わか紫






みつぎもの  裏関所  丁か半か  室咲  日金颪  神妙候

御曹子  黒影白気  梅柳







みつぎもの

一

 伊豆のヒガネ山やまは日金と書いて、三島峠、弦巻山つるまきやま、十国峠と峰を重ね、翠みどりの雲は深からねど、冬は満山の枯尾花、虚空に立ったる猪いのしし見るよう、蓑毛みのげを乱して聳そびえたり。
 読本よみほんならば氷鉄ひがねといおう、その頂から伊豆の海へ、小砂利交まじりに牙きばを飛ばして、肌はだえを裂つんざく北風を、日金颪おろしと恐おそれをなして、熱海の名物に数えらるる。
 冬季にはこの名物、三日措おき五日措きに、殺然として襲い来るが、二日続くことはほとんどない。翌日は例のごとく、嘘のように暖く、公園の梅はほんのりと薫って、魚見岬うおみざきには麗うららかな人集合ひとだかり。熱海の土地は気候が長閑のどかで、寒の中うちも、水がぬるみ、池には金魚がひらひらと、弥生やよいの吉野、小春日の初瀬を写す俤おもかげがある。
 さてこの物語の起った年は、師走から春の七草かけて、一たびも日金が颪おろさず、十四五年にも覚えぬという温暖あたたかさ、年の内に七分咲で、名所の梅は花盛り、紅梅もちらほら交って、何屋、何楼、娘ある温泉宿ゆやどの蔵には、雛ひなが吉野紙の被かつぎを透かして、あの、ぱっちりした目で、密そっと覗のぞいても見そうな陽気。
 時ならぬ温気うんきのためか、それか、あらぬか、その頃熱海一町ひとまち、三人寄れば、風説うわさをする、不思議な出来事というのがあった。仔細しさいはない、崖がけの総六が背戸の、日当ひあたりの良いい畑地に、二月の瓜よりもなお珍とすべき、茄子なすの実が生なりました。
 総六は、崖の、と呼ぶ、熱海の街を突切つっきって、磧かわらのような石原から浪打際へ出ようとする、傍かたわらの蠣殻かきがら屋根、崖の上の一軒家の、年老いた漁師であるが、真鶴崎まなづるがさきへ鰹かつおの寄るのも、老眼で見えなくなったと、もう鈎はりの棹さおは持って出ず、昼は人仕事の網の繕つくろい、合間には客を乗せて、錦にしきの浦遊覧の船を漕こぐのが活計なりわい。
 仇あだしあだ浪いとまなみ、がらがらと石を捲まいて、空ざまに駈かけ上る、崖の小家こやの正面に、胡坐あぐらを総六とも名づけつびょう、造りつけた親仁おやじのように、どっかりと臀いしきを据え、山から射さす日に日向ひなたぼっこ、海に向うて朝から晩、暮れると、浪枕、やあ、ころりとせ。
 沖から遠眼鏡とおめがねで望んだら、瞬またたきする間も静まらず、海洋わだつみの蒼あおき口に、白泡の歯を鳴らして、刻々島根を喰削くらいけずらんず、怖しき浪の頭かしらを圧おさえて、巌窟いわやの中に鎮座まします、世に頼母たのもしき一体の羅漢の姿に見えるであろう。
 総六親仁は、最初、この茄子の種を齎もたらして、背戸へこぼして行ったのは、烏に肖にて翼違い、雉子きじのようでやや小さく、山鳥かと思うと嘴くちの白い、名を知らぬ、一羽の鳥であったという。
 かつその鳥は、小春日の朝、空が曇って、大島が判然はっきりと墨で描いたように見えた時、江浦えのうら、吉浜の空を伸のして、遠く小田原の城の森から、雲の上を飛んで来て、ふうわり、足許あしもとへ来て留った、そこから苗が出来たというのであるが、鳥はこの親仁が、名を知らぬものだったかも計られぬ。 小田原よりか、函嶺はこねからか、それとも三島、日金の方か、たとい家は崖の上でも、十里は見通し得る筈はずがない。惟おもうに、親仁の産神うぶすなは彼処かしこであるから、かく珍らしい、伊豆紫の若茄子に、烏帽子えぼしを着せ、狩衣かりぎぬ召させて、一粒種のお鶴という、娘の婿にでもする気であろう。
 暮に取立ての初穂を、まず新しい苞入つといりにして、切火を打って、ここから七里ある、小田原なる城の鎮守、親仁が産神に、謹上つつしんでたてまつる。

二

 師走の末の早朝あさまだき、藍あいの雲、浅葱あさぎの浪、緑の巌いわに霜白き、伊豆の山路の岨そばづたい、その苞入つといりの初茄子を、やがて霞の靉靆たなびきそうな乳の辺あたりにしっかと守護して、小田原まで使をしたのは、お鶴といって、十六の、明くれば七になる娘。
 お鶴は総六の小屋に生れて、そこでこの年まで育ったので、あたかも浪の打附ぶつかって様々に砕くるのが、旭あさひに輝き、夕陽ゆうひに燃え、月にあらわれ、時雨にかくるる、牡丹ぼたんの花に、雌雄の獅子ししの狂う状さまを自然に彫刻きざんで飾ったような、巌を自然の石垣は、二階屋に住むものの馴なれた階子段はしごだんに異ならず。
 鞠まりがはずんで潮うしおに取られ、羽根が外れて海に落つれば、切立きったてのその崖を、するすると何の苦もなく、蟹かにを捕え、貝を拾い、斜ななめに飛び、横に伝い、飜然ひらりと反かえる身の軽さ。小児こども同士が喧嘩して及ばぬ敵の迫る時も、腕白な悪戯いたずらを薪雑木まきざっぽで追わるる時も、石垣が逃げ場所で、ぴたりとひそんで縋すがるとそのまま、衣服きものの裳すそのそよそよと、潮に近き唐撫子からなでしこ、手に取る術すべはなかったそうな。
 泳ぎはもとより、木も攀よずれば、峰も谷も駈かけ歩行あるく。
 中にも大島を遥はるかに望んで、真鶴の浜に対向さしむかう、熱海の海の岸一帯、火山が砕けた巌を飛び飛び、魚見岬に行ゆく間、小石さざれいしにも白波や、貝殻にも潮の花。さらさらと、さらさらと、ちらちらと乱れる上を、真珠に似たる爪尖つまさきで、お鶴は七八ツの時分から、行ったり来たり我が庭同様。
 しかも人となるに従うて、天の成せる麗質あり。
 手も足も庇かばわずに、島の入日に焼かれながら、日金颪を浴びながら、緑の黒髪、煙れる生際、色白く肥えふとりて、小造りなるが愛らしく、その罪のなさ仇気あどけなさも、蝴蝶ちょうの遊ぶに異ならねど、浪打際に岩飛ぶ風情を、土地の者は渾名あだなして、千鳥々々というのであった。
 娘ならば、竜宮のもうし児ごであると称となえても、茄子の種子たねを云々うんぬんより、恐らく聞くものは疑うまい。その色の白いばかりも、この辺あたりに類はないから、人々は総六が自讃する、怪しき鳥の挙動ふるまいにはさもなくて、湯河原の雲を攀よじ、吉浜の朝霽あさばれや、真鶴の霜毛に駕がして、名だたる函嶺の裏関越え、小田原の神に使した、美しき使者をこそ、皆口々に讃ほめ称たたえつれ。
 さて、お鶴がその日の扮装いでたちには、頬に浪打つ黒髪を、頸うなじに結んで肩にかけ、手織縞じまの筒袖つつそでは曠着はれぎも持たねば、不断のなり、襦袢じゅばんの襟と帯だけは、桔梗ききょうの花、女郎花おみなえし、黄菊白菊の派手模様。これは湯宿の込合う折は、いつでも手伝いに行ゆく習ならい。給仕に出た座敷の客の心づけたものであろう、その上に、白金巾しろかなきんの西洋前垂まえだれ。 この前垂は、去さんぬる頃、旅籠屋はたごやの主人たち、三四人が共同で、熱海神社の鳥居前へ、ビイヤホオルを営んだ時、近所から狩催かりもよおした、容眉みめ好よき女むすめの中に交まじって、卓子テエブルの周囲まわりを立働いた名残なごりであるのを、白きはものの潔く、清らかに見ゆればとて、親仁が指図で礼服なり。
 芳紀とし正に二八にはちながら、男女おとこおんなも雌雄めおの浪、権兵衛も七蔵も、頼朝も為朝も、立烏帽子たてえぼしというものも、そこらの巌いわおの名と覚えて、崖に生えぬきの色気なし、形なりにも態ふりにも構わばこそ。


裏関所

三

 父爺おやじの総六が吩咐いいつけのまま、手織縞の筒袖に、その雪のような西洋前垂、背せなへ十字に綾取あやどって、小さく結んだ菊模様の友染唐縮緬ゆうぜんとうちりめんの帯お太鼓に、腰へ捌さばいた緑の下げ髪、裳すそ短こうふッくりと、白きは脚絆きゃはんの色ならず、素足に草履穿占はきしめた、爪尖の薄紅うすくれない。石高路いしたかみちを物ともせず、独り早朝まだきの霜を踏む。
 山懐やまふところのところどころ、一帯に産出する蜜柑みかんの林に射入さしいる旭あさひに、金色こんじきの露暖かなれど、岩の衝つと突出つきいでた海の上に臨んでは、路みちの下を掻かい潜くぐって、崖の尾花を越す浪に、有明月の影の砕くる、冬の朝まだ七時というのに、早や吉浜を過ぎ、真鶴を越して、江の浦さして行く途中。
 灰色の網の中空から斜めに颯さっと張ったよう、中だるみに四方濶かっと、峰の開あけた処がある。中に一条ひとすじ、つるくさ交りの茅萱ちがや高く、生命いのちを搦からむと芭蕉の句の桟橋かけはしというものめきて、奈落へ落おつるかと谷底へ、すぐに前面むこうの峠の松へ、蔦蔓かずらで釣ったように攀よずる故道ふるみちの、細々と通じているのが、函嶺の裏関所の旧跡あとである。
 娘はここへ来るまでに、ただその一台を見た、熱海通いの人車鉄道、また人力車など通うにも、上の新道しんみちを行くのであって、この旧道を突切つっきれば、萩の株に狼の屎ふんこそ見ゆれ、ものの一里半ばかり近いという、十年の昔といわず、七八年以前までは駕籠かごで辿たどった路であろう。
 もとより恐るる処にあらず。
 娘はかねて聞いて来た、近道をするつもりの、峰の松を目的めじるしに、此方こなたの道の分れ口、一むら薄すすき立枯れて、荒野あれのの草の埋うもれ井に、朦朧もうろうとして彳たたずむごとき、双ふたつの影ありと見えたるにも、猶予ためらわず衝つと寄った。
「ほうい、兎かと思った。吃驚びっくりすら。」
「何だ、人間か。」
 濁声だみごえ斉ひとしく、じろりお鶴に眼まなこを注いだ、霧はなけれど、ぼやけた奴等やつら。そのむら尾花の蔭に二台、空腕車からぐるまを曳ひきつけて、踞しゃがんで、畜生道の狛犬こまいぬ見るよう、仕切った形、睨にらみ合って身構えた、両人とも背のずんぐり高い、およそ恰好かっこう五十ばかりで骨組の逞たくましい、巌丈がんじょうづくりの、彼これ車夫。 お鶴も思いがけなかったか、ぴたりと草履を霜に留めて、透かして差覗さしのぞくようにした。尾花は自然の傍示杭ぐい、アノ山越えて来イやんせ、この谷辿たどって行かしゃんせ、と二筋道へ枯残る。車夫は新道の葉かげから、故道ふるみちの穂ずれに立った、お鶴の姿をきょろきょろと、ためつ、すがめつ。
「よう、合の子だな」
「目が黒い、髪も黒いぞ。」
「フム。」
「神巫みこのような娘ッ児こだ。」
 一人、膝頭ひざがしらと向う脛ずね、露出むきだした間に堆うずたかい、蜜柑の皮やら実まじりに、股倉またぐらへ押込みながら、苦い顔色がんしょく。
「あの児こ、あの児、姉あんねえ。」
 と呼びかけられ、ぱッちりとした目を睜みはって、豊ゆたかな頬を傾けたが、くっきりとした眉のあたり、心懸こころがかりのない風情。
 他の一人にんがこれをうかがい、
「へへ、べらぼうめ、慌てやがって、蜜柑を咎とがめに来たのじゃねえや。」
 さては盗んだものそうな。
「なあ、姉あねえ、此方こんたにも一ツ遣やろうか、はは、正直に黙っていら。」
「あの児こ、こっちへ来や、ちょっと来ねえ、好いい相談があるが、どうだ。」

四

「何だ何だ、蜜柑を遣る。かう死んだ小児がきでも思い出したか、詰つまらねえ後生気を起しやがるな、打棄うっちゃっておけというに、やい。」
「うんにゃ、後生気どころじゃねえ、ここ一番という娑婆しゃばッ気だ、伝九でんく。」
 とすくすくと鬚ひげの生えた、山猫のような口を突出し、対手あいての耳に囁ささやくと、伝九と呼ばれた一人にんは、歪ゆがめて聞いていた面つらに、もっての外な、ニヤリと笑む。
「な。」
「そうか、うう、そうか、面白かんべい、へへへへへへ、おい、姉え。」
「待ちねえ待ちねえ、待ちねえよ。」
 薄すすきの霜に入残る、有明月の消え行く状さま、覗のぞいている顔が彼方かなたへ、茅萱ちがやの骨に隠れんとした、お鶴は続けさまに呼び留められ、あえて危あやぶむ様子もなく、
「あい、私。」
「お前めえだお前だ、お前に限ることだ、なあ、雲平うんぺいおじい。」
「まあ、姉え、ちょっと来ねえよ。」
 雲平なるもの、板昆布いたこぶのような袖口から、真黒まっくろな手を出して、図太く浚さらえ込む形で手招く。
「何さ。」
 と声も気も軽かろう、衝つと身を反そらして歩あゆみを向けた。胸に当てたる白布には折目正しき角はあれど、さばいた髪のすらすらと、霜枯すすきの葉よりも柔順すなお。
「よう、妙な扮装かたちだぜ。」と雲おじい、更あらためてつくづく視ながめる。
「だから神巫みこ見たようだというのよ。」
「己おらまた、柱暦の絵に描かいた、倭武尊やまとたけ様かと思った奴さ。」
 悠々として、掻かいはだけた、膝の皿に牛蒡ごぼうの肱ひじで、憎躰にくていな頬杖なり。
 雲おじい、蒼痣あおあざかと、刺青ほりものの透いて見える、毛だらけの脇腹を、蜜柑の汁の黄きばみついた五本の指で無意味に掻き、
「時に姉え、お前めえ、どこだ。」
「熱海なの。」
「は、御花主場おとくいばだ、あんまり見かけねえ。」
「車夫くるまやさんは小田原?」
 と、めりはりが判然はっきりして、人見知りはせず、愛々しい。
 伝九頷うなずき、
「図星々々。」
「その図星だ、一番きゅうと極きめてえもんだ。」「まず、じらす内が楽たのしみよ。」と蜜柑の皮を掴つかんでは、ほたほたと地板じびたへ打附ぶつける。
 お鶴は何の気もつかず、
「私は海岸なの、おじさんたちは、お客様を送っちゃ町の旅籠はたごの方へばかり行くんでしょう、だから知らないんだわ。」
 雲おじい頷いて、
「成程なッ、可いいわえ、それじゃ水心ありの方だの、こう、姉え、そしてお前どこへ行く。」
「小田原。」
「何が小田原、」
「相談は極きまってら。」
 目を見合わせて北叟笑ほくそえみした、伝九、更めて、面つらを捻向ねじむけ、
「ええ、姉え、ちくとんべい、お前にの。」
「己達おらたちが頼みてえ事があるんだ。」
「素直に肯きかねえじゃ不可いけねえぞ。」
 お鶴は涼すずしい目を下ぶせに、真中まんなかにすらりと立って、牛頭馬頭ごずめずのような御前立おんまえだちを、心置なく瞰下みおろしながら、仇気あどけなく打傾いて、
「頼みッて?」
「おう、姉え、お前の胸にあるものだ。」
「ここへ打ぶちまけて見せてくんろ。」
 といって伝九郎上目づかい、
「こう姉え、知ってるか、ちょうどお関所にかかるこの道の岐わかれる処は、ここン処だ。つい今年の三月、熱海へ奉公に出ておった、お前ぐれえな新造しんぞがの、親里の吉浜へ、雛の節句に帰るッて、晩方通りかかっての、絞殺しめころされた処だぜ、なあ、おじい。」
「そうよ、恐おっかねえ処とこよの、何でもいうことを肯きかねえじゃあ。」


丁か半か

五

「へいへいへい、何旦那ちょいとその、洒落しゃれに遣りましたばかりなんで、へい、大した天下を望むような謀叛むほんを起したではござりやせん。」
 雲おじいは眩まばゆそうな顔をして、皿の兀はげた天窓あたまを掻く。
「全くもちまして、娘ッ児こをどうのこうの、私等わしらア御覧なさりやすとおり、いい年紀としでござりやす。」
 伝九郎は揉手もみででびたびたお辞儀する。
 二人の車夫を屹きっと見ながら、お鶴を庇かぼうて立ったのは、洋装した一個中脊の旅客であった。
 濃い藍あいの鳥打帽、厚い毛皮の外套がいとうを、襟を立てて、顔の半ばから膝の下。鼠のずぼんの裾すそが見え、樺色かばいろの靴を穿はき、同一おなじ色の皮手袋、洋杖ステッキを軽くつき、両個ふたつの狼を前にしつつ、自若たるその風采ふうさい、あたかも曲馬師の猛獣に対するごとく綽々しゃくしゃくとして余裕あり。
 時に真鶴の山中は、当世風の扮装いでたちした一いつのこの旅客を得て、はじめて湯治場へ行く道の、熱海街道となったのである。はじめ、その山、その岩、その霜、蜜柑畑も枯薄かれすすきも、娘の姿も車夫の状さまも、浮世に遠き趣ならずや。
「洒落にしろ宜よくないな、黙っちゃ通られん洒落じゃないか、乱暴な事をする、可哀相に。」
 といいかけて、半ば隠れて顔は見えぬが、在原業平ありわらのなりひらの目かずらかた俤おもかげで、あとなる娘を顧みた。
 薄日は射さしたがまだ融とけぬ、道芝に腰を落して、お鶴はくの字形なりに手を小石。親まさりの爪尖尋常に白脛しらはぎを搦からんだまま衝つと横に投出した、肩肱かたひじの処々ところどころ、黒土に汚れたるに、車夫等が乱暴のあとが見えて、鈴かと見える目は清すずしく、胸のあたりに張はりはあるが、落胆がっかり疲れた様子である。けれども、さして心を傷いためた趣のあるにもあらず、茅花つばな々々土筆つくつくし、摘草に草臥くたびれて、日南ひなたに憩っているものと、大おおいなる違はない。 自分が手籠てごめになろうとしたのを、折よく来かかって扶たすけてくれた、旅客に顔を見られたが、直ぐにとこうの口も利かず、鬼に捉とられた使の白鳩しらはと、さすがに翼を悩あやめたらしゅう、肩のあたり、胸のあたり、黒髪も打揺らぐは、朝風のさそうにあらず、はずんで呼吸いきをつくのであった。
「此奴等こいつら、ほんとうに悪い洒落だ。」
 また呟つぶやくがごとくいう。
 伝九郎苦り切った面つらを上げ、
「でもその全く、へい、洒落に違いはござりやせんので、なあ、おじい。」
「此奴が申し上げる通りでござりやす。」
 しり込みするのを右瞻左瞻とみこうみ、
「むむ、まあしかしお前方、素直にそうやって、折れてくれて、お互に幸だ。
 朝とはいっても全然まるっきり、こうやって、前後に人通りのない山路やまみちだ、風体の悪い……おい、悪く聞くな。」
「へへへへへ、どういたしやして。」
 と雲おじい、膝に手を置いて突出した、臀しりへ頸うなじを捻ねじ向けて、己うぬが風体をじろりじろり。
「大の男が二人懸がかりで、この娘さんを押伏おっぷせようとしているのを見ちゃ、旅空の烏だって、黙って見ては通られないから、私も夢中で飛込んだが。
 しかしだ、朝ッぱら口あけ仕事の邪魔をする、畳んでしまえ、とか何とかいって、むきになってかかられてみたが可いい。
 別にまた武者修行でも来れば可よし、さもなけりゃ私だって、お前たちにゃ一人にも敵かなやしない。一堪ひとたまりもなく谷底へ投なげられるんだ、なあ、おい、そんなもんじゃないか。」
 今度は伝九郎が、
「どういたしやして、へへへへへ。」

六

「処を、清く、恐入ってくれたというもんだから、双方無事で、私も大おおきに技倆きりょうを上げたが、いってみりゃ、こりゃ、お前方のお庇かげだよ。」
 上衣うわぎの肩の動くまで快げに打笑い、
「就ついてはお前達が、洒落だという、その洒落が、ちとどうにか、ものになる相談をしようと思うが、一体何の洒落かね、こう見た処、どうもまんざら、この娘さんを手籠めにしようとしたようでもないな。」
 いわれて雲平、
「旦那、綺麗な姉さんにゃ姉さんでござりやすが、から孫みたようなものを捉つかめえて、色気で、どうこうというわけじゃなかったんで。へい、実は、少々御法度の、へい、手慰みを遣らかしておりましたんで。」
 伝九郎もようよう窮屈そうな腰を伸のした。
「ほんの出来心なんでござりやすよ、この節は、人車鉄道が敷けましたに就いて、こちとら、からッきし仕事といってござりやせん。
 ところが昨日きのう珍らしく、箱根から熱海へ廻ろうという二人、江戸の客人がござりやして、このおじいと棒組で、こうやって二台曳ひいて参めえりやした。
 小田原を昨日きのう八ツ時分に出ましたんで、熱海へ着いて、対孝館へ送り込みましたが、昨夜ゆうべ、もう十二時ここのつ頃。
 五両と三両纏まとまった、穀こくの代を頂いたんで、ここで泊込みの、湯上りで五合ごんつく極きめた日にゃ、懐中ふところも腕車くるまも空からにして、土地さとへ帰らなけりゃならねえぞ。どうせ戻り腕車はねえんだで、悪くすると、お客をのせて山越ごしを、えッちら、おッちら、こちとらが分際で、一晩湯治のような寸法になりそうだ。一番このまんまで引返ひっかえせと、へい、おじいも気が合って、そこで、もし。
 一膳めし屋で腹を拵こさえて、夜通し、旦那、がらがら石ころの上を二台、曳摺ひきずって、夜一夜よっぴて山越しに遣って来やしてね。明け方ちょうどここン処とこまで参りやすと、それ、旦那。」
 と谷の方を瞰下みおろした、雲おじいも斉ひとしく其方そなたを。
 旅客はかえって、娘をちょいと見たのである。
「お関所でござりやしょう、里心というんじゃねえんだが、妙てこに昔懐しくなりやしてね。」
「へい、私等わっしら、こう見えて、へへ、何も見得なことはござりやせんが、これで昔の雲助でござりやす。息杖で背後うしろへ反っくり返るのと、楫棒かじぼうを握って前のめりに屈かがむんじゃ、から、見た処から役割が違いやさ。 ああ、ああ、ここいら、一面に、己達おれッちの巣だったい。東海道は五十三次、この雲助が居ねえじゃ、絵にも双六すごろくにもなるんじゃねえ。いざ、道中となった日にゃ、お大名でも、飛脚でも、品川から忘れねえのは、富士の山と、お関所と、大井川と雲助かい。
 女づれの遊山ゆさん旅に、桔梗一本折ればといって、駕籠を舁かついだおじさんに渡りをつけねえじゃならなかったに、名物の外郎ういろうは、偶たまにゃ覚えた人があろか、清見寺の欄干から、韮山にらやまの虹にじを見たって、雲助を思い出す後生願ねがいは一人もねえ。
 ものの三十年と経たたねえ内に、変れば変る世の中だ。どうだ伝九、この、お関所あとを見るにつけ、ぼけた金時じゃあるめえし、箱根山を背後うしろに背負しょって、伊豆の海へ巌端いわばなから、ひょぐるばかりが能じゃあるめえ。ちょうど尾花の背景うしろもある、牛頭馬頭ごずめずで眼張がんばりながら、昔の式かたを遣ってみべいと、」
「おじいが言うのは私わっしの図星。そこで旦那、共喰の手慰み、鉄拐博奕てっかばくちを切ッつけやした。なんこから狐になって、はたいた方が愚に返って、とうとうね、蜜柑の種を勘定しながら、地体お星様は丁か半か、とあけ方の天井へ、一服吹かしております処へ、ひょッくり、その姉さんが来たんでね。」

七

 おじい傍かたわらから引取って、
「ええ、旦那、つい串戯じょうだんに、一番ひとつ驚かしてくれようと、おう、姉や、とそれ、雲助声を出しやしたが、棲折笠つまおりがさに竹の杖、小袖の上へ浴衣を着て、緋ひの褌ふんどしにもつれながら、花道を出るのと違って、方かたなし、おどかしが利きやせん。
 権現様の出開帳でがいちょうに、お寺の門によたれている、躄いざりほどにも思わねえか、平気で、私かいッて傍そばへ来るだ。」
「雲助の御威光、こうまでに衰えたか、とあんまり強腹ごうはらだから、ちと凄味すごみに、厭だと吐ぬかしや、と押被おっかぶせて、それから、もし、あの胸にかけていやす、その新しい苞つとの中をね、開けて見せろッて申しやした。」
 守護まもりのように、ちゃんと斜めにかけているのを、旅客はまたこの時顧みたのである。
 と同時に、お鶴も俯向うつむいて熟じっと視ながめた。
「旦那、これがその申上げた洒落というんで、実は、おじいの思いつきでござりやしてね。」
「へい、」
「苞つとからポンと出た処とこ勝負、ものは何でも構わねえ、身ぐるみ賭けると、おじいが丁で、私わっしが半。」
「姉や、こう開けてくんねえ、というと旦那、てんづけ頭かぶりをふるんでさ。べらぼうめ、どこだと思う、場所が場所だに己達おれッちだ。
 汝うぬ、その、胸を開けて、出来立ての乳首ちッくびを見せろ、という難題だって、往生しねえじゃならねえわ。苞つとに入れたは何だか知らねえ、血で書いた起請きしょうだって、さらけ出さずに済むものか、と立身上たつみあがりで、じりじり寄って行きますとね。」
「旦那、魅込みこまれたようにあとびっしゃりをしながら、厭いやだ、神さまへお初にお目にかけるもんだから、途中で開けることはならないッて申しやす。
 親にも見せねえ膚はだだって了簡りょうけんをするもんか、一体そン中ア何だッて聞きやすとね。
 茄子なすよ、と吐ぬかすだろうじゃござりやせんか。
 人をつけ、いかに陽気が陽気だって師走空に茄子なすびがあろうか、小馬鹿にしやがる。」
「むっとしやした。そこで旦那が、御覧じやした通りの体裁、や、抜けつ潜くぐりつ、こやの軽いのにゃ飽倦あぐねッちゃって、二人とも大汗になって、トド打掴ふんづかまえ、掛けたのを外しにかかると、俯向あおむけに倒れながら、まだ抵抗てむかう気だ。二人が手とその娘の手先と、胸で指相撲のような騒ぎの処へ、旦那が割込んで来なすったんでね。」「なあ、おじい。」
「そうよ。」
 といって頷うなずいたが、
「大したゆきさつじゃございやせんがね、根がそれ、昔の懐しさに、雲助の式かたをやッつけた処でござりやすで、いきなり、曲者くせものとか、何とかいって、旦那がギックリとおいでなさりゃ。
 もうかれこれ三十年以来このかたというもの、もがりも、ねだりも、勾引かどわかしも、引落ひきおとしも何にもしねえ。戸籍検しらべのおまわり様にゃ、這出はいだしてお辞儀をして、名前の傍わきに生年月うまれねんげつ、日までを書いてある親仁だけれど、この山路に対したって、黙っちゃ引込ひっこまれねえんだ。」
「函根の大地獄が火を噴いて、蘆あしの湖こが並木にでもなるようなことがあったら、もう一度、焚火たきびで秋刀魚さんまの乾物ひものを焚やいて、往来へ張った網に、一升徳利をぶら下げようと思わねえこともねえんでね。」
「たかが、今時いまのお前めえさん。」
「医者だか、学者だか知らねえけれど、畳むに仔細しさいはねえんだが。
(野暮はよせ、金子かねにせい。)」
「(金子だ、金子だ。)ッてのッけから、器用に拵さばいておくんなすったで、こりゃ、もし。」
 からりと笑って、
「私等わっしらの氏神様だ。」
「へへへへ、南無大明神でいらっしゃる。そこで、ひょこひょこ、それかように、」
 トひょいと頭こうべを下げた、小田原無宿の太々ふてぶてしさ、昔の状さまこそしのばるれ。あら、面白の街道や。


室咲

八

「危あぶないこと! 姉さん、もうちっとで、賭博ばくちの賽さいころになろうとした。」
 旅客は娘に引添うて、横から胸を抱くように、美うつくしい手袋で、白い前掛を払いながら、親身の妹いもとに語るごとく、
「ほんとうに、危いじゃないか。あんな無法な奴等だから、それこそ、谷底へでも投ほうり出されてみたが可い、丁も半もあったものか。姉さんのこの星のような綺麗な目が、飛出してしまうだろう。
 身体からだが大事だ、どんな家だって、財たからだって、自分にかえられるものはない、分ったか。」
「はい。」
 といったが小さな声、男の腕に肩をもたせて伏目ふしめに胸に差俯向さしうつむく、お鶴はこの時立っていた。
 日の光は、あからさまに根の見ゆる、草の中へ淡くさして、枯れてしげれるむら薄すすきは、燈火ともしびの影ぞと見ゆる、薄くれないに包まれたが、二人が立って背せなにした、山の腹は、暖かく照らされて、そこに実った黄金こがねの枝は、露に蜜柑の薫かおりを籠こめて、馥郁ふくいくとして滴る気勢けはい。
 朝晴の蒼あおき大空は、軽いが頭こうべに近いよう、彼方かなたにごろごろと音がして、黒きかたまりの緩やかに畝うねり畝り、遠ざかり行く、車、雲助、その行くあたりちらちらと、白い雲の動いて見ゆるは、狭間はざまに漏るる青海原あおうなばら、沖に静しずかな鴎かもめの波。
「さ、もう可い、もう可い。」
 旅客は腕車くるまを見送りながら、お鶴の塵ちりを払ったあとを、背せなか一つ撫でて離れ、
「怪我はせんか、どこも痛みはしないかな。」
「はい。」
 とやや判然はっきり答えて、お鶴はむッくりした清らかな肱ひじを、頬に押当てる姿して、倒れた時の土を見た。
 その時まで、雲助どもの乱暴を、打腹立うちはらだって拗すねたる状さま、この救い人てに対してさえ、我ままに甘えて曲くねるか、捗々はかばかしく口も利かずにいたのであった。
 肱を曲げたまま、瞳をくるりと、花やかに旅客を見向き、
「どこも何ともないのよ。」
「その手は。」
外套がいとうの襟の上に、凜々りりしい眉を顰ひそめていった。「いいえ、痛みはしませんの。私、だって、私、突倒されたんですもの、口惜くやしいわ。」
 急に唇を屹きっと結び、笑くぼを刻みながら涙を堪こらえて、キリリと鳴ならす皓歯しらはの音。
 旅客は洋杖ステッキを持った手を拡げて、案外、と瞻みまもったが、露に濡れたら清めてやろう、と心で支度をする体ていに、片手を衣兜かくしに、手巾ハンケチを。
 やがて、曇くもりは晴れたのである。
 涙の名残なごりは瞳の艶つや、莞爾にっこりと打微笑うちほほえみ、
「二人とも強いんですもの、乱暴ッちゃありゃしない。」
「いや、お前の方が乱暴だ。道理こそ、人殺ひとごろしとも、盗人とも、助けてくれとも泣かないで、争っていたっけが、お前、それじゃ、取組み合う気で懸かかったのか。」
「はあ、喧嘩したんです。私、喰いついてやったり、引掻ひっかいたり、一生懸命だったんです。でも負けたわ。」
 と勇ましくいいかけたが、フトそのお転婆を極きまりの悪そう、お鶴が面おもはゆげに見えたのは、案内記には記さぬ不思議。
 わざとたしなめる口ぶりで、
「当前あたりまえだな、途方もない。」
「でも、そうしないと、無理に、あの、その苞つとを。」
 その苞は、ここにこの娘の胸に、天女が掛けた羯鼓かっこに似ていた。
「捕られて、中を見られるんですもの、あんな奴に見せるのは厭。」
「だから、だから今そういって聞かしたではないか。
 どんな大事のものだって、身体からだと取っかえこにしてなるものかな。
 このさきもある事だよ。」

九

「はい。」
 とばかり不承不承、返事も恩人なればこそ、承うけひく気色はちっともない。
 旅客は再び、差寄って、
「よ、ほんとうに気を着けなよ。
 今の車夫もそういったが、お前何か、それを持って小田原まで行くんだというではないか。
 気にかけないものだというと、瞽女ごぜが背負しょった三味線箱、たといお前が藁わらづつみの短刀を、引抱ひっかかえて歩行あるいた処で、誰も目をつけはしないもんだが。
 そうやって、人に見せまい、必ず手をつけさすまい、と秘かくしているだけ、途中何となく気が寄って、まあ、魔がさすとでもいうものか、思いがけない邪魔が入る。
 またこの前さき、どんな事で、誰が見ようとしないとも限らない、――その時だ。
 今のように、身体からだで庇かばって、とんだ怪我でもしちゃ不可いかん、気をつけるんだよ、きつと、可いいか、分ったかね。」
 熱心に教えながら、お鶴の姿を左から、右へぐるりと一廻まわり。
 その歩行あるく方へ瞳を動かし、ぱちり音するかと二ツ三ツ瞬いて聞いていた。
「じゃ、あの、見せろッていいましたら、出しても可よくって? 貴下あなた。」
「可かろうとも。」
「神様に見せない前に。」
 と口早に附け加えた。
「神様に。」
「ええ。」
 その顔を上げた時、はらりと顔にこぼれかかる、髪びんの毛を、指に反らして払い、
「孔雀くじゃくみたいな、あの、翡翠かわせみみたいな、綺麗な鳥が来て、種をこぼして行きました。
 小田原の神様が、おとっさんに、拵こしらえろッていったんですって。
 ですから、あの、これは神様のものなんでしょう。」
 見詰めつついう気構きがまえに、逆さからわず打頷うちうなずき、
「そうか、神様のものか。むむ、そして、苞つとの中は茄子なすびだといったが、まったくかい。」
「は、お初穂を上げに行くんです。あの、これが小さな、紫色の苗になりましてから、白髪しらがのおとっさんが、あのね。
 死んだおっかさんが着ていました、桃色の切きれだの、浅葱あさぎの切だの、いろいろ継合わしたちゃんちゃんこを着ちゃ、背戸へ出て、十国峠へ日が昇るの、大島へ月が入るの、幾度見たか知れないの、丹精して出来たんですもの。
 おかしくッてねえ。だって鳥の羽みたいな五色のを被きて、おとっさんは、種を持って来た神使鳥つかいどりのようじゃなくッて。
 それから今度、おつかいに持って行く、私だって……何なのよ。
 過日こないだッからお精進をしたんです。今朝は、髪を洗って、あけ方お湯を貰ったんです。 すっかり身体からだを清めて来ました。」
 さらぬだにこの風采ふうさいを、まして、世に、かくまで清き媛ひめやある。
 旅客は恍惚うっとり、引入れらるる状さまであった。
「それを、それを、あの、だって、大事にして見るんなら、まだ何ですけれども、賭博ばくちの目に、よもうッていうんですもの。
 私、殺されても見せないんだわ。」
 しばらくして面おも正しゅう。
「もっともだ、至極その筈はずだ、成程。
 昨日きのう通りがかりに、小田原の鎮守の社やしろへ、参詣さんけいをして来たが、御城の石垣の白いのが、鶴の巣籠すごもりのように見える。森しんとして、神寂かみさびた森の中の、小さな鳥居に階子はしごをかけて、がさり、かさこそと春の支度だろう。輪飾わかざりを掛けていたっけ。
 神主のその顔が、大おおきな猿のように見えて、水干烏帽子すいかんえぼしを着ていたのが、何となく神々こうごうしかった。
 誠は神に通ずとやらいうから、大方神様の方でも、姉さん、お前の行くのを待っておいでなさるんだろう。けれどもだ。」
 日はまたかげって尾花白く、薄雲空に靉靆たなびく見ゆる。

十

「小田原の神に、霊たましいがおあんなさればなおの事、捧げられる供物、お初穂が、その品物のために、若い娘の身に、過失あやまちのあることをお望みはなさりはせん。
 な。」
 と再び肩に手を。
「こんな可愛い姉さんにするまでに、第一お前のお父とっさんの、丹精を思って御覧……幾歳いくつだ。」
「六。」と低声こごえである。
「六? 十六か、それまでにゃ、それこそ、その十国峠に日の出るの、大島に月の沈むのを、幾たび見たか知れやしない。
 佳いい児こだ、いうことを肯きいて、身体からだを大事にしなけりゃ不可いけないよ。まったくだ、はるばる使に来てくれる姉さんを、小田原のお宮でも、どんなに御心配だか知れやしない。」
 背掻せなかい撫なでて、もの優しく、
「分ったか。」
「はい。」
 旅客は勇んで口軽に、
「佳いい娘こ、佳い娘。」
「じゃ貴下あなた。」
「むむ。」
「もしか、あの、今度のような事がありましたら、出して見せても可よくってね。」
「可いともさ。」
「なに、それでは貴下のおっしゃることは、神様の心とおんなじなの。」
「同一おなじだとも!」
 お鶴は何かいそいそして、
「だから私が酷ひどいことされようとした時に、助けに来て下すったんだよ。神様ねえ、神様ですねえ、貴下は。」
 と、つかつかと擦り寄ると、思わずたじろいで退しさったが、
「ああ、神様だ。」
 いった声に力がこもって、ついた杖ステッキの尖さきが幽かすかにふるえた。娘のための方便ながら、勿体なくや思いけむ。と見ると瞼まぶたに色を染めて、慌あわただしげにいい直した。
「お前にだけは神様です。」
「ではね、途中でまた誰かに捉つかまるとね、今度は私、素直に見せてやりましょう。
 それでもね、あの、お宮様へ行かない前に、他所よその人に見せるのは口惜くやしいんですから、私、貴下にお目にかけるわ。」
 とて、直ぐに手を、胸なる苞つとの両端へ。
「お待ち、待て待て。」
 急におさえたが、黙って、しばらくして、目の色が定まった。
「見せてくれるか、じゃ、見よう。熱海の公園は咲いたろう、小田原でも莟つぼみを見た、この陽気。年内からもう春だ、夢に見てさえ可いというもの、どれ。」
 手巾ハンケチを引出して、根笹ねざさは浅く霜をのせたが、胸に抱いたら暖かそうに、またふッくりと日の当る、路傍みちばたの石一個ひとつ、滑らかな面おもてを払うて、そのまま、はらりと、此方こなたへとて。
 浅葱あさぎの紐ひもは白い頸えりから、ふさふさとある髪を潜くぐって、苞つとは両手に外された。既にその白魚しらおの指のかかった時、雪なす衣きぬの胸を通して、曇りなき娘の乳ちのあたりに、早や描かれて見えるよう。「可愛らしくッて、綺麗ですよ。」
 薄紫の花一輪、紅べにの珊瑚さんごに、深みどりの、海の色添う小さな枝、実は二ツついたりけり。
 旅客も杖ステッキをたてかけて、さしむかいに背を屈かがめ、石を掻抱かいだくようにして、手をついて実を視ながめたが、眦まなじりを返して近々と我を迎うる皓歯しらはを見た。あわれ、茄子なす、二ツ、その前歯に、鉄漿かねを含ませたらばとばかり、たとえん方かたなく﨟長ろうたけて、初々しく且つ媚なまめかしい、唇を一目見るより、衝つと外套の襟を落した。美丈夫と艶えんなる少女は、ふと飛立つように身を起した。
 娘の髪にも旅客の肩にも、石の上なる貢みつぎにも、ひらりと射さしたは鳥の影。
 仰いで空を、赫かっとして何なにも見えず、お鶴耳許みみもと、まぶちのあたり、日は紅くれないに燃ゆるよう。

十一

 轟々ごうごうと音がして、背後うしろの山の傾斜面を、途端に此方こなたに来るものあり。
 罪を鳴らす鼓か、と男は慌あわただしく其方そなたを見た。あらず、人車鉄道の、車輪隠れて、窓さえ陰、ただ、橙色だいだいいろに列つらなった勾配のない屋根ばかり、ずるずると曳ひいて通る。
 それが蜜柑の木の間あわい。しかも会社が何週年かの祝日にやあたりけむ、かかる山路に、ひらめく旗、二人にんの方かたにそよそよと靡なびいて、天麗うららかに祝える趣。
 と見る見る頂から下り道、真鶴あたりの樹立こだちの梢こずえ、目の下の森をさして、列車は颯さっと逆落さかおとし、風に綾あやある紅あか、白、蒼あお、いろいろの小旗の滝津瀬、ひらひらと流るる状さまして、青海さして見えなくなる。
 娘はそれを見送るように、真うしろに旧もと来た方かた、男に背を向けてぞ立ちたる。
 さて旅客は、手ずから包を旧もとのようにして、静しずかに提げてお鶴の傍そばへ。
 黙って背後うしろから、密そとその頸うなじにはめてやると、苞つとは揺れつつ、旧の通りにかかったが、娘は身動きもしなかった。四辺あたりには誰たれも居ない。
 と視ながむれば、その浅葱あさぎの紐が、丈なる髪を、肩のあたりで仕切ったので、乱れた手絡てがらとは風情異り、何となく里の女が手拭を掛けたよう、品を損ねて見えたので、男は可惜あたらしく思ったろう。
 手袋の一ツをはずして、手を、娘の、鬢びんの下に差入れた。おのずから得えならぬ薫かおり、襟脚の玉暖かく、衝つと血の湧いた二の腕に、はらはらと冷くかかった、黒髪の末艶つややかに飜ひるがえり、遮るものはなくなった。これにも娘は熟じっとして、柔順すなおに身をまかせていたのである。
「じゃあ、気をつけて行ゆくんだよ。」
「貴下あなたは熱海へいらっしゃるの。」
「ああ、そうさ。」
「今の人車だと訳はありはしませんのねえ。歩行あるいて行っては大変ですわ。」
「お前こそ、女の足で随分じゃないか。」
「いいえ、車なんか危なっかしくッて不可いけません。ずんずん駈かけ出して行って来るの、何とも思いはしませんよ。」
「私も実は人車はあやまる。屋根は低いのに揺れると来て、この前頭痛で懲々こりこりしたから、今度は歩行あるくつもりで、今朝小田原からたって来たが、陽気は暖かだし、海端うみばたの景色は可よし、結句暢気のんきで可い心持だ。しかし私は片道だが、お前は向うで泊るのかい。」「あの、おつかいをして、直ぐに今日帰るんです。」
「ざっと行きかえり十四五里、しかもこの山路やまみちを、何だか私は、自分の使いにでも遣るようで、気の毒でならんのだ。」
 娘は嬉しそうに……何にもいわず。
「しかし、神ごとだというんだから、今の雲助とは訳が違って、金銭ぜにかねずくでは仕方がない、じゃ、これで別れるよ。」
「…………」
 男は再び、深く外套の襟を立てた。
「御苦労だな。」
 と支ついたる洋杖ステッキ、踵きびすを返した霜路しもじの素足、静しずかに入れ交ちがって、北と南へ。
「おお。」
 心着いて旅客はまた、うなだれて行ゆく娘を呼んだ。
「ちょいとお待ち、大切なことを忘れた。折角、その珍らしい、めで度いものを見せてくれたに、途中だ、礼の仕ようがない。心ゆかしにこれを上げよう、これでもここらに散ちらばった落葉朽葉よりいくらか増まし、志は松の葉だ。
 さあ、手帳がある、それから鉛筆、これはね、お前の胸にかけたものと、同一おなじ紫の色なんだから。」
 渡すを、受ける、熟じっと手を、そのまま前垂の胸に入れて、つッと行く白い姿、兎が飛ぶかと故道ふるみちへ。此方こなたは仰ぐ熱海の空、颯さっと吹く風に飜って、紺の外套の裾が煽あおった。
 ケケコッコ――谺こだまに響く鶏とりの声、浦の苫屋とまやか、峠の茶屋か。


日金颪

十二

「へい、夫人おくさま、真平まっぴら御免下さりまし、へい、唯今ただいまは。」
 毛は黒いが額は禿はげ、面長おもながな、目は円まろく、頬の肉は窪んだけれども、口許くちもとに愛嬌あいきょうある、熱海の湯宿伊豆屋の帳場に喜兵衛といって、帳面とともに古い番頭。
 と按摩あんまが御用を聴く形、片手を廊下へ、密そっと障子。
 中は八畳に寝床を二ツ、くくり枕の傍かたわらには、盆の上に薬の瓶、左の隅に衣桁いこうがあって、ここに博多の男帯、黒縮緬ちりめんの女羽織、金茶色の肩掛ショオルなど、中にも江戸褄づまの二枚小袖、藤色に裳もすそを曳ひいて、襲かさねたままの脇開わきあけを、夜目にも燃ゆる襦袢じゅばんの袖、裙すそにもちらめく紅梅に、ちらりと白足袋が脱いであり。
 そのうしろなる襖ふすまの絵の、富士の遠望とおみに影を留とどめて、藻脱もぬけの主は雪の膚はだ。空蝉うつせみの身をかえてける、寝着ねまきの衣紋えもん緩やかに、水色縮緬の扱帯しごきおび、座蒲団に褄浅う、火鉢は手許に引寄せたが、寝際に炭も注つがなければ、尉じょうになって寒そうな、銀の湯沸ゆわかしの五徳を外れて、斜ななめに口を傾けたるも旅の宿の侘わびしさなり。紫紺の紐は胸にあれども、結ばず、絣かすりの書生羽織を被かぶったように引ひっかけた。厚衾あつぶすま二組に、座敷の大抵狭められて、廊下の障子に押おしつけた、一閑張いっかんばりの机の上、抜いた指環ゆびわ、黄金きん時計、懐中ものの袱紗ふくさも見え、体温器、洋杯コップの類、メエトルグラス、グラムを刻んだ秤はかりなど、散々ちりぢりになった中に、しなやかに肱ひじをついて新聞を読む後姿。
 やや傾けたる丸髷まげの飾かざりの中差の、鼈甲べっこうの色たらたらと、打向う、洋燈ランプの光透通って、顔かんばせの月も映ろうばかり。この美人たおやめは、秋山氏、蔦子つたこという、同姓保たもつの令夫人。芳紀としの数とやや斉ひとしい、二十五番の上客である。しがみ着いて凭よりかかった、机の下で、前褄を合せながら、膝を浮して此方こなたを見向き、「番頭さん?」
「へい。」
 お辞儀、つい目の前に居られたので、向うへ頭を下げるゆとりがなく、頤おとがいを引込めて手を支ついた。
「さあ、お入んなさい。今日はまたどうしたのか、大変に寒いのね。」
 と火鉢の上に、白やかな手を翳かざした。
「どうもこの、日金颪ひがねおろしが参りますと、熱海は難でござりまする。まあ、夜分になりましてから可いい塩梅あんばいに風もちと凪なぎましてござりますが、朝ッからの吹通しで、そこいらへ針がこぼれましたように、ちくちくいたしますでござります、へい。
 つきましてでござりますが、ええ、夫人おくさま、唯今はどうも、とんだお騒がしゅう、さぞまあ吃驚びっくり、お驚き遊ばしましてござりましょう。いや、とんだ事で。」とちと渋面。
 令夫人、手を揉もみながら婀娜あだに肩を震わして、
「まあ、閉めて此方こちらへお入りなさい。」
「それでは御免を蒙こうむりまして、や、こりゃ、お火が足たしのうなりました。」
 ぽんぽんぽんと手を拍うつ。早や初夜過ぎの寂しんとして、四辺あたりへ響いたが返事がない。
「もう可よござんす、床を取ってしまったから。何ね、炭を継ごう継ごうと思いながら、つい懐手をすると不精になるんです。急に寒いもんだから恐しくいじけてしまって。」と火箸を取って品しなよく微笑む。
「さぞお身体からだに障りましょう。時に。」
 中腰で四辺あたりを眗みまわし、
「旦那様はお風呂でござりますか、お塩梅はいかがでいらっしゃいます。」
「どうもね、こう寒いと直じきに障ってなりません。つい今しがた蒸湯へおいでなさいました。大方今夜は一晩でしょう、咳せきが酷ひどくって、寝られないで困りますよ。」
 と、しめやかにいうのであった。
「ですが一番宜よろしいそうで、旦那様のような御病体は、是非その、蒸湯に限ると申します。しかし地の下の穴蔵のような処でござりますで、なおの事、吃驚びっくり遊ばしたでござりましょう。何しろ、大地震でござりますから、いや、はや。」

十三

「ほんとうに、騒ぎだったのね。」
 夫人は落着いたもののいいよう。
 喜兵衛番頭、せき心で口早に、
「だッたの、なんのとおっしゃって、熱海中引ひっくりかえるような大事おおごと、今にも十国峠が、崩れて来るか、湯の海になるかという、豪えらい事でござりました。貴女様あなたさま、夫人おくさまは。」
「私はどうもしやしなかったよ。」
「何か早や夢のよう、この世のことか、前世のことか、それとも小児こどもの時のことでござりましょうか。先刻さっきの今が、まるで五十年昔あった、火事か大洪水おおみず、それとも乱国、戦国時分かと思われますような、厭いやな、変な、凄すごいような、そうかと申すと、おかしいような、不思議なような、さればといって、また現在目の前にちらついておりますような、妙な心持でござりまして、いや、もう、この大地震は忘れましても、道具の、出たり引込ひっこんだり一件は、向後きょうごいくつになりましても、決して忘れますことではござりません、と申しあげます内も、ぞッといたしまして、どうもこの、」
 床の間のあたりが陰気に暗い。
 喜番、据腰すえごしに手を突き出し、真顔に天井を仰ぎながら、
「魔のせいでござりましょう、とな、皆みんなが、内々申合っております次第で、へい。
 そこで夫人おくさま。
 かねてお聞及びの、あの、崖の総六と申します親仁おやじが許とこの不思議な一条。」
 これは聞えていたと見え、
「ああ、あの、お茄子なすの事ですか。」
「その儀、その儀にござりますが、へい、何か見馴みなれません綺麗な鳥が、種をこぼして行ったと申して、熱海中の吉瑞きちずい、神業かみわざじゃと、皆みんなが、大抵めでたがりました事でござりますが、さてこうなってみますると、それが早や魔の業わざで、種を啣くわえて来ましたのは、定めし怪鳥けちょう、鵺ぬえじゃろうかに手前どもが存じまする。
 一体当地にこの春大地震があると、口を合わせましたようにいい出しましたのも、根はその総六が許とこの茄子なすびから起りました事。 何しろ、暮の内から御覧の通り、師走の二十日はつか前後に、公園の梅が七分咲きで、日中綿入を襲かさねますと、ちと汗が出ますくらいでござりました。
 それも当熱海の事でござりますから、さまで不思議とも存じません。畢竟ひっきょうは冬向暖いのを取柄に、湯治にいらっしゃりますわけで、土地の自慢とも存じたでござります。
 その内に崖の総六が背戸の畑に、茄子が生えたと申すので、はじめは誰もほんとうにはいたしませなんだが、立派に紫の花が咲いて、霜除しもよけに丹精した、御堂のような藁束わらづかの中に、早や小指ほどなが一体。
 茄子殿を一体も、異なものでござりますけれど、親仁が神事かみごとじゃと申すので、位がつきまして、その、一体お生なりなされた、などと見て来たものが申しますで、余り陽気違いじゃが。
 一富士二鷹三茄子と申す儀もあり、むかし聖人の代よには冬向き出来たものであろう、めでたい、と申す内に、御初穂を取りまして、お鶴ってその親仁の娘が。
 はあ、はあ、旦那様も夫人おくさまも御存じ。あの鳩のような美うつくしい目をした、さよう。手前などへも、手の入いります時は、ちょいちょいお給仕の手伝いに参りますが、腕白でな。
 その癖、熱海一という別嬪べっぴんでござりますが、から野鳥のどりでござりまして、よく御存じでいらっしゃらないで、悪く御串戯ごじょうだんをなさるお客様は、目潰めつぶしの羽ばたきをされてお怒りなさります。またよく御承知の方は恐ろしく御贔屓ごひいきで、あの娘の渾名あだなが通りました、千鳥の一曲、所望じゃなどとおっしゃりまする。
 それが、使ではるばる小田原の総鎮守、城の森のお宮まで、暮に持って行ったでござります。十四五里日帰りにいたしまして、へい、何、そのくらいの事は、あの娘にゃわけなしで、手前どもが朝飯を頂きます時分、もう真鶴を越して、お関所にかかりましたという話。
 これは帰ってから手前どもへ参った時、ききましたのでござりますが。ええ、首尾よくお宮へ献納いたして、一ひとつ、この度、何々して奇特の段神妙候、藤原の何某なにがし、びたりと判の据わった大奉書を戴いただいて、崖へ戻りますと、それから、皆様へお目にかけますというので、娘がいつも世話になります、湯宿々々の主人の許とこへ、一ツずつ九軒ばかり、ずらりと配りましたのでござります。」
 ここで番頭苦笑一番。
「どこの主人も慾張よくばっておりますから、大層縁起がって、つるりと鵜呑うのみ。地震の卵と知れてからは、何とも申されぬ心持。」

十四

「中には諺ことわざにも申します、一口茄子なすに食してやるは可惜あったらもの、勿体ないと、神棚へ上げて燈明みあかしの燈心を殖ふやしまして、ほほう、茄子ほどな丁子ちょうじが立った、と大層縁起がっていたのもありまするそうでござりますが、さあ、それが大地震の前兆だとなると、不気味千万。
 取棄てようにも、下そうにも、揺れ出しそうで手がつけられませず。そうかといって、そのままにしておけば、それなりに転げ落ちて、そこから大地が破われるだろうと、愚にもつきませんが気が寄って取越苦労、昇天する蛇玉じゃだまでも祭籠まつりこめたように、寝る間も気扱いをしましたそうで。
 手前主人などは、その鵜呑みの方でござりましたから、腹の中をくるくる廻って、時々咽喉のどへつかえると、癪持しゃくもち同然。そのたんびに目を白ッ黒いたして悩みましてござりまする。」
「いかなこッても、ほほほほ。」
「へい、いえ、それでも貴女様、何なんしろこの騒ぎをいたそうという前兆でござりまするから、風説うわさをほんとうにしましたぐらいは、何でもござりません。
 そうかと思う、兆しるしを見せて下すった、天道様の思召おぼしめしじゃ、まんざら、熱海を海になすって、八兵衛鯛だい、理右衛門鰈がれい、鉄蔵鰒ふぐ、正助章魚だこなんぞに、こちとらを遊ばそうというわけでもあるまい。
 してみれば、この茄子は、災難よけのお守護まもりだ、と細かに刻んで、家中うちじゅう持っておりました処とこもござります。
 それがと申すと、はじめは瑞祥ずいしょうだと申しましたのを、娘が奉納して帰りました時分から、誰いうとなく、この春は大地震がある、大地震があるといい出しまして、手前なんざ、一日に五六たび、違った人の口から聞きましたのがはじまりでございまして。
 ええ、最初、やはりあの竹でござりました。番頭さん、この頃に大地震がありますッてね、と帳場へ来て申しますから、何を馬鹿な、と気にも留めませんで、それから二階の六番へ。
 ちょうどこの上のお座敷でござります、そこへ機嫌ききに参りますると、六十五になる御法体ごほったいの隠居様。番頭どのや、厭な風説うわさがあるの、今湯殿で聞いて来ました。三人が五人、皆みんな大地震があるといっておられたが、とこうでござりましょう。 へい、いいえ、一向に存じません、さようなことが、と申したものの、ちと変な気になって、下へ下りますと、暖簾のれんから、内のおかみさんが半分からだを出していなすって、喜兵衛や、湯の熱さにかわりはないかい、大地震があるというから、と屈託そう、ちと血の道気けな処、青ざめておいでなさる。
 そこへ勝手口から、魚を仕入れて来た金公と申します板前が、大変な風説うわさです、地震の前で海があおっと見えまして、この不漁しけなこと御覧じやし、蠣かき、鮑あわび、鳥貝、栄螺さざえ、貝ばかりだ、と大呼吸いきをついております。
 私は肥満ふとっているから遁にげられぬ、と鍋釜なべがまの前で貧乏ゆすり。
 処へ、毎朝海岸まで、お太陽ひさまを拝みに行きます、旦那が、出入りの賀の市という按摩あんまと、連立って帰りました。
 門口かどぐちで分れる時、お互だ、しかし、かえってお前のような不具かたわが無事に助かるもんだ、とこういって台所へ。
 喜兵衛出て見ろ、何と妙な日の色だぜ。
 さあ、こうなると、がッがあッと、昼夜に三度ずつ、峠の上まで湯気が渦まいて上ります、総湯の沸きます音が物凄ものすごうなりましたわ。
 気のせいか、熱湯を引いてあります土間を踏むと、足の裏が焦げますようなり、魚見岬へ水柱が立ったといえば、誰が乗るともなく、船がずんずん漕こぎ出して行く、影法師が見えるといいます。
 土地の人気にかかわるからと、なりたけはお客様に、かくしておくにゃおきましたものの、七草が過ぎます時分から、もう、ちらほら、そのために、たってお帰りになりますのが、手前どもばかりじゃござりません、あちらに二組、……こっちに三組。」

十五

「またそうまでにはなさらぬお方も、いざ、という時の御用心に、手廻りのものなんざ、御寝げしなります時、枕許まくらもとへお引きつけ遊ばしてお置きになります始末。
 そうでもござりましょうか、――先刻さっきの騒動の最中、この家ならびで二軒さきの玉喜屋の表二階で、仁王立になって、ばらばら、ばらばら、大道へ品物を投げ出していた方がござりますそうな。
 へい。」といったまま、きょとん。
「だって、地震だって、恐しい騒ぎだけれど、ちっとも揺れもどうもしないんだもの。」
 喜番、呼吸いきをつめて、ややあって、
「成程なあッ。」
 といい、
「でござりますな、そこでござりますな、いかにも揺れはいたしません。また根もない地震に、大地が揺れたり、三階建がぐらついたりしては堪たまったものじゃござりません。
 けれども夫人おくさま、貴女様は、ちゃんとここへ、魂が落着いておいでなさりますからで。
 どうして手前なぞは、そりゃ地震、と聞いたが最後。
 先刻、あの騒さわぎの時は、帳場に坐っておりましたが、驚破すわというと、ただかっといたして、もうそれが、地じの底だか、天上だか分りません。
 天窓あたまがぐらぐらとすると、目がくらんでしまいまして、揺れるか、揺れんか、考えておりますようなゆとりはないのでござります。
 主人は真先まっさきに、戸外おもてへ、鉄砲玉のように飛出しました。おかみさんも、刎起はねおきて、突立つったったにゃ突立ちましたが、腰がふらついて歩行あるけませんので、大黒柱につかまって、おしッこをするように震えています。手前は、その、……四這よつんばいに這いました。
 座敷々々のお客人も一時いっときに湧わきましてな、一人として静じっとなすっていらっしゃったお方はないので、手前どもにゃ僥倖しあわせと、怪我をなすった方もござりませんが。
 それでも竹、へい、あの粋いきがった年増としまの女中でござります。あれは貴女、二階の七しち番からお膳ぜんを下げまして、ちょうど表階子おもてばしごの下口おりぐちへかかりました処で、ソレ地震でござりましょう。ドンと腰を抜きました拍子に、トントントントンと、一段ずつ俵が転がったように落ちたでござります。どういう拍子か、背中を強く擦剥すりむきまして、灸きゅうのあとから走るように血が流れたんで、二ツに裂けたという騒動、もっともひきつけてしまいました、へい、何、別条はござりません。
 落胆がっかりして、お腹なかが空すいたと申して、勝手でお茶漬を掻込かっこんでおるでござりますが、な。
 機会はずみと申すは希代なもので、竹がその腰をつきます時に、投ほうりましたお膳でございますが、窓からぽんと物干の上へ飛び出しまして、何と、小皿も箸はしも、お茶碗なんざ蓋ふたをいたしましたままで、お月様へ供えまする体てい、や、どうも。」「まあ。」
「あとで大笑いいたしたことでござります。まず手前どもでは珍事がその位で済みましてございますが、お向うの伊東屋なぞでは、貴女、御夫婦抱き合って、二階から戸外おもてへお飛びなすって、大怪我をなさいました方がござります。
 何しろ、一時は人の波が沸きましたように、上下うえしたへ覆かえしまして、どどどど廊下を駈かけます音、がたびし戸障子の外れる響ひびき、中には泣くやら、喚わめくやら、ひどいのはその顛倒てんどうで、洋燈ランプを引ひっくらかえして、小火ぼやになりかけた家もござりますなり。
 一体何屋の二階から騒ぎ出したとも、どこの内証から、喚きはじめたとも分りません。
 一騒ぎ鎮まりましてから、門口では隣ずから、内では部屋々々の御見舞。仲間うち、土地のもの、お客様方に伺いましても、そら、地震だと、轟ごうとなったのが、ちょうど九時半、ちとすぎ、かれこれ十時とも申しまして、この山の取着とッつきから海岸まで、五百に近い家が、不思議に同一おなじ時刻。
 まあまあ、かねて大地震がある、大地震があると申しておりましたので、どこか一軒、神棚から御神酒おみき徳利でも落ちましたのを、慌てて地震と申したのが、家から家へ、ものの五分間ともたちませぬ内に、熱海中、鳴り渡りました儀かとも存じまするが。」

十六

「そういたしますると、東の詰つめで、山に近い対孝館あたりが、右の徳利一件で、地震の源かとも思われまする。
 殊にそれ、湯の噴出ふきだします巌穴いわあなが直じき横手にござりますんで、ガタリといえば、ワッと申す、同一おなじ気の迷まよいなら、真先まっさきがけの道理なのでござりますが、様子を承りますと、何、あすこじゃまた、北隣の大島楼が、さきへ騒いだとか申します。
 それじゃ起因おこりは海の方、なるほど始終、浪が小石を打ぶッつけます、特別その音でも聞違えて、それで慌てたかとも存じられますが、またそれにいたしますと、北のはずれの菱屋ひしやでは、南隣がさきへ鳴り立ったと申しますな。東も、西も、その通とおり。何でも申合わせたように、影も形もない大地震が、ぐるぐる渦を巻いて、熱海を揉もみましたので、通り魔のせいでもござりましょうか。
 何でもこの騒ぎがなくッちゃ治おさまりません、因縁事とも相見えまして、町をはなれました、寺も、宮も。鎮守の神主殿は、あの境内の大樟おおくすへかじりついたと申しますなり、妙蓮寺の和尚様は、裏の竹藪たけやぶへ遁込にげこみましたと申します。
 あの方たちさえ、その驚き工合ぐあい、御覧ごろうじまし、我等風情が、生命いのちの瀬戸際と狼狙うろたえましたも、無理ではなかろうかように考えまする、へい。」
「そうですね、あんまり物音が烈はげしいから、私はまた火事ででもあるのか知らんと思ったよ。」
「ええええ、火事と申せば洪水おおみずのようでもござりまして。中にも稀有けうな事でござりましたのは、貴女、万歳楽万歳楽と、屋根にも物干にも物凄う聞えます内、戸外おもて通りはどうした訳か。
 ずらりと、道具衣服の類。
 革鞄かばんもござりますれば、貴女、煙草たばこ盆、枕、こりゃ慌てて抱えて出たものがあると見えます。葛籠つづら、風呂敷包、申上げます迄もござりません。それから夜具、かねて心得た人があると見えまして、天窓あたまへ被かぶって、地震の時はと、瓦かわらの用心でござりましょう。扱帯しごきおびがずるずると曳摺ひきずっていたり、羽織がふうわり廂ひさしへかかっておりますな、下駄、蝙蝠傘こうもりがさ、提灯ちょうちん、正まさしく手前方の前なんぞは、何がどう間違ったものでござりますか、大おおきな洗濯盥だらいが転がっておりましたわ。
 何の事はござりません。右の品々が、山から突抜けに海岸まで、大通りへ、ちりちりばらばら。裏道小町はさもなかったそうでござりますが、通とおり一筋道は、まるで、諸道具、衣類、調度が押流されました体裁ていたらく、足の踏所もござりませなんだ。
 こりゃ現に、手前、軒下へ出て見ましたが、降ったか、湧わいたか、流れて来たか、何のことはござりません、皆みんな翼が生えて飛んで来て、空から雁がんが下りたと申す形体ぎょうたい。 唯今ただいまは凄いほど、星がきらついて参りましたが、先刻、その時分は、どんよりして、まるで四月なかばの朧月夜おぼろづきよ見たような空合、各自てんでに血が上っておりましたせいか、今日の寒さに、皆みんな汗を掻かいたでござります。
 あとが哄どっと笑いになって、陽気に片附けば、まだしもでござりますに、喚わめいたものより、転んだもの、転んだものより、落ちたもの、落ちたものよりゃ、また飛とんだもの、手まわり持参で駈出したわ、夜具をかぶって遁にげ出したわ、怪我をしたわ、と罪の重いものほど、あんまりその智慧ちえの無さ、斬きられた夢を見て目をまわしたような外聞でござりますから、誰一人にん、己おれが騒いだというものはござりません、その二階から飛んだといった、御夫婦のような大怪我は格別。
 大概の打傷、擦傷、筋を違えなどは、内分にして、膏薬こうやくも焼酎しょうちゅうも夜があけてから隠密こっそりという了簡りょうけん。
 ありようは手前なども、少々手負。が、遁傷にげきずでござりまして、女中どもの前もいかが、へい、知らん顔で居りまするようなわけ。
 でござりまするから、往来ちりぢりの衣類諸道具、いつの間にやら、半時も経たちませぬ内に、綺麗に掃いたように無くなりました。誰が取り入れたということもござりませんで。
 余りさっぱり。
 最初その車に積んだら、大八にざっと四五十台とも覚えましたのが、地震が鎮まりますと忽然こつねんで、盆踊りのあとじゃござりませんから、鼻紙一枚落ちちゃいず、お祭のあとでござりませんから、竹の皮一片ひとひら見えなくなってしまったでござりますわ。」


神妙候

十七

「これ等はごく御用心の宜よろしい方で。なるほど、揺れません地震でござりましたもの、いくらでも荷は出せますが、しかしその荷物を投ほうり出していた方が、白い浴衣を着た、見上げるような大入道だったと、申して、例のどんよりした薄明うすあかりじゃござりますし、ちょうどその時分、どこからともなく衣類きものや鞄かばんなどが降った最中、それを見たものが、魔ものじゃと申します。
 また同一おなじ時刻に、降って来る荷物の中、落ちて来る衣類の中を、掻い潜くぐり掻い潜り、溜たまった上を飛び越え飛び越え、浪に乗って行くように、ずッと山の手から、海ッぷちまでを、みだれ髪で、丈せの小造こづくりな、十五六とも見える、女が一人、蝶鳥なんどのように、路を千鳥がけに、しばらく刎はね廻っておりましたが、ただもう四辺あたりは陰に籠こもって、烈はげしい物音がきこえますほど、かえって寂しんとして、駈出したものも軒下に突伏つっぷしたり、往来に転んだきりだったり。
 通ったはその小娘ばかりで、やがて床屋から小火ぼやが出て、わッという紛れにそれなりけり。
 どこへ消えましたやら、見えなくなったと申しますが、いずれな……魔いっけんがな。
 何でも熱海を掻攪かきみだして、一時ひときりお遊びになりましたものと見えます。
 とその茄子なすでござりますで。」
「ああ、それが、」
 番頭は一呼吸ひといきつき、
「それが、根元もとと申しますのは、地体この地震の風説うわさは、師走以来こちらの陽気から起ったのでござりましょう。それとても年内に梅が咲きますくらいは何とも気にはなりませんが、ただ、茄子が生なったのは、前代未聞じゃ、と申して、それからの事で。
 特ことに、小田原へ使いに参った娘から聞きますと、それをまた、宮で受け取った神官かんぬしと申すのが、容易なりません風体。
 森々しんしんと樹の茂った、お城の森の奥深く、貴女様、高く上りますのでござりますが、またこの石段がこわれごわれで、角の欠けた工合ぐあい、苔こけの蒸しました塩梅あんばい、まるで、松の鱗うろこが、蛇の幹を攀よじますようで、上に御堂みどう、これも大破。
 お鶴が石壇にかかりますと、もう遥はるか奥に、鏡が一面、きらきらと蒼あおい月のように光ります前に、白丁はくちょうを着た姿が見えたといいます。 境内は常磐樹ときわぎのしとりで水を打ったかと思うばかり、塵ちり一ひとっ葉ぱもなしに、神寂かみさびまして、土の香がプンとする、階段の許とこまで参りますと、向うでは、待っていたという形。
 希代ではござりませんか。
 神職は留守じゃが、身が預る、と申したのが、ぼやっと、法螺ほらの貝を吹きますような、籠った音声おんじょう。鼻から頤おとがいまで、馬づらにだぶだぶした、口の長い、顔の大きな、脊せいは四尺にも足りぬ小さな神官かんぬしでござりましたそうな。ええ、夫人おくさま。」と陰気になる。
 夫人は寂しい顔して、袖を掻合わせて、しばらくして、
「まあ、厭ねえ。」
「でその、廊下から屈かがんで乗り出し、下から跪ひざまずいて出しました娘の貢物くもつを受け取つて、高く頂き、よたりと背後うしろむきになりますると、腰を振ってひょこひょこと、棟から操あやつりの糸で釣るされたような足取りで、煤すすけた板戸の罅破ひびわれた形なりの口へ消えますと、やがて、お三方を据えて、またよたよたと持って出ましたのが、前ぜん申上げました、大奉書で。
 件くだんの(神妙候)は、濃い墨で、立派に書いてござりますそうなが、(藤原何某なにがし、)と名書がきの下へ、押しました判というのが、これが大変。」

十八

「書き判を、こうの、こうの、こうこう、こう! でもござりませんければ、朱肉を真四角まっしかく、べたりでもござりません。薄墨でな、ひょろりと掌てのひらを一ツ圧おしました、これが人間でござりません。
 およそ嬰児あかんぼの今開けました掌ぐらい、その痩やせましたこと、からびた木この葉で、塗なすりつけました形、まるで鳥で。
 そうかと思いますとまた、墨の染にじんだあとが、さもさも獣けだものの毛で、猿えてそっくり。
 見たものの話でござりますが、これを一目の時、震え上って、すぐに地震、と転倒てんどういたしましたそうで、ここで誰も大地震の前触まえぶれを、虚言そらごととは思いませんようになりました。
 処を日増の暖気で、その心持の悪い事と申したら、今日にも、明日にも、今にもと、帯を解いて寝るものはなかったのでござりまする。
 すると、今朝ッからのこの寒気。峠の霜は針の山、熱海はたちまち八寒地獄、日金がおろして来ましたので、烈しい陽気の変りよう、今日が危い、とまた誰いうとなく、湯殿の話、辻の風説うわさ、会うものごとに申し伝えて、時計の針が一つ一つ生命いのちを削りますようで、皆、下衣したぎの襟を開けるほど、胸が苦しゅうござりましたわ。
 その癖朝の内から蒼あおい玻璃ビイドロ見たような晴天で、昨日きのうも一昨日おとついも、総六が崖の上から、十国峠の上に三日続けて見ましたという、つくね芋の形をした重い雲が影もないので、せめてもの心やりにしました処、暮六ツ前から、どんよりいたしましたのが、日が暮れると、あの朧おぼろ、風かぜが小留おやんだと思いますと、また少し寒さが戻りまして、変に暖くなる、と気のせいでござりましょうか。厭にあかりが薄暗くなったでござります。滅入めいって息が詰つまりそうで、ぼんやり、手前などは、畳を見詰めておりました。
 その畳の目が貴女様。
 むくむくと持上って、𤏋ぱっと消えて、下の根太板ねだいたが、凸凹でこぼこになったと思うと、きゃッという声がして、がらがら轟ごう、ぐわッと、早や、耳が潰つぶれて、四よつン這ばいの例の一件。
 いや、何とも早や異変なことで。」
 調子づいて語り果てた、番頭ふと心着いて、
「へへへへへ。」
 何ともつかず笑ったが、大分夜が更けたという顔色かおつき。
「しかし、何事もなくッて可いい塩梅あんばいだったのね。」
 夫人は、さして退屈らしくも見えなかった。
「へいへい、お庇かげさまで、まずこれで、今夜から枕を高う寐ねられまする。へい、ざっと事済ことずみ。 こうまた気が揃ったように大地震々々と申しましては、何事かございませんでは、無事に果てますものではないでござります。
 ははははは。」
 機会きっかけもなしにまた笑い、
「まあ、まあ、御安心を遊ばして御寝げしなりまし、と申しました処で、夫人おくさまは何も手前どものように、ちっともお驚きなりませんのでござりますから、別に。」
 といって、照れ坊主、禿はげた処をまっすぐに指で圧おさえ、
「ええ、ついその一月ばかりの屈託が抜けました嬉しさで、貴女様はお馴染なじみの余り、とんだ長話をいたしました。
 慌てもの、臆病もの、大寄合のお伽話とぎばなし。夜分御徒然ごとぜんの折から、お笑い草にもあいなりますれば、手前とんだその大手柄でござりまする。」
「いえ、まさかとは思っても、こないだ中のような風説うわさを聞くと、好い心持はしませんよ、私も気になっていたんです。」
 火箸に手を載のせ、艶麗あでやかに打微笑うちほほえみ、
「おめでとう。」
「へいッ。」
 と手をつき、
「おめでとう存じまする。」


御曹子

十九

「ですが地震はただ可いい加減な、当推量じゃあったでしょうが、何なの、崖の総六の娘さんとかが、小田原へ貢物みつぎものを持って行って、怪あやしい神主に、受取を貰って来た、判に獣けだもののような手のあとが押してあったというのはほんとう?」
 喜番この時立ち構えで、腰を廊下へ退ひきながら、
「ええも、それは貴女様、ほんとうの事でござりますとも。」
「真暗まっくらな森の中の破れたお堂に、神主は留守だといって、その鼻と口と一所にだぶだぶと突出した大顔の、小さな人……何だか気味が悪いことね。」
 と座敷の三ツの隅を見たら、もっとも座にした片隅だけは、洋燈ランプを置いて明るかった。
「全く変でござりますよ。」
「内じゃお客様が多いから、離れた処で、二室ふたま借りておくけれど、こんな時はお隣が空室あきまだと寂さびしいのね。ほほほほほ、」
 但し自からその怪あやしみを消して笑ったので。軽かろからぬ肺病のため、しばらく休養をしているけれども、正に蒸風呂に籠こもれり、とあった、秋山氏は、名高き……県の警部長である。
 良人おっとの職掌に対しても、であるけれども、病ゆえには心弱く、夫人は毎夜、更けて静しずかな湯殿の廊下を、人知れずお百度というもの踏む。
 折から身に染む物語。
「大方何ね、その娘に、魔がさしたとでもいうんだろうね。」
「御意、御意にござりまして、へい、娘とは申しません、一体崖の親仁おやじの許とこに魔が魅さしましたのでござりましょう、その相伴をいたしました熱海中がかくの騒動。彼家あすこも無事なれば宜よろしゅうござりますが、妙齢としごろの娘、ちと器量が好よ過ぎますので、心配なものでござります。
 などと申しますと、手前岡焼でもいたしますようで、ははははは。」
 老功に笑って退のけ、仰向あおむいて障子を窃そっと。
「まず、おしずまりなされまし、お座敷へも、とんだお邪魔がさしました。」
 しかり、魔か、鬼か、崖の総六が小屋に、魅入ったのは事実であった。
 翌日になって一切明白。当時関八州を横行おうぎょうして、変幻出没、渚なぎさの網に陽炎かげろうの影かげも留とどめず、名のみ御曹子万綱おんぞうしまんつなと、音に聞えた大盗あり。
 鐘も響かぬ山家やまがにさえ、寝覚ねざめに跫音あしおと轟とどろいたが、哄どっと伊豆の国を襲ったので、熱海における大地震は、すなわち渠等かれらが予言の計略。
 文武官、農、工、商、思い思いに姿を変じた、御曹子が配下の賊徒、八面に手分をなし、湯宿々々に埋伏まいふくして、妖鬼ようき家やごとを圧したが、日金颪に気候の激変、時こそ来たれと万弩まんど一発、驚破すわ! 鎌倉の声とともに、十方から呼吸を合はせ、七転八倒の騒さわぎに紛れて、妻子珍宝掴つかみ次第。
 就中なかんずく、風呂敷にも袂たもとにも懐にも盗みあまって、手当てあたり次第に家々から、夥間なかまが大道へ投散らした、霰あられのごとき衣類調度は、ひた流しにずるずると、山から海へ掃き出して、ここにあらかじめ纜もやった船に、堆うずたかく積み上げた。 宝の山を暗まぎれ、首領かしらの隠家に泳がそうと、潵しぶきのかかる巌陰いわかげに艪ろづかを掴んで、白髪しらがを乱して控えたのは、崖の小屋の総六で、これが明方名告なのって出た。
 ただ、万綱はじめ、手下の誰彼たれかれ幾十人、一人として影を見せず、あとは通魔とおりまの鳴なりを鎮めて、日金颪の凪なぎたるよう。
 さればこそ土地のものは、総六に魔が魅さしたといった。正直の通った親仁は、やがて、ただ通りがかりの旅の客に、船を一艘そう頼まれたとばかり、情を解せざる故をもて、程なく囚ひとやを免ゆるされた。
 と前後して、崖の小屋に一個の人物。

二十

 年紀としの頃三十四五の客が出来た。その人、眉秀で、鼻隆たかく、白皙はくせき俊秀にして盲めしいたり。長唄を歌って美音、尺八を吹き、琴を弾じ、古今の物語をよくして、弁舌爽さわやかに、世話講談の座敷が勤まる。就中なかんずく琵琶びわに堪能たんのうで、娘に手をひかれながら、宿屋々々に請ぜられて、安やすらかに、親娘おやこを過ごすようになった。
 ここで諸人横手を拍うって、曰く、はるばる小田原の鎮守に貢した、神妙候奇特につき、総六の産神うぶすなが下したもうた婿であると。この何者かは誰にも分らぬ。
 単ひとりこれを知るものは、秋山警部長の夫人蔦子であった。
 番頭が辷すべり出て、廊下に跫音あしおとの消えたあと、夫人はかねて、しかなさんと期したるごとく、すらりと立った衣きぬの音、障子に手をかけ、まず、紙を隔てて、桟に﨟ろうたけた眉を載せた。
 やがて、細目に密そっとあけると、左は喜兵衛の伝った方かた、右は空室あきまで燈影ひかげもない。そこから角かくに折れ曲って、向うへ渡る長廊下。両方壁の突当つきあたりは、梯子壇はしごだんの上口、新しい欄干てすりが見えて、仄ほのかに明あかりがついている。此方こなたに水に光を帯びた冷い影の映るのは一面の姿見で、向い合って、流しがある。手桶ておけを、ぼた――ぼた――雫しずくの音。寂しんとして、谷の筧かけひの趣あり。雲山岫さんしゅうに湧わくごとく、白気件くだんの欄干を籠めて、薄くむらむらと靉靆たなびくのは、そこから下りる地の底なる蒸風呂の、煉瓦れんがを漏れ出いづる湯気である。
 眗みまわして、音なく閉め、一足運びざまに身を反そらした、燈火ともしびを背にすると、影になって暗さがました、塗枕の置かれたる、その身の閨ねやのふちを伝うて、膨ふくらかな夜具の裳すそ、羽織の袖が畳に落ちると、片膝を軽くついた。
 手を上に載せて、斜めに差覗さしのぞくようにして、
「お出な。」
 むッくり下から掻い上げ、押出すようにするりと半身、夜具の紅裏もみうら牡丹花ぼたんかの、咲乱れたる花片はなびらに、裙すそを包んだ美女たおやめあり。
 いかなる状さまにや結いにけむ、手絡てがらの切きれも、結んだるあとの縺もつれもありながら、黒髪はらりと肩に乱れて、狂える獅子の鬣たてがみした、俯伏うつぶせなのが起返る。顔には桃の露を帯び、眉に柳の雫しずくをかけて、しっとりと汗ばんだが、その時ずッと座を開けて、再び燈ともしびを蔽おおうて住すまった、夫人を見つつ恍惚うっとりと、目を円つぶらかに瞻みまもった、胸にぶらりと手帳の括くくりに、鉛筆の色の紫を、太白の糸で結んで、時計のように掛けたのは、総六の娘お鶴。「よく、お前、呼吸いきを殺していられてね、苦しいだろう、湯か、お水ひやでも上げようかい。」
 膝さし寄せてひそめきいう。
「いいえ、私、沢山、水を飲みました。」
 振仰向ふりあおむいて手をついたり。
「お水ひやを?」
「あの、お床の中で、」
「床の中で?」
「はい、私、海の中で、水潜みずくぐりをしますように、一生懸命に、呼吸いきをしないでいたんです。
 でもしばらくですもの。
 もう堪え切れなくッて、沢山どっさり水を飲みました。私、泳げますようになってから、潜っていて、水を飲みましたのは、これでたった二度なんです。ですから、あの、水を飲みましたからこんなですよ。」
 とわなわなふるえが留とどまらず、髪も揺ゆらいであはれであった。
「可哀相ねえ、よく辛抱をおしだった。
 でもね、そうしないと、今時分、思いがけない処にお前が居るんだもの、直すぐに気がつかれて、怪あやしまれないじゃ済みません。
 それにね、何、お鶴さん。」
 夫人は一際声を密ひそめ、
「ここの内の番頭がね、ああ見えて、内証ないしょで警察の御用なんか聞くんだから。」

二十一

「それが談話はなしに来たんだもの、私はもうてっきり。お前さんたちのした事が分って、この宿でも紛失ものが知れたから、旦那に相談にでも来た事と思って、何か聞いている内も、はらはらして気が気じゃなかったの。
 もう方々でも鎮まって、かれこれ盗とられたものの気の附く時分なんだけれど、騒ぎがあんまり酷ひどかったから、まだ皆みんな心が落着かないでいるんだよ。
 もう今に知れます。そうすると、直すぐにまた番頭が遣って来ます、何だか、私は、お前が何だか。」
 とみこうみたる目の優しさ。
「可哀相でならないから、委くわしく、いろんな話を聞いてみたいけれど、そんな、悠長な間はないんだもの。そうでもない、旦那が蒸湯から、帰っていらっしゃらないとも限りませんから、また逢える事もありましょう。さあ、今の中うち。
 おお、そうして何かい、その手帳と、鉛筆なの。その人が呉くれたというのは、」
「ええ。」
 両手を支ついたまま、がッくりと頷うなずくと、糸を引いて、ばたりと畳へ、衾ふすまにかくれて取乱した、衣紋えもんをこぼれてはらりと開く。
 これ見てといわぬばかり、
「奥様。」
 と悄しおれていう。
 何心なく取ろうとして、思わず背後うしろへ手を退ひいた。
「まあ、気味の悪いこと。」
 お鶴は屹きっと顔を上げて、清すずしい瞳に怨うらみを籠め、
「ちっとも、あの汚いことはありません、私、いつもこの胸の処に持っております。」と判然はっきりいうのと顔を合わせた。
 あわれ、何しに御身おんみの膚はだえに汚けがるべき。夫人はただかつてそれが、兇賊きょうぞくの持物であったことを知って、ために不気味に思ったのである。
 しばらく熟じっと見守ったが、
「ああ、悪かった、雲はかかっても晴れれば月、私のいったのはそうではない。考えれば、旦那の御病気、肺病はうつるもの、うつるといってそれを厭いとって、一度お持ちなすったものを、人がもし嫌ったら、私の心はどんなだろう。
 たとえ騙賊かたりでも、盗賊どろぼうでも、お前に取っては大事な御主人。
 私が悪うござんした。」
 としみじみいって、燈ともしを躱かぼうた身体からだを傍わきへずらしながら、その一ペエジを差覗さしのぞいて、
「おや。」
「…………」
「紫の鉛筆で、私の座敷の目星いものを取っておいで、と書いたわねえ。」
「あの、その人は、この家うちの二階に泊っていたんです。」
「そうだってね。」
「そしてどこよりか、念にかけていたんですって。でも貴女あなたが、ちっともお騒ぎなさいませんから、此室こちらで仕事が出来なくッて、それで、あの尋常ただの方なら可いけれど、恐いお役人様なんで、手が出せなかったようで口惜くやしいからッて、これを私に書きましたの。」
「そのために来たのかい。まあ、」
 と今更見詰めながら、
「何と思って、ええ、厭だっていわれなかったかい。」
「…………あの、あの方がいったんですから。家来は大勢居ましたけれど、誰も手出しが出来ないんですって。」
「そうねえ。」
 あの方だから、というものを、夫人は諭すべき言ことばもなく、「大勢居て?」
「はい、十四五人。」
「何、そうして魚見岬の下だって。」
「あの、大おおきな巌いわだの、小ちいさな巌だの、すくすくして、浪の打ちます処に、黒くなって、皆みんな、あの、目を光らかして、五百羅漢みたように、腰かけているんです。」


黒影、白気

二十二

「じゃ、お前が、あの方という人はえ?」
「あの方は、一番高い尖とんがった巌の上に、真暗まっくらな中に、黒い外套がいとうにくるまって、足を投げ出して、皆みんなの取って来たものを指環ゆびわだの、黄金きん時計だの、お金子かねだの、一人々々、数をいいますのを、黙って聞いておりました。」
 かえって夫人がさしうつむいた、顔を見るだに哀あわれさに、傍かたえへそらす目の遣場やりば、件くだんの手帳を読むともなく、はらはらと四五枚かえして、
「星があっても暗かったろう。」
「遠くの沖で時々浪が光ります、あのこの鉛筆のような紫色に。
 その他ほかは、闇やみだったんです。」
「でも、よく手帳へ書けたのね。」
「蒼あおい色に燃えますマッチを摺するんです。そうすると、明あかるくなって、巌いわに附着くッついた、皆みんなの形が、顔も衣服きものも蒼黒くなって、あの、大おおきな鮪まぐろが、巌に附着いておりますようで、打着ぶつかります浪の潵しぶきが白くかかって見えました。
 前刻さっき、奥様がお座敷にいらっしゃらない処へ入って、私、よっぽど盗とったんです。そうして洋燈ランプを吹消して出ようとして見ますと、あの向うの蒸風呂の壇を上っておいでなすって、どこへも遁にげられませんから、洋燈を消して、壁に附着いて屈かがんだんです。
 でも、ずんずんいらっしゃって、座敷へ入りそうになりましたから、私、蒼い灯をつけて威おどかしたでしょう。
 え、え。
 でも、恐がらないで、おや、お前かいッておっしゃいました。
 あの時摺ったマッチですわ。
 私、ここに持っております。」
 と、帯の間に手を入れる。
「可いよ。可いよ、見なくっても大事ないよ。」
 余りの事に、さるにても、なお瞻みまもらるるお鶴の顔。
「でも何、先刻さっき私を威おどかしたのは、あれはお前が考えたの。」
「いいえ、ここへ来ましょうと、巌いわを下ります時に、暗がりから、誰だか教えてくれたんです。」
「何といって、さあ。」
 夫人は忍び音ねを震わした。
「対手あいては婦人おんなだ、それに、お百度を踏もうという信心者だから、遣損なったら、威すと可い。遁にげるだけは仔細しさいはないッて、」
「あれ、そんなことまで知っているのかねえ。」
「はい、そしてあの、十二時を過ぎてから、お百度をなさいますから、その隙ひまにッて、いいましたんです。でも、来て、あの姿見の向うの流しの硝子戸がらすどから覗のぞきますと、映りましたのは私ばッかりで、奥様はお座敷にも廊下にも見えなさいませんから、この間と思って、飛込んだんでございますわ。」
「であの、そこへ集っただけで皆みんな?」
「いいえ、仕事をするとすぐに。」
 ちりちりばらばら。
「三島へ遁げるのもありますし、峠を越して函嶺はこねへ行ったのもございますし、湯河原を出て吉浜、もうその時分は、お関所辺あたりで、ゆっくり紙幣さつを勘定しているものもあろうし、峠の棄石すていしへ腰をかけて、盗んだ時計で、時間を見ているのもあるだろうッて、浪の音の合間々々に、皆みんなが話していたんです。」
「大概どのくらいな仕事だとか、その人はいっちゃいなかったの。」
「内端うちわに積りまして一万円ばかりですって。」
「大変なこッたねえ、それから、何、お鶴さん、その人の名は何というの。いいえ、大丈夫、私の命がなくなっても、とお百度を拝んでいる、観音様の御名にかけて、きっと人にはいわないから。」
「万綱っていうんです。」
「ああ、そうでしょう。それからその手下の衆しゅの名は知らないかい。」
「はい、地震が済むと、私と二人で、そこら歩行あるきながら、巌の上へ参りました、しばらく経たちますと、一人来たり、三人来たり、ぴちゃぴちゃ、潮のふるえる音がしました。 あの方が、皆みんな揃ったかッていいました。」
「そうすると……」

二十三

「来るだけは不残のこらず来ました。誰々だって、そういいましたら、伊豆の伊八、四丁艪しちょうろの甚太夫、鯰なまずの勘七、縄抜の正太郎、飛乗の音吉、秋刀魚さんまの竹蔵、むささびの三次、――あのこの人の声だったんです、私に奥様のことを教えましたのは、」
 夫人はお鶴の記憶の可いのと、耳の敏さとい、利発さと、そのかくのごとき運命とに、ただ何となく慄然ぞっとした。
「それから、あの、」
 小指を折って、
「吹雪の熊太、韋駄天弥助いだてんやすけ、書生の源、あの、太い声で、六尺坊の悪右衛門っていったんです。」
 蔦屋の二階に仁王だちで、通とおりへ礫つぶてなげに贓物しろものをこかしていた。大道に腰を抜いたものの、魔神が荒るると見たというは、この入道の事なりけり。
「お待ち。」
 と夫人が声をかける。裏階子うちばしごを上る音、ただトントンと聞えて止やむ。
 耳を澄まして、
「どうも、気がせいてならないけれど、このままでは案じられるねえ。
 ああ、何なの、そうしてお前の帰るのを、そこで待っているのかい。」
「あらためて私の許とこを、皆みんなにひきあわせて、おかみさんにするんですって。」
「おかみさんに、お、お前それが嬉うれしいの。」
「はい。」と猶予ためらわず答えたのである。
 夫人はやや言ことば急に、
「じゃあ、お前、盗賊どろぼうが好すきなの、悪いこととは思わないの。」
「いいえ、盗賊どろぼうすることも、する人もいけませんけれど、だって、あの方なんですもの。そしてもう、もう私、おかみさんになりました。」
 と、身の置所なさそうに、この時ばかりはおろおろして、
「もう他ほかに、他にお嫁入する処はないんですって。」
「誰が、誰がそういいます。」
「おじいさん。」
「おじいさん、お前には御両親、おとっさんもおっかさんもないのだってね、おじいさんは何なの、その人が盗賊どろぼうだってことを知らないのかい。」
「はじめは存じませんでした。はじめての晩、内へ泊りに見えました時は、どこのかお邸やしきの、若様だとそう思っていたんですって。」
「まあ、泊りに行ったのかねえ、ここに、書いてあるのがそうだね。」
 先刻さっきから目に留ったは、それ、ひらがなの走りがき、鉛筆で美しく=晩に=と一行。行を分けて=お前=と書き、=の許とこへ=とまた項を別に=泊りに行ゆくよ=と記してある。
「どこで、こんなことをいわれたの。」
「この二階なの。あの、山路やまみちでこれを貰いましてから、私大事にして首へかけて、お、お乳の下へかくしていたの。
 三日の日に、この内が忙いそがしいから、お給仕の手伝に来たんです。
 そして二階の八番へ行きました時、その方に逢ったんですわ。
 いろいろおもしろい話をして聞かせてねえ。
 それから、私、その時も白い前垂まえだれをかけていました。おかしい、およし、今に所帯を持ってから、そしてから掛けて台所へ出るが可い、取っておしまい。
 そのかわり、お前にあげようと思って、宿で頼んで、間に合わせに拵こしらえておいたからッて、畳紙たとうがみに入っていたの。私はその方の奥様が着るのかと思ったんです。綺麗な衣服きものを出して、扱帯しごきもありました。
 私、おじいさんに見せてから、といいましたけれど、いいえ、着て御覧、ここでッて、それから帯も自分で〆《し》めてやろう、結びようが下手だって、結んでくれたんです。
 袖が長くて、その人の手に巻きつきますから、袂たもとを肩へかけて廻ったんです。でも、あの、恥かしいから、こうして、襟を啣くわえておりました。
 でもあの、襦袢じゅばんの中から、このねえ、貰った手帳が見えましたもんですから、返せッていいました。」

二十四

「頭かぶりをふったの。だって厭いやなんですもの。あの時貰ったんですからこれは厭。衣物きものはいらないわッて、私ねえ。それでも返せッていうから、泣きそうになったんです。
 惜おしむんじゃないんですって。
 つい、気がつかずにいたけれど、この紫色の鉛筆は、粉が目に入ると、目が潰つぶれて、見えなくなってしまうんですって。
 おもちゃに持たしておくと険呑けんのんだから、実は、今夜にも宿で聞いて、私ン許とこまで取戻しに行ゆこうと思っていた処だったッて、そういいます。
 きっと削りませんからッて、私強情を張りましたら、それでは、きっと誰にも見せるなよ。そして二人一所に居る時でなくっては、鉛筆を使ってはならない、きっとだぞッていいましてね。 ちょうど二人ばかりだから、とそれじゃ今つかってみよう、お前は、と私に、今夜はこの伊豆屋へ寝るのかとお聞きでしたわ。
 泊るつもりだったんです。
 そうすると、手帳へこんやおまえのとこへとまりにゆくよ、と、あの、これを書きましたから、私引手繰ひったくって、脱いだ筒袖と前垂とを抱かかえるか抱えないに、家うちへ駈かけ出して帰ったんです。
 帳場で、どうした鶴坊ッて、番頭さんがいいましたけれど、そんな事は構わない。
 おじいさんに、帰ってそういったら、いそがしがって掃除をして、神様棚へお燈明を上げました。
 すぐに出かけたの。
 私はお米ばかりのお飯まんまを磨といだり、炊たいたりしたの。おじいさんは、甘鯛と、鮪まぐろと買って、お酒を提げて戻ったんです。
 でも来ないんでしょう。
 おじいさんは肱枕ひじまくらをして寝てみたり、いつにない夜延よなべをしたり。
 私は崖の上へ立って見ていました。夜中にねえ、いい月の明あかるい道を、大きな外套の裾が風に吹かれながら来たわ。
 私もびゅうびゅう海の方へ、袂だの、裾だの吹かれて、高い処に立っていたもんですから、寒かったろうッて、いきなり外套の下へ抱いてくれたの。寒くはなかったんですが、私、嬉しくッて震えたの。
 その晩なの、奥様おくさん、おかみさんになったんですって。
 おじいさんは、その時は何んにも知らなかったんですけれど、あとで今度の相談をしたとき、泣きましたっけ。私も泣いたわ。
 しっかりしろ、生命いのちと亭主は二ツなしだ。俺おれが若い時の、罪障が報むくったっぺ、可いわ、娘の支度と婿殿へ引出ひきでものをかねて、一番、宝船を漕こいでまかしょ、お正月だ、祝えッて、大酒をのんだんです。
 ですから、あの、すっかり船へ積み込んで、人の知らない処につけていますわ。
 私が帰って披露を済むと、それからどこかへ漕いで行くんだって待っているんです。」
 夫人は黙って聞くうちに、幾たびか目をしばたたいた。
「お鶴さん。」
 と声が曇ると、
「…………。」黙ってこれも打悄うちしおれる。
「世間に人もないように、皆みんなが、岬みさきの巌いわになんぞ集って、もしか捕つかまったらどうします。」
 と優しくいったが、何となく人をおさうる威が籠こもった。
 これにはお鶴が事もなげ、
「いいえ、大丈夫、寅とらの刻までは海獺あじかを極きめて、ここに寝ていたって警察なんぞ、と六尺坊主がいったんです。」
「その方は、」
「え。」
「お前のその方は何てったの。」
 おのずと居坐いずまいが更あらたまって、夫人の声は凜々りりしかった。
「真鶴へ鮪の寄るのが、番小屋から見えるまでは心配なしだと申しました。」
 夫人、
「そう。」
 と頷うなずくはしに、懐に手を差入れ。衝つと一通の書の、字の裏が透いて見えて、いまだ封じないままなるを取って、手に据え、
「お前のおじいさんも何といいました。どういうことか知らないけれど、一粒種の可愛いお前に、盗賊どろぼうの婿を娶とったのは、少わかい時の、罪のむくいだというんじゃないか。
 悪い事をすればきっとそれだけの罪をうけねばならんのです。
 御覧!
 この手紙はね、私の旦那が今しがた、蒸風呂の中で、お書きなんだよ。
 此家ここの番頭に持たせて、熱海の警察へ直ぐに届けろッて、いいつかって来たんだがね。
 地震は盗賊の巧たくみだから、早く出口々々へ非常線というものを張って下さい、魚見岬の下あたりには一団ひとかたまり居るだろう、手強てごわい奴、と思うから、十分の手当をして、とちゃんとお認したためなすったの。」
 わなわなとお鶴は震えた。
「揺れもどうもしないけれど、あんまり騒ぎが酷ひどかったから、あんな、穴蔵のような中にいらっしゃるんだから、ちょいと見舞に行った時、あの、お前が忍んだ時。」
 夫人はこの時一段低い、廊下の向うの、新しい欄干てすりから階子段はしごだんを伝うて下りた。
 下り切った風呂の口と、上とに電燈はついているが、段は中程にまた一個ひとつ、燈ともしびを要するだけ長い。
 ここを下りるは、肺病患者より他ほかにはなく、病人は、また大抵、風呂に長時間籠こもるので、夜は殊にほとんど通うものがない、といっても可いので。
 木は新しいが、陰々と、奈落に一足ずつ踏込むような、段階子を辿たどる辿る、一段ごとに底の方は、深く、細く、次第に狭せばんで、足も心も引入れられそう。 されば、髪飾かみかざり、絹の彩あや、色ある姿はその折から、風呂の口に吸い込まれて、裳もすそは湯気に呑まるるのである。
 下り立つと浮世が遠い。
 燈ともしびは朦朧もうろうと夫人の影を薄く倒した。
 二足ばかり横へ曲ると、正面に、蒼あおく瘠やせたる躯むくろを納めて、病も重き片扉。
 夫つまも籠れる心細さ。力なく引手に手をかけ、裳もすそを高く掻かい取って、ドンと圧おすと、我ながら、蹴出けだしの褄つまも、ああ、晴がましや、ただ一面に鼠の霧、湯花の臭気におい面おもてを打って、目をも眉をも打蔽うちおおう土蜘蛛つちぐもの巣に異ならず。
(蔦か。)
(旦那様、)と答えたが、湯殿は約十畳余、さまで広くもない中に、夫の姿を認めたのは、ややしばらくの後のちであった。
 今更ながらいかなる状さまぞ。
 煉瓦れんがで畳んで四方壁、ただその扉ばかりを板に、ぐるりと廻して二三段、高く低く、飛々に穿うがった穴、幾多の屍かばねを中に埋うずめて崩れ残った城の壁の、弾丸たまのあとかと物凄ものすごい。その一ツ一ツから、濃厚なる湯の煙、綿を束つかねて湧わき出いでて、末広がりに天井へ、白布を開いて騰のぼる、湧いてはのぼり、湧いてはのぼって、十重とえに二十重はたえにかさなりつつ、生温い雫しずくとなって、人の膚はだえをこれぞ蒸風呂。
 患者が顔を差寄すれば、綿なす湯気は口に漲みなぎり、頬を蔽おおい、肩を包み、背に拡ひろがり、腰に纏まとうて、やがて濛々もうもうとしてただ白気となる。
 足、手、幽かすかな肉の一塊、霧を束ねて描ける状さまよ。さればかく扉を開ける音信おとずれがあっても、誰なるかを見る元気はない。たといここに、天津乙女の、麗うるわしき翼を休めたとて、縋すがる力も絶えたのが、三人といわず、五人といわず、濃く薄く湯気の動くに連れて、低くむらむらと影が行交う。
 一時ひとしきり、吸い草臥くたびれて、長々と寝たるもあれば、そのあとへ、這はい寄って、灰色の滑らかな背を凹なかくぼに伸ばしながら両手で穴に縋るもあり、ぐッたりと腰を曲げて臍へそへ頭をつけるもあり、痩せた膝に、両手を組んでいるのもあり、なえつかれたようになって、俯伏つっぷした女も見えた。中に一人、壁の根に跪ひざまずき、もの打念ずる状さまして、高く掌てのひらを合わせたものの、白き頸うなじの湯煙ゆけぶりほぐれて、黒髪の色と分れた時、夫人の目はやや馴なれて、その良人の口に、一点煙草たばこの火の燃えつつあるを認め得た。はじめはそれを、燈ひの光と見分くることさえ出来ぬのであった。
 秋山氏は、真中まんなかに据えた大おおいなる大理石の円卓子まるテエブルに肱ひじをつき、椅子にかかって憩いながら、かりそめに細巻をくゆらしていたので、もっとも裸体はだかで、纏まとえるは一片ひとひらの布あるのみ。痩せたる上に色さえ朧おぼろ、見る影もない状さまながら、なお床を這い板に僵たおるる患者の中うちに、独り身を起していた姿、連添う身に、いかばかりの慰藉いしゃなりけむ。
 吐といきをしつつ、立寄って、
(お塩梅あんばいはいかがです。)
(こうしていりゃちっとは可い。)
 と打棄うっちゃったようにいって、
(何か用か。)
(はい、余りけたたましゅうございましたから、お見舞に上りました。この間から風説うわさのございました地震なんでございます、とうとうほんものにして騒ぎまして、ただ今ようよう鎮まりましたのでございます。あの、御存じでございませんので。)(いいや、ここじゃちっとも知らん。また地震だといって、驚きもせん。たとい地じの底に沈んだ処で、まあ、こんなものだろうと思えば、仔細しさいなしじゃ。)
 周囲に蠢うごめく患者の光景ありさま。
(とても娑婆しゃばじゃないからな、どうだ、まるで白い鰻うなぎの、のたくッている体裁じゃないか、そういう自分は何か。)
 ほとんど失望の声を放って、自から嘲あざけるがごとくいった、警部長疾篤矣やまいあつし。
 夫人はハッと首こうべを垂れた。
 時に、
(何か、別に誰も、賊難にあったという話は聞かんか。)
 夫人は、思いがけないことだったが、
(いいえ。)とありのままを答えたのである。
(まだ分るまい、蔦、巻紙と硯すずり箱を。)
 これへ、と湯殿で命じたので。
(お硯箱、お手紙でも。)
(うむ、もう座敷へ行くのは大儀じゃ、意気地いくじはない。)
 傲然ごうぜんとしてしかも寂しく高らかに、
(はは、はは、はははは、)
(……………………)
(疾はやくせい。)
 引返ひっかえして扉とをあけると、重い湯気は、娑婆へ返すように、どッと夫人を押出した。身の健すこやかなる夫人は、かえって、かッと上気して眩暈めまいを感じて、扉を閉めながら蹌踉よろめいたが、ばらばら脱ぎ散らした上草履乱れた中に、良人のを見て、取って揃えて直しながら、袖にも襟にも、纏いついて消えもやらぬ霧のまま、急いで旧もとの欄干口。夫人がこのときの風采ふうさいは、罪あるものを救うべく、疾やめるものを癒いやすべく、雲に駕がして往ゆき還かえる神々しい姿であった。廊下を出ると、風が冷い。
 誂あつらえられたを調えて、再び良人の前に行った時、警部長は、天窓あたまを掴つかむようにして、堅く卓子テエブルに突伏つっぷしていた。
 耳は掌たなそこで蔽おおうたが、気勢けはいに、たちまち、蒼ざめた、顔を上げて、
(ここへ出せ。)
(は、)
 と袖から卓子へ。
 まだ持ったままだった巻莨まきたばこを、ハタと床に擲なげうつと、蒸気が宙で吸い消した。
 椅子を引き寄せ、筆を取って、さらさらと認したためたのが、ここに夫人の、お鶴にさとした文言であった。
 書き果てると、著しく警部長の眉の顰ひそむが見え、
(ああ、厭じゃ、が、黙っちゃおられん。何も見まい、聞くまいと思うに、この壁を透して、賊どもが、魚見の巌いわにかたまりおるのが、月夜の遠距離のように歴然ありありと見える。)
 といった、眼まなこの光爛々らんらんとして、
(蔦、こう神経が過敏になっちゃ、疾やまいは重いな。)
 夫人は再び二階の廊下、思わず映る姿見に、消えも入らんず思う時、座敷の燈ともしびが滅したのであった。


梅柳

二十五

「お鶴さん、分りましたか、旦那のこのお手紙が私の手にある内だったから可いいけれど、もう一足で、番頭に渡るとね、今頃は、皆みんなが捕まっているかも知れません、もしか、その人が牢へ行ったらどうするの。
 お前はきっとそうしたら一所に行くとおいいだろうが、おかみじゃ、牢の中で、同棲いっしょに置いては下さいません。第一お前、今ここで、私がお前を帰さなかったら、どうしてその人に逢えますね。」
 思い切って声強く、差寄る膝に手をかけた。お鶴は思わず取縋とりすがって、忍び音ねにわっと泣いた。
 背せなに夫人も頬をあて、堪こらえず、はらはらと落涙して、
「おお、可哀相に、そんなかい。お前だって、私だって、良人を思うに二つはない。誰が、誰が、お前を帰さないでおくものか、警察へやるものか。
 お前、夜中に崖に立って、その人を待った時、寒かろうって、あの、外套の下へ入れて抱いてくれたの。」
 とそのまましっかと抱きしめた。
 膝なる俤おもかげ、背せななる髪、柳と梅としめやかに、濡れつつ、しばし密ひっそとせり。
「さ。」
 手を取って、顔を上げさせ、右手めての指環を凝視みつめながら、するりと抜いて、胸に垂れたるお鶴の指へ。
「私が祈ってあげるんだよ。
 それからね、この手紙を、このままお前にあげるからね、大事にして、持って行って、その人に見せるんですよ。 ああ、構いません。私の落度になっても可いの、そのかわりね、心がおありだったら、どうぞ旦那の病気が直るように、お鶴さん、お前も念じて下さいな。」
 お鶴は頭つむりおもたげに、首垂うなだれながら合点がってん々々。
 夫人も斉ひとしく頷うなずいたが、
「まあ、盗賊どろぼうの大将に、警部長の病気本復、私も愚痴になったわね。」
 莞爾にっこりしたが、目を拭ぬぐい、
「どれ、ちゃんとして、手帳、鉛筆も。こうしていては目につきます。」
 と、立たせて、胸に秘めさせた、手紙も持ち添え、しっかりと内懐へ入れさせて、我が前髪の触るるあたり、帯の皺しわをのしてやりつつ、
「そしてその人にいうんですよ、これこれのものがいいました。賊でも心があるだろう、お宝は盗んでも、こんな可愛い娘こを盗んではなりませんと、可いかい。
 さ、もうおいで、夜が更けた。」
 と送り出すように座敷を出たが、前後あとさきに隈くまはあれど、蔽おおうものなき廊下の燈あかり。
 はらりとかけたり羽織の片袖。瘠やせた夫人は膨ふくらかに、児この宿ったる姿して、一所になって渡ったが、姿見の前になると、影が分れて飜然ひらりと出た。
 お鶴は胸が躍ったろう、別れの=さらば=いうのも忘れて、そのまま手水流ちょうずながしの傍かたえの窓。
 硝子戸がらすどを引きあけると、下は坂の、二階ではないが、斜めに土塀。
 一度、顔を出して覗のぞいて見て、ふり向いて夫人を見た、双の瞳の、露に宿れる星の色。
 燦然さんぜんとして星はあれど、涙に曇って暗かったか、ひらりと蒼い火、マッチを擦って、足場をしばし計ると見えし。
「は、」と声かけて、するりと抜けた、土塀の上を足溜あしだまり。姿は黒き窓となンぬ。
 夫人はしばらく、姿見を背せなにして、熟じっとそっちを瞻みまもったが、欄干てすりの方に目をやって、襦袢じゅばんの袖で眉をかくした。
 そのおくれげを掻いた時、壁の中の俤おもかげは、どんなに、美しかったろう、柔和やさしく気高かったろう。大慈! 大悲! 我心、我力、良人の病を癒いやすべく、頼母たのもしいような気がしたので、急に何となく嬉しそうに、いそいそ座敷へ帰ろうとして、思わず、よろよろと背後うしろに退すさった。
 一段高い廊下の端、隣座敷の空室あきまの前に、唐銅からかねで鋳いて鏽さびの見ゆる、魔神の像のごとく突立つったった、鎧よろいかと見ゆる厚外套、杖ステッキをついて、靴のまま。
 大跨おおまたに下りて、帽を脱し、はたと夫人の爪尖つまさきに跪ひざまずいて、片手を額に加えたが、無言のまま身を起して、同一おなじ窓に歩行あゆみ寄った。深夜に鼠の気勢けはいもさせず、帽とともに小脇にかかえた杖ステッキよりも身を細く、小さな口から、するりと抜けると、硝子窓は向うから、音もなく、するりとおのずからしまるのが、姿見にありありと映って、夢の覚際さめぎわかと見えたのである。
 さて、蒸風呂の中で認したためた、警部長の准逮捕状じゅんたいほじょうには、偉大なる反響があった。一旦夫人の情なさけに因って、八方へ遁のがれた、万綱の配下の兇賊、かねて目指された数すうをあまさず、府、県、町、村、いうに及ばず、津々浦々にいたるまで、最寄もより々々に名告なのって出た。
 御曹子はしからず。ただ崖の客の盲めしいたるは、紫鉛筆の粉のためといい伝えて、いずれも意外の毒に舌を巻くばかり。自らその罪を責めて、甘んじて享うくべき縲紲るいせつを、お鶴のために心弱り、獄ひとやの暗やみよりむしろつらい、身を暗黒に葬ったのを、秘ひそかに知るは夫人のみ。
 程過ぎてつれづれに、琵琶を、と秋山の命で、座敷に招いた事がある。
 盲目めしいは、あかい手絡てがらをかけた、若い女房に手を曳ひかれて来たが、敷居の外で、二人ならんで恭うやうやしく平伏ひれふした。 夫人は一目、ああ、その赤い手絡は見られまい、色の白いのが、さぞ、紫の涙を、とあわれさに顔を背けたが、良人のあるに襟を正した。
 けれども、その時の眼まなこの光は、かつて、蒸風呂の中におけるがごとき、爛々たるものではなかった。警部長は軽快したから。
明治三十八(一九〇五)年一月



青空文庫より引用