二十六夜


        *

 旧暦きゅうれきの六月二十四日の晩でした。
 北上きたかみ川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻ししはなは微かすかな星のあかりの底にまっくろに突つき出ていました。
 獅子鼻の上の松林まつばやしは、もちろんもちろん、まっ黒でしたがそれでも林の中に入って行きますと、その脚あしの長い松の木の高い梢こずえが、一本一本空の天あまの川がわや、星座にすかし出されて見えていました。
 松かさだか鳥だかわからない黒いものがたくさんその梢にとまっているようでした。
 そして林の底の萱かやの葉は夏の夜の雫しずくをもうポトポト落して居おりました。
 その松林のずうっとずうっと高い処ところで誰たれかゴホゴホ唱えています。
「爾その時に疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかいに告げて曰いわく、諦あきらかに聴きけ、諦に聴け、善よくこれを思念せよ、我今汝なんじに、梟鵄きょうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べん、と。
 爾迦夷るかい、則すなわち、両翼りょうよくを開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて、座を離はなれ、低く飛揚ひようして、疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯ただ願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等らが為ために、これを説きたまえ。ただ我等が為に、これを説き給たまえと。
 疾翔大力、微笑みしょうして、金色こんじきの円光を以もって頭こうべに被かぶれるに、その光、遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜かんぎ充満じゅうまんせり。則ち説いて曰く、
 汝等なんじら審つまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て、小禽しょうきんの家に至る。時に小禽、既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍ちょうやくして疲労ひろうをなし、唯唯ただただ甘美かんびの睡眠すいみん中にあり。汝等飛躍してこれを握つかむ。利爪りそう深くその身に入り、諸もろもろの小禽、痛苦又また声を発するなし。則ちこれを裂さきて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田しょうでんに至り、螺蛤らこうを啄ついばむ。螺蛤軟泥なんでい中にあり、心柔輭にゅうなんにして、唯温水を憶おもう。時に俄にわかに身、空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等これを噉食するに、又懺悔ざんげの念あることなし。
 斯かくの如ごときの諸もろもろの悪業、挙げて数うるなし。悪業を以ての故ゆえに、更さらに又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則ち日光を懼おそれ又人及および諸の強鳥を恐おそる。心暫しばらくも安らかなるなし、一度ひとたび梟身きょうしんを尽つくして、又新あらたに梟身を得う、審つまびらかに諸の苦患くげんを被こうむりて、又尽ることなし。」 俄かに声が絶え、林の中はしぃんとなりました。ただかすかなかすかなすすり泣きの声が、あちこちに聞えるばかり、たしかにそれは梟ふくろうのお経きょうだったのです。
 しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。その音は、今度は東の方の丘おかに響ひびいて、ごとんごとんとこだまをかえして来ました。
 林はまたしずまりかえりました。よくよく梢をすかして見ましたら、やっぱりそれは梟でした。一疋ぴきの大きなのは、林の中の一番高い松の木の、一番高い枝えだにとまり、そのまわりの木のあちこちの枝には、大きなのや小さいのや、もうたくさんのふくろうが、じっととまってだまっていました。ほんのときどき、かすかなかすかなため息の音や、すすり泣きの声がするばかりです。
 ゴホゴホ声が又起りました。
「ただ今のご文もんは、梟鵄きょうし守護章というて、誰たれも存知の有り難がたいお経の中の一とこじゃ。ただ今から、暫時しばしの間、そのご文の講釈を致いたす。みなの衆、ようく心を留とめて聞かしゃれ。折角せっかく鳥に生れて来ても、ただ腹が空すいた、取って食う、睡ねむくなった、巣に入るではなんの所詮しょせんもないことじゃぞよ。それも鳥に生れてただやすやすと生きるというても、まことはただの一日とても、ただごとではないのぞよ、こちらが一日生きるには、雀すずめやつぐみや、たにしやみみずが、十や二十も殺されねばならぬ、ただ今のご文にあらしゃるとおりじゃ。ここの道理をよく聴ききわけて、必らずうかうか短い一生をあだにすごすではないぞよ。これからご文に入るじゃ。子供らも、こらえて睡るではないぞ。よしか。」
 林の中は又しいんとなりました。さっきの汽車が、まだ遠くの遠くの方で鳴っています。
「爾その時に疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかいに告げて曰いわくと、まづ疾翔大力とは、いかなるお方じゃか、それを話さなければならんじゃ。
 疾翔大力と申しあげるは、施身大菩薩せしんだいぼさつのことじゃ。もと鳥の中から菩提心ぼだいしんを発して、発願ほつがんした大力の菩薩じゃ。疾翔とは早く飛ぶということじゃ。捨身しゃしん菩薩がもとの鳥の形に身をなして、空をお飛びになるときは、一揚いちようというて、一はばたきに、六千由旬ゆじゅんを行きなさる。そのいわれより疾翔と申さるる、大力というは、お徳によって、たとえ火の中水の中、ただこの菩薩を念ずるものは、捨身大菩薩、必らず飛び込こんで、お救いになり、その浄明じょうみょうの天上にお連れなさる、その時火に入って身の毛一つも傷きずつかず、水に潜くぐって、羽、塵ちりほどもぬれぬという、そのお徳をば、大力とこう申しあげるのじゃ。されば疾翔大力とは、捨身大菩薩を、鳥より申しあげる別号じゃ、まあそう申しては失礼なれど、鳥より仰あおぎ奉たてまつる一つのあだ名じゃと、斯こう考えてよろしかろう。」
 声がしばらくとぎれました。林はしいんとなりました。ただ下の北上川の淵ふちで、鱒ますか何かのはねる音が、バチャンと聞えただけでした。
 梟の、きっと大僧正だいそうじょうか僧正でしょう、坊ぼうさんの講義が又はじまりました。
「さらば疾翔大力は、いかなればとて、われわれ同様賤いやしい鳥の身分より、その様なる結構のお身となられたか。結構のことじゃ。ご自分も又ほかの一切のものも、本願のごとくにお救いなされることなのじゃ。さほど尊いご身分にいかなことでなられたかとなれば、なかなか容易のことではあらぬぞよ。疾翔大力さまはもとは一疋の雀でござらしゃったのじゃ。南天竺なんてんじくの、ある家やの棟むねに棲すまわれた。ある年非常な饑饉ききんが来て、米もとれねば木の実もならず、草さえ枯かれたことがござった。鳥もけものも、みな飢うえ死にじゃ人もばたばた倒たおれたじゃ。もう炎天えんてんと飢渇きかつの為ために人にも鳥にも、親兄弟の見さかいなく、この世からなる餓鬼道がきどうじゃ。その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間あさましさはかなさに、泪なみだをながしていらしゃれた。中にもその家の親子二人、子はまだ六つになるならず、母親とてもその大飢渇に、どこから食じきを得るでなし、もうあすあすに二人もろとも見す見す餓死を待ったのじゃ。この時、疾翔大力は、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方とほうにくれなされたが、日ごろの恩を報ずるは、ただこの時と勇みたち、つかれた羽をうちのばし、はるか遠くの林まで、親子の食じきをたずねたげな。一念天に届とどいたか、ある大林のその中に、名さえも知らぬ木なれども、色もにおいもいと高き、十の木の実をお見附みつけなされたじゃ。さればもはや疾翔大力は、われを忘れて、十たびその実をおのがあるじの棟むねに運び、親子の上より落されたじゃ。その十たび目は、あまりの飢えと身にあまる、その実の重さにまなこもくらみ、五たび土に落ちたれど、ただ報恩の一念に、ついご自分にはその実を啄ついばみなさらなんだ、おもいとどいてその十番目の実を、無事に親子に届けたとき、あまりの疲つかれと張りつめた心のゆるみに、ついそのままにお倒れなされたじゃ。されどもややあって正気に復し下の模様を見てあれば、いかにもその子は勢せいも増し、ただいたけなく悦よろこんでいる如ごとくなれども、親はかの実も自らは口にせなんじゃ、いよいよ餓うえて倒れるようす、疾翔大力これを見て、はやこの上はこの身を以て親の餌食えじきとならんものと、いきなり堅かたく身をちぢめ、息を殺してはりより床ゆかへと落ちなされたのじゃ。その痛さより、身は砕くだくるかと思えども、なおも命はあらしゃった。されども慈悲じひもある人の、生きたと見てはとても食とうべはせまいとて、息を殺し眼めをつぶっていられたじゃ。そしてとうとう願かなってその親子をば養われたじゃ。その功徳くどくより、疾翔大力様は、ついに仏にあわれたじゃ。そして次第に法力ほうりきを得て、やがてはさきにも申した如く、火の中に入れどもその毛一つも傷つかず、水に入れどもその羽一つぬれぬという、大力の菩薩ぼさつとなられたじゃ。今このご文もんは、この大菩薩が、悪業あくごうのわれらをあわれみて、救護くごの道をば説かしゃれた。その始めの方じゃ。しばらく休んで次の講座で述べるといたす。 南無なむ疾翔大力、南無疾翔大力。
 みなの衆しばらくゆるりとやすみなされ。」
 いちばん高い木の黒い影が、ばたばた鳴って向うの低い木の方へ移ったようでした。やっぱりふくろうだったのです。
 それと同時に、林の中は俄にわかにばさばさ羽の音がしたり、嘴くちばしのカチカチ鳴る音、低くごろごろつぶやく音などで、一杯いっぱいになりました。天あまの川がわが大分まわり大熊星おおぐまぼしがチカチカまたたき、それから東の山脈の上の空はぼおっと古めかしい黄金きんいろに明るくなりました。
 前の汽車と停車場で交換こうかんしたのでしょうか、こんどは南の方へごとごと走る音がしました。何だか車のひびきが大へん遅おそく貨物列車らしかったのです。
 そのとき、黒い東の山脈の上に何かちらっと黄いろな尖とがった変なかたちのものがあらわれました。梟ふくろうどもは俄にざわっとしました。二十四日の黄金きんの角つの、鎌かまの形の月だったのです。忽たちまちすうっと昇のぼってしまいました。沼ぬまの底の光のような朧おぼろな青いあかりがぼおっと林の高い梢こずえにそそぎ一疋の大きな梟が翅はねをひるがえしているのもひらひら銀いろに見えました。さっきの説教の松の木のまわりになった六本にはどれにも四疋から八疋ぐらいまで梟がとまっていました。低く出た三本のならんだ枝に三疋の子供の梟がとまっていました。きっと兄弟だったでしょうがどれも銀いろで大さはみな同じでした。その中でこちらの二疋は大分厭あきているようでした。片っ方の翅をひらいたり、片脚かたあしでぶるぶる立ったり、枝へ爪つめを引っかけてくるっと逆さになって小笠原おがさわら島のこうもりのまねをしたりしていました。
 それから何か云いっていました。
「そら、大の字やって見せようか。大の字なんか何でもないよ。」
「大の字なんか、僕ぼくだってできらあ。」
「できるかい。できるならやってごらん。」
「そら。」その小さな子供の梟はほんの一寸ちょっとの間、消防のやるような逆さ大の字をやりました。
「何だい。そればっかしかい。そればっかしかい。」
「だって、やったんならいいんだろう。」
「大の字にならなかったい。ただの十の字だったい、脚が開かないじゃないか。」
「おい、おとなしくしろ。みんなに笑われるぞ。」すぐ上の枝に居たお父さんのふくろうがその大きなぎらぎら青びかりする眼でこっちを見ながら云いました。眼のまわりの赤い隈くまもはっきり見えました。
 ところがなかなか小さな梟の兄弟は云うことをききませんでした。
「十の字、ほう、たての棒の二つある十の字があるだろうか。」
「二つに開かなかったい。」
「開いたよ。」
「何だ生意気な。」もう一疋は枝からとび立ちました。もう一疋もとび立ちました。二疋はばたばた、けり合ってはねが月の光に銀色にひるがえりながら下へ落ちました。
 おっかさんのふくろうらしいさっきのお父さんのとならんでいた茶いろの少し小型のがすうっと下へおりて行きました。それから下の方で泣声が起りました。けれども間もなくおっかさんの梟はもとの処ところへとびあがり小さな二疋ものぼって来て二疋とももとのところへとまって片脚で眼をこすりました。お母さんの梟がも一度叱しかりました。その眼も青くぎらぎらしました。
「ほんとうにお前たちったら仕方ないねえ。みなさんの見ていらっしゃる処でもうすぐきっと喧嘩けんかするんだもの。なぜ穂吉ほきちちゃんのように、じっとおとなしくしていないんだろうねえ。」
 穂吉と呼ばれた梟は、三疋の中では一番小さいようでしたが一番温和おとなしいようでした。じっとまっすぐを向いて、枝にとまったまま、はじめからおしまいまで、しんとしていました。
 その木の一番高い枝にとまりからだ中銀いろで大きく頬ほおをふくらせ今の講義のやすみのひまを水銀のような月光をあびてゆらりゆらりといねむりしているのはたしかに梟のおじいさんでした。
 月はもう余程よほど高くなり、星座もずいぶんめぐりました。蝎座さそりざは西へ沈しずむとこでしたし、天の川もすっかり斜ななめになりました。
 向うの低い松の木から、さっきの年老としよりの坊さんの梟が、斜に飛んでさっきの通り、説教の枝にとまりました。
 急に林のざわざわがやんで、しずかにしずかになりました。風のためか、今まで聞えなかった遠くの瀬せの音が、ひびいて参りました。坊さんの梟はゴホンゴホンと二つ三つせきばらいをして又またはじめました。
「爾その時に、疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかいに告げて曰いわく、諦あきらかに聴きけ、諦に聴け。善よくこれを思念せよ。我今汝なんじに、梟鵄きょうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べんと。 爾迦夷るかい、則すなわち両翼りょうよくを開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離はなれ、低く飛揚ひようして疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯ただ願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等らが為ためにこれを説き給たまえ。ただ我等が為にこれを説き給えと。
 疾翔大力微笑みしょうして、金色こんじきの円光を以もって頭こうべに被かぶれるに、その光遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜かんぎ充満じゅうまんせり。則ち説いて曰く、
 汝等なんじら審つまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て小禽しょうきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍ちょうやくして疲労ひろうをなし、唯唯ただただ甘美かんびの睡眠すいみん中にあり。汝等飛躍してこれを握つかむ。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし。則ちこれを裂さきて擅ほしいままに噉食たんじきす。或あるいは沼田しょうでんに至り、螺蛤らこうを啄ついばむ。螺蛤軟泥なんでい中にあり、心柔輭にゅうなんにして、唯温水を憶《おも》う。時に俄《にわか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等これを噉食たんじきするに、又懺悔ざんげの念あることなし。
 斯かくの如ごときの諸の悪業、挙げて数うるなし。悪業を以ての故ゆえに、更さらに又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則ち日光を懼おそれ、又人及および諸の強鳥を恐おそる。心暫しばらくも安らかなることなし、一度ひとたび梟身きょうしんを尽つくして、又新あらたに梟身を得。審つまびらかに諸の苦患くげんを被こうむりて又尽くることなし。で前の座では、捨身菩薩しゃしんぼさつを疾翔大力しっしょうたいりきと呼びあげるわけあい又、その願成がんじょうの因縁いんねんをお話いたしたじゃが、次に爾迦夷るかいに告げて曰いわくとある。爾迦夷というはこのとき我等と同様梟ふくろうじゃ。われらのご先祖と、一緒にお棲すまいなされたお方じゃ。今でも爾迦夷上人しょうにんと申しあげて、毎月十三日がご命日じゃ。いずれの家でも、梟の限りは、十三日には楢ならの木の葉を取とて参まいて、爾迦夷上人さまにさしあげるということをやるじゃ、これは爾迦夷さまが楢の木にお棲いなされたからじゃ。この爾迦夷さまは、早くから梟の身のあさましいことをご覚悟かくご遊ばされ、出離の道を求められたじゃげなが、とうとうその一心の甲斐かいあって、疾翔大力さまにめぐりあい、ついにその尊い教おしえを聴聞ちょうもんあって、天上へ行かしゃれた。その爾迦夷さまへのご説法じゃ。諦に聴け、諦に聴け。善くこれを思念せよと。心をしずめてよく聴けよ、心をしずめてよく聴けよと斯こうじゃ。いずれの説法の座でも、よくよく心をしずめ耳をすまして聴くことは大切なのじゃ。上うわの空で聞いていたでは何にもならぬじゃ。」 ところがこのとき、さっきの喧嘩をした二疋の子供のふくろうがもう説教を聴くのは厭あきてお互たがいにらめくらをはじめていました。そこは茂しげりあった枝えだのかげで、まっくらでしたが、二疋はどっちもあらんかぎりりんと眼を開いていましたので、ぎろぎろ燐りんを燃したように青く光りました。そこでとうとう二疋とも一ぺんに噴ふき出して一緒に、
「お前の眼は大きいねえ。」と云いました。
 その声は幸さいわいに少しつんぼの梟の坊ぼうさんには聞えませんでしたが、ほかの梟たちはみんなこっちを振ふり向きました。兄弟の穂吉という梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもじもじしながら頭だけはじっと垂れていました。二疋はみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるようにしながら、
「おい、もう遁にげて遊びに行こう。」
「どこへ。」
「実相寺の林さ。」
「行こうか。」
「うん、行こう。穂吉ちゃんも行かないか。」
「ううん。」穂吉は頭をふりました。
「我今汝なんじに、梟鵄きょうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べんということは。」説教が又続きました。二疋はもうそっと遁げ出し、穂吉はいよいよ堅かたくなって、兄弟三人分一人で聴こうという風でした。

        *

 その次の日の六月二十五日の晩でした。
 丁度ゆうべと同じ時刻でしたのに、説教はまだ始まらず、あの説教の坊さんは、眼めを瞑つぶってだまって説教の木の高い枝にとまり、まわりにゆうべと同じにとまった沢山たくさんの梟ふくろうどもはなぜか大へんみな興奮している模様でした。女のふくろうにはおろおろ泣いているのもありましたし、男のふくろうはもうとても斯こうしていられないというようにプリプリしていました。それにあのゆうべの三人兄弟の家族の中では一番高い処ところに居るおじいさんの梟はもうすっかり眼を泣きはらして頬が時々びくびく云い、泪なみだは声なくその赤くふくれた眼から落ちていました。
 もちろんふくろうのお母さんはしくしくしくしく泣いていました。乱暴ものの二疋の兄弟も不思議にその晩はきちんと座すわって、大きな眼をじっと下に落していました。又ふくろうのお父さんは、しきりに西の方を見ていました。けれども一体どうしたのかあの温和おとなしい穂吉の形が見えませんでした。風が少し出て来ましたので松まつの梢こずえはみなしずかにゆすれました。
 空には所々雲もうかんでいるようでした。それは星があちこちめくらにでもなったように黒くて光っていなかったからです。
 俄かに西の方から一疋の大きな褐色かっしょくの梟が飛んで来ました。そしてみんなの入口の低い木にとまって声をひそめて云いました。
「やっぱり駄目だめだ。穂吉さんももうあきらめているようだよ。さっきまではばたばたばたばた云っていたけれども、もう今はおとなしく臼うすの上にとまっているよ。それから紐ひもが何だか変ったようだよ。前は右足だったが、今度は左脚ひだりあしに結ゆわいつけられて、それに紐の色が赤いんだ。けれどもただひとついいことは、みんな大抵たいてい寝ねてしまったんだ。さっきまで穂吉さんの眼を指で突つっつこうとした子供などは、腹かけだけして、大の字になって寝ているよ。」
 穂吉のお母さんの梟は、まるで火がついたように声をあげて泣きました。それにつれて林中の女のふくろうがみなしいんしいんと泣きました。
 梟の坊さんは、じっと星ぞらを見あげて、それからしずかにたずねました。
「この世界は全くこの通りじゃ。ただもうみんなかなしいことばかりなのじゃ。どうして又あんなおとなしい子が、人につかまるような処に出たもんじゃろうなあ。」
 説教の木のとなりに居た鼠ねずみいろの梟は恭々うやうやしく答えました。
「今朝あけ方近くなってから、兄弟三人で出掛でかけたそうでございます。いつも人の来るような処ではなかったのでございます。そのうち朝日が出ましたので、眩まぶしさに三疋とも、しばらく眼を瞑つぶっていたそうでございます。すると、丁度子供が二人、草刈くさかりに来て居ましたそうで、穂吉もそれを知らないうちに、一人がそっとのぼって来て、穂吉の足を捉つかまえてしまったと申します。」
「あああわれなことじゃ、ふびんなはなしじゃ、あんなおとなしいいい子でも、何の因果じゃやら。できるなればわしなどで代ってやりたいじゃ。」
 林はまたしいんとなりました。しばらくたって、またばたばたと一疋の梟が飛んで戻もどって参りました。
「穂吉さんはね、臼の上をあるいていたよ。あの赤の紐を引き裂さこうとしていたようだったけれど、なかなか容易じゃないんだ。私はもう、どこか隙間すきまから飛び込こんで行って、手伝ってあげようと、何べんも何べんも家のまわりを飛んで見たけれど、どこにもあいてる所はないんだろう。ほんとうに可哀かあいそうだねえ、穂吉さんは、けれども泣いちゃいないよ。」 梟のお母さんが、大きな眼を泣いてまぶしそうにしょぼしょぼしながら訊たずねました。
「あの家に猫ねこは居ないようでございましたか。」
「ええ、猫は居なかったようですよ。きっと居ないんです。ずいぶん暫しばらく、私はのぞいていたんですけれど、とうとう見えなかったのですから。」
「そんならまあ安心でございます。ほんとうにみなさまに飛んだご迷惑めいわくをかけてお申し訳けもございません。みんな穂吉の不注意からでございます。」
「いいえ、いいえ、そんなことはありません。あんな賢かしこいお子さんでも災難というものは仕方ありません。」
 林中の女のふくろうがまるで口口に答えました。その音は二町ばかり西の方の大きな藁屋根わらやねの中に捕とらわれている穂吉の処まで、ほんのかすかにでしたけれども聞えたのです。
 ふくろうのおじいさんが度々たびたび声がかすれながらふくろうのお父さんに云いました。
「もうそうなっては仕方ない。お前は行って穂吉にそっと教えてやったらよかろう、もうこの上は決してばたばたもがいたり、怒おこって人に噛かみ付いたりしてはいけない。今日中誰たれもお前を殺さない処を見ると、きっと田螺たにしか何かで飼かって置くつもりだろうから、今までのように温和おとなしくして、決して人に逆さからうな、とな。斯こう云って教えて来たらよかろう。」
 梟のお父さんは、首を垂れてだまって聴きいていました。梟の和尚おしょうさんも遠くからこれにできるだけ耳を傾けていましたが大体そのわけがわかったらしく言い添そえました。
「そうじゃ、そうじゃ。いい分別じゃ。序ついでに斯う教えて来なされ。このようなひどい目におうて、何悪いことしたむくいじゃと、恨うらむようなことがあってはならぬ。この世の罪も数知らず、さきの世の罪も数かぎりない事じゃほどに、この災難もあるのじゃと、よくあきらめて、あんまりひとり嘆なげくでない、あんまり泣けば心も沈しずみ、からだもとかく損そこねるじゃ、たとえ足には紐があるとも、今ここへ来て、はじめてとまった処じゃと、いつも気軽でいねばならぬ、とな、斯う云うて下され。ああ、されども、されども、とられた者は又別じゃ。何のさわりも無いものが、とや斯う言うても、何にもならぬ。ああ可哀そうなことじゃ不愍ふびんなことじゃ。」
 お父さんの梟は何べんも頭を下げました。
「ありがとうございます。ありがとうございます。もうきっとそう申し伝えて参ります。斯こんなお語ことばを伝え聞いたら、もう死んでもよいと申しますでございましょう。」
「いや、いや、そうじゃ。斯うも云うて下され。いくら飼われるときまっても、子供心はもとより一向たよりないもの、又近くには猫犬なども居ることじゃ、もし万一の場合は、ただあの疾翔大力しっしょうたいりきのおん名を唱えなされとな。そう云うて下され。おお不愍じゃ。」
「ありがとうございます。では行って参ります。」
 梟のお母さんが、泣きむせびながら申しました。
「ああ、もしどうぞ、いのちのある間は朝夕二度、私に聞えるよう高く啼ないて呉くれとおっしゃって下さいませ。」
「いいよ。ではみなさん、行って参ります。」
 梟のお父さんは、二三度羽ばたきをして見てから、音もなく滑すべるように向うへ飛んで行きました。梟の坊さんがそれをじっと見送っていましたが、俄にわかにからだをりんとして言いました。
「みなの衆。いつまで泣いてもはてないじゃ。ここの世界は苦界くがいという、又また忍土にんどとも名づけるじゃ。みんなせつないことばかり、涙なみだの乾かわくひまはないのじゃ。ただこの上は、われらと衆生しゅじょうと、早くこの苦を離はなれる道を知るのが肝要かんようじゃ。この因縁いんねんでみなの衆も、よくよく心をひそめて聞きなされ。ただ一人でも穂吉のことから、まことに菩提ぼだいの心を発すなれば、穂吉の功徳くどく又この座のみなの衆の功徳、かぎりもあらぬことなれば、必らずとくと聴聞ちょうもんなされや。昨夜の続きを講じます。
 爾その時に疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかいに告げて曰いわく、諦あきらかに聴きけ、諦に聴け。善よくこれを思念せよ。我今汝なんじに、梟鵄きょうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べんと。 爾迦夷るかい、則すなわち両翼りょうよくを開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離はなれ、低く飛揚ひようして疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯ただ願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等らが為ためにこれを説き給たまえ。ただ我等が為にこれを説き給えと。
 疾翔大力微笑みしょうして、金色こんじきの円光を以もって頭こうべに被かぶれるに、その光遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜かんぎ充満じゅうまんせり。則ち説いて曰く、
 汝等なんじら審つまびらかに諸の悪業を作る。或あるいは夜陰やいんを以て小禽しょうきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍ちょうやくして疲労をなし、唯唯ただただ甘美かんびの睡眠すいみん中にあり、汝等飛躍してこれを握つかむ。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし。則ちこれを裂さきて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田しょうでんに至り螺蛤らこうを啄ついばむ。螺蛤軟泥なんでい中にあり、心柔輭にゅうなんにして唯温水を憶《おも》う。時に俄《にわか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等これを噉食たんじきするに、又懺悔ざんげの念あることなし。
 斯かくの如ごときの諸の悪業、挙げて数うるなし。
 悪業を以ての故ゆえに、更さらに又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則ち日光を懼おそれ、又人及および諸の強鳥を恐おそる。心暫しばらくも安らかなることなし。一度ひとたび梟身きょうしんを尽つくして、又新あらたに梟身を得、審つまびらかに諸の患難かんなんを被こうむりて、又尽くることなし。
 で前の晩は、諸鳥歓喜充満せりまで、文の如くに講じたが、此この席はその次じゃ。則ち説いて曰くと、これは疾翔大力さまが、爾迦夷るかい上人しょうにんのご懇請こんせいによって、直ちに説法をなされたと斯こうじゃ。汝等審つまびらかに諸の悪業を作ると。汝等というは、元来はわれわれ梟ふくろうや鵄とびなどに対して申さるるのじゃが、ご本意は梟にあるのじゃ、あとのご文の罪相を拝するに、みなわれわれのことじゃ。悪業というは、悪は悪いじゃ、業ごうとは梵語ぼんごでカルマというて、すべて過去になしたることのまだ報むくいとなってあらわれぬを業という、善業悪業あるじゃ。ここでは悪業という。その事柄ことがらを次にあげなされたじゃ。或は夜陰を以て、小禽の家に至ると。みなの衆、他人事ひとごとではないぞよ。よくよく自みずからの胸にたずねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみじゃ。以てとは、これに乗じてというがようの意味じゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うじゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀すずめ、山雀やまがら、四十雀しじゅうから、ひわ、百舌もず、みそさざい、かけす、つぐみ、すべて形小にして、力ないものは、みな小禽じゃ。その形小さく力無い鳥の家に参るというのじゃが、参るというてもただ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないじゃ、内に深く残忍の想を潜ひそめ、外又恐るべく悲しむべき夜叉相やしゃそうを浮べ、密ひそやかに忍しのんで参ると斯う云うことじゃ。このご説法のころは、われらの心も未いまだ仲々善心もあったじゃ、小禽の家に至るとお説きなされば、はや聴法ちょうほうの者、みな慄然りつぜんとして座に耐たえなかったじゃ。今は仲々そうでない。今ならば疾翔大力さま、まだまだ強く烈はげしくご説法であろうぞよ。みなの衆、よくよく心にしみて聞いて下され。 次のご文は、時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄跳躍して、疲労をなし、唯々甘美の睡眠中にあり。他人事ではないぞよ。どうじゃ、今朝も今朝とて穂吉どの処ところを替かえてこの身の上じゃ、」
 説教の坊さんの声が、俄にわかにおろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟はまるで帛きぬを裂さくように泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従ついて泣きました。
 それから男の梟も泣きました。林の中はただむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみなぐらぐらゆれましたが、仲々誰たれも泣きやみませんでした。星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。
 梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽せきをしていましたが、やっと心を取り直して、又講義をつづけました。
「みなの衆、まず試ためしに、自分がみそさざいにでもなったと考えてご覧ろうじ。な。天道てんとうさまが、東の空へ金色こんじきの矢を射なさるじゃ、林樹は青く枝えだは揺ゆるる、楽しく歌をばうたうのじゃ、仲よくおうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参るのじゃ、ひるごろならば、涼すずしい葉陰はかげにしばしやすんで黙だまるのじゃ、又ちちと鳴いて飛び立つじゃ、空の青板をめざすのじゃ、又小流れに参るのじゃ、心の合うた友だちと、ただ暫しばらくも離れずに、歌って歌って参るのじゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶とけるごとくじゃ。いつかまぶたは閉じるのじゃ、昼の景色を夢ゆめ見るじゃ、からだは枝に留とどまれど、心はなおも飛びめぐる、たのしく甘あまいつかれの夢の光の中じゃ。そのとき俄かにひやりとする。夢かうつつか、愕おどろき見れば、わが身は裂けて、血は流れるじゃ。燃えるようなる、二つの眼めが光ってわれを見詰みつむるじゃ。どうじゃ、声さえ発たとうにも、咽喉のどが狂くるうて音が出ぬじゃ。これが則すなわち利爪りそう深くその身に入り、諸もろもろの小禽痛苦又声を発するなしの意なのじゃぞ。されどもこれは、取らるる鳥より見たるものじゃ。捕とる此方こなたより眺ながむれば、飛躍してこれを握つかむと斯こうじゃ。何の罪なく眠れるものを、ただ一打ひとうちととびかかり、鋭するどい爪つめでその柔やわらかな身体からだをちぎる、鳥は声さえよう発てぬ、こちらはそれを嘲笑あざわらいつつ、引き裂くじゃ。何たるあわれのことじゃ。この身とて、今は法師にて、鳥も魚も襲おそわねど、昔むかしおもえば身も世もあらぬ。ああ罪業ざいごうのこのからだ、夜毎よごと夜毎の夢とては、同じく夜叉の業をなす。宿業しゅくごうの恐ろしさ、ただただ呆あきるるばかりなのじゃ。」
 風がザアッとやって来ました。木はみな波のようにゆすれ、坊さんの梟も、その中に漂ただよう舟ふねのようにうごきました。
 そして東の山のはから、昨日きのうの金角、二十五日のお月さまが、昨日よりは又ずうっと瘠やせて上りました。林の中はうすいうすい霧きりのようなものでいっぱいになり、西の方からあの梟のお父さんがしょんぼり飛んで帰って来ました。

       *

 旧暦きゅうれき六月二十六日の晩でした。
 そらがあんまりよく霽はれてもう天あまの川がわの水は、すっかりすきとおって冷たく、底のすなごも数えられるよう、またじっと眼をつぶっていると、その流れの音さえも聞えるような気がしました。けれどもそれは或あるいは空の高い処を吹いていた風の音だったかも知れません。なぜなら、星がかげろうの向う側にでもあるように、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしていましたから。
 獅子鼻ししはなの上の松林まつばやしには今夜も梟の群が集まりました。今夜は穂吉が来ていました。来てはいましたが一昨日おとといの晩の処にでなしに、おじいさんのとまる処よりももっと高いところで小さな枝の二本行きちがい、それからもっと小さな枝が四五本出て、一寸ちょっと盃さかずきのような形になった処へ、どこから持って来たか藁屑わらくずや髪かみの毛などを敷しいて臨時に巣すがつくられていました。その中に穂吉が半分横になって、じっと目をつぶっていました。梟のお母さんと二人の兄弟とが穂吉のまわりに座すわって、穂吉のからだを支えるようにしていました。林中のふくろうは、今夜は一人も泣いてはいませんでしたが怒おこっていることはみんな、昨夜ゆうべどころではありませんでした。「傷いたみはどうじゃ。いくらか薄うすらいだかの。」
 あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊たずねました。穂吉は何か云いおうとしたようでしたが、ただ眼がパチパチしたばかり、お母さんが代って答えました。
「折角せっかくこらえているようでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教を聴聞ちょうもんいたしたいというようでございましたので。もうどうかかまわずご講義をねがいとう存じます。」
 梟の坊さんは空を見上げました。
「殊勝しゅしょうなお心掛こころがけじゃ。それなればこそ、たとえ脚あしをば折られても、二度と父母の処へも戻もどったのじゃ。なれども健すこやかな二本の脚を、何面白おもしろいこともないに、捩ねじって折って放すとは、何という浅間あさましい人間の心じゃ。」
「放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べましょう。あの萱原かやはらの中に落ちてひいひい泣いていたのでございます。それでも昼の間は、誰たれも気付かずやっと夕刻、私が顔を見ようと出て行きましたらこのていたらくでございまする。」
「うん。尤もっともじゃ。なれども他人は恨うらむものではないぞよ。みな自みずからがもとなのじゃ。恨みの心は修羅しゅらとなる。かけても他人は恨むでない。」
 穂吉はこれをぼんやり夢のように聞いていました。子供がもう厭あきて「遁にがしてやるよ」といって外へ連れて出たのでした。そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さえ高くなったり低くなったりわくわくゆれているよう、みんなの声も、ただぼんやりと水の中からでも聞くようです。ああ僕ぼくはきっともう死ぬんだ。こんなにつらい位ならほんとうに死んだ方がいい。それでもお父さんやお母さんは泣くだろう。泣くたって一体お父さんたちは、まだ僕の近くに居るだろうか、ああ痛い痛い。穂吉は声もなく泣きました。
「あんまりひどいやつらだ。こっちは何一つ向うの為ために悪いようなことをしないんだ。それをこんなことをして、よこす。もうだまってはいられない。何かし返ししてやろう。」一疋ぴきの若い梟ふくろうが高く云いました。すぐ隣となりのが答えました。
「火をつけようじゃないか。今度屑焼くずやきのある晩に燃えてる長い藁わらを、一本あの屋根までくわえて来よう。なあに十本も二十本も運んでいるうちにはどれかすぐ燃えつくよ。けれども火事で焼けるのはあんまり楽だ。何かも少しひどいことがないだろうか。」
 又その隣りが答えました。
「戸のあいてる時をねらって赤子の頭を突ついてやれ。畜生ちくしょうめ。」
 梟の坊ぼうさんは、じっとみんなの云うのを聴きいていましたがこの時しずかに云いました。
「いやいや、みなの衆、それはいかぬじゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇あだを返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。こなたの胸が霽はれるときは、かなたの心は燃えるのじゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるじゃ、この身終って次の生しょうまで、その妄執もうしゅうは絶えぬのじゃ。遂ついには共に修羅しゅらに入り闘諍とうそうしばらくもひまはないじゃ。必らずともにさようのたくみはならぬぞや。」
 けたたましくふくろうのお母さんが叫さけびました。
「穂吉穂吉しっかりおし。」
 みんなびくっとしました。穂吉のお父さんもあわてて穂吉の居た枝に飛んで行きましたがとまる所がありませんでしたからすぐその上の枝にとまりました。穂吉のおじいさんも行きました。みんなもまわりに集りました。穂吉はどうしたのか折られた脚をぷるぷる云わせその眼は白く閉じたのです。お父さんの梟は高く叫びました。
「穂吉、しっかりするんだよ。今お説教がはじまるから。」
 穂吉はパチッと眼をひらきました。それから少し起きあがりました。見えない眼でむりに向うを見ようとしているようでした。
「まあよかったね。やっぱりつかれているんだろう。」女の梟たちは云い合いました。
 坊さんの梟はそこで云いました。
「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日じゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちじゃ。月天子がってんし山のはを出いでんとして、光を放ちたまうとき、疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかい波羅夷はらいの三尊さんぞんが、東のそらに出現まします。今宵こよいは月は異なれど、まことの心には又あらはれ給たまわぬことでない。穂吉どのも、ただ一途いちずに聴聞の志じゃげなで、これからさっそく講ずるといたそう。穂吉どの、さぞ痛かろう苦しかろう、お経の文とて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩なやみの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲じひを刻みつけるじゃぞ、いいかや、まことにそれこそ菩提ぼだいのたねじゃ。」 梟の坊さんの声が又少し変りました。一座はしいんとなりました。林の中にもう鳴き出した秋の虫があります。坊さんはしばらく息をこらして気を取り直しそれから厳いかめしい声で願をたててから昨夜の続きをはじめました。
「梟鵄きょうし救護くご章 梟鵄救護章
 諸もろもろの仁者じんしゃ掌てを合せて至心に聴きき給え。我今疾翔大力しっしょうたいりきが威神力いじんりきを享うけて梟鵄救護章の一節を講ぜんとす。唯ただ願うらくはかの如来にょらい大慈だいじ大悲だいひ我が小願の中に於おいて大神力を現じ給い妄言もうげん綺語きごの淤泥おでいを化けして光明顕色けんじきの浄瑠璃じょうるりとなし、浮華ふかの中より清浄しょうじょうの青蓮華しょうれんげを開かしめ給わんことを。至心欲願、南無仏なむぶつ南無仏南無仏。
 爾その時に疾翔大力、爾迦夷るかいに告げて曰いわく、諦あきらかに聴け諦に聴け。善よくこれを思念せよ。我今汝なんじに梟鵄諸の悪禽あくきん離苦りく解脱げだつの道を述べんと。
 爾迦夷則すなわち両翼りょうよくを開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離はなれ、低く飛揚ひようして疾翔大力を讃嘆さんたんすること三匝さんそうにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして願うらく疾翔大力、疾翔大力、ただ我等らが為ためにこれを説き給え。ただ我等が為にこれを説き給えと。
 疾翔大力、微笑みしょうして金色こんじきの円光を以もって頭こうべに被かぶれるに、諸鳥歓喜かんぎ充満じゅうまんせり。則ち説いて曰く、
 汝等審つまびらかに諸の悪業あくごうを作る。或あるいは夜陰やいんを以て小禽しょうきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍ちょうやくして疲労をなし、唯唯ただただ甘美かんびの睡眠すいみん中にあり、汝等飛躍してこれを握つかむ。利爪りそう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし、則すなわちこれを裂さきて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田しょうでんに至り、螺蛤らこうを啄ついばむ。螺蛤軟泥なんでい中にあり、心柔輭にゅうなんにして唯温水を憶おもう。時に俄にわかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等これを噉食するに、又懺悔ざんげの念あることなし。
 悪業あくごうを以ての故ゆえに、更さらに又諸の悪業を作る。継起けいきして遂ついに竟おわることなし。昼は則ち日光を懼おそれ又人及および諸の強鳥を恐おそる。心暫しばらくも安らかなることなし。一度ひとたび梟身きょうしんを尽つくして、又新あらたに梟身を得う。審つまびらかに諸の患難かんなんを被こうむりて、又尽くることなし。 で前の晩は、斯かくの如ごときの諸の悪業、挙げて数うることなし、まで講じたが、今夜はその次じゃ。
 悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作ると、これは誠まことに短いながら、強いお語ことばじゃ。先刻人間に恨みを返すとの議があった節、申した如くじゃ、一の悪業によって一の悪果を見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。斯の如く展転して、遂ついにやむときないじゃ。車輪のめぐれどもめぐれども終らざるが如くじゃ。これを輪廻りんねといい、流転るてんという。悪より悪へとめぐることじゃ。継起して遂ついに竟おわることなしと云うがそれじゃ。いつまでたっても終りにならぬ、どこどこまでも悪因悪果、悪果によって新に悪因をつくる。な。斯こうじゃ、浮うかむ瀬せとてもあるまいじゃ。昼は則ち日光を懼おそれ、又人及および諸の強鳥を恐る。心暫しばらくも安らかなることなし。これは流転の中の、つらい模様をわれらにわかるよう、直じかに申されたのじゃ。勿体もったいなくも、我等は光明の日天子にってんしをば憚はばかり奉たてまつる。いつも闇やみとみちづれじゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金きんの矢が高く射出さるれば、われらは恐れて遁にげるのじゃ。もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征矢そやに伐うたれるじゃ。それほどまでに我等は悪業あくごうの身じゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。人を恐るることは、今夜今ごろ講ずることの限りでない。思い合せてよろしかろう。諸の強鳥を恐る。鷹たかやはやぶさ、又さほど強くはなけれども日中なれば烏からすなどまで恐れねばならぬ情ない身じゃ。はやぶさなれば空よりすぐに落ちて来て、こなたが小鳥をつかむときと同じようなるありさまじゃ、たちまち空で引き裂かれるじゃ、少しのさからいをしたとて、何にもならぬ、げにもげにも浅間あさましくなさけないわれらの身じゃ。」
 梟ふくろうの坊さんは一寸ちょっと声を切りました。今夜ももう一時の上のぼりの汽車の音が聞えて来ました。その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考えるのでした。講釈がまた始まりました。
「心暫しばらくも安らかなることなしと、どうじゃ、みなの衆、ただの一時いっときでも、ゆっくりと何の心配もなく落ち着いたことがあるかの。もういつでもいつでもびくびくものじゃ。一度ひとたび梟身きょうしんを尽して又新あらたに梟身を得うと斯こうじゃ。泣いて悔くやんで悲しんで、ついには年老としとる、病気になる、あらんかぎりの難儀なんぎをして、それで死んだら、もうこの様な悪鳥の身を離れるかとならば、仲々そうは参らぬぞや。身に染しみ込こんだ罪業ざいごうから、又梟に生れるじゃ。斯かくの如ごとくにして百生しゃう、二百生、乃至ないし劫こうをも亘わたるまで、この梟身を免まぬかれぬのじゃ。審つまびらかに諸の患難を蒙こうむりて又尽くることなし。もう何もかも辛つらいことばかりじゃ。さて今東の空は黄金色きんいろになられた。もう月天子がってんしがお出ましなのじゃ。来月二十六夜ならば、このお光に疾翔大力しっしょうたいりきさまを拝み申すじゃなれど、今宵こよいとて又拝み申さぬことでない、みなの衆、ようくまごころを以て仰あおぎ奉るじゃ。」
 二十六夜の金いろの鎌かまの形のお月さまが、しずかにお登りになりました。そこらはぼおっと明るくなり、下では虫が俄にわかにしいんしいんと鳴き出しました。
 遠くの瀬の音もはっきり聞えて参りました。
 お月さまは今はすうっと桔梗ききょういろの空におのぼりになりました。それは不思議な黄金きんの船のように見えました。
 俄かにみんなは息がつまるように思いました。それはそのお月さまの船の尖とがった右のへさきから、まるで花火のように美しい紫むらさきいろのけむりのようなものが、ばりばりばりと噴ふき出たからです。けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるような紫の雲をつくりました。その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立っています。まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見ています。衣ころものひだまで一一はっきりわかります。お星さまをちりばめたような立派な瓔珞ようらくをかけていました。お月さまが丁度その方の頭のまわりに輪になりました。 右と左に少し丈たけの低い立派な人が合掌がっしょうして立っていました。その円光はぼんやり黄金きんいろにかすみうしろにある青い星も見えました。雲がだんだんこっちへ近づくようです。
「南無なむ疾翔大力しっしょうたいりき、南無疾翔大力。」
 みんなは高く叫びました。その声は林をとどろかしました。雲がいよいよ近くなり、捨身菩薩しゃしんぼさつのおからだは、十丈ばかりに見えそのかがやく左手がこっちへ招くように伸のびたと思うと、俄に何とも云えないいいかおりがそこらいちめんにして、もうその紫の雲も疾翔大力の姿も見えませんでした。ただその澄すみ切った桔梗いろの空にさっきの黄金きんいろの二十六夜のお月さまが、しずかにかかっているばかりでした。
「おや、穂吉さん、息つかなくなったよ。」俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。
 ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまま、息がなくなっていました。そして汽車の音がまた聞えて来ました。



青空文庫より引用