ふるさと


   はしがき

父とうさんが遠とほい外國ぐわいこくの方はうから歸かへつた時とき、太郎たらうや次郎じらうへの土産話みやげばなしにと思おもひまして、いろろな旅たびのお話はなしをまとめたのが、父とうさんの『幼をさなきものに』でした。あの時とき、太郎たらうはやうやく十三歳さい、次郎じらうは十一歳さいでした。
早いものですね。あの本ほんを作つくつた時ときから、もう三年ねんの月日つきひがたちます。太郎たらうは十六歳さい、次郎じらうは十四歳さいにもなります。父とうさんの家うちには、今いま、太郎たらうに、次郎じらうに、末子すゑこの三人にんが居ゐます。末子すゑこは母かあさんが亡なくなると間まもなく常陸ひたちの方はうの乳母うばの家うちに預あづけられて、七年ねんもその乳母うばのところに居ゐましたが、今いまでは父とうさんの家うちの方はうへ歸かへつて來きて居ゐます。三郎さぶらうはもう長ながいこと信州しんしう木曾きその小父をぢさんの家うちに養やしなはれて居ゐまして、兄あにの太郎たらうや次郎じらうのところへ時々とききお手紙てがみなぞをよこすやうになりました。三郎さぶらうはことし十三歳さい、末子すゑこがもう十一歳さいにもなりますよ。
父とうさんの家うちではよく三郎さぶらうの噂うはさをします。三郎さぶらうが居ゐる木曾きその方はうの話はなしもよく出でます。あの木曾きその山やまの中なかが父とうさんの生うまれたところなんですから。
人ひとはいくつに成なつても子供こどもの時分じぶんに食たべた物ものの味あぢを忘わすれないやうに、自分じぶんの生うまれた土地とちのことを忘わすれないものでね。假令たとへその土地とちが、どんな山やまの中なかでありましても、そこで今度こんど、父とうさんは自分じぶんの幼少ちひさい時分じぶんのことや、その子供こどもの時分じぶんに遊あそび廻まはつた山やまや林はやしのお話はなしを一册さつの小ちひさな本ほんに作つくらうと思おもひ立たちました。あの『幼をさなきものに』と同おなじやうに、今度こんどの本ほんも太郎たらうや次郎じらうなどに話はなし聞きかせるつもりで書かきました。それがこの『ふるさと』です。

   一 雀すずめのおやど

みんなお出いで。お話はなししませう。先まづ雀すずめのおやどから始はじめませう。
雀すずめ、雀すずめ、おやどはどこだ。
雀すずめのお家うちは林はやしの奧おくの竹たけやぶにありました。この雀すずめには父とうさまも母かあさまもありました。樂たのしいお家うちの前まへは竹たけばかりで、青あをいまつすぐな竹たけが澤山たくさんに竝ならんで生はえて居ゐました。雀すずめは毎日まいにちのやうに竹たけやぶに出でて遊あそびましたが、その竹たけの間あひだから見みると、樂たのしいお家うちがよけいに樂たのしく見みえました。
そのうちに、雀すずめの好すきなお家うちの前まへには竹たけの子こが生はえて來きました。母かあさまのお洗濯せんたくする方はうへ行いつて見みますと、そこにも竹たけの子こが出でて來きてゐました。
『あそこにも竹たけの子こ。ここにも竹たけの子こ。』
と雀すずめはチユウチユウ鳴なきながら、竹たけの子このまはりを悦よろこんで踊をどつて歩あるきました。
僅わづか一晩ひとばんばかりのうちに竹たけの子こはずんずん大おほきくなりました。雀すずめが寢ねて起おきて、また竹たけやぶへ遊あそびに行いきますと、きのふまで見みえなかつたところに新あたらしい竹たけの子こが出でて來きたのがあります。きのふまで小ちひさな竹たけの子こだと思おもつたのが、僅わづか一晩ひとばんばかりで、びつくりするほど大おほきくなつたのがあります。
雀すずめはおどろいて、母かあさまのところへ飛とんで行いきました。母かあさまにその話はなしをして、どうしてあの小ちひさな竹たけの子こがあんなに急きふに大おほきくなつたのでせうと尋たづねました。すると母かあさまは可愛かあいい雀すずめを抱だきまして、『お前まへは初はじめて知しつたのかい、それが皆みなさんのよく言いふ「いのち」(生命)といふものですよ。お前まへたちが大おほきくなるのもみんなその力ちからなんですよ。』
と話はなしてきかせました。

   二 五木ごぼくの林はやし  

太郎たらうよ、次郎じらうよ、お前達まへたちは父とうさんの生うまれた山地やまちの方はうのお話はなしを聞きたいと思おもひますか。
檜木ひのき、椹さはら、明檜あすひ、槇まき、𣜌ねず――それを木曾きその方はうでは五木ごぼくといひまして、さういふ木きの生はえた森もりや林はやしがあの深ふかい谷間たにあひに茂しげつて居ゐるのです。五木ごぼくとは、五いつつの主おもな木きを指さして言いふのですが、まだその他ほかに栗くりの木き、杉すぎの木き、松まつの木き、桂かつらの木き、欅けやきの木きなぞが生はえて居ゐます。樅もみの木き、栂つげの木きも生はえて居ゐます。それから栃とちの木きも生はえて居ゐます。太郎たらうや次郎じらうは一度ど父とうさんに隨ついて、三郎さぶらうの居ゐる木曾きその小父をぢさんの家うちを訪たづねたことが有ありましたらう。あの小父をぢさんの家うちの前まへから、木曽川きそがはの流ながれるところを見みて來きましたらう。小父をじさんの家うちのある木曾福島町きそふくしままちは御嶽山おんたけさんに近ちかいところですが、あれから木曽川きそがはについて十里りばかりも川下かはしもに神坂村みさかむらといふ村むらがあります。それが父とうさんの生うまれた村むらです。

   三 山やまの中なかへ來くるお正月しやうぐわつ

父とうさんも昔むかしはお前達まへたちと同おなじやうに、お正月しやうぐわつの來くるのを樂たのしみにした子供こどもでしたよ。お正月しやうぐわつが來くる時分じぶんになると、父とうさんの生うまれたお家うちでは自分じぶんのところでお餅もちをつきました。そのお餅もちは爐邊ろばたにつゞいた庭にはでつきましたから、そこへ爺ぢいやが小屋こやから杵きねをかついで來きました。臼うすもころがして來きました。お餅もちにするお米こめは裏口うらぐちの竈かまどで蒸むしましたから、そこへも手傳てつだひのお婆ばあさんが來きて樂たのしい火ひを焚たきました。
やがて蒸籠せいろといふものに入いれて蒸むしたお米こめがやはらかくなりますとお婆ばあさんがそれを臼うすの中なかへうつします。爺ぢいやは杵きねでもつて、それをつき始はじめます。だんだんお米こめがねばつて來きて、お餅もちが臼うすの中なかから生うまれて來きます。爺ぢいやは力ちから一ぱい杵きねを振ふり上あげて、それを打うちおろす度たびに、臼うすの中なかのお餅もちには大おほきな穴あながあきました。お婆ばあさんはまた腰こしを振ふりながら、爺ぢいやが杵きねを振ふり上あげた時ときを見計みはかつては穴あなのあいたお餅もちをこねました。
『べつたらこ。べつたらこ。』
その餅もちつきの音おとを聞きくと、父とうさんは子供心こどもごゝころにもお正月しやうぐわつが山やまの中なかのお家うちへ來くることを知しりました。

   四 子供こどもの時分じぶん

これから父とうさんはお前達まへたちに、自分じぶんの子供こどもの時分じぶんのことをお話はなししようと思おもひます。
父とうさんの幼少ちひさな時分じぶんには、今いまのやうに少年せうねんの雜誌ざつしといふものも有ありませんでした。お前達まへたちのやうに面白おもしろいお伽噺とぎばなしの本ほんや、可愛かあいらしい繪ゑのついた雜誌ざつしなぞを讀よむことも出來できませんでした。讀よんで見みたくも、なんにもさういふお伽噺とぎばなしの本ほんや雜誌ざつしが無ないんでせう、おまけに、父とうさんの生うまれたところは山やまの中なかの田舍ゐなかでせう、そのかはり、幼少ちひさな時分じぶんの父とうさんには、見みるもの聞きくものがみんなお伽噺とぎばなしでした。
   五 荷物にもつを運はこぶ馬うま

『もしし、お前まへさんは今いま歸かへるところですか。』
父とうさんがお家うちの門もんの外そとに出でて見みますと馬うまが近所きんじよの馬方うまかたに引ひかれて父とうさんの見みて居ゐる前まへを通とほります。この馬うまは夕方ゆふがたになると、きつと歸かへつて來くるのです。
『さうです。今日けふは荷物にもつをつけて隣となりの村むらまで行いつて來きました。』
とその馬うまが父とうさんに言いひました。
『お前まへさんの首くびには好いい音おとのする鈴すゞがついて居ゐますね。』
と父とうさんが言いひますと、馬うまは首くびをふりながら、
『えゝ。私わたしが歩あるく度たびにこの鈴すゞが鳴なります。私わたしはこの鈴すゞの音おとを聞きき乍ながらお家うちの方はうへ歸かへつてまゐります。馬うまも荷物にもつをつけて行ゆく時ときはなかか骨ほねが折をれますが、一日にちの仕事しごとをすまして山道やまみちを歸かへつて來くるのは樂たのしみなものですよ。』
さう馬うまが言いつて、さも自慢じまんさうに首くびについて居ゐる鈴すゞを鳴ならして見みせました。父とうさんのお家うちの前まへは木曾街道きそかいだうと言いつて、鐵道てつだうも汽車きしやもない時分じぶんにはみんなその道みちを歩あるいて通とほりました。高たかい山やまの上うへでおまけに坂道さかみちの多おほい所ところですから荷物にもつはこの通とほり馬うまが運はこびました。どうかすると五匹ひきも六匹ぴきも荷物にもつをつけた馬うまが續つゞいて父とうさんのお家うちの前まへを通とほることもありました。男をとこや女をんなの旅人たびびとを乘のせた馬うまが馬方うまかたに引ひかれて通とほることもありました。父とうさんの聲こゑを掛かけたのは、近所きんじよに飼かはれて居ゐる馬うまで、毎日々々まいにちち隣村となりむらの方はうへ荷物にもつを運はこぶのがこの馬うまの役目やくめでした。馬うまが自分じぶんのお家うちへ歸かへつた時分じぶんに父とうさんはよく馳かけ出だして行いつて見みました。
『御苦勞ごくらう。御苦勞ごくらう。』
と馬方うまかたは馬うまを褒ほめまして、馬うまの脊中せなかにある鞍くらをはづしてやつたり馬うまの顏かほを撫なでゝやつたりしました。それから馬方うまかたは大おほきな盥たらひを持もつて來きまして、馬うまに行水ぎやうずゐをつかはせました。
『どうよ。どうよ。』
と馬方うまかたが言いひますと、馬うまは片足かたあしづゝ盥たらひの中なかへ入いれます。馬うまの行水ぎやうずゐは藁わらでもつて、びつしより汗あせになつた身體からだを流ながしてやるのです。父とうさんは馬方うまかたの家うちの前まへに立たつて、樂たのしさうに行水ぎやうずゐをつかつて貰もらつて居ゐる馬うまを眺ながめました。そして、馬うまの行水ぎやうずゐの始はじまる時分じぶんには山やまの中なかの村むらへ夕方ゆふがたの來くることを知しりました。それに氣きがついては、父とうさんは自分じぶんのお家うちの方はうへ歸かへりませうと思おもひました。

   六 奧山おくやまに燃もえる火ひ

父とうさんの田舍ゐなかでは、夕方ゆふがたになると夜鷹よたかといふ鳥とりが空そらを飛とびました。その夜鷹よたかの出でる時分じぶんには、蝙蝠かうもりまでが一緒しよに舞まひ出だしました。
『蝙蝠かうもり――來こい、來こい。』
と言いひながら、父とうさんは蝙蝠かうもりと一緒しよになつて飛とび歩あるいたものです。どうかすると狐火きつねびといふものが燃もえるのも、村むらの夕方ゆふがたでした。
『御覽ごらん狐火きつねびが燃もえて居ゐますよ。』
と村むらの人ひとに言いはれて、父とうさんはお家うちの前まへからそのチララと燃もえる青あをい狐火きつねびを遠とほい山やまの向むかふの方はうに望のぞんだこともありました。あれは狐きつねが松明たいまつを振ふるのだとも言いひましたし、奧山おくやまの木きの根ねが腐くさつて光ひかるのを狐きつねが口くちにくはへて振ふるのだとも言いひました。父とうさんは子供こどもで、なんにも知しりませんでしたが、あの青あをい美うつくしい不思議ふしぎな狐火きつねびを夢ゆめのやうに思おもひました。父とうさんの生うまれたところは、それほど深ふかい山やまの中なかでした。
   七 水みづの話はなし

父とうさんの田舍ゐなかは木曾街道きそかいだうの中なかの馬籠峠うまかごたうげといふところで、信濃しなのの國くにの一番ばん西にしの端はしにあたつて居ゐました。お正月しやうぐわつのお飾かざりを片付かたづける時分じぶんには、村中むらぢうの門松かどまつや注連繩しめなはなどを村むらのはづれへ持もつて行いつて、一緒しよにして燒やきました。村むらの人ひとはめいいお餅もちを竿さをの先さきにさしてその火ひで燒やいて食たべたり、子供こどものお清書せいしよを煙けむりの中なかに投なげこんで、高たかく空そらにあがつて行ゆく紙かみの片きれを眺ながめたりしました。火ひの氣けと、煙けむりとで、お清書せいしよが高たかくあがれば、それを書かいたものの手てがあがると言いひました。松まつの燃もえる煙けむりと一緒しよになつてお清書せいしよが高たかく、高たかくあがつて行ゆくのは丁度ちやうど凧たこでもあげるのを見みるやうでした。その正月しやうぐわつのお飾かざりを集あつめて燒やく村むらのはづれまで行ゆきますと、その邊へんにはびつくりするほど大おほきな岩いはや石いしが田圃たんぼの間あひだに見みえました。そこからはもう信濃しなのと美濃みのの國境くにさかひに近ちかいのです。父とうさんの田舍ゐなかは信濃しなのの山國やまぐにから平たひらな野原のはらの多おほい美濃みのの方はうへ降おりて行ゆく峠たうげの一番ばん上うへのところにあつたのです。
さういふ岩いはや石いしの多おほい峠たうげの上うへに出來できたお城しろのやうな村むらですから、まるで梯子段はしごだんの上うへにお家うちがあるやうに、石垣いしがきをきづいては一軒けんづゝお家うちが建たてゝありました。どちらを向むいても坂さかばかりでした。父とうさんがお隣となりの酒屋さかやの方はうへ上のぼつて行ゆくにも坂さか、お忠ちう婆ばあさんといふ人ひとの住すむ家うちの方はうへ降おりて行ゆくにも坂さかでした。この田舍ゐなかは水みづに不自由ふじいうなところでした。谷たにの底そこの方はうまで行ゆけば山やまの間あひだを流ながれて來くる谷川たにがはがなくもありませんが、人家じんかの近ちかくにはそれもありませんでした。そこで峠たうげの方はうから清水しみづを引ひいて、それを溜ためる塲所ばしよが造つくつてあつたのです。何なんといふ好よい清水しみづが長ながい樋とひを通とほつて、どんん流ながれて來きましたらう。父とうさんが輪わでも廻まはしながら遊あそびに行いつて見みますと、流ながれて來きた水みづが大おほきな箱はこの中なかに澄すんで溜たまつて居ゐます。その水みづが箱はこから溢あふれて村むらの下しもの方はうへ流ながれて行ゆきます。天秤棒てんびんぼうで兩方りやうはうの肩かたに手桶てをけをかついだ近所きんじよの女達をんなたちがそこへ水汲みづくみに集あつまつて來きます。水みづの不自由ふじいうなところに生うまれた父とうさんは特別とくべつにその清水しみづのあるところを樂たのしく思おもひました。みんなが威勢ゐせいよく水みづを汲くんだり擔かついだりするのを見みるのも樂たのしく思おもひました。そればかりではありません。父とうさんが子供こどもの時分じぶんから水みづといふものを大切たいせつに思おもひ、ずつと大おほきくなつても水みづの流ながれて居ゐるのを見みるのが好すきで、水みづの音おとを聞きくのも好すきなのは、斯かうして水みづに不自由ふじいうな田舍ゐなかに生うまれたからだと思おもひます。
父とうさんのお家うちには井戸ゐどが掘ほつてありました。その井戸ゐどは柄杓ひしやくで水みづの汲くめるやうな淺あさい井戸ゐどではありません。釣ついても、釣ついても、なかか釣瓶つるべの上あがつて來こないやうな、深ふかいい井戸ゐどでした。父とうさんの祖母おばあさんの隱居所いんきよじよになつて居ゐた二階かいと土藏どざうの間あひだを通とほりぬけて、裏うらの木小屋きごやの方はうへ降おりて行ゆく石段いしだんの横よこに、その井戸ゐどがありました。そこも父とうさんの好すきなところで、家うちの人ひとが手桶てをけをかついで來きたり、水みづを汲くんだりする側そばに立たつて、それを見る《み》のを樂たのしく思おもひました。父とうさんの幼少ちひさな時分じぶんにはお家うちにお雛ひなといふ女をんなが奉公ほうこうして居ゐまして、半分はんぶん乳母うばのやうに父とうさんを負おぶつたり抱だいたりして呉くれたことを覺おぼえて居ゐます。そのお雛ひなは井戸ゐどから石段いしだんを上あがり、土藏どざうの横よこを通とほり、桑畠くはばたけの間あひだを通とほつて、お家うちの臺所だいどころまでづゝ水みづを運はこびました。

   八 凧たこ

山やまの中なかの田舍ゐなかでは、近所きんじよに玩具おもちやを賣うる店みせもありません。村むらの子供こどもは凧たこなぞも自分じぶんで造つくりました。
父とうさんはまだ幼少ちひさかつたものですから、お家うちの爺ぢいやに手傳てつだつて貰もらひまして、造作ざうさなく出來できる凧たこを造つくりました。紙かみと絲いととはお祖母ばあさんが下くださる、骨ほねの竹たけは裏うらの竹籔たけやぶから爺ぢいやが切きつて來きて呉くれる、何なにもかもお家うちにある物もので間まに合あひました。爺ぢいやが青あをい竹たけを細ほそく削けづつて呉くれますと、それに父とうさんが御飯粒ごはんつぶで紙かみを張はりつけまして、鯣するめのかたちの凧たこを造つくりました。みんなのするやうに、凧たこの尾をには矢張やはり紙かみを長ながく切きつてさげました。末子すゑこは學校がくかうの先生せんせいから手工しゆこうを習ならひませう、自分じぶんで紙かみの箱はこなどを造つくるのは、上手じやうずに出來できても出來できなくても、樂たのしみなものでせう。父とうさんが自分じぶんで凧たこを造つくつたのは、丁度ちやうどお前達まへたちの手工しゆこうの樂たのしみでしたよ。細ほそい竹たけや紙かみでこしらへたものが、だんん凧の《たこ》のかたちに成なつて行いつた時ときは、どんなに父とうさんも嬉うれしかつたでせう。父とうさんはその凧たこに絲目いとめをつけまして、田圃たんぼの方はうへ持もつて行ゆきました。
『風かぜよ、來こい、來こい、凧たこ揚あがれ。』
と言いつて、近所きんじよの子供こどもも手造てづくりにした凧たこを揚あげに來きて居ゐます。田圃側たんぼわきの枯かれた草くさの中なかには、木瓜ぼけの木きなぞが顏かほを出だして居ゐまして、遊あそび廻まはるには樂たのしい塲所ばしよでした。
『あゝ好よい風かぜが來きました。この風かぜに早はやく揚あげて下ください。』
と凧たこが言いひました。父とうさんが大急おほいそぎで糸いとを出だしますと、凧たこは左右さいうに首くびを振ふつたり、長ながい紙かみの尾ををヒララさせたりしながら、さも心持こゝろもちよささうに揚あがつて行ゆきました。
凧たこは空そらの方はうに居ゐて、父とうさんにいろろな注文ちうもんをします。『あゝわたしは面喰めんくらひそうになりました。もつと絲いとをたぐつて下ください。』と言いふ時ときには、父とうさんは凧たこの注文ちうもんする通とほりに絲いとをたぐつてやります。『今度こんどは左ひだりの方はうへ傾かしぎさうになりました。早はやく右みぎの方はうへ糸いとを引ひいて下ください。』と言いふ時ときには、父とうさんはまた凧たこの言いふ通とほりに右みぎの方はうへ糸いとを引ひいてやります。そのうちに凧たこは風かぜをうけて、高たかく高たかく、のして行ゆきました。『凧たこさん、よく揚あがりましたね。そんなに高たかいところへ揚あがつたらそこいらがよく見みえませう。』
と父とうさんが下したから尋たづねますと、凧たこは高たかい空そらから見みえる谷底たにそこの話はなしをしました。
『凧たこさん、何なにが見みえます。ほうぼうのお家うちが見みえますか。』
『えゝ、石いしの載のせてあるお家うちの屋根やねから、竹藪たけやぶまで見みえます。馬籠うまかごの村むらが一目めに見みえます。荒町あらまちの鎭守ちんじゆの杜もりまで見みえます。』
『お祖父ぢいさんの好すきな惠那山ゑなやまは奈何どんなでせう。』
『惠那山ゑなやまもよく見みえます。もつと向むかふの山やまも見みえます。高たかい山やまがいくつもも見みえます。その山やまの向むかふには、見渡みわたすかぎり廣々ひろろとした野原のはらがありますよ。何なにか光ひかつて見みえる河かはのやうなものもありますよ。』
『それはきつとお隣となりの國くにです。』
父とうさんの生うまれた田舍ゐなかは美濃みのの方はうへ降おりようとする峠たうげの上うへにありましたから、お家うちのお座敷ざしきからでもお隣となりの國くにが山やまの向むかふの方はうに見みえました。極ごくお天氣てんきの好よい日ひには、遠とほい近江あふみの國くにの伊吹山いぶきやままで、かすかに見みえることがあると、祖父おぢいさんが父とうさんに話はなして呉くれたこともありました。
『お蔭かげで、高たかいところから見物けんぶつしました。』
と凧たこが言いひました。
父とうさんも凧たこを揚あげたり、凧たこの話はなしを聞きいたりして、面白おもしろく遊あそびました。自分じぶんの造つくつた凧たこがそんなによく揚あがつたのを見みるのも樂たのしみでした。『凧たこも見物けんぶつで草臥くたびれました。もうそろろ降おろして下ください。』
と凧たこが言いふものですから、父とうさんが絲いとをたぐりますと、凧たこはフハハフハハ空そらを舞まふやうにして、田圃たんぼのところまで嬉うれしさうに降おりて來きました。

   九 猿羽織さるばおり
猿羽織さるばおりと言いつて、父とうさんの田舍ゐなかの子供こどもは、お猿さるさんの着きる袖そでの無ない羽織はおりのやうなものを着きました。寒さむくなるとそれを着きました。その猿羽織さるばおりを着きて雪ゆきの中なかを飛とんで歩あるくのは、丁度ちやうど木曾きその山やまの中なかのお猿さるさんが、雪ゆきの中なかを飛とんで歩あるくやうなものでした。

   十 雪ゆきは踊をどりつゝある

父とうさんの田舍ゐなかでは、何處どこの家うちでも板いたで屋根やねを葺ふいて、風かぜや雪ゆきをふせぐために大おほきな石いしが並ならべて屋根やねの上うへに載のせてありました。なんと、あの石いしを載のせた板屋根いたやねは山やまの中なかの住居すまゐらしいでせう。山やまには大おほきな檜木ひのきの林はやしもありますから、その厚あつい檜木ひのきの皮かはを板いたのかはりにして、小屋こやの屋根やねなぞを葺ふくこともありました。雪ゆきが來くればさういふお家うちの屋根やねも埋うづまつてしまひ、畠はたけも白しろくなり、竹藪やけやぶも寢ねたやうになつてしまひます。
元気げんきな雀すずめは、そんな歌うたに頓着とんちやくなしで、自分じぶんのお宿やども忘れ《わす》れたやうに雪ゆきと一緒しよに踊をどつて歩あるきます。
坂路さかみちの多おほい父とうさんの村むらでは、氷滑こほりすべりの出來できる塲所ばしよが行ゆく先さきにありました。村むらの子供こどもはみな鳶口とびぐちを持もつて凍こゞつた坂路さかみちを滑すべりました。この氷滑こほりすべりが雪ゆきの日ひの樂たのしみの一つで、父とうさんも爺ぢいやに造つくつて貰もらつた鳶口とびぐちを持出もちだしては近所きんじよの子供こどもと一緒しよに雪ゆきの降ふる中なかで遊あそびました。積つもつた雪ゆきを凍こゞつた土つちの上うへに集あつめて、それを下駄げたの齒はでこするうちには、白しろいタヽキのやうな路みちが出來上できあがります。鳶口とびぐちを手てにしながら坂さかの上うへの方はうから滑すべりますと、ツーイイと面白おもしろいやうに身體からだが行ゆきました。もしか滑すべり損そこねて鳶口とびぐちで身體からだを支さゝへ損そこねた塲合ばあひには雪ゆきの中なかへ轉ころげこみます。さういふ度たびに子供同志こどもどうしの揚あげる笑わらひ聲ごゑを聞きくのも樂たのしみでした。自分じぶんの着物きものについた雪ゆきをはらつて復また滑すべりに行ゆくのも樂たのしみでした。どうかすると凍こゞつて鏡かゞみのやうに光ひかつて來きます。その上うへに白しろく雪ゆきでも降ふりかゝると氷滑こほりすべりの塲所ばしよとも分わからないことがあります。村むらの人達ひとたちが通とほりかゝつて、知しらずに滑すべつて轉ころぶことなぞもありました。父とうさんはお前達まへたちのやうに、竹馬たけうまに乘のつて遊あぞび廻まはることも好すきでした。雪ゆきの日ひには殊ことにそれが樂たのしみでした。大黒屋だいこくやの鐵てつさん、問屋とひやの三郎らうさんなどゝといふ近所きんじよの子供こどもが、竹馬たけうまで一緒しよになるお友達ともだちでした。そんな日ひでも、馬うまが荷物にもつをつけ、合羽かつぱを着きた村むらの馬方うまかたに引ひかれて雪ゆきの路みちを通とほることもありました。父とうさんが竹馬たけうまの上うへから
『今日こんにちは。』
と言いひますと、お馴染なじみの馬うまは鼻はなから白しろい氣息いきを出だして笑わらひながら
『やあ、今日こんにちは、お前まへさんも竹馬たけうまですね。』
と挨拶あいさつしました。美濃みのの中津川なかつがはといふ町まちの方はうから、いろろな物ものを脊中せなかにつけて來きて呉くれるのも、あの馬うまでした。時ときには父おうさんの村むらなぞに無ないめづらしい玩具おもちやや、父とうさんの好すきな箱入はこいりの羊羹やうかんを隣となりの國くにの方はうから土産みやげにつけて來きて呉くれるのも、あの馬うまでした。
『雪ゆきが降ふつて樂たのしみでせうね。』
と馬うまが言いひましたが、雪ゆきが降ふれば馬うまでも嬉うれしいかと父とうさんは思おもひました。山やまの中なかへ來くる冬ふゆやお正月しやうぐわつには、お前達まへたちの知しらないやうな樂たのしさもありますね。氷滑こほりすべりや竹馬たけうまで凍こゞへた手てをお家うちの爐邊ろばたの火ひにあぶるのも樂たのしみでした。

   一一 庄吉爺しやうきちぢいさん

お前達まへたちは荒神くわうじんさまを知しつて居ゐませう。ほら、臺所だいどころの竈かまどの上うへに祭まつる神かみさまのことを荒神くわうじんさまと言いひませう。あゝして火ひを鎭しづめる神かみさまばかりでなく、父とうさんの田舍ゐなかでは種々いろろなものを祭まつりました。繭玉まゆだまのかたちを、しんこで造つくつてそれを竹たけの枝えだにさげて、お飼蠶かいこさまを守まもつて下くださる神かみさまをも祭まつりました。病氣びやうきで倒たふれた馬うまのためには、馬頭觀音ばとうくわんおんを祭まつりました。歩あるいて通とほる旅人たびびとの無事ぶじを祈いのるためには、道祖神だうそじんを祭まつりました。
父とうさんは爺ぢいやに連つれられて、山やまの神かみさまへお餅もちをあげに行いつた事ことを覺おぼえて居ゐます。湯舟澤ゆぶねざはといふ方はうへ寄よつた山やまのはづれに、山やまの神かみさまが祭まつつてありました。その小ちひさな祠やしろの前まへに、米こめの粉こで造つくつたお餅もちをあげて來きました。その邊へんは、どつちを向むいても深ふかい山やまばかりで、爺ぢいやにでも隨ついて行ゆかなければ、とても幼少ちひさな時分じぶんの父とうさんが獨ひとりで行ゆかれるところではありませんでした。
山やまや林はやしは父とうさんの故郷ふるさとです。父とうさんのやうに大おほきくなつても、忘わすれずに居ゐるのは、その故郷ふるさとです。父とうさんは爺ぢいやに連つれられて深ふかい林はやしの方はうへも行いつて見みました。そこへ行ゆくと爺ぢいやの伐きつた木きがありました。松葉まつばの積つんだのもありました。爺ぢいやはその木きを背負しよつたり、松葉まつばを背負しよつたりして、お家うちの木小屋きごやの方はうへ歸かへつて來くるのでした。
この爺ぢいやは庄吉しようきちといふ名なで、父とうさんの生うまれない前まへからお家うちに奉公ほうこうして居ゐました。
『よ、どつこいしよ。』
と爺ぢいやは山やまからかついで來きた木きをおろしました。木小屋きごやのなかでそれを割わりました。この爺ぢいやの大おほきな手ては寒さむくなると、皸あかぎれが切きれて、まるで膏藥かうやくだらけのザララとした手てをして居ゐましたが、でもその心こゝろは正直しやうぢきな、そして優やさしい老人らうじんでした。爺ぢいやは山やまから伐きつて來きた木きを木小屋きごやにしまつて置おいて、焚たきつけにする松葉まつばもしまつて置おいて、要いるだけづゝお家うちの爐邊ろばたへ運はこびました。赤々あかかとした火ひが毎日まいにち爐邊ろばたで燃もえました。曾祖母ひいばあさん、祖父おぢいさん、祖母おばあさん、伯父おぢさん、伯母おばさんの顏かほから、奉公ほうこうするお雛ひなの顏かほまで、家中うちぢうのものゝ顏かほは焚火たきびに赤あかく映うつりました。その樂たのしい爐邊ろばたには、長ながい竹たけの筒つゝとお魚さかなの形かたと繩なはとで出來できた煤すゝけた自在鍵じざいかぎが釣つるしてありまして、大おほきなお鍋なべで物ものを煮にる塲所ばしよでもあり家中うちぢう集あつまつて御飯ごはんを食たべる塲所ばしよでもありました。父とうさんの田舍ゐなかでは寒さむくなると毎朝まいあさ芋焼餅いもやきもちといふものを燒やいて、朝あさだけ御飯ごはんのかはりに食たべました。蕎麥そばの粉こに里芋さといもの子こをまぜて造つくつたその燒餅やきもちの焦こげたところへ大根だいこんおろしをつけて焚火たきびにあたりながらホクク食たべるのは、どんなにおいしいでせう。その蕎麥そばの香にほひのする燒やきたてのお餅もちの中なかから大おほきな里芋さといもの子こなぞが白しろく出でて來きた時ときは、どんなに嬉うれしいでせう。爺ぢいやは御飯ごはんの時ときでも、なんでも、草鞋わらぢばきの土足どそくのまゝで爐ろの片隅かたすみに足あしを投なげ入いれましたが、夕方ゆふがた仕事しごとの濟すむ頃ころから草鞋わらぢをぬぎました。爐邊ろばたにある古ふるい屏風べうぶの側わきが爺ぢいやの夜よなべをする塲所ばしよときまつて居ゐました。爺ぢいやはその屏風べうぶの側わきに新あたらしい藁わらなぞを置おいて、父とうさんのために小ちひさな草履ざうりを造つくつたり、自分じぶんではく草鞋わらぢを造つくつたりしました。爺ぢいやのお伽話とぎばなしはその時ときに始はじまるのでした。父とうさんはこの好すきな老人らうじんから、畠はたけよりあらはれた狸たぬきや狢むじなの話はなし、山やまで飛とび出だした雉きじの話はなし、それから奧山おくやまの方はうに住すむといふ恐おそろしい狼おほかみや山犬やまいぬの話はなしなぞを聞ききましたが、そのうちに眠ねむくなつて、爺ぢいやの話はなしを聞ききながら爐邊ろばたでよく寢ねてしまひました。

   一二 草摘くさつみに

父とうさんの幼少ちひさな時分じぶんには、お錢あしといふものを持もたせられませんでしたから、それが癖くせになつて、お錢あしは子供こどもの持もつものでないと思おもつて居ゐましたし、巾着きんちやくからお錢あしを出だして自分じぶんの好すきなものを買かふことも知しりませんでした。お家うちからお錢あしを貰もらつて行いつて何なにか買かふのは、村むらの祭禮おまつりの時ときぐらゐのものでした。
そのかはり、お庭にはにある柿かきや梨なしなぞが生なりたての新あたらしい果物くだものを父とうさんに御馳走ごちそうして呉くれました。祖母おばあさんが朴ほほの木きの葉はで包つゝんで下くださる※あつい握飯おむすびの香にほひでも嗅かいだ方はうが、お錢あしを出だして買かつたお菓子くわしより餘程よほどおいしく思おもひました。お家うちの外そとを歩あるき廻まはつても、石垣いしがきのところには黄色きいろい木苺きいちごの實みが生なつて居ゐるし、竹籔たけやぶのかげの高たかい榎木えのきの下したには、香かんばしい小ちひさな實みが落おちて居ゐました。村むらのはづれには「けんぽ梨なし」といふ木きもあつて、高たかい枝えだの上うへに珊瑚珠さんごじゆのやうな實みが生なる時分じぶんには木曽路きそぢを通とほる旅人たびびとはめづらしさうに仰向あうむいて見みて行ゆきましたが、その實みも取とれば食たべられて甘うまい味あぢがしました。そればかりではありません、山やまにある木きの葉は、田圃たんぼにある草くさの中なかにも『食たべられるからおあがり。』と言いつてくれるのもありました。「スイ葉は」と言いつて、青あをい木きの葉はの生なまで食たべられるものもありました。草くさでは「いたどり」や「すいこぎ」が食たべられましたが、あの「すいこぎ」の莖くきを採とつて來きてお家うちで鹽漬しほづけをして遊あそぶこともありました。
『手てをお出だし。私わたしもおいしいものを上あげますよ。』
父とうさんが石垣いしがきの側そばを通とほる度たびに、蛇苺へびいちごが左樣さう言いつては父とうさんを誘さそひました。蛇苺はびいちごは毒どくだと言いひます。それを父とうさんも聞きいて知しつて居ゐました。あの眼めのさめるやうな紅あかい蛇苺へびいちごの實みが甘うまいことを言いつてよく父とうさんを誘さそひましたが、そればかりは觸さはりませんでした。
父とうさんの幼少ちひさい時分じぶんに抱だいたり背負おぶつたりして呉くれたお雛ひなは、斯かういふ山家やまがに生うまれた女をんなでした。筍たけのこの皮かはを三角かくに疊たゝんで、中なかに紫蘇しその葉はの漬つけたのを入いれて、よくそれを父とうさんに呉くれたのもお雛ひなでした。それを吸すへば紫蘇しその味あぢがして、チユーー吸すふうちに、だんん筍たけのこの皮かはが赤あかく染そまつて來くるのも嬉うれしいものでした。このお雛ひなは村むらの髮結かみゆひの娘むすめでした。お雛ひなのお父とうさんは數衛かずゑといふ名なで、男をとこの髮結かみゆひでしたが、村中むらぢうで一番ばん汚きたないといふ評判ひやうばんの人ひとでした。その汚きたない髮結かみゆひの家いへのお雛ひなに育そだてられると言いつて、父とうさんは人ひとに調戯からかはれたものです。
『やあ數衛かずゑの子こだ。』
こんなことを言いつて惡戯好いたづらずきな人達ひとたちは父とうさんまで汚きたない髮結かみゆひの子こにしてしまひました。しかし、お雛ひなは幼少ちひさい時分じぶんの父とうさんをよく見みて呉くれました。お雛ひなの歌うたふ子守唄こもりうたは父とうさんの一番ばん好すきな唄うたでした。それを聞ききながら、父とうさんはお雛ひなの背中せなかで寢ねてしまふこともありました。父とうさんが獨ひとりでそこいらを遊あそび廻まはる時分じぶんにはお雛ひなに連つれられてよく蓬よもぎを摘つみに行いつたこともあります。あたゝかい日ひの映あたつた田圃たんぼの側そばで、蓬よもぎを摘つむのは樂たのしみでした。それをお家うちへ持もつて歸かへつて來きて、臼うすでつけば草餅くさもちが出來できました。

   一三 燕つばめの來くる頃ころ

燕つばめの來くる頃ころでした。
澤山たくさんな燕つばめが父とうさんの村むらへも飛とんで來きました。一羽は、二羽は、三羽ば、四羽は――とても勘定かんぢやうすることの出來できない何なん十羽ぱといふ燕つばめが村むらへ着ついたばかりの時ときには、直すぐに人家じんかへ舞まひ降おりようとはしません。離はなれさうで離はなれない燕つばめの群むれは、細長ほそながい形かたちになつたり、圓まるい輪わの形かたちになつたりして、村むらの空そらの高たかいところを揃そろつて舞まつて居ゐます。そのうちに一羽は空そらから舞まひ降おりたかと思おもふと、何なん十羽ぱといふ燕つばめが一時じに村むらへ降おりて來きます。そして互たがひに嬉うれしさうな聲こゑで鳴なき合あつて、舊ふるい馴染なじみの軒塲のきばを尋たづね顏がほに、思おもひひに分わかれて飛とんで行ゆきます。父とうさんのお家うちへ飛とんで行ゆくのもあれば、お隣となりの大黒屋だいこくやへ飛とんで行ゆくのもあれば、そのまた一軒けん置おいてお隣となりの八幡屋やはたやの方はうへ飛とんで行ゆくのもあります。ずつと坂さかの下したの方はうの三浦屋うらやという宿屋やどやの方はうへ飛とんで行ゆくのもあります。村むらで染物そめものをする峯屋みねやへも、俵屋たはらやのお婆ばあさんの家うちへも、和泉屋いづみやの和太郎わたらうさんのお家うちへも飛とんで行ゆきました。父とうさんが村役塲むらやくばの前まへを通とほりますと、そこへ來きて羽はねを休やすめて居ゐる燕つばめもありました。燕つばめは役塲やくばの前まへに建たてゝある木きの標柱はしらを眺ながめて、さもも遠とほい旅行りよかうをして來きたやうな顏かほをして居ゐました。『長野縣ながのけん西筑摩郡にしちくまごほり木曾神坂村きそみさかむら』とその木きの標柱はしらには書かいてあるのです。父とうさんは燕つばめの話はなしを聞きいて見みたいと思おもひまして、いろろに話はなしかけましたが、まるでこの燕つばめは異人ゐじんでした。一向かうに言葉ことばが通つうじませんでした。
『もしもし、燕つばめさん、お前まへさんは一年ねんに一度どづゝ、この村むらへ來くるではありませんか。遠とほい國くにの方はうへ行いつて居ゐて、日本にほんの言葉ことばも忘わすれたのですか。』と父とうさんが言いひますと、燕つばめは懷なつかしい國くにの言葉ことばで物ものを言いひたくても、それが言いへないといふ風ふうで、唯ただ、ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ、異人ゐじんさんのやうな解わからないことを言いひました。
燕つばめは嬉うれしさうに父とうさんを見みて尻尾しつぽの羽はねを左右さいうに振ふりながら、遠とほい空そらから漸やうやくこの山やまの中なかへ着ついたといふ話はなしでもするらしいのでした。それを國くにの言葉ことばで言いへば、『皆みなさん、お變かはりもありませんか、あなたのお家うちの祖父おぢいさんもお健者たつしやですか。』と尋たづねるらしいのでしたが燕つばめの言いふことは早口はやぐちで、
『ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ。』
としか父とうさんには聞きこえませんでした。
斯かうした言葉ことばの通つうじない燕つばめも、村むらに住すみ慣なれて、家々いへへの軒のきに巣すをつくり、くちばしの黄色きいろい可愛かあいい子供こどもを育そだてる時分じぶんには、大分だいぶ言葉ことばがわかるやうになりました。燕つばめが父とうさんのところへ來きて何なにを言いふかと思おもひましたら、こんなことを言ひ《い》ました。
『私共わたしどもは遠とほい國くにの方はうから參まゐるものですから、なかか言葉ことばが覺おぼえられません、でも、あなたがたが親切しんせつにして下くださるのを、何なにより有難ありがたく思おもひます。鶫つぐみといふ鳥とりや鶸ひわといふ鳥とりは、何なん百羽ぱ飛とんで參まゐりましても、みんな網あみや黐もちに掛かゝつてしまひますが、私共わたしどもにかぎつて軒先のきさきを貸かして下くだすつたり巣すをかけさせたりして下くださいます。それが嬉うれしさに、斯かうして毎年まいねん旅たびをして參まゐるのです。』
   一四 永昌寺えいしやうじ

『今日こんにちは。』
と狐きつねが永昌寺えいしやうじの庭にはへ來きて言いひました。永昌寺えいしやうじとは、父とうさんの村むらのお寺てらです。そのお寺てらに、桃林和尚たうりんをしやうといふ年としとつた和尚をしやうさんが住すんで居ゐました。この僧侶ばうさんは心こゝろの善よい人ひとでした。
『お前まへは何なにしに來きました。』
と桃林和尚たうりんをしやうが尋たづねますと、狐きつねの言いふことには、
『わたしはお寺てらを拜見はいけんにあがりました。』
父とうさんが初はじめてあがつた小學校せうがくかうも、この和尚をしやうさんの住すむお寺てらの近ちかくにありました。小學校せうがくかうの生徒せいとに狐きつねがついたと言いつて、一度ど大騷おほさわぎをしたことがありました。父とうさんはその時分じぶんはまだ幼少ちひさくてなんにも知しりませんでしたが、その狐きつねのついたといふ生徒せいとは口くちから泡あわを出だし、顏色かほいろも蒼あをざめ、ぶるる震ふるへてしまひました。何度なんどももも名前なまへを呼よばれて、漸やうやくその生徒せいとは正氣しやうきに復かへつた事ことがありました。桃林和尚たうりんをしやうはその話はなしも聞きいて知しつて居をりましたから、いづれ狐きつねがまた何なにか惡戯いたづらをするためにお寺てらへ訪たづねて來きたに違ちがひないと、直すぐに感かんづきました。
『和尚をしやうさん、和尚をしやうさん、こちらは大層たいそう好よいお住居すまゐですね。この村むらに澤山たくさんお家うちがありましても、こちらにかなふところはありません。村中むらぢう第だい一の建物たてものです。こんなお住居すまゐに被入いらしやる和尚をしやうさんは仕合しあはせな方かたですね。』
斯かう狐きつねは言いひました。狐きつねは調戯からかふつもりでわざと桃林和尚たうりんをしやうの機嫌きげんを取とるやうにしましたが、賢かしこい和尚をしやうさんはなかかその手てに乘のりませんでした。『ハイ、御覽ごらんの通とほり、村むらでは大おほきな建物たてものです。しかしこのお寺てらは村中むらぢうの人達ひとたちの爲ためにあるのです。私わたしはこゝに御奉公ごほうこうして居ゐるのです。お前まへさんは私わたしがこの住居すまゐの御主人ごしゆじんのやうなことを言いひますが私わたしは唯たゞこゝの番人ばんにんです。』
斯かう桃林和尚たうりんをしやうが答こたへましたので、狐きつねは頭あたまを掻かきき裏うらの林はやしの方はうへこそそ隱かくれて行ゆきました。
桃林和尚たうりんをしやうが御奉公ごほうこうして居ゐた永昌寺えいしやうじは、小高こだかい山やまの上うへにありました。そのお寺てらの高たかい屋根やねは村中むらぢうの家いへの一番ばん高たかいところでした。狐きつねが來きて言いつた通とほり、村中むらぢう一番ばんの建築物けんちくぶつでもありました。そこで撞つく鐘かねの音おとは谷たにから谷たにへ響ひゞけて、何處どこの家いへへも傳つたはつて行ゆきました。その鐘かねの音おとは、年としとつた和尚をしやうさんの前まへの代だいにも撞つき、そのまた前まへの代だいにも撞ついて來きたのです。もう何なん百年ねんといふことなく、古ふるい鐘かねの音おとが山やまの中なかで鳴なつて居ゐたのです。
永昌寺えいしやうじのある山やまの中途ちうとには、村中むらぢうのお墓はかがありました。こんもりと茂しげつた杉すぎの林はやしの間あひだからは、石いしを載のせた村むらの板屋根いたやねや、柿かきの木きや、竹籔たけやぶや、窪くぼい谷間たにまの畠はたけまで、一目めに見みえました。そこには父とうさんのお家いへの御先祖ごせんぞさま達たちも、紅あかい椿つばきの花はななぞの咲さくところで靜しづかに眠ねむつて居をりました。
   一五 お茶ちやをつくる家いへ

雀すずめが父とうさんのお家うちへ覗のぞきに來きました。丁度ちやうどお家うちではお茶ちやをつくる最中さいちうでしたから、雀すずめがめづらしさうに覗のぞきに來きたのです。
『お前まへさんのお家うちではお茶ちやをつくるんですか。』
と雀すずめが言いひますから、
『えゝ、私わたしの家うちではお茶ちやを買かつたことが有ありません。毎年まいねん自分じぶんの家うちでつくります。』
と父とうさんが話はなしてやりました。その時とき、父とうさんが雀すずめに、あの大おほきなお釜かまの方はうを御覽ごらんと言いつて見みせました。そこではお家うちの畠はたけで取とれたお茶ちやの葉はを煮にて居ゐる人ひとがあります。あの莚むしろの上うへを御覽ごらんと言いつて見みせました。そこではお釜かまから出だしたお茶ちやの葉はをひろげて團扇うちはであほいで居ゐる人ひとがあります。あの焙爐ほいろの方はうを御覽ごらんと言いつて見みせました。そこでは火ひの上うへにかけたお茶ちやの葉はを兩手りやうてで揉もんで居ゐる人ひとがあります。
『チユウ、チユウ。』
とめづらしいことの好すきな雀すずめが鳴なきました。そしてめづらしいことでさへあれば、雀すずめは喜よろこびました。
お家うちでは祖母おばあさんや伯母をばさんやお雛ひなまで手拭てぬぐひを冠かぶりまして、伯父おぢさんや爺ぢいやと一緒しよに働はたらきました。近所きんぢよから手傳てつだひに來きて働はたらく人ひともありました。好よいお茶ちやの香にほひがするのと、家中いへぢうでみんな働はたらいて居をるので、父とうさんも雀すずめと一緒しよにそこいらを踊をどつて歩あるきました。
父とうさんのお家うちではこのお茶ちやばかりでなく食たべる物ものも着きる物ものも自分じぶんのところで造つくりました。お味噌みそも家うちで造つくり、お醤油しやうゆも家うちで造つくり、祖母おばあさんや伯母をばさんの髮かみにつける油あぶらまで庭にはの椿つばきの樹きの實みを絞しぼつて造つくりました。林はやしにある小梨こなしの皮かはを取とつて來きて、黄色きいろい汁しるで絲いとまで染そめました。父とうさんの子供こどもの時分じぶんには祖母おばあさんの織おつて下くださる着物きものを着き、爺ぢいやの造つくつて呉くれる草履ざうりをはいて、それで學校がくかうへ通かよひました。さうして、この手造てづくりにしたものゝ樂たのしみを父とうさんに教をしへて呉くれたのは、祖母おばあさんでした。祖母おばあさんは働はたらくことが好すきで、みんなの先さきに立たつてお茶ちやもつくりましたし、着物きものも根氣こんきに織おりました。祖母おばあさんは隣村となりむらの妻籠つまかごといふところから、父とうさんのお家うちへお嫁よめに來きた人ひとで、曾祖母ひいおばあさんほどの學問がくもんは無ないと言いひましたが、でもみんなに好すかれました。林檎りんごのやうに紅あかい祖母おばあさんの頬ほゝぺたは、家中いへぢうのものゝ心こゝろをあたゝめました。
祖母おばあさんの着物きものを織おる塲所ばしよはお家うちの玄關げんくわんの側そばの板いたの間まと定きまつて居ゐました。そのお庭にはの見みえる明あかるい障子しやうじの側そばに祖母おばあさんの腰掛こしかけて織おる機はたが置おいてありました。
『トンンハタリ、トンハタリ。』祖母おばあさんの筬をさが動うごく度たびに、さういふ音おとが聞きこえて來きます。父とうさんが玄關げんくわんの廣ひろい板いたの間まに居ゐて、その筬をさの音おとを聞ききながら遊あそんで居をりますと、そこへもよくめづらしいもの好ずきの雀すずめが覗のぞきに來きました。

   一六 梨なしや柿かきはお友達ともだち

父とうさんのお家うちの庭にはにはいろろな木きが植うゑてありました。父とうさんはその木きを自分じぶんのお友達ともだちのやうに想おもつて大おほきくなりました。お前達まへたちの祖父おぢいさんのお部屋へやの前まへにあつた古ふるい大おほきな松まつの樹きも、表おもての庭にはにあつた椿つばきの木きもみんな父とうさんのお友達ともだちでした。その椿つばきの木きの側そばには梨なしの木きもあつて、毎年まいねん大おほきな梨なしがなりました。あの青あをい梨なしの實みのなつた樹きの下したへは父とうさんもよく見みに行いつたものです。
『もう食たべてもいゝかい。』
と父さんが梨なしの木きに聞ききに行ゆきますと
『まだ早はやい、まだ早はやい。』
と梨なしの木きは言いつて、なかか食たべてもいゝとは言いひませんでした。そして、その梨なしの實みが大おほきくなつて、色いろのつく時分じぶんには、丁度ちやうど御祝言ごしふげんの晩ばんの花嫁はなよめさんのやうに、白しろい紙袋かみぶくろをかぶつて了しまひました。これは蜂はちが來きて梨なしをたべるものですから、蜂はちをよけるために紙袋かみぶくろをかぶせるのです。お勝手かつての横よこには祖父おぢいさんの植うゑた桐きりの木きがありました。その桐きりの木きの下したは一面めんに桑畑くはばたけでした。お隣となりの高たかい石垣いしがきや白しろい壁かべなぞがそこへ行ゆくとよく見みえました。桑くはの實みの生なる時分じぶんには父とうさんは桑くはの木きの側そばへ行いつて
『食たべてもいゝかい。』
とたづねますと、桑くはの木きは見みかけによらない優やさしい木きでした。
『あゝ、いゝとも。いゝとも。』
と言いつて呉くれました。父とうさんはうれしくて、あの桑くはの木きに生なる紫色むらさきいろの可愛かあいい小ちひさな實みを枝えだからちぎつて口くちに入いれました。
土藏どざうの前まへには、柿かきの木きもありました。父とうさんはよくその柿かきの木きの下したへ行いつて遊あそびました。柿かきの木きはまた梨なしや桐きりの木きとちがつて、にぎやかな木きで、父とうさんが遊あそびに行ゆく度たびに何なにかしら集あつめたいやうなものが木きの下したに落おちて居ゐました。柿かきの花はなの咲さく時分じぶんに行ゆくと、あの甘あまい香にほひのする小ちひさな花はなが一ぱい落おちて居ゐます。實みの生なる時分じぶんに行ゆくと、あの蔕へたのついた青あをい小ちひさな柿かきが澤山たくさん落おちて居ゐます。そろろ木きの葉はの落おちる時分じぶんに行ゆくと大おほきな色いろのついた柿かきの葉はがそこにもこゝにも落おちて居ゐます。父とうさんはそれを拾集ひろひあつめるのが樂たのしみでした。それに他ほかのお家うちの柿かきの木きへは登のぼらうと思おもつても登のぼれませんでしたが、自分じぶんのお家うちの柿かきの木きばかりは惡わるい顏かほもせずに登のぼらせて呉くれました。父とうさんは枝えだから枝えだをつたつて登のぼつて、時ときにゆすつたりしても柿かきの木きは怒おこりもしないのみか、『もつと遊あそんでお出いで。もつと遊あそんでお出いで。』と父とうさんに言いひました。

   一七 鳥獸とりけものもお友達ともだち

山やまの中なかに育そだつた父とうさんは、いろいろな木きをお友達ともだちのやうに思おもつて大おほきくなつたばかりではありません。お前達まへたちの好すきなお伽話とぎばなしの本ほんや雜誌ざつしの中なかに出でて來くるやうな、鳥とりや獸けものまで幼少ちひさい時分じぶんの父とうさんにはお友達ともだちでした。
お家うちにはおいしい玉子たまごを御馳走ごちそうして呉くれる鷄にはとりが飼かつてありました。父とうさんが裏庭うらにはに出でて、桐きりの木きの下したあたりを歩あるき廻まはつて居ゐますと、その邊へんには鷄にはとりも遊あそんで居ゐました。
『コツ、コツ、コツ。』
と鷄にはとりは父とうさんを見みかける度たびに挨拶あいさつします。時ときには鷄にはとりはお友達ともだちのしるしにと言いつて、白しろい羽はねや茶色ちやいろな羽はねの拔ぬけたのを父とうさんに置おいて行いつて呉くれることもありました。
めづらしいお客きやくさまでもある時ときには、父とうさんのお家いへでは鷄にはとりの肉にくを御馳走ごちそうしました。山家やまがのことですから、鷄にはとりの肉にくと言いへば大たいした御馳走ごちそうでした。その度たびにお家いへに飼かつてある鷄にはとりが減へりました。あの締しめられた首くびを垂たれ眼めを白しろくしまして、羽はねをむしられる鷄にはとりを見みて居ゐますと、父とうさんはお腹なかの中なかでハララしました。これはお客きやくさまの御馳走ごちそうですから仕方しかたが無ないと思おもひましたが、近所きんじよのお家いへでは、鬪鷄しやもや鷄にはとりを締殺しめころして煮にて食くふといふことをよくやりました。村むらには隨分ずゐぶん惡戲いたづらの好すきな人達ひとたちがありました。さういふ人達ひとたちは生いきて居ゐる鬪鷄しやもの毛けをむしりまして、煮にて食くふ前まへに追おひ廻まはして面白おもしろがつたものです。あの赤あかはだかに毛けを拔ぬかれた鳥とりがヒヨイイ飛とび歩あるくのを見みるほど、むごいものは無ないと思おもひました。父とうさんは子供心こどもごゝろにも、そんな惡戲いたづらをする村むらの人達ひとたちを何程なにほど憎にくんだか知しれません。お家うちの土藏どざうには年としをとつた白しろい蛇へびも住すんで居をりました。その蛇へびは土藏どざうの『主ぬし』だから、かまはずに置おけと言いつて、石いし一つ投なげつけるものもありませんでした。不思議ふしぎにもその年としとつた蛇へびは動物園どうぶつゑんにでも居ゐるやうに温順おとなしくして居ゐてついぞ惡戲いたづらをしたといふことを聞ききません。父とうさんはめつたにその蛇へびを見みませんでしたが、どうかすると日ひの映あたつた土藏どざうの石垣いしがきの間あひだに身體からだだけ出だしまして、頭あたまも尻尾しつぽも隱かくしながら日向ひなたぼつこをして居ゐるのを見みかけました。
この土藏どざうについて石段いしだんを降おりて行ゆきますと、お家うちの木小屋きごやがありました。木小屋きごやの前まへには池いけがあつて石垣いしがきの横よこに咲さいて居ゐる雪ゆきの下したや、そこいらに遊あそんで居ゐる蜂はちや蛙かへるなぞが、父とうさんの遊あそびに行ゆくのを待まつて居ゐました。裏木戸うらきどの外そとへ出でて見みますと、そこにはまたお稻荷いなりさまの赤あかい小ちひさな社やしろの側そばに大おほきな栗くりの木きが立たつて居ゐました。風かぜでも吹ふいて栗くりの枝えだの搖ゆれるやうな朝あさに父とうさんがお家うちから馳出かけだして行いつて見みますと『誰たれも來こないうちに早はやくお拾ひろひ。』と栗くりの木きが言いつて、三つづゝ一組くみになつた栗くりの實みの毬いがと一緒しよに落おちたのを父とうさんに拾ひろはせて呉くれました。高たかいところを見みると、ワンと口くちを開あいた栗くりの毬いがが枝えだの上うへから父とうさんの方はうを笑わらつて見みて居ゐまして、わざと落おちた栗くりの在ある塲所ばしよも教をしへずに、父とうさんに探さがし廻まはらせては悦よろこんで居をりました。『あんなところに落おちて居ゐるのが、あれが見みえないのかナア。』とは栗くりの毬いががよく父とうさんに言いふことでした。栗くりの木きは花はなからして提灯ちやうちんをぶらさげたやうに滑稽こつけいな木きでしたし、どうかすると青あをい栗虫くりむしなぞを落おとしてよこして、人ひとをびつくりさせることの好すきな木きでしたが、でも父とうさんの好すきな木きでした。

   一八 榎木えのきの實み

お家うちの裏うらにある榎木えのきの實みが落おちる時分じぶんでした。父とうさんはそれを拾ひろふのを樂たのしみにして、まだあの實みが青あをくて食たべられない時分じぶんから、早はやく紅あかくなれ早はやく紅あかくなれと言いつて待まつて居ゐました。
爺ぢいやは山やまへも木きを伐きりに行ゆくし畑はたけへも野菜やさいをつくりに行いつて、何なんでもよく知しつて居ゐましたから、
『まだ榎木えのきの實みは澁しぶくて食たべられません。もう少すこしお待まちなさい。』とさう申まをしました。
父とうさんは榎木えのきの實みの紅あかくなるのが待まつて居ゐられませんでした。爺ぢいやが止とめるのも聞きかずに、馳出かけだして木きの實みを拾ひろひに行ゆきますと、高たかい枝えだの上うへに居ゐた一羽はの橿鳥かしどりが大おほきな聲こゑを出だしまして、
『早過はやすぎた。早過はやすぎた。』と鳴なきました。
父とうさんは、枝えだに生なつて居ゐるのを打うち落おとすつもりで、石いしころや棒ぼうを拾ひろつては投なげつけました。その度たびに、榎木えのきの實みが葉はと一緒しよになつて、パララパララ落おちて來きましたが、どれもこれも、まだ青あをくて食たべられないのばかりでした。そのうちに復また父とうさんは出掛でかけて行ゆきました。『大丈夫だいぢやうぶ、榎木えのきの實みはもう紅あかくなつて居ゐる。』と安心あんしんして、ゆつくり構かまへて出掛でかけて行ゆきました。木きの實みを拾ひろひに行ゆきますと、高たかい枝えだの上うへに居ゐた橿鳥かしどりがまた大おほきな聲こゑを出だしまして、 
『遲過おそすぎた。遲過おそすぎた。』と鳴なきました。
父とうさんは、しきりと木きの下したを探さがし廻まはりましたが、紅あかい榎木えのきの實みは一ひとつも見みつかりませんでした。ゆつくり出掛でかけて行ゆくうちに、木きの下したに落おちて居ゐたのを皆みんな他ほかの子供こどもに拾ひろはれてしまひました。父とうさんがこの話はなしを爺ぢいやにしましたら、爺ぢいやがさう申まをしました。
『一度いちどはあんまり早過はやすぎたし、一度いちどはあんまり遲過おそすぎました。丁度好ちやうどいい時ときを知しらなければ、好いい榎木えのきの實みは拾ひろはれません。私わたしがその丁度好ちやうどいい時ときを教をしへてあげます。』と申まをしました。
ある朝あさ、爺ぢいやが父とうさんに『さあ早はやく拾ひろひにお出いでなさい、丁度好ちやうどいい時ときが來きました。』と教をしへました。その朝あさは風かぜが吹ふいて、榎木えのきの枝えだが搖ゆれるやうな日ひでした。父とうさんが急いそいで木きの下したへ行ゆきますと、橿鳥かしどりが高たかい木きの上うへからそれを見みて居ゐまして、
『丁度好ちやうどいい。丁度好ちやうどいい。』と鳴なきました。
榎木えのきの下したには、紅あかい小ちひさな球たまのやうな實みが、そこにも、こゝにも、一ぱい落おちこぼれて居ゐました。父とうさんは木きの周圍まはりを廻まはつて、拾ひろつても、拾ひろつても、拾ひろひきれないほど、それを集あつめて樂たのしみました。橿鳥かしどりは首くびを傾かしげて、このありさまを見みて居ゐましたが、
『なんとこの榎木えのきの下したには好いい實みが落おちて居ゐませう。澤山たくさんお拾ひろひなさい。序ついでに、私わたしも一ひとつ御褒美ごはうびを出だしますよ。それも拾ひろつて行いつて下ください。』と言いひながら青あをい斑ぶちの入はいつた小ちいさな羽はねを高たかい枝えだの上うへから落おとしてよこしました。
父とうさんは榎木えのきの實みばかりでなく、橿鳥かしどりの美うつくしい羽はねを拾ひろひ、おまけにその大おほきな榎木えのきの下したで、『丁度好ちやうどいい時とき。』まで覺おぼえて歸かへつて來きました。
 
   一九 木曾きその蠅はい

木曾きそは蠅はいの多おほいところです。
木曾きそには毎年まいとし馬市うまいちが立たつくらゐに、諸方はううで馬うまを飼かひますから、それで蠅はいが多おほいといひます。
蠅はいは何なんにでも行いつて取とりつきます。荷物にもつをつけて通とほる馬うまにも取とりつけば、旅人たびびとの着物きものにも取とりつきます。蠅はいは誰たれとでも直すぐ懇意こんいになりますが、そのかはり誰たれにでもうるさがられます。こんなうるさい蠅はいでも、道連みちづれとなれば懐なつかしく思おもはれたかして、木曾きその蠅はいのことを發句ほつくに讀よんだ昔むかしの旅人たびゞともありましたつけ。

   二○ 蚋ぶよ

似にて、違ちがふもの――蠅はいと蚋ぶよ。蠅はいはうるさがられ、蚋ぶよは恐こはがられて居ゐます。蚋ぶよは人ひとをも馬うまをも刺さします。あの長ながくて丈夫ぢやうぶな馬うまの尻尾しつぽの房々ふささとした毛けは、蚋ぶよを追おひ拂ふ《はら》のに役やくに立たつのです。父とうさんが幼少ちひさな時分じぶんに晝寢ひるねをして居ゐますと、どうかするとこの蚋ぶよに食くはれることが有ありました。その度たびに、お前達まへたちの祖父おぢいさんが大おほきな掌てのひらで、蚋ぶよを打うち懲こらして呉くれました。
   二一 木曾馬きそうま

木曾きそのやうに山坂やまさかの多おほいところには、その土地とちに適てきした馬うまがあります。いくら體格たいかくの好いい立派りつぱな馬うまでも、平地へいちにばかり飼かはれた動物どうぶつでは、木曾きそのやうな土地とちには適てきしません。そこで、石いしころの多おほい坂路さかみちを歩あるいても疲つかれないやうな強つよい脚あしの力ちからが、木曾生きそうまれの馬うまには自然しぜんと具そなはつて居ゐるのです。
木曾馬きそうまは小ちひさいが、足腰あしこしが丈夫ぢやうぶで、よく働はたらくと言いつて、それを買かひに來くる博勞ばくらうが毎年まいねん諸國しよこくから集あつまります。博勞ばくらうとは馬うまの賣買うりかひを商賣しやうばいにする人ひとのことです。木曾きその山地さんちに育そだつた眼付めつきの可愛かあいらしい動物どうぶつがその博勞ばくらうに引ひかれながら、諸國しよこくへ働はたらきに出でるのです。

   二二 御嶽參おんたけまゐり

『チリンン。チリンン。』
山やまが夏なつらしくなると、鈴すゞの音おとが聞きこえるやうに成なります。御嶽山おんたけさんに登のぼらうとする人達ひとたちが幾組いくくみとなく父さんのお家うちの前まへを通とほるのです。馬うまに乘のるか、籠かごに乘のるか、さもなければ歩あるいて旅たびをした以前いぜんの木曾街道きそかいだうの時分じぶんには、父とうさんの生うまれた神坂村みさかむらも驛えきの名なを馬籠まごめと言いひました。汽車きしやや電車でんしやの着つくところが今日こんにちのステエシヨンなら、馬うまや籠かごの着ついた父とうさんの村むらは昔むかしの木曾街道きそかいだう時分じぶんのステエシヨンのあつたところです。ほら、何々なににの驛えきといふことをよく言いふでは有ありませんか。木曾きその山やまの中なかにあつた小ちひさな馬籠驛まごめえきでも、言葉ことばの意味いみに變かはりは無ないのです。丁度ちやうど、お隣となりで美濃みのの國くにの方はうから木曽路きそぢへ入はひらうとする旅人たびびとのためには、一番いちばん最初さいしよの入口いりぐちのステエシヨンにあたつて居ゐたのが馬籠驛まごめえきです。御嶽參おんたけまゐりが西にしの方はうから斯この木曾きその入口いりくちに着つくには、六曲峠ろくきよくたうげといふ峠たうげを越こして來こなければなりません。そこが信濃しなのと美濃みのの國境くにざかひで、父とうさんの村むらのはづれに當あたつて居ゐます。馬籠まごめの驛えきまで來くれば御嶽山おんたけさんはもう遠とほくはない、そのよろこびが皆みんなの胸むねにあるのです。あの白しろい着物きものに、白しろい鉢巻はちまきをした山登やまのぼりの人達ひとたちが、腰こしにさげた鈴りんをちりんん鳴ならしながら多勢おほぜい揃そろつて通とほるのは、勇いさましいものでした。

   二三 芭蕉翁ばせをおうの石碑せきひ

お前達まへたちは芭蕉翁ばせをおうの名なを聞きいたことが有ありませう。あの芭蕉翁ばせをおうの木曾きそで讀よんだ發句ほつくが石いしに彫ほりつけてあります。その古ふるい石碑せきひが馬籠まごめの村むらはづれに建たてゝあります。美濃みのの國境くにざかひに近ちかいところに、それがあります。
『朝あさを思おもひ、また夕ゆふを思おもふべし。』
と芭蕉翁ばせをおうは教をしへた人ひとです。

   二四 お百草ひやくさう

御嶽山おんたけさんの方はうから歸かへる人達ひとたちは、お百草ひやくさうといふ藥くすりをよく土産みやげに持もつて來きました。お百草ひやくさうは、あの高たかい山やまの上うへで採とれるいろろな草くさの根ねから製せいした練藥ねりぐすりで、それを竹たけの皮かはの上うへに延のべてあるのです。苦にがいい藥くすりでしたが、お腹なかの痛いたい時ときなぞにそれを飮のむとすぐなほりました。お藥くすりはあんな高たかい山やまの土つちの中なかにも藏しまつてあるのですね。

   二五 檜木笠ひのきかさ
麥藁むぎわらでさへ帽子ばうしが出來できるのに、檜木ひのきで笠かさが造つくれるのは不思議ふしぎでもありません。
木曾きそは檜木ひのきの名所めいしよですから、あの木きを薄うすい板いたに削けづりまして、笠かさに編あんで冠かぶります。その笠かさの新あたらしいのは、好いい檜木ひのきの香氣にほひがします。木曾きその檜木ひのきは材木ざいもくとして立派りつぱなばかりでなく、赤味あかみのある厚あつい木きの皮かはは屋根板やねいたの代かはりにもなります。まあ、あの一ト擁かゝへも二擁ふたかゝへもあるやうな檜木ひのきの側そばへ、お前達まへたちを連つれて行いつて見みせたい。

   二六 ふるさとの言葉ことば

山やまや林はやしは父とうさんのふるさとですと、お前達まへたちにお話はなししましたらう。山やまや林はやしばかりでなく、言葉ことばも父とうさんのふるさとです。邊鄙へんぴな山やまの中なかの村むらですから、言葉ことばのなまりも鄙ひなびては居ゐますが、人ひとの名前なまへの呼よび方かたからして馬籠まごめは馬籠まごめらしいところが有あります。たとへば、末子すゑこのやうなちひさな女をんなの子こを呼よぶにも、
『末すゑさま。』
と言いつたり、もつと親したしい間柄あひだがらで呼よぶ時ときには、
『末すゑさ』
と言いつたりしまして、鄙ひなびた言葉ことばの中なかにも何處どこか優やさしいところが無ないでもありません。
父とうさんの田舍ゐなかには『どうねき』などといふ言葉ことばもあります。もう仕末しまつにおへないやうな人ひとのことを『どうねき』と言いひます。こんな言葉ことばは木曾きそにだけ有あつて、他ほかの土地とちには無ないのだらうかと思おもひます。それから、『わやく』といふやうな言葉ことばもあります。『いたずらな子供こども』といふところを『わやくな子供こども』などゝ言いひます。
ふるさとの言葉ことばはこひしい。それを聞きくと、父とうさんは自分じぶんの子供こどもの時分じぶんに歸かへつて行ゆくやうな氣きがします。お前達まへたちの祖父おぢいさんでも、祖母おばあさんでも、みんなその言葉ことばの中なかに生いきていらつしやるやうな氣きがします。
   二七 お百姓ひやくしやうの苗字めうじ

父とうさんの田舍ゐなかの方はうには働はたらくことの好すきなお百姓ひやくしやうが住すんで居ゐます。今いまでこそあの人達ひとたちに苗字めうじの無ない人ひとはありませんが、昔むかしは庄吉しやうきちとか、春吉はるきちとかの名前なまへばかりで、苗字めうじの無ない人達ひとたちが澤山たくさんあつたさうです。明治めいぢのはじめを御維新ごゐつしんの時ときと言いひまして、あの御維新ごゐつしんの時ときから、どんなお百姓ひやくしやうでも立派りつぱな苗字めうじをつけることに成なつたさうです。
父とうさんのお家うちにも出入でいりのお百姓ひやくしやうがありまして、お餅もちをつくとか、お茶ちやをつくるとかいふ日ひには、屹度きつとお手傳てつだひに來きて呉くれました。あの人達ひとたちはお前達まへたちの祖父おぢいさんのことを『お師匠ししやうさま、お師匠ししやうさま』と呼よんで居ゐました。あの人達ひとたちが苗字めうじをつける時ときのことを今いまから思おもひますと、
『お師匠ししやうさま、孫子まごこに傳つたはることでございますから、どうかまあ私共わたしどもにも好よささうな苗字めうじを一つお願ねがひ申まをします。』
斯かうもあつたらうかと思おもひます。そして、大脇おほわきの脇わきの字じを分わけて貰もらふとか、蜂谷はちやの谷やの字じを分わけて貰もらふとかして、いろろな苗字めうじが村むらにふえて行いつたらうかと思おもひます。

   二八 狐きつねの身上話みのうへばなし

お稻荷いなりさまは五穀ごこくの神かみを祀まつつたものですとか。五穀ごこくとは何なんと何なんでせう。米こめに、麥むぎに、粟あはに、黍きびに、それから豆まめです。粟あはは粟餅あはもちの粟あは、黍きびはお前達まへたちのお馴染なじみな桃太郎もゝたらうが腰こしにさげて居ゐる黍團子きびだんごの黍きびです。父とうさんのお家うちの裏うらにも、斯このお百姓ひやくしやうの神樣かみさまが祀まつつてありました。赤あかい鳥居とりゐの奧おくにある小ちひさな社やしろがそれです。二月ぐわつ初午はつうまの日ひには、お家うちの爺ぢいやが大おほきな太鼓たいこを持出もちだして、その社やしろの側わきの櫻さくらの枝えだの木きに掛かけますと、そこへ近所きんじよの子供こどもが集あつまりました。父とうさんもその太鼓たいこを叩たゝくのを樂たのしみにしたものです。お前達まへたちはあの繪馬ゑまを知しつて居ゐますか。馬うまの繪ゑをかいた小ちひさな額がくが諸方はううの社やしろに掛かけてあるのを知しつて居ゐますか。あの額がくの中なかには『奉納ほうなふ』といふ文字もじと、それを進あげた人ひとの生うまれた年としなぞが書かいてあるのに氣きがつきましたか。父とうさんのお家うちの裏うらに祀まつつてあるお稻荷いなりさまの社やしろにも、あの繪馬ゑまがいくつも掛かゝつて居ゐました。それから、白しろい狐きつねの姿すがたをあらはした置物おきものも置おいてありました。その白狐しろぎつねはあたりまへの狐きつねでなくて、寶珠はうじゆの玉たまを口くちにくはへて居ゐました。
『お前まへさんがお稻荷いなりさまですか。』
と父とうさんがその狐きつねにきいて見みました。さうしましたら白狐しろぎつねの答こたへるには、
『どうしまして。私わたしはお稻荷いなりさまの使つかひですよ。この社やしろの番人ばんにんですよ。私わたしもこれで若わかい時分じぶんには隨分ずゐぶんいたずらな狐きつねでして、諸方はううの畠はたけを荒あらしました。一體たい、私わたしの幼少ちひさな時分じぶんには、ごく弱よわかつたものですから、この白狐しろぎつねはこれでも育そだつかしら、と皆みんなに言いはれたくらゐださうです。その私わたしを可哀かあいさうに思おもつて、親狐おやぎつねは私わたしの言いふなりに育そだてゝ呉くれましたとか。私わたしは他ひとの言いふことなぞを聞きかないで、自分じぶんのしたい事ことをしました。鷄にはとりが食たべたければ、鷄にはとりを盜ぬすんで來きました。そんな眞似まねをして、もう我儘わたまゝ一いつぱいに振舞ふるまつて居をりますうちに、だんん私わたしは獨ひとりぼつちに成なつてしまひました。誰たれも私わたしとは交際つきあはなくなりました。私わたしの眼めが覺さめる時分じぶんには、誰だれも私わたしの言いふことを本當ほんたうにして呉くれる者ものはありませんでした。御覽ごらんの通とほり、私わたしは今いま、お稻荷いなりさまの社やしろの番人ばんにんをして居ゐます。私わたしのやうな狐きつねでも生うまれ變かはつたやうになれば、斯かうして社やしろの番人ばんにんをさせて頂いたゞけるのです。私わたしがもう若わかい時分じぶんのやうな惡戯いたづらな狐きつねでない證據しようこには、この私わたしの口くちを御覽ごらんになつても分ります。私わたしがお稻荷いなりさまのお使つかひをして歩あるく度たびに、この口くちにくはへて居ゐる寶珠はうじゆの玉たまが光ひかります。』とさう申まをしました。

   二九 生徒せいとさん、今日こんにちは

村むらの學校がくかうの生徒せいとが石垣いしがきの間あひだの細ほそい道みちを歸かへつて來きますと、こちらの石垣いしがきから向むかふの石垣いしがきの方はうへ通とほりぬけようとする鼠ねずみがありました。丁度ちやうど、村むらでは惡戯いたづらをした鼠ねずみの噂うはさが傳つたはつて居ゐる頃ころでした。いかにそゝツかしい山家やまがの鼠ねずみでも、そこに寢ねて居ゐる女をんなの人ひとの鼻はなを間違まちがへて、お芋いもかなんかのやうに食たべようとしたなんて、そんなことはめつたに聞きかない惡戯いたづらですから。
學校がくかうの生徒せいとに逢あつた鼠ねずみは賢かしこい鼠ねずみでした。他所よその鼠ねずみの惡戯いたづらから、自分じぶんまでその仕返しかへしをされては堪たまらないと思おもひましたから、先まづ自分じぶんの鼻はなを大事だいじさうにおさへて居ゐまして、それから斯かう挨拶あいさつしました。
『生徒せいとさん、今日こんにちは。』

   三○ 黒くろい蝶蝶てふてふ

ある日ひのことでした。父とうさんはお家うちの裏木戸うらきどの外そとをさんん遊あそび廻まはりまして、木戸きどのところまで歸かへつて來きますと、高たかい枳殼からたちの木きの上うへの方はうに卵たまごでも産うみつけようとして居ゐるやうな大おほきな黒くろい蝶々てふふを見みつけました。
いろろな可愛かあいらしい蝶々てふふも澤山たくさんある中なかで、あの大おほきな黒くろい蝶々てふふばかりは氣味きみの惡わるいものです。あれは毛蟲けむしの蝶々てふふだと言いひます。何なんの氣きなしに父とうさんはその蝶々てふふを打うち落おとすつもりで、木戸きどの内うちの方はうから長ながい竹竿たけざをを探さがして來きました。ほら、枳殼からたちといふやつは、あの通とほりトゲの出でた、枝えだの込こんだ木きでせう。父とうさんが蝶々てふふをめがけて竹竿たけざをを振ふる度たびに、それが枳殼からたちの枝えだを打うつて、青あをい葉はがバララ落おちました。そのうちに蝶々てふふは父とうさんの竹竿たけざをになやまされて、手傷てきずを負おつたやうでしたが、まだそれでも逃にげて行いかうとはしませんでした。そこいらにはもう誰だれも人ひとの居ゐない頃ころで、木戸きどに近ちかいお稻荷いなりさまの小ちひさな社やしろから、お家うちの裏手うらてにある深ふかい竹籔たけやぶの方はうへかけて、何なにもかも、ひつそりとして居ゐました。大おほきな蝶々てふふだけが氣味きみの惡わるい黒くろい羽はねをひろげて、枳殼からたちのまはりを飛とんで居ゐました。それを見みると、父とうさんはその蝶々てふふを殺ころしてしまはないうちは安心あんしんの出來できないやうな氣きがして、手てにした竹竿たけざをで、滅茶々々めちややに枳殼からたちの枝えだの方はうを打うつて置おいて、それから木戸きどの内うちへ逃にげ込こみました。
未いまだに父とうさんはあの時ときのことを忘わすれません。母屋もやの石垣いしがきの下したにある古ふるい池いけの横手よこてから、ひつそりとした木小屋きごやの前まへを通とほり、井戸ゐどの側わきの石段いしだんを馳かけ登のぼるやうにしまして、祖母おばあさん達たちの居ゐる方はうへ急いそいで歸かへつて行いつた時ときのことを忘わすれません。
それにつけても、父とうさんはある亞米利加人あめりかじんの話はなしを思おもひ出だします。
その亞米利加人あめりかじんがまだ子供こどもの時分じぶんに龜かめの子こを打うつた話はなしを思おもひ出だします。生うまれて初はじめて『惡わるい』といふ事ことをほんたうに知しつた、自分じぶんで惡わるいと思おもひながら復また棒ぼうを振上ふりあげげして龜かめの子こを打うつのに夢中むちうになつてしまつた、あんな心持こゝろもちは初はじめてだ、さう亞米利加人あめりかじんの話はなしの中なかに書かいてあつたことを思おもひ出だします。その亞米利加人あめりかじんが母親はゝおやから言いはれた言葉ことばを引ひいて、あれが自分じぶんの『良心りやうしんの眼めざめ』だ、自分じぶんが一生しやうの中うちのどんな出來事できごとでもあんなに深ふかく長續ながつゞきのして殘のこつたものはない、とその話はなしにも言いつてありましたつけ。 
   三一 梨なしの木きの下した

子供こどもが片足かたあしづゝ揚あげて遊あそぶことを、東京とうきやうでは『ちんんまごご』と言いひませう。土地とちによつては『足拳あしけん』と言いふところも有あるさうです。父とうさんの田舍ゐなかの方ほうではあの遊あそびのことを『ちんぐら、はんぐら』と言いひます。
問屋とんやの三郎らうさんは近所きんじよの子供こどもの中なかでも父とうさんと同おない年どしでして、好いい遊あそび友達ともだちでした。父とうさんがお家うちの表おもてに出でて遊あそんで居をりますと、何時いつでも坂さかの上うへの方はうから降おりて來きて一緒しよに成なるのは、この三郎らうさんでした。二人ふたりは片足かたあしづゝ揚あげまして、坂さかになつた村むらの往来わうらいを『ちんぐら、はんぐら』とよく遊あそびました。
ある日ひの夕方ゆふがたの事こと、父とうさんは何なにかの事ことで三郎らうさんと爭あらそひまして、この好よい遊あそび友達ともだちを泣なかせてしまひました。三郎らうさんの祖母おばあさんといふ人ひとは日頃ひごろ三郎らうさんを可愛かあいがつて居ゐましたから、大層たいそう立腹りつぷくして、父とうさんのお家うちへ捩ねじ込こんで來きたのです。問屋とんやの祖母おばあさんと言いへば、なかか負まけては居ゐない人ひとでしたからね。
父とうさんはお家うちへ歸かへればきつと叱しかられることを知しつて居ゐましたから、しょんぼりと門もんの内なかまで歸かへつて行いきました。お家うちには廣ひろい板いたの間まの玄關げんくわんと、田舍風ゐなかふうな臺所だいどころの入口いりぐちと、入口いりぐちが二つになつて居ゐましたが、その臺所だいどころの入口いりぐちから見みますと、爐邊ろばたではもう夕飯ゆふはんが始はじまつて居ゐました。ところが誰だれも父とうさんに『お入はいり』と言いふ人ひとがありません。『早はやく御飯ごはんをおあがり』と言いつて呉くれる者ものも有ありません。父とうさんは自分じぶんのしたことで、こんなに皆みんなを怒おこらせてしまつたかと思おもひました。そのうちに、『お前まへはそこに立たつてお出いで。』
といふ伯父おぢさんの聲こゑを聞ききつけました。あのお前達まへたちの伯父おぢさんが、父とうさんには一番いちばん年長うへの兄にいさんに當あたる人ひとです。父とうさんは問屋とんやの三郎らうさんを泣なかせた罰ばつとして、庭にはに立たたせられました。あかかと燃もえる樂たのしさうな爐ろの火ひも、みんなが夕飯ゆふはんを食たべるさまも、庭にはの梨なしの木きの下したからよく見みえました。爺ぢいやは心配しんぱいして、父とうさんを言いひなだめに來きて呉くれましたが、父とうさんは誰だれの言いふ事ことも聞きき入いれずに、みんなの夕飯ゆふはんの濟すむまでそこに立たちつくしました。
斯かういう塲合ばあひに、いつでも父とうさんを連つれに來きて呉くれるのはあのお雛ひなで、お雛ひなは父とうさんのために御飯ごはんまでつけて呉くれましたが、到頭たうとうその晩ばんは父とうさんは食たべませんでした。
愚おろかな父とうさんは、好い事ことでも惡わるい事ことでもそれを自分じぶんでして見みた上うへでなければ、その意味いみをよく悟さとることが出來できませんでした。そのかはり、一度いちど懲こりたことは、めつたにそれを二度にどする氣きにならなかつたのは、あの梨なしの木きの下したに立たたせられた晩ばんのことをよくく忘わすれずに居ゐたからでありませう。

   三二 翫具おもちやは野のにも畠はたけにも

父とうさんの幼少ちひさい時ときのやうに山やまの中なかに育そだつた子供こどもは、めつたに翫具おもちやを買かふことが出來できません。假令たとへ、欲ほしいと思おもひましても、それを賣うる店みせが村むらにはありませんでした。
翫具おもちやが欲ほしくなりますと、父とうさんは裏うらの竹籔たけやぶの竹たけや、麥畠むぎばたけに乾ほしてある麥藁むぎわらや、それから爺ぢいやが野菜やさいの畠はたけの方はうから持もつて來くる茄子なすだの南瓜たうなすだのゝ中なかへよく探さがしに行ゆきました。爺ぢいやが畠はたけから持もつて來くる茄子なすは、父とうさんに蔕へたを呉くれました。その茄子なすの蔕へたを兩足りやうあしの親指おやゆびの間あひだにはさみまして、爪先つまさきを立たてゝ歩あるきますと、丁度ちやうど小ちひさな沓くつをはいたやうで、嬉うれしく思おもひました。
南瓜たうなすも父とうさんに、蔕へたを呉くれました。
『御覽ごらん、私わたしの蔕へたの堅かたいこと。まるで竹たけの根ねのやうです。これをお前まへさんの兄にいさんのところへ持もつて行いつて、この裏うらの平たひらなところへ何なにか彫ほつてお貰もらひなさい。それが出來できたら、紙かみの上うへへ押おして御覽ごらんなさい。面白おもしろい印行いんぎやうが出來できますよ。』
と南瓜たうなすが教をしへて呉くれました。
裏うらの竹籔たけやぶの竹たけは父とうさんに竹たけの子こを呉くれました。それで竹たけの子この手桶てをけを造つくれ、と言いつて呉れ《く》ました。
『こいつも、おまけだ。』
と細ほそく竹たけの割わつたのまで呉くれてよこしました。その細ほそい竹たけを削けづりまして、竹たけの子この手桶てをけに差さしますと、それで提さげられるやうに成なるのです。水みづも汲くめます。父とうさんは表庭おもてにはの梨なしの木きや椿つばきの木きの下したあたりへ小ちひさな川かはのかたちをこしらへました。寄よせ集あつめた砂すなや土つちを二列ふたれつに盛もりまして、その中なかへ水みづを流ながしては遊あそびました。竹たけの子この手桶てをけで提さげて行いつた水みづがその小ちひさな川かはを流ながれるのを樂たのしみました。麥畠むぎばたけに熟じゆくした麥むぎは、父とうさんに穗先ほさきの方はうの細ほそい麥藁むぎわらと、胴中どうなかの方はうの太ふとい麥藁むぎわらとを呉くれました。
『是これをどうするんですか。黄色きいろい麥藁むぎわらでなけりや不可いけないんですか。』
と父とうさんが聞ききましたら、麥むぎの言いふには、
『ナニ、青あをいんでもかまひませんが、なるなら黄色きいろい方はうがいゝ。麥むぎは熟じゆくするほど丈夫ぢやうぶですからね。この細ほそい麥藁むぎわらの穗先ほさきの方はうを輕かるく折をつてお置おきなさい。氣きをつけてしないと、折をれて、とれてしまひますよ。それから太ふとい麥藁むぎわらの節ふしのある下したのところを一寸すんばかりお前まへさんの爪つめでお裂さきなさい。これも氣きをつけてしないと、みんな裂さけてしまひますよ。太ふとい麥藁むぎわらには必かならず一方いつぱうに節ふしのあるのが要いります。それが出來できましたら、細ほそい方はうの麥藁むぎわらを太ふとい麥藁むぎわらの裂さけたところへ差さし込こむやうになさい。』
成程なるほど麥むぎの言いふ通とほりにしましたら、子供こどもらしい翫具おもちやが出來できました。細ほそい麥藁むぎわらを下したから引ひく度たびに、麥むぎの穗先ほさきが動うごきまして、『今日こんにちは、今日こんにちは』と言いふやうに見みえました。
父とうさんは、種々いろろな翫具おもちやが野のにも畠はたけにもある事ことを知しりました。竹籔たけやぶから取とつて來きた青あをい竹たけの子こ、麥畠むぎばたけから取とつて來きた黄色きいろい麥藁むぎわらで、翫具おもちやを手造てづくりにする事ことの言いふに言いはれぬ樂たのしい心持こゝろもちを覺おぼえました。畠はたけの隅すみに堤燈ちやうちんをぶらさげたやうな酸醤ほゝづきが、父とうさんに酸醤ほゝづきの實みを呉くれまして、その心しんを出だしてしまつてから、古ふるい筆ふでの軸ぢくで吹ふいて御覽ごらんと教をしへて呉くれました。筆ふでの軸ぢくは先さきの方はうだけを小刀こがたなか何なにかで幾いくつにも割わりまして、朝顏あさがほのかたちに折をり曲まげるといゝのです。その受口うけくちへ玉たまのやうにふくらめた酸醤ほゝづきをのせ、下したから吹ふきましたら、輕かるい酸醤ほゝづきがくるると舞まひあがりました。そして朝顏あさがほなりの管くだの上うへへ面白おもしろいやうに落おちて來きました。

   三三 旅たびの飴屋あめやさん

父とうさんの村むらへも、たまには飴屋あめやさんが通とほりました。旅たびの飴屋あめやさんは、天平棒てんびんぼうでかついて來きた荷にを村むらの石垣いしがきの側わきにおろして、面白おもしろをかしく笛ふえを吹ふきました。
なんと、飴屋あめやさんの上手じやうずに笛ふえを吹ふくこと。飴屋あめやさんは棒ぼうの先さきに卷まきつけた飴あめを父とうさんにも賣うつて呉くれまして、それから斯かう言いひました。
『さあ、おいしい飴あめですよ。これを食たべて、おとなしくして居ゐて下くださると、復また私わたしが飴あめをかついで來きてあげますよ。』
日ひに燒やけて旅たびをして歩あるく斯この飴屋あめやさんは、何處どこか遠とほいところからかついで來きた荷にを復また肩かたに掛かけて、笛ふえを吹ふきき出掛でかけました。
あの飴屋あめやさんの吹ふく笛ふえは、そこいらの石垣いしがきへ浸しみて行いくやうな音色ねいろでした。
   三四 水晶すゐしやうのお土産みや

ある日ひ、父とうさんは人ひとに連つれられて梵天山ぼんてんやまといふ方はうへ行いきました。赤あかい躑躅つゝじの花はななぞの咲さいて居ゐる山路やまみちを通とほりまして、その梵天山ぼんてんやまへ行いつて見みますと、そこは水晶すゐしやうの出でる山やまでした。父とうさんはめづらしく思おもひまして、あちこちと見みて歩あるいて居ゐますと、路みちばたに大おほきな岩いはがありました。その岩いはが父とうさんに、彼處あそこを御覽がらん、こゝを御覽ごらん、と言いひまして、半分はんぶん土つちのついた水晶すゐしやうがそこいらに散ちらばつて居ゐるのを指さして見みせました。
『あそこにも水晶すゐしやうの塊かたまりがありますよ。』
とまた岩いはが父とうさんに指さして見みせました。その水晶すゐしやうは千本濕地せんぼんしめぢといふ茸きのこのかたまつて生はえたやうに、枝えだに枝えだがさしたやうになつて居ゐまして、その枝えだの一つ一つが、みんな水晶すゐしやうの形かたちをして居ゐました。
『こんなところから水晶すゐしやうが出でるんですか。』
と父とうさんが聞ききましたら、
『えゝ、さうです。水晶すゐしやうはみんな斯かうして生うまれて來きます。人ひとは遠とほいところにばかり眼めをつけて、足許あしもとに落おちて居ゐる寶石ほうせきを知しらずに居ゐますよ。さういふお前まへさんは、この山やまは初はじめてゞすか。よく來きて下くださいました。山やまの土産みやげに、あそこに落おちて居ゐる美うつくしい水晶すゐしやうでも一つ拾ひろつて行いつて下ください。』
斯かうその岩いはが答こたへました。
父とうさんはそこいらを探さがし廻まはりまして、眼めについた水晶すゐしやうの中なかでも一番いちばん光ひかつたのを土産みやげに持もつて歸かへりました。
   三五 雄鷄おんどりの冒險ばうけん

若わかい雄鷄おんどりがありました。
他ほかの鷄にはとりと同おなじやうに、この雄鷄おんどりも人ひとの家うちに飼かはれて大おほきくなりました。小ちひさな雛ひよツ子この時分じふんから、雄鷄おんどりは自分じぶんで飛とべないものとばかり思おもつて居ゐましたが、だんん大おほきくなるうちに、自分じぶんに生はえて居ゐる羽はねを見みてびつくりしました。
雄鷄おんどりはまだ若わかくて元氣げんきがありましたから、こんな立派りつぱな羽はねがあるなら一つこれで飛とんで見みたいと思おもふやうに成なりました。そこで林はやしの方はうへ出掛でかけて行いきまして、他ほかの鳥とりと同おなじやうに飛とばうとしました。林はやしには百舌もずが遊あそんで居ゐました。百舌もずは雄鷄おんどりの方はうを見みては笑わらひました。そこへ鶸ひはも舞まつて來きました。鶸ひはは雄鷄おんどりの方はうを見みて、百舌もずと同おなじやうに笑わらひました。何度なんども何度なんども雄鷄おんどりは木きの枝えだへ上のぼりまして、そこから飛とばうとしましたが、その度たびに羽はねをばたたさせて舞まひ降おりてしまひました。
百舌もずには笑わらはれる、鶸ひはにも笑わらはれる、そのうちに雄鷄おんどりは餌えを欲ほしくなりましたが、林はやしの中なかにある木きの實みや虫むしはみんな他ほかの鳥とりに早はやく拾ひろはれてしまひました。誰だれも雄鷄おんどりのために米粒こめつぶ一ひとつまいて呉くれるものも有ありませんでした。でも、この雄鷄おんどりは若わかかつたものですから、どうかして飛とんで見みたいと思おもひまして、木きの枝えだへ上のぼつて行いつては羽はねをひろげました。その度たびに舞まひ降おりるばかりでした。雄鷄おんどりはもう高たかい聲こゑで閧ときをつくるやうな勇氣ゆうきも挫くじけまして、
『クウウ、クウウ。』
と拾ひろふ餌えもなくて鳴なきました。
そこへ山鳩やまばとが通とほりかゝりました。山鳩やまばとは林はやしの中なかに聞きき慣なれない鷄にはとりの鳴聲なきごゑを聞ききつけまして、傍そばへ飛とんで來きました。百舌もずや鶸ひはとちがひ、山鳩やまばとは見みず知しらずの雄鷄おんどりをいたはりました。
『もうすこしの辛抱しんぼう――もうすこしの辛抱しんぼう――』
と鳴ないて、山鳩やまばとは林はやしの奧おくの方はうへ飛とんで行いきました。
饑かつえた雄鷄おんどりは一生懸命いつしやうけんめいに餌えを探さがしはじめました。他ほかの鳥とりに拾ひろはれないうちに、自分じぶんで木きの實みや虫むしを見みつけるためには、否いやでも應おうでも飛とばなければ成なりませんでした。その時ときになつて、初はじめて雄鷄おんどりの羽はねが動うごいて來きました。そして餌えらしい餌えにありつきました。


雄鷄おんどりはこの林はやしへ飛とびに來きて見みて、鷹たかがあんな高たかい空そらを舞まつて歩あるくのも、自分じぶんで餌えを見みつけに行いくのだといふことを知しりました。

   三六 たなばたさま

三月ぐわつ、五月ぐわつのお節句せつくは、樂たのしい子供こどものお祭まつりです。五月ぐわつのお節句せつくには、父とうさんのお家うちでも石いしを載のせた板屋根いたやねへ菖蒲しやうぶをかけ、爺ぢいやが松林まつばやしの方はうから採とつて來くる笹さゝの葉はで粽ちまきをつくりました。七月ぐわつになりますと、又また、たなばたさまのお祭まつりの日ひが山やまの中なかの村むらへも來きました。たなばたさまのお祭まつりに飾かざる竹たけは、あれは外國ぐわいこくの田舍家ゐなかやで飾かざるといふクリスマスの木きにも比くらべて見みたいやうなものです。墨すみや紅べにを流ながして染そめた色紙いろがみ、または赤あかや黄きや青あをの色紙いろがみを短册たんざくの形かたちに切きつて、あの青あをい竹たけの葉はの間あひだに釣つつたのは、子供心こどもごゝろにも優やさしく思おもはれるものです。

   三七 巴且杏はたんきやう

巴且杏はたんきやうの生なる時分じぶんには、お家うちの裏うらのお稻荷いなりさまの横手よこてにある古ふるい木きにも、あの實みが密集かたまつて生なりました。父とうさんは自分じぶんの子供こどもの時分じぶんと、あの巴且杏はたんきやうの生なる時分じぶんとを、別々べつつにして思おもひ出だせないくらゐです。巴且杏はたんきやうは李すもゝより大おほきく、味あぢも李すもゝのやうに酸すくはありません。あの木きは、先さきの方はうの少すこし尖とがつて角つのの出でたやうな、見みたばかりでもおいしさうに熟じゆくしたやつを毎年まいねんどつさり父とうさんに御馳走ごちそうして呉くれましたつけ。

   三八 鰍かじかすくひ

父とうさんの兄弟きやうだいの中なかに三つ年としの上うへな友伯父ともをぢさんといふ人ひとがありました。この友伯父ともをぢさんに、隣家となりの大黒屋だいこくやの鐵てつさん――この人達ひとたちについて、父とうさんもよく鰍かじかすくひと出掛でかけました。
胡桃くるみ、澤胡桃さはくるみなどゝいふ木きは、山毛欅ぶなの木きなぞと同おなじやうに、深ふかい林はやしの中なかには生はえないで、村里むらさとに寄よつた方はうに生はえて居ゐる木きです。漆うるしの葉はを大おほきくしたやうなあの胡桃くるみの葉はの茂しげつたところは、鰍かじかの在所ありかを知しらせるやうなものでした。何故なぜかといひますに、胡桃くるみの生はえて居ゐるところへ行いつて見みますと、きまりでその邊へんには水みづが流ながれて居ゐましたから。父とうさん達たちは笊ざるを持もつて行ゆきまして、石いしの間あひだに隱かくれて居ゐる鰍かじかを追おひました。もしかして笊ざるのかはりに釣竿つりざををかついで、何なにかもつと他ほかの魚さかなをも釣つりたいと思おもふ時ときには、爺ぢいやに頼たのんで釣竿つりざをを造つくつて貰もらひました。
斯かういふ遊あそびにかけては、友伯父ともをぢさんはなかか※心ねつしんでした。なにしろ父とうさんの村むらには釣つりの道具だうぐ一つ賣うる店みせもなかつたものですから、釣竿つりざをの先さきにつける糸いとでも何なんでもみんな友伯父ともをぢさんが爺ぢいやに手傳てつだつて貰もらつて造つくりました。糸いとは栗くりの木きの虫むしから取とりました。その栗くりの木きの虫むしから取とれた糸いとを酢すに浸つけて、引ひき延のばしますと、木小屋きごやの前まへに立たつ爺ぢいやの手てから向むかふの古ふるい池いけの側わきに立たつ友伯父ともをぢさんの手てに屆とゞくほどの長ながさがありました。それを日ひに乾ほして、釣竿つりざをの糸いとに造つくることなどは、友伯父ともをぢさんも好すきでよくやりました。
斯この釣つりの道具だうぐを提さげて、友伯父ともをぢさん達たちと一緒いつしよに復また胡桃くるみの木きの見みえる谷間たにあひへ出掛でかけますと、何時いつでも父とうさんは魚さかなに餌えを取とられてしまふか、さもなければもう面倒臭めんだうくさくなつて釣竿つりざをで石いしの間あひだをかき廻まはすかしてしまひました。そしてお家うちの方はうへ歸かへつて來くる度たびに、
『釣竿つりざをばかりでは、魚さかなは釣つれませんよ。』
と爺ぢいやに笑わらはれました。

   三九 祖母おばあさんの鍵かぎ

お前達まへたちの祖母おばあさんのことは、前まへにもすこしお話はなししたと思おもひます。祖母おばあさんは、父とうさんが子供こどもの時分じぶんの着物きものや帶おびまで自分じぶんで織おつたばかりでなく、食たべるもの――お味噌みそからお醤油しやうゆの類たぐひまでお家うちで造つくり祖母おばあさんが自分じぶんの髮かみにつける油あぶらまで庭にはの椿つばきの實みから絞しぼりまして、物ものを手造てづくりにすることの樂たのしみを父とうさんに教をしへて呉くれました。『質素しつそ』を愛あいするといふことを、いろろな事ことで父とうさんに教をしへて見みせて呉くれたのも祖母おばあさんでした。祖母おばあさんはよく※あつい鹽しほのおむすびを庭にはの朴はうの木きの葉はにつゝみまして、父とうさんに呉くれました。握にぎりたてのおむすびが彼樣あうすると手てにくツつきませんし、その朴はうの葉はの香氣にほひを嗅かぎながらおむすびを食たべるのは樂たのしみでした。この祖母おばあさんと言いへば、廣ひろい玄關げんくわんの側わきの板いたの間まで機はたを織おりながら腰掛こしかけて居ゐる人ひとと、味噌藏みそぐらの側わきの土藏どざうの前まへに立たつて大おほきな鍵かぎを手てにして居ゐる人ひととが、今いまでもすぐに父とうさんの眼めに浮うかんで來きます。祖母おばあさんの鍵かぎは金網かなあみの張はつてある重おもい藏くらの戸とを開あける鍵かぎで、紐ひもと板片いたきれをつけた鍵かぎで、いろろな箱はこに入はひつた器物うつはを藏くらから取出とりだす鍵かぎでした。祖母おばあさんがおよめに來きた時ときの古ふるい長持ながもちから、お前達まへたちの祖父おぢいさんの集あつめた澤山たくさんな本箱ほんばこまで、その藏くらの二階かいにしまつて有ありました。祖母おばあさんはあの鍵かぎの用ようが濟すむと、藏くらの前まへの石段いしだんを降おりて、柿かきの木きの間あひだを通とほりましたが、そこに父とうさんがよく遊あそんで居ゐたのです。味噌藏みそぐらの階上うへには住居すまゐに出來できた二階かいがありました。そこがお前達まへたちの曾祖母ひいおばあさんの隱居部屋ゐんきよべやになつて居ゐました。

   四○ 祖父おぢいさんの好すきな御幣餅ごへいもち

木曾きその御幣餅ごへいもちとは、平ひらたく握にぎつたおむすびの小ちいさいのを二つ三つぐらゐづゝ串くしにさし、胡桃醤油くるみしやうゆうをかけ、爐ろの火ひで燒やいたのを言いひます。その形かたちが似にて居ゐるから御幣餅ごへいもちでせう。人々ひととは爐邊ろばたに集あつまりまして、燒やきたてのおいしいところを食たべるのです。お前達まへたちの祖父おぢいさんは、この御幣餅ごへいもちが好すきでした。日頃ひごろ村むらの人達ひとたちから『お師匠ししやうさま、お師匠ししやうさま。』と親したしさうに呼よばれて居ゐたのも、この御幣餅ごへいもちの好すきな祖父おぢいさんでした。
祖父おぢいさんは學問がくもんの人ひとでしたから、『三字文さんもじ』だの『勸學篇くわんがくへん』だのといふものを自分じぶんで書かいて、それを少年せうねんの讀本とくほんのやうにして、幼少ちひさな時分じぶんの父とうさんに教をしへて呉くれました。山やまの中なかにあつた父とうさんのお家うちでは、何なにから何なにまで手製てせいでした。手習てならひのお手本てほんから讀本とくほんまで、祖父おぢいさんの手製てせいでした。

   四一 お隣となりの人達ひとたち

お隣となりの大黒屋だいこくやは酒さけを造つくる家うちでした。そこの家うちでお風呂ふろが立たてば父とうさんのお家うちへ呼よびに來きましたし、父とうさんのお家うちでお風呂ふろが立たてばお隣となりりからも呼よばれて入はひりに來きました。田舍ゐなかのことで、日ひが暮くれてからお隣となりまでお風呂ふろを呼よばれに行いくにも、祖母おばあさん達たちは提灯ちやうちんつけて通かよひました。二軒けんの家うちのものは、それほど親したしく往いつたり來きたりしましたから、子供同志こどもどうしも互たがひに親したしい遊あそび友達ともだちでした。それに、お隣となりの鐵てつさんでも、その妹いもうとのお勇ゆうさんでも、祖父おぢいさんのお弟子でしとして父とうさんのお家うちへ通かよつて來きました。父とうさんのお家うちの方はうから見みますと、大黒屋だいこくやは一段いちだんと高たかい石垣いしがきの上うへにありまして、その石垣いしがきのすぐ下したのところまで父とうさんのお家うちの桑畠くはばたけが續つゞいて居ゐましたから、朝日あさひでもさして來くるとお隣となりの家うちの白しろい壁かべがよく光ひかりました。父とうさんはこゝでお前達まへたちに、自分じぶんの生うまれたお家うちのこともすこしお話はなししようと思おもひます。父とうさんのお家うちは昔むかしは本陣ほんぢんと言いひまして、村むらでも舊ふるいいお家うちでした。父とうさんの幼少ちひさな時分じぶんには、昔むかしのお大名だいみやうが木曽路きそぢを通とほる時ときに泊とまつたといふ古ふるい部屋へやまで殘のこつて居ゐました。部屋々々へややには、いろろな名前なまへが昔むかしからつけてありまして、上段じやうだんの間ま、奧おくの間ま、中なかの間ま、次つぎの間ま、それから寛くつろぎの間まなぞといふのが有ありました。祖父おぢいさんはいつでも書院しよゐんに居ゐました。父とうさんもその書院しよゐんに寢ねましたが、曾祖母ひいおばあさんが獨ひとりで寂さびしいといふ時ときには離はなれの隱居部屋ゐんきよべやへも泊とまりに行いくことが有ありました。祖父おぢいさんの書院しよゐんの前まへには、白しろい大おほきな花はなの咲さく牡丹ぼたんがあり、古ふるい松まつの樹きもありました。月つきのいゝ晩ばんなぞには松まつの樹きの影かげが部屋へやの障子しやうじに映うつりました。この書院しよゐんから中なかの間まへつゞく廊下らうかのあたりは、父とうさんのよく遊あそんだところです。中なかの間まはお家うちのなかでも一番ばん明あかるい部屋へやでして、遠とほく美濃みのの國くにの方はうの空そらまでその部屋へやから見みえました。祖母おばあさんや伯母をばさんが針仕事はりしごとをひろげるのもその部屋へやでしたし、父とうさんが武者繪むしやゑの敷寫しきうつしなどをして遊あそぶのもその部屋へやでしたし、お隣となりのお勇ゆうさんが手習てならひに來きて祖父おぢいさんの書かいたお手本てほんを習ならふのもその部屋へやでした。お隣となりの鐵てつさんは、父とうさんのお家うちの友伯父ともをぢさんと同おない年どしぐらゐで、一緒いつしよに遊あそぶにも父とうさんの方はうがいくらか弟おとうとのやうに思おもはれるところが有ありました。近所きんじよの子供こどもの中なかで、遊あそんで氣きの置おけないのは、問屋とんやの三郎らうさんに、お隣となりのお勇ゆうさんでした。この人達ひとたちは父とうさんと同おない年どしでした。祖父おぢいさんは字じを書かくことが好すきで、赤あかい毛氈まうせんの上うへへ大おほきな紙かみをひろげて、夜よ遲おそくなるまで何なにかよく書かきましたが、その度たびに眠ねむい眼めをこすりり蝋燭らふそくを持もたせられるのはお勇ゆうさんや父とうさんの役目やくめでした。
末子すゑこよ。お前まへは『おばこ』といふ草くさの葉はを採とつて遊あそんだことが有ありますか。あの草くさの葉はは糸いとにぬいて、みんなよく織おる真似まねをして遊あそびませう。お隣となりのお勇ゆうさんもあの『おばこ』を採とつて來きて織おることを樂たのしみにするやうな幼をさない年頃としごろでした。

   四二 屋號やがう

どこの田舍ゐなかにもあるやうに、父とうさんの村むらでも家毎いへごとに屋號やがうがありました。大黒屋だいこくや、俵屋たはらや、八幡屋やはたや、和泉屋いづみや、笹屋さゝや、それから扇屋あふぎやといふやうに。
笹屋さゝやとは笹さゝのやうに繁しげる家いへ、扇屋あふぎやとは扇あふぎのやうに末すゑの廣ひろがる家いへといふ意味いみからでせう。でも笹屋さゝやと言いつてもそれを『笹さゝの家や』と思おもふものもなく、扇屋あふぎやと言いつても『扇あふぎの家や』と思おもふものはありません。屋號やがうといふものは、その家々いへへの符牒ふてふのやうに思おもはれて居ゐるものでした。
   四三 お墓參はかまゐりの道みち

村むらの人達ひとたち――殊ことに女をんなの人達ひとたちの通とほる裏道うらみちは並ならんだ人家じんかに添そふて村むらの裏側うらがはに細ほそくついて居ゐました。父とうさんのお家うちの裏木戸うらきどから、竹籔たけやぶについて廻まはりますと、その細ほそい裏道うらみちへ出でました。祖母おばあさんに連つれられて、父とうさんはよくその道みちをお墓はかの方はうへ通かよひました。
お墓はかへ行いく道みちは、村むらのものだけが通とほる道みちです。旅人たびびとの知しらない道みちです。田畠たはたけに出でて働はたらく人達ひとたちの見みえる樂たのしい靜しづかな道みちです。
父とうさんのお家うちのお墓はかは永昌寺えいしやうじまで登のぼる坂さかの途中とちうを左ひだりの方はうへ曲まがつて行いつたところにありました。これが誰だれだ、あれが誰だれだ、と言いつて祖母おばあさんの教おしへて呉くれるお墓はかの中なかには、戒名かいみやうの文字もじを赤あかくしたのが有ありました。その赤あかい戒名かいみやうはまだこの世よに生いきて居ゐる人ひとで、旦那だんなさんだけ亡なくなつた曾祖母ひいおばあさんのやうな人ひとのお墓はかでした。祖母おばあさんは古ふるい苔こけの生はえたお墓はかのいくつも並ならんだ石壇いしだんの上うへを綺麗きれいに掃はいたり、水みづをまいたりして、
『御先祖ごせんぞさま、今日こんにちは。』
と言いふやうにお花はなを上あげました。祖母おばあさんがお墓はかの竹箒たけぼほぎを立たてかけて置おくところは大おほきな杉すぎの木きの根ねキでしたが、その杉すぎの木きの間あひだから馬籠まごめの村むらが見みえました。お墓はかにある御先祖ごせんぞさまは永昌院殿えいしやうゐんどんと言いひました。永昌寺えいしやうじのお寺てらと同おなじ名なでした。あの御先祖ごせんぞさまが馬籠まごめの村むらも開ひらけば、お寺てらも建たてたといふことです。あれは父とうさんのお家うちの御先祖ごせんぞさまといふばかりでなく、村むらの御先祖ごせんぞさまでもあるといふことです。
なんと、あの御先祖ごせんぞさまのやうに、開ひらかうと思おもへばこんな村むらも開ひらけて行ゆきますし、建たてようと思おもへば永昌寺えいしやうじのやうなお寺てらが建たつて、それが父とうさんの代だいまで續つゞいて來きて居ゐます。先まづ、思おもへ。何なにもかもそこから始はじまります。御先祖ごせんぞさまがさう思おもつてこんな山やまの中なかへ村むらを開ひらきはじめたといふことには、大おほきな力ちからがありますね。

   四四 蜂はちの子こ

地蜂ぢばちといふ蜂はちは、よくく土つちのにほひが好すきと見みえまして、地ぢべたの中なかへ巣すをかけます。土手どての側わきのやうなところへ巣すの入口いりぐちの穴あなをつくつて置おきます。
蜜蜂みつばち、赤蜂あかばち、土蜂つちばち、熊くまン蜂ばち、地蜂ぢばち――木曾きそのやうな山やまの中なかにはいろろな蜂はちが巣すをかけますが、その中なかでも大おほきな巣すをつくるのは熊くまン蜂ばちと地蜂ぢばちです。熊くまン蜂ばちは古ふるい土塀どへいの屋根やねの下したのやうなところに大おほきな巣すをかけますが、地蜂ぢばちの巣すもそれに劣おとらないほどの堅固けんごなもので、三階がいにも四階かいにもなつて居ゐて、それが漆うるしの柱はしらで支さゝへてあります。こんなに地蜂ぢばちの巣すは大おほきいのですが、地蜂ぢばちの親おやといふものは小ちひさな蜂はちで、熊くまン蜂ばちの半分はんぶんもありません。あの小ちひさな建築技師けんちくぎしが三階がいも四階かいもある巣すを建たてゝ、一階かい毎ごとに澤山たくさんな部屋へやを造つくるのですから、そこには餘程よほどの協あはせた力ちからといふものが入はいつて居ゐるのでせう。父とうさんの田舍ゐなかの方はうではあの蜂はちの子こを佃煮つくだにのやうにして大層たいそう賞美しやうびすると聞きいたら、お前達まへたちは驚おどろくでせうか。一口ひとくちに蜂はちの子こと言いひましても、木曾きそで賞美しやうびするのは地蜂ぢばちの巣すから取とつた子こだけです。蜂はちの親おやは食たべませんが、どうかするとあの巣すの中なかからは親おやに成なりかけたのが出でて來きます。それを食たべます。お前達まへたちはそこいらに居ゐる蜂はちが庭にはなぞへ飛とんで來きて花はなの蕋しべを出でたり入はいつたりするのを見みかけるでせう。それからあの黄色きいろい蓋ふたのしてある蜂はちの巣すの見事みごとに出來できたのを見みかけることも有あるでせう。蜂はちは汚きたないものでは有ありません。もしお前達まへたちが木曾きそでいふ『蜂はちの子こ』を食たべ慣なれて、あたゝかい御飯ごはんの上うへにのせて食たべる時ときの味あぢを覺おぼえたら、
『父とうさん、こんなにおいしものですか。』
と言いふやうに成なるでせう。
ある日ひ、友伯父ともをじさんは裏うらの木小屋きごやの近ちかくにある古ふるい池いけで蛙かへるをつかまへました。土地とちのものが地蜂ぢばちの巣すを見みつけるには、先まづ蛙かへるの肉にくを餌えにします。それを友伯父ともをぢさんはよく知しつて居ゐましたから、細ほそい竿さをの先さきに蛙かへるの肉にくを差さし、飛とんで來くる蜂はちの眼めにつきさうな塲處ばしよに立てゝ、別べつに餌えにする小ちひさな肉にくには紙かみの片きれをしばりつけて出だして置おきました。丁度ちやうど釣つりをするものが魚さかなを待まつて居ゐるやうに、友伯父ともをぢさんは蜂はちの來くるのを待まつて居ゐました。蛙かへるの肉にくを食たべに來きた蜂はちは餌えをくはへて巣すの方はうへ飛とんで行いきますが、その小ちひさな蛙かへるの肉にくについた紙かみの片きれで巣すの行衛ゆくゑを見定みさだめるのです。斯かうして友伯父ともをぢさんは近所きんじよの子供達こどもたちと一緒しよに、ある地蜂ぢばちの巣すを見みつけたことが有ありました。地蜂ぢばちの巣すを取とりに行ゆくものは、巣すの出入口でいりぐちへ火藥くわやくを打うち込こんで、澤山たくさんな親蜂おやばちが眼めを廻まはして居ゐる間まに獲物えものを手てに入いれるのだと聞ききました。そして巣すを持もつて逃にげ歸かへるのだと聞ききました。どうかすると蘇生いきかへつた蜂はちに追おはれて刺さされたといふ人ひとの話はなしも聞ききました。さうなると鐵砲てつぱうをかついで獸けものを打うちに行ゆくも同おなじやうなものです。
   四五 青あをい柿かき

『もうお前まへさんはそんなに赤あかくなつたのですか。』
とまだ青あをくて居ゐる柿かきが、お隣となりの柿かきに言いひました。この青あをい柿かきと、赤あかい柿かきとは、お百姓ひやくしやうの家うちの庭にはにある二本ほんの柿かきの木きの枝えだに生なつて居ゐました。
赤あかい柿かきは青あをい柿かきを慰なぐさめようと思おもひまして、
『さう、力ちからを落おとすものでは有ありません。お前まへさんだつても今いまに、私わたしのやうに好いい色いろがつきますよ。』
と言いひましたら、青あをい柿かきは首くびを振ふりまして、
『いえ、あのお猿さるさんが蟹かににぶつけたのも、きつと私わたしのやうな澁しぶい柿かきで、自分じぶんで取とつて食たべたといふのはお前まへさんのやうな甘あまい柿かきですよ。』
と力ちからを落おとしたやうに言いひました。
お百姓ひやくしやうは庭にはへ見廻みまはりに來きまして、赤あかい柿かきを大おほきな笊ざるに入いれて持もつて行いつてしまひました。その木きの枝えだの高たかい上うへの方はうには、たつた一つだけ柿かきの赤あかいのが殘のこつて居ゐました。殘のこつた赤あかい柿かきが高たかいところからお隣となりの柿かきを見みますと、まだ一つも色いろのついたのが有ありませんでしたから、
『どうしてお前まへさんは、そんなに愚圖々々ぐづづして居ゐるんですか。』
と尋たづねました。さう言いはれると、青あをい柿かきはまた力ちからを落おとしたやうに、
『澁しぶい柿かきは何時いつまでたつても澁しぶいと言いひますよ。さういへば節分せつぶんの日ひに、棒ぼうを持もつた人ひとが來きて、『さあ、生なると申まをすか、生ならぬと申まをすか』と言いつて、柿かきの木きを打うちませう。その時とき、もう一人ひとりの人ひとが柿かきの木きに代かはつて、『生なります、生なります』と答こたへますね。あの棒ぼうで強つよく打うたれゝば打うたれるほど、柿かきは甘あまくなるとかき聞ききました。どうも私わたしは節分せつぶんの日ひに、棒ぼうで打うたれ方かたが足たりなかつたと思おもひます。』と答こたへました。柿かきの好すきなお百姓ひやくしやうの子供こどもは青あをい柿かきを見みに來きましたが、取とつて食たべて見みる度たびに澁しぶさうな顏かほをして、食たべかけのを捨すてゝしまひました。それからお隣となりの赤あかい柿かきの方はうへ行いつて、たつた一ひとつだけ高たかいところに殘のこつて居ゐたのを長ながい竿さをで落おとしました。もうお隣となりの木きの枝えだには一つも赤あかい柿かきがありません。それを見みると、青あをい柿かきは自分じぶん獨ひとり取殘とりのこされたやうに、よけいに力ちからを落おとしました。
そのうちに、お百姓ひやくしやうが復また庭にはへ見廻みまはりに來きました。今度こんどは青あをい柿かきの生なつた木きの下したへ來きまして、斯かう聲こゑを掛かけました。
『御覽ごらん、甘あまい柿かきはもう一つもなくなつてしまひました。今度こんどはお前まへさんの番ばんに廻まはつて來きましたよ。どんな柿かきの澁しぶいのでも、霜しもが來くれば甘あまくなります。皮かはをむいて軒下のきしたに釣つるして置おいても甘あまくなります。澁しぶい柿かきはもつとそこに辛抱しんばうしてお出いでなさい。そして時ときの力ちからといふのをお待まちなさい。』

   四六 小鳥ことりの先達せんだつ

小鳥ことりの來くる頃ころになりますと、いろろな種類しゆるゐの小鳥ことりが山やまを通とほりました。
鶫つぐみ、鶸ひは、獦子鳥あとり、深山鳥みやま、頬白ほゝじろ、山雀やまがら、四十雀しじふから――とても數かぞへつくすことが出來できません。あの足あしの色いろが赤あかくて、羽はねに青あをい斑ふの入はいつた斑鳩いかるも、他ほかの小鳥ことりの中なかにまじつて、好すきな榎木えのきの實みを食たべに來きました。木曾きその山やまの中なかは小鳥ことりの通とほり路みちだと言いふことでして、毎朝々々まいあささ、夜よのあけがたには驚おどろくばかり澤山たくさんな小鳥ことりの群むれが山やまを通とほります。その中なかでも、群むれをなして多おほく通とほるのは鶫つぐみ、鶸ひはなどです。
この小鳥ことりの群むれには、必かならず一羽ぱづゝ先達せんだつの鳥とりがあります。その鳥とりが空そらの案内者あんないしやです。澤山たくさんに隨ついて行ゆく鳥とりの群むれは案内あんないする鳥とりの行ゆく方はうへ行ゆきます。もしかして案内あんないする鳥とりが方角はうがくを間違まちがへて、鳥屋とやの網あみにでもかゝらうものなら、隨ついて行ゆく鳥とりは何なん十羽ぱありましても皆みな同おなじやうにその網あみへ首くびを突込つゝこんでしまひます。
『さあ、皆みなさん、お支度したくは出來できましたか。』
そんなことを案内あんないする小鳥ことりが言いつて、澤山たくさんな鳥仲間とりなかまの先さきに立たつて出掛でかけるのだらうと思おもひます。
鳥とりにも先達せんだつはありますね。

   四七 鳥屋とや

村むらの人達ひとたちに連つれられて、山やまの上うへの方はうの鳥屋とやへ遊あそびに行いつた時ときのことをお話はなししませう。
鳥屋とやは小鳥ことりを捕とるために造つくつてある小屋こやのことです。何方どつちを向むいても山やまばかりのやうなところに、その小屋こやが建たてゝあります。屋根やねの上うへは木きの葉はで隱かくして、空そらを通とほる小鳥ことりの眼めにつかないやうにしてあります。その小屋こやの周圍まはりに、細ほそい丈夫ぢやうぶな糸いとで編あんだ鳥網とりあみの大おほきなのが二つも三つも張はつてあるのです。網あみを張はつた高たかい竹竿たけざをには鳥籠とりかごが掛かゝつて居ゐました。その中なかには囮をとりが飼かつてありまして、小鳥ことりの群むれが空そらを通とほる度たびに好いい聲こゑで呼よびました。『もしし、鶫つぐみさん。』
この囮をとりになる鳥とりの呼聲よびごゑは、春先はるさきから稽古けいこをした聲こゑですから、高たかい空そらの方はうまでよく徹とほりました。それを聞ききつけた小鳥ことりの先達せんだつが好いい聲こゑに誘さそはれて降おりて來きますと、他ほかの小鳥ことりも同おなじやうに空そらから舞まひ降おりて來きます。
その時とき、降おりて來きた小鳥ことりをびつくりさせるものは、急きふに横合よこあひから飛出とびだす薄黒うすぐろいものと、鷹たかの羽音はおとでもあるやうなプウウ唸うなつて來くる音おとです。
『これは堪たまらん。』
と小鳥ことりの先達せんだつは張はつてある網あみの中なかへ飛とび込こみます。他ほかの小鳥ことりもあはてまして、みんな網あみの中なかへ飛とび込こみます。鳥屋とやで捕とれる小鳥ことりはこんな風ふうにして網あみにかゝりますが、小鳥ことりをびつくりさせたのは他ほかのものでも有ありません。横合よこあひから飛出とびだした薄黒うすくろいものは、鳥屋とやで人ひとの振ふる竹竿たけざをの先さきについた古ふるい手拭てぬぐひか何なにかの布きれでした。鷹たかの羽音はおとでもあるやうに唸うなつて來きた音おとは、その竹竿たけざをを手てにした人ひとが口端くちばたを尖とがらせてプウウ何なにか吹ふく眞似まねをして見みせた聲こゑでした。
鳥屋とやで捕とれる小鳥ことりは、一朝ひとあさに六十羽ぱや七十羽ぱではきかないと言いひました。この小鳥ことりの捕とれる頃ころには、村むらの子供こどもはそろろ猿羽織さるばおりを着きました。急きふに降ふつて來きて、また急きふに止やんでしまふやうな雨あめも、深ふかい林はやしを通とほりました。
   四八 爐邊ろばた

爺ぢいやが山やまから茸きのこを採とつて來きたり、栗くりを拾ひろつて來きたりする頃ころは、お家うちの爐邊ろばたの樂たのしい時ときでした。
爺ぢいやは爐ろで栗くりを燒やいて、友ともさんや父とうさんに分わけて呉くれるのを樂たのしみにして居ゐました。ある晩ばん、爺ぢいやが裏うらのお稻荷いなりさまの側わきから拾ひろつて來きた大おほきな栗くりを爐ろにくべまして、おいしさうな燒栗やきぐりのにほひをさせて居ゐますと、それを爐邊ろばたの板いたの上うへで羨うらやましさうに見みて居ゐた澁柿しぶかきがありました。
『庄吉爺しやうきちぢいさん、栗くりの澁しびが燒やけてそんなに香かうばしさうになるものなら、一ひとつ私わたくしも燒やいて見みて呉くれませんか。』
とその澁柿しぶかきが言いひました。
爺ぢいやは父とうさんの見みて居ゐる前まへで、爐邊ろばたにある太ふとい鐵てつの火箸ひばしを取出とりだしました。それで澁柿しぶかきに穴あなをあけました。栗くりを燒やくと同おなじやうにその澁柿しぶかきを爐ろにくべました。そのうちに、※あつい灰はひの中なかに埋うまつて居ゐた柿かきの穴あなからは、ぷうう澁しぶを吹出ふきだしまして、燒やけた柿かきがそこへ出來上できあがりました。
『さあ、私わたくしも食たべて見みて下ください。』
とその柿かきが父とうさんに御馳走ごちさうして呉くれるのを貰もらひまして、黒くろく燒やけた柿かきの皮かはをむきましたら、軒下のきしたに釣つるして乾ほした柿かきでもなく、霜しもに逢あつて甘あまくなつた柿かきでもなく、その爐邊ろばたでなければ食たべられないやうな、おいしい變かはつた味あぢの柿かきでした。
   四九 山やまの中なかへ來くる冬ふゆ

東京とうきやうで『ネツキ』といふ子供こどもの遊あそびのことを父とうさんの田舍ゐなかでは『シヨクノ』と言いひます。山やまの中なかは山やまの中なかなりに子供こどもの遊あそびにも流行はやりがありまして、一頃ひところ『シヨクノ』が村中むらぢうに流行はやりました。どこの田圃側たんぼわきへ行いつて見みても、どこの畠はたけの隅すみへ行いつて見みても、子供こどもといふ子供こどもの集あつまつて居ゐるところでは、その遊あそびが始はじまつて居ゐました。
枯々かれれとした裏庭うらにはに出でて、父とうさん達たちは『シヨクノ』の遊あそびにする細こまかい木きを探さがしたり、それを手てごろの長ながさに切きつたり、地ぢべたへよく打うちこめるやうに先さきの方はうを尖とがらせたり、時ときにはもう幾度いくたびか勝負しやうぶをした揚句あげくに土つちのついて齒はのこぼれたやつを削けづり直なしたりして遊あそびました。父とうさん達たちがそんな子供こどもらしいことをして居ゐる間まに、爺ぢいやはまた木曾風きそふうな背負梯子しよひばしごを肩かたにかけ、鉈なたを腰こしに差さしまして、木きの枝えだをおろすために林はやしの方はうへと出掛でかけました。
山やまの中なかへ來くる冬ふゆは、斯かうして冬ふゆごもりの支度したくにかゝる爺ぢいやのところへも、『シヨクノ』の遊あそびに夢中むちうになつて居ゐる父とうさん達たちのところへも一緒しよにやつて來きました。
黒くろい枯枝かれえだや黒くろい木きの見みえるお家うちの裏うらの桑畠くはばたけの側わきで、毎朝まいあさ爺ぢいやはそこいらから集あつめて來きた落葉おちばを焚たきました。朝あさの焚火たきびは、寒さむい冬ふゆの來くるのを樂たのしく思おもはせました。
   五○ 木曾きその燒米やきごめ

木曾きその燒米やきごめといふものは青あをいやわらかい稻いねの香氣にほひがします。
『お師匠ししやうさまが好すきだから。』
と言いつて、お勇ゆうさんの家うちからも、つきたての燒米やきごめをよく祖父おぢいさんのところへ貰もらひました。父とうさんのお家うちの祖父おぢいさんは好すきな燒米やきごめをかみながら、本ほんを讀よんで居ゐたやうな人かと思おもひます。
お勇ゆうさんの家うちでは毎年まいねん酒さけを造つくりましたから、裏うらの酒藏さかぐらの前まへの大おほきな釜かまでお米こめを蒸むしました。それを『うむし』と言いつて、重箱ぢゆうばこにつめては父とうさんのお家うちへも分わけて呉くれました。あの『うむし』も、父とうさんの子供こどもの時分じぶんに好すきなものでした。

   五一 屋根やねの石いしと水車すゐしや

屋根やねの石いしは、村むらはづれにある水車小屋すゐしやごやの板屋根いたやねの上うへの石いしでした。この石いしは自分じぶんの載のつて居ゐる板屋根いたやねの上うへから、毎日々々まいにちち水車すゐしやの廻まはるのを眺ながめて居ゐました。
『お前まへさんは毎日まいにち動うごいて居ゐますね。』
と石いしが言いひましたら、
『さういふお前まへさんは又また、毎日まいにち座すわつたきりですね。』
と水車すゐしやが答こたへました。この水車すゐしやは物ものを言いふにも、ぢつとして居ゐないで、廻まはりながら返事へんじをして居ゐました。
風かぜや雪ゆきで水車小屋すゐしやごやの埋うまつてしまひさうな日ひが來きました。石いしは毎日まいにち座すわつて居ゐるどころか、どうかすると風かぜに吹ふき飛とばされて、板屋根いたやねの上うへから轉ころがり落おちさうに成なりました。水車すゐしやは毎日まいにち動うごいて居ゐるどころか、吹ふきつける雪ゆきに埋うづめられまして、まるで車くるまの廻まはらなくなつてしまつたことも有ありました。この恐おそろしい目めに逢あつた後あとで、屋根やねの石いしと水車すゐしやとが復また顏かほを合あはせました。石いしはもう水車すゐしやに向むかつて、
『お前まへさんは毎日まいにち動うごいて居ゐますね。』
とは言いはなくなりました。水車すゐしやも、もう屋根やねの石いしに向むかつて、
『お前まへさんは毎日まいにち座すわつたきりですね。』
とは言いはなくなりました。

   五二 炬燵こたつ

いろろな話はなしの出でる山家やまがのあたゝかい炬燵こたつ。
鳥とりがとまりに行ゆくところは木きです。子供こどもが冷つめたいからだを温あたゝめに行ゆくところは、家うちのものゝ顏かほの見みられる炬燵こたつです。

   五三 唄うたの好すきな石臼いしうす

石臼いしうすぐらゐ唄うたの好すきなものは有ありません。石臼いしうすぐらゐ、又また、居眠ゐねむりの好すきなものも有ありません。
冬ふゆの夜長よながに、粉挽こなひき唄うたの一つも歌うたつてやつて御覽ごらんなさい。唄うたの好すきな石臼いしうすは夢中むちうになつて、いくら挽ひいても草臥くたぶれるといふことを知しりません。ごろろごろろ石臼いしうすが言いふのは、あれは好いい心持こゝろもちだからです。もつと、もつと、と唄うたを催促さいそくして居ゐるのです。
そのかはり、すこし手てでもゆるめてやつて御覽ごらんなさい。居眠ゐねむりの好すきな石臼いしうすは何時いつの間まにか動うごかなくなつて居ゐます。そして何時いつまでゞも居眠ゐねむりをして居ゐます。
父とうさんのお家うちの石臼いしうすは青豆あをまめを挽ひくのが自慢じまんでした。それを黄粉きなこにして、家中うちぢうのものに御馳走ごちさうするのが自慢じまんでした。山家育やまがそだちの石臼いしうすは爐邊ろばたで夜業よなべをするのが好すきで、皸ひゞや『あかぎれ』の切きれた手ても厭いとはずに働はたらくものゝ好よいお友達ともだちでした。
   五四 冬ふゆの贈おくり物もの

峠たうげの上うへから村むらの小學校せうがくかうへ通かよふ生徒せいとがありました。近ちかいところから通かよふ他ほかの生徒せいとと違ちがひまして、子供こどもの足あしで毎日まいにち峠たうげの上うへから通かよふのはなかか骨ほねが折おれました。でも、この生徒せいとは家うちから學校がくかうまで歩あるいて行ゆく路みちが好すきで、降ふつても照てつても通かよひました。
寒さむい、寒さむい日ひに、この生徒せいとが遠路とほみちを通かよつて行ゆきますと、途中とちうで知しらないお婆ばあさんに逢あひました。
『生徒せいとさん、今日こんちは。』
とそのお婆ばあさんが聲こゑを掛かけました。お婆ばあさんは通とほり過すぎて行いつてしまはないで、
『生徒せいとさん、今日けふも學校がくかうですか。この寒さむいのに、よくお通かよひですね。毎日々々まいにちちさうして精出せいだして下くださると、このお婆ばあさんも御褒美ごほうびをあげますよ。』
と言いひました。
知しらないお婆ばあさんは見みかけによらない優やさしい人でして、學校通がくかうかよひをする生徒せいとがかじかんだ手てをして居ゐましたら、それをお婆ばあさんは自分じぶんの手てで温あたゝめて呉くれました。
『まあ、斯樣こんなかじかんだ手てをして、よく寒さむくありませんね。そのかはり、お前まへさんが遠路とほみちを通かよふものですから、丈夫ぢやうぶさうに成なりましたよ。御覽ごらん、お前まへさんの頬ほゝぺたの色いろの好よくなつて來きたこと。』
とさう言いひました。
生徒せいとは知しらない人ひとから斯樣こんなことを言いはれたものですから、そのお婆ばあさんをよく見みましたら、右みぎの手てには山やまからでも伐きつて來きたやうな細ほそい木きの杖つえをついて、左ひだりの手てには籠かごを提さげて居ゐました。籠かごの中なかには、青々あををとした蕗ふきの蕾つぼみが一ぱい入はひつて居ゐました。そのお婆ばあさんは、まるでお伽話とぎばなしの中なかにでも出でて來きさうなお婆ばあさんでした。『お前まへさんは誰だれですか。』
と生徒せいとが尋たづねましたら、お婆ばあさんはニツコリしながら、提さげて居ゐる籠かごの中なかの蕗ふきの蕾つぼみを見みせまして
『私わたしは「冬ふゆ」といふものですよ。』
と生徒せいとに言いつて聞きかせました。夫それから、こんな事ことも言いひました。
『お家うちへ歸かへつたら、父とうさんや母かあさんに見みてお貰もらひなさい。お前まへさんの頬ほつぺたの紅あかい色いろもこのお婆ばあさんのこゝろざしですよ。』

   五五 少年せうねんの遊学いうがく

父とうさんは九つの歳としまで、祖父おぢいさんや祖母おばあさんの膝下ひざもとに居ゐましたがその歳としの秋あきに祖父おぢいさんのいゝつけで、東京とうきやうへ學問がくもんの修業しうげふに出でることに成なりました。父とうさんは友伯父ともをぢさんと一緒しよにお家うちの伯父をぢさんに連つれられて行ゆくことに成なりました。
『二人ふたりとも東京とうきやうへ修業しうげふに行ゆくんだよ。』
と伯父をぢさんに言いはれて、父とうさんは子供心こどもごゝろにも東京とうきやうのやうなところへ行ゆかれることを樂たのしみに思おもひました。父とうさんより三つ年長としうへの友伯父ともをぢさんが、その時ときやうやく十二歳さいでした。
今いまから思おもへば祖母おばあさんもよくそんな幼少ちひさな兄弟きやうだいの子供こどもを東京とうきやうへ出だす氣きになつたものですね。その時ときの父とうさんは今いまの末子すゑこより年としが二つも下したでしたからね。
この東京行とうきやうゆきは、父とうさんが生うまれて初はじめての旅たびでした。父とうさんが荷物にもつの用意よういといへば、小ちひさな翫具おもちやの鞄かばんでした。それは美濃みのの中津川なかつがはといふ町まちの方はうから翫具おもちやの商人あきんどが來きた時ときに、祖母おばあさんが買かつて呉くれたものでした。『お前まへが東京とうきやうへ行ゆく時ときには、この鞄かばんへ金米糖こんぺいたうを一ぱいつめてあげますよ。』
と祖母おばあさんは言いひました。父とうさんもその小ちひさな鞄かばんに金米糖こんぺいたうを入いれてもらつて、それを持もつて東京とうきやうに出でることを樂たのしみにしたやうなそんな幼少ちひさな時分じぶんでした。

   五六 祖父おぢいさんと祖母おばあさんのおせんべつ

祖母おばあさんは、おせんべつのしるしにと言いつて、東京とうきやうへ出でる父とうさんのために羽織はおりや帶おびを織おつて呉くれました。
『トンンハタリ、トンハタリ。』
と祖母おばあさんは例れいの玄關げんくわんの側わきにある機はたに腰掛こしかけまして、羽織はおりにする黄き八丈ぢやうの反物たんものと、子供こどもらしい帶地おびぢとを根氣こんきに織おつて呉くれました。
『トンンハタリ、トンハタリ。』
その祖母おばあさんのおせんべつが織おれる時分じぶんには、父とうさんが生うまれて初はじめての旅たびに出でる時ときも近ちかくなつて來きました。
祖父おぢいさんは、父とうさんに書かいた物ものを呉くれました。好すきな燒米やきごめでも食たべながら田舍ゐなかで本ほんを讀よまうといふ祖父おぢいさんのことですから、父とうさんが東京とうきやうへ行いつてから時々ときき出だして見みるやうにと言いひまして、少年せうねんのためになるやうな教訓をしへを七枚まいばかりの短冊たんざくに書かいて呉くれました。それを紙かみに包つゝみまして、紙かみの上うへにも父とうさんを送おくる言葉ことばを書かいて呉くれました。
『これは大事だいじにして置おくがいゝ。東京とうきやうへ行いつたら、お前まへの本箱ほんばこのひきだしにでも入いれて置おくがいゝ。』
と言いつて呉くれました。それが祖父おぢいさんのおせんべつでした。
   五七 伯父をぢさんの床屋とこや

東京とうきやうをさして學問がくもんに行ゆかうといふ頃ころの友伯父ともをぢさんも、父とうさんも、まだ二人ふたりとも馬籠風まごめふうに髮かみを長ながくして居ゐました。友伯父ともをぢさんはもう十二歳さいでしたから、そんな山やまの中なかの子供こどものやうな髮かみをして行つて東京とうきやうで笑わらはれては成ならないと、お家うちの人達ひとたちが言いひました。
そこで友伯父ともをぢさんだけは頭あたまを五分刈ぶがりにして行ゆくことに成なりました。ところが、村むらには床屋とこやといふものが有ありません。仕方しかたなしに、伯父をぢさんが裏うらの桐きりの木きの下したへ友伯父ともをぢさんを連つれて行ゆきまして、伯父をぢさんが自分じぶんで床屋とこやをつとめました。
面白おもしろい床屋とこやがそこへ出來できました。腰掛こしかけはお家うちの踏臺ふみだいで間まに合あひ、胸むねに掛かける布きれは大おほきな風呂敷ふろしきで間まに合あひました。床屋とこやをつとめる伯父をぢさんの鋏はさみは、祖母おばあさん達たちが針仕事はりしごとをする時ときに平常ふだん使つかふ鋏はさみでした。
この伯父をぢさんは若わかい時分じぶんから神坂村みさかむらの村長そんちやうをつとめたくらゐの人ひとでしたが、なにしろ床屋とこやの方はうは素人しろうとでしたから、友伯父ともをぢさんの髮かみをヂヨキキとやるうちに、長ながいところと短みじかいところが出來できて、すつかり奇麗きれいに刈かりあげるのはなかか大變たいへんな仕事しことでした。
鷄にはとりは驚おどろいて、桐きりの木きの下したに頭あたまをさげて居ゐる友伯父ともをぢさんの方はうへ飛とんで來きました。そして、髮かみを刈かつて貰もらつて居ゐる友伯父ともをぢさんの側わきで鳴なきました。長ながいことお馴染なじみの友伯父ともをぢさんが東京とうきやうへ行いつてしまふので、お家うちの鷄にはとりもお別わかれを惜をしんで居ゐたのでせう。
   五八 お別わかれ

山家やまがでは何なにかある度たびにお客きやくさまをして、互たがひに呼よんだり呼よばれたりします。いよよ父とうさん達たちが東京行とうきやうゆきの日ひもきまりましたので、お隣となりのお勇ゆうさんの家うちでは父とうさん達たちをお客きやくさまにして呼よんで呉くれました。その晩ばんは伯父をぢさんも友伯父ともをぢさんも呼よばれて行ゆきましたが、『押飯おうはん』と言いつて鳥とりの肉にくのお露つゆで味あぢをつけた御飯ごはんの御馳走ごちさうがありましたつけ。
父とうさんはお雛ひなの家うちへも遊あそびに行いつて見みました。幼少ちひさい時分じぶんから父とうさんを抱だいたり負おぶつたりして呉くれたあのお雛ひなの家うちへも、もう遊あそびに行ゆかれないかと思おもひまして、お別わかれを告つげるつもりもなく遊あそびに行ゆく氣きになつたのです。お雛ひなの父親ちゝおやの名なは數衛かずゑと言いつて村むらでもきたないので評判ひやうばんな髮結かみゆひですとは、前まへにもお話はなしして置おいたと思おもひます。日頃ひごろ父とうさんはそのきたない髮結かみゆひの子こに育そだてられたと言いつて村むらの人達ひとたちにからかはれて居ゐましたから、數衛かずゑの家うちへ遊あそびに行ゆくところを誰たれかに見みつけられたら、復また人ひとにからかはれると思おもひました。そこで父とうさんはお墓參はかまゐりに行ゆく道みちの方はうから、成なるべく知しつた人ひとに逢あはない田圃たんぼの側わきを通とほりまして、こつそりと出掛でかけて行ゆきました。
數衛かずゑの家うちは村むらの中なかでもずつと坂さかの下したの方はうにありました。父とうさんの小學校せうがくかう友達ともだちに扇屋あふぎやの金太郎きんたらうさんといふ子供こどもがありましたが、その金太郎きんたらうさんの家うちよりもまだずつと下したの方はうでした。父とうさんが遊あそびに行ゆきましたら、數衛かずゑは大層たいそうよろこびまして、爐ろにかけたお鍋なべで菜飯なめしをたいて呉くれました。それからお茄子なすの味噌汁おみおつけをもこしらへまして、お別わかれに御馳走ごちさうして呉くれました。藁わらで編あんだ莚むしろの敷しいてある爐邊ろばたで、數衛かずゑのこしらへて呉くれた味噌汁おみおつけはお茄子なすの皮かはもむかずに入いれてありました。たゞそれが輪切わぎりにしてありました。しかし父とうさんは後あとにも前まへにも、あんなおいしい味噌汁おみおつけを食たべたと思おもつたことは有ありません。
   五九 さやうなら

お家うちを出でる日ひが來きました。
その前まへの日ひに、曾祖母ひいおばあさんは友伯父ともをぢさんと父とうさんを側そばへ呼よびましてお家うちの爐邊ろばたでいろろなことを言いつて聞きかせて呉くれました。父とうさんはこの年としとつた曾祖母ひいおばあさんがお膳ぜんにむかひながら、お別わかれの涙なみだを流ながしたことをよく覺おぼえて居ゐます。でも曾祖母ひいおばあさんはしつかりとした氣象きしやうの人ひとで、父とうさん達たちがお家うちを出でる日ひには、もう涙なみだを見みせませんでした。
伯父をぢさんに附ついて東京とうきやうへ行ゆく父とうさんの道連みちづれには、吉きちさんといふ少年せうねんもありました。吉きちさんはお隣となりの大黒屋だいこくやの子息むすこさんで、鐵てつさんやお勇ゆうさんの兄にいさんに當あたる人ひとでした。この人ひとは父とうさん達たちと違ちがひまして、眼めの療治れうぢに東京とうきやうまで出掛でかけるといふことでした。なにしろ父とうさんはまだ九歳さいの少年せうねんでしたから、草鞋わらぢをはくといふ事ことも出來できません。そこで爺ぢいやが小ちひさな麻裏草履あさうらざうりを見みつけて來きまして、踵かゞとの方はうに紐ひもをつけて呉くれました。
父とうさんはその新あたらしい草履ざうりをはいた足あしで、お家うちの臺所だいどころの外そとに遊あそんで居ゐる鷄にはとりを見みに行ゆきました。大おほきな玉子たまごをよく父とうさんに御馳走ごちさうして呉くれた鷄にはとりは、
『コツ、コツ、コツ、コツ。』
とお名殘なごりを惜をしむやうに鳴なきました。
その邊へんにはお馴染なじみの桐きりの木きも立たつて居ゐました。その桐きりの木きは背せいこそ高たかくても、まだ木きの子供こどもでして、『いよよ東京とうきやうの方はうへ行ゆくんですか。私わたしも大おほきくなつてお前まへさんを待まつて居ゐます。御覽ごらん、あそこにはお前まへさんに桑くはの實みを御馳走ごちそうした桑くはの木きも居ゐます。お前まへさんのよく登のぼつた柿かきの木きも居ゐます。あの土藏どざうの横手よこての石垣いしがきの間あひだには、土藏どざうの番ばんをする年としとつた蛇へびが居ゐて、今いまでも居眠ゐねむりをして居ゐます。私達わたしたちはみんなお前まへさんのお友達ともだちです。私達わたしたちをよく覺おぼえて居ゐて下くださいよ。』
と言いひました。
父とうさんはその草履ざうりで、表庭おもてにはの門もんの内うちにある梨なしの木きの側わきへも行いきました。
『まあ、好いい草履ざうりを買かつて貰もらひましたね。その草履ざうりには紐ひもが結むすんでありますね。お前まへさんが大おほきくなつて歸かへつて來きたら、私わたしもまた大おほきな梨なしをどつさり御馳走ごちさうしますよ。』
とその梨なしの木きが言いひました。
伯父をぢさんは父とうさん達たちを引連ひきつれまして、日頃ひごろ親したしくする近所きんじよの家々うちちへ挨拶あいさつに寄よりました。大黒屋だいこくやへ寄よれば小母をばさん達たちが家うちの外そとまで出でて見送みおくり、俵屋たはらやへ寄よればお婆ばあさんが出でて見送みおくつて呉くれました。八幡屋やはたや、和泉屋いづみや、丸龜屋まるかめや、まだその他ほかにも伯父をぢさんの挨拶あいさつに寄よつた家うちは澤山たくさんありましたが、その度たびに父とうさん達たちは坂さかになつた村むらの道みちを峠たうげの上うへの方はうへ登のぼつて行いきました。馬籠まごめの村むらはづれまで出でますと、その峠たうげの上うへの高たかいところにも耕たがやした畠はたけがありました。そこにも伯父をぢさんに聲こゑを掛かけるお百姓ひやくしやうがありました。父とうさんが遊あそび廻まはつた谷間たにまと、谷間たにまの向むかふの林はやしも、その邊へんからよく見みえました。山やまと山やまの重かさなり合あつた向むかふの方はうには、祖父おぢいさんの好すきな惠那山ゑなざんが一番ばん高たかい所ところに見みえました。祖父おぢいさんも、祖母おばあさんも、さやうなら。馬籠まごめも、さやうなら。惠那山えなざんも、さやうなら。

   六〇 峠たうげの馬うまの挨拶あいさつ

馬籠まごめの村むらはづれには、杉すぎの木きの生はえた澤さはを境さかひにしまして、別べつに峠たうげといふ名前なまへの小ちいさな村むらがあります。この峠たうげに、馬籠まごめに、湯舟澤ゆぶねざはと、それだけの三さんヶ村そんを一緒いつしよにして神坂村みさかむらと言いひました。
『名物めいぶつ、栗くりこはめし――御休處おやすみどころ。』
こんな看板かんばんを掛かけた家うちが一軒けんしかない程ほど、峠たうげは小ちいさな村むらでした。そこに住すむ人達ひとたちはいづれも山やまの上うへを耕たがやすお百姓ひやくしやうばかりでした。その村むらにも伯父をぢさんが寄よつて挨拶あいさつして行ゆく家うちがありましたが、入口いりぐちの柱はしらのところに繋つながれて居ゐた馬うまは父とうさん達たちの方はうを見みまして、
『お揃そろひで、東京とうきやうの方はうへお出掛でかけですか。』
と聲こゑを掛かけました。この馬うまは背中せなかに荷物にもつをつけて父とうさんのお家うちへ來きたこともある馬うまでした。やがて父とうさんは伯父をぢさんの後あとに附ついて、めづらしい初旅はつたびに上のぼりました。父とうさんが歩あるいて行ゆく道みちを木曽路きそぢとも、木曾街道きそかいだうともいふ道みちでした。

   六一 初旅はつたび

『もしし、お前まへさんの草履ざうりの紐ひもが解とけて居ゐますよ。』
と路みちばたに咲さいて居ゐた龍膽りんだうの花はなが父とうさんに聲こゑを掛かけて呉くれました。龍膽りんだうは桔梗ききやうに似にた小ちいさな草花くさばなで、よく山道やまみちなぞに咲さいて居ゐるのを見みかけるものです。
父とうさんがその小ちいさな紫むらさきいろの花はなの前まへで自分じぶんの草履ざうりの紐ひもを結むすばうとして居をりますと、伯父をぢさんは父とうさんの側そばへ來きて、腰こしを曲こゞめて手傳てつだつて呉くれました。慣なれない旅たびですから、おまけに馬籠まごめから隣村となりむらの妻籠つまごへ行ゆく二里りの間あひだは石いしころの多おほい山道やまみちですから、父とうさんの草履ざうりの紐ひもはよく解とけました。その度たびに伯父をぢさんが足あしをとめては紐ひもを結むすんで呉くれました。

   六二 木曽川きそがは

隣村となりむらの妻籠つまごには、お前達まへたちの祖母おばあさんの生うまれたお家うちがありました。妻籠つまごの祖父おぢいさんといふ人もまだ達者たつしやな時分じぶんで、父とうさん達たちをよろこんで迎むかへて呉くれました。そこで、初はじめの日ひは妻籠つまごに泊とまりまして翌朝よくあさまた伯父をぢさんに連つれられて出掛でかけました。
妻籠つまごの吾妻橋あづまばしといふ橋はしの手前てまへまで行いきますと、鶺鴒せきれいが飛とんで居ゐました。その鶺鴒せきれいはあつちの大おほきな岩いはの上うへへ飛とんだり、こつちの大おほきな岩いはの上うへへ飛とんだりして、『どうです。妻籠つまごには大おほきな川かはがあるでせう。』
と言いつて見みせました。
父とうさんも、そんな大おほきな川かはを見みるのは初はじめてでした。青あをい、どろんとした水みづは渦うづを卷まいて、大おほきな岩いはの間あひだを流ながれて居ゐました。
『これが木曽川きそがはですか。』
と父とうさんが尋たづねましたら、鶺鴒せいきれは尻尾しつぽを振ふつて、
『いえ、これは蘭あらゝぎの山奧やまおくの方はうから流ながれて來くる川かはです。木曽川きそがはへ入はいる川かはです。』
と教をしへて呉れました。
吾妻橋あづまばしの手前てまへで見みた川かはが大おほきいと思おもひましたら、木曽川きそがははそれよりも大おほきな川かはでした。

   六三 御休處おんやすみどころ

何なんといふ深ふかい山やまや谷たにが父とうさんの行ゆく先さきにありましたらう。父とうさんは木曽川きそがはの見みえる谷間たにあひについて、林はやしの中なかを歩あるいて行ゆくやうなものでした。どうかすると晝間ひるまでも暗くらいやうな檜木ひのきや杉すぎのしんんと生はえて居ゐるところを通とほることもありました。あゝこれが三留野みとめのといふところか、これが須原すはらといふところか、と思おもひまして、初はじめて見みる村々むららが父とうさんにはめづらしく思おもはれました。何なにもかも父とうさんには初はじめてゞした。高たかい山やまの上うへの方はうから村むらはづれの街道かいだうのところまで押おし寄よせて來きて居ゐる黒くろい岩いはだの石いしだのを見みるのも初はじめてゞした。
父とうさんが東京とうきやうへ出でる時分じぶんには、鐵道てつだうのない頃ころですから、是非ぜひとも木曽路きそぢを歩あるかなければ成なりませんでした。もう好いい加減かげん歩あるいて行いつて、谷たにがお仕舞しまひになつたかと思おもふ時分じぶんには、また向むかふの方はうの谷間たにまの板屋根いたやねから煙けむりの立たち登のぼるのが見みえました。さういふ煙けむりの見みえるところにかぎつて、旅人たびびとの腰掛こしかけて休やすんで行ゆく休茶屋やすみぢややがありました。『御休處おんやすみどころ』
として、白しろいところに黒くろい太ふとい字じで書かいてある看板かんばんは、父とうさん達たちにも寄よつて休やすんで行ゆけと言いふやうに見みえました。さういふ休茶屋やすみぢややには、きまりで『御嶽講おんたけかう』の文字もじを染そめぬいた布きれがいくつも軒下のきしたに釣つるしてありました。
樂たのしい御休處おんやすみどころ。父とうさんが祖母おばあさんから貰もらつて來きた金米糖こんぺいたうなぞを小ちひさな鞄かばんから取出とりだすのも、その御休處おんやすみどころでした。塲處ばしよによりましては、冷つめたい清水しみづが樋とひをつたつて休茶屋やすみぢややのすぐ側わきへ流ながれて來きて居ゐます。さういふ清水しみづはいくらでも父とうさんに飮のませて呉くれました。

   六四 寢覺ねざめの蕎麥屋そばや

寢覺ねざめといふところには名高なだかい蕎麥屋そばやがありました。
木曽路きそぢを通とほるもので、その蕎麥屋そばやを知しらないものはないと、伯父をぢさんが父とうさん達たちに話はなして呉くれました。そこは蕎麥屋そばやとも思おもへないやうな家うちでした。多勢おほぜいの旅人たびびとが腰掛こしかけて、めづらしさうにお蕎麥そばのおかはりをして居ゐました。伯父をぢさんは父とうさん達たちにも山やまのやうに盛もりあげたお蕎麥そばを奢をごりまして、草臥くたぶれて行ゆつた足あしを休やすませて呉くれました。

   六五 浦島太郎うらしまたらうの釣竿つりざを

寢覺ねざめには、浦島太郎うらしまたらうの釣竿つりざをといふものが有ありました。それも伯父をぢさんの話はなして呉くれたことですが、浦島太郎うらしまたらうの釣つりをしたといふ岩いはもありました。それから、あの浦島太郎うらしまたらうが龍宮りうぐうから歸かへつて來きまして自分じぶんの姿すがたをうつして見みたといふ池いけもありました。木曾きその人ひとは昔むかしからお伽話とぎばなしが好すきだつたと見みえますね。岩いはにも、池いけにも、釣竿つりざをにも、こんなお伽話とぎばなしが殘のこつて、それを昔むかしから言いひ傳つたへて居ゐます。

   六六 棧橋かけはしの猿さる

『もしし、お前まへさんの背中せなかに負しよつて居ゐるのは何なんですか。』
木曾きその棧橋かけはしといふところの休茶屋やすみぢややに飼かつてあるお猿さるさんが、そんなことを父とうさんに尋ね《たづ》ねました。
父とうさんは小ちひさな鞄かばんを風呂敷包ふろしきづゝみにしまして、それを自分じぶんの背中せなかに負しよつて居ゐましたから、
『お猿さるさん、これは祖母おばあさんがおせんべつに呉くれてよこしたのです。途中とちうで退屈たいくつした時ときにおあがりと言いつて、祖母おばあさんが呉くれてよこした金米糖こんぺいたうです。わたしはこれから東京とうきやうへ修業しうげふに行ゆくところですが、この棧橋かけはしまで來くるうちに、金米糖こんぺいたうも大分だいぶすくなくなりました。』
とお猿さるさんに話はなして聞きかせました。
このお猿さるさんの飼かつてあるところは高たかい崖がけの下したでした。橋はしの下したを流ながれる木曽川きそがはがよく見みえて、深ふかい山やまの中なからしい、景色けしきの好いいところでした。街道かいだうを通とほる旅人たびびとは誰たれでもその休茶屋やすみぢややで休やすんで行ゆくと見みえて、お猿さるさんもよく人ひとに慣なれて居ゐました。
父とうさんが東京とうきやうへ行ゆく話はなしをしましたら、お猿さるさんも羨うらやましさうに、
『わたしも一ひとつ金米糖こんぺいたうでも頂いたゞいて、皆みなさんのお供ともをしたいものです。御覽ごらんの通とほり、わたしはこの棧橋かけはしの番人ばんにんでして、皆みなさんのお供ともをしたいにも、こゝを置おいては行ゆかれません。まあ、この山やまの中なかの土産話みやげばなしに、そこにある古ふるい石いしでもよく見みて行いつて下ください。これから東京とうきやうへお出いでになりましたら、その石いしに發句ほつくが一つ彫ほつてあつたとお話はなし下ください。その發句ほつくをつくつたのは昔むかしの芭蕉翁ばせををうといふ人だとお話はなし下ください。』と言いひました。
伯父をぢさんも、吉きちさんも、友伯父ともをぢさんも、みんなお猿さるさんの側わきへ來きまして、崖がけの下したにある古ふるい石碑せきひの文字もじを讀よみました。それには、
『かけはしやいのちをからむ蔦つたかづら』
としてありました

   六七 山越やまごし

やがて、父とうさんは伯父をぢさんに連つれられて、『みさやま峠たうげ』といふ山やまを越こしにかゝりました。
父とうさんも馬籠まごめのやうな村むらに育そだつた子供こどもです。山道やまみちを歩あるくのに慣なれては居ゐます。それにしても、『みさやま峠たうげ』は見上みあげるやうな險けはしい山坂やまさかでした。大人おとなの足あしでもなかか骨ほねが折をれるといふくらゐのところでした。何故なぜ、伯父をぢさんがそんな山越やまごしにかゝつたかといふに、早はやく皆みんなを連れて馬車ばしやのあるところまで出でたいと考かんがへたからです。木曾きそは山やまに圍かこまれた深ふかい谷間たにあひのやうなところですから、どうしても峠たうげ一ひとつだけは越こさなければ成ならなかつたのです。何なんと言いつても父とうさんはまだ幼少ちひさかつたものですから、友伯父ともをぢさんや吉きちさんのやうには歩あるけませんでした。
『さあ、金米糖こんぺいたうを出だすから、もつと早はやくお歩あるき。』
と伯父をぢさんに言いはれましても、父とうさんの足あしはなかか前まへへ進すゝまなくなりました。
伯父をぢさんの金米糖こんぺいたうに勵はげまされて、復また父とうさんも石いしころの多おほい山坂やまさかを登のぼつて行いきましたが、そのうちに日ひが暮くれかゝりさうに成なつて來きました。伯父をぢさんはもう困こまつてしまつて、父とうさんの締しめて居ゐる帶おびに手拭てぬぐひを結ゆはひつけ、その手拭てぬぐひで父とうさんを引ひいて行いくやうにして呉くれました。
   六八 沓掛くつかけの温泉宿をんせんやど

今いまだに父とうさんはあの『みさやま峠たうげ』の山越やまごしを忘わすれません。草臥くたぶれた足あしをひきずつて行いきまして、日暮方ひくれがたの山やまの裾すその方はうにチララチララ燈火あかりのつくのを望のぞんだ時ときの嬉うれしかつた心持こゝろもちをも忘わすれません。
その燈火あかりのついて居ゐるところが、沓掛くつかけの温泉宿をんせんやどでした。

   六九 乘合馬車のりあひばしや

沓掛くつかけまで行いきましたら、やうやくその邊へんから中仙道なかせんだうを通かよふ乘合馬車のりあひばしやがありました。
それから父とうさんは伯父をぢさんや吉きちさんや友伯父ともをぢさんと一緒いつしよに東京行とうきやうゆきの馬車ばしやに乘のりまして、長ながい長ながい中仙道なかせんだうの街道かいだうを晝ひるも夜よるも乘のりつゞけに乘のつて行いきました。やがて馬車ばしやがある町まちを通とほりました時ときに、父とうさんは初はじめて消防夫ひけしの梯子登はしごのぼりといふものを見みました。高たかい梯子はしごに乘のつた人ひとが町まちの空そらで手足てあしを動うごかして居ゐました。父とうさんは馬車ばしやの上うへからそれを眺ながめて、子供心こどもごゝろにめづらしく思おもつて行いきました。伯父をぢさんの話はなしで、そこが上州じやうしうの松井田まつゐだといふ町まちだといふことも知しりました。またそれから飽あきるほど乘のつて行ゆくうちに、馬車ばしやはある川かはの岸きしへ出でました。川かはにかけた橋はしの落おちた時ときとかで、伯父をぢさんでも誰たれでも皆みなその馬車ばしやから降おりて、水みづの淺あさい所ところを渉わたりました。
父とうさんは馬丁べつたうの背中せなかに負おぶさつて、川かはを越こしました。その川かはは烏川からすがはといふ川かはだと聞ききました。まあ、父さんも、どんなに幼少ちひさい子供こどもだつたでせう。東京行とうきやうゆきの馬車ばしやの中なかには、一緒いつしよに乘合のりあはせた他所よその小母をばさんもありました。その知しらない小母をばさんが旅たびの袋ふくろからお菓子くわしなぞを出だしまして、それを父とうさんにおあがりと言いつて呉くれたこともありました。いくら乘のつても乘のつても、なかか東京とうきやうへは着つかないものですから、しまひには父とうさんも馬車ばしやに退屈たいくつしまして、他所よその小母をばさんに抱だかれながらその膝ひざの上うへに眠ねむつてしまつたことも有ありました。

   七〇 終をはりの話はなし

こんな風ふうにして父とうさんは自分じぶんの生うまれたふるさとを幼少ちひさな時分じぶんに出でて來きたものです。それから長ながい年月としつきの間あひだを置おいては、木曾きそへ歸かへつて見みますと、その度たびにあの山やまの中なかも變かはつて居ゐました。しかし父とうさんの子供こどもの時分じぶんに飮のんだふるさとのお乳ちゝの味あぢは父とうさんの中なかに變かはらずにありますよ。
太郎たらうよ、次郎じらうよ、お前達まへたちも大おほきくなつたら父とうさんの田舍ゐなかを訪たづねて見みて下ください。


      ふるさとの後のちに

この本ほんは前まへに出だした『幼をさなきものに』と姉妹しまいのやうにして出だします。あの佛蘭西ふらんす土産みやげには、父とうさんのお話はなしばかりでなく、佛蘭西ふらんすの方ほうで聞きいて來きたいろろなお話はなしも入いれて置おきましたが、この『ふるさと』には父とうさんのお話はなしばかりを集あつめました。この本ほんが出來できましたら、木曾きその伯父をぢさんの家うちに勉強べんきやうして居ゐる三郎らうのところへも一册さつ送おくりたいと思おもひます。父とうさんはこの少年せうねんの讀本とくほんを書かかうと思おもひ立たつた頃ころに、別べつにつくつて置おいたお話はなしが一つあります。それは『兄弟きやうだい』のお話はなしです。それをこの本ほんの後のちに添そへようと思おもひます。
こゝにそのお話はなしがあります。
早はやく眼めがさめても何時いつまでも寢ねて居ゐるのがいゝか、遲おそく眼めがさめてもむつくり起おきるのがいゝか、そのことで兄弟きやうだいが爭あらそつて居ゐました。
そこへこの兄弟きやうだいの祖父おぢいさんが來きまして、
『まあ、お前達まへたちは何なにをそんなに爭あらそつて居ゐるのです。』
と尋たづねました。
兄あにが言いふには、
『祖父おぢいさん、私わたしは早はやく眼めがさめました。そのかはり何時いつまでも寢ねて居ゐました。弟おとうとは遲おそく眼めがさめました。そのかはり私わたしより先さきに起おきました。私達わたしたちは今いまそのことで言いひ合あつて居ゐるところです。』
『私わたしは遲おそく眼めがさめても、兄にいさんのやうに長ながく寢ねて居ゐないで、むつくり起おきた方はうがいゝと思おもひます。』
と弟おとうとが言いひました。すると、兄あにが言いふには、
『弟おとうとがあんなことを言いつて威張ゐばつて居ゐます。そのくせ、私わたしが早はやく眼めのさめた時分じぶんには、弟おとうとはまだなんにも知しらないでグウウグウウと眠ねむつて居ゐました。私わたしは鷄にはとりの鳴ないたのを知しつて居ゐます。夜よの明あけたのも知しつて居ゐます。』
『そんなことを言いつて兄にいさんが威張ゐばつても、何時いつまでも兄にいさんのやうに寢ねて居ゐたら、眼めがさめないのも同おなじことです。』
とまた弟おとうとが言いひました。祖父おぢいさんはこの兄弟きやうだいの爭あらそひを聞きいて笑わらひ出だしました。さうして斯かう言ひました。
『馬鹿ばかな兄弟きやうだいだ。お前達まへたちがそんなことを言いつて爭あらそつて居ゐるうちに、太陽おてんとうさまはもう出でてしまつたぢやないか。』
(終)



青空文庫より引用