小さな妹をつれて


一

 きょうは、二郎じろうちゃんのお免状日めんじょうびです。お母かあさんは、新あたらしい洋服ようふくを出だして、
「これを着きていらっしゃい。よごすのでありませんよ。」と、おっしゃいました。二郎じろうちゃんの、いままで着きていた洋服ようふくはよごれて、ところどころつくろってあります。
「お母かあさん、これでいいよ。」と、二郎じろうちゃんは、いいました。こないだまで、こんな服ふくは、みっともないといったくせに、きょうは、新あたらしい服ふくを着きていくとはいわぬのです。
「どうしてですか。」
「いいよ、これで。」
「三年生ねんせいになったのですから、新あたらしいのを着きていらっしゃい。」
「だって、お母かあさん、非常時ひじょうじでしょう。」
「まあ、それでそういうの。」
「なんでも、きょうは、これでいいのだよ。」と、二郎じろうちゃんは、いいはりました。
「みんなほかの人ひとは、きれいにしていらっしゃるのに、おまえだけ、そんなふうをしていていいのですか。」と、お母かあさんは、じっと、二郎じろうちゃんをごらんになりました。
「だって、僕ぼく、わるいお点てんだと、新あたらしい洋服ようふくなど着きていって、恥はずかしいんだもの。」と、二郎じろうちゃんは、きまり悪わるそうに、いいました。
「ああ、それでそういうのですか。考かんがえてごらんなさい、平常ふだん遊あそんでばかりいて、いい成績せいせきのとれるはずがないでありませんか。」
「僕ぼく、新学年しんがくねんから、勉強べんきょうするのだ。」
「どうですか。」
「ほんとうだよ、お母かあさん。」
「いままでのように、遊あそんではいけませんよ。」
「お母かあさん、これから勉強べんきょうするから、丙へいがあってもしからない。」
「丙へいですか、そんなわるい点てんがあると思おもうのですか。」と、お母かあさんは目めをまるくしました。
 お母かあさんは、これから勉強べんきょうするなら、しからないとお約束やくそくをして、新あたらしい洋服ようふくを着きせて、二郎じろうちゃんをお出だしになりました。
 二郎じろうちゃんは、自分じぶんでも、あまりいい成績せいせきとは思おもわれなかったので、いくつ甲こうがあるかなあと考かんがえていました。先生せんせいが、通信箋つうしんせんをお渡わたしなさると、胸むねをどきどきさせながら開ひらいてみました。体操たいそうが甲こうになっているだけで、あとはずっと乙おつの行列ぎょうれつでありました。二郎じろうちゃんは、おしどりが行儀ぎょうぎよく並ならんでいるので、おかしくなりました。しかし、お家うちへ帰かえると、さすがに、元気げんきよくこれをお母かあさんに見みせる勇気ゆうきがなかったのです。お縁側えんがわには、ねこがひなたぼっこをしていました。二郎じろうちゃんは、ねこが大好だいすきでしたから、すぐそのそばへすわりました。ねこは二郎じろうちゃんを見みると、ごろりと横よこになって、あくびをしながら四よつ足あしをのばしました。「僕ぼくは、体操たいそうがうまいんだぜ、ほら甲こうだろう……。」と、通信箋つうしんせんをねこの鼻はなさきにひろげて見みせたのです。
 こちらのへやで、お仕事しごとをなさっていたお母かあさんは、二郎じろうちゃんの声こえを聞きくと、
「二郎じろうちゃん、帰かえったのですか。なぜここへきて、ごあいさつをしないのです。」と、おっしゃいました。
「うん、いまいくよ。」
 二郎じろうちゃんは、ねこの顔かおへ、自分じぶんの顔かおを押おしつけてから立たち上あがりました。

二

 いいお天気てんきで、日曜日にちようびです。もう、学校がっこうは二、三日前にちまえから、はじまっていました。ご用ようがあっても、二郎じろうちゃんは、外そとへ遊あそびに出でたぎり帰かえってきません。新学年しんがくねんから、勉強べんきょうをするといいながら、しかたのない子こだとお母かあさんは探さがしに外そとへ出でられました。
 春風はるかぜが吹ふいて、たこのうなりがきこえています。お母かあさんは、
「二郎じろうは、ここらにいませんか。」と、遊あそんでいる子供こどもにお聞ききになりました。
「二郎じろうちゃんは、さっき勇ゆうちゃんと原はらっぱの方ほうへいったよ。」と、子供こどもは、答こたえました。
 どこかの庭にわに咲さいている花はなの香かが、往来おうらいまで流ながれてきます。自転車じてんしゃは、日ひの光ひかりの輪わをかがやかして走はしっていきました。原はらっぱには、子供こどもがたくさん遊あそんでいました。お母かあさんは、どの子供こどもを見みても、自分じぶんの子こに見みえたのです。ズボンを短みじかくはいて、足あしがすらりとして、帽子ぼうしを横よこにかぶっている十歳さい前後ぜんごの子供こどもたちばかりであります。また、お母かあさんは、
「二郎じろうはいませんか。」と、お聞ききになりました。
「いませんよ。勇ゆうちゃんのお家うちへいったのでない。」と、一人ひとりの子供こどもが、おしえてくれました。
「ありがとうよ。」
 お母かあさんは、帰かえりかけながら、お隣となりの勇ゆうちゃんの家いえを思おもい出だしました。いま勇ゆうちゃんのお母かあさんは、お産さんをして、まだ床とこについていられました。先日せんじつ、おみまいにいくと、勇ゆうちゃんの妹いもうとの、小ちいさなみい子こさんが、「二郎じろうちゃんのおばさん、ここ、ここ。」といって、無理むりに二郎じろうちゃんのお母かあさんをたんすの前まえへつれてきました。
「うん、うん。」と、ひきだしを開あけろというのであります。すると、寝ねている勇ゆうちゃんのお母かあさんは、
「みい子このお好すきな赤あかいおべべが、はいっているというのですよ。」と、おっしゃいました。
「まあ、みい子こちゃんの赤あかいおべべが。」
「赤あかちゃんのおべべよりも、きれいだといっていただきたいのですよ。奥おくさん、どうかあけて見みてやってください。」と、勇ゆうちゃんのお母かあさんが、いわれました。
 二郎じろうちゃんのお母かあさんは、たんすを開あけて、みい子こちゃんの、きれいなおべべをごらんになりました。
「きれいな、いいおべべですこと。」と、二郎じろうちゃんのお母かあさんが、おほめになりました。
「みい子こおべべ。」と、みい子こちゃんは、しきりにいって、こんどは、これをきせてくれというのです。しかし、それは単衣物ひとえものでありました。
 二郎じろうちゃんのお母かあさんは、そのときの無邪気むじゃきなみい子こちゃんのようすを思おもい出だして、ひとりほほえみながら、歩あるいていられました。

三

 二郎じろうちゃんは、勇ゆうちゃんの家いえにもいませんでした。二郎じろうちゃんと勇ゆうちゃんは、小ちいさなみい子こちゃんをつれて、川かわへ釣つりに出でかけたのです。それは、勇ゆうちゃんと二郎じろうちゃんの釣つりにいく約束やくそくがしてあったところ、
「勇ゆうちゃん、すこしみい子こを見みてやっておくれ。」と、寝ねているお母かあさんにいわれたので、妹いもうともいっしょにつれていくことにしたのです。途中とちゅう、勇ゆうちゃんは、小ちいさな妹いもうとの手てをひいてやりました。
 生うまれてはじめて、広ひろい、青々あおあおとした畑はたけを見みたので、みい子こちゃんは、なにを見みても珍めずらしかったのです。花はなびらが、風かぜに吹ふかれて飛とんできても、
「ちょうちょう、ちょうちょう。」といって、よろこびました。川かわへくると、ほかの子供こどもたちもおおぜいいました。
「二郎じろうちゃん、あすこがいいよ。」と、勇ゆうちゃんが、川かわの曲まがり角かどをさしました。そこには、おじいさんが、釣つりをしていました。二郎じろうちゃんと、勇ゆうちゃんは、おじいさんのじゃまにならぬように、すこしはなれて糸いとを下さげたのです。
「あ、二郎じろうちゃん、引ひいたのではない。」と、勇ゆうちゃんが、いいました。「ごみが、ひっかかったのだよ。」と、二郎じろうちゃんは糸いとを上あげて、ごみを取とりました。
「兄にいちゃん、もう帰かえるの。」と、みい子こちゃんが、泣なき声ごえをだしました。
「ばか、いまきたばかしじゃないか。」
 みい子こちゃんは、しかたなく一人ひとりで遊あそんでいました。
「もうお家うちへ帰かえるの。」と、またいいだしました。二郎じろうちゃんが、ふり向むいて、
「みい子こちゃん、一匹ぴき釣つれたら帰かえろうね。」といいました。
「みい子このばか。」と、勇ゆうちゃんは、しかりました。すると、みい子こちゃんは、わあわあと泣なき出だしたのです。
「あちらへ、つれていって。」と、おじいさんが、いいました。勇ゆうちゃんも、二郎じろうちゃんも、おじいさんの顔かおを見みました。そして、みい子こちゃんをつれて、ほかのところへ移うつりました。
「二郎じろうちゃん、僕ぼく、先さきへ帰かえるから。」と、勇ゆうちゃんがいいました。
「僕ぼくも、いっしょに帰かえるよ。」と、二郎じろうちゃんも、帰かえる支度したくをしました。
 三人にんは、また田圃道たんぼみちを歩あるいて、往来おうらいへ出でました。
「兄にいちゃん、おんぶして。」と、急きゅうにみい子こちゃんは、道みちの上うえへしゃがんでしまいました。
「困こまったなあ。」と、勇ゆうちゃんは、小ちいさな妹いもうとを負おいました。途中とちゅうで、二郎じろうちゃんが、代かわってやりました。しかし、二人ふたりとも疲つかれてしまいました。みんなは、おなかがすいたのです。このとき、二郎じろうちゃんが、ポケットに手てを入いれると、昨日きのうお母かあさんが、明日あしたの朝あさ忘わすれるといけないとていいって、お渡わたしになった月謝げっしゃが入はいっていました。
「勇ゆうちゃん待まっておいで。」と、二郎じろうちゃんは、どこかへ向むかって、走はしり出だしました。そして、道端みちばたのお菓子屋かしやから、キャラメルを買かってきて、みい子こちゃんにも、勇ゆうちゃんにも分わけてやりました。三人にんは、やっと元気げんきがついて、歩あるくことができたのでした。
 その晩ばんのことです。二郎じろうちゃんは、月謝げっしゃのお金かねを使つかってしまって、どういっておわびをしていいかと苦くるしんでいました。ちょうどそのとき、「ごめんください。」と、玄関げんかんで声こえがしました。お隣となりの勇ゆうちゃんのお父とうさんがいらしたのです。
「お礼れいに上あがりました。きょうは二郎じろうちゃんに、うちの子供こどもがたいへんお世話せわになりまして。」と、おじさんは、お礼れいをいって、月謝げっしゃの金かねを返かえしにきてくだされたのです。二郎じろうちゃんのお母かあさんも、お父とうさんも、はじめてそのことを知しって、すぐにいいお返事へんじもできず、ただおたがいさまどうしですからと、笑わらっていられました。しかし、おじさんがお帰かえりなさると、
「おまえは、いいことをしました。そんなときは、自分じぶんの力ちからでできることなら、なんでもしなくてはなりません。」と、お父とうさんは、二郎じろうちゃんをおほめになりました。



青空文庫より引用