或る農学生の日誌


     序


ぼくは農のう学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌にっしを公開こうかいする。どうせぼくは字も文章ぶんしょうも下手へただ。ぼくと同じように本気に仕事しごとにかかった人でなかったらこんなもの実じつに厭いやな面白おもしろくもないものにちがいない。いまぼくが読み返かえしてみてさえ実に意気地いくじなく野蛮やばんなような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方しかたない。ぼくらは空想くうそうでならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂いわゆる田舎臭いなかくさいものに変かわってしまう。
ぼくはひがんで云いうのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽けいべつする人がきっと沢山たくさんあるだろう。そんなやつをぼくは叩たたきつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬ねたむことしかできないやつらはいちばん卑怯ひきょうなものだと思う。ぼくのように働はたらいている仲間なかまよ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界せかいから無なくしてしまおうでないか。



一九二五、四月一日 火曜日 晴

今日から新らしい一学期がっきだ。けれども学校へ行っても何だか張合はりあいがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居いない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶あいさつを待まってそっと横眼よこめで威張いばっている卑怯ひきょうな上級生じょうきゅうせいが居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけた低ひくい天井裏てんじょううらが無なくなったような気もするけれどもまた支柱しちゅうをみんな取とってしまった桜さくらの木のような気もする。今日の実習じっしゅうにはそれをやった。去年きょねんの九月古い競馬場けいばじょうのまわりから掘って来て植うえておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さな根ねがでるころなのに西風はまだまだ吹ふくから幹みきがてこになってそれを切るのだ。けれども菊池きくち先生はみんな除とらせた。花が咲さくのに支柱があっては見っともないと云いうのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余よもある。菊池先生は春になったのでただ面白おもしろくてあれを取ったのだとおもう。
その古い縄なわだの冬の間のごみだの運動場うんどうじょうの隅すみへ集あつめて燃もやした。そこでほかの実習の組の人たちは羨うらやましがった。午前中その実習をして放課ほうかになった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午后ごごはみんなでテニスコートを直なおしたりした。



四月二日 水曜日 晴

今日は三年生は地質ちしつと土性どせいの実習だった。斉藤さいとう先生が先に立って女学校の裏うらで洪積層こうせきそうと第だい三紀きの泥岩でいがんの露出ろしゅつを見てそれからだんだん土性を調しらべながら小船渡こぶなとの北上きたかみの岸きしへ行った。河かわへ出ている広い泥岩の露出で奇体きたいなギザギザのあるくるみの化石かせきだの赤い高師小僧たかしこぞうだのたくさん拾ひろった。それから川岸を下って朝日橋あさひばしを渡わたって砂利じゃりになった広い河原かわらへ出てみんなで鉄鎚かなづちでいろいろな岩石の標本ひょうほんを集あつめた。河原からはもうかげろうがゆらゆら立って向むこうの水などは何だか風のように見えた。河原で分れて二時頃ごろうちへ帰った。そして晩ばんまで垣根かきねを結ゆって手伝てつだった。あしたはやすみだ。




四月三日 今日はいい付つけられて一日古い桑くわの根掘ねほりをしたので大へんつかれた。




四月四日、上田君うえだくんと高橋君たかはしくんは今日も学校へ来なかった。上田君は師範しはん学校の試験しけんを受うけたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜ農のう学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだろう。高橋君は家で稼かせいでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去年きょねんの旱魃かんばつがいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難儀なんぎするだろう。それへ較くらべたらうちなんかは半分でもいくらでも穫とれたのだからいい方だ。今年は肥料ひりょうだのすっかり僕ぼくが考えてきっと去年の埋うめ合せを付つける。実習じっしゅうは苗代掘なわしろほりだった。去年の秋小さな盛もりにしていた土を崩くずすだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測量そくりょうと園芸えんげいが来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無なくならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身しゅうしんは農事試験場へ行った工藤くどうさんから譲ゆずられてあるから残のこりは九冊さつだけだ。



四月五日 日

南万丁目みなみまんちょうめへ屋根換やねがえの手伝てつだえにやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼっていたら南の方に学校が長々と横よこたわっているように見えた。ぼくは何だか今日は一日あの学校の生徒せいとでないような気がした。教科書は明日買う。



四月六日 月

今日は入学式しきだった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦かたくるしそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴あばれ出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていい気になる。さ来年はみんな僕ぼくらのようになってまた新入生をわらう。そう考かんがえると何だか変へんな気がする。伊藤君いとうくんと行って本屋ほんやへ教科書を九冊さつだけとっておいてもらうように頼たのんでおいた。




四月七日 火、朝父から金を貰もらって教科書を買った。
 そして今日から授業じゅぎょうだ。測量そくりょうはたしかに面白おもしろい。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田や畑はたけでほんとうの反別たんべつになっている処ところがないと武田たけだ先生が云いった。それだから仕事しごとの予定よていも肥料ひりょうの入れようも見当がつかないのだ。僕ぼくはもう少し習ならったらうちの田をみんな一枚まいずつ測はかって帳面ちょうめんに綴とじておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年きょねんの旱魃かんばつの埋うめ合せと、それから僕の授業料じゅぎょうりょうぐらいを穫とってみせる。実習は今日も苗代掘なわしろほりだった。


四月八日 水、今日は実習じっしゅうはなくて学校の行進歌こうしんかの練習れんしゅうをした。僕らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧おしつけられるようであの行進歌こうしんかはきらいだ。何だかあの歌を歌うと頭が痛いたくなるような気がする。実習じっしゅうのほうが却かえっていいくらいだ。学校から纏まとめて注文ちゅうもんするというので僕ぼくは苹果りんごを二本と葡萄ぶどうを一本頼たのんでおいた。


四月九日〔以下空白〕


一千九百廿にじゅう五年五月五日 晴

まだ朝の風は冷つめたいけれども学校へ上り口の公園の桜さくらは咲さいた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好すきでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙かえるの卵たまごのような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌など詠よむのろのろしたような昔むかしの人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕ぼくはもっと好きだったかも知れない。誰だれも桜が立派りっぱだなんて云いわなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫さけんだかも知れない。僕は却かえってたんぽぽの毛のほうを好きだ。夕陽ゆうひになんか照てらされたらいくら立派だか知れない。
今日の実習は陸稲播おかぼまきで面白おもしろかった。みんなで二うねずつやるのだ。ぼくは杭くいを借かりて来て定規じょうぎをあてて播いた。種子しゅしが間隔かんかくを正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽めを出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣すが三つ四つある。実習している間になんべんも降おりたのだ。けれども飛とびあがるところはつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれて降りるから飛びあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。



一千九百二十五年五月六日

今日学校で武田たけだ先生から三年生の修学旅行しゅうがくりょこうのはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発たって二十三日まで札幌さっぽろから室蘭むろらんをまわって来るのだそうだ。先生は手に取とるように向むこうの景色けしきだの見て来ることだの話した。
津軽海峡つがるかいきょう、トラピスト、函館はこだて、五稜郭ごりょうかく、えぞ富士ふじ、白樺しらかば、小樽おたる、札幌の大学、麦酒ビール会社、博物館はくぶつかん、デンマーク人の農場のうじょう、苫小牧とまこまい、白老しらおいのアイヌ部落ぶらく、室蘭むろらん、ああ僕ぼくは数かぞえただけで胸むねが踊おどる。五時間目には菊池きくち先生がうちへ宛あてた手紙を渡わたして、またいろいろ話された。武田先生と菊池先生がついて行かれるのだそうだ。
行く人が二十八人にならなければやめるそうだ。それは県けんの規則きそくが全級ぜんきゅうの三分の一以上いじょう参加さんかするようになってるからだそうだ。けれども学校へ十九円納おさめるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行けると思う人はと云ったら内藤ないとう君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。父が居いないので母へだけ話したけれども母は心配しんぱいそうに眼めをあげただけで何とも云わなかった。けれどもきっと父はやってくれるだろう。そしたら僕は大きな手帳てちょうへ二冊さつも書いて来て見せよう。



五月七日

今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云ったことを話そうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気兼きがねしたようすで僕が半分しか云わないうちに止めてしまった。そしてよく相談そうだんするからと云った。祖母そぼや母に気兼ねをしているのかもしれない。




五月八日 行く人が大ぶあるようだ。けれどもうちでは誰だれも何とも云わない。だから僕ぼくはずいぶんつらい。


五月九日、

三時間目に菊池きくち先生がまたいろいろ話された。行くときまった人はみんな面白おもしろそうにして聞いていた。僕は頭が熱あつくて痛いたくなった。ああ北海道、雑嚢ざつのうを下げてマントをぐるぐる捲まいて肩かたにかけて津軽海峡つがるかいきょうをみんなと船で渡わたったらどんなに嬉うれしいだろう。



五月十日 今日もだめだ。



五月十一日 日曜 曇くもり 午前は母や祖母そぼといっしょに田打たうちをした。午后ごごはうちのひば垣がきをはさんだ。何だか修学旅行しゅうがくりょこうの話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校ではあと授業じゅぎょうの時間に行く人を調しらべたり旅行の話をしたりしなければいいのだ。
 北海道なんか何だ。ぼくは今に働はたらいて自分で金をもうけてどこへでも行くんだ。ブラジルへでも行ってみせる。


五月十二日、今日また人数を調べた。二十八人に四人足りなかった。みんなは僕ぼくだの斉藤君さいとうくんだの行かないので旅行が不成立ふせいりつになると云いってしきりに責せめた。武田たけだ先生まで何だか変へんな顔をして僕に行けと云う。僕はほんとうにつらい。明后日みょうごにちまでにすっかり決きまるのだ。夕方父が帰って炉ろばたに居いたからぼくは思い切って父にもう一度ど学校の事情じじょうを云った。
 すると父が母もまだ伊勢詣いせまいりさえしないのだし祖母そぼだって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡かんのんめぐり一ぺんしただけこの十何年死しぬまでに善光寺ぜんこうじへお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年きょねんからのここら全体ぜんたいの旱魃かんばつでいま外へ遊あそんで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪わるくてどうもいけないということを云った。
 僕はいくら下を向いていても炉のなかへ涙なみだがこぼれて仕方しかたなかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからと云いった。ぼくはみんなが修学旅行しゅうがくりょこうへ発たつ間休みだといって学校は欠席けっせきしようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談そうだんするからと云ってあとはいろいろ稲いねの種類しゅるいのことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持きもちがさっぱりした。


五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人居いて何だか嬉うれしそうにして田の畦あぜを切っていた。
 何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のことだと思った。
 僕ぼくもそこで母が家へ帰るまで田打たうちをして助たすけた。
 けれども父はまだ帰って来ない。


五月十四日、昨夜さくや父が晩おそく帰って来て、僕を修学旅行にやると云った。母も嬉しそうだったし祖母もいろいろ向むこうのことを聞いたことを云った。祖母の云うのはみんな北海道開拓当時かいたくとうじのことらしくて熊くまだのアイヌだの南瓜かぼちゃの飯めしや玉蜀黍とうもろこしの団子だんごやいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田たけだ先生へ行くと云いって届とどけたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員ていいんを超こえたことにして県けんへは申請書しんせいしょを出したそうだ。ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳くわしく話すのだ。


一九二五、五、一八、

汽車は闇やみのなかをどんどん北へ走って行く。盛岡もりおかの上のそらがまだぼうっと明るく濁にごって見える。黒い藪やぶだの松林まつばやしだのぐんぐん窓まどを通って行く。北上きたかみ山地の上のへりが時々かすかに見える。
さあいよいよぼくらも岩手県いわてけんをはなれるのだ。
うちではみんなもう寝ねただろう。祖母さんはぼくにお守まもりを借かしてくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻まわってみんなの席せきの工合ぐあいや何かを見て行った。



一九二六、五、一九、〔以下空白〕


五月十九日


      *

いま汽車は青森県の海岸かいがんを走っている。海は針はりをたくさん並ならべたように光っているし木のいっぱい生はえた三角な島もある。いま見ているこの白い海が太平洋たいへいようなのだ。その向むこうにアメリカがほんとうにあるのだ。ぼくは何だか変へんな気がする。
海が岬みさきで見えなくなった。松林まつばやしだ。また見える。次つぎは浅虫あさむしだ。石を載のせた屋根やねも見える。何て愉快ゆかいだろう。

      *

青森の町は盛岡もりおかぐらいだった。停車場ていしゃじょうの前にはバナナだの苹果りんごだの売る人がたくさんいた。待合室まちあいしつは大きくてたくさんの人が顔を洗あらったり物ものを食べたりしている。待合室で白い服ふくを着きた車掌しゃしょうみたいな人が蕎麦そばも売っているのはおかしい。

      *

船はいま黒い煙けむりを青森の方へ長くひいて下北半島しもきたはんとうと津軽つがる半島の間を通って海峡かいきょうへ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影かげは波なみにうつって黒い鏡かがみのようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重ひろしげの絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸かいがんにわずかの砂浜すなはまがあってそこには巨おおきな黒松くろまつの並木なみきのある街道かいどうが通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建たっていてそこの浜には五、六そうの舟ふねもある。
さっきから見えていた白い燈台とうだいはすぐそこだ。ぼくは船が横よこを通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手じょうずだといいんだけれども僕ぼくは絵は描かけないから覚おぼえて行ってみんな話すのだ。風は寒さむいけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔よわない。ほかにも誰だれも酔ったものはない。

      *

いるかの群むれが船の横を通っている。いちばんはじめに見附みつけたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものが波なみから抜ぬけ出て小さな弧こを描えがいてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付つけの姿勢しせいで水を出たり入ったりしているようで滑稽こっけいだ。
先生も何だかわからなかったようだが漁師りょうしの頭かしららしい洋服ようふくを着きた肥ふとった人がああいるかですと云いった。あんまりみんな甲板かんぱんのこっち側がわへばかり来たものだから少し船が傾かたむいた。風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合ぐあいがわるくなってきた。

      *

いま汽車は函館はこだてを発たって小樽おたるへ向むかって走っている。窓まどの外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるで夢ゆめのようだ。
巨おおきな桜さくらへみんな百ぐらいずつの電燈でんとうがついていた。それに赤や青の灯ひや池にはかきつばたの形した電燈でんとうの仕掛しかけものそれに港みなとの船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜さくやからよく寝ねないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景色けしきは忘わすれない。それからひるは過燐酸かりんさんの工場と五稜郭ごりょうかく。過燐酸石灰せっかい、硫酸りゅうさんもつくる。



五月廿日


      *

いま窓まどの右手にえぞ富士ふじが見える。火山だ。頭が平ひらたい。焼やいた枕木まくらぎでこさえた小さな家がある。熊笹くまざさが茂しげっている。植民地しょくみんちだ。

      *

いま小樽おたるの公園に居いる。高等商業こうとうしょうぎょうの標本室ひょうほんしつも見てきた。馬鈴薯ばれいしょからできるもの百五、六十種しゅの標本が面白おもしろかった。
この公園も丘おかになっている。白樺しらかばがたくさんある。まっ青さおな小樽湾わんが一目だ。軍艦ぐんかんが入っているので海軍には旗はたも立っている。時間があれば見せるのだがと武田たけだ先生が云った。ベンチへ座すわってやすんでいると赤い蟹かにをゆでたのを売りに来る。何だか怖こわいようだ。よくあんなの食べるものだ。

      *




一千九百廿五年十月十六日

一時間目の修身しゅうしんの講義こうぎが済すんでもまだ時間が余あまっていたら校長が何でも質問しつもんしていいと云った。けれども誰だれも黙だまっていて下を向むいているばかりだった。ききたいことは僕ぼくだってみんなだって沢山たくさんあるのだ。けれどもぼくらがほんとうにききたいことをきくと先生はきっと顔をおかしくするからだめなのだ。
なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信しんずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示しめさないのだろう。



一千九百廿五年十月廿五日

今日は土性調査どせいちょうさの実習じっしゅうだった。僕ぼくは第だい二班はんの班長で図板ずばんをもった。あとは五人でハムマアだの検土杖けんどじょうだの試験紙しけんしだの塩化加里えんかカリの瓶びんだの持もって学校を出るときの愉快ゆかいさは何とも云いわれなかった。谷たに先生もほんとうに愉快そうだった。六班がみんな思い思いの計画で別々べつべつのコースをとって調査にかかった。僕は郡ぐんで調しらべたのをちゃんと写うつして予察図よさつずにして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっていない。猿ヶ石さるがいし川の南の平地ひらちに十時半ころまでにできた。それからは洪積層こうせきそうが旧天王キーデンノーの安山集塊岩あんざんしゅうかいがんの丘おかつづきのにも被かぶさっているかがいちばんの疑問ぎもんだったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭ろとうを丘の頂部ちょうぶ近くで見附みつけた。結局けっきょく洪積紀きは地形図の百四十米メートルの線以下いかという大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木の育そだち工合ぐあいや何かを参照さんしょうして決きめた。ぼくは土性の調査よりも地質ちしつの方が面白おもしろい。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色で取とっていくだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考えがなかなかうまくあたるのだから。ぼくらは松林まつばやしの中だの萱かやの中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉子きじも飛とんだ。
耕地整理こうちせいりになっているところがやっぱり旱害かんがいで稲いねは殆ほとんど仕付しつからなかったらしく赤いみじかい雑草ざっそうが生はえておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かった所ところも少しも分蘖ぶんけつせず赤くなって実みのはいらない稲がそのまま刈かりとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなの為ためにしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土性どせいもすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将来しょうらいは反当たんあたり三石ごくまではとれるようにできると思う。

午后ごご一時に約束やくそくの通り各班かくはんが猿ヶ石さるがいし川の岸きしにあるきれいな安山集塊岩あんざんしゅうかいがんの露出ろしゅつのところに集あつまった。どこからか小梨こなしを貰もらったと云いって先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗ぬりなおしたりした。先生はその場所ばしょでは誰だれのもいいとも悪わるいとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩かこうがんだの三紀きの泥岩でいがんだのまではいった込こんだ地質ちしつや土性のところを教わってあるいた。図は次つぎの月曜までに清書せいしょして出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生に直なおしてもらったら次の日曜に高橋君たかはしくんを頼たのんで僕のうちの近所きんじょのをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪積こうせきと沖積ちゅうせきがあるきりだしずっと簡単かんたんだ。それでも肥料ひりょうの入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反対はんたいにやってるんでないかと思う。



一九二五、十一月十日。

今日実習じっしゅうが済すんでから農舎のうしゃの前に立ってグラジオラスの球根きゅうこんの旱ほしてあるのを見ていたら武田たけだ先生も鶏小屋にわとりごやの消毒しょうどくだか済んで硫黄華いおうかをずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見ていられたがそこから大きなのを三つばかり取とって僕に呉くれた。僕がもじもじしているとこれは新らしい高価たかい種類しゅるいだよ。君きみにだけやるから来春植うえてみたまえと云った。すると農場の方から花の係かかりの内藤ないとう先生が来たら武田先生は大へんあわててポケットへしまっておきたまえ、と云った。ぼくは変へんな気がしたけれども仕方しかたなくポケットへ入れた。すると武田先生は急いそいで農舎の中へはいって農具のうぐだか何だか整理せいりし出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行ってからそっと球根をむしろの中へ返かえして、急いで校舎へ入って実習服ふくを着換きがえてうちに帰った。



一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、

塩水撰えんすいせんをやった。うちのが済すんでから楢戸ならどのもやった。本にある通りの比重ひじゅうでやったら亀かめの尾おは半分も残のこらなかった。去年きょねんの旱害かんがいはいちばんよかった所ところでもこんな工合ぐあいだったのだ。けれども陸羽りくう一三二号ごうのほうは三割わりぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水選せんをかけたので恰度ちょうど六斗とあったから本田の一町一反たん分には充分じゅうぶんだろう。とにかく僕ぼくは今日半日で大丈夫だいじょうぶ五十円の仕事しごとはした訳わけだ。
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当たんあたり二石こくそこそこしかとっていなかったのを今度こんどはあちこちの農事試験場のうじしけんじょうの発表はっぴょうのように一割の二斗ずつの増収ぞうしゅうとしても一町一反では二石二斗になるのだ。みんなにもほんとうにいいということが判わかるようになったら、ぼくは同じ塩水で長根ちょうこんぜんたいのをやるようにしよう。一軒けんのうちで三十円ずつ得とくしてもこの部落全体ぶらくぜんたいでは四百五十円になる。それが五、六人ただ半日の仕事しごとなのだ。塩水選をする間は父はそこらの冬の間のごみを集あつめて焼やいた。籾もみができると父は細長ほそながくきれいに藁わらを通して編あんだ俵たわらにつめて中へつめた。あれは合理的ごうりてきだと思う。湧水わきみずがないので、あのつつみへ漬つけた。氷こおりがまだどての陰かげには浮いているからちょうど摂氏零度せっしれいどぐらいだろう。十二月にどてのひびを埋うめてから水は六分目までたまっていた。今年こそきっといいのだ。あんなひどい旱魃かんばつが二年続つづいたことさえいままでの気象きしょうの統計とうけいにはなかったというくらいだもの、どんな偶然ぐうぜんが集あつまったって今年まで続くなんてことはないはずだ。気候きこうさえあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害そんがいを恢復かいふくしてみせる。そして来年らいねんからはもううちの経済けいざいも楽にするし長根ぜんたいまできっと生々いきいきした愉快ゆかいなものにしてみせる。




一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午しょうごから七時まで番水ばんすいがあたったので樋番といばんをした。何せ去年きょねんからの巨おおきなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛こしかけてこぼこぼはっていく温あたたかい水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくが稲いねになったような気がした。そしてぼくが桃ももいろをした熱病ねつびょうにかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸すいあげているのだった。どきっとして眼めをさました。水がこぼこぼ裂目さけめのところで泡あわを吹ふきながらインクのようにゆっくりゆっくりひろがっていったのだ。
 水が来なくなって下田の代掻しろかきができなくなってから今日で恰度ちょうど十二日雨が降ふらない。いったいそらがどう変かわったのだろう。あんな旱魃かんばつの二年続つづいた記録きろくが無ないと測候所そっこうじょが云いったのにこれで三年続くわけでないか。大堰おおぜきの水もまるで四寸すんぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。 三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下の岐わかれまで行ってみたら権十ごんじゅうがこっちをとめてじぶんの方へ向むけていた。ぼくはまるで権十が甘藍かんらんの夜盗虫よとうむしみたいな気がした。顔がむくむく膨ふくれていて、おまけにあんな冠かぶらなくてもいいような穴あなのあいたつばの下った土方どかたしゃっぽをかぶってその上からまた頬ほおかぶりをしているのだ。
 手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なんだ、農のう学校終おわったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それを盗ぬすんで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。
 けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向け直なおした。やっぱり権十はぼくを子供こどもだと思ってぼくだけ居いたものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑怯ひきょうなやつらはみんな片かたっぱしから叩たたきつけてやるから。



一千九百二十七年八月廿一日

稲いねがとうとう倒たおれてしまった。ぼくはもうどうしていいかわからない。あれぐらい昨日きのうまでしっかりしていたのに、明方あけがたの烈はげしい雷雨らいうからさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜作きさくのもこっそり行ってみたけれどもやっぱり倒れた。いまもまだ降ふっている。父はわらって大丈夫だいじょうぶ大丈夫だと云うけれどもそれはぼくをなだめるためでじつは大へんひどいのだ。母はまるでぼくのことばかり心配しんぱいしている。ぼくはうちの稲が倒れただけなら何でもないのだ。ぼくが肥料ひりょうを教えた喜作のだってそれだけなら何でもない。それだけならぼくは冬に鉄道てつどうへ出ても行商ぎょうしょうしてもきっと取とり返かえしをつける。けれども、あれぐらい手入をしてあれぐらい肥料を考えてやってそれでこんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見込みこみはないのだ。ぼくはどこへも相談そうだんに行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。……先生はああ倒れたのか、苗なえが弱くはなかったかな、あんまり力を落おとしてはいけないよ、ぐらいのことを云って笑わらうだけのもんだ。日誌にっし、日誌、ぼくはこの書きつける日誌がなかったら今夜どうしているだろう。せきはとめたし落し口は切ったし田のなかへはまだ入られないしどうすることもできずだまってあのぼしょぼしょしたりまたおどすように強くなったりする雨の音を聞いていなければならないのだ。いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことがあるだろうか。
ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。




青空文庫より引用