増長天王


山目付

 こんな奥深い峡谷きょうこくは、町から思うと寒い筈だが、案外冷たい風もなく、南勾配みなみこうばいを選よって山歩きをしていると草萌頃くさもえごろのむしむしとする地息に、毛の根が痒かゆくなる程な汗を覚える。
 天明てんめい二年の春さきである。
 木の芽めの色、玲瓏れいろうな空、もえる陽炎かげろう、まことに春らしい山村の春。
 肥前鍋島家ひぜんなべしまけの役人、山目付やまめつけの鈴木杢之進すずきもくのしんという色の黒い侍さむらい、手に寒竹かんちくの杖つえをもち、日当たりのいい灌木かんぼくの傾斜を、ノソリ、ガサリ、と歩いている。
「どうも、さっぱり面白くないな」
 といわんばかりな顔つきで、恰好かっこうな場所を見つけると、ドッカリ山芝へ腰をおろしてしまった。
 膝を抱えると杢之進もくのしん、日向思案ひなたしあんに落ちこんで、山目付やまめつけとは、何たる御苦労なしな役目だろうと、今さららしく、退屈の不平を数えた。
 しかし、初めは城下詰の俗役ぞくやくをいとって、われから望んだ役目なのだ。が、さて、やってみると、毎日、皿山さらやまからこの大川内おおかわちの山一帯を、ガサリ、ノソリとあるいているだけの商売で、他国から御用窯ごようかまどの秘法を盗みにくる奴やつもなければ、品物を密売する悪人もない。みな佐賀のほこり、御用焼ごようやきの色鍋島いろなべしまを克明こくめいに制作している、善良なる細工人さいくにんばかりの山だ。
 同時に、山目付の十手じってや大小も飾かざり物もの同様になってあるくかがしに過ぎない訳にもなる。春の山に菌きのこを求めているような役を、七、八年もやっていると武士らしい誇りや張合いはおろか、自分は人間だか兎うさぎであるかについて、ちょッと考えて見たくなる。
 何か波瀾はらんがあればいい。
 血の雨でも降るようなことが。
 とまれ、余りにこの山は平和過ぎる。すぐ目の下の山間やまあいを眺め渡してみても、あっちの沢やこっちの山瀬に、四、五十戸の屋根が見えるが、それは皆、名陶めいとう色鍋島を焼く、御用細工人の陶器小屋すえものごやで、人間がいるとは思えぬほど、イヤに寂莫せきばくとした景色である。
 平和に飽あくと平和な光景が、見るも気けだるくなってくるらしい。
 それが、杢之進もくのしんをいよいよ憂鬱ゆううつにさせて、何か、波瀾の来たらんことを祈りたくなる。
「それを思うと久米一くめいちは偉いやつだ」
 杢之進は、いつか久米一から聞いた怪気焔かいきえんを思いだして、いささか屈託くったくを慰なぐさめようとした。
「いったわえ、いつか、あいつが。だめだだめだ若い奴らは、五年もこの山に棲すむとカサカサになって寒巌枯骨かんがんここつのていたらくだ、陶土つちに脂あぶらも艶気つやけもなくなってくる。そんな野郎は茶人相手の柿右衛門かきえもんの所へ行ッちまえ。おれの山から作りだす色鍋島は、煩悩ぼんのうもあり血も通っている、人間相手の陶器を焼くんだ! と。なるほどそれは一理あるな。だが後の言葉はなお久米一らしかった。べら棒ぼうめ! と、こいつは、あの仁じんの癖くせで、――西行さいぎょうとか芭蕉ばしょうとかいう男みてえに、尾花おばなや蒲公英たんぽぽにばかり野糞のぐそをしてフラフラ生きているような人間になって、ほんとの、生きた陶器が作れるかい。陶器ってえな冷やっこい物ばかりじゃねえぞ、恋女房の肌みてえに、暖かいものの筈なんだ? と。ははははは、無学の暴言かも知れないが、一家言いっかげんとして聞いてもいい、とにかくあいつは活々いきいきした人間らしいな、この杢之進もくのしんに較べてみても」 立つと思う心もなく、フイとひとりでに立ち上がった。急に、久米一くめいちの細工邸さいくやしきへ、出かけてみたくなったのである。
 そして、灌木かんぼくの枝を掻かきわけながら、ザワザワと低地へ下りて行きかけたが、何に眸ひとみを衝うたれたのか、
「あ――」棒立ちに足をとめてしまった。
 先の者も人の気配に、杢之進もくのしんよりはびっくりした様子。雉子きじの雌めす雄おすが舞ったように、パラパラと沢の方へ逃げだした。
 後ろ姿――どっちも美しい若人わこうどである。「罪なことをしたなア」
 彼は、何だか余りいい気持がしなかった。これは退屈の憂鬱ゆううつへ、少し刺戟しげきがあり過ぎる。だが、こんなこともこの山にあった方が喜ばしいと思った。
「旦那だんな、鈴木の旦那」
 その時、誰か後ろから呼びかけた声を聞いた。ふり顧かえってみると、久米一の細工邸にいる窯焚かまたきの百助ももすけという男。
「なんだ、お薪山まきやまか? ――」
「いいえ、少し旦那のお耳に入れておきたいことがありましてね」
 ばかに生きまじめな顔をして、寄ってきた。

秘法盗

「今、あわてて逃げだした男女ふたりは、久米一の娘の棗なつめさんと絵描座えかきざに仕事をしている、兆二郎ちょうじろうという若造ですぜ」
 と窯焚かまたきの百助、いまいましそうに鼻をこすった。
「ああ絵描座の兆二郎か、年は若いが、だいぶ仕事の筋はいいそうではないか」
「そりゃ絵筆も巧者こうしゃでしょうが、女にかけてもするどい野郎で、いつの間にか、師匠の娘とあの通り乳繰合ちちくりあっているんです」
「まあいいではないか、いずれ久米一も娘の棗なつめに、婿むこをとらねばならぬ身だ」
「え!」百助は不服なつらをおさえつけて、「そいつをとやこういうわけじゃありませんが、どうでもお上かみへ訴えなけりゃならねえことがあるんで、わっしは、そいつを旦那の手柄てがらにさせてえと思いましてね」
「訴える? 何をだ」
「あの兆二郎という奴は、たしかに御用窯ごようがまの秘法を盗みに来ている廻まわし者ものですぜ」
「百助、まさか、いたずらごとを申すのではあるまいな」
「こんなことが嘘うそッ八ぱちでいえるものですか。あいつはまだ十六、七の時、巡礼じゅんれいか何かに化ばけて、この山へ紛まぎれこんできた他国者なんで、巧うまく久米一の気に入って、絵描座の細工人に成なり澄すましたが、根からの巡礼で、ああ俄にわかに腕が上がる筈はねえ、きっと金沢の九谷くたにかどこかの廻し者で、色鍋島いろなべしまの錦付にしきつけや釉薬うわぐすりの秘法を盗みに来たやつに相違ありません」
「しかし百助、それだけの理由では、兆二郎を御法度ごはっと破りと見なすわけに参らんぞ」
「だから、これから師匠の家うちまで、恐れ入りますが一緒に来ておくんなさい。あいつとわっしが対決して、きッと生白なまじろい仮面を引っぱいでお目にかけましょう」
「では何か、そちが兆二郎に泥をはかせるから、拙者せっしゃに立会ってくれというのか」
「親方の久米一にも聞いていて貰います。この山の鍋島焼きは、二百年来の秘密窯ひみつがまで、殿様初め佐賀城につぐ宝だとしているものだ。九谷くたにの者なぞに、窯築かまつきの法や薬合せを盗まれて堪たまるものか。第一、そんな御法度ごはっと破りを出せば親方も同罪だ、わっしや久米一のためにも、ウントここで肌はだを脱がなきゃなりません」

傲慢人

 黒髪山くろかみやまと谷川との間の狭い盆地に、陶工とうこう久米一くめいちの細工邸さいくていがあった。
 大川内おおかわち四十軒の、捻土方ねりつちかた、窯焚かまたき、下働きなどの締しまりをしている鍋島家御用工人なべしまけごようこうにん、土塀囲どべいがこいだが邸はかなり広い。 窯は盆地盆地に十数ヵ所、邸の裏山にも、一ヵ所ある。将軍家の献上品けんじょうひんや佐賀城のお道具だけを焼くお止窯とめがまだ。普通、諸国へだすものは、今も久米一の邸の側そばの日向ひあたりに、まだ火も釉薬うわぐすりもかけぬ素泥すどろの皿、向付むこうづけ、香炉こうろ、観音像などが生干なまぼしになって乾ほし並べてあるそれだ。
 しかし、これとて、その釉薬ゆうやく、築窯ちくよう、火法かほう、みな厳秘げんぴ洩もらすまじきものとなって、洩らしたものは磔はりつけの掟おきてである。
「御免ごめん――」
 立派な武士が久米一の邸を訪れていた。
 佐賀の城下から来た鍋島家の奥用人おくようにん、刈屋頼母かりやたのもという侍。通されて奥へ入る。
 奥では久米一、おそろしく華麗な部屋に、南蛮なんばん渡りの縞衣しまぎぬを着て、厚い衾ふすまの上に大胡坐おおあぐらをかいていた。
 粉黛ふんたいの粧よそおい凝こらした美女が、彼の瘤こぶのように厚い肩の肉を揉もんでいる。また一人の美女は久米一に煙草をつけて出し、また一人の美女が茶を運ぶ、それら脂粉しふんの香かと絢爛けんらんな調度ちょうどにとりまかれている陶工久米一は、左眼さがんのつぶれた目っかちで、かつ醜男ぶおとこで、肥こえてはいるが、年、六十から七十の間。
 憎にくらしいほど、矍鑠かくしゃくとしたものだ。
 また人にも実に憎らしがられている。山の者はいうまでもなく、役人達まで、一人として彼を憎まざるものはない。久米一非常な傲慢ごうまんだからだ。誰にも屈くっしたことがない、誰へも傲倨ごうきょに君臨する、ましてや芸術においては無論、天下の陶器師を睥睨へいげいしている。
 それでいて、城主を初め、役人や山の者までが、彼の前には、膝を屈くっしなければならなかった。たしかに、久米一は名陶工であったには相違ない。色鍋島の絢爛けんらん艶美えんびな彫琢ちょうたくと若々しい光彩の漲みなぎった名品が、この老いほうけた久米一の指から生れて、他の若い細工人さいくにんの手からは作り得なかった。
 京の仁清にんせい、色絵いろえの柿右衛門かきえもん、みな一派の特長がある。この山からだす色鍋島は、こう行くよりほかに道はないぞ、と彼はよく弟子の枯淡こたんになるのを叱りつける。
 太守肥前守たいしゅひぜんのかみの使者、奥用人の刈屋頼母かりやたのもは、この尊傲そんごうな工匠こうしょうの部屋へ通った。
「おいでなさい」
 といっただけで、久米一、別に上座じょうざも与えず、ただ肉の厚い膝を、いやいや直しただけである。
「相変らずお達者で祝着しゅうちゃく」
 かえって、城主の使者が世辞せじをいう。
「達者でござるよ。だが、もっと若くなるつもりだ」
「先日、殿からお贈り申し上げた朝鮮人参ちょうせんにんじん、どうでござります。召しあがりましたか」
「うむ、やってみたよ、あいつはきくなあ」
「そのうちにまた、厦門船アモイせんが入りましたら、お届け申すように取りはからいましょう」
「せいぜい、久米一のために、不老長寿の食い物を探してくんなさい。何しろ山にはロクな物はねえからの。おれが老おい込こむと、色鍋島は亡ほろびるぜ、つまりは、そっちの損にもなる」
「分っておりまする」使者の頼母たのもは、さっきからムカムカしている我慢がまんが、フッと顔に苦にがく出たので俯向うつむいたが、ぴったり、胸を張って改まった。
「時に久米一殿」
「なんだな、殿様のお言伝ことづてか」「左様。そのため俄にわかに参じた次第。ほかではないが、折入ってのお頼み、一世一代のお気組きぐみで、御用登ごようのぼりの窯かまにかかっては下さるまいか」
「はてな。御用窯にかかるのは、三年に一度の掟おきて、去年、三彩獅子さんさいししと牡丹絵ぼたんえの瑠璃花瓶るりかびんを焼き上げて将軍家と御城内へ一つずつやってある筈だが」
「さ、それについてでござる」
「気に入らねえのか」
「滅相めっそうもないこと、三彩獅子を御覧ごろうぜられて、将軍家の御感ぎょかん一通ひととおりでなく、殿、御上府のせつは、偉い面目めんもくをほどこしたそうでござる」
「なアにお前、将軍家なんぞに、この久米一の仕事が分って堪たまるものか。ばかな、そりゃ大名の頭を撫なでそやしておく、お世辞せじというものだ」
「いえ、決して世辞ではござりませぬで、御賞美の余り、もう一つ、黒木くろきの御書院ごしょいんへ置く陶器をという御懇望、ほかならぬお方のおねだり、いやとは殿も仰せ兼ねます。久米一殿、頼母たのもがかくの如く両手をついてお願い申す、お家のためと思うて一つおかかり願いたい」
「ははあ、分った」
「えっ……?」
「そりゃ将軍家へ行くんじゃあるまい。この久米一もそろそろ歳としだ。いつぼけるか分らないから、このへんで、一生一品いっしょういっぴんな物を作らしておこうという考えだろう」
「いや、まったく、左様なわけではござらぬ」
「隠しなさんな。よし、よし、おれも随分ずいぶん鍋島家には世話をやかせた、おれの傲慢ごうまんに腹を立って、切腹した家来まであるからな。それにいくら久米一だって、そうそう若さも続くまい、一つこれを最後に何かやって見よう」
「えっ、御承諾ごしょうだく下さいまするか……」畳を下がって礼をのべた。あたかも主君へ対する作法である。その上、夥おびただしい金布きんぷの贈物おくりものを残して、刈屋頼母かりやたのも、大川内おおかわちの峡たにあいから駕かごを戻して行った。
「さあ、女ども、足を揉もめ、足を」
 久米一はすぐにゴロリとなって、前の若い女達を呼んだ。その女達は、伊万里赤絵町いまりあかえまちから、かわるがわる四、五人ずつ呼んでおく港の遊女で、朱塗しゅぬりの駕かごが山峡やまあいを通る日は、飽あいた女が返されて、次ぎのみめよい女が撰えらばれてくる日だ。
      ×   ×   ×
 窯焚かまたきの百助ももすけと山目付やまめつけの鈴木杢之進もくのしん、庭木戸から入ってきてこの態ていを眺めたが、格別かくべつ目新しいことでもないので、相変らずだな、と思って縁へ寄ってきた。
「親方、ちょっと起きておくんなさい。窯焚きの百助です」
「寝てやしねえ。なんだ?」と、久米一は横になっている体を腹這はらばいにして、擡もたげた首へ頬杖ほおづえをついた。百助は癪しゃくに障さわって、
「この老爺おやじめ、よくよく芸に慢心まんしんしていやがる」
 と思った。陶器作すえものづくりで一番大切なのは窯焚かまたきなのだ、窯焚きの手加減一つで、どんな名工の鏤心砕骨るしんさいこつも、ピーンと破やれが入ってしまう。
 だから、どんな雑物焼ぞうもつやきでも、窯焚きの待遇たいぐうにはハラハラするのが世間一般、久米一のように、腹ン這ばいで話すなんていう不作法は見たくも見られぬ例外だ。
「折入って、親方にちっと話があるんですがね」
「いってみねえな。よく今日は、折入ってという奴が続く日だ」
「鈴木の旦那」と後ろを向いて、
「一つわっしに代って、さっきの一埒いちらつを親方に打ぶちまけて見ておくんなさい」
「よろしい」と山目付の杢之進もくのしん、久米一の気に障さわらぬように兆二郎ちょうじろうの嫌疑けんぎを話した。
恋燐火

 絵描座えかきざと呼ぶのは、陶器絵かきの細工部屋さいくべや、奥の静かな一間ひとまである。
 さっき、そこへ戻った菊田兆二郎は、何食わぬ風を装よそおって、香炉こうろか何かに鯉絵こいえの彩管さいかんをとっていた。
 と、そこへ久米一の娘の棗なつめが、少し色をかえて入ってきた。
「兆二さん」
「また来たのですか」
「嫌いやなの?」
「そうじゃありませんけれど、師匠の眼につきますからね」
「お父さんはいいのだよ。だけれど、困ったことが出来たようだ……あの窯焚かまたきの百助ももすけと鈴木さんが来て、何だかお前に来てくれというのだけれど」
「どこへです?」
「お父さんの部屋に。鈴木さんはいい方だけれど、あの百助のやつ、ほんとに嫌いやな奴やつだから、何をいいだすか知れないよ」
「いったら私わたしもいってやります。いつかお薪山まきやまへ、お嬢様を誘い込もうとしたことを」
「面つらの皮をむいてやった方がいい。だがね兆二や、向うで黙っていたら止よした方ほうがいいよ」
「ええそりゃいやしませんとも」こんな気持で、兆二郎は何気なにげなく、縁伝えんづたいに師匠の部屋の前に来て板敷の上へ畏かしこまった。
 まだ前髪まえがみをとったばかり、青々とした月代さかやきに、髪油かみあぶらのうつりがいい。小刀を前差にして、袴はかまの襞ひだをとった形、いかにも棗なつめの眼をひいたろうと思われる。
 窯焚きの百助は、虫酸むしずの走るような眼をくれて、いきなり側そばへ寄って行った。
「おい! 加賀ッぽう! 加賀の九谷くたにから来た兆二郎ッ」
「えっ」
「見やがれ、面つらの色いろが変りやがった。汝うぬはなんだろう、大聖寺だいしょうじの前田の家来か九谷の陶器作すえものつくりの伜せがれだろう。うまく化ばけ澄すましていやがるな」
「飛んでもないことを! ……百助さん私わたしは元江戸の者で、兄は浮世絵師の」
「止よせよ! この窯焚きの百助はな、さんざん江戸でもゴロついていた事があるんだ。てめえみてえな色の生白なまじろい泥人形が、江戸生れだなんて吐ぬかしたって誰がまともに受けるものか。その訛なまりは加賀ッぽう剥むきだしだ。前田の家来に違ちげえねえッ」
「無態むたいなことをおっしゃって下さいますな。この兆二郎の身の上は、師匠もよく御存じでございます」
「やかましいッ。巡礼だか六部ろくぶだかになりやがって、仮病けびょうをつかってこの邸やしきの前に倒れたなあうぬの手段だ。そんなことはこの百助が、三年も前から睨にらみ貫とおしているんだぞ。さ、ここで泥を吐かなけりゃ、俺おれと一緒に代官所へ来い。白洲しらすで、白黒をつけてやる」
 ムズと兆二郎の襟頸えりくびを掴つかんだ。
 ずるずるッと廊下を引摺ひきずって行こうとする。もの蔭かげにみていた棗なつめは唇の色を失って顫ふるえていた。
 すると、煙管きせるを咥くわえて、今まで黙然もくねんとしていた久米一が不意に起たって、百助の腰をドンと蹴飛ばした。
「あっ」と、庭先へ打ぶっ倒たおれた窯焚かまたきの百助。何か叫ぼうとしたけれども、ぬッくと、縁先に突っ立った久米一の形相ぎょうそうをみると、思わず骨身が竦すくんでしまった。
 鈴木杢之進もくのしんも、その血相けっそうには気をのまれた。よく山の者が久米一の傲慢ごうまん増長ぞうちょうを憎んで、かげ口に増長天王ぞうちょうてんのうと悪口をいっているが、かりそめにも、この大川内で窯焚かまたきの上手じょうずでは右へ出る者のない百助を、足蹴あしげにした憤怒ふんぬ慢心まんしんの今の姿は、まったく、増長天王そのものの相であると思った。「た、短気なことをなされるな」
 と杢之進もくのしん、とにかく割って入ったが、百助ももすけは嚇かッとなって、久米一の顔を睨み上げた。
「やい、な、なんで俺おれを足蹴にしたッ」
「毒蛇といってあきたらねえ人非人にんぴにん、足蹴ぐらいは易やすいこったわ」
「人非人にんぴにんだと? おい久米一、汝うぬはどれほどな名人だか知らねえが、余り慢心して気まで変にならねえがいい。御法度ごはっとを破って、秘法を盗みに、他国から住み込んでいる廻し者を、俺が見破ってやるのは、取りも直さず汝うぬの落度おちどを防いでやることになるんだ。恩とは思わねえで、人を蹴飛ばす法があるかッ」
「やかましいわいッ」
 はったと睨んで、久米一、そこに人なき如ごとくこう言った。
「おれの持つわざというものはな、自体こんな狭い山だけに、秘し隠しにされておしまいになるような小さな物ではないのだぞ。芸わざの術が大きければ大きいほど、世にも響こう世間にも溢あふれ出よう。それが当然の成行なりゆきだわえ! だが兆二郎が加賀の廻し者だとは汝おのれだけの悪推量わるずいりょう、娘の棗に懸想けそうして、それが成らぬところから卑怯ひきょうな作りごとをして、仇あだをしよう腹だろうが! ば! ばか者奴ッ」
「うーむ……」と百助、歯を食いしばって無念がったが、それは彼の毒心どくしんに、グサと入った匕首あいくちの言葉である。こめかみから額に、蚯蚓みみずのような青筋をみなぎらし、
「ちッ……畜生ッ、覚おぼえていろ増長天王ぞうちょうてんのうめ!」
「なんだと」
「う、うぬの陶器すえものは、今日ッかぎりこの百助が手にかけねえからそう思えッ」
「勝手にさらせ」
「オオ久米一、手を切ッたぞ!」
 眼に燐火りんかを燃えたたせて、真ッ蒼さおに怒った窯焚かまたきの百助、捨てぜりふを残してまッしぐらに馳かけだして行った。

ろくろ情

 峡谷たにあいの山村に、春が過ぎ夏が過ぎ、山そのものが色絵錦いろえにしきの陶器すえもののような秋になった。
 近ごろ陶工とうこう久米一くめいちの生活は、がらりと打って変ってしまった。
 何人なんぴとも覗のぞかせぬ、細工場さいくばの陶戸すえどを閉めきって、一生一品の製作に精進しょうじんしているのだ。
 彼が、これを最後として作りにかかっているのは、窯焚かまたきの百助ももすけが、自分を罵ののしった言葉に着想を得た、増長天王ぞうちょうてんのう二尺余よの像である。
 久米一は元より柿右衛門の神経質な作さくを嫌い、古伊万里こいまりの老成ぶったのはなおとらなかった。で、この増長天王にあらん限りの華麗と熱と、若々しさと矜ほこりと、自分の精血せいけつを注そそごうとする意気をもった。
 深沈しんちんたる真夜中。
 陶戸すえどの中の久米一は、素地そじを寄せて一心不乱に箆へらをとった。ミリ、ミリ、彼の骨が鳴って、箆へらの先から血が滴したたりはしまいかと思われる。
 轆轤ろくろにかかる彼の姿は、鬼のように壁へ映った。そして、夜をつみ、日をついで、釉薬ゆうやく染付そめつけの順に仕事が進んだ。
 ところが、人の寝しずまる頃になると、久米一は、物ものの怪けに憑つかれたように、仕事のひとりごとを洩もらすのであった。
 箆へらの秘伝、釉薬くすりの合せ、彼が今日までおくびにも出さない秘密を、みなブツブツとひとりごとに説とき明あかし、そして増長天王ぞうちょうてんのうの仕上げにかかっていた。 不思議な――? と思うと、またここに怪しいのは娘の棗なつめの部屋。
 夜ごと、一人の男が忍んでくる。
 それが絵描座えかきざの兆二郎ちょうじろうであることはいうまでもないが、その部屋へ入るとやがて、兆二郎の姿はどこかへ消えてしまう。そして、戸棚の上の天井板てんじょういたが黒い口を開くのである。
 夜ごと、天井へはい上がった兆二郎は、屋根裏を伝うと、ソッと久米一の密室の上へかかり、そこに、苦心をして僅かに覗のぞきうるだけの穴をあけた。
 棗なつめはその間あいだ、ほかの弟子が来ぬように見張っていた。兆二郎は天井の穴に目をつけて、息をのみながら久米一の仕事を凝視ぎょうしする。
 と――やがての夜から久米一のひとりごとがはじまったのである。見ただけではわからぬわざの謎なぞ、そこへくると説とくのである。ああ、師匠は何もかも知っているのだ……色絵の秘法と同時に娘の棗なつめをもゆるしてくれる心であったと兆二郎が、真っ黒な屋根裏で両手を合せたことも幾いくたびか。

輪廻篇

 窯焚かまたきの百助ももすけは、無論あのまま黙ってはいない。なお、執念しゅうねん深く、兆二郎ちょうじろうの疑点をいくつも探り、佐賀の城下へ出て密告した。
 ところが、鍋島家なべしまけの役筋の方では、訴えられて非常に弱った。殊に、刈屋頼母かりやたのもは極力それを揉み消し、百助と久米一との和解に努つとめた。
 久米一の細工邸さいくやしきから、秘法ひほう盗みの罪人を出せば、その師匠の彼をも、同罪にしなければならない困難が一つ。
 また、百助をここで怒らせてしまっては、無論久米一の御用窯ごようがまには火を入れないと頑張るに違いない。ところが、久米一ほどの名人の火入ひいれする窯焚かまたきはそうザラにあるものでなく、大川内おおかわち、伊万里いまり、有田ありた、三地さんちを通じてみても、今度の献上陶器けんじょうすえものの火入れは、どうしても百助でなければ納おさまりがつかない。
 この困難が一つ。
 そのいずれを欠いても、こんどの大事な製作ができないわけ、頼母たのもが狼狽ろうばいしたのは無理ではなかった。
 しかし、百助の方は、すべて莫大な金ずくで我慢させた。
 いやいやながら久米一に詫わびを入れその日に、いよいよ焼くとなった増長天王ぞうちょうてんのうの像をうけ取った。みると、さすがに倫りんを絶ぜっしたでき栄ばえである。いかなる遺恨いこんも、憤怒ふんぬも、久米一の芸術の前には、自おのずから頭を下げずにいられなかった。
 その受け渡しがすむと。
 もう代官所の方では、すっかり手配ができていた。
「それっ」とばかり、久米一の細工邸さいくやしきへ、捕手とりての者を乱入させた。
 何の苦もなく、久米一は直ちに縄を打たれてひきだされてきた。だが、その姿を一目見た役人や山の者は、一瞬に平常の彼にもっていた憎念ぞうねんを忘れて涙ぐんだ。
 一心の芸術は、こうも人の精血せいけつを吸ってしまうものだろうか。僅かな間に、久米一の痩やせ衰おとろえたことは非常なものであった。糸を抜かれた蛾がよりも婆娑ばさとした姿に変って、大言壮語も吐かず弱々よわよわと佐賀の城下へ曳ひかれて行った。
 しかし、久米一より大事な罪人、絵描座えかきざの兆二郎と、娘の棗なつめの姿は、捕手が入った時すでに、影も形も見えなくなっていた。無論、逃げたのは山越えとみて、山目付やまめつけ鈴木杢之進もくのしんが手配したが、遂に、網あみの目めにかからない。
 夕月のかかる前から、黒髪山くろかみやまの山ふところ、御用窯ごようがまに火が入った、まっ黒な煙か、峡谷から押し揚った。
 そこに働いているのは窯焚かまたきの百助ももすけ。
 彼は溜飲りゅういんをさげて、得意に盈みちていた。
「ざまア見やがれ!」 ひとりで凱歌を奏していた。
 しかし、彼の鬱憤うっぷんは、久米一の細工屋敷が没落し、彼が城下で磔はりつけになるのをみても、まだまだ腹が癒いえなかった。彼奴かやつが死んでも殺されても、まだ生きているもののあるのを知っている。
 何かといえば、久米一のわざの魂。彼が色鍋島いろなべしまに残したかがやかしい名声だ。
「よウし……畜生」
 百助は、その無形な名声をも殺す、恐ろしい一策を思いついた。
 今、この御用窯の中には炎々たる高熱の火が入っている。そこには、久米一が、一世一代の製作、増長天王ぞうちょうてんのうが彼奴の命いのちを吹ッ込まれて、世に生れ出ようとする火炉かろの胎養たいようをうけているのだ。
「こいつを、満足に火からだすのも、暗やみから暗にしてしまうのも、窯焚かまたきのおれの火加減一つじゃねえか! ウム!」と彼は思いついた悪智にうなずいて魔の笑いをもらした。
 こうなると、百助の冴さえた腕は、恐ろしい悪事の構成に利用される。彼は窯かまの中の陶器すえものを、巧みに、火加減をもって悪作あくさくなものと変質させようとするのである。それも通常一般な窯焚かまたきが窯主かまぬしに仇あだするような拙つたない手法でなく、後に誰が見ても、その製作が久米一の手落ちなためで、火入れの故意せいではないように見せるべく苦心をした。
 で、彼は、わざと変則な火入れをした。
 夜に入り夜が更ふけると共に、太い火柱の影が、月の空へ突きとおって見えた。そしてすでに五更ごこうの暁に近いころ……。
 今が大事な火加減のところである。
 厚く築きずいた窯かまの土が、人間の血を日に透すかして見るように赤く見えてきた。ここに窯焚かまたきの懸命が入れば、陶器の増長天王ぞうちょうてんのう、焔ほのおの中から命いのちをもって、世に出たもうことになるのだろうが、百助は、元よりそれを呪のろっている。仇あだの胎児の死を眺めるような気持で冷然と、薪束まきたばの上に腰を下ろし、スパスパ煙草をくゆらし始めた。
 たちまち窯かまの肌がドス黒く、火口かこうの焔も弱って真まっ暗くらになってきた。久米一生涯の神品しんぴんも、今はどうなったか計られない。百助はそれを眺めてニタッ……と嘲笑あざわらった。
 その時、不意に百助の後ろへ、黒い人影がソッと立った。
「おや?」
 と、感づいて、ふり顧かえった彼の真まっ向こう!
 颯然さつぜんと、蛍ほたるを砕くだいたような光が飛んだ。あッといった時は、それが剣であったとみる眼も眩くらんで、窯焚かまたきの百助ももすけ、額ひたいを抑おさえて、ダッ――と跳とびのき、満面まんめん朱しゅになって、
「うウ! ……だ、誰だッ」
 唇に流れこむ血を吹いて喚わめいた。
 青白い剣の尖さきは、それに何の答えも与えず、なおスルスルと追い詰めてきた。百助は必死になって、よろよろと逃げ廻ったが、また一人、飛鳥のごとく駈け寄った影が、抱きすくめた彼の脇腹へグザと短剣の切きッ尖さきをえぐった。
「おお、火が消える」
 相手が斃たおれたと思うと、それには眼もくれないで、二人の影がかいがいしく窯かまの前に働きだした。
 お薪山まきやまから伐きりだした松薪まつまきの山を崩して、それを掴つかむと、火口ひぐちを屹きっと覗いた若者。
「ええッ」
 気合をかけてポーンと投げ込んだ。
「ええッ」とまたすぐに次の一本、また一本。今にも絶たえなんとしていた火の命いのち! 甦よみがえったかの如く赫々あかあかと燃え上がってあたりは光明昼のごとく真っ赤に照った。 百助ももすけを斃たおして、一心不乱に窯焚かまたきをしている若者二人の影、その時、ありありと姿が読まれた。
 絵描座えかきざの兆二郎ちょうじろうと、久米一の娘、棗なつめであった。
 絵師兆二郎は元よりただの細工人さいくにんではない。加賀大聖寺かがだいしょうじの武人の血をうけ父は九谷陶くたにすえの窯元かまもとである。多少の呼吸も心得ている上に、今は恩人最後の大業を、命にかけても焼き上げようとする一念があった。焦熱しょうねつの懸命があった。
 窯かまは音をたてて最高度まで焔をあげ夜はほのぼのと明けかけて来た。紅蓮地獄ぐれんじごくにふさわしい漆紅葉うるしもみじの真っ赤なのが、峰から降り、窯かまの火ひッ気けに煽あおられて、飜々ほんぽんと空に舞い迷う。
 やがて海嘯つなみのような声が揚あがった。
 山峡の細道を伝って、夥おびただしい捕手とりての数が黒髪山くろかみやまへ乱れ入った。が、捕手の目は、御用窯ごようがまの前に落葉に埋うずもれた百助の死骸を見出したのみで、棗なつめの姿も兆二郎のかげも、遂にひねもすの山狩むなしく見ることができなかった。
 ただ、二人をあきらかに見送っていた者は。
 山目付やまめつけの鈴木杢之進もくのしん。
 峰の頂いただき、伊弉諾いざなぎの尊みことの髪塚かみづかに立って、程近き間道かんどうを手に手をとって、国境くにざかいへ逃げてゆくふたりの姿を認めたのである。
 が、――しかし、杢之進もくのしん、その時、その若人たちの前途に、明るき春あれ幸さちあれと、祈る心は湧いても、無慈悲むじひな飛縄ひじょうを飛ばそうとは、露つゆほども思わなかったのである。
 久米一くめいちがいった。いつか窯焚かまたきの百助ももすけを蹴落けおとした時に、「おれのわざはこんな山の中に封じられて終るような小さなものではないと。偉大なものは世の中へ溢あふれ出ずにはいない」と。そうだ、ましてや杢之進の持つ弄具おもちゃ同様な十手や捕縄とりなわで、その溢あふれる力がせき切れるものか! ……
 しかし彼の心が、再びこの山村の平和に退屈しても、なお、これ以上の波瀾はらんを欲するかしら? それは杢之進にも分らない。ただ当座は、一刻も早く陶器山すえものやまの静まるのを念じたに違いない。
      ×   ×   ×
 佐賀の城下で、陶工とうこう久米一くめいちが断罪となる日、彼の持窯もちがま――黒髪山くろかみやまの御用窯ごようがまも破壊された。破壊された中から生れた物があった。それは太守たいしゅも、刈屋頼母かりやたのもも、まったく望みを絶っていた、増長天王ぞうちょうてんのうの陶器像すえものぞう。しかも一点の瑕きずなく彫琢ちょうたくの巧緻こうち染付そめつけの豪華ごうか絢麗けんれいなこと、大川内おおかわちの山、開いてこの方かた、かつて見ない色鍋島いろなべしまの神品。さらに、焼きの上がりも無類であった。
 鍋島肥前守なべしまひぜんのかみは、山役人から、その欣よろこばしい報しらせをうけると、直ちに、久米一助命じょめいの急使を走らせた。
 急使は刑場へ間に合ってついた。
 だが、久米一の助命はかいないことであった。なぜといえば、彼は、刑場へ来る途中、すでに、刀も待たず、枯木かれきの折れるように、死ぬともみえず老衰で死んでいた。 さて――話の結びに、彼の残した増長天王ぞうちょうてんのうはどこへ安置されたか、それを一言する。
 天明てんめい四年正月早々。佐賀城から江戸へ向って、警固荷役に守られて送り出されたのが、久米一作の増長天王であった。届け先は、頼母が久米一に話した言葉と違って、千代田の城へは入らずに、時の権勢家けんせいか、田沼山城守意知たぬまやましろのかみおきともの屋敷へ贈物とされることになった。
 これは鍋島家が、山城守に睨まれていたことがあって、その機嫌をとり結ぶべく、心を砕くだいた賄賂わいろであった。賄賂といっては、久米一が作らぬだろうと、頼母たのもに旨むねを含ふくませたのである。
 ところが、増長天王を田沼山城の屋敷へ贈る手続きをしている間に、三月、江戸城朝会ちょうかいの当日、山城守は悪政の酬むくいをうけ、殿中で刺殺しさつされてしまった。
 そのため、増長天王はしばらく江戸の上屋敷の秘庫ひこにあったが、後に将軍家斉いえなりに懇望こんもうされて、江戸城本丸に移された。しかし、それもやがてまた、幕府瓦解がかいの兆ちょうをあらわした、安政六年の失火の時、本丸炎上の紅蓮ぐれんをあびて、遂に永遠の相そうを失い、もとの土に返ってしまった。



青空文庫より引用