僕はこれからだ


 村むらからすこし離はなれた、山やまのふもとに達吉たつきちの家いえはありました。彼かれは学校がっこうの帰かえりに、さびしい路みちをひとりで、ひらひら飛とぶ白しろいこちょうを追おいかけたり、また、田たのあぜで鳴なくかえるに小石こいしを投なげつけたりして、道草みちくさをとっていたこともあります。そして、裏うらの松林まつばやしにせみの鳴ないている、我わが家やが近ちかづくと急きゅうになつかしくなって、駈かけ出だしたものでした。
 父親ちちおやというのは、体からだつきのがっちりした、無口むくちの働はたらき者ものでした。今日きょうじゅうに、これだけ耕たがやしてしまおうと心こころで決きめると、たとえ日ひが暮くれかかっても、休やすまずに仕事しごとに精せいを入いれるという性質せいしつでしたから、村むらの人ひとたちからも信用しんようされていました。ところが事変じへんの波なみは、こうした静しずかな田舎いなかへも押おし寄よせてきました。彼かれには召集令しょうしゅうれいが下くだったのであります。カーキ色いろの服ふくに戦闘帽せんとうぼうを被かぶって、赤あかいたすきをかけた父親ちちおやは肩幅かたはばの広ひろい姿勢しせいを毅然きぜんとして、日ひの丸まるの旗はたを持もったみんなから送おくられて、平常へいぜいは、あまり人ひとの通とおらないさびしい路みちを、町まちの方ほうへといったのでありました。それは、ついこのあいだのことと思おもったのが、はや二年ねんばかりになりました。そして、その父親ちちおやが、中支ちゅうしの戦線せんせんで、激戦げきせんの際さい、戦死せんしを遂とげたという知しらせがとどいたので、さすがに、家いえのものはじめ、村むらの人々ひとびとは、まったく夢ゆめのような気きがしたのであります。あの健康けんこうな、意志いしの強つよい男おとこが、もうけっして、もどることがないと思おもったからでした。
 達吉たつきちの母親ははおやは、やせ形がたな、女おんならしい、優やさしい性質せいしつの人ひとでした。父親ちちおやが、いなくなってから、達吉たつきちは学校がっこうが退ひけて、途中とちゅうから友ともだちと別わかれて一人ひとりぼっちで帰かえると、こんど父親ちちおやに代かわって母親ははおやが、手てぬぐいを被かぶってうつむきながら、たんぼで野菜やさいの中なかに埋うもれてせっせと働はたらいているのを見みました。 しかるに、この母親ははおやとも別わかれた。達吉たつきちは、いつになっても、その日ひのことを考かんがえるとたまらなくなるのでした。それは、父親ちちおやの戦死せんしを聞きいたときよりも、もっと悲かなしさが深ふかく胸むねに迫せまってくるのでした。
 母親ははおやは、まくらもとへ達吉たつきちを呼よびました。
「もし、私わたしが病気びょうきで死しんだら、おまえは、東京とうきょうの伯父おじさんのところへいくのだよ。伯父おじさんも、いい人ひとだから、よくいうことをきくのだよ。」
 そのとき、母親ははおやの目めから、涙なみだが落おちて、黄色きいろなほおを伝つたって、まくらをぬらしたのです。
「お母かあさん、死しんじゃいやだよ。」と、達吉たつきちは、急きゅうに大おおきな声こえで泣なき出だしました。すると、てつだいにきていた、村むらの女おんなの人ひとが、あわててへやへ入はいってきて、
「なんで、お母かあさんが、坊ぼうだけ残のこして死しになさるものか。じきによくなって、起おきなさるから、さあ、すこしあっちへいって遊あそんできなさいね。」と、外そとへ抱だくようにして、つれていったのでした。
 その夜よるであった。すさまじい北風きたかぜが吹ふき募つのった。秋あきの深ふかくなったという知しらせのように、風かぜはヒュウヒュウと叫さけんで、野原のはらをかすめ、林はやしの頭あたまをかすめて、木きや、枝えだについている葉はをことごとくもぎとっていったばかりでなく、いっしょに達吉たつきちの母親ははおやの命いのちもさらっていったのです。
 翌朝よくあさ、東京とうきょうからきた、伯父おじさんが着つきました。そして、数日すうじつの後のちには、達吉たつきちは、その伯父おじさんにつれられて、思おもい出での多おおい、自分じぶんの生うまれたこの村むらから去さらなければならなかったのでした。
 伯父おじさんの住すんでいる町まちは、都会とかいの片端かたはしであって、たてこんでいる小ちいさな家々いえいえの上うえに、雲くものない空そらから日ひが照てりつけていました。店みせにブリキ板いたがすこしばかり置おいてあるだけの貧まずしい暮くらしであったが、子供こどもがないところから、伯父おじさんも、伯母おばさんも達吉たつきちをかわいがってくれました。「なに、工場こうじょうなどへいかなくたって、家いえにいて、俺おれの手助てだすけをすればいい。」と、伯父おじさんは、やっと高等小学校こうとうしょうがっこうを出でたばかりの達吉たつきちを少年工しょうねんこうとして、たとえこのごろは景気けいきがよくても、工場こうじょうへやるのにしのびませんでした。
「ああ、それがいいよ。」と、伯母おばさんも、いっていました。
 隣家りんかは、薪炭商しんたんしょうであって、そこには、達吉たつきちより二つ三つ年上としうえの勇蔵ゆうぞうという少年しょうねんがありました。
「おい、達たっちゃん、リヤカーに乗のせてやろうか。これから、この炭すみをとどけにいくのだから。」と、道みちの上うえに茫然ぼうぜんとして立たっている達吉たつきちを見みつけて、声こえをかけました。
「そして、帰かえりに、梅うめの実みをもいでこようよ。」と、勇蔵ゆうぞうは元気げんきにいいました。
 達吉たつきちは、リヤカーに乗のせてもらって、車くるまの上うえから、はじめて見みる町まちの景色けしきを物珍ものめずらしそうにながめていました。勇蔵ゆうぞうは、品物しなものの配達はいたつを終おわると、軽かるくなったリヤカーをさらに勢いきおいよく走はしらせて、町まちを突つっ切きり、原はらっぱへと出でました。広々ひろびろとした原はらっぱには、一角かくに屋敷跡やしきあとのようなところがあって、青々あおあおとした梅林ばいりんには、実みがたくさん生なっていました。
「あれごらんよ、すっかり種子たねが固かたまっているのだぜ。」と、勇蔵ゆうぞうが、酸すっぱそうな口くちつきをして、いいました。
 達吉たつきちの目めの中なかに、このとき、北方ほっぽうの憂鬱ゆううつな黒くろい森もりの景色けしきがよみがえったのだ。そこは、自分じぶんの生うまれた村むらである。いまも、陣々じんじんとして、頭あたまの上うえを吹ふく風かぜの中なかに、たんぼの野菜やさいの葉はが白しろい裏うらを返かえすのである、そして、やつれた母ははの涙なみだぐんだ顔かおが浮うかぶのでありました。
「なにをぼんやりしているんだい。達たっちゃんは、実みを拾ひろわないの。」と、勇蔵ゆうぞうは、棒ぼうきれを枝えだに向むかって投なげつけると、雨あめのように、白しろいうぶ毛げのある円まるい実みが、ころころと足あしもとにころげて落おちました。「炭すみも、煉炭れんたんも、じき、切符制度きっぷせいどとなって、僕ぼくも仕事しごとがなくなるから、工場こうじょうか、会社かいしゃへ勤つとめようと思おもっているのさ。」と、帰かえりに勇蔵ゆうぞうが、達吉たつきちに話はなしました。
「自分じぶんは、田舎いなかにいれば、いまごろ、くわを持もって百姓しょうをしているんだが。」と、達吉たつきちは考かんがえました。
 ある日ひ、伯父おじさんは、外出がいしゅつの支度したくをしながら、
「懇意こんいの准尉じゅんいさんで、陸軍病院りくぐんびょういんに入はいっていなさるのを、これからみまいにいくのだ。達吉たつきちも、いっしょにこないか。」と、いいました。
 達吉たつきちは、父親ちちおやが戦死せんししてから、戦争せんそうにいった兵隊へいたいさんに対たいして、なんとなくいいしれぬ親したしみをもつようになったのでした。
「ひょっとしたら、お父とうさんのことが聞きかれるかもしれない。」と、思おもったので、飛とび立たつように喜よろこびました。
 ひでりつづきの後あとなので、坂道さかみちを上のぼると、土つちのいきれが顔かおをあおって、むせ返かえるように感かんじました。一面めんに白しろく乾かわいて、歩あるくとほこりが立たち上のぼりました。伯父おじさんは、幾いくたびとなく休やすみ、額ひたいからにじむ汗あせをふきました。
「ちっとも風かぜがないな、一雨ひとあめくるといいのだが、毎日まいにち降ふりそうになるけれど降ふらない。」と、ひとりごとのように、伯父おじさんは、いいました。
 木々きぎの葉はが、てらてらとして、太陽たいようの熱ねつと光ひかりのためにしおれかけて、力ちからなく垂たれているのが見みられました。そして、せみの声こえが、耳みみにやきつくようにひびいてきました。
「あの、高たかい、白しろい家いえが病院びょういんだ。」と、伯父おじさんは、彼方かなたの森もりの間あいだに見みえる大おおきな建物たてものを指さしました。
 二人ふたりは、いつかその病院びょういんの病室びょうしつへ案内あんないされたのでした。准尉じゅんいは、白しろい衣物きもののそでに赤せき十字じの印しるしのついたのを被きて、足あしを繃帯ほうたいしていました。その二階かいから、ガラス窓まどをとおして、下したの方ほうにはるかの町々まちまちまでが、さながら波濤はとうのつづくごとくながめられました。伯父おじさんと、兵隊へいたいさんと話はなしている間あいだに、日ひの光ひかりが陰かげって、空そらは雲くもったのでした。たちまち起おこる風かぜが、窓まどの際きわにあったあおぎりの枝えだを襲おそうと葉ははおびえたつように身みぶるいしました。「たいへんに暗くらくなった、なんだか夕立ゆうだちがきそうですね。」と、准尉じゅんいが、いいました。
 伯父おじさんは、だまって、目めを遠とおくの地平線ちへいせんへ馳はせていました。そのほうには乱みだれた黒雲くろくもがものすごく垂たれさがって、町々まちまちが、その雲くものすそに包つつまれようとしていました。どこかの煙突えんとつから、立たち上のぼる白しろい煙けむりが、風かぜの方向ほうこうへかきむしられるように、はかなくちぎれています。ぴかりと光ひかると、達吉たつきちは、はっとして、
「雷かみなりだ!」と思おもった瞬間しゅんかんに、鼓膜こまくの破やぶれそうな大おおきな音おとが頭あたまの上うえでしだして、急きゅうに大粒おおつぶの雨あめが降ふってきました。また光ひかった! そのたび大空おおぞらが、燃もえるように青白あおじろいほのおでいろどられて、明あかるく家屋かおくも、木立こだちも、大地だいちから浮うき上あがって見みられた。
「これは不気味ぶきみな天候てんこうになったものだ。」
 伯父おじさんは、あっけにとられながら、やっと口くちをききました。そのとき、達吉たつきちが、准尉じゅんいの顔かおを見みると、戦地せんちへいってきた兵隊へいたいさんだけあって、いささかのおじ気けも色いろに見みせるどころか、かえって微笑ほほえんでいました。
「戦争せんそうのときは、こんなですか?」
 達吉たつきちは、ぴかり、ゴロゴロ、ド、ドンという電光でんこうと雷鳴らいめいのものすごい光景こうけいに、父ちちが戦死せんししたときのことを想像そうぞうして、つい思おもったことを口くちに出だして、きいたのであります。すると、准尉じゅんいは、
「まったく、これと同おなじです。すこしも違ちがいがありません。徐州攻撃じょしゅうこうげきのときなどは、もっとひどかったです。」
「ほ、ほう、こんなですかな。」
「なにしろ、砲弾ほうだんが炸裂さくれつすると、たちまち目めの前まえが、火ひの海うみとなりますからね。」
 達吉たつきちは、あの、みんなから送おくられて、さびしい田舎道いなかみちをいった父親ちちおやの姿すがたを思おもい浮うかべました。苦くるしくなって、熱あついものが胸むねの裡うちにこみあげてきました。しかし自分じぶんは、いま兵隊へいたいさんの前まえにいるのだと気きがつくと、彼かれは、我慢がまんして、じっと、雷鳴らいめいの遠とおざかっていく空そらを見みつめていました。そのうちに、雲くもが切きれて、青あおい空そらがあらわれはじめたのであります。 薪炭屋しんたんやの勇蔵ゆうぞうは、いよいよ昼間ひるまは役所やくしょの給仕きゅうじを勤つとめて、夜よるは、勉強べんきょうをするため、学校がっこうへいくことになりました。
 ここは、町まちの近ちかくにあった、原はらっぱです。子供こどもたちが、夏なつの日ひの午後ごごを楽たのしくボールを投なげたり相撲すもうをとったりして遊あそんでいました。小ちいさな弟妹ていまいの多おおい勇蔵ゆうぞうは、家いえにいれば、赤あかん坊ぼうを負おって守もりをしなければならなかったのです。だから、勇蔵ゆうぞうは、ボールを投なげる仲間なかまに入はいることもできなかったので、ぼんやり立たってほかの子供こどもたちの投なげるのを見物けんぶつしていました。
 そのそばへ達吉たつきちがやってきて、
「勇ゆうちゃん、僕ぼくが、代かわって赤あかちゃんをおんぶしてやるから、君きみは入はいって、ボールをおやりよ。」と、いって、無理むりに勇蔵ゆうぞうから赤あかん坊ぼうを奪うばって、彼かれに好すきなボール投なげをさせようとしたのでした。
「達たっちゃん、ありがとう。じゃ、十分間ぷんかんばかりね。」
「もっと、長ながくたってかまわない。」
 二人ふたりが、原はらっぱで、こんな話はなしをしていたときでした。ちょうど達吉たつきちの伯父おじさんは、町まちの一軒けんの家いえへいって、壊こわれたといを修繕しゅうぜんしていました。戸口とぐちに遊あそんでいた、長屋ながやの子供こどもたちは、屋根やねの上うえで、眼鏡めがねをかけて、仕事しごとをしているおじいさんを見みて、
「おじいさん。」と、親したしげに声こえをかけました。
「あいよ。」と、伯父おじさんは一人ひとり、一人ひとりの子供こどもの顔かおを見みわけようとも、また注意ちゅういをしようともしなかったけれど、そのいずれに対たいしても親したしみを感かんじて、やさしく返事へんじをせずにはいられなかった。
「おじいさん!」と、子供こどもたちは、いいお友ともだちを見みつけたように、口々くちぐちに、何度なんども同おなじ言葉ことばをくり返かえして、熱心ねっしんに仕事しごとをしているおじいさんの注意ちゅういをひこうとしたのであります。 達吉たつきちの伯父おじさんは、新あたらしく造つくってきた、ぴかぴか光ひかるブリキのといをのき下したに当あててみて、雨水あまみずの流ながれる勾配こうばいを計はかっていました。そのうち、不覚ふかくにも、腐くされていたひさしの端はしへ踏ふみ寄よった刹那せつなであります。垂木たるきは、年寄としよりの重おもみさえ支ささえかねたとみえて、メリメリという音おととともに、伯父おじさんの体からだは地上ちじょうへ真まっさかさまに墜落ついらくしたのでした。
 子供こどもたちは、びっくりして目めをみはったが、つぎに怖おそろしさのあまり、悲鳴ひめいをあげて、
「たいへんだ!」と、叫さけびました。
 長屋ながやじゅうのものが、総出そうでとなって、この気きの毒どくな老職人ろうしょくにんの周囲しゅういに集あつまりました。
「早はやく、家いえへ知しらさなければ。」
「それより、先さきに医者いしゃへつれていくのだ。」
「おじいさん!」
「おじいさん、だいじょうぶか。」
 一人ひとりが、抱だき起おこしながら、耳みみもとへ口くちをつけて呼よんでも返事へんじがなかったので、みんなの顔色かおいろは真まっ青さおになった。しかし、しばらくすると、身動みうごきをしたので、死しんでいないことがわかったのです。
 この話はなしが、たちまち、口くちから口くちへ伝つたわって、あたりの騒さわぎになると、原はらっぱに遊あそんでいた子供こどもたちの耳みみにも入はいったのです。勇蔵ゆうぞうに代かわって赤あかん坊ぼうの守もりをしながら、ボールを見みていた達吉たつきちの耳みみへも、一人ひとりの子供こどもが飛とんできて、伯父おじの災難さいなんを知しらせました。
「ほんとう?」と、達吉たつきちは、寝耳ねみみに水みずの思おもいで、赤あかん坊ぼうを負おったまま駈かけ出だすと、脊中せなかの子こは、火ひのつくように泣なき出だした。それから、十分ぷんとたたぬうちに、勇蔵ゆうぞうが、リヤカーに伯父おじさんを乗のせて引ひき、近所きんじょの人ひとたちが車くるまの左右さゆうに従したがい、町まちの中なかを両断りょうだんする広ひろい道路どうろをすこしへだてた、骨ほねつぎ医者いしゃへ連つれていきました。もとより、達吉たつきちも、いっしょについていきました。 電柱でんちゅうに、「骨ほねつぎもみ療治りょうじ」と看板かんばんのかかっているところから、路次ろじへ曲まがると、突つき当あたりに表側おもてがわを西洋造せいようづくりにした医院いいんがあります。入いり口ぐちにぶらさげてあった金網あなあみのかごの中なかに、せきせいいんこが飼かってあって、急きゅうにそうぞうしくなったので、鳥とりはびっくりしたのか、目めをまるくしながら、甲高かんだかな声こえでキイー、キイーといって、奥おくの方ほうへ取とり次つぎをするごとく鳴なきつづけました。
 しかしながら、伯父おじさんは、打うちどころが悪わるかったので、ついに五、六日にちめに亡なくなったのであります。
 孤児こじとなった達吉たつきちに、こうして、また不幸ふこうがみまったのでした。彼かれは、伯父おじさんが死しんでから、後あとに残のこった伯母おばさんと、しばらく途方とほうに暮くれていました。勇蔵ゆうぞうも、近所きんじょの人ひとたちも、同情どうじょうをしてくれたけれど、生いきる道みちは、畢竟ひっきょう、自分じぶんが働はたらくよりもほかにないということを彼かれは自覚じかくしたのです。そのとき、伯父おじさんの仲なかのよい友ともだちであったペンキ屋やの親方おやかたが訪たずねてきて、
「手てが足たりなくて困こまっているのだ。おれのところへきて働はたらいてくれないか。」と、いいました。
 達吉たつきちはすでに働はたらくと決心けっしんしたからには、どこだってかまわなかった。彼かれは、すぐいくことにしたのです。ペンキの入はいったかんをぶらさげて、高たかい屋根やねへ上のぼるのは容易よういなことではありませんでした。びくびくすると、かえって両脚りょうあしがふるえました。
「平気へいきで、どんなところでも、鼻唄はなうたをうたって歩あるけるようにならんければ、一人にんまえとはいえない。」と、親方おやかたは、笑わらいました。
「そうだ、人間にんげんのできることで、自分じぶんにできぬというはずはない。」と、歯はぎしりをして、たとえ危険きけんな場所ばしょへでも、親方おやかたが上のぼるところへは、自分じぶんも上のぼっていったのでした。
 かくして、一年ねんとたたぬうちに、彼かれはもう大胆だいたんにりっぱに、仕事しごとができるようになりました。 あるとき、親方おやかたは、つくづくと彼かれの仕事しごとぶりを見みていたが、
「おまえは、いつまでも、ペンキ屋やで暮くらそうとは思おもわないだろうが、いったいなにになりたい気きなのだ。」と、彼かれにききました。
「僕ぼくは、軍人ぐんじんになりたい。」と達吉たつきちは、答こたえたのです。いつか准尉じゅんいにあってから、彼かれはそう心こころの中なかで思おもったのでした。
「軍人ぐんじんにか、それはいい。おまえは、脊せは低ひくいが、なかなか強情ごうじょうだから、いい軍人ぐんじんになれるだろう。」と親方おやかたは、達吉たつきちの意見いけんに、反対はんたいしませんでした。
 勝かち気きの達吉たつきちは、同おなじ年としごろの少年しょうねんが学校がっこうへいくのを見みたりすると、うらやむかわりに、夜よるも、疲つかれた体からだを小ちいさな机つくえの前まえにもたせて、航空雑誌こうくうざっしを読よんだり、地理ちりや、歴史れきしを復習ふくしゅうしたりしていました。そして、昼ひるになれば、彼かれは、普通ふつうの子供こどもたちなら、とうてい上あがれない、目めのまわりそうな高たかい建物たてものの頂いただきに立たって、
「学校がっこうで勉強べんきょうするよりか、こんなところで、大人おとなといっしょに仕事しごとをする己おれのほうが、よほど偉えらいんだぞ!」と、だれに向むかっていうとなく、独ひとりで豪語ごうごしました。
 それは、彼かれが、東京とうきょうへきてから、三みたびめに迎むかえる夏なつの暑あつい日ひのことでした。
 緑みどりの多おおい丘おかに建たっていた教会堂きょうかいどうの前まえを通とおりかかると、たくさん人ひとが集あつまって、塔とうの上うえをながめていました。
「どうしたんですか。」
「あのたくさんなからすが、はとをねらっているのですよ。」
 このごろ、どこのごみ捨すて場ばをあさっても、あまり食くい物ものが見みつからないので、都会とかいにすむ餓うえたからすたちは、弱よわい鳥とりをいじめてその肉にくを食たべることを考かんがえついたのでした。それで、はとの巣すを襲おそったのです。いつ、どこから飛とんできたのか、二羽わのはとは、ここを安全あんぜんな場所ばしょと思おもって、塔とうの屋根やねに巣すを造つくりました。そして、やがて子供こどもを産うんで、育そだてていました。これを知しっていて、からすは、いま計画的けいかくてきに、群むれをなしてやってきたのです。早はやくも悟さとった親おやばとは、巣すの奥おくの方ほうへ二羽わの子こばとを隠かくして、母ははばとは、胸むねで子供こどもをおおい、たぶんそれは父ちちばとであったでしょう、いちばん端はしにうずくまって、体からだで巣すの入いり口ぐちをふさぐようにして、敵てきとにらみ合あっていました。 どうなることかと、達吉たつきちもいっしょになって、見みていました。すると、その中なかの獰猛どうもうな一羽わのからすが、ふいに父ちちばとに飛とびかかって、とうとう巣すから外そとへ引ひきずり出だしてしまいました。待まっていたとばかり、ほかのからすたちが、四方ほうから寄よってたかって、哀あわれなはとを奪うばい合あい、最後さいごに血ちにまみれたはとを屋根やねの上うえへたたきつけて、たがいにくちばしでちぎりはじめたが、あっという間まに、こうかつな一羽わがその屍かばねをさらってどこかへ飛とび去さると、あわてて三羽わ、四羽わ、その後あとを追おいかけていきました。
「なんて、ひどいことをしやがる。まだ、あの巣すの中なかには、はとがいるから、それも喰くい殺ころされるだろう。」
 こういって、見みている人々ひとびとが、小石こいしを拾ひろって、からすに向むかって投なげつけていた。しかし、石いしはそこまでとどきませんでした。からすは、石いしの当あたらないのを知しっていて、こちらのことは気きにも止とめずに、だんだん巣すの方ほうへ近寄ちかよって、じっと機会きかいをねらっていました。
「わるいやつだな。」と、達吉たつきちは、つくづく思おもいました。彼かれの胸むねは、憤いきどおりのために、どきんどきんと鳴なりだしました。
 おそらく、子供こどもを救すくうために、自分じぶんを犠牲ぎせいにしようと覚悟かくごしたのでしょう。ふいに、母ははばとが、巣すから飛とび出だした。からすらが、なんで、それを見逃みのがそう。我先われさきに獲物えものにありつこうと翔かけるはとに向むかって突進とっしんしました。母ははばとは、巧たくみに方向ほうこうを変かえて、子供こどもたちのいる巣すから、敵てきを遠方えんぽうへ遠方えんぽうへと誘さそったのであります。見みていると、塔とうの頂いただきの空そらを高たかく二、三回かいもぐるぐるまわってから、下したの町まちの方ほうへ、できるだけの速力そくりょくで、飛とび去さっていきました。その後あとを、カアカアと叫さけびながら、黒くろくなって、からすらが執拗しつように追おいかけていきました。 けれど、まだ二羽わ、三羽わ、意地悪いじわるいからすが残のこっていて、どこへも去さらずに、塔とうの屋根やねに止とまって、険けわしい目めで巣すをねらっていました。そこには、親鳥おやどりを失うしなった、かわいそうな子こばとが怖おそろしさのためにふるえているのでした。それと知しった、達吉たつきちは、もうなんで我慢がまんができましょう。
「よし、あの不埒ふらちなからすめを追おいはらってくれよう。そして、子供こどもを己おれの懐ふところに抱だいてきてやろう。」
 達吉たつきちは、人々ひとびとがなんといってもかまわずに、柵さくを乗のり越こえて、寂然せきぜんとした教会堂きょうかいどうの敷地内しきちないへ入はいり込こみ、窓まどわくを足場あしばとして、さるのごとく、といを伝つたって、建物たてものの壁かべを攀よじり、急角度きゅうかくどに傾斜けいしゃしている屋根やねへはい上あがろうとしました。
「おうい、やめろ、あぶないぞう!」と、下したからわめく声こえがきこえました。この声こえは彼かれの耳みみに入はいったけれど、
「なに、くそ……。」と、彼かれは、返事へんじをするかわりに、歯はぎしりをしていた。
 突然とつぜん、人間にんげんの頭あたまが、にょっきりと屋根やねの端はしから伸のび上あがると、さすがにからすは、これに敵かなわぬと思おもったか、いちはやく、どこかへ逃にげていきました。
 スレートの面めんは、太陽たいようの熱ねつで油あぶらを流ながすごとく焼やけていて、足あしの裏うらへ、針はりを刺さすように痛いたさを感かんじさせた。
「もう、降おりろう!」と、見みていたものの中なかから注意ちゅういするものがあった。
 達吉たつきちは、ただ登のぼらなければならぬ気きがしていた。顔かおを上あげると、まだ巣すのところまで三、四メートルありました。同時どうじに下したを見みると、すぐ近ちかく大おおきな木きが目めに入はいり、四方ほうへ張はった枝えだの柔やわらかな緑色みどりいろは毛氈もうせんを拡ひろげたように、細こまかな葉はが、微風びふうにゆれていました。そして、こんな際さいに、どうしてか、いつか病院びょういんの窓まどから見みた、あおぎりの幻覚げんかくが浮うかんだ。「己おれは、どうすればいいのか?」さっと感激かんげきの失うせた刹那せつな、自分じぶんのすることがわからなくなり、心こころがぐらつくと足あしの感覚かんかくまでなくなって、体からだがずるずると下したへ滑すべりはじめた。堅かたいスレートにはどこにもつめの立たてようがない!
 彼かれは、絶体絶命ぜったいぜつめいを感かんじた。数秒すうびょうの後のちに、自分じぶんの体からだが、幾いく十尺しゃくの高たかいところから地上ちじょうに落下らっかして粉砕ふんさいするのだと意識いしきするや、不思議ふしぎにも、気力きりょくが出でて跳はね上あがった。彼かれは、   屋根やねを蹴けると、眼下がんかの大木たいぼくを目めがけて、それにしがみつこうとして飛とんだ。
 軽業師かるわざしにやれる離はなれわざなら、なんで人間にんげん生死せいしの瀬戸際せとぎわにできぬというはずがありましょう。
 達吉たつきちは、天地てんちが真まっ闇くらだった。大波おおなみが、自分じぶんを呑のんだ。体からだは前後上下ぜんごじょうげに揺ゆれていた。わずかに、目めを開あけると、しっかりと自分じぶんはけやきの木きの枝えだにしがみついていた。
「おお、己おれは、生いきているぞ! 己おれは、助たすかったのだ。お父とうさんに誓ちかいます。僕ぼくは、軍人ぐんじんになります。神かみさまに誓ちかいます。僕ぼくは、かならず飛行兵ひこうへいになります。」
 とっさに、希望きぼうが頭あたまにひらめいた。どこを見みてもただ明あかるく、さんらんたる光ひかりのうちにいるのを発見はっけんした。どこかで、がやがや人ひとの声こえが、きこえるような気きがしたけれど、達吉たつきちは、ただ、手足てあしに力ちからを入いれて、どうしても強つよく生いきなければならぬということだけしか考かんがえていなかった。
 このときの、彼かれの目めは、からすの目めよりも、さとくいきいきと輝かがやいて、いったん心こころにつかんだものを一生しょう逃のがすまいとしていました。



青空文庫より引用