるは只〻少將が身の上、元來孱弱の性質、加ふるに幼をさなきより詩歌しいか數寄の道に心を寄せ、管絃舞樂の娯たのしみの外には、弓矢の譽あるを知らず。其方も見つらん、去さんぬる春の花見の宴に、一門の面目と稱たゝへられて、舞妓まひこ、白拍子しらびやうしにも比すべからん己おのが優技わざをば、さも誇り顏に見えしは、親の身の中々に恥はづかしかりし。一旦事あらば、妻子の愛、浮世の望みに惹ひかされて、如何なる未練の最期さいごを遂ぐるやも測られず。世の盛衰は是非もなし、平家の嫡流として卑怯の擧動ふるまひなどあらんには、祖先累代の恥辱この上あるべからず。維盛が行末守り呉れよ、時頼、之ぞ小松が一期いちごの頼みなるぞ』。
『そは時頼の分ぶんに過ぎたる仰せにて候ぞや。現在足助あすけ二郎重景など屈竟くつきやうの人々、少將殿の扈從こしようには候はずや。若年じやくねん未熟みじゆくの時頼、人に勝まさりし何の能のうありて斯かる大任を御受け申すべき』。
『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平に狎なれて衣紋裝束えもんしやうぞくに外見みえを飾れども、誠まこと武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流に荒すさめる重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只〻彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が扈從こしようとなせしのみ。繰言くりごとながら維盛が事頼むは其方一人。少將事ことあるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。
 思ひ入りたる小松殿の御氣色みけしき、物の哀れを含めたる、心ありげの語ことばの端々はししも、餘りの忝なさに思ひ紛れて只〻感涙に咽むせぶのみ。風にあらで小忌をみの衣ころもに漣立さゞなみたち、持ち給へる珠數震ひ搖ゆらぎてさららと音するに瀧口首かうべを擡もたげて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面を背そむけて、御袖の唐草からくさに徒たゞならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは一入ひとしほ深し。夜も更ふけ行きて、何時いつしか簾みすを漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。 蟲の音ね亙わたりて月高く、いづれも哀れは秋の夕、憂うしとても逃のがれん術すべなき己おのが影を踏みながら、腕うで叉こまぬきて小松殿の門かどを立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、布衣ほいの袖重げに見え、足の運はこびさながら醉へるが如し。今更いまさら思ひ決さだめし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙に塞ふさがりて、月の光も朧おぼろなり。武士の名殘も今宵こよひを限り、餘所よそながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。御仰おんおほせの忝かたじけなさと、是非もなき身の不忠を想ひやれば、御言葉の節々ふししは骨を刻きざむより猶つらかりし。哀れ心の灰に冷え果てて浮世に立てん烟もなき今の我、あゝ何事も因果なれや。
 月は照れども心の闇に夢とも現うつゝとも覺えず、行衞もしらず歩み來りしが、ふと頭を擧ぐれば、こはいかに身は何時いつの間にか御所の裏手、中宮の御殿の邊ほとりにぞ立てりける。此春より來慣れたる道なればにや、思はぬ方に迷ひ來しものかなと、無情つれなかりし人に通ひたる昔忍ばれて、築垣ついがきの下もとに我知らず彳たゝずみける。折柄傍らなる小門の蔭にて『横笛』と言ふ聲するに心付き、思はず振向けば、立烏帽子に狩衣かりぎぬ着たる一個の侍さむらひの此方に背を向けたるが、年の頃五十計りなる老女と額を合せて囁さゝやけるなり。

第十三

 月より外に立聞ける人ありとも知らで、件の侍は聲潛ひそませて、『いかに冷泉れいぜい、折重をりかさねし薄樣うすやうは薄くとも、こめし哀れは此秋よりも深しと覺ゆるに、彼の君の氣色けしきは如何なりしぞ。夜毎の月も數へ盡して、圓まどかなる影は二度まで見たるに、身の願の滿たん日は何れの頃にや。頼み甲斐なき懸橋かけはしよ』。
 怨みの言葉を言はせも敢へず、老女は疎まばらなる齒莖はぐきを顯はしてホヽと打笑うちゑみ、『然さりとは戀する御身にも似合はぬ事を。此の冷泉に如才じよさいは露なけれども、まだ都慣れぬ彼の君なれば、御身が事可愛いとしとは思ひながら、返す言葉のはしたなしと思はれんなど思ひ煩うてお在はすにこそ、咲かぬ中うちこそ莟ならずや』。言ひつゝツと男の傍に立寄りて耳に口よせ、何事か暫し囁さゝやきしが、一言毎ひとことごとに點頭うなづきて冷ひやゝかに打笑める男の肩を輕く叩きて、『お解わかりになりしや、其時こそは此の老婆ばゞにも、秋にはなき梶の葉なれば、渡しの料しろは忘れ給ふな、世にも憎きほど羨ましき二郎ぬしよ』。男は打笑ふ老女の袂を引きて、『そは誠か、時頼めはいよよ思ひ切りしとか』。
 己れが名を聞きて、松影に潛める瀧口は愈〻耳を澄しぬ。老女『此春より引きも切らぬ文の、此の二十日計りはそよとだに音なきは、言はでも著しるき、空あだなる戀と思ひ絶えしにあんなれ。何事も此の老婆ばゞに任せ給へ、又しても心元こゝろもとなげに見え給ふことの恨めしや、今こそ枯技かれえだに雪のみ積れども、鶯鳴かせし昔もありし老婆、萬よろづに拔目ぬけめのあるべきや』。袖もて口を覆おほひ、さなきだに繁き額の皺を集めて、ホヽと打笑ふ樣、見苦しき事言はん方なし。
 後の日を約して小走りに歸り行く男の影をつくく見送りて、瀧口は枯木の如く立ちすくみ、何處ともなく見詰むる眼の光徒たゞならず。『二郎、二郎とは何人なんびとならん』。獨りごちつゝ首傾けて暫し思案の樣さまなりしが、忽ち眉揚まゆあがり眼まなこ鋭するどく『さては』とばかり、面色めんしよく見るる變りて握り詰めし拳ぶるると震ひぬ。何に驚きてか、垣根の蟲、礑はたと泣き止みて、空に時雨しぐるゝ落葉散ちる響だにせず。良やゝありて瀧口、顏色和やはらぎて握りし拳も自おのづから緩み、只〻太息といきのみ深し。『何事も今の身には還らぬ夢の、恨みもなし。友を賣り人を詐る末の世と思へば、我が爲に善知識ぞや、誠なき人を戀ひしも浮世の習と思へば少しも腹立たず』。 立上りつゝ築垣ついがきの那方あなたを見やれば、琴の音ね微かすかに聞ゆ。月を友なる怨聲は、若しや我が慕ひてし人にもやと思へば、一期ごの哀れ自おのづから催されて、ありし昔は流石さすがに空あだならず、あはれ、よりても合はぬ片絲かたいとの我身の運うんは是非もなし。只〻塵の世に我が思ふ人の長とこしなへに汚けがれざれ。戀に望みを失ひても、世を果敢はかなみし心の願、優に貴し。
 千緒萬端の胸の思ひを一念「無常」の熔爐に溶とかし去りて、澄む月に比べん心の明るさ。何れ終りは同じ紙衣玉席、白骨を抱きて榮枯を計りし昔の夢ゆめ、觀じ來れば世に秋風の哀れもなし。君も、父も、戀も、情なさけも、さては世に産聲うぶごゑ擧げてより二十三年の旦夕に疊み上げ折重ねし一切の衆縁、六尺の皮肉と共に夜半よはの嵐に吹き籠めて、行衞も知らぬ雲か煙。跡には秋深く夜靜しづかにして、亙る雁かりがねの聲のみ高し。

第十四

 治承三年五月、熊野參籠の此方このかた、日に増し重おもる小松殿の病氣いたつき。一門の頼たより、天下の望みを繋つなぐ御身なれば、さすがの横紙よこがみ裂やぶりける入道にふだうも心を痛め、此日朝あさまだき西八條より遙々はるるの見舞に、内府ないふも暫く寢處しんじよを出でて對面あり、半晌計はんときばかり經へて還り去りしが、鬼の樣なる入道も稍〻涙含なみだぐみてぞ見えにける。相隨ひし人々の、入道と共に還りし跡には、館やかたの中うち最いと靜にて、小松殿の側に侍はんべるものは御子維盛これもり卿と足助二郎重景のみ。維盛卿は父に向ひ、『先刻祖父そふ禪門ぜんもんの御勸おんすゝめありし宋朝渡來の醫師、聞くが如くんば世にも稀なる名手めいしゆなるに、父上の拒こばみ給ひしこそ心得ね』。訝いぶかしげに尋ぬるを、小松殿は打見やりて、はららと涙を流し、『形ある者は天命あり。三界の教主けうしゆさへ、耆婆きばが藥にも及ばずして跋提河ばつだいがの涅槃ねはんに入り給ひき。佛體ならぬ重盛、まして唯ならぬ身の業繋ごふけなれば、藥石如何でか治するを得べき。唯〻父禪門の御身こそ痛ましけれ。位くらゐ人臣を極め、一門の榮華は何れの國、何れの代よにも例ためしなく、齡六十に越え給へば、出離生死しゆつりしやうじの御營おんいとなみ、無上菩提の願ひの外、何御不足なにごふそくのあれば、煩惱劫苦ぼんなうごふくの浮世に非道の權勢を貧り給ふ淺ましさ。如何に少將、此頃の御擧動おんふるまひを何とか見つる、臣として君を押し籠こめ奉るさへあるに、下民の苦を顧みず、遷都の企ありと聞く。そもや平安三百年の都を離れて、何いづこに平家の盛さかりあらん。父の非道を子として救ひ得ず、民の怨みを眼まのあたり見る重盛が心苦こゝろぐるしさ。思ひ遣やれ少將』。
 維盛卿も、傍らに侍じせる重景も首かうべを垂れて默然もくねんたり。内府は病み疲れたる身を脇息けふそくに持たせて、少しく笑を含みて重景を見やり給ひ、『いかに二郎、保元ほうげんの弓勢ゆんぜい、平治へいぢの太刀風たちかぜ、今も草木を靡なびかす力ありや。盛りと見ゆる世も何いづれ衰ふる時はあり、末は濁りても涸かれぬ源には、流れも何時いつか清すまんずるぞ。言葉の旨むねを忖はかり得しか』。重景は愧はづかしげに首かうべを俯ふし、『如何でかは』と答へしまゝ、はかかしく應いらへせず。 折から一人の青侍あをざむらひ廊下に手をつきて、『齋藤左衞門、只今御謁見を給はりたき旨願ひ候が、如何計らひ申さんや』と恐るる申上ぐれば、小松殿、『是れへ連つれ參れ』と言ふ。暫くして件の青侍に導かれ、緩端えんばたに平伏へいふくしたる齋藤茂頼、齡七十に近けれども、猶ほ矍鑠くわくしやくとして健すこやかなる老武者おいむしや、右の鬢先より頬を掠かすめたる向疵むかふきずに、栗毛くりげの琵琶びは股もゝ叩いて物語りし昔の武功忍ばれ、籠手摺こてずれに肉落ちて節ふしのみ高き太腕は、そも幾その人の首を切り落としけん。肩は山の如く張り、頭は雪の如く白し。『久しや左衞門』、小松殿聲懸こゑかけ給へば、左衞門は窪みし兩眼に涙を浮べ、『茂頼、此の老年に及び、一期の恥辱、不忠の大罪、御詫おんわび申さん爲め、御病體を驚かせ參らせて候』。小松殿眉まゆを顰め、『何事ぞ』と問ひ給えば、茂頼は無念の顏色にて、『愚息ぐそく時頼』、と言ひさして涙をはらはらと流せば、重景は傍らより膝を進め、『時頼殿に何事の候ひしぞ』。『遁世とんせい致して候』。
 是はと驚く維盛・重景、仔細如何にと問ひ寄るを應こたへも得せず、やうやく涙を拭のごひ、『君が山なす久年きうねんの御恩に對し、一日の報效をも遂とげず、猥りに身を捨つる條、不忠とも不義とも言はん方なき愚息が不所存、茂頼此期このごに及び、君に合はす面目も候はず』。言ひつゝ懷ふところより取り出す一封の書、『言語に絶えたる亂心にも、君が御事忘れずや、不忠を重ぬる業わざとも知らで、殘しありし此の一通、君の御名を染めたれば、捨てんにも處なく、餘儀なく此こゝに』と差上ぐるを、小松殿は取上げて、『こは予に殘せる時頼が陳情ちんじやうよな』と言ひつゝ繰りひろげ、つくく讀み了りて歎息し給い、『あゝ我れのみの浮世にてはなかりしか。――時頼ほどの武士ものゝふも物の哀れに向はん刃やいばなしと見ゆるぞ。左衞門、今は嘆きても及ばぬ事、予に於いて聊か憾みなし。禍福はあざなえる繩の如く、世は塞翁さいをうが馬、平家の武士も數多きに、時頼こそは中々に嫉ねたましき程の仕合者しあはせものぞ』。

第十五

 更かう闌たけて、天地の間にそよとも音せぬ後夜ごやの靜けさ、やゝ傾きし下弦かげんの月を追うて、冴え澄める大空を渡る雁の影遙はるかなり。ふけ行く夜に奧も表も人定まりて、築山つきやまの木影こかげに鐵燈かねとうの光のみ侘わびしげなる御所ごしよの裏局うらつぼね、女房曹司の室々も、今を盛りの寢入花ねいりばな、對屋たいやを照せる燈の火影ほかげに迷うて、妻戸を打つ蟲の音のみ高し。𢌞廊のあなたに、蘭燈らんとう尚ほ微かすかなるは誰たが部屋へやならん、主は此この夜よ深ふかきにまだ寢もやらで、獨り黒塗の小机に打ちもたれ、首かうべを俯して物思はしげなり。側かたはらにある衣桁いかうには、紅梅萌黄こうばいもえぎの三衣さんえを打懸けて、薫たき籠こめし移り香がに時ならぬ花を匂はせ、机の傍に据ゑ付けたる蒔繪の架たなには、色々の歌集物語かしふものがたりを載せ、柱には一面の古鏡を掛けて、故わざとならぬ女の魂見えて床し。主が年の頃は十七八になりもやせん、身には薄色に草模樣を染めたる小袿こうちぎを着け、水際みづぎは立ちし額ひたひより丈たけにも餘らん濡羽ぬれはの黒髮くろかみ、肩に振分ふりわけて後うしろに下さげたる姿、優に氣高し。誰れ見ねども膝も崩くづさず、時々鬢のほつれに小波さゞなみを打たせて、吐く息の深げなるに、哀れは此處こゝにも漏れずと見ゆ。主は誰たぞ、是れぞ中宮ちゆうぐうが曹司横笛なる。 其の振り上あぐる顏を見れば、鬚眉すうびの魂を蕩とろかして此世の外ならで六尺の體を天地の間に置き所なきまでに狂はせし傾國けいこくの色、凄き迄に美うるはしく、何を悲しみてか眼に湛たゝゆる涙の珠たま、海棠かいだうの雨も及ばず。膝の上に半なかば繰弘くりひろげたる文は何の哀れを籠めたるや、打ち見やる眼元めもとに無限の情なさけを含み、果は恰も悲しみに堪へざるものの如く、ブルルと身震ひして、丈もて顏を掩ひ、泣音なくねを忍樣いぢらし。
 折から、此方こなたを指さして近づく人の跫音あしおとに、横笛手早く文を藏をさめ、涙を拭ふ隙ひまもなく、忍びやかに、『横笛樣、まだ御寢ぎよしんならずや』と言ひつゝ部屋へやの障子徐しづかに開きて入り來りしは、冷泉れいぜいと呼ぶ老女なりけり。横笛は見るより、蕭しをれし今までの容姿すがた忽ち變り、屹きつと容かたちを改め、言葉さへ雄々をゝしく、『冷泉樣には、何の要事あれば夜半よはには來給ひし』、と咎むるが如く問ひ返せば、ホヽと打笑ひ、『横笛さま、心強きも程こそあれ、少しは他ひとの情なさけを酌み給へや。老い枯れし老婆の御身に嫌はるゝは、可惜あたら武士ものゝふの戀死こひじにせん命いのちを思へば物の數ならず、然さるにても昨夜よべの返事、如何に遊ばすやら』。『幾度申しても御返事は同じこと、あな蒼蠅うるさき人や』。慚はづかしげに面おもてを赧あからむる常の樣子と打つて變りし、さてもすげなき捨言葉すてことばに、冷泉訝いぶかしくは思へども、流石さすがは巧者しれもの、氣を外そらさず、『其の御心の強さに、彌増いやます思ひに堪へ難き重景さま、世に時めく身にて、霜枯しもがれの夜毎よごとに只一人、憂身うきみをやつさるゝも戀なればこそ、横笛樣、御身おんみはそを哀れとは思おぼさずか。若氣わかげの一徹てつは吾れ人ともに思ひ返しのなきもの、可惜あたら丈夫ますらをの焦こがれ死じにしても御身は見殺しにせらるゝ氣か、さりとは情つれなの御心や』。横笛はさも懶ものうげに、『左樣の事は横笛の知らぬこと』。『またしてもうたてき事のみ、恥かしと思ひ給うての事か。年弱わかき内は誰しも同じながら、斯くては戀は果はてざるものぞ。女子をなごの盛さかりは十年ととせとはなきものになるに、此上こよなき機會をりを取り外はづして、卒塔婆小町そとばこまちの故事ふるごとも有る世の中。重景樣は御家と謂ひ、器量と謂ひ、何不足なき好き縁なるに、何とて斯くは否いなみ給ふぞ。扨は瀧口殿が事思ひ給うての事か、武骨一途づの瀧口殿、文武兩道に秀ひいで給へる重景殿に較くらぶべくも非ず。況ましてや瀧口殿は何思ひ立ちてや、世を捨て給ひしと專ら評判高きをば、御身は未だ聞き給はずや。世捨人よすてびとに情も義理も要いらばこそ、花も實みもある重景殿に只〻一言の色善いろよき返かへり言ごとをし給へや。軈やがて兵衞にも昇り給はんず重景殿、御身が行末は如何に幸ならん。未だ浮世うきよ慣なれぬ御身なれば、思ひ煩らひ給ふも理ことわりなれども、六十路むそぢに近き此の老婆、いかで爲ため惡あしき事を申すべき、聞分け給ひしかや』。 顏差し覗のぞきて猫撫聲ねこなでごゑ、『や、や』と媚こびるが如く笑ゑみを含みて袖を引けば、今まで應いらへえもせず俯うつむき居たりし横笛は、引かれし袖を切るが如く打ち拂ひ、忽ち柳眉りうびを逆立さかだて、言葉ことば鋭するどく、『無禮なめげにはお在はさずや冷泉さま、榮華の爲に身を賣る遊女舞妓と横笛を思ひ給うてか。但しは此の横笛を飽くまで不義淫奔に陷おとしいれんとせらるゝにや。又しても問ひもせぬ人の批判、且つは深夜に道ならぬ媒介なかだち、横笛迷惑の至り、御歸りあれ冷泉樣。但し高聲擧げて宿直とのゐの侍さむらひを呼び起し申さんや』。

第十六

 鋭き言葉に言い懲こらされて、餘儀なく立ち上あがる冷泉を、引き立てん計りに送り出だし、本意ほいなげに見返るを見向みむきもやらず、其儘障子を礑はたと締しめて、仆るゝが如く座に就ける横笛。暫しは恍然うつとりとして氣を失へる如く、いづこともなく詰きつと凝視みつめ居しが、星の如き眼の裏うちには溢あふるゝばかりの涙を湛たゝへ、珠の如き頬にはららと振りかゝるをば拭はんともせず、蕾の唇くちびる惜氣をしげもなく喰ひしばりて、噛み碎く息の切れれに全身の哀れを忍ばせ、はては耐へ得で、體を岸破がばとうつ伏して、人には見えぬ幻まぼろしに我身ばかりの現うつゝを寄せて、よゝとばかりに泣き轉まろびつ。涙の中にかみ絞る袂を漏れて、幽かすかに聞ゆる一言ひとことは、誰れに聞かせんとてや、『ユ許し給はれ』。
 良よしや眼前に屍かばねの山を積まんとも涙一滴こぼさぬ勇士に、世を果敢はかなむ迄に物の哀れを感じさせ、夜毎よごとの秋に浮身うきみをやつす六波羅一の優男やさをとこを物の見事に狂はせながら、「許し給はれ」とは今更ら何の醉興すゐきようぞ。吁々あゝ然さに非ず、何處いづこまでの浮世なれば、心にもあらぬ情つれなさに、互ひの胸の隔てられ、恨みしものは恨みしまゝ、恨みられしものは恨みられしまゝに、あはれ皮一重ひとへを堺に、身を換へ世を隔てても胡越の思ひをなす、吾れ人の運命こそ果敢はかなけれ。横笛が胸の裏こそ、中々に口にも筆にも盡されね。
 飛鳥川あすかがはの明日あすをも俟たで、絶ゆる間まもなく移り變る世の淵瀬ふちせに、百千代もゝちよを貫きて變らぬものあらば、そは人の情にこそあんなれ。女子をなごの命いのちは只一たゞひとつの戀、あらゆる此世の望み、樂み、さては優いうにやさしき月花つきはなの哀れ、何れ戀ならぬはなし。胸に燃ゆる情の焔ほのほは、他を燒かざれば其身を焚やかん、まゝならぬ戀路こひぢに世を喞かこちて、秋ならぬ風に散りゆく露の命葉いのちば、或は墨染すみぞめの衣ころもに有漏うろの身を裹つゝむ、さては淵川ふちかはに身を棄つる、何れか戀の炎ほむらに其躯そのみを燒き蓋つくし、殘る冷灰の哀れにあらざらんや。女子の性さがの斯く情なさけ深ふかきに、いかで横笛のみ濁り無情つれなかるべきぞ。
 人知らぬ思ひに秋の夜半よはを泣きくらす横笛が心を尋ぬれば、次の如くなりしなり。
 想ひ𢌞まはせば、はや半歳の昔となりぬ。西八條の屋方やかたに花見の宴うたげありし時、人の勸すゝめに默もだし難く、舞ひ終る一曲の春鶯囀に、數かずならぬ身の端はしなくも人に知らるゝ身となりては、御室おむろの郷さとに靜けき春秋はるあきを娯たのしみし身の心こゝろ惑まどはるゝ事のみ多かり。見も知らず、聞きも習はぬ人々の人傳ひとづてに送る薄色うすいろの折紙に、我を宛名あてなの哀れの數々かずず。都慣みやこなれぬ身には只〻胸のみ驚かれて、何と答へん術《すべ》だに知らず、其儘心なく打ち過ぐる程に、雲井の月の懸橋《かけはし》絶《た》えしと思ひてや、心を寄するものも漸く尠《すくな》くなりて、始めに渝《かは》らず文をはこぶは只〻二人のみぞ殘りける。一人は齋藤瀧口にして、他の一人は足助二郎なり。横笛今は稍〻やゝ浮世に慣れて、風にも露にも、餘所よそならぬ思ひ忍ばれ、墨染の夕ゆふべの空に只〻一人、連つれ亙わたる雁の行衞消きゆるまで見送りて、思はず太息といき吐つく事も多かりけり。二人の文を見るに付け、何れ劣らぬ情の濃こまやかさに心迷ひて、一つ身の何れを夫それとも別ち兼ね、其れとは無しに人の噂に耳を傾くれば、或は瀧口が武勇人ひとに勝すぐれしを譽ほむるもあれば、或は二郎が容姿すがたかたちの優しきを稱たゝふるもあり。共に小松殿の御内にて、世にも知られし屈指の名士。横笛愈〻心こゝろ惑まどひて、人の哀れを二重ふたへに包みながら、浮世の義理の柵しがらみに何方いづかたへも一言の應いらへだにせず、無情と見ん人の恨みを思ひやれば、身の心苦こゝろぐるしきも數ならず、夜半の夢屡〻しばば駭きて、涙に浮くばかりなる枕邊まくらべに、燻籠ふせごの匂ひのみ肅しめやかなるぞ憐あはれなる。 或日のこと。瀧口時頼が發心ほつしんせしと、誰れ言ふとなく大奧おほおくに傳はりて、さなきだに口善惡くちさがなき女房共、寄ると觸さはると瀧口が噂に、横笛轟とゞろく胸を抑おさへて蔭ながら樣子を聞けば、情つれなき戀路に世を果敢はかなみての業わざと言ひ囃はやすに、人の手前も打ち忘れ、覺えず『そは誠か』と力を入れて尋ぬれば、女房共、『罪造りの横笛殿、可惜あたら勇士を木の端はしとせし』。人の哀れを面白げなる高笑たかわらひに、是れはとばかり、早速さそくのいらへもせず、ツと己おのが部屋に走り歸りて、終日ひねもす夜よもすがら泣き明かしぬ。

第十七

『罪造りの横笛殿、あたら勇士に世を捨すてさせし』。あゝ半なかば戲たはむれに、半なかば法界悋氣ほふかいりんきの此一語、横笛が耳には如何に響きしぞ。戀に望を失ひて浮世を捨てし男女の事、昔の物語に見し時は世に痛はしき事に覺えて、草色の袂に露の哀れを置きし事ありしが、猶なほ現うつゝならぬ空事そらごととのみ思ひきや、今や眼前かゝる悲しみに遇はんとは。而しかも世を捨てし其人は、命を懸けて己れを戀ひし瀧口時頼。世を捨てさせし其人は、可愛いとしとは思ひながらも世の關守せきもりに隔てられて無情つれなしと見せたる己れ横笛ならんとは。餘りの事に左右とかうの考も出でず、夢幻ゆめまぼろしの思ひして身を小机こづくゑに打ち伏せば、『可惜あたら武士ものゝふに世を捨てさせし』と怨むが如く、嘲けるが如き聲、何處いづこよりともなく我が耳にひゞきて、其度毎そのたびごとに總身宛然さながら水を浴あびし如く、心も體も凍こほらんばかり、襟を傳ふ涙の雫のみさすが哀れを隱し得ず。
 掻き亂れたる心、辛やうやう我に歸りて、熟〻つらら思へば、世を捨つるとは輕々しき戲事ざれごとに非ず。瀧口殿は六波羅上下に名を知られたる屈指の武士、希望に滿みてる春秋長き行末を、二十幾年の男盛をとこざかりに截斷たちきりて、樂しき此世を外に、身を佛門に歸し給ふ、世にも憐れの事にこそ。數多あまたの人に優まさりて、君の御覺おんおぼえ殊に愛めでたく、一族の譽ほまれを雙の肩に擔になうて、家には其子を杖なる年老いたる親御おやごもありと聞く。他目よそめにも數かずあるまじき君父の恩義惜氣をしげもなく振り捨てて、人の譏そしり、世の笑ひを思ひ給はで、弓矢とる御身に瑜伽ゆが三密の嗜たしなみは、世の無常を如何に深く觀じ給ひけるぞ。ああ是れ皆此の身、此の横笛の爲なせし業わざ、刃やいばこそ當てね、可惜あたら武士を手に掛けしも同じ事。――思へば思ふほど、乙女心をとめごゝろの胸むね塞ふさがりて泣なくより外にせん術すべもなし。
 吁々、協かなはずば世を捨てんまで我を思ひくれし人の情の程こそ中々に有り難けれ。儘ならぬ世の義理に心ならずとは言ひながら、斯かる誠ある人に、只〻一言ひとことの返事かへりごとだにせざりし我こそ今更に悔くやしくも亦罪深けれ。手筐てばこの底に祕ひめ置きし瀧口が送りし文、涙ながらに取り出して心遣こゝろやりにも繰くり返せば、先には斯くまでとも思はざりしに、今の心に讀みもて行く一字毎に腸はらわたも千切ちぎるゝばかり。百夜もゝよの榻しぢの端はしがきに、今や我も數書かずかくまじ、只〻つれなき浮世と諦あきらめても、命ある身のさすがに露とも消えやらず、我が思ふ人の忘れ難きを如何いかにせん。――など書き聯つらねたるさへあるに、よしや墨染の衣に我れ哀れをかくすとも、心なき君には上うはの空とも見えん事の口惜くちをしさ、など硯の水に泪なみだ落おちてか、薄墨うすずみの文字もじ定かならず。つらつら數ならぬ賤しき我身に引較くらべ、彼を思ひ此を思へば、横笛が胸の苦しさは、譬へんに物もなし。世を捨てんまでに我を思ひ給ひし瀧口殿が誠の情こゝろと竝ぶれば、重景が戀路は物ならず。況まして日頃より文傳へする冷泉が、ともすれば瀧口殿を惡し樣ざまに言ひなせしは、我を誘さそはん腹黒き人の計略たくみならんも知れず。斯く思ひ來れば、重景の何となう疎うとましくなるに引き換へて、瀧口を憐れむの情愈〻切せつにして、世を捨て給ひしも我れ故と思ふ心の身にひししと當りて、立ちても坐りても居堪ゐたゝまらず、窓打つ落葉のひゞきも、蟲の音ねも、我を咎むる心地して、繰擴くりひろげし文ふみの文字もじは、宛然さながら我れを睨むが如く見ゆるに、目を閉ぢ耳を塞ふさぎて机の側らに伏し轉まろべば、『あたら武士を汝故そなたゆゑに』と、いづこともなく囁さゝやく聲、心の耳に聞えて、胸は刃に割さかるゝ思ひ。あはれ横笛、一夜を惱み明かして、朝日あさひ影かげ窓に眩まばゆき頃、ふらふらと縁前えんさきに出づれば、憎にくや、檐端のきばに歌ふ鳥の聲さへ、己おのが心の迷ひから、『汝そなたゆゑゑ』と聞ゆるに、覺えず顏を反向そむけて、あゝと溜息ためいきつけば、驚きて起たつ群雀むらすゞめ、行衞も知らず飛び散りたる跡には、秋の朝風音寂おとさびしく、殘んの月影夢ゆめの如く淡あはし。
第十八

 女子をなごこそ世に優やさしきものなれ。戀路は六むつに變れども、思ひはいづれ一つ魂に映うつる哀れの影とかや。つれなしと見つる浮世に長生ながらへて、朝顏の夕ゆふべを竣たぬ身に百年もゝとせの末懸すゑかけて、覺束おぼつかなき朝夕あさゆふを過すも胸に包める情の露のあればなり。戀かあらぬか、女子の命いのちはそも何に喩ふべき。人知らぬ思ひに心を傷やぶりて、あはれ一山風ひとやまかぜに跡もなき東岱とうたい前後ぜんごの烟と立ち昇るうら弱わかき眉目好みめよき處女子むすめは、年毎としごとに幾何ありとするや。世の隨意まゝならぬは是非もなし、只ゝいさゝ川、底の流れの通ひもあらで、人はいざ、我れにも語らで、世を果敢はかなむこそ浮世なれ。
 然されば横笛、我れ故に武士一人に世を捨てさせしと思へば、乙女心をとめごゝろの一徹に思ひ返さん術すべもなく、此の朝夕は只〻泣き暮らせども、影ならぬ身の失せもやらず、せめて嵯峨の奧にありと聞く瀧口が庵室に訪おとづれて我が誠の心を打明うちあかさばやと、さかしくも思ひ決さだめつ。誰彼時たそがれどきに紛まぎれて只〻一人、うかれ出でけるこそ殊勝しゆしようなれ。
 頃は長月ながつきの中旬なかばすぎ、入日の影は雲にのみ殘りて野も出も薄墨うすずみを流せしが如く、月つき未いまだ上のぼらざれば、星影さへも最いと稀なり。袂たもとに寒き愛宕下おたぎおろしに秋の哀れは一入ひとしほ深く、まだ露下おりぬ野面のもせに、我が袖のみぞ早や沾うるほひける。右近うこんの馬場を右手めてに見て、何れ昔は花園はなぞのの里、霜枯しもがれし野草のぐさを心ある身に踏み摧しだきて、太秦うづまさわたり辿たどり行けば、峰岡寺みねをかでらの五輪の塔、夕ゆふべの空に形のみ見ゆ。やがて月は上のぼりて桂の川の水烟みづけぶり、山の端白はしろく閉罩とぢこめて、尋ぬる方は朧ろにして見え分わかず。素もとより慣れぬ徒歩かちなれば、數あまたたび或は里の子が落穗おちぼ拾はん畔路あぜみちにさすらひ、或は露に伏す鶉うづらの床とこの草村くさむらに立迷たちまようて、絲より細き蟲の音ねに、覺束なき行末を喞かこてども、問ふに聲なき影ばかり。名も懷なつかしき梅津うめづの里を過ぎ、大堰川おほゐがはの邊ほとりを沿そひ行けば、河風かはかぜ寒さむく身に染しみて、月影さへもわびしげなり。裾は露、袖は涙に打蕭うちしをれつ、霞める眼に見渡せば、嵯峨野も何時いつしか奧になりて、小倉山をぐらやまの峰の紅葉もみぢば、月に黒くろみて、釋迦堂の山門、木立こだちの間に鮮あざやかなり。噂に聞きしは嵯峨の奧とのみ、何れの院とも坊とも知らざれば、何を便たよりに尋ぬべき、燈ともしびの光を的あてに、數かずもなき在家ざいけを彼方あなた此方こなたに彷徨さまよひて問ひけれども、絶えて知るものなきに、愈〻心惑ひて只〻茫然と野中のなかに彳たゝずみける。折から向ふより庵僧とも覺しき一個ひとりの僧の通りかゝれるに、横笛、渡わたりに舟の思ひして、『慮外りよぐわいながら此のわたりの庵いほりに、近き頃樣さまを變かへて都より來られし、俗名ぞくみやう齋藤時頼と名告なのる年壯としわかき武士のお在はさずや』。聲こゑ震ふるはして尋ぬれば、件の僧は、横笛が姿を見て暫しばし首くび傾かたむけしが、『露しげき野を女性によしやうの唯〻一人、さてもも痛はしき御事や。げに然さる人ありとこそ聞きつれど、まだ其人に遇はざれば、御身が尋ぬる人なりや、否やを知りがたし』。『して其人は何處いづこにお在はする』。『そは此處こゝより程遠とほからぬ往生院わうじやうゐんと名なづくる古き僧庵に』。 僧は最いと懇ねんごろに道を教ふれば、横笛世よに嬉しく思ひ、禮もいそそ別れ行く後影うしろかげ、鄙には見なれぬ緋の袴に、夜目にも輝く五柳の一重ひとへ。件の僧は暫したゝずみて訝しげに見送れば、焚きこめし異香いきやう、吹き來くる風に時ならぬ春を匂はするに、俄に忌いまはしげに顏かほ背そむけて小走こばしりに立ち去りぬ。

第十九

 斯くて横笛は教へられしまゝに辿り行けば、月の光に影かげ暗くらき、杜もりの繁みを徹とほして、微かすかに燈の光ひかり見ゆるは、げに古ふりし庵室と覺しく、隣家とても有らざれば、闃げきとして死せるが如き夜陰の靜けさに、振鈴しんれいの響ひゞきさやかに聞ゆるは、若しや尋ぬる其人かと思へば、思ひ設けし事ながら、胸轟きて急ぎし足も思はず緩ゆるみぬ。思へば現うつゝとも覺えで此處までは來りしものの、何と言うて世を隔てたる門かどを敲たゝかん、我が眞まことの心をば如何なる言葉もて打ち明けん。うら若き女子をなごの身にて夜を冒をかして來つるをば、蓮葉はすはのものと卑下さげすみ給はん事もあらば如何にすべき。將はたまた、千束ちづかの文ふみに一言ひとことも返さざりし我が無情を恨み給はん時、いかに應いらへすべき、など思ひ惑ひ、恥かしさも催されて、御所ごしよを拔出ぬけいでしときの心の雄々をゝしさ、今更いまさら怪しまるゝばかりなり。斯くて果はつべきに非ざれば、辛やうやく我れと我身に思ひ決め、ふと首を擧ぐれば、振鈴の響耳に迫りて、身は何時いつしか庵室の前に立ちぬ。月の光にすかし見れば、半ば頽くづれし門の廂ひさしに蟲食むしばみたる一面の古額ふるがく、文字は危げに往生院と讀まれたり。
 横笛四邊あたりを打ち見やれば、八重葎やへむぐら茂しげりて門を閉ぢ、拂はぬ庭に落葉積つもりて、秋風吹きし跡もなし。松の袖垣隙すきまあらはなるに、葉は枯れて蔓つるのみ殘れる蔦つた生はえかゝりて、古き梢の夕嵐ゆふあらし、軒もる月の影ならでは訪ふ人もなく荒れ果てたり。檐のきは朽ち柱は傾き、誰れ棲みぬらんと見るも物憂ものうげなる宿やどの態さま。扨も世を無常と觀じては斯かる侘しき住居も、大梵高臺の樂みに換へらるゝものよと思へば、主あるじの貴さも彌増いやまして、今宵こよひの我身やゝ愧はづかしく覺ゆ。庭の松が枝えに釣つるしたる、仄ほの暗き鐵燈籠かなどうろうの光に檐前のきさきを照らさせて、障子一重の内には振鈴の聲、急がず緩まず、四曼不離の夜毎の行業かうごふに慣れそめてか、籬まがきの蟲の駭おどろかん樣も見えず。横笛今は心を定め、ほとほとと門かどを音づるれども答なし。玉を延のべたらん如き纖腕痲しびるゝばかりに打敲うちたゝけども應ぜん氣けはひも見えず。實げに佛者は行おこなひの半なかばには、王侯の召めしにも應ぜずとかや、我ながら心なかりしと、暫しばし門下に彳みて、鈴の音の絶えしを待ちて復ふたゝび門かどを敲けば、内には主あるじの聲として、『世を隔てたる此庵このいほは、夜陰やいんに訪はるゝ覺おぼえなし、恐らく門違かどちがひにても候はんか』。横笛潛ひそめし聲に力を入れて、『大方おほかたならぬ由あればこそ、夜陰に御業おんげふを驚かし參らせしなれ。庵は往生院と覺ゆれば、主の御身は、小松殿の御内なる齋藤瀧口殿にてはお在はさずや』。『如何にも某それがしが世に在りし時の名は齋藤瀧口にて候ひしが、そを尋ねらるゝ御身はそも何人なんぴと』。『妾わらはこそは中宮の曹司横笛と申すもの、隨意まゝならぬ世の義理に隔てられ、世にも厚き御情おんなさけに心にもなき情つれなき事の數々かずず、只今の御身の上と聞き侍はべりては、悲しさ苦くるしさ、女子をなごの狹き胸一つには納め得ず、知られで永く已やみなんこと口惜くちをしく、一ひとつには妾が眞まことの心を打明け、且つは御身の恨みの程を承はらん爲に茲まで迷ひ來りしなれ。こゝ開あけ給へ瀧口殿』。言ふと其儘、門の扉とびらに身を寄よせて、聲を潛しのびて泣き居たり。 瀧口はしばらく應いらへせず、やゝありて、『如何いかに女性によしやう、我れ世よに在りし時は、御所ごしよに然さる人あるを知りし事ありしが、我が知れる其人は我れを知らざる筈なり、されば今宵こよひ我れを訪おとづれ給へる御身は、我が知れる横笛にてはよもあらじ。良よしや其人なりとても、此世の中に心は死して、殘る體は空蝉うつせみの我れ、我れに恨みあればとて、そを言ふの要もなく、よし又人に誠あらばとて、そを聞かん願ひもなし。一切諸縁に離れたる身、今更ら返らぬ世の浮事うきことを語り出でて何かせん。聞き給へや女性によしやう、何事も過ぎにし事は夢なれば、我れに恨みありとな思ひ給ひそ。己れに情つれなきものの善知識となれる例ためし、世に少からず、誠に道に入りし身の、そを恨みん謂れやある。されば遇うて益なき今宵の我れ、唯〻何事も言はず、此儘歸り給へ。二言とは申すまじきぞ、聞き分け給ひしか、横笛殿』。

第二十

 因果の中に哀れを含みし言葉のふしし、横笛が悲しさは百千もゝちの恨みを聞くよりもまさり、『其の御語おんことば、いかで仇あだに聞侍きゝはべるべき、只〻親にも許さぬ胸の中うち、女子の恥をも顧みず、聞え參らせんずるをば、聞かん願ひなしと仰せらるゝこそ恨みなれ。情つれなかりし昔の報いとならば、此身を千千ちゞに刻きざまるゝとも露壓つゆいとはぬに、憖なまじひ仇あだを情なさけの御言葉は、心狹き妾に、恥ぢて死ねとの御事か。無情つれなかりし妾をこそ憎にくめ、可惜あたら武士ものゝふを世の外にして、樣を變へ給ふことの恨めしくも亦痛はしけれ。茲開あけ給へ、思ひ詰つめし一念、聞き給はずとも言はでは已やまじ。喃のう瀧口殿、ここ開け給へ、情なきのみが佛者ぶつしやかは』。喃々のううと門かどを叩きて、今や開あくると待侘まちわぶれども、内には寂然として聲なし。やゝありて人の立居たちゐする音の聞ゆるに、嬉うれしやと思ひきや、振鈴の響起りて、りんんと鳴り渡るに、是れはと駭く横笛が、呼べども叫べども答ふるものは庭の木立のみ。
 月稍〻西に傾きて、草葉に置ける露白く、桂川の水音幽かすかに聞えて、秋の夜寒よさむに立つ鳥もなき眞夜中頃まよなかごろ、往生院の門下に蟲と共に泣き暮らしたる横笛、哀れや、紅花緑葉の衣裳、涙と露に絞しぼるばかりになりて、濡れし袂に裹つゝみかねたる恨みのかずずは、そも何處までも浮世ぞや。我れから踏ふめる己おのが影も、萎しをるゝ如く思おもほえて、情つれなき人に較くらべては、月こそ中々に哀れ深けれ。横笛、今はとて、涙に曇くもる聲こゑ張上はりあげて、『喃のう、瀧口殿、葉末はずゑの露とも消えずして今まで立ちつくせるも、妾わらはが赤心まごゝろ打明けて、許すとの御身が一言ひとこと聞かんが爲め、夢と見給ふ昔ならば、情つれなかりし横笛とは思ひ給はざるべきに、など斯くは慈悲なくあしらひ給ふぞ、今宵ならでは世を換へても相見んことのありとも覺えぬに、喃のう、瀧口殿』。
 春の花を欺く姿、秋の野風に暴さらして、恨みさびたる其樣は、如何なる大道心者にても、心こゝろ動うごかんばかりなるに、峰の嵐に埋うづもれて嘆きの聲の聞えぬにや、鈴の音は調子少しも亂れず、行ひすましたる瀧口が心、飜るべくも見えざりけり。
 何とせん術すべもあらざれば、横笛は泣くく元來もときし路みちを返り行きぬ。氷の如く澄める月影に、道芝みちしばの露つらしと拂ひながら、ゆりかけし丈たけなる髮、優に波打たせながら、畫にある如き乙女の歩姿かちすがたは、葛飾かつしかの眞間まゝの手古奈てこなが昔偲しのばれて、斯くもあるべしや。あはれ横笛、乙女心の今更に、命に懸けて思ひ決めしこと空あだとなりては、歸り路に足進まず、我れやかたき、人や無情つれなき、嵯峨の奧にも秋風吹けば、いづれ浮世には漏れざりけり。
第二十一

 胸中一戀字いちこひじを擺脱はいだつすれば、便すなはち十分爽淨、十分自在。人生最も苦しき處、只〻是れ此の心。然ればにや失意の情に世をあぢきなく觀じて、嵯峨の奧に身を捨てたる齋藤時頼、瀧口入道と法《のり》の名に浮世の名殘《なごり》を留《とゞ》むれども、心は生死《しやうじ》の境を越えて、瑜伽三密の行の外、月にも露にも唱ふべき哀れは見えず、荷葉の三衣、秋の霜に堪へ難けれども、一杖一鉢に法捨を求むるの外、他に望なし。實《げ》にや輪王《りんのう》位《くらゐ》高《たか》けれども七寶《しつぱう》終《つひ》に身に添はず、雨露《うろ》を凌がぬ檐《のき》の下にも圓頓《ゑんどん》の花は匂ふべく、眞如《しんによ》の月は照らすべし。旦《あした》に稽古の窓に凭《よ》れば、垣を掠《かす》めて靡く霧は不斷の烟、夕《ゆふべ》に鑽仰《さんがう》の嶺《みね》を攀《よ》づれば、壁を漏れて照る月は常住《じやうぢゆう》の燭《ともしび》、晝は御室《おむろ》、太秦《うづまさ》、梅津の邊を巡錫《じゆんしやく》して、夜に入れば、十字の繩床《じようしやう》に結跏趺坐《けつかふざ》して唵阿うんあの行業かうごふに夜の白むを知らず。されば僧坊に入りてより未だ幾日も過ぎざるに、苦行難業に色黒み、骨立ち、一目ひとめにては十題判斷の老登科らうとくわとも見えつべし。あはれ、厚塗あつぬりの立烏帽子に鬢を撫上なであげし昔の姿、今安いづくにある。今年二十三の壯年わかものとは、如何にしても見えざりけり。
 顧みれば瀧口、性質こゝろにもあらで形容邊幅けいようへんぷくに心を惱なやめたりしも戀の爲なりき。仁王にわうとも組くまんず六尺の丈夫ますらを、體からだのみか心さへ衰へて、めゝしき哀れに弓矢の恥を忘れしも戀の爲なりき。思へば戀てふ惡魔に骨髓深く魅入みいられし身は、戀と共に浮世に斃れんか、將はた戀と共に世を捨てんか、擇えらぶべき途みち只〻此の二つありしのみ。時頼世よを無常と觀じては、何恨むべき物ありとも覺えず、武士を去り、弓矢を捨て、君に離れ、親を辭し、一切衆縁を擧げ盡つくして戀てふ惡魔の犧牲に供そなへ、跡に殘るは天地の間に生れ出でしまゝの我身瀧口時頼、命いのちとともに受繼うけつぎし濶達くわつたつの氣風きふう再び欄漫らんまんと咲き出でて、容かたちこそ變れ、性質こゝろは戀せぬ前の瀧口に少しも違たがはず。名利みやうりの外に身を處おけば、自おのづから嫉妬の念も起らず、憎惡ぞうをの情も萌きざさず、山も川も木も草も、愛らしき垂髫うなゐも、醜みにくき老婆も、我れに惠む者も、我れを賤しむ者も、我れには等しく可愛らしく覺えぬ。げに一視平等いつしびやうどうの佛眼ぶつげんには四海兄弟と見えしとかや。病めるものは之を慰め、貧しきものは之を分ち、心曲こゝろまがりて郷里の害を爲すものには因果應報の道理を諭さとし、凡すべて人の爲め世の爲めに益あることは躊躇たゆたふことなく爲なし、絶えて彼此かれこれの差別しやべつなし。然されば瀧口が錫杖の到る所、其風そのふうを慕ひ其徳を仰あふがざるはなかりけり。或時は里の子供等を集めて、昔の剛者つはものの物語など面白く言ひ聞かせ、喜び勇む無邪氣なる者の樣さまを見て呵々と打笑ふ樣、二十三の瀧口、何日いつの間まに習ひ覺えしか、さながら老翁の孫女を弄もてあそぶが如し。
 斯くて風月ふうげつならで訪ふ人もなき嵯峨野の奧に、世を隔てて安らけき朝夕あさゆふを樂しみ居ゐしに、世に在りし時は弓矢の譽ほまれも打捨うちすてて、狂ひ死じにに死なんまで焦こがれし横笛。親にも主しゆうにも振りかへて戀の奴やつことなりしまで慕ひし横笛。世を捨て樣を變へざれば、吾から懸けし戀の絆きづなを解とく由もなかりし横笛。其の横笛の音づれ來しこそ意外なれ。然されど瀧口、口にくはへし松が枝の小搖こゆるぎも見せず。見事みごと振鈴しんれいの響に耳を澄すまして、含識がんしきの流ながれ、さすがに濁らず。思へば悟道ごだうの末も稍〻やゝ頼もしく、風白む窓に、傾く月を麾さしまねきて冷ひやゝかに打笑うちゑめる顏は、天晴あつぱれ大道心者だいだうしんしやに成りすましたり。
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 さるにても横笛は如何になりつるや、往生院の門下に一夜を立ち明かして曉近く御所に還り、後の二三日は何事もなく暮せしが、間まもなく行衞知れずなりて、其部屋そのへやの壁には日頃ひごろ手慣てなれし古桐の琴、主ぬし待まちげに見ゆるのみ。

第二十二

 或日、天そら長閑のどかに晴れ渡り、衣ころもを返す風寒からず、秋蝉の翼つばさ暖あたゝむ小春こはるの空に、瀧口そゞろに心浮かれ、常には行かぬ桂かつら、鳥羽とばわたり巡錫して、嵯峨とは都を隔てて南北みなみきた、深草ふかくさの邊ほとりに來にける。此あたりは山近く林密みつにして、立田たつたの姫が織り成せる木々の錦、二月の花よりも紅くれなゐにして、匂あらましかばと惜をしまるゝ美しさ、得も言はれず。薪たきゞ採とる翁、牛ひく童わらんべ、餘念なく歌ふ節ふし、餘所に聞くだに樂しげなり。瀧口行ゆくく四方よもの景色を打ち眺め、稍〻やゝ疲れを覺えたれば、とある路傍の民家に腰打ち掛けて、暫く休らひぬ。主婦は六十餘とも覺しき老婆なり、一椀の白湯さゆを乞ひて喉のんどを濕うるほし、何くれとなき浮世話うきよばなしの末、瀧口、『愚僧ぐそうが庵いほりは嵯峨の奧にあれば、此わたりには今日けふが初めて。何處いづこにも土地とち珍めづらしき話一つはある物ぞ、何いづれ名にし負おはば、哀れも一入ひとしほ深草の里と覺ゆるに、話して聞かせずや』。老女は笑ひながら、『かゝる片邊かたほとりなる鄙ひなには何珍しき事とてはなけれども、其の哀れにて思ひ出だせし、世にも哀れなる一つの話あり。問ひ給ひしが因果いんぐわ、事長ことながくとも聞き給へ。御身の茲に來られし途みちすがら、溪川たにがはのある邊あたりより、山の方にわびしげなる一棟ひとむねの僧庵を見給ひしならん。其庵の側に一つの小さゝやかなる新塚あり、主が名は言はで、此の里人は只〻戀塚こひづか々々と呼びなせり。此の戀塚の謂《いはれ》に就きて、最《い》とも哀れなる物語の候《さふらふ》なり』。『戀塚とは餘所《よそ》ながら床《ゆか》しき思ひす、剃《そ》らぬ前《まへ》の我も戀塚の主《あるじ》に半《なか》ばなりし事あれば』。言ひつゝ瀧口は呵々《からら》と打笑へば、老婆は打消《うちけ》し、『否、笑ふことでなし。此月の初頃《はじめごろ》なりしが、畫にある樣《やう》な上﨟じやうらふの如何なる故ありてか、かの庵室あんしつに籠こもりたりと想ひ給へ。花ならば蕾、月ならば新月、いづれ末は玉の輿こしにも乘るべき人が、品もあらんに世を外よそなる尼法師に樣を變へたるは、慕ふ夫をつとに別れてか、情つれなき人を思うてか、何どの途みち、戀路ならんとの噂。薪とる里人さとびとの話によれば、庵の中には玉を轉まろばす如き柔やさしき聲して、讀經どきやうの響絶ひゞきたゆる時なく、折々をりり閼伽あかの水汲みづくみに、谷川に下りし姿見たる人は、天人てんにんの羽衣はごろも脱ぬぎて袈裟けさ懸かけしとて斯くまで美しからじなど罵り合へりし。心なき里人も世に痛はしく思ひて、色々の物など送りて慰なぐさむる中うち、かの上﨟は思《おもひ》重《おも》りてや、病《や》みつきて程も經《へ》ず返らぬ人となりぬ。言ひ殘せし片言《かたごと》だになければ、誰れも尼になるまでの事の由を知らず、里の人々相集りて涙と共に庵室の側らに心ばかりの埋葬を營みて、卒塔婆《そとば》一基きの主《あるじ》とはせしが、誰れ言ふとなく戀塚々々と呼びなしぬ。來慣《きな》れぬ此里に偶〻たまま來て此話を聞かれしも他生たしやうの因縁いんねんと覺ゆれば、歸途かへるさには必らず立寄りて一片の𢌞向ゑかうをせられよ。いかに哀れなる話に候はずや』。老婆は話し了りて、燃えぬ薪の烟けぶりに咽むせびて、涙なみだ押拭おしのごひぬ。 瀧口もやゝ哀れを催して、『そは氣の毒なる事なり、其の上﨟は何處《いづこ》の如何《いか》なる人なりしぞ』。『人の噂に聞けば、御所《ごしよ》の曹司《ざうし》なりとかや』。『ナニ曹司とや、其の名は聞き知らずや』。『然《さ》れば、最《い》とやさしき名と覺えしが、何とやら、おゝ――それ慥《たしか》に横笛とやら言ひし。嵯峨の奧に戀人《こひびと》の住めると、人の話なれども、定かに知る由もなし。聞けば御僧の坊も同じ嵯峨なれば、若《も》し心當《こゝろあたり》の人もあらば、此事傳つたへられよ。同じ世に在りながら、斯かる婉《あで》やかなる上﨟の樣を變へ、思ひ死《じに》するまでに情《つれ》なかりし男こそ、世に罪深《つみふか》き人なれ。他《あだ》し人の事ながら、誠なき男見れば取りも殺したく思はるゝよ』。餘所《よそ》の恨みを身に受けて、他とは思はぬ吾が哀れ、老いても女子は流石《さすが》にやさし。瀧口が樣見れば、先の快《こゝろよ》げなる氣色《けしき》に引きかへて、首《かうべ》を垂れて物思《ものおも》ひの體《てい》なりしが、やゝありて、『あゝ餘《あま》りに哀れなる物語に、法體《ほつたい》にも恥ぢず、思はず落涙に及びたり。主婦《あるじ》が言《ことば》に從ひ、愚僧は之れより其の戀塚とやらに立寄りて、暫し𢌞向ゑかうの杖を停とどめん』。
 網代あじろの笠に夕日ゆふひを負おうて立ち去る瀧口入道が後姿うしろすがた、頭陀づだの袋に麻衣あさごろも、鐵鉢を掌たなごゝろに捧さゝげて、八つ目のわらんづ踏みにじる、形は枯木こぼくの如くなれども、息いきある間は血もあり涙もあり。

第二十三

 深草の里に老婆が物語、聞けば他事ひとごとならず、いつしか身に振りかゝる哀の露、泡沫夢幻はうまつむげんと悟りても、今更ら驚かれぬる世の起伏おきふしかな。樣を變へしとはそも何を觀じての發心ほつしんぞや、憂ひに死せしとはそも誰れにかけたる恨みぞ。あゝ横笛、吾れ人共に誠の道に入りし上は、影よりも淡あはき昔の事は問ひもせじ語りもせじ、閼伽あかの水汲みづくみ絶えて流れに宿す影留らず、觀經の音已やみて梢にとまる響なし。いづれ業繋ごふけの身の、心と違ふ事のみぞ多かる世に、夢中むちゆうに夢を喞かこちて我れ何にかせん。
 瀧口入道、横笛が墓に來て見れば、墓とは名のみ、小高く盛もりし土饅頭どまんぢゆうの上に一片の卒塔婆を立てしのみ。里人の手向けしにや、半なかば枯かれし野菊のぎくの花の仆れあるも哀れなり。四邊あたりは斷草離離として趾あとを着くべき道ありとも覺えず、荒れすさぶ夜々の嵐に、ある程の木々の葉吹き落とされて、山は面痩おもやせ、森は骨立ほねだちて目もあてられぬ悲慘の風景、聞きしに増りて哀れなり。ああ是れぞ横笛が最後の住家すみかよと思へば、流石さすがの瀧口入道も法衣ほふえの袖を絞しぼりあへず、世にありし時は花の如き艷あでやかなる乙女をとめなりしが、一旦無常の嵐に誘さそはれては、いづれ遁のがれぬ古墳の一墓の主あるじかや。そが初めの内こそ憐れと思ひて香花かうげを手向たむくる人もあれ、やがて星移り歳とし經ふれば、冷え行く人の情なさけに隨つれて顧みる人もなく、あはれ何れをそれと知る由もなく荒れ果てなんず、思へば果敢はかなの吾れ人が運命や。都大路みやこおほぢに世の榮華を嘗なめ盡つくすも、賤しづが伏屋ふせやに畦あぜの落穗おちぼを拾ひろふも、暮らすは同じ五十年の夢の朝夕。妻子珍寶及王位さいしちんぱうおよびわうゐ、命終いのちをはる時に隨ふものはなく、野邊のべより那方あなたの友とては、結脈けちみやく一つに珠數じゆず一聯のみ。之を想へば世に悲しむべきものもなし。
 瀧口衣ころもの袖を打はらひ、墓に向つて合掌がつしやうして言へらく、『形骸かたちは良よしや冷土の中に埋うづもれても、魂は定かに六尺の上に聞こしめされん。そもや御身と我れ、時を同うして此世に生れしは過世すぐせ何の因いん、何の果くわありてぞ。同じ哀れを身に擔になうて、そを語らふ折もなく、世を隔て樣を異にして此の悲しむべき對面あらんとは、そも又何の業ごふ、何の報ありてぞ。我は世に救ひを得て、御身は憂うきに心を傷やぶりぬ。思へば三界の火宅くわたくを逃のがれて、聞くも嬉しき眞まことの道に入りし御身の、欣求淨土ごんぐじやうどの一念に浮世の絆きづなを解とき得ざりしこそ恨みなれ。戀とは言はず、情とも謂はず、遇あふや柳因りういん、別わかるゝや絮果ぢよくわ、いづれ迷は同じ流轉るてんの世事せじ、今は言ふべきことありとも覺えず。只〻此上は夜毎《よごと》の松風《まつかぜ》に御魂《みたま》を澄《すま》されて、未來《みらい》の解脱《げだつ》こそ肝要《かんえう》なれ。仰ぎ願くは三世十方の諸佛、愛護《あいご》の御手《おんて》を垂れて出離《しゆつり》の道を得せしめ給へ。過去精麗《くわこしやうりやう》、出離生死《しゆつりしやうじ》、證大菩提《しようだいぼだい》』。生《い》ける人に向へるが如く言ひ了りて、暫し默念の眼を閉ぢぬ。花の本《もと》の半日の客《かく》、月の前の一夜の友も、名殘は惜しまるゝ習ひなるに、一向所感の身なれば、先の世の法縁も淺からず思はれ、流石《さすが》の瀧口、限《かぎ》りなき感慨胸むねに溢《あふ》れて、轉〻うたゝ今昔こんじやくの情じやうに堪へず。今かゝる哀れを見んことは、神ならぬ身の知る由もなく、嵯峨の奧に夜半よはかけて迷ひ來りし時は我れ情なくも門かどをば開あけざりき。恥をも名をも思ふ遑いとまなく、樣を變へ身を殺す迄の哀れの深さを思へば、我れこそ中々に罪深かりけれ。あゝ横笛、花の如き姿今いまいづこにある、菩提樹ぼだいじゆの蔭かげ、明星みやうじやう額ひたひを照てらす邊ほとり、耆闍窟ぎしやくつの中うち、香烟かうえん肘ひぢを繞めぐるの前、昔の夢を空あだと見て、猶ほ我ありしことを思へるや否。逢ひ見しとにはあらなくに、別れ路ぢつらく覺ゆることの、我れながら訝いぶかしさよ。思ひ胸に迫りて、吁々あゝと吐はく太息といきに覺えず我れに還かへりて首かうべを擧あぐれば日は半なかば西山せいざんに入りて、峰の松影色黒み、落葉おちばを誘さそふ谷の嵐、夕ぐれ寒く身に浸しみて、ばららと顏打つものは露か時雨しぐれか。
第二十四

 其の年の秋の暮つかた、小松の内大臣重盛、豫かねての所勞しよらう重おもらせ給ひ、御年四十三にて薨去あり。一門の人々、思顧の侍さむらひは言ふも更なり、都も鄙もおしなべて、悼いたみ惜をしまざるはなく、町家は商を休み、農夫は業を廢して哀號あいがうの聲こゑ到る處に充みちぬ。入道相國にふだうしやうこくが非道ひだうの擧動ふるまひに御恨おんうらみを含みて時の亂みだれを願はせ給ふ法住寺殿ほふぢゆうじでんの院ゐんと、三代の無念を呑みて只ひたすら時運の熟すを待てる源氏の殘黨のみ、内府ないふが遠逝ゑんせいを喜べりとぞ聞えし。
 士は己れを知れる者の爲に死せんことを願ふとかや。今こそ法體ほつたいなれ、ありし昔の瀧口が此君このきみの御爲おんためならばと誓ひしは天あめが下に小松殿只たゞ一人。父祖ふそ十代の御恩ごおんを集めて此君一人に報かへし參らせばやと、風の旦あした、雪の夕ゆふべ、蛭卷ひるまきのつかの間まも忘るゝ隙ひまもなかりしが、思ひもかけぬ世の波風なみかぜに、身は嵯峨の奧に吹き寄せられて、二十年來の志こゝろざしも皆空事そらごととなりにける。世に望みなき身ながらも、我れから好める斯かる身の上の君の思召おぼしめしの如何あらんと、折々をりり思ひ出だされては流石さすがに心苦こゝろぐるしく、只〻長き將來《ゆくすゑ》に覺束《おぼつか》なき機會《きくわい》を頼みしのみ。小松殿逝去せいきよと聞きては、それも協《かな》はず、御名殘《おんなごり》今更《いまさら》に惜《を》しまれて、其日は一日坊ばうに閉籠《とぢこも》りて、内府が平生など思ひ出で、𢌞向三昧ゑかうざんまいに餘念なく、夜に入りては讀經の聲いと蕭しめやかなりし。
 先には横笛、深草の里に哀れをとゞめ、今は小松殿、盛年の御身に世をかへ給ふ。彼を思ひ是を思ふに、身一つに降ふりかゝる憂うき事の露しげき今日けふ此ごろ、瀧口三衣えの袖を絞りかね、法體ほつたいの今更いまさら遣瀬やるせなきぞいぢらしき。實げにや縁に從つて一念頓とみに事理じりを悟れども、曠劫くわうごふの習氣しふきは一朝一夕に淨きよむるに由なし。變相殊體へんさうしゆたいに身を苦しめて、有無流轉うむるてんと觀くわんじても、猶ほ此世の悲哀に離はなれ得ざるぞ是非もなき。
 徳を以て、將はた人を以て、柱とも石とも頼まれし小松殿、世を去り給ひしより、誰れ言ひ合はさねども、心ある者の心にかゝるは、同じく平家の行末なり。四方よもの波風なみかぜ靜しづかにして、世は盛さかりとこそは見ゆれども、入道相國が多年の非道によりて、天下の望み已すでに離れ、敗亡の機はや熟してぞ見えし。今にも蛭ひるが小島こじまの頼朝にても、筑波つくばおろしに旗揚はたあげんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、苟いやしくも志を當代に得ず、怨みを平家へいけに銜ふくめる者、響の如く應じて關八州は日ならず平家の有ものに非ざらん。萬一斯かる事あらんには、大納言殿(宗盛)は兄の内府にも似ず、暗弱あんじやくの性質うまれつきなれば、素もとより物の用に立つべくもあらず。御子三位さんみの中將殿(維盛)は歌道かだうより外に何長なにちやうじたる事なき御身なれば、紫宸殿ししいでんの階下に源家げんけの嫡流ちやくりうと相挑あひいどみし父の卿きやうの勇膽ありとしも覺えず。頭とうの中將殿(重衡)も管絃くわんげんの奏しらべこそ巧たくみなれ、千軍萬馬の間に立ちて采配さいはいとらん器うつはに非ず。只〻數多き公卿くげ殿上人てんじやうびとの中にて、知盛とももり、教經のりつねの二人こそ天晴あつぱれ未來事みらいことある時の大將軍と覺ゆれども、これとても螺鈿らでんの細太刀ほそだちに風雅ふうがを誇る六波羅上下の武士を如何にするを得べき。中には越中次郎兵衞盛次ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぐ、上總五郎兵衞忠光、惡七兵衞景清あくしちびやうゑかげきよなんど、名だたる剛者がうのものなきにあらねど、言はば之れ匹夫ひつぷの勇ゆうにして、大勢たいせいに於て元もとより益えきする所なし。思へば風前ふうぜんの燈ともしびに似たる平家の運命かな。一門上下しやうか花はなに醉ゑひ、月に興きやうじ、明日あすにも覺さめなんず榮華の夢に、萬代よろづよかけて行末祝ふ、武運の程ぞ淺ましや。 入道ならぬ元の瀧口は平家の武士。忍辱にんにくの衣も主家興亡の夢に襲おそはれては、今にも掃魔さうまの堅甲けんかふとなりかねまじき風情ふぜいなり。

第二十五

 其年も事なく暮れて、明あくれば治承四年、淨海じようかいが暴虐ばうぎやくは猶ほ已やまず、殿でんとは名のみ、蜘手くもで結びこめぬばかりの鳥羽殿とばでんには、去年こぞより法皇を押籠おしこめ奉るさへあるに、明君めいくんの聞え高き主上しゆじやうをば、何の恙つゝがもお在はさぬに、是非なくおろし參らせ、清盛の女が腹に生れし春宮とうぐうの今年ことし僅に三歳なるに御位を讓らせ給ふ。あはれ聞きも及ばぬ奇怪の讓位かなとおもはぬ人ぞなかりける。一秋毎ひとあきごとに細りゆく民の竈かまどに立つ烟、それさへ恨みと共に高くは上のぼらず。野邊のべの草木くさきにのみ春は歸れども、世はおしなべて秋の暮、枯枝かれえだのみぞ多かりける。元より民の疾苦しつくを顧みるの入道ならねば、野に立てる怨聲を何處いづこの風とも氣にかけず、或は嚴島行幸に一門の榮華を傾け盡し、或は新都の經營に近畿きんきの人心を騷がせて少しも意に介せず。世を恨み義に勇みし源三位げんざんみ、數もなき白旗殊勝しゆしようにも宇治川の朝風あさかぜに飜へせしが、脆もろくも破れて空しく一族の血汐ちしほを平等院びやうどうゐんの夏草なつくさに染めたりしは、諸國源氏が旗揚はたあげの先陣ならんとは、平家の人々いかで知るべき。高倉たかくらの宮みやの宣旨せんじ、木曾きその北きた、關せきの東ひがしに普ねく渡りて、源氏興復こうふくの氣運漸く迫れる頃、入道は上下萬民の望みに背そむき、愈〻都を攝津の福原に遷《うつ》し、天下の亂れ、國土の騷ぎを露《つゆ》顧みざるは、抑〻そもも之れ滅亡を速むるの天意か。平家の末はいよよ遠からじと見えにけり。
 右兵衞佐うひやうゑのすけ(頼朝)が旗揚はたあげに、草木と共に靡きし關八州くわんはつしう、心ある者は今更とも思はぬに、大場おほばの三郎が早馬はやうまききて、夢かと驚きし平家の殿原とのばらこそ不覺ふかくなれ。討手うつての大將、三位中將維盛卿これもりきやう、赤地あかぢの錦の直垂ひたゝれに萌黄匂もえぎにほひの鎧は天晴あつぱれ平門公子へいもんこうしの容儀ようぎに風雅の銘を打つたれども、富士河の水鳥みづとりに立つ足もなき十萬騎は、關東武士の笑ひのみにあらず。前の非ひを悟りて舊都に歸り、さては奈良炎上えんじやうの無道むだうに餘忿よふんを漏もらせども、源氏の勢は日に加はるばかり、覺束なき行末を夢に見て其年も打ち過ぎつ。治承五年の春を迎ふれば、世愈〻亂れ、都に程なき信濃には、木曾の次郎が兵を起して、兵衞佐と相應あひおうじて其勢ひ破竹はちくの如し。傾危けいきの際、老いても一門の支柱しちゆうとなれる入道相國は折柄をりから怪しき病ひに死し、一門狼狽して爲す所を知らず。墨股すのまたの戰ひに少しく會稽の恥を雪すゝぎたれども、新中納言(知盛)軍機ぐんきを失しつして必勝の機を外はづし、木曾の壓おさへと頼みし城じやうの四郎が北陸ほくりくの勇を擧こぞりし四萬餘騎、餘五將軍よごしやうぐんの遺武ゐぶを負ひながら、横田河原よこたがはらの一戰に脆もろくも敗れしに驚きて、今はとて平家最後の力を盡して北に打向ひし十五萬餘騎、一門の存亡を賭とせし倶利加羅くりから、篠原しのはらの二戰に、哀れや殘り少なに打ちなされ、背疵せきず抱かゝへて、すごすご都に歸り來りし、打漏うちもらされの見苦みぐるしさ。木曾は愈〻勢ひに乘りて、明日あすにも都に押寄せんず風評ふうひやう、平家の人々は今は居ながら生いける心地もなく、然さりとて敵に向つて死する力もなし。木曾をだに支さゝへ得ざるに、關東の頼朝來らば如何にすべき、或は都を枕にして討死すべしと言へば、或は西海さいかいに走つて再擧さいきよを謀はかるべしと説き、一門の評議まちちにして定まらず。前には邦家の急きふに當りながら、後うしろには人心の赴く所ところ一ならず、何れ變らぬ亡國の末路まつろなりけり。 平和の時こそ、供花燒香に經を飜して、利益平等りやくびやうどうの世とも感ぜめ、祖先十代と己が半生の歴史とを刻きざみたる主家しゆかの運命日ひに非ひなるを見ては、眼を過ぐる雲煙うんえんとは瀧口いかで看過するを得ん。人の噂に味方みかたの敗北はいぼくを聞く毎ごとに、無念むねんさ、もどかしさに耐へ得ず、雙の腕を扼やくして法體ほつたいの今更變へ難きを恨むのみ。
 或日瀧口、閼伽あかの水みづ汲くまんとて、まだ明あけやらぬ空に往生院を出でて、近き泉の方に行きしに、都みやこ六波羅わたりと覺しき方に、一道の火焔くわえん天てんを焦こがして立上たちのぼれり。そよとだに風なき夏の曉に、遠く望めば只〻朝紅あさやけとも見ゆべかんめり。風かぜ靜しづかなるに、六波羅わたり斯かる大火を見るこそ訝いぶかしけれ。いづれ唯事たゞごとならじと思へば何となく心元こゝろもとなく、水汲みて急いそぎ坊に歸り、一杖一鉢、常の如く都をさして出で行きぬ。

第二十六

 瀧口入道、都に來て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、池殿いけどの、西八條の邊あたりより京白川きやうしらかは四五萬の在家ざいけ、方まさに煙の中にあり。洛中らくちゆうの民はさながら狂きやうせるが如く、老を負ひ幼を扶けて火を避くる者、僅の家財を携へて逃ぐる者、或は雜沓ざつたふの中に傷きずつきて助けを求むる者、或は連れ立ちし人に離れて路頭ろとうに迷へる者、何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、修羅しゆらの巷ちまたもかくやと思はれたり。只〻見る幾隊の六波羅武者、蹄の音高く馳せ來りて、人波ひとなみ打うてる狹き道をば、容赦ようしやもなく蹴散けちらし、指して行衞は北鳥羽の方、いづこと問へど人は知らず、平家一門の邸宅ていたく、武士の宿所しゆくしよ、殘りなく火中にあれども消し止めんとする人の影見えず。そも何事の起れるや、問ふ人のみ多くして、答ふる者はなし。全都ぜんとの民は夢に夢見る心地して、只〻心安からず惶おそれ惑まどへるのみ。
 瀧口、事の由を聞かん由もなく、轟とゞろく胸を抑おさへつゝ、朱雀すざくの方かたに來れば、向ひより形かたち亂みだせる二三人の女房の大路おほぢを北に急ぎ行くに、瀧口呼留めて事の由を尋ぬれば、一人の女房立留りて悲しげに、『未だ聞かれずや、大臣殿(宗盛)の思召おぼしめしにて、主上しゆじやうを始め一門殘らず西國さいごくに落ちさせ給ふぞや、もし縁ゆかりの人ならば跡より追ひつかれよ』。言捨いひすてて忙しげに走り行く。瀧口、あツとばかりに呆れて、さそくの考も出でず、鬼の如き兩眼より涙をはららと流し、恨めしげに伏見ふしみの方を打ち見やれば、明けゆく空に雲行くもゆきのみ早し。
 榮華の夢早や覺さめて、沒落の悲しみ方まさに來りぬ。盛衰興亡はのがれぬ世の習なれば、平家に於て獨り歎くべきに非ず。只〻まだ見ぬ敵に怯おそれをなして、輕々かろろしく帝都を離れ給へる大臣殿おとゞどのの思召こそ心得ね。兎とても角ても叶はぬ命ならば、御所の礎いしずゑ枕まくらにして、魚山ぎよさんの夜嵐よあらしに屍かばねを吹かせてこそ、散ちりても芳かんばしき天晴あつぱれ名門めいもんの末路まつろなれ。三代の仇あだを重ねたる關東武士くわんとうぶしが野馬の蹄ひづめに祖先そせんの墳墓ふんぼを蹴散けちらさせて、一門おめめ西海さいかいの陲はてに迷ひ行く。とても流さん末の慫名うきなはいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。 瀧口はしばし無念の涙を絞りしが、せめて燒跡やけあとなりとも弔はんと、西八條の方に辿り行けば、夜半よはにや立ちし、早や落人おちうどの影だに見えず、昨日きのふまでも美麗に建て連つらねし大門だいもん高臺かうだい、一夜の煙と立ち昇のぼりて、燒野原やけのはら、茫々として立木たちきに迷ふ鳥の聲のみ悲し。燒け殘りたる築垣ついがきの蔭より、屋方やかたの跡を眺ながむれば、朱塗しゆぬりの中門ちゆうもんのみ半殘なかばのこりて、門かどもる人もなし。嗚呼あゝ、被官ひくわん郎黨らうたうの日頃ひごろ寵ちように誇り恩を恣ほしいまゝにせる者、そも幾百千人の多きぞや。思はざりき、主家しゆか仆たふれ城地じやうち亡ほろびて、而かも一騎の屍かばねを其の燒跡やけあとに留むる者ものなからんとは。げにや榮華は夢か幻まぼろしか、高厦かうか十年にして立てども一朝の煙にだも堪へず、朝夕玉趾ぎよくし珠冠しゆくわんに容儀ようぎ正たゞし、參仕さんし拜趨はいすうの人に册かしづかれし人、今は長汀ちやうていの波に漂たゞよひ、旅泊りよはくの月に跉跰さすらひて、思寢おもひねに見ん夢ならでは還かへり難き昔、慕うて益なし。有爲轉變うゐてんぺんの世の中に、只〻最後の潔いさぎよきこそ肝要なるに、天に背そむき人に離れ、いづれ遁のがれぬ終をはりをば、何處いづこまで惜をしまるゝ一門の人々ぞ。彼を思ひ是を思ひ、瀧口は燒跡にたゝずみて、暫時しばし感慨の涙に暮れ居たり。
 稍〻やゝありて太息といきと共に立上たちあがり、昔ありし我が屋數やしきを打見やれば、其邊は一面の灰燼となりて、何處をそれとも見別みわけ難し。さても我父は如何にしませしか、一門の人々と共に落人おちうどにならせ給ひしか。御老年の此期このごに及びて、斯かる大變を見せ參らするこそうたてき限りなれ。瀧口今いまは、誰れ知れる人もなき跡ながら、昔の盛り忍ばれて、盡きぬ名殘なごりに幾度いくたびか振𢌞ふりかへりつ、持ちし錫杖しやくぢやう重おもげに打ち鳴らして、何思ひけん、小松殿の墓所ぼしよ指さして立去りし頃は、夜明よあけ、日も少しく上のぼりて、燒野に引ける垣越かきごしの松影長し。

第二十七

 世の果はては何處いづことも知らざれば、亡なき人の碑しるしにも萬代よろづよかけし小松殿内府の墳墓ふんぼ、見上ぐるばかりの石の面に彫り刻みたる淨蓮大禪門の五字、金泥きんでいの色いろ洗あらひし如く猶ほ鮮あざやかなり。外には沒落の嵐吹き荒すさみて、散り行く人の忙しきに、一境闃げきとして聲なき墓門の靜けさ、鏘々として響くは松韵、戞々かつつとして鳴るは聯珠、世の哀れに感じてや、鳥の歌さへいと低し。
 墓の前なる石階の下に跪ひざまづきて默然として祈念せる瀧口入道、やがて頭を擧げ、泣くく御墓に向ひて言ひけるは、『あゝ淺ましき御一門の成れの果はて、草葉くさばの蔭に加何に御覽ぜられ候やらん。御墓の石にまだ蒸むす苔とてもなき今の日に、早や退沒の悲しみに遇はんとは申すも中々に愚なり。御靈前に香華かうげを手向たむくるもの明日よりは有りや無しや。北國ほつこく、關東くわんとうの夷共えびすどもの、君が安眠の砌にはを駭かせ參らせん事、思へば心外の限りにこそ候へ。君は元來英明にましませば、事今日あらんこと、かねてより悟らせ給ひ、神佛三寶に祈誓して御世みよを早うさせ給ひけるこそ、最いと有り難けれ。夢にも斯くと知りなば不肖時頼、直ちに後世ごせの御供おんとも仕つかまつるべう候ひしに、性頑冥にして悟り得ず、望みなき世に長生ながらへて斯かる無念をまのあたり見る事のかへすがへすも口惜しう候ふぞや、時頼進んでは君が鴻恩の萬一に答ふる能はず、退いては亡國の餘類となれる身の、今更君きみに合はす面目も候はず。あはれ匹夫の身は物の數ならず、願ふは尊靈の冥護を以て、世を昔に引き返し、御一門を再び都に納いれさせ給へ』。 急せきくる涙に咽むせびながら、掻き口説くどく言ことの葉はも定かならず、亂れし心を押し鎭めつ、眼を閉ぢ首かうべを俯して石階の上に打伏うちふせば、あやにくや、沒落の今の哀れに引き比くらべて、盛りなりし昔の事、雲の如く胸に湧き、祈念の珠數にはふり落つる懷舊の涙のみ滋しげし。あゝとばかり我れ知らず身を振はして立上たちあがり、踉よろめく體を踏みしむる右手の支柱、曉の露まだ冷やかなる内府の御墳みはか、哀れ榮華十年の遺物かたみなりけり。

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 盛りの花と人に惜しまれ、世に歌はれて、春の眞中に散りにし人の羨まるゝ哉。陽炎かげろふの影より淡き身を憖なまじひ生いき殘りて、木枯嵐こがらしの風の宿となり果てては、我が爲に哀れを慰むる鳥もなし、家仆れ國滅びて六尺の身おくに處なく、天低く地薄くして昔をかへす夢もなし。――吁々思ふまじ、我ながら不覺なりき、修行の肩に歌袋かけて、天地を一爐と觀ぜし昔人も有りしに、三衣を纏ひ一鉢を捧ぐる身の、世の盛衰に離れ得ず、生死流轉の間に彷徨さまよへるこそ口惜しき至りなれ。世を捨てし昔の心を思ひ出せば、良しや天落ち地裂くるとも、今更驚く謂れやある。常なしと見つる此世に悲しむべき秋もなく、喜ぶべき春もなく、青山白雲長とこしなへに青く長へに白し。あはれ、本覺大悟の智慧の火よ、我が胸に尚ほ蛇の如く熒まつはれる一切煩惱を渣滓さしも殘らず燒き盡せよかし。
 斯くて瀧口、主家の大變に動きそめたる心根を、辛からくも抑へて、常の如く嵯峨の奧に朝夕の行ぎやうを懈らざりしが、都近く住みて、變り果てし世の樣を見る事を忍び得ざりけん、其年七月の末、久しく住みなれし往生院を跡にして、飄然と何處ともなく出で行きぬ。

第二十八

 昨日は東關の下に轡くつわ竝ならべし十萬騎、今日は西海の波に漂ふ三千餘人。強きに附く人の情なれば、世に落人の宿る蔭はなく、太宰府だざいふの一夜の夢に昔を忍ぶ遑もあらで、緒方をがたに追はれ、松浦に逼られ、九國の山野廣けれども、立ち止とまるべき足場もなし。去年こぞは九重こゝのへの雲に見し秋の月を、八重やへの汐路しほぢに打眺うちながめつ、覺束なくも明かし暮らせし壽永二年。水島みづしま、室山むろやまの二戰に勝利を得しより、勢ひ漸く強く、頼朝、義仲の爭ひの隙ひまに山陰、山陽を切り從へ、福原の舊都まで攻上せめのぼりしが、一の谷の一戰に源九郎が爲に脆くも打破られ、須磨の浦曲うらわの潮風に、散り行く櫻の哀れを留めて、落ち行く先は、門司もじ、赤間あかまの元の海、六十餘州の半を領せし平家の一門、船を繋つなぐべき渚なぎさだになく、波のまにに行衞も知らぬ梶枕かぢまくら、高麗かうらい、契丹きつたんの雲の端はてまでもとは思へども、流石さすが忍ばれず。今は屋島やしまの浦に錨いかりを留めて、只ひたすら最後の日を待てるぞ哀れなる。

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 壽永三年三月の末、夕暮ゆふぐれ近ちかき頃、紀州きしゆう高野山を上のぼり行く二人の旅人たびびとありけり。浮世を忍ぶ旅路たびぢなればにや、一人は深編笠ふかあみがさに面おもてを隱して、顏容かほかたち知しるに由なけれども、其の裝束は世の常ならず、古錦襴こきんらんの下衣したぎに、紅梅萌黄こうばいもえぎの浮文うきあやに張裏はりうらしたる狩衣かりぎぬを着け、紫裾濃むらさきすそごの袴腰、横幅廣く結ひ下げて、平塵ひらぢりの細鞘、優しとやかに下げ、摺皮すりかはの踏皮たびに同じ色の行纏むかばき穿ちしは、何れ由緒ゆゐしよある人の公達きんだちと思はれたり。他の一人は年の頃廿六七、前なる人の從者ずさと覺しく、日に燒け色黒みたれども、眉秀いで眼涼しき優男やさをとこ、少し色剥げたる厚塗の立烏帽子に卯の花色の布衣を着け、黒塗の野太刀を佩きたり。放慣れぬにや、將はた永の徒歩かちに疲れしにや、二人とも弱り果てし如く、踏み締むる足に力なく青竹あをだけの杖に身を持たせて、主從相扶け、喘あへぎぎ上のぼり行く高野かうやの山路、早や夕陽も名殘を山の巓に留めて、崖そばの陰、森の下、恐ろしき迄に黒みたり。祕密の山に常夜の燈ともしびなければ、あなたの木の根、こなたの岩角いはかどに膝を打ち足を挫くじきて、仆れんとする身を辛やうやく支さゝへ、主從手に手を取り合ひて、顏見合す毎に彌増いやまさる太息の數、春の山風身に染みて、入相いりあひの鐘の音ねに梵缶ぼんふうの響き幽かすかなるも哀れなり。 十歩に小休、百歩に大憩、辛からうじて猶ほ上り行けば、讀經の聲、振鈴の響、漸く繁くなりて、老松古杉の木立こだちを漏れて仄ほのかに見ゆる諸坊の燈ともしび、早や行先も遠からじと勇み勵みて行く程に、間まもなく蓮生門を過ぎて主從御影堂みえいだうの此方こなたに立止まりぬ。從者ずさは近き邊あたりの院に立寄りて何事か物問ふ樣子なりしが、やがて元の所に立歸り、何やら主人に耳語さゝやけば、點頭うなづきて尚も山深く上り行きぬ。
 飛鈷ひこ地に落ちて嶮に生おひし古松の蔭、半なかば立木を其儘に結びたる一個の庵室、夜毎ごとの嵐に破れ寂びたる板間いたまより、漏る燈の影暗く、香烟窓を迷ひ出で、心細き鈴の音、春ながら物さびたり。二人は此の庵室の前に立ち止まりしが、從者ずさはやがて門に立ちよりて、『瀧口入道殿の庵室は茲に非ずや。遙々はるる訪たづね來りし主從二人、こゝ開け給へ』と呼ばはれば、内より燈ともしび提さげて出來いできたりたる一個の僧、『瀧口が庵は此處ながら、浮世の人にはるる訪はるゝ覺えはなきに』と言ひつゝ訝しげなる顏色して門を開けば、編笠あみがさ脱ぬぎつゝ、ツと通る件の旅人、僧は一目見るより打驚き、砌しきいしにひたと頭を附けて、『これはは』。

第二十九

 世移り人失ひとうせぬれば、都は今は故郷ふるさとならず、滿目奮山川、眺ながむる我も元の身なれども、變り果てし盛衰に、憂き事のみぞ多かる世は、嵯峨の里も樂しからず、高野山に上りて早や三年みとせ、山遠く谷深ければ、入りにし跡を訪とふ人とてあらざれば、松風ならで世に友もなき庵室に、夜に入りて訪おとづれし其人を誰れと思ひきや、小松の三位中將維盛卿にて、それに從へるは足助二郎重景ならんとは。夢かとばかり驚きながら、扶たすけ參らせて一間ひとまに招せうじ、身は遙はるかに席を隔てて拜伏はいふくしぬ。思ひ懸けぬ對面に左右とかうの言葉もなく、先さきだつものは涙なり。瀧口つらつら御容姿おんありさまを見上ぐれば、沒落以來、幾いくその艱苦を忍び給ひけん、御顏痩せ衰へ、青總の髮疏あらゝかに、紅玉の膚はだへ色消え、平門第一の美男と唱はれし昔の樣子、何いづこにと疑はるゝばかり、年にもあらで老い給ひし御面に、故こ内府の俤あるも哀れなり。『こは現うつゝとも覺え候はぬものかな。扨も屋島をば何として遁のがれ出でさせ給ひけん。當今天あめが下は源氏の勢せいに充みちぬるに、そも何地いづちを指しての御旅路おんたびぢにて候やらん』。維盛卿は涙を拭ひ、『さればとよ、一門沒落の時は我も人竝ひとなみに都を立ち出でて西國に下くだりしが、行くも歸るも水の上、風に漂ふ波枕なみまくらに此三年このみとせの春秋は安き夢とてはなかりしぞや。或はよるべなき門司の沖に、磯の千鳥とともに泣き明かし、或は須磨を追はれて明石の浦に昔人むかしびとの風雅を羨み、重ね重ねし憂事うきことの數かず、堪たへ忍ぶ身にも忍び難きは、都に殘せし妻子が事、波の上に起居する身のせん術すべなければ、此の年月は心にもなき疎遠に打過ぎつ。嘸や我を恨み居らんと思へば彌増いやます懷なつかしさ。兎とても亡びんうたかたの身にしあれば、息ある内に、最愛いとしき者を見もし見られもせんと辛からくも思ひ決さだめ、重景一人伴ともなひ、夜に紛まぎれて屋島を逃のがれ、數々の憂うき目を見て、阿波の結城の浦より名も恐ろしき鳴門なるとの沖を漕ぎ過ぎて、辛やうやく此地までは來つるぞや。憐れと思へ瀧口』。打ち萎しをれし御有樣、重景も瀧口も只〻袂を絞るばかりなり。瀧口、『優《いう》に哀れなる御述懷、覺えず法衣を沾《うるほ》し申しぬ。然《さ》るにても如何なれば都へは行き給はで、此山には上り給ひし』。維盛卿は太息吐つき給ひ、『然《さ》ればなり、都に直に歸りたき心は山山なれども、熟〻つらら思へば、斯かる體ていにて關東武士の充てる都の中に入らんは、捕はれに行くも同じこと、先には本三位の卿(重衡)の一の谷にて擒となり、生恥いきはぢを京鎌倉に曝さらせしさへあるに、我れ平家の嫡流として名もなき武士の手にかゝらん事、如何にも口惜しく、妻子の愛は燃ゆるばかりに切せつなれども、心に心を爭ひて辛く此山に上りしなり。高野に汝あること風の便たよりに聞きしゆゑ、汝を頼みて戒を受け、樣さまを變へ、其上にて心安く都にも入り、妻子にも遇はばやとこそ思ふなれ』。 瀧口は首かうべを床ゆかに附けしまゝ、暫し泪なみだに咽むせび居たりしが、『都は君が三代の故郷なるに、樣を變へでは御名も唱へられぬ世の變遷こそ是非なけれ。思へば故こ内府の思顧の侍、其數を知らざる内に、世を捨てし瀧口の此期このごに及びて君の御役に立たん事、生前しやうぜんの面目めんぼく此上このうへや候べき。故内府の鴻恩に比くらべては高野の山も高からず、熊野の海も深からず、いづれ世に用なき此身なれば、よしや一命を召され候とも苦しからず。あゝ斯かる身は枯れても折れても野末のづゑの朽木くちき、素もとより物の數ならず。只〻金枝玉葉きんしぎよくえふの御身として、定めなき世の波風なみかぜに漂たゞよひ給ふこと、御痛はしう存じ候』。言ひつゝ涙をはららと流せば、維盛卿も、重景も、昔の身の上思ひ出でて、泣くより外に言葉もなし。

第三十

 二人の賓客を次の室にやすませて、瀧口は孤燈の下もとに只〻一人寢ねもやらず、つらら思𢌞おもひめぐらせば、痛はしきは維盛卿が身の上なり。誰れあらん小松殿の嫡男として、名門の跡を繼ぐべき御身なるに、天が下に此山ならで身を寄せ給ふ處なきまでに零落おちぶれさせ給ひしは、過世すぐせ如何なる因縁あればにや。習ひもお在はさぬ徒歩かちの旅に、知らぬ山川を遙はるる彷徨さまよひ給ふさへあるに、玉の襖ふすま、錦の床とこに隙ひまもる風も厭はれし昔にひき換へて、露にも堪へぬかゝる破屋あばらやに一夜の宿を願ひ給ふ御可憐いとしさよ。變りし世は隨意まゝならで、指させる都には得も行き給はず、心にもあらぬ落髮を逐とげてだに、相見んと焦こがれ給ふ妻子の恩愛は如何に深かるべきぞ。御容おんかたちさへ窶やつれさせ給ひて、此年月の忍び給ひし憂事うきことも思ひやらる。思ひ出せば治承の春、西八條の花見の宴に、櫻かざして青海波を舞ひ給ひし御姿、今尚ほ昨きのふの如く覺ゆるに、脇わきを勤めし重景さへ同じ落人おちうどとなりて、都ならぬ高野の夜嵐に、昔の哀れを物語らんとは、怪しきまで奇くしき縁なれ。あはれ、肩に懸けられし恩賜の御衣に一門の譽を擔ひ、竝なみ居る人よりは深山木みやまぎの楊梅と稱たゝへられ、枯野の小松と歌はれし其時は、人も我も誰れかは今日けふあるを想ふべき。昔は夢か今は現うつゝか。十年にも足らぬ間に變り果てたる世の樣を見るもの哉。
 果はてしなき今昔こんじやくの感慨に、瀧口は柱に凭よりしまゝしばし茫然たりしが、不圖ふと電いなづまの如く胸に感じて、想ひ起したる小松殿の言葉に、顰ひそみし眉動き、沈みたる眼閃ひらめき、頽くづせし膝立て直し屹きつと衣ころもの襟を掻合かきあはせぬ。思へば思へば、情なき人を恨み侘びて樣を變へんと思ひ決さだめつゝ、餘所よそながら此世の告別に伺候せし時、世を捨つる我とも知り給はで、頼み置かれし維盛卿の御事、盛りと見えし世に衰へん世の末の事、愚なる我の思ひ料はからん由もなければ少しも心に懸けざりしが、扨は斯からん後の今の事を仰せ置かれしよ。『少將は心弱き者、一朝事あらん時、妻子の愛に惹ひかされて未練の最後に一門の恥を暴さらさんも測はかられず、時頼、たのむは其方一人』。幾度となく繰返されし御仰おんおほせ、六波羅上下の武士より、我れ一人を擇ばれし御心の、我は只〻忝なさに前後をも辨わきまへざりしが、今の維盛卿の有樣、正に御遺言に適中せり。都を跡に西國へ落ち給ひしさへ口惜くちをしきに、屋島の浦に明日あすにも亡びん一門の人々を振り捨てて、武士は櫻木、散りての後の名をも惜しみ給はで、妻子の愛にめゝしくも茲まで迷ひ來られし御心根おんこゝろね、哀れは深からぬにはあらねども、平家の嫡流として未練の譏そしりは末代まつだいまでも逃のがれ給はじ。斯くならん末を思ひ料はからせ給ひたればこそ、故内府殿の扨こそ我に仰せ置かれしなれ。此處こゝぞ御恩の報じ處、情なさけを殺し心を鬼にして、情つれなき諫言を進むるも、御身の爲め御家の爲め、さては過ぎ去り給ひし父君の御爲ぞや。世に埋木うもれぎの花咲く事もなかりし我れ、圖はからずも御恩の萬一を報ゆるの機會に遇ひしこそ、息ある内の面目なれ。あゝ然さなり、然さなりと點頭うなづきしが、然るにても痛はしきは維盛卿、斯かる由ありとも知り給はで、情なの者よ、變りし世に心までがと、一圖づに我を恨み給はん事の心苦こゝろぐるしさよ。あゝ忠義の爲めとは言ひながら、君を恨ませ、辱はづかしめて、仕したり顏なる我はそも何の因果ぞや。 義理と情の二岐ふたみちかけて、瀧口が心はとつおいつ、外には見えぬ胸の嵐に亂脈打ちて、暫時しばし思案に暮れ居しが、やゝありて、兩眼よりはららと落涙し、思はず口走くちばしる絞るが如き一語『オ御許おゆるしあれや、君』。言ひつゝ眼を閉ぢ、維盛卿の御寢間おんねまに向ひ岸破がばと打伏しぬ。
 折柄をりから杉すぎの妻戸つまどを徐ろに押し開あくる音す、瀧口首かうべを擧げ、燈ともしび差さし向けて何者と打見やれば、足助二郎重景なり。端はしなくは進まず、首かうべを垂れて萎しをれ出でたる有樣は仔細ありげなり。瀧口訝しげに、『足助殿には未だ御寢ならざるや』と問へば、重景太息吐き、『瀧口殿』、聲を忍ばせて、『重景改めて御邊に謝罪せねばならぬ事あり』。『何と仰せある』。

第三十一

 何事と眉を顰ひそむる瀧口を、重景は怯おそろしげに打ち※みまもり、『重景、今更いまさら御邊ごへんと面合おもてあはする面目もなけれども、我身にして我身にあらぬ今の我れ、逃のがれんに道もなく、厚かましくも先程よりの體ていたらく、御邊ごへんの目には嘸や厚顏とも鐵面とも見えつらん。維盛卿の前なれば心を明あかさん折もなく、暫しばしの間あひだながら御邊の顏見る毎に胸を裂かるゝ思ひありし、そは他事にもあらず、横笛が事』。言ひつゝ瀧口が顏、竊ぬすむが如く見上ぐれば、默然として眼を閉ぢしまゝ、衣の袖の搖ゆるぎも見せず。『世を捨てし御邊が清き心には、今は昔の恨みとて殘らざるべけれ共、凡夫ぼんぷの悲しさは、一度犯をかせる惡事は善きにつけ惡しきにつけ、影の如く附き纏まとひて、此の年月の心苦しさ、自業自得なれば誰れに向ひて憂を分たん術もなく、なせし罪に比べて只〻我が苦しみの輕きを恨むのみ。喃のう、瀧口殿、最早もはや世に浮ぶ瀬もなき此身、今更惜をしむべき譽もなければ、誰れに恥づべき名もあらず、重景が一期ごの懺悔ざんげ聞き給へ。御邊ごへんの可惜あたら武士を捨てて世を遁のがれ給ひしも、扨は横笛が深草の里に果敢はかなき終りを遂とげたりしも、起りを糾せば皆みな此の重景が所業にて候ぞや』。瀧口は猶ほも默然として、聞いて驚く樣も見えず。重景は語を續けて、『事の始めはくだくだしければ言はず、何れ若氣わかげの春の駒、止めても止まらぬ戀路をば行衞も知らず踏み迷うて、窶やつす憂身うきみも誰れ故とこそ思ひけめ。我が心の萬一も酌くみとらで、何處どこまでもつれなき横笛、冷泉と云へる知れる老女を懸橋に樣子を探れば、御身も疾ぐより心を寄する由。扨は横笛、我に難面つれなきも御邊に義理を立つる爲と、心に嫉ねたましく思ひ、彼の老女を傳手つてに御邊が事、色々惡樣に言ひなせし事、いかに戀路に迷ひし人の常とは言へ、今更我れながら心の程の怪しまるゝばかり。又夫れのみならず、御邊ごへんに横笛が事を思ひ切らせん爲め、潛かに御邊が父左衞門殿に、親實しんじつを上うはべに言ひ入れしこともあり、皆之れ重景ならぬ女色に心を奪はれし戀の奴やつこの爲せし業わざ、云ふも中々慚愧の至りにこそ。御邊が世を捨てしと聞きて、あゝ許し給へ、六波羅の人々知るも知らぬも哀れと思はざるはなかりしに、同じ小松殿の御内みうちに朝夕顏を見合せし朋輩の我、却て心の底に喜びしも戀てふ惡魔のなせる業わざ。あはれ時こそ來りたれ、外に戀を爭ふ人なければ、横笛こそは我れに靡かめと、夜となく晝とも言はず掻口説かきくどきしに、思ひ懸けなや、横笛も亦程なく行衞しれずなりぬ。跡にて人の噂に聞けば、世を捨つるまで己れを慕ひし御邊の誠に感じ、其身も深草の邊に庵を結びて御邊が爲に節を守りしが、乙女心の憂うきに耐へ得で、秋をも待たず果敢はかなくなりしとかや。思ひし人は世を去りて、殘る哀れは我れにのみ集まり、迷の夢醒めて、初めて覺さとる我身の罪、あゝ我れ微なかりせば、御邊も可惜あたら武士を捨てじ、横笛も亦世を早うせじ、とても叶はぬ戀とは知らで、道ならぬ手段てだてを用ひても望みを貫かんと務めし愚さよ。唯〻我れありし爲め浮世の義理に明けては言はぬ互の心、底の流れの通ふに由なく、御邊と言ひ、横笛と言ひ、皆盛年の身を以て、或は墨染の衣に世を遁れ、或は咲きもせぬ蕾のまゝに散り果てぬ、世の恨事何物も之に過ぐべうも覺えず。今宵こよひ端はしなく御邊に遇ひ、ありしにも似ぬ體を見るにつけ、皆是れ重景が爲なせる業と思へば、いぶせき庵に多年の行業にも若し知り給はば、嘸や我を恨み給ひけん。――此期に及び多くは言はじ、只〻御邊が許ゆるしを願ふのみ』。慚愧と悲哀に情迫り聲さへうるみて、額ひたひの汗を拭ひ敢へず。 重景が事、斯くあらんとは豫かねてより略〻ほぼ察し知りし瀧口なれば、さして騷がず、只〻横笛が事こと、端はしなく胸に浮びては、流石さすがに色に忍びかねて、法衣の濡るゝを覺えず。打蕭うちしをれたる重景が樣を見れば、今更憎む心も出でず、世にときめきし昔に思ひ比べて、哀れは一入ひとしほ深し。『若き時の過失あやまちは人毎ひとごとに免まねかれず、懺悔ざんげめきたる述懷は瀧口却かへつて迷惑に存じ候ぞや。戀には脆もろき我れ人の心、など御邊一人の罪にてあるべき。言うて還らぬ事は言はざらんには若しかず、何事も過ぎし昔は恨みもなく喜びもなし。世に望みなき瀧口、今更何隔意なにきやくいの候べき、只〻世にある御邊の行末永き忠勤こそ願はしけれ』。淡きこと水の如きは大人の心か、昔の仇を夢と見て、今の現うつゝに報いんともせず、恨みず、亂れず、光風霽月の雅量は、流石は世を觀じたる瀧口入道なり。

第三十二

 早ほののと明けなんず春の曉あかつき、峰の嶺、空の雲ならで、まだ照り染めぬ旭影。霞に鎖とざせる八つの谷間に夜よる尚ほ彷徨さまよひて、梢を鳴らす清嵐に鳥の聲尚ほ眠れるが如し。遠近をちこちの僧院庵室に漸く聞ゆる經の聲、鈴の響、浮世離れし物音に曉の靜けさ一入ひとしほ深し。まことや帝城を離れて二百里、郷里を去りて無人生むにんしやう、同じ土ながら、さながら世を隔てたる高野山、眞言祕密の靈跡に感應の心も轉〻うたゝ澄みぬべし。
 竹苑椒房の音に變り、破やぶれ頽くづれたる僧庵に如何なる夜をや過し給へる、露深き枕邊に夕の夢を殘し置きて起出で給へる維盛卿。重景も共に立ち出でて、主や何處と打見やれば、此方の一間に瀧口入道、終夜よもすがら思ひ煩ひて顏の色徒たゞならず、肅然として佛壇に向ひ、眼を閉ぢて祈念の體、心細くも立ち上る一縷の香煙に身を包ませて、爪繰つまぐる珠數の音冴さえたり。佛壇の正面には故こ内府の靈位を安置しあるに、維盛卿も重景も、是れはとばかりに拜伏し、共に祈念を凝こらしける。
 軈て看經かんきん終りて後、維盛卿は瀧口に向ひ、『扨も殊勝の事を見るものよ、今廣き日の本に、淨蓮大禪門の御靈位を設けて、朝夕の𢌞向ゑかうをなさんもの、瀧口、爾そちならで外に其人ありとも覺えざるぞ。思へば先君の被官内人、幾百人と其の數を知らざりしが、世の盛衰に隨つれて、多くは身を浮草の西東、舊もとの主人に弓引くものさへある中に、世を捨ててさへ昔を忘れぬ爾が殊勝さよ。其れには反して、世に落人の見る影もなき今の我身、草葉の蔭より先君の嘸かし腑甲斐なき者と思ひ給はん。世に望みなき維盛が心にかゝるは此事一つ』。言ひつゝ涙を拭ひ給ふ。
 瀧口は默然として居たりしが、暫くありて屹きつと面おもてを擧げ、襟を正して維盛が前に恭しく兩手を突き、『然さほど先君の事御心おんこゝろに懸けさせ給ふ程ならば、何とて斯かる落人にはならせ給ひしぞ』。意外の一言に維盛卿は膝押進めて、『ナ何と言ふ』。『御驚きは然さることながら、御身の爲め、又御一門の爲め、御恨みの程を身一つに忍びて瀧口が申上ぐる事、一通り御聞きあれ。そも君は正しく平家の嫡流にてお在はさずや。今や御一門の方々かたた屋島の浦に在りて、生死を一にし、存亡を共にして、囘復の事叶はぬまでも、押寄する源氏に最後の一矢を酬いんと日夜肝膽を碎かるゝ事申すも中々の事に候へ。そも壽永の初め、指さす敵の旗影はたかげも見で都を落ちさせ給ひしさへ平家末代の恥辱なるに、せめて此上は、一門の將士、御座船ござぶね枕にして屍を西海の波に浮べてこそ、天晴あつぱれ名門めいもんの最後、潔しとこそ申すべけれ。然るを君には宗族故舊を波濤の上に振捨てて、妻子の情に迷はせられ、斯く見苦しき落人に成らせ給ひしぞ心外千萬なる。明日にも屋島沒落の曉に、御一門殘らず雄々しき最後を遂とげ給ひけん時、君一人は如何にならせ給ふ御心に候や。若し又關東の手に捕はれ給ふ事のあらんには、君こそは妻子の愛に一門の義を捨てて、死すべき命を卑怯にも遁れ給ひしと世の口々に嘲られて、京鎌倉に立つ浮名をば君には風やいづこと聞き給はんずる御心に候や。申すも恐れある事ながら、御父重盛卿は智仁勇の三徳を具そなへられし古今の明器めいき。敵も味方も共に景慕する所なるに、君には其の正嫡と生れ給ひて、先君の譽を傷きずつけん事、口惜くちをしくは思おぼさずや。本三位の卿の擒となりて京鎌倉に恥を曝さらせしこと、君には口惜しう見え給ふほどならば、何とて無官の大夫が健氣けなげなる討死うちじにを譽とは思ひ給はぬ。あはれ君、先君の御事、一門の恥辱となる由を思ひ給はば、願くは一刻も早く屋島に歸り給へ、瀧口、君を宿し參らする庵も候はず。あゝ斯くつれなく待遇もてなし參らするも、故内府が御恩の萬分の一に答へん瀧口が微哀、詮ずる處、君の御爲を思へばなり。御恨みのほどもさこそと思ひ遣やらるれども、今は言ひ解かん術すべもなし。何事も申さず、只〻屋島に歸らせ給ひ、御一門と生死を共にし給へ』。 忌まず、憚らず、涙ながらに諫むる瀧口入道。維盛卿は至極の道理に面目なげに差し俯うつぶき、狩衣の御袖を絞りかねしが、言葉もなく、ツと次の室に立入り給ふ。跡見送りて瀧口は、其儘岸破がばと伏して男泣きに泣き沈みぬ。

第三十三

 よもすがら恩義と情の岐巷ちまたに立ちて、何れをそれと決さだめ難かねし瀧口が思ひ極めたる直諫に、さすがに御身の上を恥らひ給ひてや、言葉もなく一間ひとまに入りし維盛卿、吁々思へば君が馬前の水つぎ孰りて、大儀ぞの一聲を此上なき譽と人も思ひ我れも誇りし日もありしに、如何に末の世とは言ひながら、露忍ぶ木蔭こかげもなく彷徨さまよひ給へる今の痛はしきに、快こゝろよき一夜の宿も得せず、面まのあたり主を恥はぢしめて、忠義顏なる我はそも如何なる因果ぞや。末望みなき落人おちうど故ゆゑの此つれなさと我を恨み給はんことのうたてさよ。あはれ故内府在天の靈も照覽あれ、血を吐くばかりの瀧口が胸の思ひ、聊か二十餘年の御恩に酬ゆるの寸志にて候ぞや。
 松杉暗き山中なれば、傾き易き夕日の影、はや今日の春も暮れなんず。姿ばかりは墨染にして、君が行末を嶮けはしき山路に思ひ較くらべつ、溪間たにまの泉を閼伽桶あかをけに汲取りて立ち歸る瀧口入道、庵の中を見れば、維盛卿も重景も、何處に行きしか、影もなし。扨は我が諫めを納いれ給ひて屋島やしまに歸られしか、然るにても一言の我に御告知しらせなき訝しさよ。四邊あたりを見𢌞みまはせば不圖ふと眼にとまる經机きやうづくゑの上にある薄色の折紙、取り上げ見れば維盛卿の筆と覺しく、水莖みづぐきの跡鮮あざやかに走り書せる二首の和歌、

かへるべき梢はあれどいかにせん
    風をいのちの身にしあなれば
濱千鳥入りにし跡をしらせねば
    潮のひる間に尋ねてもみよ

 哀れ、御身を落葉と觀くわんじ給ひて元の枝をば屋島とは見給ひけん、入りにし跡を何處とも知らせぬ濱千鳥、潮干しほひの磯に何を尋ねよとや。――扨はとばかり瀧口は、折紙の面おもてを凝視みつめつゝ暫時しばし茫然として居たりしが、何思ひけん、豫あらかじめ祕藏せし昔の名殘なごりの小鍛冶こかぢの鞘卷、狼狽あわたゞしく取出して衣ころもの袖に隱し持ち、麓の方に急ぎける。
 路傍の家に維盛卿が事それとなしに尋ぬれば、狩衣かりぎぬ着きし侍さむらひ二人ふたり、麓ふもとの方に下りしは早や程過ぎし前の事なりと答ふるに、愈〻足を早め、走るが如く山を下りて、路すがら人に問へば、尋ぬる人は和歌の浦さして急ぎ行きしと言ふ。瀧口胸愈〻轟き、氣も半《なかば》亂れて飛ぶが如く濱邊《はまべ》をさして走り行く。雲に聳ゆる高野の山よりは、眼下に瞰下《みおろ》す和歌の浦も、歩めば遠き十里の郷路、元より一刻こく半晌はんときの途ならず。日は既に暮れ果てて、朧げながら照り渡る彌生やよひ半なかばの春の夜の月、天地を鎖す青紗の幕は、雲か烟か、將はた霞か、風雄のすさびならで、生死の境に爭へる身のげに一刻千金の夕かな。夢路を辿る心地して、瀧口は夜すがら馳せて辛やうやく着ける和歌の浦。見渡せば海原うなばら遠とほく烟けぶり籠こめて、月影ならで物もなく、濱千鳥聲絶えて、浦吹く風に音澄める磯馳松そなれまつ、波の響のみいと冴えたり。入りにし人の跡もやと、此處彼處こゝかしこ彷徨さまよへば、とある岸邊きしべの大なる松の幹を削けづりて、夜目よめにも著しるき數行の文字。月の光に立寄り見れば、南無三寶。『祖父太政大臣平朝臣清盛公法名淨海、親父小松内大臣左大將重盛公法名淨蓮、三位中將維盛年二十七歳、壽永三年三月十八日和歌の浦に入水じゆすゐす、徒者足助二郎重景二十五歳殉死す』。墨痕淋漓として乾かざれども、波靜かにして水に哀れの痕も殘らず。瀧口は、あはやと計り松の根元ねもとに伏轉ふしまろび、『許し給へ』と言ふも切せつなる涙聲、哀れを返す何處の花ぞ、行衞も知らず二片三片ふたひらみひら、誘ふ春風は情か無情か。
            *        *
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 次の日の朝、和歌の浦の漁夫ぎよふ、磯邊に來て見れば、松の根元に腹はら掻切かききりて死せる一個の僧あり。流石汚けがすに忍びでや、墨染の衣は傍らの松枝まつがえに打ち懸けて、身に纏へるは練布の白衣、脚下に綿津見わたつみの淵を置きて、刀持つ手に毛程の筋の亂れも見せず、血汐の糊のりに塗まみれたる朱溝しゆみぞの鞘卷逆手さかてに握りて、膝も頽くづさず端坐たんざせる姿は、何れ名ある武士の果ならん。
 嗚呼是れ、戀に望みを失ひて、世を捨てし身の世に捨てられず、主家の運命を影に負うて二十六年を盛衰の波に漂はせし、齋藤瀧口時頼が、まこと浮世の最後なりけり。



青空文庫より引用