たましいは生きている


 昔むかしの人ひとは、月日つきひを流ながれる水みずにたとえましたが、まことに、ひとときもとどまることなく、いずくへか去さってしまうものです。そして、その間あいだに人々ひとびとは、喜よろこんだり、悲かなしんだりするが、しんけんなのは、そのときだけであって、やがて、そのことも忘わすれてしまいます。
 この話はなしも、後あとになれば、迷信めいしんとしか、考かんがえられなくなるときがあるでしょう。
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 わたしの兄あには、音楽おんがくが好すきで、自分じぶんでもハーモニカを吹ふきました。海辺うみべへいっては砂すなの上うえへ腰こしをおろして、緑色みどりいろのあわ立だちかえる海原うなばらをながめながら、心こころゆくまで鳴ならしたものでした。無心むしんで吹ふくこともあったし、また、はてしない遠とおくをあこがれたこともあったでしょう。それは、夕日ゆうひが花はなのごとく、美うつくしくもえるときばかりでありません。灰色はいいろの雲くもが、ものすごく低ひくく飛とび、あらしの叫さけぶ日ひもありました。
「正しょうちゃん、この海うみの合奏がっそうは、ベートーベンのオーケストラに、まさるともおとらないよ。人間にんげんが、いくらまねようたって、自然しぜんの音楽おんがくには、かなわないからね。」と、兄あには、いいました。
 戦争せんそうが、だんだん大おおきくなって、ついに、兄あにのところへも召集令しょうしゅうれいがきました。わたしは、その日ひを忘わすれることができません。いままで、たのしかった、家いえの中なかは、たちまち笑わらいが消きえてしまって、兄あには、自分じぶんの本箱ほんばこや、机つくえのひきだしを、片かたづけはじめました。
「いけば、いつ帰かえるかわからないから、ハーモニカを正しょうちゃんに、あずかってもらうかな。」
 こうきくと、わたしは、兄あにの気持きもちを考かんがえて、しぜんと涙なみだがわきました。
「にいさんが、帰かえるまで、なんでも、そのままにしておくよ。」
「いや、もっと戦争せんそうが、はげしくなれば、この家いえだって、どうなるかしれんものね。」
 兄あには、無事ぶじで帰かえれたなら、また勉強べんきょうをはじめるつもりだったのでしょう。英語えいごの辞書じしょも、いっしょに渡わたしました。
 しかし、兄あには、それぎり帰かえってきませんでした。兄あにの船ふねは、南方なんぽうへいったといううわさでしたが、出発後しゅっぱつご、なんのたよりもなかったのです。
 わたしは、海辺うみべに立たって、はるかな水平線すいへいせんをながめて、ハーモニカを吹ふきました。入いり日ひの前まえの空そらに、さんらんとして、金色きんいろのししのたてがみのような雲くもや、また、まっ赤かな花はなのような雲くもが、絵模様えもようのように、飛とぶことがありました。兄あには、こんなようなたそがれが、大好だいすきであったと思おもうと、いまごろ、どこかの島しまで、この空そらを見みてるのでなかろうかと、ひとりでに、目めの中なかのくもることがありました。わたしは、せめて、この真心まごころの、兄あにに通つうずるようにと、ハーモニカを吹ふいたのでした。 また、あらしの日ひにも、兄あにのしたごとく、浜辺はまべへ出でて、鳴ならしました。しかし、兄あにのハーモニカが、ここにありながら、それを愛あいする兄あにの、いないということは、考かんがえるとさびしいかぎりでした。
 その翌年よくねんの夏なつには、公報こうほうこそ入はいらなかったけれど、兄あにの戦死せんしは、ほぼ確実かくじつなものとなりました。
 ある日ひ、わたしは、波打なみうちぎわで、清せいちゃんと遊あそんでいました。
「波なみは、生いきているよ。」と、清せいちゃんが、いったので、わたしは、
「生いきているって、たましいがあるというの。」と、ききかえしました。
「うそと思おもうなら、石いしを投なげてごらん。怒おこって、大おおきくなるから。」と、清せいちゃんは、ふしぎなことをいうのです。
 わたしは、石いしをひろって投なげました。つづいて、清せいちゃんが、なげました。ふたりのすることを、せせら笑わらって見みていた、白しろい波なみが、だんだん高たかく頭あたまをもたげて、急きゅうにふたりの足あしもとをおそいました。
「ほら、おこった!」と、清せいちゃんが、叫さけびました。
 わたしは、むちゅうになって、石いしをひろっては、できるだけ沖おきへ近ちかづいて投なげると、もくら、もくらと、海うみはふくれ上あがり、大波おおなみが、わたしの足あしをさらおうと、やってきたので、あわてて逃にげました。そのとき、砂すなの上うえへおいたハーモニカを持もっていってしまいました。
 わたしは、波なみが、またハーモニカを返かえしてくれはしまいかと、しばらく立たって、待まっていたが、それは、ついにむだでした。
 月つきの明あかるい晩ばんでした。わたしは、窓まどに腰こしをかけて、どこかで鳴なく虫むしの、かすかな声こえをきいていました。秋あきの近ちかづくのを感かんじたのでした。すると、たちまち、ハーモニカの音ねがしたのでした。
「あれは、だれがふいているのだろう。」と、こんどは、そのほうへ気きをとられました。吹ふいている人ひとは、歩あるいているのか、その音ねは、近ちかくなったり、遠とおくなったりしました。
「にいさんじゃないか。」と、わたしは、立たち上あがりました。あまり、しらべが、よくにていたからです。外そとへ出でてみようとするうちに、ハーモニカの音ねは、やんでしまいました。
 まだ、そのうたがいの解とけぬ、二、三日にち後のちのことです。わたしは、赤あかく夕日ゆうひが、海うみへ沈しずむのをながめていました。すると、うしろの砂山すなやまのあたりで、ハーモニカの音ねがしました。その吹ふき方かたが、兄あにそっくりなので、わたしは、はっとして、このときばかりは、全身ぜんしんがあつくなりました。「だれだか、見みてやろう。」
 ただ、むやみとそのほうへ、足あしにまかせて、かけ出だしたが、いつしか、音ねも消きえれば、さっきまで、ちらほらしていた、人影ひとかげまで、どこへやら去さって、見みえなくなったのです。
 わたしは、家いえに帰かえって、このことを母ははに話はなしました。
「それは、気きのせいです。あまりおまえが、にいさんを思おもうから。」と、母ははは、いいました。
 しかし、わたしは、気きのせいだとは、信しんじられませんでした。けれど、それ以上いじょういい張はることは、できませんでした。ところが、なんとおどろくことには、こんどはうず巻まく波なみの中なかから、兄あにの吹ふく、ハーモニカのしらべがきこえたのです。わたしは、さっそく、清せいちゃんを呼よんできました。清せいちゃんは、いつになく、まじめくさって、耳みみをすましました。
「きっと、正しょうちゃんのなくした、ハーモニカをお魚さかなが、小ちいさな口くちで吹ふいているんでないか。」といいました。
 その後ごも、わたしは、ひとりなぎさに立たって、ぼんやりと海うみをながめることがありました。あるとき、知しらない男おとこの人ひとが、わたしのそばに立たって、じっと沖おきの方ほうをながめていました。顔かおの色いろは、日ひにやけて黒くろく、その目めは、とび出でているようで、いくらか、こわい気きがしました。お寺てらへいくと、よくこんな形かたちをした、木像もくぞうの仏ほとけさまがあるのを、わたしは思おもい出だしました。こちらが、やさしくものをいったら、怒おこりはしないだろうと、考かんがえたので、
「おじさんは、なにを見みているの。」と、ききました。すると、怒おこるどころか、うちとけて、わたしを見みながら、
「あちらの島しまに、まだ残のこっている、戦友せんゆうのことを思おもっていたんだよ。」と、その人ひとは、答こたえました。
「まだ、かえらないの。」
「土つちの中なかで眠ねむって、永久えいきゅうに帰かえらないのさ。」
「おじさんは、いつ復員ふくいんしたの。」
 わたしは、すぐに兄あにのことを思おもい出ださずにいられませんでした。
「まだ、一月ひとつきばかりにしかならない。いくら苦くるしんでも、こうして、帰かえられたものは、しあわせだが、いつまでたっても、もどらない戦友せんゆうはかわいそうだ。」
 これをきくと、わたしは、情なさけ深ぶかい人ひとだと思おもったから、
「おじさん、ぼくの兄あにも戦死せんししたんです。」といいました。
「やはり、そうか。」と、急きゅうに暗くらい顔かおになって、うなずきました。いつか、ふたりは、ならび合あって、砂すなの上うえに腰こしをおろし、海うみの方ほうを向むいていました。「ぼく、いつも、ここに立たって、にいさんを思おもうんですよ。」と、わたしが、いうと、その人ひとは、目めを足あしもとへ落おとして、やはりうなずくばかりでした。
「人間にんげんは死しんでも、霊魂れいこんは、生いきているのではない?」と、わたしは、ふしぎなハーモニカの音ねから、おじさんに、こうたずねたのでした。あるいは、戦地せんちにあって、それを経験けいけんしたとも、かぎらないと思おもったからです。おじさんは、しばらく、なにか考かんがえているようなようすだったが、やがて、顔かおを上あげると、
「それについて、ふしぎなことがある。」といいました。
「ふしぎなことって、どんなこと。」
「ゆうれいとでも、いうんだろうな。」
「えっ。」と、わたしは、びっくりしました。
 このとき、つめたい風かぜが、海うみの上うえから、さっと陸りくへ向むかって、走はしったように感かんじました。
 おじさんは、口くちを開ひらきました。
「前線ぜんせんへ、伝令でんれいにいった兵士へいしが、帰かえりの山やまの中なかで道みちを迷まよってしまった。困こまっていると、ふいにくつ音おとがしたので、まさしく、敵てきに出会であったと、身みがまえすると、思おもいがけない、親友しんゆうだったので、二度どびっくりした。あまりおそいので、こんなことではないかと迎むかえにきたよ。さあ、暗くらくならぬうち、早はやくいこうと、戦友せんゆうは、先さきに立たって、よくこんな道みちを知しっているなと思おもうようなところを歩あるいた。だが、かれはこのあいだの戦争せんそうで死しんだのではなかったかと気きがついたので、休やすんだら聞きこうと思おもっているうち、その姿すがたを見失みうしなってしまった。それと同時どうじに、ふもとの方ほうで、軍馬ぐんばのいななきをきいたというのだ。」と、おじさんは、話はなしました。
「霊魂れいこんが、親友しんゆうを救すくったのですね。」と、わたしは、その話はなしに感動かんどうしたのでした。そして、わたしは、兄あにの吹ふく、ハーモニカの音ねが、このごろ、たびたびきこえると、いいますと、
「きっと、きみのにいさんは、家いえのことを思おもっていられるのだろう。」と、おじさんは、答こたえました。
「そうしたら、どうすればいいの。」と、わたしは、ききました。
「せいぜい、にいさんの好すきなことをしてあげて、霊魂れいこんをなぐさめるんだね。」と、おじさんは、いいました。
 そのことを、わたしに教おしえてくれた、おじさんは、どうしたのか、その後ごふたたび見みることができませんでした。
 わたしの兄あには、なにより平和へいわを愛あいしました。だから、音楽おんがくがすきでした。わたしは、父ちちにねがって、兄あにのもっていたのと、同おなじハーモニカを買かってもらいました。そして、それを吹ふくときには、かならず、兄あにの気持きもちになろうとしました。 わたしの兄あには、自然しぜんを愛あいしたし、また、だれに対たいしてもしんせつで、なにをするにも、やさしみの心こころをもっていました。
 わたしは、海岸かいがんへいくと、まず、兄あにのしたごとく、砂すなの上うえへ腰こしをおろしました。そして、ハーモニカを吹ふきました。このとき、空そらを飛とぶ雲くも、打うちよせる波なみ、しきりと顔かおへあたる風かぜ、ともどもに、申もうし合あわせたごとくたたずんで、
「ききおぼえのある、なつかしい音ねだ。」と、いっているようでした。
 わたしは、ますます、兄あにの目め、兄あにの心こころをもってきました。すると、かれらは、
「あれを吹ふくのは、弟おとうとか、兄あにそっくりじゃないか。また、この浜辺はまべへも、昔むかしのような平和へいわが、やってきたな。」と、ささやき合あっているのです。
 わたしの真心まごころで、兄あにのたましいも、はじめて、なぐさめられたものか、ふしぎなハーモニカの音ねも、それ以来いらいしなくなったのでありました。



青空文庫より引用